遊戯王5D’s 治安維持局特別対策室   作:ピクサ

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第23話

 

 

 

 検察局の成り立ちを説明するにはまず20年前に存在した旧“治安維持局”について説明する必要がある。

 治安維持局とはそもそもネオ童実野シティを統括する行政機関だった。

 今では信じられない話だが、当時のネオ童実野シティは“市長制”ではなかった。治安維持局長官“レクス・ゴドウィン”を長に立て街の執政、及び治安管轄を担い街を納めていたのが“治安維持局”だったのである。

 そのため治安維持局には権力の“一極集中化”が起きていた。行政に加え、警察組織まで編成していた治安維持局は事実上の独裁体制を敷き、市民、特に貧困層である“サテライト住民”に強い圧政を敷いていた。

 

 (ゆえ)に“検察局”は治安維持局とは別の立場の“司法機関”に置かれることになる。検察を治安維持局から引き剥がすことで当時強まっていた行政の権力の分散を図ったのだ。

 

 検察局の役割は基本的に被疑者の起訴の判断だが、同時に幅を利かせていた治安維持局の抑止力になることでもあった。治安維持局の行った捜査に対し、それが“真実”であるかどうかを判断し、被疑者の起訴不起訴を決めるのが検察局の使命。

 従って、“治安維持局”と“検察局”には“対立構造”が生まれていた。

 

 そして転機が訪れたのが20年前の“治安維持局”解体である。この時ネオ童実野シティはイェーガーを初代市長に据えて“市長制”を発足した。

 

 よって行政、及び警察側はこの時権力の弱体化を余儀なくされた。市長制を発足した結果ふたつの組織は離れ離れとなり更なる権力の分散を強いられたのである。

 そもそも治安維持局の解体の原因は、治安維持局そのものの不祥事の数々に他ならなかった。

 レクス・ゴドウィンの独断専行に始まり、“イリアステル”という非公式団体による上層部掌握。

 貧民街から現れた英雄“不動遊星”の活躍と共に明るみに出たこの問題は、周囲から強く糾弾されることとなった。

 

 そしてこの混迷の転換期に一番の利を得たのが、治安維持局の監視役だった検察局である。検察局は転換期の混乱に乗じて上手く警察側を言いくるめ“直属の警察部隊”と“第一次的な捜査権”を取得することになる。

 

 警察という“武力”を得た“司法機関”──そして現在、その権力の“頂点”にいるのが──。

 

 

 かつての牛尾の、治安維持局時代の部下。“上県李鵬(かみあがたりほう)”というわけである。

 

 

 ──桜が散った夏空は、絶え間なく続く厚い雲によって、大粒の雨を降らす梅雨に覆われていた。

 桃色の花弁が枯れ落ちて夏の若葉が芽吹きをみせる頃、梅雨前線と共に訪れた“イェーガー襲撃事件”。

 襲撃事件を巡り、牛尾哲とその“旧治安維持局時代の元部下”である検事局長“上県李鵬”は市長邸宅鉄格子門の前で雨の中、互いに鋭い眼差しを据えて睨みあっていた。

 

 互いの傘を叩く雨の音。黒塗りの車が周囲を取り巻く中で、上県が先に聞いた。

 

「なんの御用ですかねぇ、牛尾さぁん」

 

 上県は、独特の緩急と間延びさせた口調で牛尾に訊ねた。

 

「ここはあなた方の持ち場ではないんですがねぇ。窓際の“ハイウェイ・パトロール”風情がどうしてこんなところにいるんでしょうか。そういえば今日平日ですよね? とうとう無職へ御用されましたか」

 

「……相変わらず見てえだな上県」

 

 煽るような調子の上県に、牛尾は慣れた様子で接する。

 

「話を聞きに来た。“俺たちの上司”を指名手配したってのはどういう了見だ、上県」

 

「フッ……なるほど」

 

 嘲るように鼻で笑った上県が、斜めに顔を構える。

 

「今日はハイウェイ・パトロールではなく“治安維持局特別対策室”の人間としてここにやってきたわけですか」

 

 牛尾と上県は20年前の“ある一件”以降、凄まじく劣悪な関係にあった。

 まさに犬猿の仲と言える間柄で、ふたりを知っている者なら誰もがその関係の悪さを認知しているほどだった。

 先ほど牛尾とやり取りした漆黒のレディーススーツの女性がそばの上県に訊ねる。

 

「……局長、ご存知なんですか」

 

 上県は端的に吐き捨てた。

 

「旧治安維持局時代の私のクソ上司ですよ」

 

 一層、牛尾を睨みつけるように顎を引いた。

 

「能無しの癖に態度だけはデカい、言葉は一丁前の癖してデュエルは弱い。そんなウドの大木のような、外見がデカいだけの男──“クズ”同然の男です」

 

 上県の静かな罵りに、星宮が憤りに眉を吊り上げた。

 

「あんた……!」

 

 しかし牛尾がすかさず肩を掴み、星宮を制止した。

 

「いいんだ星宮」

 

 上県の睨みから目を逸らさない牛尾が情緒を込めず述べる。

 

「事実だ。俺は旧治安維持局時代、この街のために何もできず、そしてこいつに何もしてやれなかった」

 

 フン、と上県が鼻を鳴らした。

 

「安っぽい先輩風ですねぇ」

 

「なんでもいい。しかしお前、いや検察局(おまえら)、なんで“特別対策室”の存在を知ってんだ。公になってない部署のはずなんだが」

 

「この私がその程度把握できないとでも思ってるんですかねぇ」

 

 上県は顔を引き戻して、今度は嘲るように顎を上げて牛尾を見下ろした。

 

「近年、ネオ童実野シティにおいて頻出する“サイコデュエリスト”。その“サイコ能力”を悪用、または暴走させる者を抑制する為の監査機関。検察、警察、行政上層部において知らない人間はいませんよ。それが秘密の部署であっても」

 

 顔を引き戻し、口に含んだような笑いを浮かべて上県は続ける。

 

「まあ大方、私たち検察局の振舞いを気に入らない行政市議会の古狸(ふるだぬき)共が事件現場の捜査に介入できる視察部署として設立したのでしょうが……残念でしたねぇ牛尾さぁん、その“リーダー”と設立を取り計らってくれた“市長”が失脚してしまって」

 

「……」

 

 訝し気に上県を見つめた牛尾が率直に呟いた。

 

「……やけに嬉しそうじゃねえか」

 

 口元を緩ませる上県が、垂れ目を細めて述べる。

 

「いえいえ突然の不幸痛み入りますよ。最近ようやく“再興”したばかりなのにこんな事になるなんて。世の中上手く運ばないものですね。まあ──」

 

 そして一際口角を吊り上げて、上県は挑戦的にほくそ笑んだ。

 

 

「私たち検察局からすれば目の上のタンコブが消えたも同然ではあるのですが」

 

 

 ──現在、検察局は大きな権力を持っていた。

 20年前、ネオ童実野シティが市長制を発足した際、上手く直属の捜査機関を得た検察局は事実上の“法の番人”としてこの国に、そしてネオ童実野シティに君臨した。

 ただでさえ“刑事司法”に深く携わっていた検察局が、私営の捜査組織を手にしたことで周囲を強く牽制する“武力”まで手に入れた。

 警察の力を借りず、自ら証拠を集め、自ら被疑者を訴追し、自ら事件現場を指揮する。

 内輪だけで証拠を集めて解決する事件。“三権分立”のパワーバランスなど既に存在しない。

 

 刑事事件裁判被疑者有罪率“100%”。現在この国において検察局に睨まれるのは事実上の“死亡宣告”。わざわざ検察局に楯突こうとする人間は今や存在しなかった。

 

 まさに“死神”。

 20年前の出来事を知っている人間は大きな権力を得た検察局を見て口々に言った。

 

 

 かつて権力を振りかざしていた頃の“治安維持局”の再来じゃないか、と。

 

 

「さて、用件は被疑者の“雛宮聖華”の事でしたね」

 

 表情を引き戻した上県が、黒革のコートを翻して邸宅側へと踵を返した。

 

 

「理由を知りたければついてきなさい。偉大なる検事局長、この上県李鵬(かみあがたりほう)が直々にご説明してあげましょう。と、偉大なる私は雄弁に言ってみせるのだった」

 

 

 踵を返しイェーガー邸へと歩き始めた上県に牛尾が、そして先ほどの検察局の女性が後をついていく。

 牛尾の後ろに立っていた金戸未来も流れに続いて後を追いかけようとした。

 ──が、その時ひとりだけ立ち止まり一行の背をぼうっと眺め続ける星宮綾人の姿に少女が気づいた。

 

 “いかないの?” と言いたげな未来の視線に星宮が気づく。

 赤い瞳に眺められ、星宮は柔らかな微笑みを浮かべた。

 

「すまない、行こうか」

 

 急ぎ足の未来に手を引かれ、星宮が最後尾を務める。

 未だ星宮の視線は黒革のコートを羽織り後ろ手に歩く上県の背中にあった。

 

 率直に言えば星宮からの上県の印象は“なんだこいつ”だった。

 

 不適で相手を煽る口調でありながら、妙に気の抜ける、間延びした口調を操る男。

 如何せん、何かと気の許せない雰囲気は感じるのだが、かといって何故か根っからすべてが“悪い”とは感じない。

 

 何かの“葛藤”を抱えた人物に思えたのだ。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 鉄格子門を潜り、庭園を抜けた先にイェーガー市長の邸宅は建っていた。

 空を覆うほど巨大な赤レンガ造りの西洋屋敷であり、びっしりと幾多の窓が取り付けられたまるで城のような邸宅だった。

 通常の住宅でいう所謂玄関前に辿り着き、広く取り付けられた庇の下で傘を畳む。

 道中、庭園にも黒い制服の連中がちらほら見受けられたあたり、邸宅内にも検察局の人間が大勢配備されているだろうと牛尾は直感した。

 

「さ、どうぞ中へ」

 

 まるでここの家主かのように上県が一同を招き入れ、玄関の両扉を開いた。

 大広間が牛尾たちを迎える。玄関から直接繋がった大広間は、道順を示すように深紅色のカーペットが敷かれていた。

 カーペットの道は三方向に分かれ、ふたつは両脇に据えられた昇り階段に繋がっている。

 白色塗装の階段に金装飾の手摺が輝く。まさしく西洋貴族の屋敷といった出で立ちだ。

 残りひとつの道は一階の会食場に続いているようだった。

 

「事件が起きた場所はどこだ?」

 

 上県に続く牛尾が前に向かって聞いた。

 前を行く上県は振り返らずに答えた。

 

「この先の会食場ですよ。いいから黙ってついてきなさいゴリラトンカツ」

 

「ゴリラトン……!?」

 

 どうやら牛尾も予想打にしていなかった悪口だったらしい。驚愕に上県を見つめて目を見開く。

 唐突なゴリラトンカツ呼ばわりに後ろの星宮と未来が少し苦い表情を浮かべた。

 

「ここが会食場ですよ」

 

 横幅に大きく広さの設けられた間取りだった。

 赤レンガ造りの暖炉の目立つ会食場。中心に幅の長いテーブルが置かれ、部屋の脇には等間隔でレイピアを構えた西洋甲冑が並べられていた。

 設置された窓から雨天の薄明りが差し込む。

 

 部屋の奥の方で破壊されている壁があることに気づいた。

 

「あれは……」

 

 奥のテーブル端の丁度後ろ、何かで破壊されて外に繋がる大きな風穴が出来上がっていた。

 崩れた壁の向こうで強い雨が降り続ける。若干、風穴から内側に浸水し始めている雨水を見て、牛尾は確認するように上県へと訊ねた。

 

「あれが……そうなのか?」

 

「ええ、そうです」

 

 同じく風穴を見つめる上県が静かに述べる。

 

 

「あれが、雛宮聖華が市長を襲った痕です」

 

 

 

 


 

 

 

 

 上県の説明はこうだ。

 昨夜9時頃、イェーガー邸を訪問した雛宮聖華は妻であるアツコ夫人により会食場に通され、座してイェーガーを待った。

 その後アツコ夫人に引き連れられてイェーガーが会食場に姿を現し、雛宮とイェーガーは対面した。

 その後、用を済ませて会食場を後にしたアツコ夫人。自室に戻り作業していたところ、一階から轟音がして会食場に走ったという。

 そこでアツコ夫人が見たのが──。

 

 サイコ能力を使用し、イェーガーごと壁を吹き飛ばしていた雛宮聖華の姿だった。

 

「その後、雛宮聖華は開けた穴から逃走し、どこかへ消え去ったそうです。市長は壁ごと外に吹き飛ばされて意識不明の重体。突然の雛宮聖華の蛮行に、アツコ夫人も思わず腰を抜かして暫く動くことが出来なかったそうです」

 

「……それ、本当に雛宮だったのか?」

 

「アツコ夫人の証言を疑いますか?」

 

「そうじゃねえが、その時の映像があるわけでもねえんだろ?」

 

「これがあるんですよぉ、牛尾さぁん」

 

 “なにっ”、と思わず口漏らしたのは牛尾だった。

 会食場中心に置かれた長卓に一同が腰を下ろし、対面側に座する上県の話を聞く。

 牛尾の反論は上県の想定範囲内だったようである。

 先ほどのダークブラウン色の髪束、所謂“ポニーテール”を揺らす漆黒のレディーススーツの女性に指示を出し、上県はあるものを用意させ始めた。

 

「実はこの会食場、監視カメラがついてるって知ってます?」

 

「な、自分の屋敷の中に監視カメラだぁ!?」

 

「市長ともなれば万全のセキュリティを施すものですよ。それが元治安維持局“室長”ともあろう方なら当然ね。市長は何かあった時のために自らの家のいくつかに隠しカメラを設置していたのです」

 

 丁度先ほどの女性がノートパソコンを抱えて戻り、上県の近くで開いたパソコンを操作し始めた。

 手際よくブラインドタッチでパソコンを操作する女性に牛尾一行が皆注目する。

 ひとつ、片眉を上げた上県がそういえばと反応した。

 

「そういえば紹介してませんでしたねぇ」

 

 上県の視線が女性の方に向く。女性も手を止め上司である上県に視線を移した。

 

「ほら、自己紹介を」

 

「……」

 

 一瞬、どこか不満げに上県を見つめる女性だったがすぐに牛尾たちの方に向き直り、姿勢を正した。

 少しだけムスッ……とした表情で牛尾たちを見る女性は、情緒の薄い、質素淡泊な語調で挨拶を始めた。

 

「検察局直属総務執行課所属、“ラッシュハウンド”統括の綺堂英里子(きどうえりこ)です」

 

 申し訳程度に一礼の形を取り、英里子が頭を下げる。

 

「……よろしくお願いします」

 

 言葉には出さなかったが、心中牛尾は戦慄していた。

 

(“ラッシュハウンド”の統括!? この若い娘がか!?)

 

 ラッシュハウンドと牛尾は鎬を削ってきた仲である。

 それがまさかここまで若い女性がリーダーを務める部隊だとは思ってもいなかった。

 しかしラッシュハウンドは“20年前”から存在する組織。彼女が当時からリーダーだとすると年齢が合わないはず。

 

 途中でリーダーの交代でもしたのだろうか。

 

 ──牛尾がそう内心驚愕する一方で英里子は淡々とパソコンの操作に戻っていた。

 綺堂英里子が何かのファイルを起動させて画面をこちら側に向ける。

 

 そこにはまさにこの“会食場”が映っていた。

 

「ご覧にいれなさい、雛宮聖華が市長を襲う瞬間を」

 

 パソコン画面で再生される映像は、どうやら先ほど話に出た隠しカメラで撮影されたもののようだった。

 部屋角から会食場を映した映像が牛尾たちの前で再生される。

 一同が暫く映像を眺めていると、アツコ夫人によって会食場に現れる雛宮の姿があった。

 思わず映像を見る星宮が反応する。

 

「雛宮さん……!」

 

 イェーガーに瓜二つの容姿のアツコ夫人によって招かれた人物はまさに雛宮聖華そのものだった。

 濡羽色の長髪、透き通った雪肌。質素なレディーススーツ。

 

 牛尾と星宮のよく知る雛宮の姿そのものだった。

 

 ──遅れてイェーガーがやってきた。アツコ夫人の手に惹かれて小男が現れる。

 まさにいま風穴の開けられた壁の側、その場所側にイェーガーは座った。

 項垂れた様子で会食席に座るイェーガー、その対面側の席でイェーガーの姿を迎え入れる雛宮。

 

 そして雛宮は暫くして席を立ちあがり──その豊満な胸を揺らして“魔術師”のようなモンスターを召喚し、無抵抗のイェーガーに向けて光を迸らせた。

 

「……!」

 

 映像を見る牛尾と星宮が疑うように目を見開く。

 

 雛宮のサイコ能力により実体化したモンスターの放った光が、確かにイェーガーごと後ろの壁を破壊し弾き飛ばしていた。

 そして先ほど上県が語った通り、轟音にアツコ夫人が駆け付けて腰を抜かし、アツコ夫人を一目見た雛宮が破壊した壁穴から逃走。

 

 雛宮の犯行を裏付ける確固たる証拠が、牛尾たちの目の前に展開されていた。

 

「というわけです。牛尾さぁん」

 

 にこやかに、笑顔をつくった上県が両手を組んで言ってのけた。

 

「今回ばかりは諦めてください。どう転んでも雛宮聖華の犯行で間違いないです」

 

 

 絶望の雨の中──表情を動揺にヒクつかせる牛尾が、隣の星宮に聞く。

 

「星宮……雛宮の召喚したこのモンスター、なにかわかるか?」

 

「……これは……」

 

 決闘者としてカードに造詣の深い星宮が、映像に映るモンスターの正体を言い当ててみせた。

 

 

「“魅惑の女王(アリュール・クイーン)”。敵を魅了して、自身の配下にするモンスター」

 

 

 デュエルディスクも装備せずに雛宮がモンスターを召喚したことを星宮は不思議に思った。

 

 普通、サイコ能力者といえど“余程使い慣れたモンスター”でなければデュエルディスクも無しにモンスターの実体化は行えない。

 

「さ、お引き取りください」

 

 座る上県が、映像に注目する牛尾一行に部屋出口へと手で促した。

 

「説明は以上です」

 

 無情に発せられた上県の言葉に、牛尾と未来は仕方なく立ち上がった。

 しかし星宮だけが立ち上がらない。未だ星宮は、モニターに映るその映像を信じられないようだった。

 牛尾が上から、少しだけ強く呼びかける。

 

「星宮」

 

 わがままな子供を諫めるように牛尾は呼びかけた。

 対して、星宮の横顔が憂慮を語る。

 目を伏せて、今にも内なる悔しさをこぼしそうな表情だった。

 

「未来ちゃん、すまねえが先に星宮を連れて外で待っててくれ」

 

 仕方なさげに嘆息した牛尾が、星宮の隣の未来に向かって頼んだ。

 細い腕で座る星宮を立ち上がらせて、手を引いていく。

 後腐れるように未だ横合いにパソコンを見る星宮の姿が、部屋を出る最後まで印象的だった。

 

 ──頭をひとつふたつ掻いて、現実を受け止めて牛尾が上県の方を向く。

 人を喰ったように微笑んで座る上県と、真剣な眼差しで上県を見る牛尾の視線が交錯した。

 

 雨が雷雨に変わった。強い稲光に部屋が一瞬点滅して、遠くの轟雷が響き渡った。

 

「まだなにか?」

 

 見上げる上県がそう聞いた。

 

「……なあ、上県」

 

 見下ろす牛尾が、上県に聞いた。

 

 

「まだ、俺のことを恨んでるのか?」

 

 

 静寂を経て、想い馳せるように静かに、手を組む上県が瞼を閉じて、答えた。

 

 

「大っ嫌いでしたよ昔から。今も、そしてこれからもずっと」

 

 

 牛尾哲と、上県李鵬。

 

 両者の間で降り続ける雨は、未だ止むことはない。

 

 

 

 


 

 

 

 

 ──玄関口に戻って来てみれば、星宮が庇の下の段差で失意に暮れていた。

 項垂れ、背を向け、沈黙する少年に牛尾が言葉をかけることはない。

 

 牛尾自身が迷っていたからだ。空が怒鳴り声を挙げる雷雨、光が明滅して、ふたたび遠くで怒号が奔る。

 

 ──星宮のそばで雨天を見上げ立ち尽くす未来も、この結末にどう情緒を表せば良いのかわからないといった様子だった。

 焦げ茶色のジャケットを肩掛けに羽織った少女の小さな背が落胆するように縮まっていく。

 

 少年と少女、両者ともこれからどうすれば良いのかわからないといった様子だった。

 

 段差の上で意気消沈するふたつの背を見下ろして、牛尾がタバコを取り出す。

 今度は躊躇なくライターを弾いて、筒先に火を灯した。

 

 今度ばかりは子供たちの前であっても吸うべきだと、どこかで思ったからだ。

 

 ──味合うように深く煙を吸い込んで、雨粒の連続の中に紫煙を吐く。

 

「──おかしいと思わねえか?」

 

 真っ先に、項垂れる星宮が反応した。

 失意に落ちた頭を上げ、牛尾の話に耳を傾け始めた。

 同じく反応した未来も、横合いに牛尾の方をちらりと向く。

 

 牛尾はこの時、まだ右も左も分からない子供たちに教示するべきなのだと無意識に考えていた。

 

「地山さんも言ってたが雛宮には“動機”がねえ、どうして市長を襲う必要があるんだ」

 

 咥えたタバコを片手に取った牛尾が続ける。

 

「それにもうひとつある。なんで“ここ”を犯行現場にしたのかってこった」

 

 耳を傾ける星宮の視線が、少しだけ牛尾に向いた。

 

「“犯行現場”……?」

 

「そうだ星宮、よく考えてみろ」

 

 改めて、牛尾が市長邸宅を振り返る。

 

「襲うにしたってわざわざ“こんな場所”でやる必要がねえじゃねえか。カメラの映像を見てもありゃ“衝動的”に行った犯行じゃねえ。市長が座ってすぐに立ち上がりサイコ能力で襲ったあたり、ありゃあ予め襲うことを“決めていた”犯行だ。考えてみろ星宮、おまえ普通、仲の良い相手を襲うってなったならわざわざ相手の自宅にまで赴くか?」

 

「……」

 

「捨て身の犯行なら確かにそれはあるかもしれねえ、けど実際は犯行後も雛宮は逃亡を続けてるわけだ。それはつまり“捕まる覚悟”でやった犯行じゃねえってことだ。となるとだ」

 

 牛尾は、星宮を励ますように“推理”を続ける。

 

 

「こりゃわざわざ“誰かに見られるため”に行った犯行だと俺は考える」

 

 

 少年の耳が──ピクリとひとつ動いた。

 遠くを見つめる星宮が徐々に牛尾へと意識を傾け始める。

 隣で立つ未来も、完全に牛尾の方を向いて手に持つノートにペンを走らせ始めた。

 

 “どういうこと?” 声を出せない未来はそうノートに書いて見せた。

 

「考えてもみろ、雛宮とイェーガー市長は仲が良かった。確かに家族とかそんなんじゃねえが、互いに“おじさま”だとか“聖華”だとか慣れ親しんだ呼称で呼びあうほどに関係が良好だったのを知っている。……だったらわざわざ自宅まで行かず何処か人目につかない場所に呼び出して犯行に及べばいいだけじゃねえか。あの関係ならそれが出来たはず。でもそれをやらなかった理由は何か」

 

 見上げる金戸未来に、そして背中を見せる星宮に目を向けて、牛尾は語る。

 

「“犯行そのものを見られたかった”か、あるいは“イェーガー市長を呼び出す手段”がなかったからだ」

 

 とうとう振り向いた星宮が、座ったまま牛尾に聞いた。

 

「つまり、どういうことですか?」

 

「つまりだ」

 

 牛尾は、自らが構築した“仮説”を子供たちに披露した。

 

 

「あの映像に映っていた“犯人”が、雛宮じゃなかった可能性があるってことだ」

 

 

 ──星宮と未来に衝撃が走る。

 なにを馬鹿げたことを、と普通ならば一蹴するところだが──。

 

「それ……マジで言ってるんですか」

 

 否定の言葉より先に一縷の希望にすがりつく気持ちが口から突いて出た。

 思わず立ち上がった星宮と牛尾の顔が向かい合う。

 未だ牛尾の仮設を信じきれない星宮が瞳を揺らしながら、

 

「でもあの映像はどう説明するんです。あれはどう見ても──」

 

「見た目は間違いなく雛宮だろうな。でもなんかおかしくねえか?」

 

「えっ?」

 

「あの日は日曜日だぞ? なんで仕事着である“レディーススーツ”なんか着てんだよ。それにだな」

 

 ここで牛尾は、決定的な推論を述べた。

 

「雛宮はあんな巨乳じゃねぇ。痩せ型の、どちらかというと“貧乳”だ」

 

「あっ──!」

 

 天啓打たれたように、星宮が思わず驚愕の意に目を見開いた。

 そういえばそうだ、と一緒に美術館に行った時の記憶を星宮は思い出した。

 

「そうだ雛宮さんは巨乳じゃない! 可哀そうになる程の貧乳だった!」

「だろ!? 顔と背丈は似てても体系が一致しねえんだよ。確かに顔は瓜二つではあるけどな」

「顔は良くてもスタイルがちょっと残念なんすよね」

「そうそう! あいつの目の前じゃいえねえけどな」

「……」

 

 男たちがひどく真面目に巨乳だ貧乳だ連呼するよそで、金戸未来は心底冷えた眼差しでふたりのことを見つめていた。

 “いつもそんなとこばっか見てんのかこいつら……”と呆れ調子の眼差しが男たちに突き刺さる。

 未来のそんな視線に気づいたふたりが“あっ……”と反応した。

 

「……と、ともかく、俺はあの映像に映ってた雛宮に妙な違和感を感じる。犯行の状況から言っても、“顔だけ似た別人”に思えるんだよ」

 

「確かに……冷静に考えてみると色々おかしいっすね。スタイルはまあ置いといて、市長の屋敷で犯行に及ぶ理由がわからない、普通に考えて」

 

「だからよ、星宮」

 

 決意するように自らの胸の前に拳を掲げて、牛尾は星宮に詰め寄った。

 

 

「俺たち“特別対策室”でもう少し調べてみねえか、この事件のことを」

 

 

 牛尾の提案に、星宮は考える素振りをみせる。

 

「そうっすね……」

 

 そして星宮は頭をひとつふたつ振って、考えるのをやめた。

 

「そうっすね……もうちょっと調べてみますか。いちいち立ち止まって考えてもしょうがない。“可能性”がそこにあるんだ。だったら、行動するしかない」

 

 改めて、“真実”を追求することを決意して、星宮は失意の表情から立ち直りをみせた。

 

「やってみましょう牛尾さん、俺たちの手で。まだ雛宮さんを助けられるかもしれない」

 

 よし、と静かな笑みを浮かべて頷いた牛尾が星宮の言葉を了承した。

 未だ雨は止まないが、雷は止まった。

 

 先ほどより好転をみせた天気が、いまこの状況に芽吹いた一縷の希望を表しているかのようだった。

 

 ──銀鼠色髪の少女が牛尾の腹を突っつく。少しだけたるんだ腹に細い指が入り込んだ。

 

「うぉぉ、どうした」

 

 突然腹を指す感触に思わず牛尾が小さく飛びのいた。

 ふたたび何かをノートに綴った少女が牛尾にそれを見せる。

 

 そこには“治安維持局特別対策室ってなに?”と書かれていた。

 

「あっ……」

「牛尾さん……」

「いや、俺は“特別対策室”とまでしか言ってねえぞ!」

 

 無意識に守秘義務に抵触した牛尾に星宮が呆れた眼差しを向けた。

 しかし牛尾は“治安維持局”とまでは言っていないはずだった。

 更に文章を書き足した未来が牛尾と星宮に見せる。

 

 “いや、さっきの上県って人がずっと治安維持局特別対策室って連呼してたから”。

 

「あー……」

 

 未来のその言葉にふたりとも“あー……なるほど”と口を半開きにして声を重ねた。

 思わず顔を見合わせるふたり。

 “どうしようか?” なんて考えずふたりは開き直っていた。

 

「もうここまで来たら正直に話しません?」

「そうだな」

 

 ここまで深入りされたらもう守秘義務なんて機能していないというふたりの判断だった。

 ──事情を聞いた金戸未来が納得したように頷く。

 次に未来はノートに文章を書き足して、ふたりにそれを差し出した。

 

 “わたしも特別対策室に入れてくれない?”

 

「あぁ!?」

 

 これはさすがに牛尾も困惑をみせた。

 対して、星宮はさほど動揺してないばかりか気怠そうに片手で首をさすって軽いマッサージをしていた。

 

「いやいやおいおい。星宮、さすがにまずいだろ」

 

「いや……別にいいんじゃないすか? ここまで着いてきてる時点でもう似たようなもんでしょ」

 

「つっても、さすがになぁ」

 

 多少不真面目な様子をみせる星宮に対し、生真面目な様子をみせる牛尾。地味な部分で対照的なふたりの姿がそこにあった。

 問題の金戸未来がノートに文章を書き足す。

 

 “ちょっとの間でいいから!” と上目遣いで顔の前でノートを掲げる未来に牛尾は、

 

「たくっ、本当にちょっとの間だからな」

 

 と根負けしてしまった。年齢を重ねたせいかどうにも最近牛尾は誰かの頼み事を断れなくなってきた。

 

 やれやれと頭を掻く一方で、喜びにはしゃぐ金戸未来の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「では、後は任せましたよ英里子さぁん」

 

「はっ」

 

 牛尾たち一行が玄関口に去った後。一方の上県李鵬は部下の綺堂英里子に任せて現場を後にした。

 英里子の敬礼を受けて、玄関口からではなく裏口から屋敷を出る上県。

 その、屋敷の裏手に止められている一台の黒塗りの車に向かって上県はつかつかと後ろ手にひとり歩いて行った。

 

 この車は検察局のものではなく、上県自身の私物だった。

 

 黒のサンシェードの広げられた後部座席を一瞥して、上県が運転席に乗る。

 おもむろにバックミラーを整え──そのミラーの中に、後部座席に腰を据える“ある少年”の姿を映し込んだ。

 

「会って来ましたよ、“リク”さぁん」

 

 優雅に手を組み、斜めに足を組んだ薄茶色のフード姿を視界に捉える。

 

 サンシェードの降りた車の後部座席に座っていたのは、世間的には死亡した星宮綾人の親友“赤堀陸”だった。

 

「……やっぱり来たか」

 

「あなたの予想通りでしたねぇ。まだ付き合いも短いはずだというのに、既に彼らは雛宮聖華を強く気にかけているようだ」

 

 赤みがかった髪が、目深に被ったフードからはみ出る。

 フロントガラスを幾つもの雨粒が叩く中、赤堀陸は静かに“フン……”とささやかに不満を漏らした。

 

「星宮くんがあちら側にいるのが気に入りませんか?」

 

 赤堀陸は感慨もなく言った。

 

「別に。俺と“アヤト”は結局、“相容れない仲”だ。この状況は仕方がない。……それよりも」

 

 片手を口元にあて、赤堀は考えるように述べた。

 

「やはり本当に生きていたのか“雛宮聖華”。あの状況からどうやって……あそこできちんと息の根を止めておくべきだったか」

 

「寧ろ世間的に“死んでる”のはあなたですからね? 死んだはずの人間が実は生きてるってのは、両者共通ですねぇ」

 

「やめてくれ、あの女と俺を一緒にするな」

 

「で、結局どうするんです? このまま雛宮聖華が捕まり、勾留されたほうがあなたも都合がいいはず。“治安維持局特別対策室”の連中、恐らく結構いいところまで嗅ぎつけますよ。事件の“真相”を」

 

「まあ、少し様子を見てみようじゃないか」

 

「えぇ?」

 

 意外そうに上県が振り向いた。

 対して、腕を組む赤堀陸は至極冷静な様子で腰を据えて場を、そして状況を静観していた。

 

「その為にアルカディアムーブメントの“資金係”をぶつけたんだ」

 

 片手で、サンシェードを少しだけ開く。

 フードに隠された赤堀陸の綺麗な横顔が窓から差し込む雨天の薄明かりに照らされた。

 

 

「“治安維持局特別対策室”の初仕事、現状の実力。どれほどのものか、せいぜいゆっくりと確かめさせてもらおうじゃないか」

 

 

 憂いを帯びたその真紅色の瞳が、揺れた。

 

 大都市は今日、雨雲に包まれてその輝きを閉ざしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……“アヤト”……かけがえのない親友よ。……すまないな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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