明久は上を向く。
そして目に映るのは薄い茶色の腰まで届く髪、そして、見覚えのある紅い刀身を持つ刀。
心臓の鼓動が強く鳴り響く。周りはざわついているが、そんな音は一切入って来ない。ただ心臓の鼓動の響きしか今の明久にはない。
「…木下さん…」
明久の口から出た名。それはもうこの世に存在しない筈の彼女の名前。
脳は伝える。有り得ない。今、この世界に居るのはおかしいと。
しかし、心は違う。心は再び会えた歓喜のようなそんな感情が浮かび上がる。
明久の中でそんな二つの思いの鬩ぎ合いがあった。
「…久しぶりですね…明久君」
優子は薄い微笑みを浮かべて言う。
しかし、それは優子が今まで見せたことのないような笑みだった。妖艶…と言うべきか…。そこで明久は何処か違和感を感じた。
それは単純に口調だった。本当にどうでもいいことなのかもしれないが耳の中には不慣れな響きであったのだ。
まず、優子は目上の人以外には敬語は使わない。当然、明久に対してもだ。そして、彼女は「明久君」ではなく「吉井君」と呼んでいる。
何よりもあの妖艶のような笑みは優子には今までなかったものだ。
「君は…誰だ…?」
明久は言う。明久の脳が彼女は木下優子ではない、そう告げていた。
「…誰?心外ですね。もしかして、私を忘れたのですか?」
少女は少しだけ悲しそうに言う。
「ああ、もしかして記憶を失っているのですか?でも、大丈夫です。思い出せますよ。」
優子の姿をした少女は今度はまるで明久を応援するかのように言う。
途端、明久の頭に痛みが走る。酷く痛い。明久は痛みを堪えようと目を瞑る。そこで脳に映像が浮かび上がってくる。
それは懐かしく悲しい記憶――――。
脳に浮かび上がった記憶。それは以前も見たことのあったものだった。
「明久君、この花の名前、知ってますか?」
夕日に照らされた金色の髪を靡かしながら少女は言った。
「いや、知らない。何ていうの?」
「ワスレナグサ。私の一番好きな花です。」
「へぇ…。」
明久は感心したように頷く。
「この花はある騎士が死ぬ寸前に恋人にこんな言葉を残したんです。」
「へぇ、どんな言葉?」
瞬間、冷たい風が通り抜ける。そして、少女は言う。
「…『私を忘れないでください』…」
その時だけ時間が緩やかに過ぎていくのを感じた。
「明久君はもし私が死んでも私を覚えてくれますか?」
少女は悲しそうに笑った。
そして、その年の12月24日。血のクリスマス・イブと言われた日に少女は眠った。
永遠に醒めることのない眠り。
大事な記憶だった。なのに彼女と居た記憶だけ何故失っていたのか分からない。
だが、今、ようやく思い出した。あの金色に染まった髪。そして、あの花言葉。
彼女の名前は――――。
「アリス――――。」
優子の姿をした少女は再び妖艶のような笑みを浮かべる。その名を呼んでほしいと待ち望んでいたような笑みだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
一方、その頃雄二たちの方は―――。
「では宣戦布告はしましたよ。坂本君。」
高城はそのまま背を向け、去ろうとしている。
「待てよ。」
しかし、雄二は止める。
「…何ですか?まだ質問でも?」
高城は少し不機嫌そうに言う。何か先を急いでいるような態度だ。
「お前をこのまま見逃すと思うのか?」
雄二は武器を召喚する。それに続き従者であるムッツリーニ、そして秀吉も武器を召喚する。
「成程。確かに。このまま去るのも心寂しい物がありますね。ご希望通り消してあげましょう。」
そして高城も武器を召喚する。禍々しいほどの魔力を放った剣。それは以前召喚していた『竜殺しの剣』(バルムンク)ではない。また他の剣だ。
「…お前、その剣は…」
高城はニヤリと笑み、
「そうです。この剣は『魔剣グラム』。これであなた方を葬ってあげましょう。」
「舐めやがって…ッ!」
雄二は吐き捨てるように言う。そして、『雷切』(らいきり)を握り、そのまま前方へと進む。
右、上、左、右斜め上、左下と様々な方角からの斬撃のぶつかり合いが始まる。
「…以前よりも強くなりましたね…」
「この二年間、何もしてねぇと思ったか!?」
そして、そのまま刀と剣がぶつかり合う。
すると、高城が加速する。
「…なっ…?」
雄二の目が見開く。高城はどうやら手加減して雄二と戦っていたらしい。
「終わりですよ…」
高城の刃先が恐ろしいほどの速さで雄二を襲おうとしている。
「…『千鳥流し』…!」
しかし、雄二も抵抗しする。刀の刃からチリチリと高音を立てた雷撃が高城を襲おうとする。
「…おっと…。」
高城は雄二から距離をとる。
「ハハ。まあ、今日はこれくらいにしときますかねぇ。宣戦布告もしたし。どうせ、この一週間以内でフミヅキも滅びるわけだし」
「させると思うか?」
「いやいや。君程度じゃ僕を止められませんよ。」
「…チッ」
「では、さようなら。」
そう言い、高城は姿を消す。
雄二はそのまま座り込み、「胸クソ悪りぃな、クソッ」など言いながら胡坐をかく。
一週間。この一週間という短い期間で自分には何が出来るのだろうか?ついつい考えてしまう。
――――――――――――――――――――――――――――――
「…アリス…」
明久は少女の名を呼ぶ。四年前のクリスマス・イブに死んだあの少女の名前を呼ぶ。
「思い出してくれましたか…」
優子の姿をした少女は嬉しそうに微笑む。
だが、明久はそこで困惑したような表情を見せた。
「いや、でも何で君が木下さんの姿をしているの…?」
明久は聞く。それが最も重要で一番の疑問でもあった。
「そうですね…。まず何処から話しましょうか…。」
優子の姿をした少女―――アリスは少し考え込むようにして言う。
「四年前、私は確かに死にました。肉体も失い、魂もあの世に持って逝かれるものだと、そう思っていました。」
アリスは死んで魂だけとなった過去を言う。明久は先程から硬直したように動かない。今、ここに居る少女は優子なのかアリスなのか?それが気になる。
「しかし、あの男は私の魂があの世に持って逝かれるのを良しとはしなかった。」
「あの男?」
明久は怪訝そうに眉を顰める。そして、少女の口から開いたその男の名前。それは明久も知る名前だった。
「高城雅春です。」
「…え!?」
そう、姉と優子を殺した憎い仇だった。
「そもそも私はあの男の人造人間(ホムンクルス)として誕生しました。誕生した理由も魂がこの世に在り続ける理由も、あの男は私の中にある聖剣が目的なんですよ。」
「聖剣…?」
「…騎士王の聖剣(エクスカリバー)ですよ…。」
「な…っ…!?」
明久は思わず声を上げる。その剣は誰もが知る名剣。
しかし、そこでさらに疑問が生まれる。何故、アリスがその剣を所持しているのか…?
明久はそこで少し考えてみる。まず、エクスカリバーとは誰の剣だったか…?そこから考える。それは当然誰もがアーサー王と答える。
ならば何故、今、彼女がその剣を所持しているのか?いや、そもそも何故彼女は高城の人造人間(ホムンクルス)として誕生したのか…?
「…まさか…!」
明久の頭の中でバラバラになったパズルのピースが繋がる。
「君は…アーサー王…そのものだったのか…?」
明久は信じられない…と言う様な口調で言う。
「まぁ、一応、人造人間(ホムンクルス)として生まれ変わったので、生まれ変わり…と言う方が世間的には分かり易いかと。でも、前世の記憶もちゃんと残ってますし、その言い方も間違いではないでしょう。」
アリスは薄く微笑みながら言った。
とても信じられないと言うのが正直な気持ちではあるが、そういえば、カヲール二世はこの『試験召喚システム』内では大体の魔剣、聖剣は召喚されたと言っていた。その中でもまだ召喚されずに、異次元の世界で眠っている剣があると言っていた。それが『騎士王の聖剣』(エクスカリバー)。
だが、まだ召喚もされていないのに所持されているということは持ち主本人しか有り得ない。
それにしても、アーサー王が少女だったなんて誰も思わなかっただろう。
「アリス、じゃあもう一つ質問するけど、君は四年前死んだ筈なのにこの世界に留まっているということは、あの時、肉体は失ってしまったけど、魂はこの世の中で生き続けていたってことになるけど、君はその後どうなったの?魂だけの状態で何をしていたの?」
明久はさらに問い詰めていく。しかし、少女は話を逸らすように、
「明久君。昔と違って随分頭が回るようになりましたね。私の為ですか?それともこの娘の為ですか?でも、肉体が壊れるということは世間的な意味じゃ死ですよ。」
「質問だけに答えろ。」
明久は少し声を低くして言う。普段見ない表情だった。
「まぁ、死んだ後、私は高城の呪縛でこの世から解放されることは出来なかった。しかし、魂だけの姿ではいずれ私という存在自体が消えてしまう。そこで、私は生きている人間に憑依することにしたんです。」
「え?いや、そんなこと出来るわけが…」
「出来ますよ。」
少女は明久の言葉を遮って言う。
「ただし、条件はあります。それは自分と似た魂を持つ人間のみしか憑依出来ない。それもかなり霊力を持った人間。でなければ、憑依した際に、その器となる人間の魂が壊れてしまいますから。」
少女は言う。それだけアリスは魂だけの存在でも強力なものらしい。
「とは言っても、そんな都合よく見つかるわけでもない…と最初は思ったんですけどね。」
「最初は…?」
「ええ。最初は」
少女はそのまま続けて言う。
「でも、一人だけいたんですよ。このフミヅキの中で酷く私と似た境遇が。少女なのに騎士という重たい鎧を背負い、またそんな騎士の道によって人生を狂わせている少女が。」
少女は少しだけ悲しそうに言った。そしてそれが…。
「木下さん…」
「そうです。私は木下優子に憑依し、そして二年前の彼女の死を切っ掛けに、私は彼女の中で再び復活できた…のですが…。」
そこで少女は不満そうに唇を歪ませる。
「…どうやら木下優子は死んでいないようですね…」
「え…?」
明久は驚きに目を見開く。それはほんの僅かではあったが希望が生まれたような感触だ。
「要するに、今この体の中には二つの精神がある、と言えば良いのですかね。私と木下優子。一つの体に二つの心がある。」
だが、そこで明久は理解した。過去に失った少女達はこうして自分の目の前に存在している。
それは嬉しかった。何故、四年前のクリスマスにしろ、二年前の教会での戦いにしろ、あんなに身を引きちぎるような悲しい思いをしなきゃいけないのか…?そう思っていたから。
でも、違う。嬉しいのは確かだが、素直に喜んでいいかと問われれば、素直には喜べない。
その決定的な理由が今のこの状況。
彼女は今、フミヅキの敵として此処に存在している。そして明久はこのフミヅキを代表する国家騎士。当然、彼女をこのまま放っては置けない。
「アリス。君と再び会えたのは嬉しい。」
アリスも「私もです」と言わんばかりの顔をしている。
「でも、このフミヅキの敵としてこの場に立つのなら僕は君を斬る。」
明久は黒い剣を召喚する。そして強く握り、前へと飛び出す。
「無理ですよ。明久君。アナタじゃ私には勝てない。」
優子の姿をした少女―――アリスも前へと飛び出す。
優子の紅い刀『鬼切』と明久の黒い剣がぶつかり合う。
*************
今、木下優子には二つの心が存在している。
一つは優子自身の心。
もう一つはアリスという少女の心。
「アリス。アナタ、吉井君をどうするつもり?」
優子は長い腰まで伸ばした髪を揺らして言う。怒気のも近い表情だ。
「木下優子。アナタはただそこで見てれば、それでいいです」
アリスは優子を突き放すように言う。
「まあ、簡単に言えば殺します。」
アリスは容易くそんなことを言う。すると優子は、
「何…言ってるの?アナタは吉井君のこと…」
「好きですよ…」
アリスは目を細めて言う。
「好きだからこそ…ですよ。それに、高城の呪縛がある限り私は彼を殺す他ない。」
「何でそんなことに…」
優子は悲しそうに言う。だが、アリスは優子に背を向け、そのまま去ってしまう。
優子はただそれを眺めるしかなかった。