遊戯王5D’s 治安維持局特別対策室   作:ピクサ

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第21話

 

 

 

 今日──ネオ童実野シティは雨だった。

 夏に似合わない、雨だった。

 

 月曜日、登校を済ませた星宮はいつもの様に保健室へと向かっていた。

 既に始業の始まった教室の数々を横切って、居慣れた保健室に真っ直ぐに向かう。

 白のスライドドアを開ければ、そこには黒のタイトスカートに白衣を着た青峰冷夏だけだった。

 

「あら、おはよう、星宮くん。キミ、欠席はしないよね」

 

 蛍光色ファイルの並べられたスチール机の前でエッグチェアーに座り、読書にふけこんでいた冷夏が入室してきた星宮の姿を捉える。

 自分と冷夏の他に誰もいないことを確認して、やはりかと静かに息を落とした星宮は、どこか落胆した様子を見せて近くの卓席に腰を下ろした。

 

「やっぱり、来てないか」

 

「未来ちゃんのこと?」

 

 頬杖ついてそうごちる星宮に冷夏が率直に聞いた。

 あまり事情の明るくない冷夏に星宮の言葉の意味を察しろというのは難しい話だった。

 地を叩く雨音の響く薄暗い中、遠くを見る星宮が細く(つぶや)く。

 

 

「上手く運ばないよな……物事、出来事って……」

 

 

 

 


 

 

 

 

 週明けの月曜日の朝。薄暗い光が、牛尾の部屋を照らしていた。開いたカーテンから差し込む薄暗い光が部屋の中に影を作る。

 漂白されたように真白な壁に光が当たって、外で降り落ちる大粒の雨とソファーに仰向けに寝転がる牛尾の影を部屋壁に映し出していた。

 咥えられたタバコの筒先から立ち昇る、緩やかな紫煙。静かに天井を見つめる牛尾の瞳が、光に揺れる。

 

「…………」

 

 牛尾は今日、有給休暇を取っていた。

 普段なら自分都合で職場を空けない性分なのだが、それでも今日牛尾は有給を取っていた。

 イェーガーから“あの話”を聞いてから心に纏わりついてしまった深い葛藤。どうしても酒で流し落とせなかった感情。

 

 ひとりで考えられる時間──これまで職務に追われてきた牛尾が、初めてそれを欲しいと感じた。

 

「…………」

 

 これまで牛尾は、そういうことを考えてこなかった。

 “大人”になり、仕事に追われる日々に、そういう余計な感情は付随してこなかった。

 確かにこれまでネオ童実野シティで生きてきて数十年、様々な出来事に見舞われはしたが、それでも悩み、迷い、考え、立ち止まるようなことは正直ありはしなかった。

 

 しかし何故か、“48歳”の現在になって──牛尾は身の振り方を問われていた。

 

 本当にこのままでいいのだろうか。数十年、セキュリティに務めてきた牛尾が今になってそう思う。

 深く考えず、日々の流れのままに生きて年齢を重ねてきた“牛尾”。

 街のために戦い、そしてエネルギー機関“モーメント”の制御装置“フォーチュン”を作り上げあらゆる功績を残した“遊星”。

 

 やはりどうしても、比較してしまう感情が、牛尾にはあった。

 

「…………」

 

 ──自分は遊星のようにはなれない。そんなことはわかっているし、別にもう、遊星のようになろうとは思っていない。

 それでもなにか、自分も彼のように“ネオ童実野シティ”の未来のために出来ることはないかとずっと考えて生きてきていた。

 当初は遊星の代わりにハイウェイ・パトロールとして街を守ることがそれなのだと思っていた。

 

 しかしここ最近は牛尾の力不足を実感させるような出来事ばかりだったのが、彼を取り巻く現実だった。

 

 ──テーブルの上に置かれた山札のカードを一枚取る。

 寝そべった姿のまま片手に掴んだカードを翻して、“ゴヨウ・ガーディアン”のカードを静謐に湛える瞳に映した。

 長年連れ添ってきた“相棒”を見つめて思う。

 

 自分は──強くない。星宮と比べても、そしてパトロール隊の部下を屠っていった“志賀雷銅”と比べても。

 

 そんな自分に、“治安維持局特別対策室”の人間として、そしてネオ童実野シティに生きゆく人々のために何が出来るのか──あと12年で還暦を迎える牛尾が、それらを強く考えさせられていた。

 

「…………ん?」

 

 ふと何かの影がはしったのを牛尾が気づいた。

 窓から差し込む光に小さな影が映り込む。

 緩やかにベランダの手摺に止まったそれは、二枚の羽を畳んでは開いてを繰り返していた。

 

「なんだ……?」

 

 影に惹かれ、ソファーを立ち上がった牛尾が引違い窓を開いて雨天のベランダを見た。

 静かに窓を開けた牛尾が、アルミ手摺に止まったそれに視線を落とす。

 

 降り落ちる透明の雨を背景に手摺に留まっていたのは、黒い羽に青模様を輝かせる、一羽の“アオスジアゲハ”だった。

 

「アゲハ蝶……? こんな雨に、めずらしい……」

 

 ベランダの手摺に、それも降雨の最中に留まるアゲハ蝶を見たのは初めてのことだった。

 滅多に見ることのない、願ったとしても見られることのない光景。

 雨宿りなのか。綺麗な模様を黒羽(くろは)に描き手摺に留まるアオスジアゲハに牛尾は目を奪われていた。

 アオスジアゲハの体が、こちらを向いた。その頭が、唖然としたように静かに眺める牛尾の方へと向いた。

 

 そんなわけがないのに、アオスジアゲハがこちらに微笑みかけた気がした。

 

 ──暫くして、アオスジアゲハは飛び立っていってしまった。

 まだ強い雨が降っているというのに、その小さな黒羽は灰色の雨空へと飛び立っていってしまった。

 儚く空へ還っていく蝶の背を目で追いかける。

 

 部屋に塞ぎ込む牛尾の意識をアオスジアゲハが外へと向けさせた瞬間だった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 アオスジアゲハの飛び立ちに()かれるように、牛尾は外へ出た。

 複数の多層構造のビルの並び立つ、その間に挟まれ時代に取り残された古びたアパート。

 その中から傘を携えて出てきた牛尾を先ほどのアオスジアゲハが出迎えた。

 

「あっ……」

 

 遠くへ飛び去ったわけではなかったのかと、階段手摺に留まっていたアオスジアゲハを見て牛尾が小さく驚いた。

 アゲハ蝶と牛尾の視線が重なる。頭を向けるアゲハ蝶がまた飛び立つと、牛尾を先導するようにして雨の中を飛んで行った。

 ──追いかけるべきなのか。何らかの因果を感じざるを得ない牛尾が、アゲハ蝶を目で追いかけて思う。

 迷った(すえ)、藍色の傘を開いた牛尾は飛び立つ蝶の後ろ姿を追いかけた。

 小さく、薄い体を動かして雨の数々を避けて飛んで行く蝶の後を追いかけ走っていく。

 不思議な存在感を醸し出す蝶を追いかけた末、導かれてやってきたそこがどこなのかを牛尾は見渡して気づいた。

 

 ダイモンエリアだ。

 以前、氷室の洋酒屋からの帰り道に通った市民公園の前だった。

 

 あの夜乾いていた市民公園は水溜まりだらけだった。

 雨に濡れそぼる薄水色のゾウの滑り台。水をひどく吸い込んで濁った水溜まりを作る砂場。

 錆びかけの鎖を雨が纏い流れるふたつのブランコ。

 

 その、ふたつのブランコの片方に以前見かけた銀鼠色髪の少女が項垂れて座っていた。

 

「……!?」

 

 今日、少女はアカデミアの制服を着ていなかった。代わりに純白のワンピースを肌に通して、その白に染まったワンピースを降りしきる雨に濡れさせていた。

 うつむく顔を隠すように垂れた銀髪を天から落ちてきた(しずく)の数々がつたう。冷えた空気に晒された細すぎる肌身を雨が纏わりついて(したた)らせていた。

 以前、牛尾の目の前で画家だと名乗った存在感のある不思議な少女。

 

 雨の市民公園で何故かひとり、体を濡らしてブランコの鎖を握る少女がそこにいた。

 

(なにしてるんだ……!?)

 

 思わず目を見開き、動揺する牛尾が少女のもとに駆け寄った。

 自戒を課すようにブランコで微かに揺れる少女の頭上に、藍色の傘を被せてあげた。

 傘とそれを握る牛尾の影が濡れそぼった少女の影に重なる。

 

 ふと足元から牛尾を見上げた銀鼠色髪の少女に、牛尾はどういうことなのかと訊ねた。

 

「な、なにやってんだいったい!? どうして雨の中、ひとりでこんなところに!?」

 

「…………」

 

 疑問に思った牛尾はさらに聞いた。

 

「……学校は!? アカデミアはどうした? 今日は月曜日、普通なら学生のキミは登校してるはずじゃないのか?」

 

「…………」

 

 牛尾の見上げる赤の瞳が揺れた。

 

「…………? ……??」

 

 そして少女は一気に警戒心を露わにして、ブランコから咄嗟に立ち上がり牛尾のもとから飛びのいてしまった。

 

「えっ──?」

 

 どうして、何故。この前話した時は警戒しなかったのに。

 目の前の少女が間違いなく3日前、洋酒屋の帰りに出会った少女だと確信する牛尾は少女の反応に疑問を抱く。

 対して、赤の瞳を震わせて体を退く少女は、突然話しかけてきた牛尾を見ておびえるばかりだった。

 

 雨ざらしで体を硬直させた少女が、落ち着きを取り戻していく。

 

「…………」

 

 そして少女は突然混乱したように頭を両手で抱えて、牛尾の目の前で(うずくま)ってしまった。

 

「……っ! ……っ!」

 

 声にならない声が、雨の公園に響く。

 頭痛に苦しむ様子を見せる少女を唖然と見下ろして、牛尾は急いでそばに駆け寄る。

 潰れた虫のように、濡れた土に頭を伏せる少女に牛尾はしゃがみ込み必死に呼びかけた。

 

「おい! おい! どうしたんだ!? 俺のことがわからないのか!?」

 

 牛尾の必死の呼びかけが雨ざらしの公園に木霊する。

 頭を抱え、怯えた様子しか見せない少女はひどく体を震わせた苦しみに喘いでいた。

 丸めた背中が、声にならない呻きをずっとあげ続ける。

 

「っ……! ……っ! っ!」

 

 先ほどから“言葉”を発しようとしない──否、言葉を発することが“できない”少女を見て、牛尾はもしかしてとばかりに口こぼした。

 

 

「もしかして──“喋れない”のか…………!?」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 寒さに震える少女を休息所の四阿(あずまや)に座らせて、牛尾は近くのコンビニから帰ってきた。

 コンビニで見繕ってきたタオルと、そしてホットティーを抱えて牛尾は再び画家の少女のもとに急いで戻ってきた。

 

「だいじょうぶか?」

 

 包装からフェイスタオルを取り出して木製椅子に座る少女に近づく。

 ただでさえ血色の悪い唇を更に青くさせる少女が、濡れそぼった銀髪に肩を震わせて、自らの肌身を抱きしめるように両腕を組む。

 

「寒くなかったか? ほら、いま拭いてや──」

「ゃっ……!」

 

 桃色のフェイスタオルで濡れた頭を拭おうとした瞬間、少女が反射的に拒絶した。

 迫る男性の手に無意識に抵抗してしまった銀鼠色髪の少女は、牛尾の手を払いのけてしまった。

 

「っ……! ……すまねぇ、怖がらせたな……」

 

 それでも牛尾は彼女に配慮して、少女を心配した。

 

「悪かった。自分の体は、自分で拭きな。ほら、タオル」

 

 暖かな眼差しを向けて、牛尾は少女にタオルを手渡した。

 少し日に焼けた、タオルを握る大きな手が少女の方に向けられる。

 ──申し訳なさそうにうつむきながら、少女はゆっくりとそのタオルを受け取った。

 

「…………」

 

 自責の念なのか、少女はタオルを受け取ってからもしばらく神妙な表情をしていた。

 心配してくれる牛尾に対して拒絶することしかできない自分を、どうやら責めているようだった。

 ──どういうことなのか。木製テーブルを挟んで向かい側に腰を下ろした牛尾は項垂れるばかりの少女に聞いてみた。

 

「キミ……まさか俺のこと覚えてないのか?」

 

「…………」

 

「たった3日前、この公園で話したばかりなんだが、本当に覚えていないのか?」

 

 心失ったように視線を落とす少女が、半開きの口と共に頷いた。

 魂抜かれたように赤の瞳から光を失った少女は、呆然と目の前のテーブルばかりを見つめていた。

 言い方は悪いが、およそ健常とは言えない少女を見て、牛尾はある予感が過る。

 

「そういえばキミ……名前は?」

 

「……」

 

「キミ自身の名前は、なんていうんだ?」

 

「……」

 

 “まさか”──そう思い、牛尾はおそるおそる、生気失った少女に訊ねる。

 

 

「──まさか──俺のことだけじゃなく、自分のことも覚えていないのか……?」

 

 

 訊ねられ、牛尾の言葉を噛み締めた少女は暫く沈黙を過らせて、その後肯定するように深く頷いた。

 

 

 

 


 

 

 

 

「“心因性の失声症”だと思います」

 

 少女を連れて近くのクリニックにやってきた牛尾が医者に訊ねる。

 

「“心因性の失声症”……?」

 

「大きなストレスで神経が上手く機能しなくなり、声が上手く出せなくなってしまう症状ですね。記憶の混乱も見られますので、おそらく何か強いショックを受けてこうなってしまったのではないかと」

 

「強いストレスって……いったいどんな……」

 

「さあ……そこまでは」

 

 小さな診断室で牛尾に訊ねられた医者がそう答える。

 牛尾の横で項垂れ黙り伏す銀鼠色髪の少女に医者は同情するような眼差しを寄せた。

 

「本来は脳波の検査を行うべきなのですが、大手の病院でもなければそういう設備はなくて。もちろん紹介状を書くことはできるのですが、ともかくいまは彼女を安心させることが先決だと私は思います。牛尾さんでしたか、この子の身元に心当たりは?」

 

「いや……」

 

 ──そういった流れで診断を終えて、牛尾は少女を連れて待合室に戻ってきた。

 少女を隣に座らせて、診断費用の会計を待つ。

 不安げにうつむく少女を横目に見て、牛尾は先程の医者の言葉を振り返った。

 

(強いショック……いったいどんな)

 

 いったい、どれほどのショックを受ければこうなるのか牛尾には見当もつかなかった。

 自分も48年生きてきて色々あったがここまでの様子になったことはない。

 未だ冷えた体に小刻みに震える少女を見て、牛尾は同情の視線を向けざるを得なかった。

 

「なあ……寒くないのか?」

 

「……」

 

「俺も今日、雨で少し寒かったから羽織ってきたんだが……キミが良ければ、これを着てくれよ」

 

 そういって、牛尾は肩に羽織っていた焦茶色の革ジャケットを脱いで少女に手渡した。

 最初はじっとそれを眺めるばかりの彼女だったが──どこか牛尾に気を許し始めた少女は牛尾の手からぶら下がるそのジャケットを両手に受け取った。

 受け取ったジャケットを広げて、自身の肩に羽織る。

 女性の中でもとりわけ更に細見な彼女の体には、牛尾のジャケットは大きすぎた。

 

「はは……ぶかぶかだな」

 

「……」

 

「もしかしてちょっと重いか? 俺のジャケット」

 

 そんなことはない、といったように少女は口元を少し緩ませて首を振った。

 ふと、静かに牛尾の手を掴んだ少女。

 労わるように控えめに握って、閉じた手を開くように促した。

 

「ん、どうした……?」

「……」

 

 細長い人差し指を牛尾の掌の上に当てて、なにか文字を描いてゆく。

 なぞるように、それが“ひらがな”を書いているのだと気づいた牛尾は、雪原の枯れ木のようにすぐにでも折れてしまいそうな彼女の指に注目して、一文字ずつ描かれる文字の判読に務めた。

 指で描かれたのは次の五文字だった。

 

 

 “あ”。

 “り”。

 “が”。

 “と”。

 “う”。

 

 

「あっ……」

 

 公園での拒絶から一転して、一生懸命に感謝を伝える銀鼠色髪の少女の姿がそこにあった。

 

「へへっ……どういたしまして、ってとこだな」

 

 牛尾に気持ちが伝わったことに喜んで、少女が柔らかく微笑んだ。

 ようやく初めて、少女の心からの笑顔を見ることが出来て、牛尾は深く喜び微笑んだ。

 

「……でも、どうするか……医者も言ってたキミの身元、俺にもわからないが……」

 

 微笑んだのもつかの間、牛尾は身元不明の少女をこの後どうするべきかを考え始めた。

 少女の表情もその言葉に翳る。

 少女は記憶を無くし、牛尾は3日前の出会い以外面識がなかったことから少女の身元に関する手がかりが全く存在していなかった。

 彼女の名前さえあの時聞いていないのだ。

 

「……いや、待てよ?」

 

 と、その時あることを思い出した牛尾が少女の前で言葉を漏らす。

 なにか思い当たる様子を見せる牛尾に少女が男の頬傷顔を見上げた。

 

「そういえばキミ──あの時“デュエルアカデミアの制服”を着てたよな?」

 

 そういえば少女はあの日、現在着ているワンピースとは違い学校の制服に袖を通していたのを牛尾は思い出した。

 立て続けに色々な出来事が起きたから失念していたがそういえばそうだ。

 

 少女はあの夜、自身のことを“学生”であり専属契約を結ぶ“カードイラストデザイナー”だと語っていた。

 

「──そうだ、デュエルアカデミアだ! ハイトマンならキミを知ってるかもしれない!」

 

 わずかな手がかりに光明を見出した牛尾が旧型の携帯電話を取り出す。

 

 牛尾は少女を連れて、ルドルフ・ハイトマンの居るデュエルアカデミアに向かうことを決めた。

 

 

 


 

 

 

 雨の中、車を走らせて牛尾はデュエルアカデミアに向かった。

 薄暗い雨空の下、牛尾は少女と共にいったん自宅に戻り自分の乗用車を持ち出してきた。

 助手席に革ジャケットを羽織る銀鼠色髪の少女を乗せてアカデミアへと向かう。

 よもや有給休暇にアカデミアに向かうことになるとは、牛尾自身も予想していなかった。

 だがそれでもいい。

 

 少女を助けるためならば。

 

「よし、着いたぞ。降りようか」

「……」

 

 デュエルアカデミア・ネオ童実野校の裏口に辿り着き、牛尾は車を停めた。

 以前、華々しく咲き誇っていた桜の木々は既に雨水に濡れそぼる枯れ木へと変わっていた。

 牛尾が先に降車して、傘を差して少女の乗る助手席側にまわる。

 広い傘帆の中で扉を開けて、少女が再び雨に濡れないようにと牛尾は彼女のことを気遣った。

 

「ほら。……ゆっくりでいいからな」

「……」

 

 まだ体力の回復しきっていない体を持ち抱えて、少女は車から降りた。

 ばしゃり、と弱々しい足取りが灰色のアスファルトに張った水溜まりを踏みしめて、溜水(たまりみず)を小さく周囲に跳ねさせた。

 運良く、履き物がオレンジ色のレザーサンダルであったので少女の足がひどく濡れることはなかった。

 

 裏口から校舎内に入り、牛尾は連絡を取ったハイトマンを待った。

 以前は星宮を目的に雛宮と共に訪れた場所だが、まさかこういった形で再度訪れることになるとは牛尾自身思わなかった。

 ──そういえば星宮はいまどうしているのだろうか。暫く会っていない牛尾は思った。

 

「──あっ、牛尾どの、ご無沙汰であります。お久しぶりですね」

 

 牛尾の訪問から暫くして走ってきた狐顔の男が牛尾に挨拶する。

 本来教職者のハイトマンが廊下を走るのはあまりよろしくないのだが、彼も事態が事態だったので急いで裏口までやってきた。

 

「ウチの生徒かもしれない子を保護したと聞きましたが──」

 

 そこまで言いかけて、ハイトマンの瞳が牛尾の陰の少女を捉えた。

 

「えっ、未来(みらい)さん!? 未来さんではありませんか! もしかして未来さんが!?」

 

 思わず驚くハイトマンに対して牛尾が説明した。

 素頓狂声を挙げるハイトマンに思わず少女が牛尾の背中に隠れた。

 

「ああ、そうだこの子なんだ。この子が朝、公園で傘も差さずに雨に濡れてブランコに座ってたんだ。たったひとりで」

 

「なんと……しかしどうして」

 

 背中に隠れる少女にハイトマンが屈んで訊ねる。

 

「未来さん、どうして公園に?」

 

 しかしそう訊ねられた少女は怯えて目を逸らすばかりだった。

 

「……?」

 

「すまねえハイトマン校長。この子どうやら記憶を失ってるらしいんだ」

 

「は、はい!?」

 

「声もだせねえ。強いストレスが原因の失声症。さっき医者に連れてってそう診断された」

 

「な、なんと……そんな、まさか……そんなことが……」

 

 信じられない、といった様子でハイトマンの表情が震えた。

 教え子が、そういった状況に苛まれている事実に心を痛めている様子だった。

 

「そんな……なぜ。最近、保健室通学を始めたばかりなのに……」

 

「“保健室通学”……?」

 

「はい。実は彼女、ここの中等部の三年生で、ここ最近出席日数が足りていなかったのです。だから最近彼女の自宅に訪問して保健室通学を進めたのですが……」

 

 ハイトマンの表情が、見る見る落ち込んでいく。

 

「わたくしは彼女の心に、気づいてやれなかったのか……」

 

 もしかして失声症の原因が自分かもしれないとハイトマンは思い始めていた。

 保健室通学を無理強いさせてしまったから、と考え落ち込むハイトマンに牛尾が割って入る。

 

「あ、あんたのせいだと決まったわけじゃねえだろ。さすがにそりゃ考えが早いと思うんだが」

 

「し、しかし……」

 

「今はひとつでも原因の手がかりを集め、この子を安心させるべきです。──そうだハイトマン校長、保健室通学をしていたならそこの保険医がこの子のこと知ってるんじゃありませんか?」

 

「あっ、そういえば──」

 

 ハイトマンが思い出したようにふたりの前で述べる。

 

 

「星宮くんも、未来さんのことを知っているはずですよ。同じく保健室に通学していますから」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 保健室のスライドドアが開いた。

 

「えっ……?」

 

 突然入ってきたハイトマンと、そして牛尾の姿を見て長机に向かって腰を下ろしていた星宮が驚いて立ちあがった。

 

「牛尾さん!? どうして学校に!?」

 

 神妙な表情で無言に務める牛尾。

 同じく沈鬱に口を閉ざすハイトマン。

 

 そんなふたりの背後に、銀髪の姿があることに星宮が気づいた。

 

「えっ──!?」

「未来ちゃん!?」

 

 星宮が目を見開くのと同時に、保険医の青峰冷夏も少女の姿に気づいた。

 少女に向かって声を挙げた星宮に牛尾が反応する。

 背に隠れる少女はうつむくばかりだった。

 

「星宮、知ってんのか?」

 

金戸未来(かなとみらい)、デュエルモンスターズの専属イラストデザイナーを務めるプロの画家っすよね」

 

「あ、ああ」

 

「どうして牛尾さんと一緒に? 今日学校に来てなかったから心配してたんです」

 

 星宮の蒼色の瞳が背中から覗き込む赤の瞳に向く。

 

「未来ちゃん、あの時は突然帰ってしまってすまなか──」

 

 しかし怯えた様子で、要領を得ず目を背ける少女に星宮が柳眉を疑問にひそめた。

 

「えっ……?」

 

「星宮、この子は記憶を失ってるんだ」

 

「えっ!?」

 

 上から説明する牛尾に、星宮が咄嗟に振り向いた。

 

「記憶を失ってるって……記憶喪失!? どうしてそんな!」

 

「わからねぇ、ダイモンエリアの公園でひとり項垂れてるところを保護したんだが……」

 

 それぞれが困惑に見舞われる中、牛尾が改めて訊ねる。

 

「星宮、それに保険医の先生。なにかこの子について知ってることないか?」

 

 

 

 


 

 

 

 

「元々オレと未来ちゃんは、最近同じ保健室通学で知り合った仲なんです」

 

 牛尾始め保健室に集まる一同は、とりあえず入口近くにある長机を囲んで状況を整理することにした。

 まず初めとして、星宮が金戸未来との関係と馴れ初めを語る。

 窓の向こうでは未だに強い雨が降り続けていた。

 

「実力テストの模擬決闘(デュエル)をして、闘いあった仲なんですけど──」

 

 牛尾とハイトマンの間にうつむいて座る未来の姿を見て、もういちど星宮が落ち込むように口こぼした。

 

「まさか、こんなことになるなんて……」

 

 つい2日前まで正常な彼女を見た星宮としては信じられなかった。

 確かに色々と問題を抱える印象の少女ではあったが、それでもこれほど悲痛な状況になって再び姿を現すとは思わなかった。

 もしかして、と思い当たる節を浮かべた星宮がうつむいて自責の感情をこぼす。

 

「オレの、せいなのか……」

 

 なにやら先ほどのハイトマンと似たようなことをこぼした星宮に牛尾が、そしてハイトマンが注目する。

 星宮の言葉に冷夏も見つめる中で、牛尾は彼の述べた言葉の詳細を追求した。

 

「どういうことだ星宮?」

 

「あの……雛宮さんを巡る件でちょっと色々あったんすよね」

 

 予想外の名前が出てきたことに牛尾が少し驚く。

 

「雛宮? どうして雛宮が?」

 

「模擬決闘の時、思わず俺が雛宮さんの名前こぼしちゃったんですよね。それを聞いた未来ちゃんに雛宮さんのこと追求されちゃって」

 

「つ、追求?」

 

「知り合いだから、会わせてくれって。……えぇっと、なんて説明すればいいか……」

 

 複雑すぎて説明しづらいと頭をかく星宮を見かねて冷夏がフォローに言葉を紡いだ。

 

「未来ちゃん、どうもその雛宮さんってひとに執着してたみたいなんですよね。どうやってでも会いたいみたいな」

 

「執着? なんでまた?」

 

「大切な人……みたいなニュアンスでしたけど。わたしも詳しいことまでは……」

 

「あっ……それなんですけどオレ、その2日後にまた未来ちゃんと会ってるんすよ」

 

 冷夏と牛尾とやりとりする中に、星宮が申し訳ないように割って入った。

 

「あぁ? どういうことだ」

 

「牛尾さん、雛宮さんに絵画展のチケット渡しませんでした?」

 

「えっ、ああそういや──」

 

 ──と、そこで牛尾があの時休憩所で渡したチケットに書かれていた名前を思い出す。

 

「──あ、そうだ“金戸未来”て書いてあった! 金戸未来絵画作品展示会って書いてあった! ……っ!? てことはこの子が!?」

 

「そうなんすよ。いまそこにいる未来ちゃんが、牛尾さんの渡したチケットに書いてた“金戸未来”なんですよ」

 

 まさかそんな偶然があったとは思いもしなかった。

 牛尾のチケットが雛宮に巡り、そしてそのチケットに名前の書かれていた少女が、牛尾の隣にいま存在している。

 

 身の毛よだつほどに奇妙な巡り合わせに、少女を横目に見る牛尾はただただ言葉もなく面食らったように驚いていた。

 

「そんな……そんな巡り合わせが、本当にありえんのか……」

 

「実際、牛尾さんのそばにいるんだからしょうがないすよ。そしてオレは土曜日、雛宮さんに誘われて隣区のネオ童実野美術館に行ったんです。ペアチケットだったでしょ?」

 

「ああ、確かに……雛宮はおまえを誘ってたのか……」

 

 ふたたび保健室に静寂が戻ったのを受けて、星宮が話の続きを語る。

 

「で、オレ雛宮さんに叩き起こされて絵画展に向かったんですけど──オレ未来ちゃんの名前模擬決闘の時に聞きそびれてたんですよね。決着の後すぐに保健室から出て行っちゃったし……」

 

 牛尾の中で、あの夜ダイモンエリアの公園で金戸未来が制服姿でブランコにひとり座っていた理由が一致する。

 

(だからあの時、制服姿で……)

 

「だからその時雛宮さんに話したとき、この子の名前告げれなくて。特徴しか伝えられず、雛宮さんも心当たりがなかったみたいです」

 

「なるほどな」

 

「でもその後、雛宮さんと未来ちゃんが会えた時があったんです」

 

「ほう?」

 

 星宮が無理やり割って入った、あの時の“引退会見”の光景を思い出す。

 

「この子、その絵画展で突然引退表明をしたんです。画家を辞めるって来場者の前で……その時、集まる来場者の中に雛宮さんの姿を見つけたこの子が突然、雛宮さんの胸に飛び込んできたんです」

 

「はぁ!? なんだそりゃ!?」

 

「思わず嬉しくなって雛宮さんのもとに飛び込んだみたいなんですよ。会見の最中、記者や来場者の目もはばからずに……それほどに会いたがってみたいです。けど……」

 

「けど?」

 

「……」

 

 今でもどういうことなのかわからない。そういった風に眉間を深くしかめて、星宮が次のことを述べた。

 

 

「雛宮さんは思わず、“あなた誰”? って聞いたんですよ。まるで初めて未来ちゃんと逢ったみたいに」

 

 大人たち3人の声が重なる。

 

「はっ……?」

 

 ありのままのことを伝えるしかない星宮も、同様に疑問に顔を伏せるしかなかった。

 

 

「つまり、未来ちゃん側からは顔見知りで、雛宮さん側からは“初対面”だったみたいなんですよ」

 

 

 流石に意味がわからなくなった牛尾が物申す。

 

「い、いやいやいや!」

 

 自分の渡したチケットがめぐり巡った因果も奇妙だが、それ以上に気味の悪い話を聞いて流石に牛尾も机に身を乗り出すほかなかった。

 

「訳がわかんねえぞ、この子は会ったこともない人間と会おうとしてたってのか!?」

 

「いや、なんか逆っぽいんですよ周りの状況を聞く限り。雛宮さん側が忘れてるって感じなんです」

 

「ひ、雛宮が?」

 

「未来ちゃんだけでなく、係員の那口さんって人も雛宮さんを見たことがあるって言ってたんです。未来ちゃんに連れられてアトリエに昇っていったって。しかも絵まであったんです」

 

 問い詰める牛尾に真剣な眼差しを向けた星宮が、確かに見た事実を告げる。

 

 

「雛宮さんの姿を正確に描いた一枚の油彩画が、未来ちゃんのアトリエに」

 

 

 ──怪奇と言わざるを得なかった。へたり込むように元の席に腰を下ろした牛尾が唖然と星宮を見つめる。

 片方は面識がある、しかしもう片方は面識がない。

 面識があると主張する方はその証拠を持っている。ならば雛宮が嘘つきなのか。

 しかしあの雛宮がそんなことをするとは思えない。ならばやはり金戸未来側に“偽り”があるのか。

 

 いや、そうは思えない。いまこうして記憶を失い、現実に押し潰されそうになっている隣の少女を見て彼女が、“虚演(きょえん)”しているとはどうしても思えなかった。

 

「ずっと会いたかった雛宮に突き放されたショックで、記憶を失ったっていうのか……?」

 

 渦中の少女も、羽織った大きな革ジャケットの中で、星宮の語る話に怯え震えるばかりだった。

 

 

「……うっ、うっ……」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 その後、ハイトマンは席を立ち、暫く保健室でゆっくり過ごすことを牛尾たちに薦めた。

 一度落ち着いて考える時間を設けた方がいいという、ハイトマンの心遣いだった。

 保健室に残された一同が皆、失意するように落ち込みをみせる。

 

「…………」

「…………」

 

 未だ外で地を激しく叩きつける雨だけが、沈黙の保健室に音を響かせていた。

 

「……そうだ、雛宮さん」

 

「えっ?」

 

「雛宮さんには連絡したんすか? そもそも牛尾さん、今日仕事は?」

 

「あ、いや、今日は有給で……」

 

 そういえばそうだなと星宮の言葉に従って牛尾が通話端末を取り出す。

 細長の携帯電話を取り出すと、牛尾はすぐに雛宮の電話番号へとかけた。

 

「……出ないな」

 

「オレもっすね……また仕事っすかね?」

 

 牛尾が時計を見た。

 時刻はもう午後1時をまわろうとしていた。

 

「いや……? もう昼休憩始まるぐらいじゃあ……?」

 

 週明けの平日とはいえ、流石にこの時間帯に電話に出ないのは不自然だと牛尾は考えた。

 確かに仕事中は携帯電話含めてロッカールームに預けておくのが普通ではあるので勤務時間帯に私用の電話を受けるのは難しいが、逆に昼休憩はほぼ全員の職員が私物を持ち出すのでまず着信を取れるといって間違いなかった。

 

 事実、雛宮は先週その空き時間を使って星宮に絵画展の約束を取りつけたのである。

 

「なんか……変じゃないすか?」

 

 こんな状況だからというのもあるが、ふたりは電話に出ない雛宮を訝しんだ。

 一方で、未だ不安げに静かにうつむく未来を見て、星宮がふと思った。

 

「そういえば、雛宮さんのことも覚えてないのか?」

 

「……? ……んっ……」

 

 理解に努めて、数秒考えて未来は申し訳なさそうに頷いた。

「あちゃー」と星宮が額を抱える。

 

「ますます複雑になってきたな……」

 

 もはや何が本当なのか、そうじゃないのか。牛尾も星宮もわからなくなってきていた。

 

 真実は、“本質”は、いったいどこにあるのか。

 

 

 

 


 

 

 

 

 一方その頃、ハイトマンは職員室へと戻っていた。

 授業を終えた教師たちが教室から戻り始めている。

 天井から一台、吊るされるように設置されている液晶モニターに野次馬のように職員たちが集まっていた。

 

「なんの騒ぎであります?」

 

「あっ、校長先生。いますごい騒ぎですよ」

 

「はい?」

 

「ほら」

 

 ほら、と一声促されハイトマンはモニターの方に向いた。

 見上げた先では報道番組が放送され、あるニュースを取り上げていた。

 

 ニュースの詳細を受けたハイトマンが、その細目を大きく見開く。

 

「なっ──!」

 

 ──ニュースを聞いたハイトマンがすぐさま職員室を飛び出た。

 血相変えて、牛尾たちのいる職員室へと真っ直ぐに走った。

 途中廊下で、「校長先生が走るなよ」とつぶやく生徒の声が聞こえたがそんな場合ではなかった。

 

 一大事だったのだ。保健室のスライドドアを勢い良く開けたハイトマンが叫ぶ。

 

「星宮くん、牛尾どの!」

 

 何事かと保健室に集まる4人が一斉にハイトマンを見た。

 青ざめたように、息からがらに走ってきた狐顔の男を4人はそれぞれに不思議がった。

 牛尾が聞く。

 

「どうしたんですかいハイトマン校長?」

 

「ひ、雛宮さんが……」

 

 上手く呂律の回らないハイトマンが、先ほどの速報内容をありのままに伝える。

 

 

「雛宮聖華さんがたったいま、“検察局”によって“指名手配”されました──!!」

 

 

 全員の瞳が、一斉に瞳孔を開く。

 

「な、なんだと!」

 

 立ち上がる牛尾の叫びが、乱雨のネオ童実野シティに木霊する。

 

 

「雛宮のやつが指名手配……!? ──次から次へと、いったいこのネオ童実野シティではいま何が起こってやがるっていうんだぁ──!?」

 

 

 牛尾哲(うしおてつ)星宮綾人(ほしみやあやと)金戸未来(かなとみらい)の3人は雛宮聖華(ひなみやせいか)の指名手配をきっかけに、新たな事件へと巻き込まれていくのだった。

 

 

 







ようやく本筋に入れそうだなっていう(苦笑い)。
前フリに10話もかかったの正直反省してます。
構成力皆無な非力な私を許してくれ。
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