ダイモンエリアと呼ばれる地区があった。
かつてネオドミノシティの無法地帯と呼ばれていた場所で、20年前に人々を騒がせたサイコデュエリスト”黒薔薇の魔女”の出没する地区として一部の界隈に有名だった街のエリア。
そんなダイモンエリアも現在は都市計画が見直され、今や夕方には多くの人々が行き交う歓楽街に姿を変えていた。
蛍光色で彩られた看板が掛けられた店舗ビルの数々に景色を覆われた歓楽街。黄昏に照らされた空を落ちる夕陽がビルの谷へと沈み込んでゆく。
ダイモンエリアの一角、路地裏。地下へ続く階段の先に設けられた洋酒屋の下げ札がcloseから裏返される。
開店のため札を”open”の文字が書かれた方へとひっくり返した洋酒屋の店主、バーテンダーが店内のカウンター内側へと戻り、ふたたび布巾でカクテルグラスを拭き上げ始めた。
店主の名前は”氷室仁”といった。
昔、プロデュエリストから落ちぶれ賭博デュエルに手を染めたことで収容所に収監され、囚人となったことのある男だった。
ふとしたきっかけで釈放され、そして同じく収容所に収監され面識のあった不動遊星の戦いを見届けた男。
そんな男もそれからの十数年の間にちいさな洋酒屋をダイモンエリアの一角に開くまでになっていた。
今夜も店を開いて、洋酒を飲みに来る客をただじっと静かに待つ。
そして今日も聞きなれた扉鈴が鳴った。客の訪れ。
しかし、
「ん……?」
そこには見慣れない、しかし懐かしい顔の頬傷の男が入り口に立っていた。
「もしかして……牛尾の旦那?」
出されたカクテルを一気に喉に流し込む壮年の男がそこにいた。
見た目体育会系の暑苦しい男が洋酒屋の席に居座るという中々ミスマッチな光景なのだが、そもそも氷室自身の見た目も他人のことをいえない筋骨隆々ぶりだったので何もいえない。
なにより、元”治安維持局”の人間と元”囚人”がこうして酒を挟み面と向かい合っているのも中々に貴重な光景であった。
「繁盛してるらしいな」
第一声は牛尾だった。元治安維持局員がグラスを降ろして氷室を見上げる。
氷室はベタに返した。
「おかげさまで」
「なにがおかげさまだか。俺はおまえをしょっぴいてやっただけだ」
「いや、ある意味そのおかげですよ」
逮捕され、収容所に収監されなければ不動遊星や矢薙との出会いもなく、自分が変わるきっかけもなかったので間違いではない、と氷室は考えている。
ある種治安維持局に感謝している部分もあるのだ。
その治安維持局はいまや解体されてしまったが。
「で、旦那はいまはなにしてるんですかい。
「治安維持局の一員だ」
「は?」
一瞬、”ボケたか? いろんな意味で”と考えた氷室だったが、目の前に座る男は器用な冗談を言える男でもないので、ここはとりあえず聞き上手のバーテンダーとして牛尾の話を掘り下げてみることにした。
「”治安維持局の一員”、って?」
「そのままの意味だ、”再興”したんだよ。まあ、いろいろあってな」
「はあ……」
元々市民の不満を理由に解体された組織だったはずだが、わざわざ再興した理由は如何ほどに。
いまいち牛尾の状況が把握できない氷室だったが、しかし聞き役であるバーテンダーとしては大事な客の話を遮るわけにはいかない。
氷室は当たり障らず聞き役に徹することにした。
そして──。
「いやまあ、つまり……その”治安維持局の再興”の、”言い出しっぺ”のやつに関する話なんだがよ」
牛尾はどこか億劫に、そしてやるせなさそうに目を伏せて、氷室にその”言い出しっぺの少女”の話を始めた。
「ちょっとわかんなくなっちまったんだ。今日、休憩室でイェーガー市長からそいつに関する話を聞いちまってからな」
──そして、ひとしきりその少女の話をしたあと、牛尾は何も返答を求めることなく酒の代金を置いて帰っていった。
牛尾が話した、”謎の少女”にまつわるその話を静寂な空間の中でひとり氷室は思い返す。
じっくりと思い返すように淡い照明の光る天井を仰ぎ、牛尾の飲み干したグラスを洗い終えた氷室は、誰に聞かせるでもなく、ふと抱いた”予兆”を感じてひとり静かにごちた。
「この街の中で……またなにか、起ころうとしているのか……?」
「ゲッフ」
氷室の洋酒屋をあとにした牛尾は帰路についていた。
もう既に陽は落ち、薄雲の波間に三日月の照る夜。
洋酒屋で飲んだ強い酒に酔い、千鳥足とまでは言わないが半ば顔を赤くして帰り道を歩いていた牛尾は、帰路の最中ブランコのある市民公園の近くへと差し掛かった。
公園の横を通り過ぎる折、ふと横目に公園の中の方をちらりと覗く。
「ん……?」
すると、なんと公園の中に、ブランコに静かにたたずむ、銀鼠色の髪の毛のちいさな少女が座っていた。
力無く頭を前に垂れ下げ、キィキィと鎖を鳴らしながらブランコに身を預ける少女。
どこか憂いを帯びたように物思いに更けた様子でたたずむ少女が牛尾は気にかかった。
(あの制服……アカデミアの)
少女が着用している学生服から、彼女が未成年であることはわかった。
一応、曲がりなりにもそういった職務に殉じている牛尾としては真夜中に未成年がひとりうろついているのを黙ってみているわけにはいかない。
牛尾は公園の入り口間際から少女に酒酔いで若干呂律の回らない声で呼び掛けた。
「おい、おまえさん」
「……! あ、はい」
「未成年だろ。ひとりでほっつき歩かずさっさと家に帰りな」
牛尾の呼びかけに咄嗟に顔を上げた少女はふたつ返事で”あ、はい……わかりました”とだけ答えてそのままもう一度ブランコで項垂れ始めた。
たくっ、と悪態ついて牛尾も公園を通り過ぎ去る。
──と、見せかけて牛尾は踵を返してふたたび公園のブランコを覗いた。
制服少女に帰る素振りは見られなかった。
「おまえさん、帰る気ないだろ?」
「あっ……」
ふたたびドキリとしたように顔を上げた少女は、”ごめんなさい”と述べて申し訳なさそうにしながらもふたたびその場にうつむいてしまう。
職業柄、未成年に出歩かれては困る牛尾は行き場のないため息をつく。
どうやらこの少女、なにかあったようだと推察した牛尾は少しだけ彼女の話を聞いてみることにした。
「ったく……辛気臭い顔してるが、なにかあったのか、キミ」
酒酔いした男が未成年の少女に絡むという見るからに典型的な事案の構図といってもよい光景なのだが、放っておくわけにもいかないので警戒を承知の上で牛尾は少女に話しかけた。
ふたたび少女が顔を上げる。多少戸惑いの色を見せた銀鼠色の髪の少女だったが、さほど警戒心を表さず少女は目をうつむかせた。
「あ……えっと、その……」
若干の抵抗感と、言葉に表しにくいもどかしさといった感じだった。
しかし拒絶心は意外とないらしい。
「となり、いいか?」
牛尾は少女の隣のブランコに座る許可の確認をとった。
「あっ……はい、もちろん。どうぞ」
少女の許可を得て空いたブランコの方へと腰を下ろす。
無意識にタバコを取り出し夜空でも眺めながら一服しようかなと考えた牛尾だったが、ライターを取り出しかけた途中、子供の前で副流煙まき散らすのもどういったものかと考えて牛尾は配慮の念からタバコの箱を仕舞いなおした。
やるせなく、ため息をつく寂れた大人。
──そんな男の隣で夜空を見上げながら、銀鼠色の髪の少女は話はじめた。
「あの……わたし、画家だって言ったら信じますか?」
牛尾は吹き出した。
「画家!?」
「あはは……やっぱり信じませんよね」
「い、いや」
思ってもいなかった少女の発言に酔いも飛ぶような衝撃を受けた牛尾はすかさず釈明を入れた。
「信じるさ、信じる。吹き出したのはまさかの発言だったからな。悪い」
「いえ、驚いて当然だと思います。わたしみたいなのが画家なんて。……それが高じてカードデザイナーの仕事も請け負ってるんです、デュエルモンスターズの」
「へえ、デュエルの」
芸術、と言われれば疎い牛尾だが、デュエルと言われれば関心の向くところにあった。
「すごいじゃないか。美術は専門外だがデュエルはそれなりに嗜んでるほうなんでな、それの絵を描いてるってことだろ? その素晴らしさはわかるぜ」
「……ありがとうございます。でも、その……」
少女は虚空にため息をついてつづけた。
「……突然、スランプに陥っちゃったみたいで、絵が描けなくなったというか、描いても納得できなくなったんです。自分の描いた絵なのに、いや、自分の描いた絵だからこそ気持ち悪く見えてきたというか。──いやまあ、でも、それだけならここ最近ではいつも通りではあったんです」
最後の方で唐突に話の方向転換が行われ、牛尾は眉をひそめた。
うつむく少女が初めて隣の牛尾へと目を合わせて続きを話し始めた。
多少血色は悪いが綺麗な顔立ちの少女だと間近で見て牛尾は実感する。
「その……”ある条件”を賭けたデュエルに負けちゃって。すごい大切な条件だったんですけど」
「”ある条件”?」
「”何年も会ってなかった人”と、勝ったら会わせてくれる条件だったんですけど」
少女は力なく空笑いして続けた。
「ギリギリのところで、負けちゃって」
牛尾は深くうなづいて答えた。
「へぇ……何年も会ってない人……負けられないデュエルだったのか」
「そうなんですよ、でもなんか、ふつうに……完敗しちゃって。わたし、情けないですよね」
えへへ、と笑いながらも情けなさそうにして牛尾の視線を少女は避ける。
物凄く掻い摘んで話しているので詳しいことはわからないがどうやら結構、少女的には切迫した状況らしい。
「相手の人にもちょっと、焦りから暴言みたいなこと吐いちゃって……その時のわたし、まるで最低で、もう色々嫌になって、まだ昼だったのに学校も飛び出しちゃって」
「学校を?」
牛尾が冗談を交じえる。
「そりゃ元風紀委員としちゃ見逃せねえな」
「風紀委員だったんですか?」
「まあな。──あ、いや、そんなこったどうでもいいか」
思わずそれかけた話を牛尾は戻した。
「つまり、絵の方はスランプになるし長年会いたかった人にも会えないしデュエルにも負けるし……と、今日一日、散々だったわけか」
「はい、まあ──」
一瞬の間──少女はどこか遠くを見つめて、どこか引っかかるような面持ちを経て次のなにげない言葉をひりだした。
「──そう、ですね」
今、なにやら少女の言葉に意味深長な間があったことを牛尾は見逃さなかったが、あえて牛尾は掘り下げなかった。
隠したがるものをわざわざ掘り下げるのは無粋だと考えたからだ。
「わたし……正直今まで、こういう悩みってもったことなかったんです。スランプとか、挫折とか、”人間関係”とか」
今度は少女の方が牛尾に聞いた。少女が名前を聞く。
「えっと……」
「牛尾、だ」
「牛尾、さん。牛尾さんなら、そういうとき、どうします?」
「そういうとき?」
「嫌なことがあったとき、とか」
「難しいこと聞きやがるぜ……」
少女はちいさく笑った。
「難しい、ですか?」
「難しいというか答えづらいというか、ちょうどタイムリーな話だったんでな。まさに今日俺ももやっとすることがあったんでちょっとストレス発散してきたところだ」
「……お酒ですか?」
「あとタバコも吸おうとしてたな、今まさに」
思わず少女は表情を変えて牛尾を気遣った。
「お吸いになられてだいじょうぶですよ。わたし構わないです」
「まだ吸えない人間の前で吸うほど野暮じゃねえさ、いいんだ今は。ま、こういった風に、大したアドバイス送れるような立派な大人じゃないんでな、俺は」
「そんな、ご謙遜を」
「事実だ。なんつうかな」
まるでどちらが話の聞き役かわからない中で、いい年齢の大人がまるで思春期の中学生のような発言を繰り出した。
「ぶっちゃけた話、未だこの年齢になってもまだ”大人”って自覚がねえんだよ、俺は。ずっと”子供”の延長線上を歩いてる……そんな気がする」
牛尾のその発言に少女は意外そうに目を大きくして彼の言葉を反復した。
「”子供の延長線上”……」
「”子供たち”が思ってるほど”立派な大人”なんて実は意外と社会に存在しねえのさ。一見独立してるように見えてるやつでも、実際はがむしゃらに苦しみながら目の前のことに取り組んでるだけ……ただもう、子供扱いが許されなくなるから浮ついた振舞いが出来なくなるってだけなんだ、大人の実状はな。俺も誰かにご高説たれて、誰かに説教できるような器は持ち合わせちゃいない。だから、キミみたいな話の相談を受けたとき、俺は上から目線の立場で申したくないから、こう言ってる」
牛尾自身、いつの間にか話に熱が入り、誰に向けるでもなく、まるで自分に言い聞かせるようにして次の言葉を少女に投げかけていた。
「”気を取り直して、お互いまた頑張ろう”、てな」
思わず自分自身、不器用な言葉だなと思い牛尾は自嘲気味に笑ってしまった。
勢いまかせに何を語ってるんだと小恥ずかしくなった牛尾は思わずその場を立ち上がる。
「ま、まあ誰しもそう時期はあるってことだ、キミみたいな。たぶんそういう逆境を乗り越えたときこそ、それこそそいつは立派な”大人”になれるんだろうぜ。ひとしきり悩んだらきちんと家に帰るんだな、親御さんも心配するだろ」
「あ、いえ……わたし親はいないので」
「そうなのか。まあともかく」
長話で酔いも抜け切り、どこか気持ちすっきりとした牛尾は最後にもう一度先ほどと同じ言葉を少女に投げかけ、公園を後にした。
「気を取り直してまた頑張ろうぜ、お互いにな」
──牛尾の後ろ姿を見送り、少女、金戸未来は公園にひとり取り残された。
キィキィと揺れるブランコに身を預ける少女がゆっくりと虚空を見上げて、先ほどの牛尾の言葉を思い返す。
「”気を取り直して”……か」
金戸未来は──今日の星宮綾人とのデュエルのことを思い出していた。
”不思議な人だったな”。少女は頬傷の男の、どこか憂いを帯びた横顔を思い出しながら、ようやくブランコを立ち上がった。
デュエルアカデミア・ネオ童実野校、保健室。
すっかり夜を迎えた保健室では帰宅前の書類、備品整理が行われていた。
「こんな夜に残ってもらって良かったの? 星宮くん」
「ええ」
金戸未来とのデュエルに”勝利”した星宮は冷夏の手伝いで保健室に居残っていた。
忙しなく手を動かして保健室の道具備品を棚に直して、軽く床を箒掛けする。
そういった様子で涼しい顔で掃除をする星宮を横目にして、冷夏は昼に行われた星宮と金戸未来の戦いの”結末部”を思い返していた。
場面はその時の様子に戻る。
「俺のターン、ドロー」
デュエルは終盤を迎え星宮のターンに映り、崖っぷちの状況に立たされていた彼は山札の頂点に希望をかけた。
対戦相手の金戸未来の場には中型程度の打点を誇るゼンマイラビットと牛頭鬼。そして味方モンスターをライフポイントを犠牲に守る大型モンスターのヴァンパイア・グリムゾンとその後ろに謎の伏せ札が3枚。
──加えてここに彼女によって発動されたフィールド魔法”アンデット・ワールド”に呼応しアドバンスドローによって墓地に埋葬されたあのモンスターが復活する。
「スタンバイフェイズ、”死霊王ドーハスーラ”が守備表示で復活する」
金戸未来の淡泊な宣言により厄介なモンスターが再び場への到来を果たした。
”アンデットモンスター”の効果起動をトリガーに二種の妨害効果を発動する死霊王。
”強制アンデット化”を強要され背水の陣を迫られている星宮は苦しい戦況にあった。
(ここからどうやって逆転するのかしら……)
星宮の静かなドローを脇で見つめる冷夏は彼の手腕に興味を寄せる。
モンスターは先ほど”激流葬”により全滅。伏せ札は3枚だがその内1枚は状況打開には役立たない”くず鉄のかかし”と判明。手札はドロー分含めて”3枚”あるが──。
──果たして彼女の敷いた布陣に攻めきれるのか。どうにもここからの逆転構図を思い描けない冷夏は考えるようにボールペンのキャップ部を顎先にあてた。
(はっきりいって”シンクロン”デッキは一度態勢を崩されるとだいぶ分が悪い。ひとつひとつは小粒なモンスターで弱小なため、相手に強固な布陣を敷かれているとどうも攻めあぐねる……)
”展開は得意だが打開は苦手”。それが青峰冷夏の持つ”シンクロン”デッキへの印象だった。
だからこそ”シンクロン”デッキに使われるようなカードは”弱小、クズ”と罵られてきたわけであり、それを上手く捌こうとするならばそれこそかの”不動遊星”並の力量が必要と言われてきた。
いま、金戸未来に展開されているアンデットの布陣はまさにシンクロンデッキの苦手とする布陣であり、2種の妨害効果と破壊耐性の付与を持つ2体のモンスターとさらに謎の伏せ札が並んでいる状況は星宮綾人にとって圧倒的向かい風と差し支えない状況だった。
特にあの後ろに構えた3枚もの伏せ札がまずい。ドーハスーラ等関係なくそもそもそれほどの枚数の伏せ札とは予測のつかないものであり、攻め手側から大きく危険なものである。
これを突破するというのは、並大抵のことではない。間違いなくシンクロン側からすれば大きなハードルとなっている。
それは神妙な表情でドローカードを見つめる星宮の顔から強く伝わってきた。
考えている。次の一手をどうするべきか、長考している。カードを一点に眺める星宮からそれが見て取れる。
すべては勝つための”道筋”を考えるために──。
「………………」
しばらくの沈黙が、保健室を襲った。
そして──。
「俺は──」
サイは、降って投げられた。
「マジックカード”隣の芝刈り”を発動」
たったいまドローされたカードを場に差し込んだ星宮の手を見て、未来は思わず瞳孔を開いた。
「この、局面で──!?」
”隣の芝刈り”は自分と相手の山札の差分だけ自分の山札の上から順にカードを墓地に送る魔法カードである。
現在、星宮の残りデッキ枚数50枚で、未来の残りデッキ枚数が28枚。結果22枚のカードが星宮の墓地へと送られることになる。
事前に60枚でデッキを組んでいたことが功を奏した結果である。
「…………」
未来は考え込んだ。
22枚もの”墓地肥やし”、そこまで肥やされるとどんな墓地誘発カードが送られるかわからない。
なにより未来にはそれを未然に防ぐ”手段”があった。
「…………」
しかし、である。
(──”どっち”を発動するべきなの……!?)
──先に述べておくと、金戸未来が選択に迷っている2枚のカード。
それは。
”マジックドレイン”と”神の宣告”である。
”神の宣告”とは。
現ライフポイントを半分払うことで相手の魔法、罠の発動、そしてモンスターの召喚、反転召喚、特殊召喚を止めることのできるカウンタートラップである。
特定の決まったライフポイントを払うわけではないので使用する場面を選ばず、かつ相手のほとんどの行動を阻害できる汎用性の富んだトラップカードである。
対して”マジックドレイン”とは。
相手の発動した魔法カードを止めるカウンタートラップであり、対マジック用の阻害装置である。
こちらは神の宣告と違い、”魔法カード限定”でしか相手の行動を止められないのであちらより汎用性は落ちるが、コストを支払わない点で神の宣告より優位な点がある。
ただし相手はコストを支払えてしまうが。
”マジックドレイン”には厄介な特徴がある。それは”相手が手札から魔法カードを捨てれば、マジックドレインそのものの効果を無効にできる”という点である。
つまり相手の見えない手札の中にすでに魔法カードが存在していた場合、それを捨てることで事前に発動していた本命の魔法カードを無理やり通すことができるのである。
こちらはコストを支払わないながら、相手に多少の依存をしてしまうカウンターカードで、いささか確実性に欠けてしまうものがある。
他の妨害札と併用しより強固な盤面を敷く、という点ではそれなりに頼りになるカードなのだが、現在の場面においてはどうにもリスキーな部分を否定できないカードであった。
つまり未来はここで”コストを支払い、汎用性のあるカウンター罠を使ってしまうが確実に隣の芝刈りを止められるであろう”神の宣告と、”リスキーではあるが通すことに成功すればリターンの大きい”マジックドレインを発動するかのどっちかで大きく迷っているのである。
(……ここで”神の宣告”を発動した場合、星宮さんの後の一手に対応できなくなり致命打になる可能性がある。けれど、星宮さんの手札の内にすでに魔法カードが存在していた場合、”マジックドレイン”はリスキーすぎる……)
──どちらが正解なのか。決めるべき”マストカウンター”はどちらなのか。
間違いなく今後の戦況を大きく分ける選択に、金戸未来は悩み、考え込んでいた。
あの、たった一枚差し込まれた”隣の芝刈り”というドローカードに。
(わざわざこの局面で引いてくるなんて……)
”隣の芝刈り”を通すのは間違いなく危険だ。それはデュエルに精通している未来でも即座にわかるところだった。
22枚もの墓地肥やしでどれだけの”逆転のきっかけ”が星宮の墓地に注ぎ込まれるかわからない。どれだけの逆転札が星宮のデッキに眠っているかわからない。
なによりいま対峙している星宮綾人は”ただでは終わらない”決闘者だと未来自身予感めくものがあった。
危険の兆候。例えるなら、間違いなくここで絶対に止めなければいけない”スピード違反”レベルのカード。”神の宣告”か”マジックドレイン”かのどちらかの”レッドカード”を突き付けるのはすでに未来の考えの中で確定済み。
だがどちらを突き付けるべきなのか。相手の手札はいま発動された”隣の芝刈り”を除いた2枚。
──その手のうちに魔法カードがあるかどうか、ものすごく微妙な枚数だった。
(くっ──)
思慮。
葛藤。
長考──そして金戸未来はひとつのカードを選んだ。
「──”マジックドレイン”を発動!」
金戸未来は”リスク&リターン”を選んだ。
これが通れば”神の宣告”を残すことができ、相手の打開手も潰せて一挙両得。
ここで踏み込まなければ、星宮綾人にはおそらく勝てない。そう考えての選択だった。
──しかし。
一瞬、沈黙したあと、すぐに手札に指をかける星宮を見て、その選択が”勇み足”だったのだと少女は小さく嘆く。
「──手札の”貪欲な壺”を捨てて、”マジックドレイン”の効果を無効にする」
──握っていた。それも起死回生の逆転札である魔法カードのひとつ”貪欲な壺”をである。
「俺はキミとのデッキの差分”22枚”のカードをデッキの上から墓地に送る」
よくもまあそこまで引きが強いと未来は言葉をともわない驚きで冷や汗を垂らして歯噛みする。
魔法カード”貪欲な壺”は墓地のカードを5枚デッキに回収して山札の上からカードを2枚ドローするカード。
仮に”隣の芝刈り”を止めていたとしても”貪欲な壺”で手札を補充されていたのである。
”神の宣告”を温存し、”貪欲な壺”を捨てさせたのは吉と出たかどうか。──そんなことも言ってられない状況が彼女を襲う。
「”リミッター・ブレイク”を発動。デッキより”スピード・ウォリアー”を特殊召喚する」
「──なっ!?」
場で発動されたカードではない。墓地で発動したカードだ。
トラップカード”リミッター・ブレイク”は墓地に送られた際、その瞬間にデッキ、墓地より攻撃力900の戦士族モンスター”スピード・ウォリアー”を特殊召喚する効果を持っている。
早速”隣の芝刈り”で厄介なカードの1枚が落ちたということだ。
「俺は”スピード・ウォリアー”を攻撃表示で召喚する。そして──」
そして、星宮はさらに”隣の芝刈り”で落ちたカードの1枚を”墓地のカード7枚”を除外して起動させた。
「”妖精伝姫シラユキ”の効果を発動。墓地のカード7枚を除外して、このカードを特殊召喚する」
──自分の担当した絵のモンスターの突然の登場に、未来は虚を突かれた。
「し……”シラユキ”……」
担当しただけに”シラユキ”の脅威性は知っている。
あれは場に出た瞬間相手モンスターを”沈黙化”させるモンスターだ。
「さあどうする? ”アンデット族”の効果が発動したが」
”妖精伝姫シラユキ”は現在、”アンデットワールド”の影響で”アンデット族”と化している。
そのため、”死霊王ドーハスーラ”の”除外効果”をここで適用できるのだが。
「……使わない」
未来はここでも”温存する”という選択を取った。
「わたしはシラユキの”場のモンスターを裏側表示にする”という効果に対し”無効効果”を使う」
シラユキには墓地からの特殊召喚以外にももうひとつ、”フィールドに現れた際に相手モンスターを裏側表示”にするという効果がある。
本来、墓地の時点でドーハスーラの”除外効果”を使い、フィールドへの到来を未然に防ぐことができたのだが、未来はここで”除外効果”を次のために温存するという選択をとってシラユキの復活自体を許した。
”場に出た時点でドーハスーラの効果で能力そのものを無効化すればいい”という、多少どこか皮算用的な考えが少女にその選択を取らせた。
(──これは……)
ここで、試験管を務める青峰冷夏は金戸未来にカウンター戦法特有の”ある癖”があることを見抜いた。
──一方、金戸未来の緊張はピークに達していた。
(さあ、ここで止まるの、どうなの?)
星宮の残り手札2枚。
伏せ札も2枚。
間違いがなければ、温存しておいた”神の宣告”と”死霊王ドーハスーラ”の”除外効果”で防御は追いつくはず──少女の顎から一滴の汗が垂れる。
(終わりなの? どうなの!? ──ここで勝たなければ)
金戸未来には、どうしても退けない理由があった。
(わたしにはもう、”雛宮おねえちゃん”に会うチャンスはないの!)
顎先から垂れた汗が──机の上に着地した。
その一滴の汗の着地音さえ響きそうなほどの静寂の中で、少女はただただ星宮の一言を待ち望んだ。
”ターンエンド”。
あるいは”負けました”の
──”お願いだから”。
”お願いだから、そのままデッキの上に手を置いて、サレンダーをして”──そんな彼女の思いを打ち砕くかのように、星宮は”予想外の一手”を放った。
「俺は、”
星宮が次に放った一手。
その一手は、”まさかここでそれを打ち込むのか”と誰もが言いたくなるほどの代物だった。