キンドレッドの伝説を思い出しながらわたしは吐きそうになった。死を受け入れたものは子羊による慈悲ある死を、拒んだものは狼による苛烈な死を。大人しくしてれば楽に死なせてくれたかもしれないのに。
勝てないとわかっていたら降伏したけど、そんなのは結果論にすぎない。わたしは別に未来を読めるわけじゃない。
皆必死に戦った。けれど、駄目だった。
いつでも命を終わらせられる死神たち。お兄ちゃんは言った。
「皆は俺を助けようとしてくれただけ。でも、それが駄目だって言うなら。殺すならせめて俺だけにしてよ」
「……お兄ちゃん」
命よりわたしが大切だ、なんて。実は嬉しいと思ってしまった。だけどこの先を想うと途方もなく悲しかった。
辺りが暖かく感じる。かつてお兄ちゃんがわたしを抱き上げて助けてくれた時を思い出す。
ほんの一瞬。空気が変わった。殺意を向けていたはずの彼らが少しだけ緩みを見せる。
あの時みたいに武器を持つ手を止めてくれるんじゃないか。そう思った矢先のこと。
「仕方ありませんね。特別ですよ。……貴方の代わりにもし誰か一人でも名乗り出たら
「……何それ。どうして」
わたしはその裏に――決まりきった絶望を見た。
「理由ですか。私達が生死の摂理を守るものだからです。一人生きて一人死ねば、生命の数は変わらない」
「死人が『完全な形で生き返る』ことは本来許されねえんだ。わかったか嬢ちゃん」
わたしが聞きたいのはそういうことじゃない。
彼らの方を見れなくなる。
これだから他人は嫌いだ。お兄ちゃん以外。
遥か昔、わたしの『家族』だってそう。化物だって思ってる?って、わたしは聞いてしまった。彼らが本当にそう思っていた時点で何と言葉を返しても手遅れ。だからわたしは何も聞くべきじゃなかった。
子羊は棚から何かを勝手に取り出した。砂時計だった。黄色い砂が反対側に流れていく。ゾー……何とかの時を止める魔法の品だってジリアンさんは言ってたっけ。
「これが落ちる前に誰も名乗らなければ……わかりますね?」
残された時間は長くない。けれど、どうすれば。
「ソフィア」
お兄ちゃんの声。こんな時でも暖かい。彼は確かにわたしの生きる希望になっていた。
一緒にいてこんなに心地いい人を知らなかった。彼の純粋無垢な愚かさがこの上なく暖かい。
放っておいたら誰かに騙されてしまうんだろうなという危うさ。ああ、もう騙されてたか。
でもお兄ちゃんはそのままでいいよ。誰にも騙されないわたしが守るから。
そう思ってたんだ。お兄ちゃんと一緒に生きたかった。だけどそれはもう叶うことはない。
彼らからは逃げられない。
だってそうでしょう? 例え騙されるとわかりきっていても、力技に訴えられたら意味ないんだから。
沈黙を破った声。予想通りすぎる言葉がわたしの耳に入ってきた。
「それなら私が」
「イレリア、」
「度胸ある奴は嫌いじゃねえ」
でも駄目。全員殺されちゃう。
「だめ」
「それなら貴様が行くか?」
「イレリア!? 貴女が彼の事を大切に想っているのはわかりますけれど」
「……もう、無理なのか」
リヴェンさんですらこう。そうだよね。普通そうなるよね。
「こうなってしまうか」
ジリアンさん、時間操ってどうにか……できたらしてるか。そうだよね。死んで生き返る以外の方法がないからここに来たんだから。あれ? もう絶対にうまくいかないってこと?
狼の声が聞こえた。
「自分で名乗った奴しか認めねえぞ」
「そうか」
とだけ言ってわたしを見るイレリアさん。怖い。
その時お兄ちゃんの声が聞こえた。
「俺のせいでソフィアが死ぬのは嫌だ」
「自分を犠牲にして助けたいというのか?」
そうだよねイレリアさん。驚くよね。
「他に方法がないなら」
「させない。この場でソフィアを殺してでもだ」
「……!」
声が出ない。理解してしまった。『この人は本気で発言している』。でもそれはすべて彼を守りたいという気持ちあってのこと。
「なんでそんなこと軽々しく」
お兄ちゃん、違うんだよ。
「『軽々しく』? 私が軽い気持ちで言っているとでも?」
「それは」
伝わってきてしまう。わたしの耳に言葉が届くだけで。
彼はわたしを一瞬見てから、
「思わない、けど」
と答えた。
「思わないけど駄目だよ。俺はソフィアに死んでほしくないし、」
お兄ちゃんは優しく諭した。
「イレリアが死ぬのも嫌なんだよ」
その言葉に彼女の表情が緩んだ。認めたくないけど本当に綺麗。
「ありがとう」
「じゃあ俺が代わりに」
「それとこれとは話が別だ」
彼女は、ぶれない。
「またお前を失うくらいなら私の人生なんて羊にでも狼にでもくれてやる」
迷いなくそう言えるのがどれだけ難しいことか。
どうせ全員死ぬんだけどな。
それならせめてお兄ちゃんには最期まで騙されたことを気づかないでほしかった。こんなことになるなら夢なんて醒めなければよかったのに。
「そりゃ、俺だってせっかく生き返れたのにって思うけど。……だからって」
「これからは自分の人生を謳歌してくれ」
「あのなイレリア、お前は俺の代わりに誰かが死んで平気な顔しろっていうのか」
「私は」
「俺を人でなしにでもしたいわけ?」
「そうは言ってないだろう」
話し合っていると、死神の声がした。
「……決まりましたか?」
そっか。
時間はあまりにも残酷だ。
***
結局イレリアさんが名乗り出た。ソラカさんには『ソラカにしかできないことをして』、リヴェンさんには『私が勝手に巻き込んだだけだから、リヴェンが気に病むことじゃない』、ジリアンさんには『助けてくれたこと、感謝している』。わたしには『癪だがゼロスの幸せには貴様が必要だ。悲しませるな』。
そしてお兄ちゃんには、恐ろしいほど穏やかな表情で。
『幸せになってほしい』
「……良いでしょう」
子羊の声。これ以上の抵抗は無意味だ。
「ま、まって。……わたし」
「残念ですが時間切れですよ。さあ、受け入れるのです」
イレリアさんに向けられた矢は今にも放たれようとしている。思わず目を閉じた。
矢が放たれ、何か硬いものに当たった音。硬い? 人の身体に当たった音にしてはおかしい。疑問に思って薄目を開けると、矢は壁に当たって落ちたようだった。
当てられないはずがない。何故。なんの意図をもって外した。
「殺さないのか」
「ほんの気まぐれですよ。今ここでいのちを終わらせる気が失せてしまった」
良かった。許してもらえた。理由なく、だけど間違いなくわたしたちは救われたのだという実感が胸を埋める。
「それとね、今だから言えるのですが」
ふふっと子羊は笑う。
「決めていたのです。もし誰かが名乗り出たら『今は』誰も殺さないことにしましょうって」
「えっ……あ」
「……ですが、次会ったときは」
「覚悟しておけよ」
そういって、キンドレッドは跡形もなく消えてしまった。