星空の下。透き通るような歌声が聞こえる。その音に導かれたゼロスは月に照らされた長い黒髪に目を見張った。腰まで届くくらいのストレート。さながら夜空に巡らされたカーテンだ。少女が動くたびに髪が揺れ動く。どうやら踊っているらしい。
少女の周りには銀の刃が無数に揺らめいている。少女の動きに反応して動くのだ。触ると壊れてしまいそうな芸術品。ゼロスは彼女のことをそう感じた。
歌と踊りを止めて、少女が振り向く。ふわりと髪が揺れた。
一瞬時間が止まったような感覚。目が合う。綺麗だ。気の利いた言葉なんて出てこない。
彼女は一歩こちらに近付く。もう一歩。その歩みは早まる。走ってくる。
そして、ゼロスに派手にぶつかり倒れ込んだ。
バランスを崩し地面に座り込むような姿勢になったゼロス。黒髪の少女は無言のままこちらを見つめている。どこか現実離れしたものを見るような青い瞳。重なる視線。少女は動かない。時々ぱちぱちとまばたきをする以外には。
「夢?」
少女は一言だけ聞いた。
ゼロスは考える。そうなのかもしれない。普通、物体は理由なく空を飛ばない。少女の周りを飛び回ったあれは統率の取れた動きをしていた。だが少なくとも鳥じゃなかった。金属があんな風に空を飛ぶはずがない。魔法でもなければ。
「夢、かな」
「そうか。そうだな、非現実に決まっている。こんなの」
少女はただ微かに微笑む。いまいち彼女の考えが読めない。
「貸せ」
ゼロスに許可を得ることすらなく即座に少女は彼の右手を掴んで引き寄せる。
少女はゼロスの手を両手で掴みその手を見つめた。相変わらず彼女の考えていることはよくわからないが、しなやかな指の感触に少しだけ緊張する。ゼロスの手を真剣な表情で観察しているらしい。ソフィアが可愛いと称されるタイプなら、彼女は美人だった。
手の甲に描かれた文様に触れられると微かに痛みが生じた。熱さかも。少女はその模様を撫でる。軽く触れているだけなのにちくちくと痛むのは夢だからだろうか。
「あんまり触らないでほしいな。ちょっと痛くて」
あくまで優しく止めてくれるよう頼むと、
「すまなかった」
謝罪し少女は即座に手を離す。痛みがもたらされることはなくなった。それでも手を気にしているらしく、じっと上から覗き込むように見ていた。
ぽたり。右手に違和感を覚える。雫が手の甲に一粒落ちていた。彼女の表情は大きく崩れてはいない。ぱちぱち。手を見つめながらまばたきをするとまた一粒落ちた。
「その、」
そういや彼女の名前も知らないんだった。
「何で泣いてるんだ」
一言だけ聞く。
「泣いてない」
三粒目。
「別に、私は泣いてないから」
わかり切った嘘。それでもそのままにしておいた。どうすればいいか、わからなかったから。
***
右手の痛みで目が覚めた。何か夢を見ていたけど、はっきりとは思い出せない。
いつの間にか日がオレンジ色に傾いている。そんなに寝てたっけか。バイロンの姿も見当たらない。
「おはよう、お兄ちゃん。バイロンさんは仕事があるって先帰っちゃった。お兄ちゃんのことはわたしが見てれば大丈夫だろうって」
「おはよ……もしかしてずっと肩貸してくれてたのか」
日が沈みかけるまでずっと。
「いいのいいの。わたしはお兄ちゃんの寝言聞いてるだけで面白かったから」
「待って」
それ楽しいんだろうか。
「何の夢見てたの?」
ソフィアはゼロスを見上げる。この角度はずるい。
「あー、何だっけ」
「思い出したら教えてね」
「うん」
立ち上がる二人。夕焼けの中、ふたつの影が長く長く伸びていた。