かつて天界と戦争状態にあり、今なお"休戦状態"である魔界においても、神という概念、神を信仰するという慣習はある。とはいえ人界や天界における、いわゆる神──全知にして全能、万物の造物主とされる存在のことを信仰する者は稀だ。魔界においてメジャーな神は、例えば冥界を統べ死を司る冥王神であったり、兵士たちの神であり戦の神である覇軍神といった、具体的で即物的な存在だ。
逆にマイナーな神といえば、ある地方にだけ伝わる土着神であったり、秘密の会合に参加する者だけが知る邪神といったところか。
そして、僕の住む村にも、ある神様の伝承がある。「守神さま」という名前のその存在は、僕の住む人口100人ほどの小さな田舎の村でのみ認知され、信仰されている神様だ。先の対天界戦争の折、魔界に侵入してきた天使を悉く単身で屠り、被害に遭った村の人間を救い、また襲撃者たる天使たちをすら救済したという、慈悲深い神様。その神様は、村の近くにある静かな森の祠に祀られているという。
「おーい、大丈夫か? 祟られでもしたのかよ?」
「···大丈夫だよ。ご心配どうも。」
友人に声を掛けられ、目の前の祠の由来についての記憶を漁るのを中断する。木造の小さな──とはいえ僕達子供の身長と同じくらいはある──祠に目を向ける。かつては村の人間が定期的に掃除やメンテナンスをしていたらしいが、もはや村の防衛を神に懸ける必要がなくなり、参道もろとも劣化し、木に覆われていた。月の意匠が僅かに残った木の扉が、もはや何故そこだけ無事なのかというレベルで繋がった閂で以て閉ざされている。
「肝試しというには、体育会系すぎるよ。」
「そうか?」
僕の恨み言は妥当なものだ。夕刻、日が沈み始めた時点で、何のメンテナンスもされていない森の中は闇に沈み、足元の根や頭上の蔦と連携して部外者を阻み始める。その中をわざわざ祠まで歩いて来たのだ。「肝試ししようぜ!!」と言われて遊びに来たというのに、まるで──というか、完全にサバイバル訓練だった。いや、そんなもの受けたことはないが。
対して、友人の言葉は妥当とは言いづらい。僕と同世代の筈だが、既に大人顔負けの体力と健脚を持つ友人は、軽く肩で息をするのみで、大して汗もかいていない。化け物かよ、と心中で毒吐く。
「ま、折角だし、いっちょ掃除でもしていくか?」
「まぁいいけど···どうせ帰ったら怒られるのは確定だしね。」
友人の申し出に是と返せば、失念していたのか「あっ」という呟きを溢した。おい。
「あー···ジャンケンな。」
「えぇ···」
「はいジャンケン、ポン。」
「ポン。」
僕の握り拳に対して、友人は開いた右手を振り翳した。負けた···だと!? くぅ、初手にチョキを出す癖が治っていたとは···。
「ま、流石に冗談だけどな。二人でちゃっちゃと終わらせよう。」
「驚かせないでよ···。」
結局、村に帰ってこれたのは完全に日が沈み──どころか、夜が更けてからだった。
「アホかお前ら!!」
村の端にある小さな家に、僕はたった一人の家族と一緒に住んでいる。両親は──分からない。僕は捨て子──というより「迷子」で、気付いたらこの村に居たのだ。村長に事情を説明したところ、「記憶喪失かねぇ···原因を調べられるような医者は居らんし···どれ、儂が都市から医者を連れてきてやろう。それまではここに居て良いからの。」と、言った数日後に病気で他界。そもそも病床に臥せていたというのに。で、そのまま流れで村長の住んでいた家を貰い受けて住んでいる。で、似たような状況にあった「家族」を迎え入れ、そのまま一緒に生活している。
「聞いてるの? マスター!!」
「うん、聞いてます。はい。」
僕の素性に関しては何も分からない。「家族」の素性に関しても似たようなモノだが、それでも分かっていることがある。
「聞いてるからさ、そろそろご飯食べさせてくれないかな···。リディ。」
正座した僕の前で延々とお説教をしている、ピンクの服を着た少女。彼女の名前がリディであること。そして、彼女が『魔剣』であること。
ここ魔界において、剣や銃、魔法といった攻撃手段は対して脅威ではない。それらを遥かに凌駕する超常の武装である『魔剣』が「一般に」という程ではないにせよ、「魔剣使い」という職業が出来る程度には普及しているからだ。超高密度の
──リディを見ている限り、そんなことはなさそうだが。地面で転べば膝を擦りむくし、毎晩9:00には寝付いている。今日のように遅くまで起きている事がレアなくらいだ。戦闘能力だってそれほどでもなく、僕に腕相撲で勝ったことはない。
だが、彼女が魔剣であるというのは確かだ。リディの身体を構成しているのは、僕のなけなしの魔力。契約によって確立した
「つぎに門限を破ったら、ご飯抜きだからね、マスター!」
「あい。」
僕は痺れた脚を気遣いつつ遅い夕食を貪ると、泥のように眠った。
◇ ◇ ◇
体感睡眠時間は、10秒ほど。疲労も取れていなければ、さっき食べた夕食の消化も終えていない。半泣きのリディが「マスター起きて!!」と叫ぶから、もぞもぞとベッドから這い出る。
「マスター!! 大変なの!! 逃げなくちゃ!!」
「逃げりゅ···なにから···?」
さっきまで肉体が機能停止していたせいで、脳が「なんだよ寝ないのかよ···。つか寝ろ。もう夜だぞ。寝ろ。」と言っている。気を抜けば目蓋が落ち、膝が崩れそうだ。
「冥獣が出たの!! 村が···村のみんなが!!」
「んにゃ···」
何言ってるんだリディは。さては寝惚けてるな。寝ろ。 ──そんな思考は、眠気と、そして家の屋根と壁もろとも吹き飛んだ。風が唸り、熱風が吹き荒れる。
「···は?」
吹き飛んだ壁の向こうには、魔界だというのに冥界の、地獄のごとき光景が広がっていた。人、人、人、人、人、人、人、人。──いや、機能を停止したソレを表すならば「死体」が適当か。死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体。──いや、もはやパーツが欠損し、中身をぶち撒け、
僕と、リディ。
そして、下手人たる怪物──村長の家にあった資料によれば、「ワンドメイス型冥獣」と名付けられた、古代遺跡より発掘された遺物。
その上半身。目に該当するであろう器官がこちらを捉え──
「■■■■■■ーーーーー!!」
咆哮。完全に意識が覚醒したというのに、全く足が動かない。圧倒的に自分より強い存在が敵意を剥き出しにしたことで、こういう場合に機能するはずの生命の本能が停止するに至ったのだ。
死ぬ。ゆっくりとこちらを向く冥獣を見て、そう確信した。あそこに見える友人みたいに上半身だけになるのか、或いは、あそこに見える近所のおじさんみたいに首だけになるのか、それとも、あそこの近所のお姉さんみたいに綺麗に両断されるのか、もしくは、そこらじゅうの皆みたいに、原型を止めないナニカになるのか。
「はっ···」
笑いか、嗚咽か。判別のつかない音が口から漏れる。リディが叫びながら腕を引くが、硬直しきった身体を動かすには至らない。
「は、ははっ···」
笑う。泣く。後悔する。疑問に思う。憎悪する。諦観する。走馬灯を見るだけの記憶も思い出もない村だが、三年も過ごしていれば住民に対して愛着を持つようになる。とはいえ復讐どころか"唯一の生き残り"にすらなれそうにない。つまらない人生だった──というには、まだガキに過ぎるが。
だが相手がガキであろうと、冥獣は容赦しない。絶死の一撃が冥獣の豪腕によって繰り出された。