俺の右手を暖かな感触が包み込んでいる。人の手だ。しなやかで美麗という表現の似合うそれの持ち主はボロボロと涙をこぼし続けていた。
「……イレリア?」
名前を呼ぶと彼女は握る手を強くする。俺の手を見て『良かった』と笑った。
「何もないよ、ただの手」
「ああ、『何もない』」
他の皆は周りでやっぱり泣いたり笑ったりしている。
頭が痛い。今までの記憶を理解するまでに時間がかかる。
俺は結局利用されていたらしい。イレリアに近づくなって散々言われてたのも殺されるからじゃなかった。彼女に救われたら困る、ということだったんだろう。
あの男に俺自身を盾にされても怒らなかったのはそう作り変えられていたから。今更怒ろうにも彼はもういない。俺の復讐は始まることさえ許されなかった。
その男に付いていたソフィアはどんなことを考えていたんだろう。かつて聞いていたはずの言葉を思い出す。
『貴様にはゼロスと違って自由があったはずだ。その上でアレックス・バイロンに従う……つまり貴様も加害者側ということだ』
『仕方ないじゃないですか。そうしないと生きられなかったんだから』
わたしに自由なんてなかった。大体そんなことを苦しそうに語るソフィアを、俺はあの時ただ見ているだけだった。全部見てたのに、知ってたのに。俺の心は動けないままだった。
それに目の前で主を殺されたならもっとなりふり構わずイレリアを殺しにかかってもいいはずだった。ソフィアが止めたからっていうのもあるだろうけど、今までの俺は心が不自然な事が多かったように思う。これからが自然かどうかもまだよくわからないけれど。
目の前で泣き続けるイレリア。かつて全部俺の為だと言っていたそれを否定し続けた。
ソフィアが信じたって時点で答えはわかりきっていたのに。
「ごめん」
「謝ることなんて、何も」
「俺、ずっとイレリアが考えてることわからなくて。真逆のこと勘違いして」
「そんなことか。気にするな、悪いのは全部あの男だ」
「……ありがと」
イレリアはずっと俺の手を握り続けていた。
ただ、暖かかった。
***
少し休んでいくといいって塔の主ジリアンは言ってくれた。正直ありがたい。高級な宿泊施設並みの場所がなぜかあって、一人一人に個室が与えられた。時空を超えられるから色んな場所がこの塔の中にはあるらしい。そしてこの宿は未来の部屋なのだとか。
個室はあったんだけど、俺は一人で寝る事にはならなかった。イレリアが意地でも俺と同じ部屋がいいと主張したからだ。
「えっと」
俺の手を取って彼女は懇願する。
「私に守らせてくれないか。ゼロスは私の光なんだ」
ジリアンがこの空間は安全だと言ってるから危険じゃないはずなんだけど、もし何かがあったらと語る彼女があまりに必死で俺は何も言えなかった。
「俺、イレリアに何もできてないのに」
「生きてるだけで充分すぎる」
「何だよそれ」
見返りを求めない愛というのは受ける側になるとむず痒い。
そんな風に見つめないでよ。耐えきれず目を逸らしながら言う。
「命を救われたのに何もしなくていいって言われても俺の気が済まないっていうか」
「別に私は……わかった、それなら私の願いを叶えてくれないか」
「うん」
何でもとまでいかないかもしれないけど、やらせて。
「幸せでいてほしい。誰かに操られる道具じゃなくて」
面食らった。
「それは俺がってこと?」
「当然だろう」
「俺が言いたいのはそういう事じゃ……わかった、わかったよ」
諦めた。多分イレリアは折れないだろうから。
同じ部屋で寝ることを了承したらあれよあれよと全員で寝ることになった。
あ、でもジリアンは騒がしいのは苦手だって自室に引っ込んじゃったけど。何かあったら呼んでくれってさ。
部屋に等間隔で並ぶベッド。座ってみると確かに心地良い。見た目は派手じゃないけど品質は確かだ。
「……懐かしいな。小さい頃家族皆で同じ部屋で寝てたのを思い出すよ」
イレリアには当たり前だったようで、あとはリヴェンも大体こんな感じで寝ていたらしい。軍の人と共同生活をしていたと聞く。
「こうして皆で泊まるのも楽しいわね」
ソラカはいつも通り穏やかだ。俺はかつてこんな天使のような人すら拷問に来たのだと思い込んでしまった。ずっとあのままだったらどうなっていたことか。
「うーん」
「何か気になることが?」
「俺ここで寝るんだよな? 男一人で場違いじゃないか」
「貴方はここにいる必要があるわ。イレリアに恩返ししたいと言っていたのは誰だったかしら」
「それは……イレリアはそうなんだけど、他の皆は気にならないの?」
「そういえば違和感はないわね。こうやって夜通し話す中に男性の方がいたとしても。どうしてかしら」
「ノクサス軍に居た頃はこれが普通だったから」
「わたしはね、お兄ちゃんとならいいよ。なんてね。お兄ちゃんが何もしないのは聞いてればわかるよ」
最後にイレリアを見ると彼女は平然と答えた。
「側にいないと守れないし、家族ならこれくらい普通だろ?」
俺たちは寝るまでの間色んなことを話した。俺は特に心を変えられてたから、自分を見つめ直すためにも。
まず文様が消えても記憶を取り戻したわけじゃないことは伝えた。イレリアは俺の事家族だって呼ぶけど、それって本当に俺なのって思う。あまりに実感がわかないんだ。
リヴェンは並ぶと俺とイレリアに似てるところがあるって言うけどソフィアは別に似てないって不機嫌になる。
イレリアから語られた俺が実は生き別れの兄だという話、ただの兄にここまで愛を向けるものなんだろうか。ソラカ曰く『イレリアはちょっと家族愛が人より大きいだけよ』っていうけど……ちょっと?
でもソフィアも『家族愛っていうのは本当だよ』って教えてくれたから、そういうものなんだろう。
ベッドで寝転がっても目は冴えたままだった。
「どうしよう、寝れない」
頭の中整理できてない。
横から視線を感じたほうを振り返る。隣のベッドで寝ているイレリアと目が合った。笑ってる。怖い。おかしいな、もう怖くないって頭ではわかってるはずなんだけど。
「……あのさ」
「どうした」
「ずっと見られてるとさ、変な感じ」
「嫌か?」
あ、そんな落ち込まないで。
「落ち着かない、かな。嫌っていうのとはちょっと違う。俺見ててもいいんだけどつまらなくない?」
「そうは思わないが。……せっかく夢が叶ったんだ。嫌じゃないなら少しくらい浸らせてくれないか」
やっぱり落ち着かない。でも、イレリアが喜ぶならまあいいかな。
「わかったよ」
寝れるまでの間、旅の話をするとイレリアはそれを真剣に聞いてくれた。