就職祝い、推敲もほどほどに見切り発車。
血塗れの少年が迷宮都市の目抜き通りを駆け抜けていく。溢れ出さんばかりの笑顔はどこか人を惹きつけるような輝きを湛えていたが全身を染める返り血と血生臭さが台無しにしていた。
野を駆ける兎のような足取りに合わせて辺りにまき散らされる血は通りに面した商品に、商品を並べる台座に、何もなければ路面を汚していたが誰一人文句を投げかける者はいなかった。
少年に悪気がないのは誰もが感じ取っていた。周りどころかどうやら自身の状況さえも見えていないほど何かに夢中になっているのが一目見ればよくわかったからだ。
誰のものともわからない血によって売り物にならなくなった商品を見て顔を顰める店主は少なくなかったが、それでも文句を言うものは誰一人いなかった。
少し離れて少年の後に続く影にある者は気づき足を止める。ある者は影が通り去ってからようやく気づき息を呑む。
「取っておいて」
声に引きずられ振り返ってもそこにはすでに誰もいない。声の残滓を追いかけて、そこにようやく少女の姿を認められた。
足取りに合わせて揺れる長髪は蜂蜜を煮詰めたような鈍い金。毛先に流れるにつれて灰を被ったかのようにくすんだ白へと色を変じる。
黒を基調としたドレスは舞踏会にでも出るかのように華やか。背中の大きく開いた意匠のそれは見た目の年齢にそぐわない艶を与えていた。
ひらひらと大きな袖は上品に細腕を包み、しかし手先を守るグローブはいっそ攻撃的なほどに爪先を尖らせ、猫の耳を模した髪飾りと相まって獣人のようにも見える。
すれ違いざまに硬貨を投げ渡された店主は兎のような少年を追う小柄な影を見て呟いた。
「『
神々さえも知らぬ前に迷宮都市に居つき、気づいたころにはLv2の冒険者として名を馳せていた。すわ最年少記録ではないかと謳われるほどに見目の幼い少女がLv2に昇華したという事実に嫉妬する者も、実際に手を出す者も少なくなかったが、その全てが例外なく不幸に見舞われたことから『
一度見れば多くの者の記憶に残るであろう可憐な容姿であるにも関わらず、誰の目をも掻い潜る猫のような気配の薄い少女。
ヘスティア・ファミリア所属、『
その姿はどこか子猫を心配する親猫のようで微笑ましい光景ではあった。少年が残す血の跡さえなければ。
ヘンゼルとグレーテルみたいだな、と思った。辿っているのはパンではなく血の跡だが。
前を走る少年が血を撒き散らしながら走るのを見てひどい怪我を負ってしまったのではないかと心配し追いかけていたものの、健康そのものな速度で走り続けるのとたまに見える全開の笑顔を見て全く心配する必要がないのだと気づいたころには注目を集めすぎてしまっていた。
同じファミリアの人員の奇行を見過ごした、放置したとなっては後々の活動に影響を与えかねない。ただでさえ今の俺は有名人……誠に不本意ながら、有名人なのだ、これ以上いらない噂が広がるのは避けたい。
「私」ではない。血塗れの少年の後ろを走る少女の姿をしたLv2冒険者アリスは困ったことに「俺」なのだ。
この世界に来てからどのくらいの時間が経ったのか、もう覚えていない。最初の内は指折り数えていたが太陽とは無縁のダンジョンに潜り続けるうちにやめてしまった。時間の感覚はとうに狂ってしまっている。一年は経っていないと思うのだが。
カードの認証を済ませてやりたいゲームの筺体に硬貨を入れて、突然真っ白になった視界。こっちの世界に来る前の最後の記憶だ。気がついたらこの世界にいた。何故かゲームのキャラクターの姿で。能力まで丸写しだったのは不幸中の幸いだった。
ワンダーランドウォーズ。世界各地の御伽話の登場人物を魔改造したある意味日本らしいゲーム。百円硬貨を入れた数だけプレイ出来るのではなく、ゲーム内のチケットを購入しそれを消費して遊ぶ形式となっている。
そのチケットと同じものを俺は持っている。最初は八枚あったものがいつのまにやら数を減らして三枚。件のベル・クラネルとの面通しを終えると四枚になっていた。以前にも増えたことはあるがそれがなぜかはわからない。時間経過によって減ることはわかっているのだが。
この世界全体がゲームと同じシステムで動いているのかと思いきや、このチケットは俺にしか見えていない。似たようなものの存在も確認できなかった。つまりこれは、俺だけに適用されているシステム。
チケットがなくなったなら追加購入するかゲーム終了かのどちらかをすればいい。ゲームではそうだ。でもここでは、どうだろう。
最初は夢だと思った。本来のものではない自分の姿、見たことのない世界と生き物、現実らしからぬ装いの人々。少なくともただの夢ではないと気づかされたのはいつまで経っても目が覚めないからだ。現実逃避を辞めなければ死んでしまうという切羽詰まった事情もあったが。
夢みたいな世界で現実逃避を辞めるというなんだか日本語としてはおかしな状況だが、それでも必死にならざるを得なかった。腹は減るし喉も渇くし怪我をすれば治るまでじわじわと痛み続ける。剣を振るって戦うことが当たり前の世界で暢気に過ごす余裕はなかった。神様に拾ってもらえなければ野垂れ死んでいたかもしれない。
この世界におけるゲームの終了は俺にどういう影響を与えるのか。そんな思考が頭を過ぎってからというもの、じわじわと影が広がるように不安が根を張った。
チケットがなくなったらゲームは終わり。ゲームならそれで終わりだ。でもこの世界では?
ここはどうやら夢の世界ではない。ならば、チケットがなくなったら俺はどうなる?
チケットの存在がほんのりと影を落とす。しかしながら、この状況が楽しくないのかと言えばそれは否だった。ゲームが現実になったような世界だ。魔法が存在する世界だ。元よりゲーム好きな俺にとって楽しめない世界ではなかった。
チケット一枚がどの程度の時間で消費されるのかもわからないがその時間は短くない。チケットを増やす方法は判然としないが確実に存在する。いつかは帰らなければと思うが、それは今じゃなくてもいいだろう。もっとこの世界を楽しんでみたい。
タイムリミットと、ついでに新入団員との手緩い鬼ごっこを繰り広げながら俺はまだこの世界で生きている。
ダンまち→レベルが超重要
ワンダー→レベルが超重要
というギリギリの共通点を無理矢理見出した末のもの。