「あ~…及第点と言った所かな」
男はポリポリと頭を掻いた。
先程まで苦しそうに胸の辺りを抑えていたのに、今ではケロッとしている。
「…というか、二人で半人前だな」
その物言いにアカリは口を尖らせた。
「おっちゃん盛大に負けてたじゃん」
おっちゃん、もとい、しゃがれ声はフンと鼻で笑った。
「馬鹿野郎、丸腰おじさん一人痛めつけたくらいで野生生物を殺せると思うな」
アカリとヨメミは顔を見合わせた。
及第点と言っていた割にその評価は辛辣なものだ。
「え?じゃあ入れてくれないの?」
そう言うと男は腕を組み、違うんだよなぁ…と唸った。
「…数週間修行だ、そしたら入れてやろう」
入る事は出来る様だ。
アカリは、ほっ…と息をついた。これで脱出に一歩近づけた。
それも束の間、男は少し訝し気に尋ねてきた。
「お前ら、何か企んでいるだろ」
「へっ?」
アカリは青ざめた。ここで下手な動きをしたらもう脱出する手段がなくなってしまう。
固まったアカリの様子に、男はやっぱりな、とため息をついた。
「脱出を考えているなら止めた方がいい、ここに居る方が死なずに済む」
(そんなの分かんないじゃん…)
アカリにはその理論が理解できない。
アカリとエイレーンは一年近く二人だけで生き残ってきた。
確かに食糧は心もとなかったが、それはこちらも同じことの筈。
寧ろ人が増えれば増えるほどに食糧確保は難しくなる。
共倒れはまっぴらごめんだ。
そんなアカリとは逆に、ヨメミは納得したらしい。
どんどんと話を進めてゆく。
「あたし達家族と会いたいんです」
「心配いらない、いずれそれは実現する」
「いつまでに会えるの?」
「施設が整い次第…そうだな…4年以内には…」
4年は長すぎる、アカリなら兎も角エイレーンが生き残っているという保証は無い。
早く車を奪って助けに行かないと…
(だったら耐えなきゃ…)
アカリはグッと拳を握った。
車を手にいれるまで下手に動いては駄目だ…
そんなアカリを他所に話は進んでゆく。
「もっと早く助けたい…です!」
「なら条件がある、お前ら二人のうちどっちかでいい、宣教師に気に入られろ」
「え?それって…」
「何でかは一緒に動いていれば分かる」
そう言うと、男はアカリの方へと目を向けた
「そこの空手家!」
「ほぃ!?」
唐突に声を掛けられ、間抜けな声が出た。
「お前、女神の化身として存分に働け、アイツが求める以上に」
「う、うん…?」
アカリにはよく分からなかったが、男は満足げに頷いた。
「話はこれで終わりだ、俺はお前らになるべく協力するが、お前らもそれなりに協力しろ」
ヨメミは元気に頷き、アカリは渋々と頷いた。
~~~
外に出ると辺りは既に薄暗くなっていた。
朝にはあれほど人が居たのに、今では誰一人としていない。
アカリは、世界に二人ぼっちになったような錯覚に陥った。
「外に居ても危ないから皆中に居るんだよ」
ヨメミは早く行こう、とアカリの袖を引っ張った。
アスファルトの感触を確かめながら、二人並んで歩く。
アカリは、ふとヨメミに尋ねた。
「ねえヨメミちゃん?」
「なぁに?」
「明日からどうする?」
「あたしは…修行しようかなって思ってるよ」
そっか、とアカリは言った。
ヨメミの迷いのない答えが、アカリには格好よく聞こえた。
もし、アカリがヨメミの立場だったら、一日は考えるだろう。
彼女の真っすぐさが、アカリには少し羨ましく思えた。
「アカリちゃんは?」
「アカリは…」
どうしようかな、とアカリは思った。
男が最後に言った言葉を再び思い返す。
「とりあえず宣教師の人の所に行ってみようかな」
「うん…そうだね、それがいいと思う」
その言葉に、アカリはなんだかほっとした気分になった。
周りの人間は信用できるとは到底言い難いが、それでも信用するしか無い。
全く先行きは見えないが、それでも最善を尽くしているのは確実だ。
アカリは今にも崩れ落ちそうな橋を渡っている様な感じだな、とぼんやり思った。
「あ!アカリちゃん」
ヨメミは何かを思い出したかのように立ち止まった
「水屋さん行こう!」
「水屋さん?」
「そうそう!たっくさん暴れたからシャワー浴びてさっぱりしたいしょ?」
「う?うん、そうだね!浴びたいね!」
「よぉし!じゃあ決まりだね!」
ヨメミは楽しそうに柏手を打った。
地下への入り口を照らす灯りが、チカチカと揺れていた。
~~~
「あ゛ぁあああああ……」
冷たい水を全身に浴びながら、アカリは深く深くため息をついた。
あちこちに出来た擦り傷に冷たい水が染み込む。
「疲れたぁぁ……」
隣のヨメミも深く深くため息をついた。
「アカリ達おばちゃんみたいだねぇ…」
その言葉にヨメミはふっはっはと笑った。
「本当にねぇ…体のあちこち痛いしねぇ…あ!ねぇ見てみて!!」
ヨメミは拳をアカリに見せた。
手の甲が血で滲んでいる。
「あのおじちゃん固すぎて血が出た!」
そう言うとヨメミは無邪気に笑った。
「あ!アカリも足の皮むけたよ!」
アカリもそれに対抗するように右足の裏を見せた。
強く踏み込んだ時に出来た水ぶくれが、歩いているうちに破けたらしい。
「あたし達ボロボロだね!」
「そうだね!」
二人は笑いあった。
本当にしょうもない傷の見せ合いだったが。
二人にはどうしようもなく楽しく感じられた。
~~~
四角いこじんまりとした部屋で、アカリは立っていた。
窓から差し込む日の光が、うなじの辺りをじりじりと照り付ける。
先程から黙って仁王立ちしているアカリに対し、宣教師は眉の端を上げた。
「一体何の用なんだ?」
アカリは首を傾げた。
何の用か、という問いに対し、何と答えるのが正解なのか。
“ソール様の偶像になりに来ました”とでも言えばよいのだろうか。
いや、違う。
今まで反抗的な態度を取ってきた奴が、手の平を返して来たら何と思うだろうか。
大抵の人はこう思う。
“何か裏があるな?”、と。
なら、あえて反抗的な態度で行くのが正しい筈だ。
「用は無いです」
「なら帰れ」
男はしっしっと追い払う仕草をした。
そのあっさりとした対応に、アカリは慌てた
「あっ…!いや違うんですぅ!あのぉ…今のはミスで…」
アカリは宣教師にすがるように、情けない声をあげた。
話が終わってしまっては元も子もない。
女神の化身にならなくちゃいけないのに…。
「私は女神ソール様の化身として頑張りたいんです!」
男は眉をしかめた。
「何か裏があるな?」
(違う、そうじゃあない)
思い描いていた理想とは違う結果に、アカリは頭を抱えた。
全くどうして現実はこうも理想からかけ離れてゆくのか。
アカリはなんだか腹が立って来た。
人をさらっておきながらその態度は何なのだろう。
というかそもそも何でさらわれたのだろう。
「何で私達をさらったの?」
心の中でとどめておくつもりが、気が付けば口から漏れ出ていた。
宣教師は驚くでも無く、ただつまらなそうに後方を見た
何も無く、がらんどうとした部屋だ。
「民を、生き永らえさせる為の道しるべとなれ」
ポツリと呟かれた言葉は本当に漠然としたものだった。
女神の化身として民の道しるべとなる。
それを、さらってきた少女に求める。
明らかに異常な行為だが、彼は何とも思わないのか。
宣教師は続けた。
「植物も生えないこの大地で、俺たちは生き残れない」
「だが、四年後にソール様が再生のための儀式を執り行われる」
「それまで民の心の支えであれ、とのことだ」
ふわふわしてつかみどころのない話だ。
信仰で民の心を支えろという事か。
「そんなことしなくても、AIが自分たちを助けてくれようとしているのに…」
男はゆっくりと首を振った。
「文明に滅ぼされた人類がそんなもの信じられるわけが無い」
男の言う事はもっともだった。
地上が焼き払われたあの日。
まだ大地が燃えていた日。
被爆を恐れた生存者が、衛星の通知通り地下シェルタ―に逃げ込んだあの日。
砂の雨が降り、地下に逃げ込んだ者の多くが地下で死に絶えた。
文明に二度裏切られた人類は、あの日を境に何も信じられなくなった。
絶望的な状況で、彼らは自分の身のみを信じた。
盗みを働く者、他人を殺そうとする者。
統率の壊れた人間社会は、地獄の様だった。
その様子がとても恐ろしくて、エイレーンとアカリは避難場所から逃げ出したのを覚えている。
「じゃあ、アカリが皆の心の支えにならないといけないの?」
男は頷いた。
無理だ、とアカリは思った。
極限状態の集団の信仰を集めるなんて正気の沙汰ではない。
しかし、エイレーンを助けるにはこの手しか無いのも事実だ。
アカリは頷いた。
「分かりました、やります」
苦渋の決断だが、背に腹は代えられない。
「忠告だけしておくが、絶対に裏切るな」
男は神妙な面持ちで言った。
「裏切られた人間の恐ろしさは想像を凌駕するからな」
アカリは生唾を飲み込んだ。
そうなったとき、自分の身に起こる事は明確だ。
アスファルトを埋め尽くすほどの人間に身を八つ裂きにされる。
底知れぬ恐怖。
アカリは全身の血が冷えわたって、動悸が高まるのを感じた。
「ソール様の化身であれ」
男はそれだけ言うと、アカリに付いてくるよう促し、歩き出した。