第1話
──もう、何年かな。
昔な、“
いけすかねえやろうでさ、俺は当時そいつのことを“サテライトのクズ”と罵ってた。
けど、どこか不思議な雰囲気というか気質を纏っていた野郎で……何かと人を惹きつけるものがあったんだ。
かつて
英雄だったんだよ、そいつは。
当時“治安維持局”の隊員でサテライトの小悪党せびってお山の大将気取ってた俺なんかよりよっぽどシティの未来に貢献した男だった。
すげえ奴だった。
器量がよく、
決闘の腕が立ち、
皆に慕われてさ。
一方で……一方で俺は……。
この街の未来の為に……いったい何を残せるんだろうな。ずっと……そう考えてた。
第一話 “再興”の治安維持局。
「はあ、“治安維持局”を?」
現在ではネオドミノシティの保安部隊となった“セキュリティ”の隊長を務める男“
白の塗料艶めく高級テーブルを挟んだ向かい先に座る“丸顔の小さな市長”は口をつけた白磁のコーヒーカップをコトン……と机に置いて話を続ける。
「ええそうですよ。……おや」
対面の男“イェーガー”は軽妙な微笑みを浮かべて牛尾の微妙な機微を突いた。
「どうやら何か言いたげですね」
「え? そりゃまあ……」
牛尾が顔を顰めるのも
「そりゃあだって……なんだって今更あの“治安維持局”をもう一度再建する必要があるんですかい?」
治安維持局と言えばかつてネオドミノシティにおいて、権力の象徴として扱われていた組織だ。
治安維持を目的として街の行政及び犯罪者の取り締まりを担っていた組織であったが、裏で行われていた数々の汚職と陰謀の発覚をきっかけに解体され、現在の市役所へと生まれ変わった。
つまり、それだけ批判を受けていた組織ということ。
それを今もう一度“再興”するなど、再び批判を集めるだけではないだろうか。
牛尾はそう考える。
「ふむ……」
イェーガーはもう一度カップを持ち上げて、一服それを口に注ぐ。
静かにカップを置くと、彼は一封の茶封筒を取り出した。
「これは?」
「近頃起きた、謎の焼死体に関する捜査記述ですよ。……ご存知でしょう?」
手渡された茶封筒の封を解き、まとめられた書類を取り出す。
その事件に関しては牛尾もよく知るところにあった。
ひと月前、旧サテライト街の方にあたる市街区の路地裏で謎の焼死体が発見され、一時期ニュースとして持ち上げられていた事件があった。
牛尾も街を守るセキュリティの隊員の責務として事件現場に立ち会ったことがある。その為詳細には明るい。
──なぜ“事件”と断定するのか。それは鑑識課から送られてきた臨床報告に理由があった。
「確か……死体の痕跡から、“他殺”だと判明したんすよね」
「ええ、体が焼けて皮膚がただれているだけでなく、明らかに外部からつけられた裂傷痕が確認できたそうです」
その裂傷痕の数たるや指で数えられる範疇になく、ゆうに数十ヶ所に及ぶ傷をつけられていたという。
外部裂傷内臓破裂。明らかに自殺の類ではなかった。
イェーガーは続ける。
「恐らく“普通の手段”ではない、常識的ではない犯行で殺された。と鑑識は考えているようです」
「“レーザーか何かで焼かれたようだ”、でしたっけ」
「現実的ではありませんねぇ」
“まあ手段がないとは言いませんがね”。
イェーガーはそう牛尾へ顔を傾けた。
懐疑的に眉を顰めさせながらも牛尾は答える。
「……“ソリッドビジョン”ならレーザーもまあ……」
デュエルモンスターズにおける立体映像“ソリッドビジョン”。
あれならば”見た目だけ”ならレーザーを再現できる。
「……うーん、いや、でもですねぇ?」
今やソリッドビジョンとは犯罪鎮圧目的にも使用される技術である。
過去、治安維持局でもデュエルの形を介してソリッドビジョンで犯罪者達を取り押さえ、検挙していた背景がある。
それが示すように、ソリッドビジョンは立体映像でありながら多少の質量を持っている。
そのため鎮圧武器として使用することもできる。
とはいえ、ソリッドビジョンはそこまで万能の代物ではない。
「……飽くまで演出の見た目がそれっぽく見えるってだけで、ソリッドビジョンで本物のレーザーを形成するってのはちょっと……質量はあれど高温にはならないですし……。流石にソリッドビジョンで人を殺すってえのは……」
流石に殺傷力を持つ代物ではない。致死に至らしめるような性能はない。
──そんな風に考える牛尾にイェーガーが人差し指を立てて、思い出させるようにささやいた。
「おや、お忘れですかな牛尾殿?」
イェーガーが含ませたように朗らかに微笑む。
「いたではありませんか、過去に何人か。本当にモンスターや魔法を“具現化”させて扱うデュエリストたちが」
牛尾は記憶を巡らせる。
「……?」
そして彼は、かつて“英雄”と共に街を守るために戦った“深紅の少女”の事を思い出した。
「……あぁー! “十六夜アキ”のいた“アルカディアムーブメント”!」
“アルカディアムーブメント”。
総帥“ディヴァイン”をリーダーとしていた組織であり、過去街を脅かした黒薔薇の魔女“十六夜アキ”も所属していた組織だ。
表向きは社会から忌避される“サイコデュエリスト”を保護し、彼らの人権を擁護する穏健派だった。
が、その実態はディヴァインを筆頭として過激的な思想を持つ組織であり集めたサイコデュエリストを兵士とした戦争ビジネスを企んでいた。
顛末としては総帥ディヴァインの消息不明を持って組織解体の道を辿る。
「“イリアステル”、“ダークシグナー”。過去これまで、カードの力を引き出して実際に外傷を与える者たちは存在しましたが、その中でも“サイコデュエリスト”はカードの力を引き出すという点において一番秀でた者たちだったとわたしは考えています」
サイコデュエリストとはカードの力を“具象化”させる決闘者のことである。
彼らは現実にモンスターを実体化させ炎や水、そして風を起こすことができる。
──牛尾は話の核心をついた。
「……この犯行は、未だに街に根付くサイコデュエリストによるもの。そう考えていらっしゃるんですか?」
牛尾のその静かな言葉は“重み”があった。
憂いのある重み。ふたりの空間に沈鬱が奔る。
イェーガーの両瞼がわずかな憂いを帯びて静かに閉じる。
「“不動遊星”がこの街を救ってかれこれ20年……この街が良い方向へ行けるようにとわたしも努力してきたつもりです。それでも、ネオドミノシティが抱える“闇”をすべて払えたわけではなかった……」
机の上で両手を組んだイェーガーが背後の窓の向こうに広がるネオドミノシティを一瞥した。
輝く陽光が街並を照らす一方で、窓辺から差し込む光がイェーガーの横顔に憂いの影を差す。
暗い気持ちを見せるイェーガーを牛尾は取り繕う。
「イェーガー市長はよく尽くされていると俺は思います。どんな時代でも問題があるのは仕方がありません。その為に俺たちパトロールがいるんですから」
──そう述べたものの、牛尾も自分の気持ちにどこか引っかかるものがあった。
「いやまあ……問題の全てに対処できてるかっていうと……そうじゃありませんが……」
“不動遊星”の活躍から多くの時が流れても未だ課題は多い。
ネオドミノシティの行く末をイェーガーは案じる。
「サイコデュエリスト……街は変われど、増えゆく“サイコ能力者”の問題はいまだ解決していない……本来なら、市長であるわたしが身をもって対処に当たらなければならない問題……」
先程、牛尾が述べた“十六夜アキ”もその境遇から、周囲に大きな差別を受けていた。
幼い時期に“サイコ能力”を発現させてしまった彼女はその力を制御できず、デュエル中にもその力を暴走させてしまい、やがて彼女は同級生からも厄介者扱いをされ、孤独な日々を送っていった。
十六夜アキ自体はその後とある経緯から更生を果たして救われたが──。
──果たしてサイコ能力者が皆、十六夜アキのように救われたのだろうか。
実際は更生の機会を得ず人生を潰す能力者がほとんどだったろうと牛尾と、そしてイェーガーは考える。
英雄の手によって街が変わったからといって、全ての問題が解決するわけではない。
つまりそれは──牛尾はイェーガーのいわんとするところを察して見せた。
「差別を受け続けたサイコ能力者が社会への復讐を動機に犯行へ及ぶ可能性は大いにある。そして今回それが実行されたと市長は考えていらっしゃると」
「推測の段階ですよ牛尾殿」
しかし、だからといって“最初の提案”はまかり通らないと牛尾は考える。
「──それでまさか対サイコ能力者用に“治安維持局”の再建を? 俺達ハイウェイ・パトロールの連中に任せてくれりゃあいいじゃないっすか」
牛尾としては多少不服だった。
そういった平和を脅かす輩を今まで検挙してきたのが牛尾を代表するハイウェイ・パトロールだったはず。
陳腐なプライドかもしれないが牛尾にだってセキュリティとしての“誇り”と“不動遊星”から受け継いだ想いがある。
容易く譲れるものではない。
「血気盛んで結構。しかし相手はサイコ能力者。“専門”でもない人間が相手にするのは大変危険極まりない存在なのですが?」
「し、しかし! それを言ってたらそもそも取り締まれる人間が……」
「まあまあ、こういうものは目には目を、というものですよ」
「はっ……? 目には目を……?」
そしてイェーガーは得意げに指をはじいて、
「では、紹介しましょう」
市長室入り口の方角へ向けて何かの合図を送った。
「入りなさい、“
“聖華”──? 話が見えず牛尾が呆けていると、後ろの方から透き通った声が聞こえてきた。
「はい」
控えめで謙虚。だが一本芯が通ったような声だった。
牛尾の座るソファーの背後から、豪著な扉が開く音が聞こえてくる。
重い音を立てながら両面開きの扉がゆっくりと開いていく。
吊られるように牛尾が思わず振り返れば、そこには一人の少女が立っていた。
扉の傍らでイェーガーの言葉を待つ濡羽色の髪の少女。
「聖華、こちらが現在ハイウェイ・パトロールの隊長を務める牛尾哲隊長」
続けて、イェーガーは言葉を付け加えた。
「……お前が会いたがっていた、あの牛尾隊長ですよ」
「……!」
その少女の身なりは清廉。
「──この方が!」
なおかつ潔白としていて──奇跡的だった。
(う、おっ……?)
その顔に浮かぶ目鼻立ちの完成度は、まさにそこらの人間が太刀打ちできるような代物ではない。
つぶらな瞳は目尻から目頭にかけて優雅な曲線美を描いていて、中に嵌る水晶体は吸い込まれるほどに瑞々しく輝いては奥ゆかしい愛らしさをそこに秘めていた。
二重のまぶたが瞬く間に閉じる、印象的な長い睫毛がより一層その綺麗さを引き立たせていた。小ぶりながらも高い鼻はきちんと筋が通っており、桃色の唇は儚げに艶めいている。
まぶたがゆっくりと上がる。
点の汚れも許さぬ雪肌を介し細首を流れる濡羽色の髪の毛は一切の乱れもない。
白い肌の上に着用している黒のレディーススーツが白い雪肌と対照的に印象的だった。
「お久しぶりです!」
牛尾を見るやいなや彼女の表情が朗らかに微笑んだ。
一方、牛尾は彼女とは逆に表情を凍り付かせていた。
牛尾は目を奪われていた。まさかこんな──これほど綺麗な少女が立ちいってくるとはとても思わなかった。
すたすたと長い脚を歩かせて少女が近寄ってくる、美貌に心臓を打たれた牛尾は未だに彼女の姿に目を奪われていた。
流石に恋に耽る年齢でもない。ゆえに一目惚れとはまた違う。
ただただその容姿の完成度に驚き、牛尾は呆然と立ち尽くしていた。
少女がようやく牛尾のそばまで迫り、その姿を彼の前にまで近づけてきた。
揺れて纏まる髪の毛から甘い匂いが辺りに溢れる。
直後、落ち着いた見た目から輝く笑顔が飛び出る。
小ぶりな顔が喜色満面の笑みを浮かべ、愛らしい微笑みを目の前の牛尾に送った。
もう一度ささやきかける。
“お久しぶりです。”と──。
「……お久し……」
そこでようやく、牛尾は意識を戻し、一連の流れに生じた“違和感”に気を向けた。
「ぶり……?」
牛尾は目の前の少女と面識がない。
機械的に絞り出される牛尾の声。
疑問をこぼす牛尾に対して、少女の表情が翳ることはなかった。
「覚えて……いませんか? 無理もないでしょうか、ずっと前のことですし……」
「……いや……?」
ここまで呆け声で聞き返す牛尾を見ても、少女の表情は常に優しげな表情で朗らかだった。
少女が気を悪くしたような様子はない。
そして少女は改めて距離を取り、頭を下げる。
「申し訳ありません……思わず嬉しくなったもので。突然のご無礼をお許しください。では、改めまして──」
淑やかな所作で一礼をつくった。
そして少女は顔を上げもう一度、柔らかな微笑みを浮かべて輝かしい笑顔を牛尾へ送った。
「わたしは聖華、
そして次にその口から出た言葉がもう一度、牛尾の心を打ち抜いた。
「治安維持局“次期局長”──雛宮聖華と申します」
暫くの沈黙を経て、牛尾の顔が驚愕の色に揺れた。
「ち……治安維持局次期局長ぉ!?」
もう一度目の前の少女をまじまじとよく見る。
(こ……こんな女の子が──!?)
格好からして役所の事務員かなにかだと思っていたところに頭を突き抜ける程の衝撃が奔った。
どういった経緯で年端もいかないこの少女が“組織長”としての扱いを受けているのか。
次々と牛尾の中に湧き出てくる疑問。
ともかく一人で思考しても仕方ない。牛尾は思い切って初対面の少女に質問をぶつけてみることにした。
「い……いろいろ聞かせてもらっても?」
そうたずねる牛尾の頬は作り笑顔ながらも引きつっていた。
対して少女はそんな牛尾の気も知らず喜んだように反応してみせる。
「はい、遠慮なく」
「……年齢は?」
「18です」
(18!?)
“18です”。内心思わず牛尾は戦慄した。
自分と30近く年齢が離れているではないか、成人ですらない。牛尾の表情が一段と引き攣った。
そもそもその年齢で役所勤めが許されるものなのか。
「……えぇっと、どういう経緯で市役所に? 現在市役所勤め……で合ってるんだよな?」
「高校在学中に公務員試験を受験して合格を頂いた為、学園卒業後はイェーガー市長の助力もあってここに務めさせていただいております」
「えぇ……それでいけるもんなのか? というか市長の……?」
「フフッ、彼女は私のお墨付き。……今回の局長の件も私の推薦の上なのですよ」
イェーガーは再び優雅に白磁のコーヒーカップに口をつけていた。
どうやらよほど目の前の少女のことを買っているらしい、イェーガーの含みのある笑みはどこか自信を秘めている。
しかし牛尾はどうも釈然としない。
なにがイェーガーにここまでこの少女を買わせるのか。
「……ど、どういうお考えで?」
「フフフッ、それは彼女が──」
──イェーガーはごまかすような身振りをして次句を濁した。
「──彼女が優秀だからですよ、はい」
牛尾の頭に疑問符が灯る。
ますます理解が遠のいた。
見事に少女の謎は迷宮入りした。
「まあともかく牛尾殿。今回の事件にはあなたと聖華にあたってもらいます」
「なっ!? なにを突然!?」
「もともとあなたを呼びつけたのもこれが理由、今回のサイコ能力絡みの事件にあたり専門家である聖華のボディガードにあなたをあてがったのですよ」
「なにさらっとおまけ扱いしてんすか! そもそも俺の本職のパトロール隊は!?」
「まあまあ、それに関しては他の人員を当てますゆえご安心を。──さあ」
最早空気の流れは牛尾の抵抗を一切許していなかった。
思わず素頓狂な声を上げる牛尾。それに対してイェーガーは喜々としてこう言ってのけて見せた。
「記念すべきサイコ能力対策本部、“新”治安維持局の初仕事ですよぉ! イーヒッヒッヒッヒッ……」
──そういったやりとりを経て、牛尾は市役所を出て警邏車を走らせていた。窓から差し込む春の陽光がどこか釈然としきれていない彼の横顔を照らす。
(……どゆこと? ……突然呼び出しを喰らったかと思えばサイコ能力絡みの捜査に協力しろだとぉ……?)
助手席に座る聖華を横合いに覗いて、再び牛尾は内心溜息をついた。
(わ、わけわかんねぇ……なんでこんな子と捜査するハメになるんだ……? しかも次期局長って……というか、事件をこの子に一任するってえこたぁ……)
思慮にふけながら、ビルの立ち並ぶ交差点を左折しその先のジャンクションを経て高架道に乗り上げた。
(こ……こんな女の子が、俺の……上司?)
漢、牛尾哲。48歳にして並々ならぬ屈辱であった。
「あっ、えっと……牛尾隊長」
「……牛尾……」
「えっ?」
“牛尾と呼び捨てにしていい”。
……と格好つけるつもりだったのだが思わず言葉詰まって雛宮に首を傾げられてしまった。
流石にこんな年下に呼び捨てで応対されるのは周りからみても、本人としても気持ちのいいものではない。
というわけで牛尾は名前のあとに“さん”づけで手を打とうとしたのだが、
(待てよ……上司ってことは寧ろ俺が敬語でいかなきゃいけねえんじゃねえか……!?)
年下の上司とはよくある話である。
その間柄にも当然序列は存在し、部下は上司を敬わなければならない。
つまり、むしろ牛尾は雛宮聖華を“さん”づけするべきなのである。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……雛宮さ……」
「もしかして……呼び方に困ってます?」
「ウッ」
思わず牛尾の心臓が跳ねた。
知的な見た目を裏切らず察しのいいこと。牛尾は隣のソレに細々と目を向けてそう思った。
ともかくいくら立場はあちらが上でも重ねてきた年季はこちらの方が上。牛尾としてはどうも抵抗があるもの。
どうにかならないものだろうか。困惑と焦りに表情歪めて汗垂らす牛尾を見て、雛宮は思わず笑ってしまった。
「……ふふっ……」
「ん……?」
「いえ、ごめんなさい……そこまでお気遣い頂けるなんて嬉しくて。“やっぱり”、優しい人なんだなって……」
「ああ、いや……」
「お好きに呼んでください。雛宮とか、聖華とか」
「……」
“やっぱり”。
──先程からこの少女は気になる発言を繰り返す。
「……さっきから、俺を知ってるような口ぶりだが……」
牛尾はこんな少女と面識はない。知り合った覚えがない。
先程から一連のやりとりで垣間見せる一方的な態度、嫌ではなかったがむず痒いものがある。
「……やはり、牛尾隊長は覚えていらっしゃらないんですね」
「覚えてもなにも……」
顔合わせは初である。……と述べかけたが少女への気遣いからその言葉は憚られた。
確かに今まで生きてきて48年、記憶の風化で牛尾側が覚えていないということもあり得る。
後で“忘れてました”などと言い訳しても立つ瀬がない。──そんな風に悩みあぐねる牛尾へ聖華は配慮を見せた。
「いえ……いつか説明しますから。今は事件を追う事だけに専念しましょう」
今、説明してくれた方がいいのだが。しかしそう述べるのも野暮か。
そんな風に牛尾も溜飲を押し込んで少女との距離感を探っていた。
──現在、牛尾と聖華は先程イェーガーから渡された捜査記述を持って市街区に建つ“デュエルアカデミア・ネオドミノ校”に向かっている最中だった。
実は今回の事件の被害者はこのデュエルアカデミアに在籍していた生徒であり、サイコ能力による凶行は罪もない学生を狙ったものだった。
被害者の名前は“
「たくっ、いったいどうして、“プロデュエリストの卵”が襲われるハメになったんだか」
「……“嫉妬”ではないか、と囁かれているようです」
「“嫉妬”?」
「……」
「……?」
一瞬表情に翳が差した気がする。横合いに覗いた雛宮に対して牛尾がそう感じたのは一瞬のことだった。
表情を戻した雛宮が静かな語調で続けた。
「追々説明いたします。まずはその“本人”に立ち会ってからの方が説明しやすいでしょうから」
ジャンクションを抜け、ハイウェイを下って暫く。ようやくデュエルアカデミアが見えてきた。
春の陽光を受けて艶めくその精白の校舎は縦に鋭利的で、周囲を取り囲む四つの柱の間でどっしりと鎮座して勉学に励む子供たちの支えとなっている。
市街の中でも一際存在感を放つ学園。その裏手へと警邏車を廻し車を降りた。
春の象徴、桜の香りが漂う。
「パトロール中に遠くから眺めたことはあるが、実際に訪れるのは初めてだな」
「ええ、わたしも実際に来るのは初めてです」
「ん?」
そう述べる雛宮に、牛尾は意外そうな反応を示した。
「えーっと……雛宮か。お前さん、事件に詳しいわりにここには来たことはないのか?」
「え? ……はい、捜査資料を手がかりに役所の権限を使って事情聴取のアポをアカデミア側に取り付けただけなので」
「……となると」
丁度良い。牛尾は彼女の事を知る第一歩としてひとつ聞いてみた。
「お前さん、この学校の出身じゃないんだな。どこの卒業生なんだ?」
牛尾にはずっと気になっていたことがある。
なぜ年齢18歳の、それも恐らく市役所に務め始めたばかりの少女がイェーガーに気に入られ治安維持局再興の話まで取り付けているのかということだ。
普通、入所したての新人がそこまでできるはずがない。所謂“コネ”というものがなければ市長の懐に立ち入ることはできないだろう。
となれば普通の出身ではないのは明白──案の定、雛宮は困惑の色を過らせた。
「えっ、あ、その……それは」
「……」
どうやらあまり語りたい話ではないようだ。牛尾の問うような眼差しを受け、思わず雛宮は目を逸らした。
──時が流れて数秒、暫くの沈黙を経たあと雛宮は気を取り直したように向き直り、
「……そ、それもいつか話しますから! 今は捜査を急ぎましょう! 早くしないと……“ハイトマン”校長が裏口で待ってます!」
ごまかすように背を向けて、スタスタと桜並木道を進んでいってしまった。
ため息まじりに頭を掻いて牛尾は呟く。木々から降り注ぐ桜の花弁を前にしてひとつ溜息をついた。
「たくっ……対策本部に治安維持局復興だとか専門家だとか……全く話が掴めねえな……」
特に、今まさに目の前を行く少女が一番
「……特に雛宮、こりゃちょいと“ワケアリ”かね……」
──しかし捜査なんてもう何年振りか。
ともかく“治安維持”の為ならやるしかない。
片手に握るスーツを肩にかけ、大きな体で風を切りながら牛尾はアカデミアに続く並木道を進んでいった。