「北東に35kmだね」
あらかた準備を終えた萌美は、手持ち無沙汰な様子でエイレーンに声をかける。
それに対し、エイレーンはシステムのチェックの手を緩める事なく答える。
「我々の歩くスピードが3.9km/hとして……」
「9時間くらいかな」
「ええ、今が出発すべき時でしょう」
「エイレーン…」
萌美は咎める様な目線でエイレーンを見た。
“だったら早く出発しろ”という強い念がエイレーンの背中にひしひしと伝わってくる。
「仕方が無いじゃないですか、だってこのコンピュータずっと計算しているんですよ?」
「それがどうしたのよ」
「使わない電力とか色々コンピュータに全振りしてあげたいんです」
エイレーンは愛おしそうにキーボードを撫でる。
萌美には、その様子がまるで我が子を愛でる母親のように見えた。
「エイレーンなんだかコンピュータに対して母性生まれてない?」
「そう言えばそうですね」
エイレーンは少し固まった、その目は何かを思い返すように空をさまよう。
その真剣な表情に、萌美は何かいけない事でも言ってしまったのかと慌てた。
「エイレーン?」
ふ、と我に返ったエイレーンは、はぁ…とため息をついた。
「……まあ、確かに萌美さんよりは母性ありますしね」
エイレーンは、悩ましげに胸部の膨らみを強調する。
見せつける対象はもちろん萌美だ。
揺れる胸部を見せつけられた萌美は、少し怒った表情を見せた。
「エイレーン覚えてなさいよぉ!」
エイレーンはそれを意に介す事無く、目の前のスイッチをパチパチと切り替えてゆく。
やがて、それもひと段落したのか、腰を上げて伸びをした。
「完了です、さあ行きましょう」
萌美はそれを待っていたかのように、傍らに置いてあった白い外套をエイレーンに投げた。
「じゃあそれ着て出発だよ」
エイレーンは顔面でキャッチした“ソレ”を上から羽織り、黄色いザックを背負う。
モニターに表示された、―いってらっしゃい-の文字に対し手を振りながら、二人は朝の砂漠へと足を踏み出した。
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陽が昇り切り、更に少し傾き出した頃。
エイレーンは砂漠の真ん中で座っていた。
「エイレーンはおバカさんなんじゃないかな」
さらりと毒を吐いた萌美は、エイレーンに水を差しだす。
ありがとうございます、と言いながらエイレーンはそれを受け取った。
「徹夜すべきではありませんでしたね……」
覇気のない弱音に萌美は眉をハの字に曲げた。
「シェルター探そっか、脚つっちゃったんだったらもう歩けないでしょ」
「そうですね……頼めますか?」
「いいよ、エイレーンはここで大人しく待っててね」
萌美はそう言うとカバンから小型の端末を取り出した。
「金属探知機能入れておいて正解だったね」
萌美は端末を見ながらグルグルと周囲を歩き回り、端末はそれに合わせてホワイトノイズのような音を発する。
やがて、ノイズの大きい方角を見つけた萌美は一方方向に歩き出した。
「行ってらっしゃい」
それを見届けたエイレーンは、眩しさから逃げるように目を瞑った。
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どれほど時間が経過しただろうか、エイレーンは砂を踏みしめる音で目を開けた。
目を開けると、開いた瞳孔に太陽光が目一杯差し込んでくる。
光を絞るように目を細め、音のする方向を見ると、白い影がこちらに歩いてきていた。
「…?」
ぼんやりとかすむその影は、どんどんと近づいてきている。
やがて、白い影はエイレーンの前で歩を止める。
シェルターを探し行った白髪の少女が、エイレーンの前に立っていた。
「お帰りなさい」
疲れた笑顔で立ち上がったエイレーンに、少女は少し後ずさる。
その様子にエイレーンは少し違和感を覚えたが、まあいいか、と流した。
「シェルターは見つかりましたか?」
少女は答えない。
二人の間を通った風が、少女の白装束をパタパタとはためかせる。
少女は強張った表情が、エイレーンの顔を見つめる。
反応を示さない少女に、エイレーンは困った顔をした。
「あの…」
「手を頭の後ろで組んで膝ついて!」
「…へっ?」
発せられた声は、エイレーンには全く聞き覚えの無い声だった。
あっけにとられて固まるエイレーンに、少女は右手を突き出した。
鈍く光る金属光沢が腹部に当てられる。
「えっ…えっ!?」
サバイバルナイフの存在に、エイレーンの背筋に戦慄が走った。
背筋に冷たいものを感じながら、言われた通り腕を後ろで組む。
少女はナイフをエイレーンに向けたまま、ゆっくりと後方へと回った。
じゃらりと鎖の音が聞こえ、やがて、エイレーンは手首に鎖が巻き付けられていくのを感じる。
数秒の間の後にガチャリと音が鳴った。
「ゴメンね…一緒に来て欲しいんだ」
背後からの声は申し訳無さそうに詫びた。
もちろん、ナイフはまだ背中に押し付けられている。
エイレーンは何が何だか分からず、少女の誘導するがままに歩を進める。
つりそうだった脚も、この時ばかりは言う事を聞いた。