第10話
油彩の香り立ち込める絵画展に来訪したのは、夏の日の今日が初めての事だった。
二年前。
家庭の催事の一環でネオ童実野美術館に訪れた雛宮聖華は、褐色塗装のビニルクロスの壁に飾られた銀の額縁の中の絵画をみて、感銘の意に心を射たれていた。
荒く削られた
薄雲から漏れる黄昏の後光に照らされる龍と騎士団の描かれた油彩画を間近にみて、まだ16歳の学生だった雛宮は、極上の料理に舌鼓を打つようにしてその絵画の完成度を一身にして讃えていた。
「すごい……」
そう言って、雛宮は無意識に伸ばしかけていた己の手を引き戻す。
あまりの精緻さに触れかけていた自分の腕を、もう片方の腕で捕まえるようにして動きを引き留めた。
そうでもしなければ今にも飾られた絵画に触れてしまいそうだったからだ。
すでに、雛宮の心は絵画の世界に鷲掴みされるようにして呑み込まれかけていた。
実は彼女、別に特段絵画に興味があるというわけではない。
むしろその感覚基準はどちらかといえば理系寄りで、文学はさることながら美術芸術に興味がない。
そもそもピカソやジュゼッペを"理解不能"と自らの専門範囲から捨て置くぐらいなのでそちらの方面への嗜みは薄かった。
だがしかし目の前の絵画は彼女の既存概念を打ち崩す代物であった。
主観に重きをおかれる芸術分野の作品において、目の前に飾られた絵画は雛宮の理解に通じる光があった。
単純に綺麗なのだ。
繊細な筆使いと精密な色彩の使い分けを駆使して描かれたそれは間違いなく、雛宮聖華にとっては"大衆的"な作品であった。
眺めれば眺めるほど絵の中の世界に取り込まれてゆく。
「────」
そしてふたたび手を触れるようにして絵の世界に
「それ、今度カードになる」
──背後から呼び掛けられた少女の抑揚の薄い声によって、雛宮聖華の意識は現実へと引き戻された。
「へはっ!?」
ひどく間抜けな声で振り向いた雛宮が、思わず触れかけていた手を誤魔化すように戻して振り返った方の声の主に取り繕うように苦笑いをはじめた。
対して彼女に呼び掛けた少女の方は取り立てて慌てるような事はなかった。冷静沈着である。
何よりその出で立ちが目を惹いた。
血色の悪い蒼白の肌に通した白のワンピースは、やせ細った彼女の体を唯一健康的に彩っていた。
女性として中背の背丈を誇る雛宮よりもその身長は頭ひとつほど下で、華奢な体つきも相まって健康的な力強さは感じない。少し触れればすぐに崩れてしまいそうなほど儚げにみえた。
しかしかといって存在感は薄いどころか強烈であった。
「"ライトロード"っていう名前でカードになる。おねえちゃん、絵に興味があるの?」
世にも珍しい銀鼠色の髪と
虚ろな眼差しとぶつ切りの淡白な言い回しが雛宮の耳を舐め触る。
暫し呆気にとられていた雛宮がようやく意識をふり戻して、少女に言葉を返しはじめた。
「……興味ないように、映ったかな」
「絵の世界に疎いようにはみえた」
見事図星であった。
出来映えの良い絵画に胸打たれていたとはいえ美術分野に対する見識は雛宮にはない。
繰り返すが雛宮聖華とはちょっと理屈っぽい女なのだ。
ゆらりと銀鼠色の少女が近寄ってゆく。
緩やかな動作を取り少女が雛宮の横に並び立つと、腰まで届く彼女の髪の毛から石鹸の香りが油彩の立ち込める空間の中に振り撒かれた。
「おねえちゃん、なんていうか初めて絵の世界に触れたっていうような反応だった。ものすごく典型的な反応でクソほど美術オンチなんだろうなって思った」
(うっ)
「この絵……そんなに綺麗にみえた?」
雛宮は素直な気持ちで答える。
「……ええ、もちろん。わたし、初めてこういう絵を見て感動した」
「そう」
「あまり教科書で見るような絵は身に馴染まなくて……でもこの絵はちがう。芸術に疎いわたしでも素直に感動できたぐらい素晴らしい絵だった」
「そう」
「この絵を描いた人は間違いなく天才だと思う」
「そこまで言われると恥ずかしい」
思わず雛宮が「えっ」と漏らした。
銀鼠色の少女が、絵画の作者の正体を告げる。
「それ、描いたのわたしなの。わたし、一応イラストデザイナーを兼任してるプロの画家なの」
慣れた動作で少女がクレジットカードで支払いを終えると、店員からカウンター越しにドリンクの乗ったトレイが渡された。
トレイを受けとった少女が店奥のテーブル席へと足を運ぶ。
連れられた雛宮もちいさな少女の背を追ってテーブルの方まで歩いてゆく。
無事着席したふたりは互いに互いの顔を見合わせ、その距離感をはかっていた。
ふたりが訪れたのは館内隅に位置する暖かみのある色調の、風情のあるちいさな喫茶店。
絵画展に歩き疲れた人がひとやすみに訪れる休憩所的な役割を持つ飲食店だった。
暖色の灯り降り注ぐちいさな空間に、天井のシーリングファンが清涼な風をそよがせる。
銀髪の少女がプラスチックカップにストローを刺し、雛宮も頼んだアイスコーヒーに砂糖を注ぎはじめた。
机の隅から手に取り開いたスティック状の包みから黒の液体へと顆粒が落とされてゆく。
「あの絵を描いたって、本当? えっと……」
「"
「"未来"、ちゃん。未来ちゃんっていまいくつなの?」
「12」
「へぇ、12」
雛宮の意識がふきとんだ。
「……12歳!?」
「学校の授業の一環で絵を賞に送ったら入選した。そのあと偉い人が訪ねてきてプロになった」
「すごい……」
「……ただの趣味が発展しただけだよ。ずっと描くことが好きで、好きに描いてたらこうなった。そして次第に……」
少女、金戸未来が仕切りガラスを挟んだ向こうに見える、描いてきた数々の絵画の数を横目に覗きながら、こう述べた。
「デュエルモンスターズの"イラストデザイン"の仕事まで請け負うようになった」
砂糖を注ぎ続ける雛宮が聞いた。
「"イラストデザイン"?」
「デュエルモンスターズのカードって、外枠があってその枠の中にモンスターや、カードに伴った"絵"が描いてあるでしょ? いわば外枠は"額縁"……その額縁の中に描く絵のデザインを任されてる」
「……」
雛宮は思った。
(わたしいま、すごい人と関わっているんじゃ……)
「それで、色んなものをデザインしてきた。いま、向こうの展示室に飾ってある絵は全部、そのデュエルモンスターズの新しいカードの為にイメージイラストとして描き起こしたもの。叩き台みたいなものなの」
「あれが……」
「"ライトロード"や"妖精伝記"……その他もろもろ、いっぱい描かされた」
雛宮は続けて聞いた。
「いやなの?」
「ううん、たのしい。ただ……」
少しだけ表情を陰らせ目を伏せた未来が、先程までより沈んだ語調で、述べる。
「最近……悩みができた……」
砂糖を垂らしつづける雛宮は少女の言葉を拾う。
「悩み?」
「"この世でいちばん綺麗なもの"を描かなきゃいけなくなった」
「綺麗な、もの?」
「うん、綺麗なもの。いちばん綺麗じゃなきゃいけない」
「それも、デザインの仕事の為?」
「……」
少しだけ目をそらした少女が、詰まった喉を無理やり開くようにして、静かで沈んだ言葉をつげた。
「うん……そう、"デザイン"の一環」
どこか申し訳なさそうに目をそらす少女の姿が、砂糖を注ぎ続ける雛宮には不思議だった。
疑問にまなじりを開く雛宮がさらに砂糖棒の包みを開いてゆく。
が、程なくして少女は少しだけ晴れた顔つきに表情を一転させ、雛宮の方へと淡い光に輝く大きな瞳を向けた。
雛宮側に疑問符が浮かぶ。
「?」
「でも見つけたの、"いちばん綺麗なもの"」
「へぇ、どこにあったの」
雛宮がそう尋ねると、
「ここ」
と指を軽く差し向けて少女はそう述べた。
暫しの沈黙がふたりの間にただよう。
指先は雛宮本人の方へと向けられていた。
「……」
「……」
砂糖の包みを開きながら雛宮は恐る恐るたずねる。
「……わ、わたし?」
「そう、おねえちゃん。わたしが知りうる限りおねえちゃんほど綺麗で、完成されたものはない。まさしく"芸術品"そのもの」
「え、え?」
「だから……」
"頼みがある"、と前置いて少女は目の前の雛宮にこんなお願い事を突き付けた。
「おねえちゃんに、わたしの"デッサンモデル"になってもらいたい。"構想"のヒントを得る為にモデルをしてもらいたい」
雛宮は赤面した。
静かな言葉でつげられた、あまりの唐突なお願いに、頬を紅潮させる彼女は固まりふすことしかできなかった。
動作を止めた手が持つ、棒状の包みから砂糖の粒がコーヒーにまばらに落ちてゆく。
顆粒が黒液体の渦の中に溶け、段々と吸い込まれていっていた。
「モ、モモモ……モデル?」
「そう、モデル」
「"すもも"じゃなくて?」
「なに言ってるのおねえちゃん」
急な事をいわれても、と雛宮は困惑した。
そもそもモデルといわれて具体的に何をすればいいのかわからない。
とめどない困惑を雛宮が胸に寄せるその一方で──。
机を挟んで対面する未来には、ずっと気になっていたことがあった。
「……ところでおねえちゃん」
「なに?」
「それ、砂糖何本目?」
「15本目。わたし甘党なの」
(ええ……甘党って問題……?)
──というわけで喫茶店を出た雛宮は金戸未来に連れられて、ふたたび館内の中を巡り回っていた。
白色塗装の壁に飾られた絵画たちを横切り、美術品の並ぶ回廊を抜けていく。
鼠色の縦断の敷かれた脇道を抜け、雛宮は少女の背を追ってゆっくりと歩を進める。
雛宮の表情には多少の緊張の色が宿っていた。
「わたしのアトリエにいこう。おねえちゃん、ついてきて」
結局渋々承諾してしまったのがあの後の展開だった。
相変わらず淡白な、感情の色合いの薄い少女に促され、雛宮は良心の呵責に負けて彼女の依頼を請け負ってしまった。
こういう頼み事に雛宮はとても弱い。
無下に断ってしまうのはいささか偲びないと感じてしまう性質なのだ。
「ん……ちょっと待って」
ずいずいと館内奥に進んで行く未来を雛宮は呼び止めた。
「アトリエに行くんだよね? まさか館内にあるの?」
「うん、5階。最上階にある」
「……なんでそこにあなたのアトリエがあるの?」
「だって──」
少女はあっけらかんと言った。
「
「……」
思わず雛宮は言葉を失った。
「……ええ……?」
──あまりにスケールの巨大な話は置いておき、ふたりはスタッフルームの先にある階段を登り金戸未来の所有するアトリエにたどり着いた。
途中遭遇した男性スタッフが気持ちの良い笑顔で未来に「おつかれさまです!」と挨拶していたが即座に「はたらけ」と少女に切り返され露骨にしょげていた。
微妙にスパルタな一面を見た雛宮が少しだけ気まずそうに微笑む。
それはともかくとして、たどり着いたアトリエはとても清潔感のある様相を漂わせていた。
「ここが、わたしの
「わあ……」
等間隔に置かれた窓から差し込む夏の日射しは、薄命の光となってアトリエの室内を明るく照らし出していた。
開放感に溢れるほど縦横に広く、そして見上げてしまうほどに天井の高いこの部屋は一種のダンスホールと表しても差し支えないほどで、フローリング式の床も見事にワックス掛けが行き届いており無骨さがない。
柔らかな風に揺れたレースカーテンの向こうに覗ける深緑の木々の若葉は夏空の日射しに爛々と輝き、季節の香りを思わせる。
まさに、部屋そのものに呑み込まれてしまいそうになるほど綺麗で広々としたアトリエだった。
部屋の中心に立てられたキャンバスと、そのそばの画材が来客の目を惹く。
「あそこで、絵を?」
「そう、いつも描いてる」
画架の上に斜めに立て掛けられたキャンバスには何も描かれていなかった。
先導して未来が部屋の中心へと進んでゆく。
サッサッ、とキャンバスの表面を手で払うと少女は顔を振り返って雛宮を誘導した。
「さあ、入っておねえちゃん。
そう言って、少女は部屋の隅に置いていたソファとアンダーテーブルの一組からソファの方だけ部屋の中心へと引っ張りはじめた。
が、
「ん……!」
どうやら少女の力ではソファーを押すのは困難のようだった。
いくら腕に力を込めても顔が赤らむだけでビクともしない。
ふー、ふーと鼻息を鳴らすものの少女の努力が実る気配は全くなかった。
見かねた雛宮が手を貸す。
すると、ソファーは雛宮の手ひとつでひょいと持ち上がった。
「…………え!?」
思わず少女は絶句した。
自分があれだけ苦労してビクともしなかったソファーを軽々しく持ち上げて、そして向こう側に置いたからだ。
多くの疑問符が少女の頭上に渦巻く。いったいどういうことなのかと、考えても答えは出せなかった。
「これでいいんだよね?」
「え、あ、ああ、うん……」
ケロッとした様子の雛宮に呆気に取られるしかなく、少女はひとつ咳払いして今の出来事を忘れることにした。
“いったい今の怪力はなんだ……?”なんて考えたところで答えが出ないのはわかりきっていた。
──ともかく未来は雛宮をソファーに座らせ、デッサンの準備に取り掛かった。
雛宮がソファーに腰を埋めて、対面側に座る未来が画架にキャンバスを用意してパースを計る。
右手に握るペンを縦に構え、窓から差し込む光に照らされた雛宮の姿をその瞳に見据える。
ありていだがまさに“立てば芍薬、座れば牡丹”という表現が好ましかった。
(やっぱり……綺麗……)
女性の自分から見ても美人なのだから、男性からすれば相当なものなのだろうと未来は思う。
立てた筆の先で、淑やかな面持ちで座る雛宮を眺めて、ようやく作業に取り掛かる。
しかしその際、なんだか雛宮が緊張した面持ちを見せたのは気のせいだろうか。未来は思った。
──デッサン作業は順調に進んでいた。プロの画家である未来にとってみれば模写は難しい作業ではない。
なんなら幼少の頃から周囲のものをなんでも模写してきた彼女からすればこれは得意中の得意といえるものだった。
しかしなんだろうか、対する雛宮の表情が浮かばない。
──緊張しているのかな? そんな風に未来が考えた矢先。
「……これってさ……」
雛宮が素頓狂なことを言い出した。
「いつ、脱ぐの?」
未来の表情が固まった。
「…………」
作業の手を止めた未来は、恐る恐る訊ねるように聞いた。
「……え? なに言ってるの?」
「いやだって、“絵のモデル”でしょ?」
「そうだけど?」
「脱ぐんじゃないの?」
「…………」
暫く考えた末、率直に未来が雛宮の間違いを的確に告げた。
「……それ“
今度は雛宮の表情が固まった。
「……」
見る見ると、紅潮していく雛宮の顔があった。
「……──~~!!」
そして我慢できなくなった未来が、とうとう吹き出してしまった。
「……ぷふっ! ウソでしょおねえちゃん、“デッサンモデル”を“裸婦画”と勘違いしてたの!?」
これは面白いものを見たとばかりに未来は大笑いし始めた。
清楚、品行方正を気取っていた雛宮の表情がみるみる瓦解していく。
羞恥心にその目をかっぴらき、胸の奥からあふれてくる恥ずかしさに雛宮はただただ何も言えずその場で固まるばかりだった。
頭から湯気立つほどに顔を赤らめる雛宮に、未来が追い打ちをかける。
「ちょっとさすがに、“デッサンモデル”を“裸婦画のモデル”と勘違いした人は見たことないかな、あはははははっ!!」
──結果、雛宮はアトリエの隅っこでいじけるハメになった。
「ごめんってば、おねえちゃん。ごめん」
さすがに笑いすぎたと、反省した未来が体育座りする雛宮を励ましにかかる。
「まさか、そんな“天然”な人だとは思わなかったの」
──逆効果、更に雛宮の機嫌を損ねることとなった。
いや悪気はなかったのだが……と言葉の選択を間違えた未来がひとつ頭をかく。
「ごめん、ちょっと休憩しようか。あっちでお茶飲もう」
「……うん」
取り敢えずテーブルに誘い、雛宮の機嫌を治すことに務める未来。
「ハ゛ァ゛」と力強くため息をついて座る雛宮に思わず未来が苦笑いする。
しかしふと、そこで雛宮があるものに気づいた。
「ん……これなに?」
座った先で、何かのイラスト原稿の数々がガラステーブルの上に置いてあった。
聞かれた未来がテーブルに両肘を乗せて答える。
「ああ……これ、“デュエルモンスターズ”のモンスターデザイン案」
「ああ、これが」
へぇ……といった様子で原稿を手に取る雛宮の姿があった。
次々と原稿を見ていくうちに、雛宮の表情が自然と笑顔を作っていく。
鉛筆で描かれた質素なものなのだが、それでも雛宮は未来の描いたデザインに興味を惹かれているようだった。
「こういうところから、“デュエルモンスターズ”のカードって出来上がっていくんだ……」
どこか感慨深げにそう漏らす雛宮が、静かな微笑みをつくった。
頃合いに乗じて、未来は口を開いて語り始めた。
「……おねえちゃん、わたしね、結構この仕事に誇り持ってるんだ。……わたしの描いたカードを使ってくれる“
「うん……」
「さっきはごめんね。わたし、こういう職業柄部屋にこもりっきりで作業してるからあまり人と接してこなかったの……だからおねえちゃんとの距離感間違えちゃった。ごめん……」
「……」
それが本心からの反省であると、原稿を握って聴く雛宮は容易に理解できた。
先ほどの羞恥の一件を水に流して微笑みを向ける。
そもそも謎の勘違いをしていた自分が悪いのだからと、雛宮は優しく未来を見つめた。
「ううん……わたしの方が悪かったの。早とちりしたのはわたしの方だったもの」
「え……?」
「わたしもこういうのあんまり慣れてなくて。──わたしってよく、周りから“真面目な人”とか“お堅い性格”とか色々言われるんだけど、そんなの全然、全然そんな性格じゃないの」
「おねえちゃん……?」
「なんていうかな……」
──雛宮自身、こういう風に素で話せるのは久しぶり、いやもしかすれば初めてのことだった。
“周囲の認識”にあわせてきた生き方。ふと気づけば、自分はいつの間にか周りの人間が思い描く“雛宮聖華”というキャラクターを“演じてきた”気がする。
本当はそんなことないのに。本当の自分は天然で、ドジで、どこか抜けているのに。
「なんていうかな……こんな風に“素”で話せたの、久しぶりな気がする……」
そしてそれは、金戸未来も同じだった。考えてみれば、さっきのように“素”で大笑いしたのは久しぶりのことだった。
そして雛宮は決心したように顔をあげる。
「……未来ちゃん」
意を決したような雛宮の呼びかけに、未来が静かに反応した。
胸に手をあて、淑やかに微笑み、頭を傾けた雛宮はすべてを委ねるようにして少女にお願いした。
「いくらでもわたしのこと描いていいよ。どうかわたしの“本質”をちゃんと描ききってね。金戸未来ちゃん」
──呆けた表情から一転して笑顔を浮かべた未来が、快諾に頷く。
「──うん!」
どこか不思議な切り口から、確かな“友情関係”を結び始めているふたりの姿がそこにあった。
──すっかり日も暮れ落ちて、空には夜の帳が膜を張っていた。
外まで一緒に出た雛宮と未来は、すでにその間に親密な友人関係を築き上げていた。
描き上げたキャンバスを両腕に抱きあげた未来が、雛宮の姿を見つめあげて彼女の瞳に感謝の眼差しを贈る。
雛宮もまた、後ろに父の乗る高級車を待たせながら、未来との別れの挨拶を済ませようとしていた。
「どう? わたしの絵は、ヒントになった?」
「うん! おねえちゃんのおかげで参考になった」
「そう……よかった」
別れ際、未来は不安げに見つめて聞いた。
「また会える?」
雛宮は優しく微笑んで、“もちろん”と頷いた。
「もちろん。また来るから、その時は絵の世界の事、もっとよく聞かせてね」
「うん!」
未来の元気な返事を聞いて、雛宮はぽんぽんと彼女の綺麗な形の頭を撫でた。くすぐったそうに未来が目をつむった。
挨拶を済ませた雛宮が後部座席のドアを開ける。
最後に雛宮は、
「またね」
と言って、夜の街並みに消え去っていってしまった。
車の排気音の残った夜空のその下で、キャンバスを抱き締めた未来は、去りゆく雛宮の姿を見送りながら、ひとりつぶやいた。
「またね……雛宮"おねえちゃん"……絶対だよ……」
見送りを終えた未来が美術館の方へと体をひるがえす。
名残噛み締めるように微笑みを漏らす未来は、とても満足気な表情でアトリエに戻っていった。
途中また男性スタッフに挨拶されたが即座に「はたらけ」と切り返した。
そこは相変わらずな少女が夜のアトリエに戻った際、
テーブルの上でバイブレーションに揺れる自身の携帯端末の存在に気づいた。
「ん……?」
抱えていたキャンバスをそばに置き、急いで着信元を確かめに揺れる端末の方へ走る。
トタトタとフローリングを走り鳴り響く緑の携帯端末を取り上げ着信画面を覗く。
そこには、"おねえちゃん"と着信名の記された発光画面が広がっていた。
「あっ……」
急いで画面をタッチし、未来は"おねえちゃん"の着信に出る。
耳下に流れてくるそのよく知った声を聞き、未来は親愛の笑みを浮かべて着信先に応答の言葉を示した。
その笑みは、先ほど雛宮に向けられていたものとは、また違った。
「"おねえちゃん"? ……うん、うん。わかってる、大丈夫だった? うん……そう、うまくいったんだ……」
──声を落とした未来が言葉を続ける。
「うん……こっちも"うまくいけた"」
未来は、"今日得た成果"の話を、通信先である"おねえちゃん"に対して語りはじめた。
「"おねえちゃん"の新しい"顔"──」
未来は、今日築き上げた信頼関係を利用して、"ある計画"を実行に移そうと画策していた。
少女、"金戸未来"もまた──。
「──わたしの"サイコ能力"で、うまく"デザイン"出来ると思う」
──ネオ童実野シティに潜む、サイコ能力を持つ人間のひとりであった。