曇り空に覆われる太陽が姿を現しては消していく。
一面に広がる草原。そこにバイロンとウィルは立っていた。
「何もない場所に追い込まれましたかね」
「これだと木とか盾にできないよね」
近付いてくる長い黒髪の女。イレリアは2人に冷たい目線を向ける。
バイロンはふと上空から近づいてくる魔力に気づく。疑っていたそれは、どうやら本人だったらしい。
イレリアに気づかれないくらいの距離から様子を伺っている。悟られないようバイロンは上空を無視した。
咄嗟の判断。バイロンは決めた。
「賭けになるがいいかい。私が合図したら頼むよ」
隣の人間に尋ねるように声を張り上げる。そして、『彼』にも届くように。
「……はい」
三人目にイレリアはまだ気づいていない。普通人間がいるはずのない場所だ、無理もない。
「貴様の悪事は全て聞いている。生きて帰れると思わないことだな」
「今の私は何もしてないよ。ただ花が欲しかっただけで」
女は鼻で笑った。
「それでわざわざ海を渡って来たと? もう少しマシな嘘をつくんだな」
「うーん……人を信じさせるのって難しいねえ。私の周りに疑う者は少ないからさ」
「貴様の部下ならそうだろうな。ちっとも笑えないが」
「話を聞いてはくれないようだね。ならさっさと始めようか。カモン、ゼロス」
とバイロンはお洒落に指パッチンなどし始める。
イレリアは辺りを見回すが障害物はない。バイロンは心の中で呟く。そこじゃないんだよね、真上さ。
ゼロスが急降下すると同時にウィルが骨を呼び出す。それは一体残らずイレリアに向かって走った。ウィルはそれを後ろから指揮する。
***
ゼロスは急降下しながら策を思い出していた。
――もしも、考えたくないが彼女に出会ったら動きを止めることだけを考えなさい。
バイロンはそう言っていた。舞う動作自体が空飛ぶ剣を操作するトリガーになっており、肉体を拘束すればイレリアの力を抑えることができるのたという。
ここでは物理的な手段に訴えることにした。
急降下してそのまま後ろからイレリアの首を絞めるように組みつく。ヘッドロック。咄嗟のことで反応できていないらしく拘束を許す結果となった。まさか刺客が上空にいるとは思いもつかなかっただろう。
「ゼロス・ミュラトール。これが私の最高傑作さ」
だがイレリアは呻く限りで答えを返さない。まあそもそも喋れないか。
「先ほどの口ぶりなら『右腕』の事は知っているだろう。彼もそうだ、とだけ伝えておくよ」
一瞬だけイレリアの動きが止まった。それでも彼女はただでは終わらない。すぐに暴れ始めた。ゼロスはそれを止める事だけを考える。
宙を流れる刃。バイロンは鞭で数本をいなすが全部はカバーしきれなかった。バイロンの首を斬り落とそうとした一本が届かんとする。そこに割り込む手。ウィルの右手が空中に舞う。
死のスローモーションが、ゼロスを釘付けにした。
程なくしてウィルの腕はどさりと音を立て落下。骨達もウィルと共に動きを止め崩れ落ちる。
常人であれば利き腕が切り落とされたことが必ずしも即死に繋がるとは言い切れないが彼らの場合違う。言い聞かされてきたが実際にそれを見るのは初めてだった。
地面に倒れたままウィルはぴくりとも動かない。
ゼロスは腕の力を強める。宙に舞った腕を見て、何だかとても苦しかったから。
「返せよ」
それしかできることがなかったから。
「あいつ、おれの」
確かに接した時間は短かった。こんなに必死になる理由はひょっとしたらないのかもしれない。それでも同じ紋を共有する仲間だったのだ。
表情のない奴だった。何を考えているのかわからない。迷いもきっとない。
実際ウィルは最期まで躊躇しなかった。当たり前に主を庇った。まるで自分の命なんて初めからどうでもよかったかのように。
「なかまだった」
死んだなんて信じたくない気持ちもある。まだ腕だけじゃないか。
腕を失ったのなら、それでも生き延びようとする人だっている。スウェインだっけ。あの話は何度か聞いたな。
ウィル、起きないな。せめて死ぬほど痛いとか言ってくれないかな。ゼロスは願った。
首を絞め続けていた腕に、水が一滴落ちた。
「雨?」
スローモーションに奪われた思考が引き戻される。
一方イレリアは拘束を解こうと身体を激しく揺らす。宙の刃はバイロンに再度狙いを定める。
「とにかく意識を落とせ!」
ゼロスはその言葉を聞いて拘束を強める。仲間を失ったばかりだというのにバイロンの指示は冷静だった。それでもなお刃はバイロンめがけて突き刺さろうとする。
「全く。私を殺せば君は生かす方法を永遠に知らないまま生涯を終えることになるのだがね」
一方頭上に落とされる刃をバイロンは鞭で払い被害を抑える。ゼロスが拘束に集中している間、盾の守りなしにバイロンは耐えている。それができるのは刃の動きが最初より精彩を欠いているからだ。首を絞め続ければ流石にこうなる。
次は真横。バイロンの両側から挟むように刃が飛び込む。一歩前に出て回避。
「おっと危ない。……動きを止めるというのは悪くないアイデアだったけど」
ふらり。ゼロスのバランスが崩れた。組み合いに振り回されている。
派手に地面に転がった。地面を何回転かしたのちゼロスが上から押さえつける形になる。
黒髪の美女はこちらを睨んでいる。瞳が一瞬きらめいた。彼女の事は見たことあるような気がした。だが結局思い出せない。女の首を押さえる自分の手。視界に映る忠誠心の象徴。迷いは消えた。ゼロスは一層強く首を絞める。
常人より遥かに長い時間彼女は耐えたが、それでも限界に辿り着いた。もがき続けた女はぐったりと動きを止め目を閉じる。刃も地面にばらばらと落ちていった。
「さて。アレ持ってるんだろう。目的のもの」
バイロンが声をかけたが動かない。ゼロスはただ茫然としている。
「……ゼロス・ミュラトール。動けるかい」
こくりと頷く。花をバイロンに手渡したゼロスはその後ふらふらと歩きだした。ほんの少し前まで動いていた死霊術師の元へ。
「ウィル」
返事はない。死んでいた。心臓は動いていない。腕を切り落とされでもすれば苦痛にのたうち回りそうなものだが、それもない。時間を止めて切り取ったかのようだった。切り口もまっすぐ綺麗に割かれている。これは皮肉にも彼女の腕が良かったのだろう。苦しむ暇すらなかったようだ。
「残念ながら、彼はもう」
「本当に死んじゃうんだ、手だけで」
バイロンは近付くとウィルの腕を拾い上げた。そこにあった文様は消えていた。ごく普通の手だ。
「残念だけどこの文様はただ死ぬことだけで消える。例外はない」
「予定が狂ったがこうなったら早く帰ろう。ソフィアもいつ急変するかわからない」
「ちょっと雨も降ってきたし」
ゼロスの言葉を聞きバイロンは手の平を空に向け雨粒を探す。
「雨? ……そうか。帰ろう」
「ところでゼロスはこれどうやって手に入れたんだ。迷いの森に入ったのかい?」
「入ったっていうか入らなかったっていうか。空飛んで真ん中に降りたから」
「面白い。『入ったものを』惑わせる森への対応策としてパーフェクトとすらいえる」
「ありがと」
ずっとゼロスの心には靄がかかったような状態だった。だけど。
「多分、これでいいんだよな」
「何か言ったかい?」
「ひとりごと。気にしないで」