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(私は一体何をしているんだろう…)
見上げた灰色の天井は、日に日にその影を暗く落としているように感じる。
「…はぁ…」
エイレーンが見つかって早1ヵ月、互いに話すことも無ければ会う事すらない。
それもそうだ。
こちらとあちらでは立場が違う。
平凡な市民と、女神の化身。
会って話すなど本来はあってはならない事なのだ。
(見つかっただけで良いじゃない)
自分に言い聞かせるように、頭の中で呟く。
「ミライ様」
「なんですか?」
「”悪魔”に取りつかれたと申す子供が…」
「分かりました、連れてきてください」
その言葉に促され、子供を抱えた女性が入ってくる。
抱えられた子供は、苦しそうに唸り声を上げた。
「始めは筋肉が痛いと言っていたのですが…嘔吐が止まらなくなって…」
嗚呼…またか…
「悪魔をこの子から追い払って下さい、お願いいたします」
「分かりました」
アカリは頷いた。
「今から清めを行います、部屋の移動を…」
目で付き人に案内するように促し、自身も席を立つ。
悪魔が憑りついたと言ってはいるが、症状を見ればそれは違うと簡単に分かる。
2014年に流行したとされる急性ウイルス性感染症そのものだ。
そこから生き残るには、その人本人の免疫力でどうにかするしかない。
「隔離病棟に案内を、今後は一切手を触れてはいけません」
そう言い残し、アカリは隔離病棟へと歩を向けた。
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心がどんどん荒んでいくのを感じる。
始めは献身的に毎日窓越しから応援していたが、日を経つにつれその応援も無意味なものと理解するようになった。
隔離病棟に入った子供は殆どが命を落とし、大半の大人も帰らぬ人となる。
始めは助かると信じていた家族も、次第にアカリに不信感を抱くようになった。
「私の所為じゃないのに…」
やがて孤独感が心を支配し始め、周囲の目が段々と怖いものへと変わっていくのを感じる。
(寝て起きたら、全てが夢で、全てが元通りだったらいいのに。)
寝付く前にはそう願い、灰色の天井を見て、絶望する。
起きた後も隔離病棟に赴き、死に行く人々を励まし、皆に敵意を向けられて眠りにつく。
もし、この世の中に女神が本当に居るのなら、きっと根性がねじ曲がっているのだろう。
この世界では希望が無く、ただ死にゆく絶望に彩られた世界。
そんな世界を、女神さまはどうして作ろうとしたのだろうか。
そんな事を、一般市民も思っているに違いない。
この世界を、”女神の化身”が作り出し、自分達をいたぶろうとしているんだ、と。
「ねえ、エイレーンならどうするかな?」
吐き出された独り言は、虚空に消えた。
もちろん答えなど端から期待してはいない。
そもそも答えは一つに決まっているのだ。
人間を超えた”女神の化身”は、何があっても人間を救い続けなければならない、と。
弱音を吐くこと等あり得ないし、逃げることもあり得ない。
この身を生贄にしてでも、奇跡を起こさねばならない。
”女神の化身”とはそういうモノなのだ。
、とそんな事をぼんやりと考えている最中だった。
仰々しい様子で扉が開かれ、一人の男が部屋に入ってきた。
「おい、大事な話がある」
「…なんですか?宣教師様」
すこし棘のある言い方に、男は少し眉端を上げた。
「……まあいい、二年後に始める予定だった凍結計画だが、一月後に開始することになった」
「………」
凍結計画。
人工知能Sol(ソール)が提案した、人類を”存続”させるための計画。
その概要は、生き残った全ての人間を仮死状態にし、宇宙空間に1000年保存し、その間に保管していた植物の種を放出して環境を整える、と言ったもの。
仮死状態にするための設備、並びに”植物にとっての良質な土壌”が最低限整う期間が4年だったのだが…。
「分かっているとは思うが、犠牲者が多すぎる、宇宙エレベーターの数も悲しい事に”足りてしまった”」
男の言葉が、アカリの胸にズキリと刺さる
「…問題は、どうやって市民をエレベーターまで先導するかなのだが…」
「計画通り、恐怖心を煽ってエレベーターに避難させてそのまま凍結する、で良いはずじゃ…」
「………まあ、それが最適だと出力結果も出されているからなぁ…」
男は気難しそうに顎髭を撫でる。
”最適”ではあるが、絶対ではない。
もしこの計画が失敗してしまえば、人類は絶滅する。
失敗は絶対に許されないのだ。
「もう遅いと思うが…信用をなるべく落とすな」
それは誰の為でもない、人類の為なのだから…。
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人通りの無い道路。
一か月前にはあれほど賑わっていたのに、今ではその面影すらなくなっている。
だが全く静かと言う訳ではない。
「酷い雰囲気ですね…」
エイレーンはしかめっ面をした。
その目線の先には異様な雰囲気の集団。
彼らはボロ雑巾のようになった布を纏い、一心不乱に叫んでいる。
その内容は一貫して、”ミライ様に自分達は見捨てられた”と言うもの。
「不安を煽る奴らに限って無責任なんだお」
隣のベイレーンも、同じようにしかめっ面をした。
彼らは”革新派”と呼ばれている集団で、最近家族を失った者がその大半を占めている。
「もう長くないのかも知れないですね…、そのうち彼女は彼らに殺されるでしょう…」
「他人事みたいだな」
「……分かってて言っているのですか?」
エイレーンはベイレーンを睨みつけた。
怒っている様な、悲しんでいる様な、そんな表情。
ベイレーンはポリポリと頭を掻いた。
少し気まずそうにしている辺り悪気は無いらしい。
「悪かった、だが、もしそうなったら助けに行くか?」
「………」
エイレーンは踵を返し、歩き出した。
ベイレーンは慌てて後を追う。
「お、怒っているのか?」
ベイレーンの言葉に、エイレーンは首を黙って振る。
「彼らの言葉で頭がおかしくなりそうだったので…」
「確かに、洗脳されるかと思ったお」
エイレーンはちらりと後ろを見た。
段々と遠ざかっていく彼らの声は、その強さを一向に弱めない。
「もちろん、裏切られた人々の気持ちも痛いほどに分かります…」
「でも、人の為に一生懸命になっている人を見殺しにはしたくありません」
「つまり?」
「助けられるものなら助けたいです、例え拒否されても」
ベイレーンは嬉しそうに鼻を鳴らした。
「だったらおいらも手伝ってやるお」
「………」
「………」
「………顔を覗き込もうとしないで下さい…」
覗き込んだベイレーンから逃げるように、エイレーンは顔を背ける。
そんなエイレーンの様子に、ベイレーンはにんまりと口角を上げた。