暖色に輝く炎が赤蝋に灯ったその時、闇に塗り潰された部屋に柔らかな光が広がった。
三又の卓上蝋燭に三点の
橙色に照らされた艶やかな少年の素肌がほのかな灯りの中に映る。
目深に茶色のフードを被り世間から姿を隠した少年はこの"暗がりの洋室客間"にその身を潜ませていた。
赤みがかった髪色の少年、赤堀陸が対面席の男に聞く。
「聞きたいことがある」
対面席の"黄金色の髪の男"は言った。
「雛宮聖華のことでしょう?」
独特の緩急と抑揚、イントネーションから繰り出される言葉であった。
不敵かつゆったりした口調が男の特徴。"検察局"上層部の象徴である"黒革のコート"に身を包んだ緩やかな垂れ目の男は前から丁寧にかきあげられた長髪を艶めかせて、脇にある資料を取り出した。
男の様子を見ていた赤堀陸は述べる。
「知っていたんだろう、彼女が生きていることは」
「当然でしょう。市民の取締、監察がある種、私達"検察局"の本分なので」
フードの少年は不服を申し立てた。
「なぜ言わなかった」
「聞かれなかったからですねぇ。頼まれないことはあまりしない主義ですので。なにより問題点になるとは思わなかった」
「……」
少年は諦めたように嘆息する。
「まあいいさ。"当時の捜査資料"を読み上げてくれ」
「はいお任せくだされ」
"検察局"の男が"当時"の"捜査資料"を読み上げる。
「"2年前"、ネオ童実野シティ郊外の山間部に建てられていた所有地、"雛宮家"の別荘が焼き払われる事件がありました。犯人は不明、被害者は"雛宮総志"とその他雇用者の召使い複数名。一夜にして山奥の別荘地が焼き払われた事件は一部では大きなニュースになりました」
男の読み上げは続く。
「しかし当事件ではかろうじて生存者がいました。召使いのメイド長と亡くなった雛宮総志の"娘"です。当初"意識不明の重体"で運ばれた彼の娘は息を吹き返し、一命を取り留めた。そしてその娘は名前を問われたとき、確かにこう述べたそうですよ」
男と少年の視線が交錯する。
「雛宮総志の娘の、"雛宮聖華"だと」
そこまで述べると、赤堀陸が合いの手を入れた。
「おかしい」
はっきりとした意思表示をあらわにして少年は言う。
「まず"意識不明の重体"という点で俺の解釈と齟齬がある」
読み上げを中断した男は聞いた。
「と、いいますと」
「まず彼女はあのとき確かに"死んでいた"」
ほお、と男はつぶやいた。
「リクさん、あなたあの現場にいらっしゃったんですか」
「ああ、少しわけありでな。だが確かにあそこで"彼女"を見たのは確かだ」
男は面白そうに顎を揉む。
「不思議ですねぇ、リクさんが嘘をつく理由もないでしょうが、しかし事実"彼女"は生きている。少なくとも自らのことを"雛宮聖華"と名乗る彼女は今、"市役所"に勤め"仕事"に励んでいる」
「"治安維持局、特別対策室"」
近くの"サイコロ"を掴み弄び出した少年は意見を述べる。
カチャリカチャリとふたつの賽が擦れあう。
「"別人"という可能性は?」
「んー」
少し悪戯げに言葉を溜めて目の前の男は少年の言葉を否定した。
「ほぼありえないでしょうね」
「なぜ?」
「当時の"遺伝子検査"で"本人"だと断定できているからです。"遺伝子"は嘘をつけません」
「……」
「リクさんとしては残念ですが、彼女は間違いなく──」
目を細めるように不適に笑んだ男の言葉が、静かな空気に波紋を呼ぶ。
「あれは、"雛宮聖華"そのもので間違いないと思いますよ。リクさん」
不満げな表情を浮かべる赤堀陸が、視線を逸らした。
「そう、か……」
肘掛けに肘つき、顎に拳を当てた赤堀陸は思慮に更けっていた。
2年前のあの時の"記憶"。
「飛んでいたんだ」
「はい?」
「確かに確認した彼女の、あの"死体"のそばで」
炎に包まれる邸宅。
そこからある程度離れた山奥の夜の森林。
夜陰に紛れて木陰の下で、確かに命途絶えた少女のそばで、ぼうっ、と虚ろに
あのとき闇に紛れてちいさくはばたく、"青い蝶"を見た。
「一匹の──"アオスジアゲハ"が」
第二話 "虚演"の治安維持局。
「──ところで、いいのか?」
「この前の一件に出てきた、"牛尾哲"という男は」
「おまえの元"上司"なんだろう?」
──チリンチリンと音を立てるドアベルが、朝の喫茶店に訪問者の存在を鳴り示した。
客ではない。
ショルダーバッグを肩に抱え、レディススーツに身を包んだ"市役所"からの使いが、その姿を表して古風な喫茶店の入り口に現れた。
大きな瞳にくっきりとした二重を浮かばせ、きめ細やかな雪肌に艶やかな濡羽色の髪を降ろした可憐な少女。
"close"と札のかけられた喫茶店に現れたのは、つい先日"治安維持局"を再興させた件の張本人、"雛宮聖華"の姿であった。
「ごめんくださーい……」
人気のない喫茶店の奥に向かい、朝早くの訪問者である雛宮は、粗相のないように控えめな声で家主への呼び掛けにつとめた。
反応が遅い。雛宮はふと店内を見渡す。
それほど間取りの広くないちいさな喫茶店だ。
木製のカフェカウンターとそれに連なるカウンター席。その対面側に黒樫のテーブルと赤革のソファーというのは、とかく一般的なカフェや喫茶店にあるようなオーソドックスな配置模様であった。
ひとしきり彼女が興味の眼差しで店内を見渡せばそれが終わると同時に、店の裏から家主、もとい
少しばかりの薄い
「市役所の方ですよね?」
経営者の女性がそう述べると、
「はい」
対する雛宮は折り目正しく丁寧に自己紹介を始めた。
「ネオ童実野シティ市役所"保護課"の、雛宮聖華と申します」
女性が市役所に訪れたのは数日前だ。
ネオ童実野シティが6月に差し掛かり夏の煌めきを増してきたその頃。
街の一角で寂れた喫茶店を経営する彼女は、一緒に住む"息子"の異変に気付き、相談する相手のいない中、藁にもすがる思いで市役所の"保護課"を訪ねてみた。
──その後、巡り巡って雛宮のもとにその一件が回ってきた際、他の職員づてに女性の話を聞いた彼女は、ある"可能性のひとつ"を感じて直ちにこの一件を請け負い女性のもとを訪れる事に決めた。
ここ"喫茶店モラトリアム"に訪れたのはその為である。
「どうぞ」
カウンター席でブラックコーヒーを受け取った雛宮が一口すする。
焙煎された豆の香り引き立つそれを直に口の中に転がして、じっくりと飲み込んだ彼女は思わずまなじりを開くようにして味の感想そのままに舌鼓を打った。
「おいしい!」
「ありがとうございます」
両手に優しく添えられた白のコーヒーカップの中で黒の液体が小さく跳ねて踊る。
割とブラックコーヒーを嗜むほうの彼女だが、そんな彼女からしても差し出されたこのコーヒーは今まで飲んできたものの中でも格別と評せるほどに風味の良いものであった。
これで近々店を閉める予定だと目の前の女性は述べるのだから喫茶店の経営とは想像以上に難しいと雛宮は考える。
ある程度香りを嗜んだ後、本題に入る。
今回の要件を請け負った雛宮は詳しい話を女性から聞くことにした。
「それで、早速今回の要件なんですけども──」
──カウンターに湯気立つコーヒーを残して店主の案内のままに店奥の居間に上がり込ませてもらった雛宮は、店主の促す方向のままに"二階の屋根裏部屋"に続く木製階段を昇っていた。
話によると"アトリエ"があるらしい。店主は息子の邪魔になるから二階に上がりにくいと述べ一階で待つようにしていた。
キィキィ……と軋む、微量の埃が舞う暗がりの階段を上がってゆく。
手刷りを頼りに不安定な足場を上がっていった。
すると、
「……ふんっ、んっ、ほっ、ほっ!」
なにやら力というか、気合いを込めている感じの声が聞こえてきた。
階段を上がりきった雛宮が例の"アトリエ"の姿をその目に捉え込む。
そこは雑多な物置に近い、申し訳程度に開けられた一枚の窓が設置された、埃だらけの屋根裏部屋だった。
「……んっー! ん……。──はあっー!」
どうやら声の主はこちらに気づいていないらしい。
部屋の中央に座り込み背中を向けて何かに集中する"男性"を覗くように見て、雛宮はひとつ声をかけた。
おそらく彼が店主の言っていた"息子"だろう。
「あのー……?」
こちらの声に気付いた"水色カッターシャツ"の男性が静かに振り返る。
「なんだよ母さん、ご飯ならあとに──」
純朴そうな色めきを放つ男性の眼差しが、母親と勘違いされた雛宮の姿をその瞳に受け取る。
まさかの人違いに一瞬呆けにとられた"栗色髪の男性"は、慌てて立ち上がるようにして雛宮に向かって挨拶をした。
「あ……ああすみません! てっきり母かと!」
男性は続ける。
「……えっと、貴方は……?」
クスりと微笑んだ雛宮が、笑顔を持って挨拶を返した。
「申し訳ありません、紹介が遅れました。わたくし、市役所保護課の"ケースワーカー"、雛宮聖華と申します」
真木宮卓也、20歳。
現在ネオ童実野シティ中央区に位置する美術大学に通う二年生で、喫茶店を経営する母と共にこの喫茶店モラトリアムの母家に住んでいる。
栗色に染められたショート丈の髪に、ゆらりとした背の高い細身にヨレた水色のカッターシャツというのが彼の基本の出で立ちで、第一印象ではどこか"ダウナー"な印象を受ける人物である。
しかし実際は美術、もとい"絵"に情熱を注ぐ芸術家気質で、意外と温厚というかどこか優柔不断な性格もあって人当たりは良い。
──というのが雛宮が下に居る真木宮卓也の母から聞いた話である。
つまり彼は芸術家志望の大学生ということなのだが──。
「"スランプ"。そうお母様からお聞きしました」
色褪せた木製の丸椅子を用意してもらい、それに腰掛けた雛宮が同じく丸椅子に腰掛ける真木宮のほうに向かってそう述べた。
真木宮は引きこもりであった。
小恥ずかしそうに頭をくしゃくしゃと掻く彼がうつむき加減に述べる。
「はは……その通りです。なんだか絵が描けなくて」
彼のそばには"
キャンバス等を立てかけるあれだ。
その画架の端々には緑や赤など様々な絵の具の染み付いた跡があった。相当使い込んでいるのだろう。
「僕、元々はデュエルモンスターズの"デザイナー"志望なんですけど」
おもむろに画架に触れた真木宮は語る。
「僕には才能がなかったみたいで」
ははは……と物憂げな眼差しで、画架を可愛いがるように触れていった真木宮の言葉は、"才能がない"と自虐する部分だけ、どこか真摯に訴えかけてくるものがあった。
そういった分野の良し悪しは大きく"才能の高さ"に依存する。
"持たざる者"が容易く触れて良い世界ではないことは雛宮にも充分理解できていた。
少し重くなり始めた雰囲気の中、話は方向を変える。
「それでその、お母様から事前に聞いていたのですが……」
雛宮は先程の"件"について言及した。
「さっき"ふんっ!" とか、"はぁ……!!"って脱糞するかの勢いで何かに気合いを入れるような声を出していたのはいったい……?」
(見た目の割に汚い事言うなこの人……)
真木宮は立ち上がり、説明する。
「信じて貰えないとは思うんですけど……」
先程取り扱っていた"モンスターカード"を取り出し、真木宮は腰掛ける雛宮聖華にそれを差し出してきた。
モンスターカードの名は"リード・バタフライ"。"アオスジアゲハ"をモチーフとしたデザインのモンスターだ。
「僕、このカードの"精霊"をもう一度呼び出そうとしてたんです」
リード・バタフライのカードを受け取った雛宮が、真面目な顔をして語る真木宮に答える。
「なるほど」
ごく普通の口調であった。
対する真木宮は述べる。
「あ、信じてないですね」
「いえいえ、そんなことは」
"息子に起きた異変"とはこの事であった。
絵のスランプに陥り数ヶ月、最近家に引きこもるようになって幾数週間。
二階のアトリエで密かに息子がなにかを始めだした事に真木宮の母が気付いた。
聞けばなんとカードの精霊を呼び出そうとしているらしいのだ。
「本当なんです!」
必死な真木宮が丸椅子を蹴るように立ち上がり、微量の唾とともに圧をとばした。
「昔、まだ高校生だった頃、悩んでいた僕の前に
支離滅裂になりかけてきた自らの話を払うようにして、真木宮がひとつふたつ頭を振って若干の冷静さを己の思考に取り戻す。
彼は自分の感情的な振る舞いが雛宮の迷惑にしかなっていないと気付いた。
「すみません」
落ち着きを取り戻した真木宮はふたたび席に腰を降ろした。
彼も人の子、上手く運ばない現実に焦っているのである。
静かに彼の様子を見守る雛宮にはそれがよく理解できていた。
「"スランプ"に陥って以降、ずっと昔にした"約束事"に苛まれるようになって」
ようやく熱さを退かせ、冷静さを取り戻した真木宮が再び静かに画架に触れる。
すると突然、自分から存在を遠ざけるように画架と美術用具を仕舞い込み始めた真木宮は、暗い背を向けて雛宮にこう述べはじめた。
下がり調子の声が雛宮に響く。
「たぶん、母さんに言われてきたんですよね。息子の引きこもりをどうにかしてほしいって」
雛宮は素直に答える。
「はい」
「本当は理解してるんです。このままだと駄目だって」
道具を部屋奥に仕舞い直した真木宮が、暗い面差しをむこうに向けて、彼が述べる。
「でもだからこそもう一度、あの"導きの青羽蝶"を見たくて。大きく悩んでいたあの時にみた、あの
窓を開き、陽光を部屋に取り入れた真木宮は、語る。
「──もう一度勇気がもらえる気がしたんです。なんとなく──」
──それから。
当の真木宮卓也の事情を把握し、理解した雛宮は、また後日訪問する約束を彼に取り付けて今日のところは一度おいとますることにした。
今日中に解決できる問題ではないと判断したためだ。
市役所に戻った雛宮が一階のロビーで丁度、市長室から降りてきた牛尾と鉢合わせる。
「おっ」
「あっ」
──そうして場面は先の休憩室の状況に移る──。
「金戸未来?」
昼休みの休憩室。
明後日に開かれる絵画展のペアチケットを牛尾から受け取った雛宮はそう言葉を返した。
聞き覚えのない名前。
彼女は素直に質問に対する言葉を述べる。
「いや……? 知らない名前ですけど……」
「そうか」
なんのことはなく、ただ牛尾も雛宮の言葉に相槌を打った。
まあ皆が皆デザイナーに詳しいわけでもないだろう。
それこそ有名な芸能人でもなければ一般の人間が名前を知る由もないだろう。
そう──それこそいま、市長イェーガーが執心している"早河かれん"でもなければ。
まあとはいえ、絵に無頓着な自分が持つよりは雛宮に譲る方がよろしいだろうというのが牛尾の考えであった。
「良かったらやるよ」
「いいんですか?」
「まあ俺なんかが持っててもな」
そんなこんなで交通課を巡り巡ってたらい回しにされたペアチケットは無事、雛宮聖華のもとに行き届いた。
チケットを両手に取り、まじまじと眺め上げる雛宮が礼を述べる。
「ありがとうございます。……へぇ、絵画展かぁ。わたし行ったことないや……」
早くも絵画展に思い馳せる雛宮。
と、そこまで呟いて「あっ」と気付いたようにちいさく声を挙げた。
もしかしてとばかりに雛宮の瞳が牛尾に向く。
「ペアチケットって、もしかして」
"お誘いですか?" と述べようとしたとき、
「あっ?」
即座に牛尾の弁明が
「あ、いやいやそういうんじゃない!」
48歳の男が18歳の少女を誘う。
流石に犯罪的だ。飽くまで
牛尾は雛宮のことを"そういう目"で見たことはない。
「たまたま俺に回ってきただけなんだよ。でも、俺ぁ絵になんか詳しくはねえからな。なにより、ほら、おまえさん疲れてるだろ。そのねぎらいにさ」
「……そう見えますか?」
「そりゃあそうさ。だってよ」
ここ最近の雛宮の活動を見てきた牛尾は語る。
「おまえさん、"保護課の仕事"と"局長の仕事"を両立してんだろ? さすがに働きすぎだと自分で思わねえか?」
しかし当の雛宮は疲れたような素振りは見せなかった。
「そうですか?」
笑顔を"作った"雛宮は朗らかな表情で答える。
「でも、"ケースワーカー"としての仕事も
「いや、まあ、そりゃそうだがよ」
うーむ……と小さい反論をされた牛尾は少し困ったようにその大きな腕を胸の前に組んだ。
"ケースワーカー"。
市役所保護課の職員が担当する、生活困窮者など生活に困った市民の相談役を担う仕事だ。
ケースワーカーひとり辺り"100人"以上の市民の担当を持つこともめずらしくなく、それゆえに保護課のケースワーカーは月に何度も家庭訪問をすることが多い。
つまり"外回り"の仕事に就くことが多い。
ということはそれだけ負担のかかる仕事だということである。雛宮も例外ではない。
"治安維持局特別対策室"の仕事と"保護課"の仕事の両立する"日常"。
「わたしなら大丈夫ですから。それじゃあ、そろそろ仕事に戻りますね、牛尾さん」
とてもじゃないが牛尾には真似できそうな行いではなかった。
「チケット、大切に使わせてもらいますね!」
──休憩室を出て、また仕事に身を投じはじめた雛宮の後ろ姿を見送って牛尾はひとつため息をつく。
(……"正義"や"慈愛"、その両方に則って行動するのを咎めはしねえけどよ……)
──本当にだいじょうぶなのだろうか。"子供"を見守る牛尾は不安だった。
(一歩間違えると"容量不足"に陥るんだぜ……雛宮)
不安げな眼差しで雛宮を見送る牛尾の表情に確かな懸念が表れていた。
──と、そこでまた、出ていった雛宮と入れ換わるように休憩室に入ってくるひとりの"男性"の姿があった。
「牛尾殿、ここにいましたか」
それは先程、執務室で"早河かれん"に執心していたイェーガーの姿であった。
「市長?」
「いえ、先程の執務室での件、なにか用事があったんではないかと、つい」
「もう遅いっすよ」
既に絵画展のチケットは雛宮に渡したばかりだ。
少し呆れ調子の牛尾に対しイェーガーは特に取り沙汰すこともなく静かに「そうですか」と返した。
「……? 市長……?」
イェーガーの意識の矛先はどうやら"別の方向"に向いているようだった。
先程"すれちがった人物"の方をふと振り返るようにして、彼は後ろの牛尾に向かって訊ねる。
その様子は、先程アイドルに夢中になっていた時の様子とは"対照的"であった。
「"聖華"と話していたんですか?」
めずらしくのし掛かるような重たい語調が、牛尾の虚を突いた。
「……そうですが……?」
冷房の効いた休憩室の空気が、
イェーガーの放った、先程の様子とはそぐわないような重々しい調子の言葉は、ひとつの緊張感を休憩の時間に身を委ねる牛尾にもたらした。
「な……なんです? そんな改まって」
「……」
いつもの飄々とした様子ではなかった。
「いえ、その……そろそろ話しておくべきだと思いまして」
固く見合わせるイェーガーの強い眼差しが、牛尾の緩んでいた心構えを、突く。
「"雛宮聖華"の"素性"と、"過去"について」
──休憩室の隅の窓辺に止まっていた一匹の"アオスジアゲハ"が、飛び立った──。
──場面は洋室客間に戻る。
「こちらからもお聞きしてよろしいですか」
"捜査資料"を読み終え、"黒革のファイルブック"をゆっくりと閉じた検察局の男は対面の赤堀陸にたずねた。
「なぜ"雛宮聖華"に固執するのです?」
蝋燭だけがほのかに照らすその卓上に、一枚一枚カードが並べられていく。
"愛用のデッキ"のカードを丁寧に並べながら男の話を聞く赤堀陸は、質問の内容をじっくりと噛み締めるように、目深に茶色のフードのかけられた頭を上げた。
穏やかながらも儚く閉じられた瞼が揺らめく蝋燭の火に照らされる。
ゆっくりと開かれた唇から質問の答えが、緩やかな口元と表情で構える男に、返される。
「単純さ、"悪"だからだ」
「はっ?」
「俺はあの女の"やったこと"を忘れない。俺が知る限り、彼女、"雛宮聖華"とは──」
少年の"真紅色の瞳"が開かれる。
卓に叩きつけられた"デブリ・ドラゴン"のカードが──空気に波紋を起こした。
「──"
"起こされた波紋"が、悠久のネオ童実野シティを、"運命"に呑み込んでゆく──。