一夏くん、強くなろうか。 作:妙見
謎の老人、梢涼風斎は常に一夏より先に公園に現れ、丁寧に指導した。最初の修行を終えた際に、涼風斎が見せた表情は朗らかな笑顔であった。しかし、その後に紡がれた言葉は辛辣そのものであった。
「なるほど、そちほど飲み込みの悪い童子もそうおるまい」
ショックだったが仕方なかった。自らはあの千五郎と名乗る老人に完敗を喫したのだ。どの様な形であれ弱者は弱者だ。潔く頭を垂れて教えを請う他にない。
どうあれ涼風斎は決して一夏を見捨てること無く指導を続けていた。なれば多少は自らに見所の一つや二つは在るはずだ。
──剣は、天はまだ俺を見放してはいない筈だ!
一夏はそう確信すると、眼前に迫る涼風斎の杖を持っていた竹刀で受け止めた。
恐るべき天禀。涼風斎は冷や汗を流した。幸いなことに、眼前の少年はそのことには気付いておらず、自らを下の下に届かぬ凡夫だと決めつけている。
とんでもない。この少年は此処一月で常人の3年分の技を身に着けている。錆びた腕を戻したかと勘ぐったが、篠ノ之流と思わしき癖の類は見られず、全て涼風斎の教えを衣のように身に着けていたのだ。これほどの成長速度を見せる人間は果たして人類史に居ただろうか。
──恐ろしい少年に手ほどきをしてしまった。
涼風斎は恐怖と同時に歓喜を感じていた。この少年は
「一夏、お前のために教え方を変えてみようと思う」
ある日、涼風斎は食事の内容をリクエストするように切り出した。竹刀を袋に戻していた一夏はキョトンとした表情を見せたが、その表情はすぐに曇りを見せた。己が遂に見捨てられる日が来たのではないかと思ったからだ。涼風斎は慌てて手を振って一夏の予想を払い除けた。
「あいや、そうではないそうではない。お前もある程度強くなったが、如何せん時間が惜しくなった。『鉄は熱いうちに打て』という言葉があるように、お前という鉄がどこまで鍛えられるのか試してみたくなったのだ」
その言葉に一夏は生唾を飲み込む。涼風斎の視線の鋭さに、並々ならぬ艱難辛苦が待ち受けている事に気づいたからだ。
「下手をすれば死ぬかもしれぬ。そうなれば儂は腹を切って詫びよう。文字通りな」
「いえ、あの時教えを授けてくれなければ俺は何というか……もっと軟弱になっていたと思う。だから謝らないでほしいです」
「そうか、ならば?」
「お受けしようと思います。俺も自分がどうなるのか興味があります」
「分かった、ならば今度の長期の休みに駅前に来い!お前を鍛えてやれる環境に案内しよう」
一夏の全身に歓喜の波が広がる。漸く次の段階に進むことが出来るのだ。素振りから初めて数ヶ月。絶えず自身の成長が実感できない日々だったが、やっと実を結んだのだ。その日は緊張のあまりまともに眠れなかった。
当日、駅前に立っていた涼風斎と合流した一夏は、そのまま電車に乗ること無く、駅裏を通って、中規模な屋敷に通された。敷居をまたいだ瞬間、強烈な尿の匂いに一夏は思わず鼻を摘んだ。
「うっ!?」
「またか、まあ何だ。お前は此処で鍛えて貰う代わりに此処の住人の身の回りの世話をするのだ」
「お、押忍……」
そこに住んでいる老人たちは個性的な人ばかりだった。常に曖昧だが、剣を取れば特異な掴みから生じる自在な太刀筋と強大な破壊力で以って虎に例えられた剣鬼。指が何本か欠けてはいるものの、その腕から放たれる剛剣は岩をも砕き、弓術に至っては百発百中の神業を誇っていた。
女癖が悪く、とても70を超えているとは思えない若々しい老人は、様々な流派の秘奥をあまなく身につけた剣の生き字引に等しき逸材であったし、巌の如くいかめしい顔をしていた老人は、一夏の前で墓石ほどの巨岩を大上段に振りかぶった刀で一刀両断に斬り割ってしまった。また、床下に住むという奇癖を持つ
そう、此処に住む老人たちは皆、ひとかどの武を修めた達人たちだったのだ。住み込んで一週間。一夏は老人たちの個性に圧倒され、その技を盗まんと足掻きに足掻いた。老人たちも、一夏の天禀に驚愕しつつも、あくまで劣等な生徒を扱うように指導した。
だがしかし、老人たちが一番驚愕したのは一夏の家事能力の高さで、平均体重が健康的に3kgも増加するほどの食生活を実現させた。
更に、思わぬ訪問者が現れた。自称武者修行中を名乗る者達が、此処の老人たちを頼って滞在することがあったのだ。明らかに堅気ではないほどの向かい傷を全身に帯びた男に、左目の傷が目立つブラジル人。復讐代行人を名乗る兄弟に自称宮本武蔵を名乗る三人の剣豪。一夏はそういった連中にも教えを請い、毎日ボロボロになるまで己を磨き続けた。
まず全身がやせ細り、肋が浮き出るほどの痩身となった。一夏は心配したが、老人たち曰く。
「お前の偽りの肉が削げ落ちたのだ。これより真の肉がついてくる」
と、相手にしなかった。事実、一週間経つとすぐに元の体格に戻り、それ以降は堅く、しなやかな筋肉がついた。そして、老人たちの見る目が変わった。
──
老人たちも、一夏の急速なる成長速度に舌を巻いた。明らかに尋常ならざる筋肉の成長速度であったが、医者でもない彼らは気にもしなかった。一夏がいかなる剣鬼に育つかという事に興味が向いてしまったからだ。
そうなってしまえば最早止まらず、老人たちは一夏が寝静まると、酒を片手にいかなる剣士へ育てるかを侃々諤々と言い合った。
「ブラジルの坊主に預けるなあ如何かな?」
「鹿島に預けて新当流学ばせるのも良いと思う。あの様子なら三十路を前にして一ノ太刀に開眼するだろうさ」
「た、種ぇ」
「虎の字、お主の流派は細々とだが続いちょるだろうが」
「自顕流を習わしゃあ天下無双になるでごわっど!!」
「馬鹿、ボケた時誰それ叩き割るようなやつにする気か!!」
幸か不幸か、老人たちの話は決してまとまらず、一夏は自分の望む儘に己を鍛えることが出来た。
休みの最終日、涼風斎が迎えに来たが、一夏の強い要望があって、その後も滞在することになった。
濃厚な鍛錬の果てに、一夏は千五郎への怒りや恨みなどと言った感情がはっきりと薄れていくばかりか、この鍛錬に行き着くきっかけを与えてくれたことに感謝の念を感じるようになっていった。人間万事塞翁が馬という意味を、身をもって痛感した。あの老人の痛罵がなければ、今の自分はありえない。
故に、鍛錬中に千五郎が老衰の為にこの世を去った事を知った一夏は、涼風斎に着いて葬儀に参加し、献花も行った。
一夏の鍛錬は、姉の千冬の帰郷という形で一区切りを迎えた。この時点で一夏の身長は175cmを、体重は80kgを超えていた。帰郷した千冬が様変わりした一夏の姿を見て大いに狼狽したのは言うまでもない。
いつもどおりの日常が帰ってきたが、一夏は鍛錬を止めることはなかった。むしろ、自らの限界を見極めるかのように、さらなる訓練に打ち込んだ。クラスメイト達と疎遠になりかけたが、一部の悪友達とは未だに交友は続いていた。涼風斎や他の老人たちも、抜き打ちで一夏の元を訪れて技の出来栄えを見てくれていた。
そんなさ中、一夏は涼風斎の言いつけ通り勉学を疎かにしないように図書館へと向かっていた。就職関連に有利且つ、学費が比較的安価な藍越学園に入学すべく受験勉強による地盤固めをするためだ。
幸い、涼風斎に勉強時間を充てがわれていたということが功を奏した。鍛錬と同時に勉強も習慣付けて行ってきた一夏には相応の学力が身についており、少なくとも悪友たちと同じく赤点スレスレを仲良く藻掻くことになる羽目にはならなかった。
とは言え、知識は多くて損をすることもない。一夏は合格を盤石にすべく図書館への道を急いでいた。
眼前に人だかりが出来ていた。普段の一夏としては特に興味を示さずに、道を急ぐのであるが、今回はなぜか好奇心が勝った。勉強が一区切りして若干の気の緩みが生じていたこともあった。結果、一夏の人生を大きく変えてしまう出来事が起きてしまうのだ。
眼前にはタイヤがパンクしたトラック。家の塀にめり込んだ鉄塊。姉の仕事道具として見慣れたものだ。
「IS……」
インフィニット・ストラトス。稀代の
「なんだ、ただのISか」
一夏は野良猫でも見たかのような反応を見せた。女性にしか扱えないものならば今の自分には無用の長物だからだ。そんなものに熱を上げるくらいなら一振りでも多く剣を振る事を選ぶのが今の一夏なのだ。
踵を返した瞬間悲鳴とともに野次馬が散る。何事かとばかりに振り返った一夏が目にしたのは、クレーンから外れたISが自らへ向かって落っこちようとする瞬間だった。
「!!」
最早手遅れか。痛感した一夏は、どうにかして衝撃を殺そうと防御の姿勢を取ろうとしたが、眼前のISと言う名の鉄塊は、無慈悲に一夏の体を跳ね飛ばした。
眼前に壮大な星空が広がっていた。星の一つ一つが現在を主張するように、命を文字通り燃やすように瞬き、神々しくもいずれ燃え尽きる切なさを湛えたまま輝いていた。
「どういうことだ?」
あの忌々しい鉄塊に跳ね飛ばされた刹那を最後に記憶がブッツリと途切れている一夏は首を傾げた。すると、一夏の反応を待っていたかのように星たちが一斉に降り注ぎ始めた。
「なんて壮大なんだ……ん?」
暫し見とれていた一夏だが、降り注ぐ星々の一滴が、何らかの数式を描いた情報であることに気付いた。気づけたまでは良いのだが、理解できない事が実に歯がゆい。
「ええい、まどろっこしい!!俺にどうしろというのだ!!」
師匠に似たのか、少々荒っぽさを交えた苛立ちを叫んだ瞬間、星空は文字通り裂けた。
その時、一夏は空に居た。周囲には友人が遊んでいたゲームのように高度計や訳のわからない情報が浮かんでは視界を埋め尽くしている。下方には野次馬達がスマートフォンで写真や動画を撮りつつ何事か叫んでおり、先程クレーンの作業員を急かしていた女性がメガホンで何事か叫んでいた。
一夏はゆっくりと自らの状況を確認する。両手足は分厚い鉄鋼に覆われており、背中には何だか訳のわからない鉄塊を背負っていた。胸や肩にだけ鎧にようなものが装着されており、下腹部に至っては、衣服以外何も着けていない状況であった。
「何だこれ……」
しばらくするとゆっくりとだが地面に降りることが出来たのだが、駆けつけた警官隊に取り押さえられることになった。
織斑一夏15歳。ISとのファーストコンタクトの瞬間であった。