ゾウン1-無毛の錬金術師
夜空から地上に。長い間落ちていくような感覚。落ち続けて、落ちていることすらわからなくなるような夢。視線を感じる。ああ、ソフィアだ。不思議と確信する。
「流れ星。……願いなんて、もう思い出せないけど」
***
「夢、見てたの?」
「多分。覚えてないけど」
例えば悪夢を見た時も、いつも話を聞いて大丈夫だよと言ってくれるソフィアが癒しだった。
浜辺のポータルに飛び込んだ先。金属に囲まれた街の一室にたどり着いたのは少し前の話。
ピルトーヴァー・ゾウン地域。バイロン曰く東西を海に面した地域で100年だったかそれ以上か昔は陸続きだったがここに海上交通路を作ろうと思い立った人々によって東西を結ぶ海路が作られたという街らしい。都市は上下に広がっており、上がピルトーヴァー、下がゾウンと呼ばれているそうだ。
今日は「進歩の日」といって、海路が作られた記念日なのだという。年に一回だっけ? 違ったっけ? ともかく祭日だからこんなに賑わっているのだということだけわかればいいかなとゼロスは考えた。
手袋で隠しながら新たな街に降り立つ。これがなければ異国で出会った彼を初対面でノクサス人だと気付く人は殆どいない。アイオニアかという人が時々いるくらいだ。元々ノクサス領は広がって様々な人種を取り込んでいるから見た目だけでは判断しにくいのだが。ノクサス内でさえゼロスは少々目を引いた。
ふとソフィアが気づいた。この街に暮らしているのであろう少女がゼロスを見て口元を抑えている。隣に立つ少年が不機嫌そうに少女の肩を叩く。身なりからして上下の境目辺りの住人だとソフィアは判断した。とはいえ見られているだけだ。実害を与えようとしてくる気配はない。
しばらく呼吸を止めていた少女は流石に耐えきれなくなって手を下ろし息を吐き出す。深く吸い込む。胸に手を当てる。
「……カッコいい」
うっとりした声の少女に少年の舌打ちは聞こえなかったらしい。あの至近距離なら耳には音が入ったかもしれないが、集中している少女には認識されていないと呼ぶべきか。
「ふふ、事実顔がいいよね」
「何の話?」
「ううん、なんでもないよ」
科学技術の街だと紹介されていたが予想以上だった。ここまで金属に囲まれた場所をゼロスは初めて見た。ノクサスで見た金属は大抵武具だった。金属が動くのを見てゼロスは新鮮さに目を輝かせた。鎧は普通動かない。動く鎧は人間が着ている鎧だけだ。
良いところもあるが、それだけではない。簡素な言葉で表現してしまうと、うるさい。活気が良いと言い換えられる事ではあるが機械音は結構響くのだ。
ゼロスもノクサスである程度の都会は見たことがある。だがここは少々違う。何が違うかというとゼロスが見てきたノクサスの都会は平面的迷路であり、この街は立体的迷路であるという点だ。ノクサスで上下に移動するなら大抵は階段とか梯子とかを使うのだがここでは上下移動も機械だ。
辺りに溢れる機械とそれが動く音。人も多いし一瞬で見失ってしまいそうだ。
「どうしよう、迷いそうなんだけど」
「じゃあ手繋ごうかお兄ちゃん。そうしたら大丈夫」
答えを聞くより先にソフィアはゼロスの左手を取る。手袋越しだが暖かさは伝わってきた。
「気を付けてね。わたし見てるけど、誰が泥棒さんか見ただけじゃわからないもの」
「わかった。嘘つきは泥棒の始まりって言うけど泥棒が皆ソフィアの前で嘘ついてくれたらいいのにな」
「ふふっ、そうだね」
これだけ人が多いと警戒していても難しい。貴重品を二人の間に配置することで少しは対策になっているだろうか。
建物の合間を抜けて人波をかいくぐる。何度かスリに狙われそうになったがかわす。『壁』は最終手段だ。魔法使いというのは基本的に目立つ。科学技術が支配する場所では尚更だ。
しばらく歩いたのち、2人は穴を見つけた。申し訳程度に柵がつけられている。
「ここから降りるのか?」
穴の端には小さな昇降機があった。下層は暗く煙も噴き出している。あまり吸い込みたくないなとゼロスは心からそう思った。
「うん。ノクサスとも協力関係にある人がいるから、その人に手を見せればいいの」
右手にわかりやすく文様を記されている以上基本的に偵察に向かないはずの『右腕』であったがゼロスは手袋で隠してここに来ていた。見せるべき相手に見せれば支援を得られるからと。
「でも俺からしたら初めて会う人だろ。手見せるだけで大丈夫かな」
ソフィアはいつもの笑顔から真面目な顔に変わって、こう言った。
「大丈夫、信じて。『右腕』は誰もが忠実なの。百パーセント。その手を見たら知ってる人はみんな信用してくれるよ」
彼女の瞳には時々吸い込まれそうになる。
初めて乗る機械にゼロスは恐る恐る足を踏み入れた。突然落ちたりしないよなという不安をよそに昇降機は順調に二人を運んでいく。
「お兄ちゃん高いところ苦手?」
「別に」
「もしそうでもわたしが側にいるから大丈夫だよ」
ソフィアはゼロスの手を握って優しく撫でさすっていた。
『下』に降りたが機械が溢れていることは変わらない。緑やら紫やら明らかに危険そうな煙や排水が垂れ流されているのであまり長居したくないところだが。
「……で、どんな人なの?」
「毒とか作ってる人だよ」
「えっ」
「前の戦争だって活躍した人なんだからね」
「そっか。でも『勝てなかった』んだろ?」
「うっ……それは、そう、なんだけど」
ゼロスは何度も聞かされてきた。『前の戦争』、ノクサスが勝てなかったという珍しい戦いの話。相手はアイオニアとかいう島国だったらしい。向こうが強かったとか、そもそも攻め方が無茶だったとか色々噂があるらしいが。
だが、ノクサスが撤退した裏にはアイオニアに生まれた一人の少女が大きく関わっている。自在に空を飛び回る剣の舞。刃が空を飛ぶというのは見ていないゼロスには実感がわかないが、アイオニアというのは魔法が身近な地域だと聞いている。そこで生まれたイレリアという女が一人で何十、何百ものノクサス兵を切り捨てたという。空を飛ぶ刃に通常の剣技に関するセオリーは通用しない。全方向から同時に刃が放たれたらどう回避すればいいというのだ。
10本以上なんて反則だろう。人間に手は2本しかないというのに。
ゼロス・ミュラトールは何度も同じ言葉を聞いた。刃の持ち主、イレリアという女にだけは近づくなと。彼女に見つかった時点で全てが終わるとまで言われた。こちらからアイオニアに出向くことは当分ないし、彼女が理由なくノクサスに来るなんてこともないだろうからまず大丈夫だとは思うのだが。もし彼女に会うのなら全てを終わらせる覚悟を持ってからだ。彼女はそれほどの脅威であるという。
戦争から帰ってきた兵士の話では家ですら空を飛びうるらしい。文字通りの『空中』庭園を見たという部隊の話も聞いた。もしそこから弓矢でも撃たれていればノクサス軍もかなりの被害を受けただろうが、それは何故か無害だった。ただ、別の部隊がその空中庭園に攻め込もうとした時にはその部隊は誰も残らなかったらしい。ただ空中庭園に攻撃をしなかった他のノクサス部隊は無視された。だから空を飛ぶ建物には手を出すなともゼロスは言い聞かされた。
目的地にたどり着き、ソフィアは臆さずドアを開ける。
「おじゃましまーす」
明るい声が響く。反応はない。しばらく反応がないことを確認するとソフィアは怪しげな室内に乗り込んでいく。
そこにいたのは男だった。俗な言葉を使うなら、ハゲだ。怪しげな薬品を調合しては笑っている。ここは研究室か何かなんだろうか。
「新しい『右腕』です。連れてきました」
ソフィアの声に気付いて男は振り返る。
「実験体か、待っていたぞ」
「えっ、あの」
今なんて言った。じっけんたい。実験体って言ったよな
「飲め」
男に差し出されたフラスコには緑色の液体が入っている。時々ぶくぶくと泡立っている。駄目だろこれ。いや絶対駄目な奴だろ。
「あ、えっと、俺ちょっと急用思い出しちゃって」
後ずさろうとするゼロスの手をソフィアが握って留める。
「すみません。お兄ちゃ……私の隣の彼がこれを飲んだら死にますか?」
ソフィアの言葉に男はこう返す。
「死ぬことはない」
「だってお兄ちゃん、大丈夫だよ」
天真爛漫という言葉がぴったりな表情を向ける。今このタイミングでさえなければ理想の妹なんだけど。
「いや、でも」
ためらうゼロスを見てソフィアは男にもうひとつ質問をする。
「これを飲んだら何が起こりますか」
「肉体の変成が……」
男は説明を始める。何かしらの肉体強化らしい。逃げようとするゼロスをソフィアは相変わらず笑顔で引き留めている。
「なあ、俺」
「そうだよね、不安になるよね」
ソフィアはゼロスに語る。
「その気持ちはわかるよ。わたしだってお兄ちゃんと同じ立場だったら逃げたくなる」
少女はゼロスをじっと見つめる。緑色の瞳がゼロスを射抜く。
「でも、わたしが保証する。この人は嘘をついてないって。わたしなら、保証できる」
その言葉は確かに真実だった。ソフィア・ミュラトールがそう言うのなら信用はできる。
まあ、頭で理解するのと心で受け入れるのは別の話なのだが。
「お兄ちゃん、ちょっと右手出してくれる?」
わけのわからないままに手を差し出す。ソフィアはそっと手袋を外すと、手の甲に記された紋章に口づけた。
触れた場所が熱を持つ。時間が止まったかのように感じる。
少女は兄の耳元に口を寄せ、天使のような囁きを授けた。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。わたしが側にいるから」
その言葉にゼロスは心を優しく揺さぶられる。そうだ、彼女はここにいる。
「ねえ、わたしを信じて」
腕が首に回される。呼吸さえ感じ取れる距離に彼女はいる。
「ソフィア?」
「何も覚えていなくたっていい。それでいいの。過去を取り戻せなかったとしても未来は掴める。ノクサスの為に力を捧げた者は誰もが受け入れられる」
その言葉は何度も聞いてきた。力こそが全てと掲げる大帝国。何もかもを失ったゼロスに何もかもを与えてくれた世界に、彼は恩を返したかったのだ。
けれど、どうしてそう思うのだろう?
「ありがとう」
しばらく抱き合っていたが、ふとソフィアが離れる。
ぼんやりしていたゼロスだったが、ついに家主に告げた。
「……あの。これ、飲むよ」
「そうか」
「ソフィアが大丈夫っていうなら俺は信じられる、から」
ゼロスは意を決して飲み込んだ。
苦いが飲めないことはない。野菜ジュースかと思うくらいだ。ちょっと気分も高揚してる。今なら何か凄いことができる気がした。