時の塔。中の扉を開けたゼロスは何もない場所で不自然に転んだ。
手を伸ばすが私の手はまるでスローモーションのように冗長に伸び、あと一歩届かない。一瞬が長く感じられただけかもしれない。かつて彼がソフィアを抱きかかえた時のように。
扉の先に放り出された彼は消えた。そう、消えたとしか言いようがない。扉の先には不自然な白色だけがあった。
彼の名前を呼び扉の向こうへと走る。境界を超えたその瞬間、視界が純白に染まった。
***
何度も、何度でもその記憶が胸を刺す。
家族を殺したそれに刃を突き立てる。肉の塊と化した男に何をしたところで誰も戻ってこない事くらい知っている。ただ、それでも私はそうせざるを得なかった。
強い人だと周りは言うけれど逆なんだよ。弱いから死体を嬲ることでしか心を守れなかった。それだけのこと。
***
英雄。救世主。ただの人を超えた尊称を受けること自体は嫌じゃないけれど、私が一番欲しかったものはそれじゃなかった。
ほんの一瞬の油断がもたらした隙。
『らしくない』。
刃を鏡代わりに偶然見た姿。わずかな違和感を覚えるが、それは私の願いそのものだった。
「ゼロス・ミュラトール。これが私の最高傑作さ」
そんな名前知らない。誰だミュラトールって?
『願い』に押さえつけられる。怒りで熱くなる心臓を無視して私はあの男、アレックス・バイロンを殺そうとした。話を聞くに奴隷にされたのだ。到底許せる所業ではないが、身体が動かない状況で私の刃は精度を欠く。
失われたはずの願いはそこにあった。あったといって、いいのだろうか。
意識が遠くなる。彼の腕から伝わる温もりがどうしようもなく悲しかった。
***
私が敵国に向かう事をよく思わない者もいるだろう。それでも私は彼を救うと決めた。
誰に反対されようと関係ないからごくわずかな人にしか言わずに出ていくことにした。
それを伝えた僅かな相手、ソラカに向けてはっきりと私は告げる。
祖国を愛していないわけじゃない。
ただ、それ以上に彼を愛していただけ。
「ええ。よく伝わってきます」
ソラカは私の目を見つめる。
「……もし、それを突き通して名誉を失っても、貴女は止まらないのでしょうね」
私は祖国を守るためならそれ以外の何だって捨てられると、かつては本気でそう考えてた。蓋を開けてみれば捨てられるものしか残ってなかっただけだった。
「彼は私の光なんだ」
「嫌われて恐れられても?」
「関係ない。彼の事は私が守る」
「報われなくても?」
「私を憎んだとしても構わない。彼がただ、無事な姿で生きているなら」
それだけで私は報われているのだから。
「だが今の彼は無事とは到底言えない」
「そうね」
これが一度出て、予言が見えたとして引き留めたソラカに手を引かれ戻るまでの話。
多くの場合術者を殺せば洗脳は解けると聞く。だから私は決めた。
***
諸悪の根源。私の光を穢した男を殺す一歩手前で私の時間は止まった。
ゼロスが女を抱きかかえるのを黙って見ているだけだった。我に返ってから気づく。どうして誰も動けなかったのか、と。
彼の時間だけが早く動いたのか、それとも私達が遅くなったのか。どちらにせよ体制を整えられてしまう。
透明な守りの魔法が彼らの周りを覆った。
「死んでも守るから」
愛情を注ぐ彼を見て私はただ苦しかった。命を懸けて守る程の価値なんて、そこには。
聞いてもらえないだろうなと知りながらも私は彼に告げる。
「その壁を消せ。そうすればゼロス、お前だけは助けてやる」
「断る」
間髪入れずの返答。予想通りだ。彼が守ろうとしている少女が口をぽかんと開けていた。驚くような事なのか? だがどうやら女は私に対して驚いているようにも見える。交渉を持ちかけるとは思わなかったのだろうか。
「大丈夫。俺が守るから。バイロンが救ってくれた命無駄にしないって」
ハッとして息を吸い込む。それは違う、と叫びたかった。
「……ごめんね」
女が苦しそうな顔をしている。洗脳されているはずの戦士が何故。そもそも彼女は戦士なのか? 武器を振るいそうには見えない華奢な手足。震える声。そうは見えなかった。
「ソフィアが謝ることじゃないだろ」
「お兄ちゃん、大好き」
「知ってる」
何が『お兄ちゃん』だ。眉間に皺が寄る。
最期を予感したような会話。その後、ソフィアと呼ばれた女は何かに気づいた様子で声をあげそれから笑った。
「……そういうことだったんだ」
「どうしたんだいソフィア」
バイロンが気にかける。
「えっと、何でもない」
女を観察すると、あることに気づく。右手にあるはずの文様が存在していない。
「そこの女」
「はい」
「貴様は何故アレックス・バイロンに従っている」
「アレックス・バイロンの部下は忠誠心が無条件についてくるんです」
「奴は『裏切ろうなどと考えない事だ』と貴様に忠告した。『忠誠心が無条件についてくる』なら必要のない言葉だろう」
「貴様の手、何も描かれていないな」
女は動揺を隠せないようだ。
「貴様にはゼロスと違って自由があったはずだ。その上でアレックス・バイロンに従う……つまり貴様も加害者側ということだ」
「……仕方ないじゃないですか。そうしないと生きられなかったんだから」
「何故自由の為に戦おうと思わない」
「あなたが強いから言えるんです、そんな事」
「洗脳を止める事をしなかったんだろう、同罪だ」
「わたしが彼を知った時には既にこの姿にされてたのよ?」
「彼を想うなら解除する方法を探せばよかったのに」
「知ったような口をきかないで! わたしは他の場所で生きていくことなんてできないのに!」
「本当にそうか? 奴隷に甘んじる以外本当に道はないのか? アレックス・バイロンの部下に明るい未来があると思うか?」
「うちの部下を誘惑しないでくれるかい」
「ソフィアとやら。私の元へ来れば貴様の命も救ってやろうか」
「そんな言葉にソフィアは屈しない」
ソフィアが私の方へ全速力で走ってくる。
「わたしを信じて」
彼女はどうやら私に向かって言っているらしい。
どうにも、この女を放っておけない。
***
白色だけの空間にゼロスが一人で座り込んでいた。いてて、とうずくまりながら頭を押さえている。
「……心配したんだが」
声をかけると、彼は振り返って私に叫んだ。
「お前な! いきなり突き飛ばすなって」
何もしてない。けれど思考回路が歪んでいるのはいつものことだ。
「違う、私じゃない」
それ以上どう答えればいいかわからず黙り込むと、彼は右手の文様を押さえ震えていた。
「じゃあ何? 誰のせい」
正直な所誰とも言えない。
「言えないか」
「……ごめん」
彼が私に謝罪したことに驚きながらも、気まずいまま時間だけが流れた。一体どれほどの時だっただろうか。