ニュースの一報を聞いて牛尾たちはハイトマンと共に職員室へ向かった。
ドアを開けて職員室に流れ込む。
部屋にいたアカデミア教師たちが一斉に入り口へと注目した。
牛尾と星宮とハイトマン、そして金戸未来が液晶モニターから流れてくるニュース映像に注目した。
『──昨夜午後9時頃、ネオ童実野シティ市長を務める“ダグラス・イェーガー”氏が自宅を訪れた市役所職員に襲われ、現在意識不明の重体で病院に搬送されたとの事です。容疑者は市長宅に設置されていた監視カメラの映像、及びイェーガー市長の妻であるアツコ夫人の証言から市役所保護課に勤める事務職員“雛宮聖華”だと特定され、現在“検察局”に手配され未だ逃亡を続けている模様です』
報道番組内のコメンテーターが笑顔を浮かべて女性キャスターに聞いた。
『顔写真はないの?』
『容疑者が未成年にあたるため、情報開示に制限がかかっている模様です』
『へぇ! 未成年で公務員試験受かってんの!? 頭いいねぇ、でもそんな子が市長を襲うなんて大事件だねぇ』
ニュースキャスターの読み上げる原稿内容を聞いて牛尾が我が耳を疑った。
「イェーガー市長が襲われた……!? それも雛宮に……!?」
動揺に伏せる牛尾が瞳を揺らす。
「そんなバカな……娘同然に可愛がられてたじゃねえか……!」
牛尾には信じられなかった。あの雛宮がイェーガー市長を手にかけるなんて。
続く星宮も同じようにちいさく嘆いた。
「なんで……何の理由があって、雛宮さんが……」
動機がわからなかった。
何故に慕っていたはずの雛宮がイェーガーを襲う必要があるのか。
そもそも、本当に雛宮が市長を襲ったのか。そこから疑問だった。
──一旦ハイトマンと共に牛尾たちは保健室へ戻った。
ひとり待っていた保険医の冷夏が一同の姿に立ち上がる。
「星宮くんの知り合いが指名手配されたって本当なの?」
しばし沈黙に伏せて星宮は答えた。
「……はい……」
「それも、世話になってた市長を襲ってだ……」
「市長を……?」
続くように漏らした牛尾の言葉に冷夏が注目した。
行き場のない感情が、牛尾を襲う。
「──クソっ! いったい、どうなってやがるんだ!! 雛宮、おまえ、この街を“優しい”街にしたいって言ってたじゃねえかよ……」
冷静ではいられなかった。
──以前、イェーガーから休憩所で聞いた“あの話”が現実になり始めているようで、牛尾はそれを認めたくなかった。
信じたくない、あの話を本当だとは信じたくない。
以前、命を懸けて自分をかばってくれた雛宮を容疑者だとは考えたくなかった。
「本当に雛宮さんで間違いないんすか?」
荒れて嘆く牛尾に、星宮が疑った。
「本当にあの雛宮さんが市長を襲ったっていうんですか。オレたちに手を差し伸べてくれた、あの雛宮さんが」
それはここで考えて出せる答えではなかった。
「……わからねえ。しかし……」
しかし現実に報道されている以上、何かの根拠が存在して指名手配されているのだと考えるしかなかった。
「“検察局”のヤツらが名前まで公表するってことは……それなりに強い根拠、そして“証拠”があるはずだ……」
実際、顔写真はまだ報道されていなかった。
雛宮は18歳、ギリギリ未成年に該当するためだ。
容疑者が未成年の場合、尊厳保護のため顔までは報道されない。
されないのだが、ということはやはり“あの”雛宮聖華で間違いないのだと認めたくない現実を突き付けてくる。
これが未成年でなければまだ、ただの同姓同名であると考えることができた。
「牛尾、さん……?」
「“指名手配”ってのは、よっぽどのことだ……大きな事件、それでいて尚且つ容疑者を断定できる確固たる証拠がなけりゃ普通はいきなり指名手配されるって事はねえ……」
「……そんな……」
絶望的と言わざるを得ない状況だった。
長年、警察に勤めてきた牛尾だから分かる。
こういう事例で、実は間違いでしたなんてことは“1パーセント”もない。
確実に裁ける証拠が揃っているから名前まで公表し容疑者を追跡するのだ。
こういった時、容疑を吹っ掛けた側、つまり“検察局”が失敗を犯したことはない。
深く落胆し、声を震わせた星宮が、沈黙の保健室で牛尾に向かって嘆く。
「じゃあオレたちは……せっかく結成した“対策室”は終わり……ってことなんですか……」
“リーダー”である雛宮が容疑者に認定された以上、“特別対策室”の存続が不可能なのは明白だった。
設立を取り計らってくれた市長も襲われ、現在容態不明。
事実上の“治安維持局特別対策室”の崩壊を、取り巻く現実が突き付けていた。
「…………」
何も言えず、牛尾はそばの椅子に深く腰を下ろした。手を組み、沈鬱に伏せ、考える。
星宮も、同じく言葉を紡げず現実に背を向けるなかりだった。
ふたりが、そしてそばで見つめるハイトマンが哀愁に暮れる。
一層強くなる外の雨音が、薄暗い保健室に響いた。
「…………」
──しかしひとりだけ、他とは違いまだ絶望に伏せていない顔があった。
皆が失意に伏せるこの状況で、銀鼠色髪の少女だけはまだ希望を失っていなかった。
「未来ちゃん?」
ひとりだけ様子の違う未来を不思議に思って、冷夏が彼女に呼び掛けた。
ただひとりだけ、まだその瞳に光を失っていなかった小さな背丈の少女を、皆が静かに注目した。
呼びかける保険医の方に向き、窓辺に座る彼女の方に近寄った金戸未来が冷夏に向かって手を伸ばす。
なにやら冷夏の手元に広げられたノートブックと、そこに転がるボールペンを貸してほしい様子だった。
「えっ、これが欲しいの?」
失声症の少女はこくりと頷いて冷夏の言葉を肯定した。
どういうことかと思う保険医ではあったが、切実な様子を見せる未来を邪険には出来ず冷夏は手を出す彼女に応じることにした。
白紙のノートブックと黒のボールペンを彼女の手に握らせる。
受け取ってすぐさま素早くペンをノートに走らせた少女はそれを両手に広げて、弱々しい眼差しを向ける牛尾たちにノートに書いた内容を伝えた。
“本当にこのままでいいの?”
両開きされたノートにはそう大きく少女の言葉が書かれていた。
「……えっ……?」
再びノートにペンを走らせた未来が次々に自分の思いを
声が出せず、筆談形式で会話を試みる銀鼠色髪の少女は想いの丈をそこに書き連ねていった。
“本当におじさん、このままでいいの? わたしにはわからないけど、その雛宮さんって人はおじさんにとって大事な人なんでしょ?”
“大々的に指名手配されたのは確かだけど、それでもまだその雛宮さんが犯人だと決まったわけじゃないと思う”。
“たった1パーセントでも無実を証明できる可能性があるならその人のために頑張るべきだよ。だって”。
少女の手によって書かれた最後の一文に、牛尾が、そして星宮が目を落とす。
“だって、きっといま本当に一番大変なのは、辛いのは、その雛宮さんだと思うから”。
「……あっ……」
牛尾が、星宮が、少女の持つノートに向かって無意識の言葉を漏らした。
丁寧で綺麗な、それでいて力強く“描かれた”文章を見て、牛尾たちは落としていた肩を元に戻し始めた。
失意に項垂れていた姿勢が戻り、牛尾たちの瞳に光が戻り始める。ペンを持つ未来は再び筆談を続ける。
“わたし嬉しかったよ。さっきおじさんに助けてもらって。わたしのことをこんなに想ってくれる人がいるんだってすごくうれしかった”。
“きっと、雛宮さんもいまどこかで孤独に苛まれてると思う。さっきのわたしのように”。
次々とノートの一面に少女の言葉が足されてゆく。そしてボールペンを走らせる少女は最後に次の言葉を書いて、文章を締めくくった。
“いまどこかできっと、雛宮さんはひとりで泣いている。そんな雛宮さんを励ましてあげられるのは、たぶん牛尾おじさんだけだよ”。
「……!」
──光を再び宿した牛尾が、じっとノートの一文を見つめる。
静かにノートを下ろした少女と男の視線が、両者の間で絡まった。
燐光を宿したように強い眼差しで赤の瞳を揺らす少女と、失意から立ち直り始めた牛尾の黒の瞳が交錯する。
失いかけていた希望を取り戻した壮年の男の姿が、見守る一同の中心にあった。
「そうだな……そうだよな、いまこの状況で“あいつ”を信じてやれるのは、俺たちだけなんだよな」
牛尾に続いて星宮も、希望を取り戻したように項垂れていた表情を引き戻す。
「そうっスよ……まだ決まったわけじゃない。テレビで報道されてたから、ニュースで言っていたからそれですべて決まったわけじゃないんだ」
牛尾に続いて瞳に光を取り戻した星宮が呼びかける。
「調べてみましょうよ牛尾さん。本当に雛宮さんがやったのか、オレたちの手で」
金戸未来の声なき言葉で希望を取り戻した星宮が、その想いを表情に浮かべた。
「“真実”を!」
気持ちを取り戻した星宮の言葉を受けて、ゆっくりと牛尾が立ち上がる。
失意に落胆していた男の足が、星宮の前で立ち上がった。
静かに、天井を仰ぐ。
「ああ、行こう……真実を確かめに、雛宮を探しに」
想い確かめるように虚空を仰いだ漢が、その表情を強く、決意に引き締めなおした。
「俺たちの“局長”を、守るためにな!」
──絶望からなんとか立ち直ったふたりを見て、ノートを片手に下ろした未来が柔らかく微笑んだ。
自分の言葉がこの場に希望を芽吹かせたことに少女の心がくすぐられ、その瞳を静かに閉じる。
少女自身何故かはわからないが、あのふたりには常に笑顔でいてほしいと少女は思った。
「校長先生、どうやら緊急事態です。オレも、牛尾さんについていっていいですか?」
「本当は生徒の身の安全を考慮すれば、教師としては引き留めるべきなのですがねぇ」
そう言いながらも、ハイトマンはやれやれといった様子で星宮の言葉を承諾した。
「ま、キミならばだいじょうぶでしょう。雛宮さんのところに行ってあげなさい。牛尾どのと同じく、彼女もキミの恩人なのでありますからね」
仕方なさげに振舞いながらも微笑みを漏らすハイトマンを見て、星宮は目尻を緩ませて力強く感謝を述べた。
「ありがとうございます! 冷夏さんも、ごめん……オレどうしても行かなきゃいけないんです」
「もちろん止めないわよ。よくわからないけどその雛宮さんって人、大切な人なんでしょ? でももし怪我したら早くいらっしゃい。ちゃんと診てあげるから」
「ありがとうございます!」
学校側に外出許可を得た星宮を見て、牛尾が決意を宿した眼差しで彼を見つめ下ろした。
星宮も強き想いに眼差しをとがらせて、想いを共有する牛尾と顔を見合わせる。
想い確認しあったようにふたりが同時に頷く。
“行こう!” ──と気持ちあらわにしたところで、牛尾の背を銀鼠色髪の少女がつまんだ。
「ん……? どうした?」
保健室出発寸前で腰折られた牛尾が後ろの少女へと振り向く。
牛尾を振り向かせた未来は先ほどのノートを両手に持って不思議そうにする牛尾に向けて見せつけた。
“わたしも連れていって”。
ノートには新しくそう書かれていた。
「なっ!?」
牛尾は率直に驚いた。
「なにを言い出すんだ! 遊びじゃないんだぞ!」
何か危険があるかもしれない事件に、“特別対策室”の面子でもない少女を連れて行くわけにはいかない。
それでも負けじとノートにペンを走らせた少女は次の文を書きだしてみせた。
“わかってる。それでも行きたい。おじさんに助けられたお礼をしたいの。わたしもみんなの役に立ちたい”。
「いや、だからって……」
「いや牛尾さん……案外悪くないかも」
意外な反応を見せる星宮に牛尾が振り向いた。
「えぇ?」
「元々この子、雛宮さんにすごいこだわってたじゃないですか」
「それが?」
「“失声症の記憶喪失”でしたっけ。もしその原因があの絵画展の日に雛宮さんに突き放されたことなら、どこかに消えた雛宮さんを一緒に探すのはこの子にとっても、失った記憶を刺激するいい機会になるんじゃないですか……?」
「雛宮を探し出し、
「まあ。もしかしたらですけど」
「うーん……」
「それに、単純にあなたたちについていきたいんじゃないかしら」
ふたりが話し込む間に冷夏は割って入った。
言葉を発せない未来をフォローするように保険医が見解を述べる。
「えっ?」
「たぶんいまの未来ちゃんって親を探す雛鳥みたいな状態なんですよ。牛尾さん、でしたっけ。わたしからすれば未来ちゃんはあなたに懐いているように見えます」
「あ、俺に?」
「右も左もわからない記憶喪失という不安の中、あなたから離れたくないのではないでしょうか。“親鳥の後ろを必死に追う子供”……いまの未来ちゃんはそんな風に見えますよ」
「そんな、俺はこの子の親じゃあ──」
「それでも、未来ちゃんがあなたをすごく頼りにしているのは確かだと思います。なんというか──」
クスりとひとつ微笑んで、ワンレングスの髪の保険医が首を横に傾けた。
「こうしてみると本当の“親子”に見えますよ、牛尾さんと未来ちゃんって」
からかうように保険医に見つめられて、未来が恥ずかしそうに顔を背けた。
見事心中を見抜かれた少女が顔を背けて一同に背を向ける。
しばらく迷うようにもじもじと手混ぜして、それでも未来は一旦机に置いたノートにペンを再び走らせて、その心に抱えた想いを改めて牛尾へと表明した。
“ダメですか?”
ねだるように上目遣いにノートを持ち上げて見せてきたその五文字が、牛尾にため息をつかせた。
「……たくっ、しょうがねえなぁ……」
頭をかく牛尾が少女に承諾の意を示す。
「今回だけ、だからな」
「……!」
“やった!”と言わんばかりに表情を明るくさせた銀鼠色髪の少女が笑った。
ウキウキと髪を揺らす未来が喜びの気持ちを体で表現した。
車に乗り込んだ助手席の星宮が隣に聞く。
「どうします?」
運転席でエンジンをかける牛尾が事件調査に向けての方針を述べた。
「まずはイェーガー市長をあたろう」
「え、生きてるんすか?」
「あの報道の感じだと死んでねえ、殺害されてるとしたら違う言い方になるはずだ。てことは、襲われはしたものの存命はしてるってこったろう」
「ということは──」
「“市役所”に向かうぞ。病院に搬送されてるとしたらそっちに連絡がいってるはずだ。そこからどこの病院に搬送されたかを割り出す」
発進した車が舗装された車道を走る。
アカデミアを出て雨の降る街へと繰り出した。
──市役所裏手に車を止める。牛尾たち3人は傘も差さずに市役所入口へと走ろうとした。
しかし。
「牛尾くん、いまはやめた方がいい」
──どこかからする声に急ぐ牛尾の足が止まった。
急に止まった牛尾に続いて星宮と未来の足も止まる。
雨の降り落ちる中、声のする方を向けば物陰から
白髪の坊主頭が印象的な、背丈の低い腰を曲げた老いた男性だった。
「“
「誰です?」
「市役所保護課の管轄の地山さんだ。雛宮の上司にあたる人なんだ」
牛尾に訊ねた星宮は驚いて地山の顔を見合わせた。
「えっ!? じゃあ……」
「久しぶりだね牛尾くん」
第一印象を裏切らず、物陰から姿を現した地山は静かな微笑みを
皺の寄った微笑みが牛尾を見上げる。牛尾はひとつ頭を下げて挨拶を済ませた。
「お久しぶりです地山さん。……しかしいまは市役所に行くのはやめた方がいいって何故……?」
「“検察局”が来ている」
牛尾の表情が、わかりやすく変わった。
「……!」
「いまキミが行っても局の人間に追い払われるだけだ。捜査の妨害だのなんだの難癖つけてね。彼らも先の事件のことで訪ねてきている。──いまの“検察局”と牛尾くんは犬猿の仲だろう?」
「……」
様子の変わった牛尾を、星宮が不思議そうに見つめる。
「牛尾さん……?」
妙に黙り込み視線を落とす牛尾の横顔に、何か事情があるのだと星宮は感じ取った。
「良ければ車の中で話そう。私の知る限りの情報を教える。いま役所内に踏み込むのはタイミングが悪すぎる」
「雛宮くんが市長を襲ったのは昨夜の9時頃だそうだ」
駐車場に停車した牛尾の車を、大粒の雨が叩きつけていた。
保護課の地山を助手席に乗せ、後部座席の未来の隣に移動した星宮が、地山の話に耳を傾ける。
運転席で物静かに前を見つめる牛尾は、ただ静かに隣の地山の話を聞いていた。
「昨夜9時頃、イェーガー市長の邸宅にやってきた雛宮くんが客間で市長を襲ったそうだ。ご夫人も一緒に居たらしい、事情聴取にやってきた検察局の人間がそう言っていたよ」
「市長の容態は?」
「生きている。が、しかし意識不明の重体だそうだ。まだ眼を覚まさないらしい。面会謝絶状態だそうだ、つまり」
「見舞いに行ったところで詳しい話は聞けない、ってことですか……」
「その通りだ。ふむ、さすがは旧治安維持局の元捜査員だっただけある」
「やめてくださいよ」
思い出したくもないように牛尾が顔を振る。
「いまの俺はもうそういうんじゃないんです。いまの俺はただのハイウェイ・パトロール。名ばかりのしがない市部巡回部隊なんです」
「“検察局”の台頭でハイウェイ・パトロールも廃業寸前か……せつない世の中だ」
「……」
──なんの話だろうか。大人たちの談話に星宮は無言でまぶたを閉じ開きさせるばかりだった。
隣の未来も要領を得ないといった様子で大人たちを見つめている。
社会経験の薄い子供たちにはどうにも話を掴みづらい事情がそこにあった。
「地山さん……今回の件、本当に雛宮がやったと思いますか?」
「思わんよ、動機がなさすぎる」
地山の言葉に固まっていた牛尾の表情が少しだけ緩んだ
地山が続ける。
「これでも雛宮くんの上司だからね。まだ短い付き合いだがあの子の人間性だけは容易にわかる。あの子は“善良”だ。本来担当ではない引きこもりの大学生の子までもを心配して家庭訪問に向かうような子だ。それが人を襲ったなんてあの子を知ってる人間なら皆信じはせんよ。それにさっきも言ったが動機がなさすぎる」
同じく前を見る地山が、薄明かりに片眼鏡を光らせて続ける。
「雛宮くんはイェーガー市長に可愛がられていた、本当の娘のようにね。雛宮くんも同じく市長を慕っていた。仮に何か恨みがあったとするならもっと上手に物事を運ぶはずだ。どちらかといえば衝動的ではなく計画的に犯行を進めるタイプだろうよあの子は」
「ちょ、地山さん!」
「はは、冗談だ牛尾くん」
思わず叱責の声を挙げる牛尾に、地山は受け流すようにひとつ笑った。
どこか老獪さを感じさせる地山だが、飄々翩々とした態度に反して彼なりに雛宮の身を案じているようだった。
「……ともかく、今回の一件は何か“キナ臭い”。意気揚々と“検察局”が飛び込んできたあたりなにか
「えっ?」
「“治安維持局特別対策室”。彼女はそこの“局長”なんだろう?」
牛尾と、そして星宮が意表突かれたように目を見開いた。
「知ってたんすか地山さん!?」
「割と役所の職員の間では有名だよ。突如市役所内に設けられた“形のない部署”。世間に公にできない、“サイコ能力”絡みの事件を調査する秘密部署らしいね。なぜ警察機関ではなく市役所にそんな部署が設けられたのか一部の職員が不思議がっているよ」
「まさか知られてたとは……」
「恐らく行政側は“検察局”の捜査に介入する口実が欲しかったんだろう。それで設立したのが“治安維持局特別対策室”……検察、警察の“監査”を方便として設立しておけばいつでも行政側は介入できる。が、それは検察側からすれば好き勝手できずに困るわけだ。しかし、その部署の“リーダー”である雛宮くんが捕まればどうなるかな?」
「目の上のタンコブである“特別対策室”も“リーダー”も潰せて一挙両得ってわけですかい」
「ま、そういうことだろう。だから検察も今回の事件は一際力を入れているわけだな」
“子供”たちの理解の及ばない範囲で、大人たちの推理が着々と進められていく。
──ふと地山の表情が引き締められた。
表情を真面目なものに戻しておもむろに下を向いた地山が、静かに何かを漏らした。
「……もしや“特別対策室”の設立は、もっと“上”の存在が絡んでいる可能性が……?」
「えっ? なんですか地山さん?」
「ああ、いやなんでもないよ」
上手く話を聞き取れず牛尾が地山に聞き返したが、地山がそれ以上その話を掘り下げることはなかった。
地山が最後に牛尾に振り向く。
「──ともかく、イェーガー市長に詳細を聞くのは無理だ。現在面会謝絶中、それが解けるころには雛宮くんは檻の中だろうよ。仮に早くに目が覚めたとしても恐らく検察局はキミたちと市長を会わせたがらない」
「どうしてですか?」
牛尾ではなく、後部座席の星宮が地山に聞いた。
地山の顔が後部座席の方に振り向く。
なるほど、というように口元を緩ませ、皺顔に更に皺を作った。
「イェーガー市長の証言は、検察側にとって“都合が悪い”からさ。……なるほど、キミが星宮くんか」
「えっ、どうしてオレの名前を?」
くっくとしてやったように片眼鏡の向こうで地山の目が笑う。
「雛宮くんが嬉しそうに話してたからね。いつも話をするたびに、キミのことを」
──そうして、地山は車を降りて市役所裏口へと去っていった。
一通り地山から話を聞いた一同は、どうするべきか迷う。
「一番の証人に話を聞くのが無理か……たく、状況がどんどん悪くなりやがる」
車内、雨音の響く中。牛尾がポケットからタバコを取り出しかけて、やめた。
子供たちの前では吸えないと牛尾がため息をつく。
ふと、牛尾の肩をちょんちょんと叩く姿がひとつ。
「ん? どうした未来ちゃん」
「……」
何やら聞きたいことがあるらしく、静かに座っていた未来がアカデミア保健室から持ってきたノートブックにペンを走らせ何かを綴り始めた。
これらは筆談用に保険医の冷夏が未来に貸したものだった。
言葉を綴り終えた未来が牛尾にそれを見せつける。そこにはこう書かれていた。
“検察局ってなに?”
「ん……知らないのか? 検察、つまり起こった事件の証拠を集めて刑事事件を追及する司法機関なんだが──」
「……」
更に未来が文章を書き足した。
“おじさんって、刑事じゃないの?”
「……それは……」
言葉詰まらせて、牛尾は苦い顔つきで頭をかいた。
「……昔は
「ハイウェイ・パトロールが窓際部署?」
星宮がすかさずふたりの会話に割り込んだ。
「高速道路を含む街の巡回部隊ですよね、そんなに立場が低いんですか?」
「そもそも俺は“ノンキャリア組”だ。元々
「別の話……?」
「総務執行課“ラッシュハウンド”。“検察局”直属のエリート追跡部隊」
水弁の切り開かれた蛇口のように次々と口漏らす牛尾が、声を落とす。
落ち込むように牛尾の横顔にひとつ陰影が差し込んだ。
「変わっちまったんだよ……この20年で、色々な……。──“イェーガー市長の邸宅”に行ってみよう。“検察局”とハイウェイ・パトロールの関係は向かいながら話す」
──20年前のことだ。
当時、俺の所属していた治安維持局は様々な不信任を受けて解体された。
理由は当時の前長官の企みと、“イリアステル”という組織に上層部の介入を受けていたことが解体のきっかけだった。
元々治安維持局は腐敗していた。上層部は自らのために組織を利用し、下の隊員たちもどこか横柄に市民たちに対し悪態をついてた。
職権濫用の横暴な警察組織。市民たちの不満が募り、いずれ解体されるのはいま考えてみれば時間の問題だった。
だからといってそのまま犯罪を取り締まる組織が無くなっていいわけがない。
もちろん警察側は改めて治安維持局に代わる“セキュリティ”部署を再編成しようとした。
しかしここで、いままで警察組織の重ねてきた不祥事に物申す団体があった。
それが“検察局”だった。
本来、検察局と警察は持ちつ持たれつの関係だ。
刑事の集めた証拠をもとに被疑者、つまり罪を犯したであろう人間を起訴するのが検察局の仕事なんだがこれは警察側の信用があってこそ成立する話だった。
が、しかし当時の治安維持局の起こしてきた不祥事から警察は最早他からの信用をほとんど失っていた。
そんな権威も威厳も失っていた警察側に、検察局側は弱みを突くようにこう提案した。
“捜査機関を検察局にも配置してくれませんか”と。
普通は通らない、いうなれば検察局直属の警邏組織を作りたいって話だ。
そんなことをすれば検察と警察のパワーバランスは崩壊する。明らかに検察局に利がある話だった。
だが検察局には大義名分があった。“権力を持ち過ぎていたゆえに治安維持局及び警察は暴走したのだ”という検察局側の言い分は、散々不祥事を重ねてきた警察側は言い返せない言い分だった。
“かつての治安維持局の起こした過ちを繰り返さない為の検察と警察での権力の分配”という、形だけの方便。
その結果、出来上がってしまったのが──。
「──検察局直属総務執行課“ラッシュハウンド”。地獄の果てまでも犯人を追跡して検挙を果たそうとする
「検察局直属の部隊って……そんな話、通るんすか?」
「これが通ったんだ。あの時はまさに街が、すべてが生まれ変わる“転換期”だった。散々不祥事を重ねてきた警察も文句が言えない、そこに上手く検察局はつけ込んだ。そしてその結果、やはり組織間のバランスは崩壊した」
篠突く雨のネオ童実野シティの高速道路を一台の車が走る。
ちょうど巨大ジャンクション“ネオダイダロスブリッジ”の中腹に差し掛かり、ハンドルを握る牛尾が前面に映る雨空を見上げた。
透明な水の中に墨でも垂らしたかのような、暗い空だった。
「“ラッシュハウンド”の活躍は破竹の勢いだった。黒い制服、黒い隊員服、黒い“D・ホイール”を駆り次々と検挙率を上げていく生え抜きのエリート部隊に、俺たち松葉色の隊員服に身を包む“ハイウェイ・パトロール”の出る幕はなかった……」
「……」
「まだ学生のお前たちには分からないかも知れねえが、社会ってのは結果がすべてだ。それは警察組織内でも例外じゃあない……ラッシュハウンドに遅れを取り、功績を挙げられないどころか検察局に手柄を取られ続けられる俺たちハイウェイ・パトロールは、警察内でも心象を悪くしていった。ある日お偉い方に言われたよ。“結果もロクに出せない給料泥棒”だってな」
「それで……窓際部署に?」
「そういうことだ。どうあがいても検察局の“ラッシュハウンド”に仕事が奪われるんだからな。ラッシュハウンドに所属する人間はすべてエリート揃いで、優秀で、デュエルが強い。どこに優秀なラッシュハウンドを差し置いて結果の出せないハイウェイ・パトロールに仕事任せるヤツがいるんだって話だ」
過去を見つめるように狭まった牛尾の眼差しが、戻る。
どこか遠くを見つめていた牛尾の瞳が暗い雨空を映した。
少しだけその黒い瞳に光が差し込む。
「優秀な“黒”、落ちこぼれの“緑”──世間は次第に“ラッシュハウンド”と“ハイウェイ・パトロール”の関係をそういう風に表現していった」
が、しかし世間の風当たりが強くなってきたその当時、牛尾率いる“ハイウェイ・パトロール”に手を差し伸べる姿があった。
「だがその時警察内からも腫れ物扱いにされていた俺たちに手を差し伸べてくれる人物がいた。それが元治安維持局室長で現市長のイェーガー市長だった。市長は情けをかけ、俺たちを“行政側”の巡回部隊として引き取ってくれたのさ」
「“行政側”の巡回部隊って?」
「そのままの意味だ。イェーガー市長自らがお願いして、ハイウェイ・パトロールにシティ警備巡回の仕事を回してくれたのさ。まあ行政側も検察局にこれ以上つけあがられたくないって事情もあったんだろうが……もちろんハイウェイ・パトロールとラッシュハウンドの差が埋まることはなかった。それでもいつかまたデカい功績を挙げて、ラッシュハウンドの奴らに吠え面かかせてやろうって、俺たちハイウェイ・パトロールの連中は日々、ネオ童実野シティのために頑張っていた……市長のご厚意に報いるためにもな」
「……でもその“ハイウェイ・パトロール”は──」
思い出したくなかったように、牛尾が緩やかに首を振る。
「ああ……あの“志賀雷銅”の襲撃の件で、ほぼ全滅したよ……」
──しかしこの時、ふとある考えが牛尾の頭を過ぎた。
(そういや……志賀雷銅の乗ってたD・ホイールも“黒”かったな……)
──やがて車は“イェーガー市長邸”前に着いた。
比較的富裕層の集まる住宅地に建てられた、一際大きな豪邸。
レンガ造りの外塀と鉄格子に周囲を囲まれたその豪邸を牛尾が見上げてしばし沈黙する。
ひとつ思うところがあるようにその横顔に真剣な表情を湛えて、牛尾は車の鍵を引き抜いた。
「行こうぜ」
先を行く牛尾に続いて星宮たちも車を降りた。
邸宅周囲の外塀を迂回し、邸宅内へ続く格子門を目指して進む。
ちらほらと、周囲に何台かの黒塗りの車とD・ホイールが止まっていた。
“検察局”の人間が既にここにやってきていることの証拠だった。
そして入口の鉄格子門前に差し掛かった時、門前で傘を差して佇むひとりの女性がふとこちらに気づいた。
「……ん……?」
背丈は雛宮と変わらないぐらいだった。
長い尻尾のように垂れ落ちた、後頭部に纏められたダークブラウン色の髪束。
大きな黒い瞳が、まだあどけなさを残した顔立ちに浮かぶ。
着用する漆黒のレディーススーツに、“検察─Prosecution”と描かれた腕章が輝く。
「どなたでしょうか。いまこの辺り一帯は“検察局”により封鎖しているのですが」
噂の“検察局”所属の女性が邸宅前にやってきた牛尾の姿に気づいて、質素な語調で語り掛けてきた。
「俺は牛尾哲。“ハイウェイ・パトロール”の牛尾だ」
名前を聞いた女性がひとつ考える素振りを見せる。
「……?」
そして呆れたように嘆息して、首を振ってその髪束を揺らした。
「……“窓際の巡回部隊”じゃないですか。わたしの認識が正しければここはハイウェイ・パトロールの管轄外だと思うのですが」
「巡回に立ち寄ったんじゃねえ、襲われた市長の件について事情を聴きに来たんだ」
「だとしてもハイウェイ・パトロールの持ち場ではありませんが?」
「“俺たち”の上司が“容疑者扱い”になってるといったらどうする?」
「……」
考えるように片手を唇にあてがった女性が牛尾の言葉に暫く黙って、そして静かに納得したようにその顔を上げた。
「……なるほど」
何かに気づいたらしい様子だった。何か思い当たる様子を受けた女性が踵を邸宅内側に返して誰かに呼び掛ける。
「“局長”、来ましたよ」
雨の中、現場に向かって“誰か”に呼び掛ける女性の姿があった。
「“治安維持局特別対策室”の連中です」
“蛇”が──
「──おやぁ?」
その一声だけで、雨の場は一気に支配された。
星宮の肩に意味不明の悪寒が疾走する。
牛尾の後ろに立つ未来も、その間延びした声に思わず目を見開いて怯えを瞳に表した。
牛尾の顔付きだけが変わらない。
牛尾は、その男をよく知っていたからだった。
「おや、おやおやおやおやおやおやおやおや? これはまた懐かしい顔が訪ねてきましたねぇ?」
格子門向こうから黒革のコートをひらつかせて歩いてきた男は牛尾とさほど変わらない程の長身だった。
丁寧に毛並みの整えられた艶のある
腰まで伸びる金髪が薄暗い空に反射した。先ほどの女性に傘を高く掲げさせ、自らは雨よけにその傘の中に入った。
まさしく蛇のように鋭い眼光が牛尾を貫いた。骨の張った青白い顔と、頬傷のはしった浅焼けの顔が鉄格子門の前で向かい合う。
“20年”ぶりの──再会だった。
「お久しぶりですねぇ、“牛尾さぁん”。元気でしたかぁ?」
人を喰ったような微笑みに、大きく腕を広げて、男は間延びした口調でそう述べた。
だが言葉とは裏腹に、その男は再会を喜んでいないようだった。
どちらかといえばその言い方はどこかこちらを煽るような、そんな調子が窺えるものだった。
飄々とした口調に対し、牛尾はまさに“真剣”のように鋭く構えた目で彼を見つめる。
柔和で飄々に気取ってみせる金髪の男とは対照的に鋭く相手を眺める牛尾の様子がそこにあった。
「相変わらず四角四面が皮被ったみたいな顔して。いったい、窓際部署の“時代遅れの老害”がこんな場所になんの御用ですかねぇ、牛尾さぁん?」
慇懃無礼な様子で接する男に、牛尾は物怖じしない。
それどころか、どこか悲哀を込めたような眼差しで牛尾は男のことを静かに見つめていた。
「…………」
状況を掴めない星宮が背後から聞く。
「牛尾さん……この人は?」
そして牛尾は、どこか思いつめたような横顔を星宮に見せて、物静かにゆっくりと口を開いた。
「……検察局統括現検事局長、“
手を後ろに組み、相手をどこか馬鹿にしたように微笑む上県李鵬。
そんな上県李鵬に対する、星宮と未来だけに見える牛尾の背中は何故か──少しだけ“泣いて”みえた。
「──旧“治安維持局”時代の、俺の“部下”だった男だよ……」
治安維持局が解体後、時代の流れと共に窓際の人間となった元上司。
治安維持局の解体後、警察を離れ検察局の“検事局長”にまで昇りつめた元部下。
“20年”の時間。激しく降り落ちる雨の中で再会を果たす、立場の変わってしまった元“上司”と“部下”の姿。
“犬猿の仲”のふたりの間で──青い火花が散っていた。