一夏くん、強くなろうか。 作:妙見
「どうだえ?ん?」
しゃがれた嘲笑の前に一人の少年が膝を折っていた。額には大粒の汗が光り、打ち身だらけの手から古びた竹刀が滑り落ちた。
嘲罵を浴びせたるは、皺深く刻み込まれた面相の老人であった。手には昨今の老人が持つ軽量化されたアルミ製の杖ではなく、たっぷりと中身が詰まった樫の杖が握られており、職人の手によって丹念に削られた先端は、蹲る少年の頭を押さえ込んでいた。
「ほれ、お前さんは強いのだろう?何処の誰かは知らんが『みんな』とやらを守るのであろう?ならばこんな枯れ木の様な年寄り相手にいつまでも戯れるでないワ。ん?」
──ふざけるな。と、少年は思った。眼前の老人は自らのことを枯れ木と称していたが、その四肢から発揮される力は少年の知るあらゆるものを凌駕していた。事実、その手に握られた杖による一撃は、未だ少年の腕に痺れを刻み込んだままだ。
「さて、小僧。いつになったらこのジジイめに本気を見せてくれるのか喃?」
老人は、初めて出会った時と同じ穏やかな表情で少年を見つめていた。
少年、織斑一夏がこのように膝を屈することになったのは約十年前に起きた「白騎士事件」に端を発する。ある日、突如全世界の大陸弾道ミサイルがハッキングを受け、日本に向けて飛来するという前代未聞の珍事が起きた。
亡国の兆しが唐突に訪れた様に、救世主も唐突に訪れた。一夏の姉の親友が開発したマルチフォーム・スーツ、インフィニット・ストラトス──略称ISを身に纏った『白騎士』と名乗る存在が飛来するミサイルを片っ端から叩き落とし、自らを確保しようと領海へ無断侵入してきた各国軍を無力化して何処かへと消えた。
この事件の影響で、学会では見向きもされなかったISの再検証が行われるも、開発者の篠ノ之束博士以外の人物に解析が出来ない事もあって検証という名の解析は遅々として進まなかった。
それからは、あれよあれよという間に世の中の構造が変わっていった。その一因に、ISが女性にしか扱えないという欠陥を抱えていたということが挙げられた。既に国防や軍事力をIS産業に傾けかけていた世界は、女性を不当に厚遇する社会を作り上げてしまった。それ程の愚行を許してしまうほど、白騎士事件の衝撃は人々を盲目にしていたのだ。
しかし、その力が世界をかき回すことを恐れた首脳陣は、アラスカ条約を締結。ISの軍事利用そのものを封じる事を決行。ISの活動は、IS競技と言う名の各国の示威行為の発表会へと成り果てた。冷戦期の国々が核を持つことをステイタスとした様に、この時代の国々は幅を利かせるためにISを求めたのだ。
──モンド・グロッソ。それがIS競技の総本山にして、各国の武威を示す舞台。各々の国から選出されたIS搭乗員が、個人個人に合わせてカスタムされた専用機に搭乗し、優勝を目指す催しである。未だ二回しか開催されてはいないが、その影響力は世界を沸かせて余りある勢いである。
少年──織斑一夏の姉である織斑千冬は、その熱狂の渦中に居た。第一回モンド・グロッソの優勝者であり、覇者の異名であるブリュンヒルデの称号を得た、ただ一人の女傑となった。
一夏は誇らしかった。物心つく前に両親から捨てられた事もあって、姉とともに必死に日々を生きてきた。常々自らの無力さを痛感してきた一夏はせめて姉の千冬だけでも何か報われてほしいと日々願っていた。これで、周囲が姉を見る目が変わるだろうと。
しかし、一夏が思う以上に世界は大人気なかった。第二回のモンド・グロッソにて、姉の応援に訪れていた一夏は、不逞の輩共によって千冬の連続優勝を妨害すべく拉致された。廃工場に監禁された自らを救いに来たのは、ドイツ軍の力を借りた姉、千冬だった。
嬉しかった。家族を養うためとはいえ、家を空けることが多かった千冬を、一夏はふと走るメロスを疑うセリヌンティウスの如く千冬を疑った。ひょっとして、愛する姉は自分が思っているほど自らのことを愛していないのではないか。家族よりも名誉を取るのではないかと。この度開催されている大会は自らの名誉を更に揺るぎないものに出来る絶好の機会である。元々才気に溢れていた千冬である。しかし、親に捨てられたということ、幼い
斯くして、全ては杞憂に終わった。名誉も何もかもを屑同然に投げ捨てて、たった一人の
──嗚呼、この人の弟であることを誇りに思おう。
だからこそ、その誇りに釣り合うように、恩に報いることが出来るように。一夏は日々鍛錬を己に課し、我武者羅に特訓を行っていた。全てはあの日の屈辱を再び味あわないために。今度こそ姉のお荷物にならないように。
その日も黄昏の公園で一心不乱に竹刀を振っていた。腕が上がらなくなってもただひたすらに腕を上下させ、遂に竹刀を取り落としそうになった時、ふと声が聞こえた。
「下手くそめ、そんなのでは全く強くなれんぞ」
その日、一夏は鬼に出逢った。