罪を感じるのは、心を持つ生物の特権である。
人を愛し、人の為に涙を流せる者は、紛れもなく人であり、であるからこそ、人の生は美しいのだ。
過去に、こんな言葉を本で読んだ覚えがある。
確か、性善説論者の人が書いた詩だ。
不完全な人間の美しさと、人間特有の愛の素晴らしさについてが解かれていた。
私にはこの言葉に続きがあると思うのだ。
人の為に流した涙は、人を人から遠ざける。
無限に傷ついた皮膚は鋼のように硬くなり。
枯れた涙は、その流れを忘れる。
しなびた心は、元に戻ろうともせず。
行き場を失った愛が、自らを傷つけ始める。
もし、生贄と言う形で、この苦しみから逃れられるのなら、私は喜んで生贄になろう。
例え、それが無意味だと分かっていても。
だって、今の私にはそれしか出来ない。
何の力も持たない小娘が一人、神の化身を演じた。
それだけでも奇跡に近かったのに、これ以上何もできる筈がないのだ。
「……はぁ…」
きっとすぐにクーデターが起こる。
そして私は民によって殺されるのだ。
殺され、ごみのように扱われ……。
行き場を失った民は、そのまま滅びる。
いや、滅びるしかない。
主導者が自分たちであると分かってしまったら、生き残るすべは無くなってしまうのだから…
だからせめて、私の為にも、民の為にも、私はその前に”美しく”死ぬ。
民の興奮が最高潮になる前に、私は自ら死ぬ。
そうすれば、もしかしたら民は皆混乱してくれるかもしれない。
パニックが起こるかも知れない。
死んでほしくなかったと思うかもしれない。
そうしたら宇宙エレベータの存在を何らかの形で見せればいい。
伝記に記されたノアの箱舟のように、崩壊した世界から人々を守る強固な檻を。
そこへ、数人の信者が宇宙エレベータに乗ればいいのだ。
”ミライ様の声が聞こえる、これに乗れば救われると仰っている、と”
そうやって、事が大きく成れば、流れに流される形で大衆は動き始めるだろう。
全く…本当に…
自ら考える事を止めさせ、盲信させることが大衆の命を救う事になるとは、何とも可笑しな話だ。
そして、これが私が来る以前から計画されていた事なのだから、本当にゾッとする。
全人類が、何年も人工知能Solの手のひらで踊らされ続けたのだ。
それが、全人類を救うための最善の手段だとしても。
本当に気持ちが悪い。
「クーデターはあとどれくらいで起きそうですか?」
「3日もあれば起こる筈だ、そう言った動きが少しづつ活発化している」
成る程。
だったら2日後だ。
「では、2日後に集会を開きます、その時に自害するので…」
宣教師は面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「ただ死ぬだけで終わったらつまらないぞ」
美しく死んだところで、民の心に何も響かなければ何も意味はない。
男はそう言いたいのだろう。
イエスキリストが信仰を得たのは、死した後に復活したから。
そう聞いたことがある。
つまり、死の間際に人智を超えた何かを行う事で、神としてあがめられ、信仰を得るのだ。
「でしたら自害直後に”奇跡”でも起こしましょう」
幸い、宇宙には巨大な宇宙ステーションが存在している。
それを使えば何かしらできる筈だ。
男もその考えに至ったらしい。
「宇宙ステーションから何かしらを落とすくらいしかできないぞ、そんなの食糧投下と変わらない」
「そうですね…」
そう、全くその通りだ。
確かに、宇宙ステーションが出来ることは限られている。
特に地球上に干渉する方法は、何かを投下する程度しかできない。
地上が二度焼き払われたあの日から、宇宙ステーションはそれのみを……
………
ああ、そうか。
そうだったんだ。
「それとも何か?落下軌道を変化させて流れ星でも作る気か?」
流れ星。
そんなロマンチックな方法もあるんだ…。
「いいえ、落とす物が違います」
そう、落とすべきものは
もっと凶悪で。
人の命を奪うために作られたもの。
「ミサイルを落とします」
何発でもいい。
神の怒りを表現できればいいのだ。
死の直後、人々に恐怖を与えればいいのだ。
私の死骸に縋りつくようにすればいいのだ。
「それは…」
男は驚きのあまり見開き、やがてその目つきは哀れな者を見る目つきへと変化した。
馬鹿の虚言。
ミサイルなんて軍事に関わる部分に干渉できるわけが無い。
そう言いたいのだろう。
だが、それを可能にする方法はある。
「言いたいことは分かります、しかし、私も策があると思って言っています」
この地上が二度焼かれた理由。
一度目は核によって。
そして二度目は迎撃ミサイルによって。
一度目の核爆発によって生じたパルス波によって、制御を失ったミサイルが地上に落下した結果だ。
「核が発射されたという信号を送り、迎撃ミサイルを発射させます、それだったら可能でしょう?」
「そんなの……」
「Solシステムから宇宙ステーションに送るのは無理なのは分かっています、使うのは別のシステムです」
Solシステムとは独立したもう一つのシステム。
二年前、エイレーンと一緒にいたあの場所で、突然現れたあのシステム。
「システムMiraiを使います、そのためのチームを発足させてください。」
死が確定した今。
もう、後には引けない。
民の命が最優先で。
洗脳してでも助けなければならないのだから。