遊戯王5D’s 治安維持局特別対策室   作:ピクサ

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第19話

 

 

 

 ネオ童実野美術館最上階アトリエ。

 美術館最上階のここを私室にしている金戸未来は今日、筆も持たずに休憩用のソファーに座り、背もたれに頬杖をついて後ろに開いた窓辺から外の様子を覗いていた。

 なにか理由があるわけではない。

 ただただ空虚な彼女の心が、憂鬱気な彼女に窓の外を眺めさせていた。

 ”2年前”、今と同じく夏の光差すあの日を思い返しながら少女は今日、”大きな決意”のための会見を控えていた。

 白のワンピースからはみ出る、骨筋が浮き出るほどにやせ細った腕と足が、夏だというのに寒気に似た緊張をずっとはしらせていた。

 

 ──背後でドアが開く音が聞こえた。いつもこき使っている男性係員が入ってきたことを未来はすぐに察する。

 彼女のアトリエに入ってくる係員など彼ぐらいしかいないからだ。

 

「未来さん、”那口(なぐち)”です。失礼します」

「……」

「いいんですか?」

 

 10歳年下の少女に敬語を使う係員に向かって、未来は窓辺から振り返りもせず至極淡泊に返す。

 

「なにが?」

 

 未来のそんな態度に日頃から慣れていた那口は、調子を変えることもなくそのまま未来に続きを聞いた。

 

「今日の”発表”のことですよ」

 

 あきれたように窓に向かってため息をつく少女が、肩を落とす。

 強く振り返った少女が、固い決意をそのまなざしに浮かべて係員に言葉をかえした。

 

「──もう決めたの。今更……わたしの心をゆらさないで」

 

 黙り込み、そして諦めたように目を伏せた係員が、踵をかえし背中を向けた。

 

「そう……ですか……」

 

 惜しいといわんばかりに落胆した様子だった。

 口惜しそうに部屋を去っていこうとする彼を、思うところがあるように瞳をゆらす未来が、彼を言葉でひきとめる。

 

「待って」

 

 感情を感じないいつもの淡泊なものから少しだけ、柔らかく投げかけられた言葉に係員は振り向いた。

 さまざまな感情をないまぜに浮かべた赤の瞳を見据えて、未来と那口の視線が交差する。

 普段からは想像もつかない14歳特有の少女らしさをその顔立ちに浮かべた未来は、これまでこの美術館に尽くしてくれたその係員に向かって、次の言葉をつたえた。

 

 優しい眼差(まなざ)しをもって。

 

 

「ありがとう、これまでずっと。ここと、そしてわたしを支えてくれて」

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 ──もうすぐ1時間がたつ。例の”重大発表”とやらの開始時刻が迫り始めた雛宮は、対面に座る星宮に向かって喫茶店を出ることを提案した。

 

「そろそろいってみようか」

「そうっすね」

 

 そばに置いておいたハンドバッグを肩に抱えて雛宮は席を立つ。

 雛宮につられるように同じく腰を上げた星宮も彼女の背中を追いかけて喫茶店を出た。

 喫茶店を出て発表があるという絵画展フロアへと向かう。

 そんなふたりを待ち構えていたのは絵画フロア前で波のようにごったがえす見物客の群衆だった。

 

「うわ、なんだこれ!」

 

 驚きに見舞われた星宮が思わず声を挙げ、となりの雛宮も多少顔をしかめる。

 

「さっきよりお客さんが多い……もしかしてみんな発表のことを聞いて……?」

 

 まさに人の海といったところだった。

 絵画フロアへつづく廊下を隙間なく埋めるほどに所狭しと見物客が列をつくり群がっていた。

 列をつくる見物客も前の方を気にしているあたり、やはり絵画フロアで行われる”金戸未来の重大発表”とやらが気になっているようだ。

 先ほどどこかの記者団が一足先にフロアで撮影準備をしていたあたり、今回の”重大発表”とやらは知る人は知っている情報だったらしい。

 なるほど、これはたしかに記者団が発表時刻前に早々会場で場所を陣取るわけだと納得した星宮は、さてどうしたものかと隣の雛宮に視線をなげかけた。

 

「……どうします?」

「すんごい無理して人の間を潜っていけば中にはなんとか入れるだろうけど……それにしてもこの集まり、その”金戸未来”さんって余程すごい人なんだね」

 

 そう述べる雛宮に星宮は聞いた。

 

「その金戸未来って……どんな人なんですか」

「聞いた話だと”デュエルモンスターズのカードイラストデザイナー”だとか。……画家としても大成している人物で、なんと──」

 

 次に雛宮があっけらかんと述べた言葉に、星宮は強く反応することになる。

 

「──現在”14歳”、だって」

 

 思わぬ発言と、頭の中で符号する現実に固まり、しばらくして星宮の表情は動き始めた。

 

「……え?」

「どうしたの?」

 

 ”いやまさか”──再度訪れた”奇妙な一致”にもういちど星宮はそんなわけないと頭を振る。

 

「い、いや……」

 

 まさかそんなわけが。いや、だがしかし。

 とてつもない寒気と疑問と興味にさいなまれた星宮は、だんだんと自分の足が浮足立つ感覚を受け始めていた。

 気になる。どうしても気になる。

 

 もしそれが本当にあの”シラユキをデザインした”という、先日決闘したばかりのあの子だというのなら──この目で確かめたい。

 目の前に数多く立ち尽くす人々の群れを割ってでも中に入りたいと真剣な表情で考え始めた彼の様子を見て、雛宮は天真爛漫にあっけなく言い放ってみせた。

 

「無理やりかきわけて、入っていってみようか。どうせここまで待ったんだし」

「え?」

 

 ”いいんすか──? ” そんな星宮の承諾をもって、ふたりは人々の波に立ち向かっていくことを決めた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 発表会見の準備が完了したことを係員から聞いて私室から降りてくる金戸未来の姿があった。

 係員の那口に引き連れられて階段を降り、絵画展エリア裏に設けられているスタッフエリアに姿をあらわした未来を、準備を終えたスーツ姿のスタッフたちが無言で出迎える。

 男性スタッフも女性スタッフも、未来の姿をその目にとらえた瞬間、それぞれが深く頭をさげた。

 

 沈黙の中で感謝の礼をささげられる銀鼠色髪の少女の姿が控室の中心に存在した。

 

「……? どうしたの……?」

「未来さん、今までありがとうございました」

 

 スタッフリーダーの女性が腰まで曲げていたその頭を上げる。リーダーにあわせて同じく礼に頭を下げていた一同がそれぞれ頭を上げていく。

 スタッフそれぞれの引き締まった表情。

 少女よりも幾分も年齢の高いスタッフたちが皆、例外なく感謝の念をその視線の中心にいるちいさな背丈の少女へ向けていた。

 スタッフリーダーは敬礼をして、よく通る声で述べる。

 

「わたしたち美術館スタッフ一同、未来さんのもとで働けて光栄の極みでした」

 

 続けて敬礼に手をあげる一同を、14歳の少女が見据える。

 若年14歳の、まだ中等部も卒業していない自分がこれほどスタッフたちに慕われていたと思っていなかった少女は、思わず顔を背けて密かに思いを胸につまらせた。

 

 嬉しい、誤算。

 

 しかし、これで揺らぐほど少女の決意は緩いものではなかった。

 

「ありがとう。でもわたしは──」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 かけていた眼鏡がずれて落ちた。

 柔毛のフロアシートに”牛乳瓶の底みたいなレンズ”の眼鏡を落とした”カーリー(なぎさ)”は、”あっ”と慌てた手つきですぐにそれを拾い上げ始めた。

 

「あっ、金戸未来出てきました。カーリー編集長始まりますよ」

「ええっ!」

 

 眼鏡を拾い上げているその最中(さなか)で、そばの女性部下にそう告げられた。

 大勢の人間がごったがえす中で絵画フロアの最前列に場所を陣取ったカーリー率いる取材班は、2日前に情報を掴んだデザイナー”金戸未来”の”重大発表”に関しての会見取材をこの場で敢行していた。

 

「もうー、タイミング悪いんだからぁ!」

 

 独特の語尾でそう返すカーリー渚が拾い上げた眼鏡をようやく装着し直して改めて会見席の方を見据えた。

 やっとピントの合った視界で裏口から出てきた例の少女の姿を追いかける。

 部下の指差す方にしたがって姿を追いかけ、ようやくその例の少女”金戸未来”の姿を目に捉えた。

 ──カーリー班以外の記者団のカメラフラッシュが一斉にたかれる。白の点滅の中でうつむき加減に出てくる白色ワンピースの少女。

 すかさずカーリーも自前のカメラを構える。

 

(……すっごい痩せてる)

 

 カーリー渚からしてその少女の出で立ちは異端なものだった。

 世間においても珍しい銀鼠色の腰まで届いた長髪、鮮血のように鮮やかな赤を宿した瞳、真っ白な肌。

 顔はまだそれなりの肉付きだが、病的にやせ細った体。健康的な印象を与える白のワンピースに対し、骨筋まで浮き出るような彼女の体は、着用しているものとは対照的に病的な印象をカーリー渚に与えた。

 隣の部下も声に漏らす。

 

「初めて生で見ましたけど……すごい痩せてますね」

「うん……」

 

 口漏らした言葉に同調するカーリー渚に続けて、部下はさらにふと口漏らす。

 

 

「なんか、悩みごとでもあるんですかね。彼女」

 

 

 ──鳴りやまないフラッシュの中でようやく会見席に辿り着いた銀鼠色髪の少女を、更なるカメラフラッシュが襲う。

 まるで今から謝罪会見でも行うといわんばかりの様子で臨む彼女の姿を、記者団は容赦なくそのフィルムに納め続ける。

 石灰壁を背景に立ち止まり、記者一団を見据えた金戸未来がそれぞれ三方向に向かって一礼をする。

 慣れた様子で会見を迎え、そして着席した彼女は、フラッシュがひと段落するとマイクを手に持って会見の挨拶を始めた。

 天井近くに取り付けられた拡声器を通して、少女の声がフロアに響く。

 

「今日はわたくし、金戸未来の絵画展にお集まりいただきありがとうございます」

 

 異様な光景、というのがカーリー渚からすれば正直なところだった。

 著名な人間とはいえ、芸能人でもないひとりの画家にここまで記者団及び見物人が集まるというのは長年記者をやってきたカーリー渚からしても滅多に遭遇しない状況であり、ましてや学校もまだ卒業していない14歳の少女にここまで大の大人がフロアを取り囲んで群がるというのは、取材に来たカーリーからしても奇妙な光景だった。

 ”デュエルモンスターズの専属イラストデザイナー”というのがやはり大きいのだろうか。名だたる大企業たる”海馬コーポレーション”社と専属契約を結ぶ14歳の画家というのは、やはりそれだけ興味を惹かれ、そして人々から注目される存在なのだとカーリーは実感する。

 

 少女の語りは続く。

 

「今回お集まりいただいたのは他でもありません。日頃わたしの絵を見てくださる皆さまへの感謝と、そしてもうひとつ大切な”お知らせ”をこの場で述べさせていただきたいと思ったからです」

 

 マイクを片手に抱えた金戸未来が立ち上がる。その場で深く頭を下げ、垂れ下がった滑らかな銀髪をまばらにたかれるフラッシュの光に反射させた。

 

「この2年わたしが絵を描き続け、こうして絵画展まで開けるようになったのは皆さまの応援のおかげです。本当に感謝しています」

 

 数秒間頭を下げ、粛々と感謝を表し続ける彼女を再び激しく点滅し始めたフラッシュが捉え続ける。

 これじゃまるでほんとに謝罪会見だ、と容赦なく年端もいかない少女を撮り続ける周囲の記者団の様子をみてカーリーは少しあきれた様子でため息をついた。

 まあカーリー自身も結構容赦なくアポもなしで突撃取材を敢行するほうなので他人のことをとやかく言えない面はあるのだが。

 ──それはともかくとしてカーリー含め記者団の本命は後半の”大切なお知らせ”という部分にあった。

 

 再び頭をあげた金戸未来が次の話へと移る。一礼の際に乱れた長髪を耳に整えて彼女は続きを述べ始めた。

 ボソリと”ありがとうございます”と礼を述べた彼女が本題へと入る。

 

「──次に、その”大切なおしらせ”についてですが、本題に入る前にわたしが画家、そして”デザイナー”になった経緯を述べさせていただきたいと思います」

 

 ”来ましたよ”と本題への導入に湧き立つ部下を隣に、カーリーは手に持つボールペンを疑問に顎にあてはじめた。

 少女のもったいぶった話し方に不思議なものを感じ取ったカーリーが、不穏な予感を抱きながらも手にもったメモ帳にボールペンをはしらせてゆく。

 

「……わたしがプロとしてデビューしたのは本当に些細なきっかけからでした。数年前、絵画コンクールで受賞した作品が偶然”kc”社さんの担当さんの目にとまり、そしてデュエルモンスターズのイラストデザインの専属契約を結ばせてもらったことが、わたしのプロとしてのスタートでした」

 

 現在この絵画展に展示されている油彩画はすべて実際のデュエルモンスターズのカードイラストとして商品化されているものだった。

 ”ライトロード”シリーズ、”妖精伝姫”シリーズ、そして暗い世界観を描いた”アンデット”シリーズ、その他等々。特段デュエルモンスターズに詳しいわけでもないカーリーでも知っているカードイラストの数々が現在立つこのフロアに展示されていた。

 

「わたしがこれまでプロとしてやっていけたのはひとえにそういった担当者、スタッフの方々の助力のおかげだったんです。まだ年端もいかないこんなわたしを強く支えてくれたのは、今この場にいる皆さまを含めネオ童実野シティに生きる人々のおかげでした」

 

 嘘偽りない謙虚な言葉をもって、14歳の金戸未来が礼を述べてゆく。

 

「しかし才能というのは(から)くもそう長続きするものではないと……ここ最近の出来事で痛感いたしました……」

 

 ──急転する話に記者団と見物客の意識が少女に一斉に集中する。

 なにかこらえるような面持ちでしばらく沈黙し、そして一転愛想的な作り笑いを浮かべた未来は群衆の注目に怖じ気ることなくその胸中を吐露しはじめた。

 

「──きっと”才能”というものは質だけではなく、量でも決まるのではないかと思います。わたしに才能がなかったとは述べません。しかし”引き出し”という意味では、決してわたしは多くの引き出しを持っていなかったのではないかと、現在、痛感しております」

 

 ──おもむろに立ち上がりはじめた少女が、背後の大きな石灰壁に向かって目を向ける。

 

「若輩者であるわたしには”経験”が足りませんでした。作品とは経験によって培った引き出しによって描かれるもの。仮にどれだけ巧みな筆致で絵を描けても、引き出しの中に何もない、そうやって描かれたわたしの作品は──」

 

 ──長い銀髪をひるがえし振り返った少女が固く、そして暗い表情を据えて群衆に向かって述べる。

 

 

「──薄っぺらかったんです、題材(テーマ)のない作品は。引き出しの中に薄い経験しかなかったわたしはそうして次第に小綺麗なだけの"(うつろ)"しか描けなくなり、才能の海が枯れるようにしてスランプに陥りました」

 

 

 そのちいさな体を抱えるようにしてせき出た言葉だった。

 ”才能”の限界。

 それを訴えた後の数秒の沈黙だけ、少女を写すフラッシュの灯りが止まっていた。

 

 ここまでくれば目の前の少女が何を言いたいのか、記者団も、そして来場客たちも察しがつきはじめていた。

 

「だからわたしは、最後の作品をこの石灰壁にフレスコ画として描いて終わりにしようと思います」

 

 マイクをもった少女は続ける。

 

 

「かつて20年前活躍した”チーム5d’s”の面々が操った”竜”のモンスターたち。そんな彼らの勇姿をモチーフにした”新たなドラゴン”をこの石灰壁に描き、そしてそれをもってわたしは──」

 

 

 ──皆の視線が少女に集まる一方で、群衆をかきわけて進むふたりの姿があった。

 とりわけ若い見た目の私服姿のふたり。所狭しとフロアに集まる人間たちをかいくぐり前に進む”少年”と”少女”の姿。

 片方は冷涼な面差しを浮かべる紺色髪を持つ少年で、もう片方はくっきりとした目鼻立ちを持ち、桃色の口紅を施した濡羽色の長髪を生やした少女だった。

 

「──ちょ、もう終わりそうっすよ雛宮さん!」

 

 焦り気味にかきわける少年の方が述べる。

 背の高い大人たちに翻弄され上手く会見模様が見えないふたりは意地でも一目見てやろうと必死だった。

 そして──。

 

「それをもってわたしは、画家としての人生に幕を下ろし──」

 

 

 ようやく最前列間際に辿り着いた”雛宮聖華”と”星宮綾人”の視線と──。

 

 

「応援してくださった方々への感謝の思い、そして無礼を承知で──」

 

 

 伏せた顔を会見席から上げる”金戸未来”の視線が──。

 

 

「”引退”しようと考える所存で──」

 

 

 ──交錯、する。

 

 

「────ございま、す…………」

 

 

 ──突然ぶつぎり調子で言葉を締めた少女に群衆がざわついた。

 なにかフロアの空気が会見席から波走るように一変したものを感じた見物人たちが口々にざわめきあい、そして最前列で邂逅を果たした3人の少年少女に向かって注目しはじめた。

 

 なによりこの瞬間、一瞬にして時が固まったようにマイクを抱えたまま表情の動きを止めた金戸未来の姿が印象的だった。

 

「……」

 

 赤の瞳を動揺に揺らしながらマイクを下げる未来がようやく口を開く。

 

 

「…………えっ…………?」

 

 

 信じられない──といった様子を物語る少女の赤の瞳が、会見席を挟んで目の前に立つ雛宮聖華の姿を映しこんでいた。

 

 

「”ひな”……」

 

 

 ──会見席の長机が焦る手に押し退けられた。

 金戸未来の手で押し退けられた長机が、激しい音を立ててマイクごと床へと崩れ落ちた。

 床に落ちたマイクが反響する。空気を割るほど残響音がフロア中に響いた。

 無我夢中で走り出した足が一直線にその人物を目指す。

 銀鼠色の艶やかな長髪を激しく揺らして、瞳孔の開ききった赤燐色の瞳を震わせて走る。

 

 会場の中心で、長年待ち焦がれていたあの人物の名前を高らかに喜びを叫んで、14歳の少女は呆然と立つ彼女の胸に飛び込んだ。

 

 

「──”雛宮おねえちゃん”!!」

 

 

 周囲も、世間も、どんな目も関係なく、その瞬間だけは画家でもなんでもない、ただの無垢な少女に戻った金戸未来が立ち尽くす雛宮聖華の胸に向かって飛び込み顔を(うず)めさせた。

 唖然とする雛宮。飛び込んできた未来を思わず抱き止めた彼女が、ふわりと石鹸の香り漂わせる銀髪を上から見下ろす。

 数年ぶりの再会に嬉しそうに雛宮の胸の中ではしゃぐ未来の姿をみて、隣の星宮は思わず気まずそうに苦い口元を浮かべた。

 

「や、やっぱキミが”金戸未来”だったのか……」

「おねえちゃん、おねえちゃん! 会いたかった、ずっと会いたかった! わたしの絵画展、来てくれてたんだ!」

 

 未来からすれば夢のようだった。

 再会を期待して絵画展を開いたわけではない。連絡先も知らない相手にチケットを送れるはずもない。

 だが偶然にも雛宮にチケットは渡り歩いていた。不意をつかれる形での再会、待ち焦がれていた相手との邂逅。

 飛び込みたい気持ちを抑えられるわけがない。

 

 諦めかけていた心に一瞬の活力を取り戻した未来はこの幸運に、初めて信じてもいなかった神様に感謝した。

 

 抱えられた腕の中で笑顔一身に喜ぶ未来。

 先日の一件からどこか気まずそうにする星宮。

 

 一方で、この状況にそぐわない困惑した表情を浮かべる者がいた。

 

「雛宮さん、やっぱ知り合いだったんすね」

 

 はしゃぐ未来の様子を間近で受けてその関係を察した星宮が、彼女の横顔に目を向けながら述べる。

 

 しかし腕に抱える未来を見下ろす雛宮の表情は至極無表情なものだった。

 

 

「……雛宮さん?」

 

 

 

 無表情というより──唐突な展開に困惑してうまく表情をつくれないといった感じだった。

 違和感をおぼえた星宮が疑問に眉尻を下げる。

 同じく雛宮の沈黙に違和感をおぼえた未来が、密着する胸の中で彼女の顔を見上げた。

 

 懐疑的に瞳を揺らす彼女の瞳が、不安をおぼえはじめた未来の顔を映し出す。

 

「……”おねえちゃん”……?」

 

 

 ふたりに視線の集中する群衆の中心で、未来と雛宮の視線が斜めに交錯する。

 

 

「──あなた──」

 

 

 次に雛宮は、震える表情と唇で、意外な言葉を未来に向かって吐き出した。

 

 

「──誰……? わたしと会ったこと、ある……?」

 

 

 ──思いもよらない雛宮聖華の発言に凝り固まった金戸未来の姿を、連続的にたかれる数々のカメラフラッシュが納め続けた。

 そうそう都合よく幸運は舞い込まない。──むしろ”罰”が下ったと言ってもいい。

 絵画展の行われたある夏の日。

 

 ”絶望”という赤く錆びついた針が、金戸未来の心臓を貫いた。 

 

 

 

 

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