このまま塔までノンストップの予定。残された時間はそんなに長くない。
ポータルから塔までは少し距離があるから、途中で立ち寄った街で病が流行っていたのをソラカの魔法で癒したり(イレリアが急かす中ソラカは広範囲に魔法を降り注がせた結果女神のような扱いを受けていた)カサディンって人にヴォイドから戻ってきた女の子について激しく問い詰められたりしながら。
***
遥か遠くの景色に建つ塔。その頂上は高すぎて見えない。
エズリアルさんの本によれば『地図なんていらないさ』らしいけど、確かにわかりやすい目印ではあった。
「あれで間違いないな?」
イレリアさんの言葉をわたしは肯定する。
「じゃあ俺が運ぶよ」
「運ぶ?」
「魔法で」
透明な板が浮かぶ。確かにこうすれば早いよね、でも。
「……あんまり無理したら着く前に死んじゃうよ?」
「大丈夫だって」
本気で大丈夫だと信じているお兄ちゃんだけど、イレリアさんはそれを止めようとした。
「塔に登る前に死んだら意味がない。大人しくしてくれないか」
「俺そんな弱くないし」
「見る限り症状はなさそうですよ」
それはそうだがとイレリアさんが複雑な顔をしていた。症状がないだけだから仕方ないけれど。
それで、うん。皆でお兄ちゃんの空飛ぶ板に乗ることにしたの。わたしたちを振り落としたりはしないって約束してくれているからそこを心配する必要はないんだけど、意図的じゃない場合困るので落ちても大丈夫な高さで飛んでもらってる。地面からはわたし一人分くらいの高さ。これくらいならわたしみたいな雑魚でも死なないからあんしんだね。
少しでも妙な飛び方をしたらどうなるかと脅すリヴェンさんに対してお兄ちゃんは逆らうつもりはないと言った。多分負けてから心が折れたのかなと思う。
お兄ちゃんの左隣にわたしが、右隣にイレリアさんが座っている。その後ろにソラカさんとリヴェンさんがいる形だ。
「イレリア、あんな声も出せるんだ」
後ろから声が聞こえてきた。
「本来はとても優しい人よ。ただ、それを奪われてしまっただけ。いえ、そうじゃなくて。リヴェンが悪いって言いたいわけじゃない」
後ろから聞こえてくる声に対してお兄ちゃんはまったく気づいていない。それどころかイレリアさん自体が恐怖の象徴に書き換えられてしまったようで、怖いと言いたげにお兄ちゃんはわたしの方に身体を寄せた。頼ってくれて嬉しいと思ってしまう。だけどそれもこの塔を登り終えるまでのこと。
「ソフィア・ミュラトール」
横から聞こえた刺さるような声にわたしは息を止める。
「はい」
「誘惑して満足か?」
「ちがっ……わたし、誘惑なんてしてません」
変な言い方しないでください。
「そうだぞ」
お兄ちゃんが味方してくれた。実は女の人は苦手だ。どう接すればいいかわからないから。
「流石人が操られているのを見ていただけの女は違うな」
それは。それは、否定できなかった。
風を切って飛ぶ。わたしは隣にいるお兄ちゃんに話しかける。話している間は怖いものから逃げられるような気がして。
「エズリアルさんの本って面白いんだよ。旅の間に起きたこと好き勝手に書いてるだけなんだけど、事実だけで下手な小説よりずっと面白いんだから。不老不死の薬手に入れたんだって言ってたこともあるし」
塔の『上で』死んだ人間だけ生き返る蘇生魔法なんかより普通は不老不死の薬の方が有用だ。それでもわざわざエズリアルさんが塔に登ったのは純粋な好奇心からだったという。
「じゃあエズリアルって奴、死んだことあるのかな」
何の気なしに発した言葉に、予想外の所から予想外の返答が返ってきた。
「ねえねえ、今エズリアルくんの話した!?」
高い声に一瞬だけ床が揺れた。ほんの少しだけ傾いてすぐ持ち直す。
目の前に現れたのは色違いの瞳を持つ少女。ふわふわと浮かんでいるそれをお兄ちゃん以外は警戒して武器を手に取った。
わたしは彼女を知っていた。
お兄ちゃんにもうすぐ死ぬって予言した人だ。病床で聞こえた声を思い出す。
夢の中で聞いていた声があの時の声色のまま蘇る。そう、確か『手の色が消え家族が涙を流す』だった。
わたしは願う。お願い、どうか彼を奪わないでと。
「ゾーイ! 思ったよりまた会うの早かったな」
お兄ちゃんはびっくりしてて、でも嫌ではなさそうだった。
「ここに来たってことは予言通りだね。で、エズリアルくんの事知ってるの?」
「俺は会ったことないけどソフィアが」
お兄ちゃんが言うとゾーイちゃんはわたしを見て眉をひそめた。
「えー。この女が? どこで会ったの。ラックスみたいにエズリアルくんにちょっかいかけたわけ?」
「そんなことしてないよ」
ゾーイちゃんはよくわからないけどひゅんひゅん飛び回っている。
突然板の上に着地すると色違いの瞳を持つ少女は見えない何かを見て呟いた。
「5.4」
その一瞬、彼女が何か女神のような神性を帯びるものに見えた。
「なんだって?」
お兄ちゃんはわけがわからない、という顔でゾーイちゃんを見る。
「失われた聖なる数学を拾い現実は書き換わる」
皆何が何だかとお互い顔を見合わせるけどやっぱりわからない。
「つまり、この世界はすっごく面白くなるってこと!」
神々しい何かは、すぐに無邪気な少女へと変わった。
怪訝な顔をする皆にお兄ちゃんが紹介した。
「皆、大丈夫だよ。ゾーイは俺たちを傷つけようしてるわけじゃないから」
「本当に?」
イレリアさんはだいたいずっとこんな感じ。
「むしろ応援してる側だよ。ねえねえ、ソフィアはわかってくれるよね」
そこでわたしに聞くの。
「わたし?」
「そう。あたしが嘘ついてないってこと」
「……うん」
「いつか騙されて死んでも知らんぞ」
「本当ソフィアの事わかってないなお前」
「話がややこしくなるからちょっとだけお口閉じてて」
「わかった」
お兄ちゃんがわたしの言葉を聞くことでまたイレリアさんが不機嫌になる。
だけどゾーイちゃんは。
「まあいいや。また今度ね!」
引き留める間もなく彼女は消えて行ってしまった。
前もこうだったとお兄ちゃんは言った。気まぐれで先が読めない、不思議な少女なのだと。