「……よし」
身支度を整え、洗面所の鏡の中に映る自分の姿に不備が無いことを確認する。寝癖なし、隈なし、目ヤニなし、髭の剃り残しなし、歯の汚れもなし。制服に皺も無く、ネクタイも曲がっていない。我ながら生徒会副会長として恥ずかしくない姿だ。生徒たちの制服を指導する立場なのに、自分の制服が着崩れていては説得力がないからな。
腕時計を覗いて時間を確認する。そろそろ家を出れば丁度いい時間になりそうだ。
「……あら? どうしたの、とー君」
リビングに置いてあった鞄を取りに向かうと、仕事に出る途中だった姉さんが俺の姿を見るなり首を傾げた。
「今日はお休みだけど……学校に用事?」
姉さんの言う通り、今日は土曜日で授業は無い。たまに生徒会の仕事を詩に行くこともあるが、今日は違う。
「いや、今日はメグとデートだよ」
「? 休みの日に、わざわざ制服を着て?」
んー……と人差し指を唇に当てながら思案する姉さん。やや子どもっぽい仕草にも見えるが、姉さんのそれにはどこか艶っぽさを感じた。
「あっ!」
どうやら閃いたらしく、ハッとした表情になってパチンと手を叩いた。
「もしかして制服デート? 『夢と魔法の王国』でしょ!」
「正解」
姉さんの言う通り、今日はメグと共に『夢と魔法の王国』という遊園地に遊びに行く。実は誕生日プレゼントとして渡したチケットをまだ使っておらず、どうせだったらイベント期間中に行こうという話になったのだ。
そして『夢と魔法の王国』に制服でデートするというのは女の子たちの中では定番らしい。俺はメグから聞かされるまで知らなかったが……やっぱり女の子の姉さんは知っていたようだ。
「うーん……」
「何?」
俺が休日に制服を着ている理由を知った姉さんだったが、何故か俺の恰好を見ながら唸っていた。心なしか、渋い表情をしているような気もする。
「……ねぇ、とー君。そのまま行くの?」
「え? ……どこか変だった?」
もう一度自分の体を見下ろして確認する。もしかしたら自分で気づけなかった不備があったのかもしれない。
しかし、姉さんは「ううん」と首を横に振った。
「制服の着方としては間違ってないの。でもそれは
「デートでの着方……?」
「そう。……んー、とー君はこういうこと苦手そうだし、お姉ちゃんがやってあげるね?」
「えっ、いや、俺もう出るし……姉さんも今から仕事じゃ」
「すぐに終わるから」
ホラホラと何やら楽しそうな姉さんに背中を押され、先ほど出てきたばかりの洗面所に押し戻されてしまった。
「えっと、ここをこうして……」
「……あっ、デートでの着方ってそういう……でも姉さんだってこういう着方したことないでしょ」
「うっ……お、お姉ちゃんはいいの! ……どうせだから、髪の毛も弄ってみようか!」
「いや、だから時間が……」
「お姉ちゃんは大丈夫! ちょっとぐらいなら平気だから!」
「俺は……?」
結局姉さんに色々と弄られた結果、待ち合わせの時間ギリギリになってしまった。
以前「アカリは待ち時間に早く来すぎ! 待たせる方も気を遣うんだからね!」と怒られてしまったため、三十分前から待つことをやめた。なので今日は十分前ぐらいに着く予定だったのだが……姉さんがノリノリになってしまうとは予想外だった。一応待ち合わせの時間には間に合うはずだが、今日は逆にメグを待たせることになりそうだ。
最寄り駅に電車が到着すると、休日なだけあって大勢の人々が溢れかえっているホームを抜けて一階の改札口へ向かう。途中、自分と同じように学生服を着た男女の姿が多々見受けられた。別に疑っていたわけではないが、『夢と魔法の王国』へ制服を着ていくのは本当にメジャーなことだったらしい。
改札口を出てすぐ目の前に並んであるベンチが、今回の待ち合わせ場所。同じように待ち合わせをしているであろう人々の中に、メグの姿を見つけることが出来た。勿論、彼女も制服姿だ。
「おはよう、メグ。待たせてゴメン」
「ん、おはよー! 珍しいね、アカリが時間ギリギリ……なん、て……」
挨拶と謝罪をしながらメグに声をかけると、スマホを弄っていた彼女は顔を上げた。パッといつもの笑顔を見せてくれたメグだったが、何故か自分の姿を見るなりだんだんと言葉が尻すぼみになっていってしまった。
「……ど、どーしたのその格好!?」
メグが思わず大声を出してしまった俺の恰好は、勿論今朝自分で袖を通した学校の制服である。ただネクタイは緩く締められ、ワイシャツのボタンは上二つが開けられており、下には赤いプリントTシャツを着ている。更に裾がズボンから出ており、靴もローファーではなくスニーカー。服装だけでなく、髪の毛も姉さんの手によって軽く立てられてしまった。
「姉さんに『どうせ学校に着ていくわけじゃないんだから、少しぐらい着崩した方がカッコイイ』って言われてね。……やっぱり、変だったかな?」
来る途中も色々な人からチラチラと見られていた上にコソコソと何かを言われていたような気がした。
しかしメグはブンブンと首を横に振った。
「ううん! そんなことない! チョーカッコイイじゃん!」
どうやらメグからは大変好評価を得ることが出来たようだ。
「いっつもキチッと制服着てるから、こういうアカリ凄い新鮮! ねぇねぇ、写真撮ろうよ写真!」
「え? 写真なら『夢と魔法の王国』に入ってからでもいいんじゃ……」
「今のアカリと今撮りたいの! ほらこっちこっち!」
メグに腕を引かれて、彼女が座っていたベンチの右隣に肩がくっつくぐらい近くに腰を下ろした。お互いに二の腕が剥き出しになった夏服なので、自然に肌と肌が密着する形になった。そしてかすかに漂ってくる柑橘系の匂いは、多分メグの日焼け止めだろう。
「アカリ、もっとくっついて!」
「これ以上くっつくとなると……」
ちょっと失礼、と一言告げてから左腕を彼女の背後から左腰に回し、グイッと自分の方に引き寄せた。メグは自分の体にもたれかかる形になり、先ほどよりも更に密着度が上がる。正直気温的なものも合わさって結構熱いが、今はそれが逆に心地よいとも思えた。
「えへへ……それじゃあ、撮るよー!」
メグが自分のスマホを内カメラモードにして掲げる。やや上から映す形になるので、メグと二人で写真の枠の中に納まるよう、更に身を寄せ合う。
「………………」
ふと横を見ると、すぐ側にはメグの顔が。
「はい、チーズ!」
チュッ
「アカリのバカッ!」
「ダメだった?」
「ダメじゃないけどダメなの!」
駅前の集合場所で写真を撮り終え、俺とメグは『夢と魔法の王国』へと入園した。既に大勢の人たちが並んでいたので中に入るまで少々時間がかかったが、無事に入園。
しかし、腕を組んで歩きながらメグは顔を赤くして怒っていた。
ややテンパっているらしく言っていることが少しだけおかしいが、これも全部写真を撮る瞬間にメグの頬にキスをした自分の責任なので、その怒りを甘んじて受けることにする。
「ゴメンゴメン、ちょっとだけ悪戯心が湧いちゃって。可愛かったよ、メグ」
「もー……ア、アタシだって人前は恥ずかしいんだからね……」
そう唇を尖らせるメグがとても可愛かったが、これ以上は本気で怒らせてしまう可能性もあるのでやめておこう。
安直なご機嫌取りではあるが後でアイスでも買ってあげようと考えながら、園内のメインストリートを歩いていくと、やがて大きな笹の前に辿り着いた。
「おぉ、今年もやってるね!」
「壮観だねぇ」
そう、今日は七月七日の七夕。『夢と魔法の王国』もつい先日から七夕のイベントを行っている真っ最中なのだ。この笹もイベントの間だけ設置されているもので、訪れたお客さんたちは配布している短冊に願い事を書くことが出来るようになっている。ただし短冊を吊るすのは笹ではなく、近くに設置されたそれ専用のボードだ。
「ねねっ! アタシたちも書こうよ!」
勿論と二つ返事で了承し、スタッフから短冊を貰って近くに用意されたテーブルへ。
「何書こうかな~?」
「俺はもう決まってるよ」
「えっ、何? 何て書くの?」
メグからの問いかけに答えず、手元を見せるようにサラサラとマジックペンで短冊に俺の願い事を書く。
――メグがトップアイドルになれますように
「勿論、これだよ」
「……えー」
「えーって」
割と本気で書いたのに、当のメグ本人からは余り反応が芳しくなかった。
「あれ、ダメだった?」
「いや、ダメじゃないけど……折角書くんだから、自分のことを書こーよ」
「自分のことは自分の力で叶えるから。短冊は別のことを書くって決めてるんだ」
「もー……」
「そういうメグは、なんて書くの?」
「……私はそりゃあ……」
何故かポッと頬を赤く染めたメグは、チラチラとこちらを見ながらやや躊躇いがちに短冊へマジックペンを走らせた。
――ずっとアカリと一緒にいられますように
「………………」
「……ベ、ベタだってことはアタシも分かってるもん。でも、恋人とデートの真っ最中なんだから、普通こー書くでしょ?」
いや、そう言ってくれるのは勿論嬉しい。恥ずかしがりながらも、俺と一緒にいることを望んでくれるのは本当に嬉しい。
「……メグ、その願いは、織姫と彦星じゃなくて俺に願って欲しい」
「えっ」
「ずっとメグと一緒にいる。その願いは俺が叶えるから……俺に願って欲しい」
ギュッとメグの手を握ると、カァッと彼女の顔が赤くなった。
「……お願いして、いいの……?」
「全力で叶える。俺はずっと、メグの傍にいるよ」
「……うん」
さて、とりあえず短冊は結局書き直さずにそのまま専用ボードに吊るすことにしたのだが……その途中、メグがスマホを取り出した。どうやら誰かからのメッセージが届いたようなので、その間、代わりに俺がメグの分も一緒に短冊を吊るしておくことにする。
「……え゛っ」
突然、メッセージを確認したメグがそんな鈍い声を出した。そしてバッとスマホから顔を上げると、頬を赤らめながらキョロキョロと周りを見回し始めた。
「メグ? どうかしたの?」
「と、とりあえずここから離れよっ! ほら早く!」
「?」
とりあえず短冊は吊るし終えていたので、メグに背中を押されるがままにその場を離れることになった。
「……それで、どうしたの?」
「……事務所の子も『夢と魔法の王国』に来てたらしくてさ……さっき『恋人と仲が良くて大変よろしいですが、人前では流石に弁えてはいかがでしょうか』ってメッセージが来て……」
「あら」
どうやら先ほどのやり取りを見られていたようだ。
「まだ俺も会ったことない子? だったら一言挨拶ぐらいしたかったけど……」
「会ったことないはずだけど、そーいうのはいいの! ……というか、デート中に他の女の子のことを気にするのはマナー違反って、知らないのかなー?」
コラッと腕を組んで歩きながら、反対の手で頬を摘ままれてしまった。確かに、今のは俺の配慮が足りなかったかもしれない。
「……そういえば、最近はどう? そろそろ一ヶ月ぐらいになるけど」
メグが乗りたいと希望するジェットコースターへと足を向けながら、少しだけ気になっていたことを尋ねる。
「うん、けっこー順調。逆に何もなさ過ぎて、ちょっと怖いぐらい」
一ヶ月前。それはメグが765プロダクションのアイドルとして初めてステージに立った日で……所恵美というアイドルに恋人がいると公言してしまった日でもあった。それからというもの『アイドルの癖に恋人がいるなんて』などといった声を、劇場内の観客から聞くことが多々あったが……。
「最近だと逆に『恋人とは順調?』とか『どんな人なのー?』みたいなことを聞かれることが多くなった気がするんだ」
どうやら女性ファンを中心にして結構受け入れてもらっているらしい。男性ファンの中でも『本物の恋を知っているからこそ、恋の歌を歌えるアイドルがいてもいいのではないか』というまるで専門家のような意見もチラホラ。
プロデューサーさんが冗談のように言っていた『恋人がいるアイドルもアリかもしれない!』という言葉は、あながち間違ってなかったのかもしれない。
「これもきっと、メグだからこそ受け入れてもらえたんじゃないかな」
「もしそうなら、それはアカリのおかげでもあるね!」
「? どうして?」
「だって今のアタシは、アカリと恋人でいられるから、今のアタシなんだよ。もしアカリと恋人にならなかったアタシがいたとして、そのアタシはもしかしたらアイドルにはならなかったかもしれないし、なれなかったかもしれない」
だからアイドル所恵美にはアカリが必要なんだよ……そう言ってメグは笑った。
「……そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ。メグに出会えて、そして恋人になれて……本当に良かった」
「うん、アタシも。……アハハッ、何回言っても照れくさいや。ホラホラ! 早くジェットコースター行こっ!」
照れ隠しをするように、俺の腕を強く引っ張るメグ。
まだまだ、今日のデートは始まったばかりである。
7月7日
今日は七夕デートの日! 誕生日に貰った『夢と魔法の王国』のチケットがまだ取ってあったので、それを使って制服デートをした。
アカリが珍しく集合時間ギリギリにやってきたと思ったら、何といつもの制服姿を着崩していた! どうやらお姉さんがアタシに対して気を遣ってくれた結果らしく、普段とは違うアカリはとてもカッコよかった。
思わずそんな姿のアカリと一緒に写真を撮ったのだが……顔を寄せて写真を撮ったら、シャッターを切る瞬間に頬にキスをされてしまい、結果的にキス写を撮ることになってしまった。今まで撮ったことなかったので、嬉しいと言えば嬉しいんだけど……人前の恥ずかしさで思わず怒ってしまった。
その後、園内で短冊を書いたのだがアタシとアカリはそれぞれ『ずっとアカリと一緒にいられますように』『メグがトップアイドルになれますように』と書いた。その際アカリに「その願いは俺に言って欲しい」と言われてしまい、また思わずときめいてしまった。相変わらずの言動に、まだ慣れそうにない。
ただそのときのやり取りを、どうやら家族と遊びに来ていたらしい志保に見られてしたようで、人前では自重するように注意されてしまった……。
その後は気を取り直して、定番のジェットコースターへ――。
「……全く、あの人は……」
「……お姉ちゃん、どうしたの?」
「ううん。なんでもないよ、りっくん」
唐突に作者のもう一つの趣味を混ぜてみた。名前が出せないのが口惜しい……。
うーん、なんだろうか、昔はこういうタイプの主人公ばかり書いていたのに、良太郎に毒されすぎて書き方を忘れている感が否めない……。
そして最後に突然登場したミリでの作者のもう一人の担当。自分の二次創作は自分の好きなキャラを好きなだけ出していいってジッチャが言ってた。
というわけでまた来月……次回は海だ!