シンジドに薬を飲まされてしばらくした後、ゼロスとソフィアの2人はその場を後にし、今晩の宿を探そうとしていた。数日滞在する予定だ。
ソフィアが時々咳き込んでいたのであまり長居はしたくない。彼女自身は大丈夫だよというが無理はさせたくない。
手を繋いで歩いていたが、ゼロスは視界の端に青いものを見つける。何かが地面に落ちているのに周りの人々は気づく様子がない。ソフィアに了承を得てその青に近寄ってみる。掌にすっぽり収まる大きさの青い鳥だった。
「鳥?」
ゼロスは鳥を手で掬いあげる。
「ふふ、かわいいね」
ソフィアはゼロスの手の中を覗き込み微笑む。
羽根を怪我しているようだ。何かできることはないだろうか。
「この子にもあの薬効くかな」
ソフィアが持ち歩いている応急処置用の薬草のことだ。外傷用で、すりつぶして患部に塗る。ほんの少しだが魔法的な効果も込められているのだとか。
「このまま放っておくのも何となく気分悪いし」
「そっか。そうだね。お兄ちゃんがそう言うなら」
羽根に薬を塗りこんでやると青い鳥はぱたぱたとゼロスの周りをくるくる飛び始めた。鳥の言葉はわからないが、動けるようになった喜びを歌っているのだろう、多分。
しばらくゼロスの周りを飛んだ後、青い鳥はぴいぴい鳴いてゾウンの灰色をした空へと飛び去って行った。
***
ゼロスは困っていた。行きに使った昇降機が壊れていたのだ。遠回りすれば他にも上れる場所があるだろうが、それを探して随分と時間が遅くなってしまった。日も暮れかけている。日が完全に落ちる前に宿を見つけたかった。だからといって最短距離を重視して無理にゾウンの中でも奥まった裏道を歩いていたのが悪かったのか。
男女が集団に取り囲まれているのを見つける。
「そこをどけ!」
そう叫んでいる男たちはゾウンの犯罪者集団だろうか。
無理に助けようとしてもきっとうまくいかないとソフィアは言うが、ゼロスは見捨てたくなかった。脳裏に幻覚が浮かび上がる。
ゾウンの上空に広がる灰色の空。青い鳥が飛び立つとともに一筋の風が吹き夜空が映し出される。人ならざる緑色の手が星に手を伸ばした。
戦いは、あっけなく終わった。いや、始まりすらしなかった。ゼロスが力を込めるとあっけなく犯罪者らしき男たちは気が変わったといって離れていった。
二人が助けたのはとある科学者夫婦。もう夜も遅い時間。ソフィアが一晩泊まらせてくれないかと頼み込んだら助けてくれたお礼をしてくれた。
男女の話によると彼らは夫婦で、残酷な実験に使われていた息子―血は繋がっていないらしいが―を助けたことで追われているのだという。ゼロスはそれを聞いて胸のあたりがきゅう、と締め付けられた。
「息子さんは今どちらに」
「出掛けてるよ」
「そっか」
その夜、彼らの眠る家が襲撃を受けた。
二人だけでも逃げてくれという夫婦だったが、ゼロスは首を横に振った。
「お兄ちゃんが死んじゃったら、わたし」
「死なないって。無理だと思ったらとっくに見捨てて逃げてる、二人で」
ソフィアにならわかるはずだ。ゼロスは本気でそう思っていること。
ゼロスが壁を貼り、科学者夫婦がその実験成果で攻撃面を担う。ソフィアも夫婦が開発した技術を活かしゼロスの盾が追い付かない場所を援護。これが基本戦略だ。
いくら強化人間といえども家ごとは流石に吹き飛ばせないので警戒すべきは扉と窓だ。玄関に壁を貼る。壁を壊そうと奴らは殴りかかっているが壊れるまでには時間がかかるはず。
その間にソフィアが夫婦から受け取った薬品を壁の上から投げ入れれば奴らは奇妙な叫び声をあげる。だが退かない。薬で強化されているだけではなく、理性も奪われているらしい。
ソフィアは臨機応変に立ち回る。魔法を継続的に行使し続け消耗が激しいゼロスには回復薬を飲ませる。攻撃、回復、妨害。その一瞬において最も効果的な行動を選ぶ。
夫婦は主に窓からの襲撃に対応する。彼らが開発した機械が弾を放ち、敵の胸に直撃する。
だが、数が多すぎる。一人を倒してもまた一人が湧き続ける。刃で壁を斬られ、怪力の拳で殴られ、砲撃を受ける。壁にひびが入る。そのたびにゼロスは思念の限りを込める。少し壁は修復するが損傷するスピードの方が早い。壁が削られるたびゼロスの肉体と精神も消耗していく。
ソフィアがここぞというタイミングで補給してくれるものの、それでもジリ貧だ。
「そろそろ逃げれそう?」
「あと少し、かな」
「わかった」
予想より人数が多いが、諦めたくはなかった。
窓から何かが入ってくる。夫婦は照準を向けるがすぐにやめる。青い鳥だったからだ。ゾウンで青い鳥といえば、幸福をもたらす象徴とされている。風の女神が青い鳥の姿でゾウンの人々を見守っていると信じられているのだ。
「青い鳥、か」
「……これは、運が向いてきたってことかもしれない」
「とにかくやるしかないさ」
青い鳥はくるりと宙で一回転してから玄関の方へ飛んで行った。
夫婦は改めて敵を狙い撃つ。強い意志を込めたその精度は、格段に上がっていた。
その中でもソフィアは辺りの警戒を続ける。窓からの射撃に集中する夫婦を突然誰かが襲いに来ないとも限らないのだ。音が近づいてくる。下水管から? 流石にそんなはずは。そもそも人間の大きさじゃ入れるわけがない。じゃあ人間以外? 何が?
その瞬間はついに訪れた。ヒビだらけのゼロスの魔法防壁が砲撃に撃ち抜かれる。一度開いてしまえば後は脆かった。もはやバラバラになった壁を踏みつぶして奴らがゼロスに襲い掛かる。もう一度と願った壁は現れてくれない。
「はは、ちょっと、無茶しすぎたかな」
あくまで逃げるための時間稼ぎ。つまり玄関側への攻撃は最小限ということ。ゼロスの元へそれほどダメージを受けていない大群が押し寄せる。彼らは武器を振りかぶりゼロスに襲い掛かる。
が、その武器がゼロスに辿り着くことはなかった。風が吹いた。奴らは突然吹き飛ばされた。尻もちをついた強化人間たちの姿はちょっと滑稽だ。ゼロスの身体も動きが軽くなる。ほんの一瞬前まで立っているのがやっとだったのに。
ゼロスの前に白い髪の神々しい女性が躍り出る。どこから来たんだ。彼女は誰だ。助けてくれたのか?
「あと少しよ。ほんの少しだけ時間を稼げば、全てが上手くいくわ」
「本当に?」
「ええ。助けの音が聞こえてくる。機会があれば恩返しでもと思っていたけれど、まさかこんなに早く訪れるとはね」
「恩返しって、俺何もしてないんだけど」
こんな女性と出会った覚えはない。あ、それとも記憶を失う前の知り合いか?
「それならそれでいいけれど。私はジャンナ。名前だけでも覚えてくれると嬉しいわ」
ジャンナと名乗ったその女性はゼロスに襲い掛かる暴漢達に竜巻を浴びせた。男は綺麗に空中で軌道を描き、地面に打ち付けられる。
ゼロスはその隙に再度防壁を作り出すことに成功する。ボロボロですぐに壊れそうなものではなく、最初に出した時のように硬い。
「ありがとうジャンナ。お陰でもう少し時間稼げると思う。だから」
ソフィア達を助けてほしい。その続きをわかっているかのようにジャンナは続けた。
「窓側は大丈夫よ。……『間に合う』わ」
「間に合う?」
「全部貴方たちが時間を稼いでくれたおかげ」
そもそも、奴らの狙いはゼロスではない。気付いた敵は窓側にいる夫婦を狙っていた。玄関には人数を割く。だが、窓側には集団の中で最も強い男が登ってきた。
全身を機械と薬品で強化したその男は常人には到底出せない速度と破壊力で、窓に飛び込んだ。
見えてもソフィアには対応が追い付かなかった。発言の真偽など暴力だけが支配する今この瞬間無価値だ。
窓から飛び込んで部屋の真ん中あたりへ着地。唸り声をあげながら夫婦に刃を振り下ろそうとする。
一瞬ソフィアの視界に緑色の何かが映った。それは男と夫婦の間にジャンプして割り込んだ。
男はその緑色を真っ二つに切り裂くも伸縮自在の身体はすぐに合体し男にパンチを食らわせる。
「ザック!」
「お前、助けに来てくれたのか」
その緑色は、スライムだった。
とらえどころのないスライム相手に男は劣勢になる。斬っても元通り、殴っても拳は受け止められる。毒でもかければ話は違うかもしれないがそんなものは持ち合わせていない。そもそもこの男に戦略を考えるなどという頭は残っていなかった。彼にできるのは目の前の障害に暴力を浴びせることだけ。そしてその暴力は、すべてザックに無効化される。
男の攻撃は意味を持たない。だがザックは男にパンチを何発でも食らわせることができる。戦いの結果は明らかだった。
動かなくなった男をザックが玄関に投げ入れると魔法壁と風を越えようとしていた集団も怖気づいて一目散に逃げだしていった。アレが勝てないなら無理だと判断したようだ。
***
「皆様方には感謝してもしきれません」
夫婦に礼を言われ、ゼロスは答えた。
「俺だけじゃなくて皆がそれぞれ力を合わせた結果だよ」
「わたしはこれからもお兄ちゃんの側にいるからね」
ソフィアはいつも通りの笑顔だ。
「ゼロス達はオイラの家族を守ってくれた恩人だ。また会ったら今度は何かあればオイラに手伝わせてくれ」
ザックはぷるぷるした身体を使い全身で感情を表現している。伸び縮みしている。ちょっと可愛い。
「ん。また会ったらな」
夫婦とその息子ザックはまた隠れられる別の家を探すらしい。ザックの力を見せつけたのでしばらくは襲ってこないだろうが、『しばらくは』でしかない。だけどきっと大丈夫だろう。ザックが隣にいれば彼ら夫婦が殺されることはないだろう。風の女神ジャンナだって見守っている。
妙な事件に巻き込まれたと思ったが、終わってみればゼロスの気分は晴れやかだった。