「音が伝わる速さは大体一秒で340メートルなんだよ。それに対し、光は一秒で地球を七周半するぐらい速い。だから光は一瞬で俺たちの目に届くけど、音は遅れて聞こえてくるんだ」
「フムフム」
「この音が聞こえてくる時間差を利用すると、雷が落ちた場所までの距離を求めることが出来る」
窓の外でピカリと光る。
「光はすぐに届くから、雷は今落ちたね。……五……六……」
七を数える前にゴロゴロと低い音が響いてきた。
「七秒。音は一秒で340メートル進むから……はい未来ちゃん、340×7は?」
「えっ、えーっと……」
「はい! 2380でーす!」
「お、翼ちゃん計算早い。正解だよ」
「えへへ」
「むぅ、私だって分かってたもん」
褒められて照れる翼ちゃんと頬を膨らませてむくれる未来ちゃんは、流石アイドルといった可愛さである。
「というわけで、今の雷がこの劇場から2380メートル、約二キロ離れたところに落ちたってことが分かったね」
「「なるほど!」」
簡単な化学の授業の生徒役二人が素直に感心する様子を見せてくれたことに満足する。
……さてと。
「気は紛れたかな?」
「「紛れないっ!」」
先ほどから雷に怖がって椅子の上で丸まっているメグと静香ちゃんの姿に思わず苦笑してしまった。
さて、とりあえず現状に至るまでの説明を軽くしておこう。
土曜日。いつものようにシアターにメグが出演するステージを観に行くのだが、どうやら台風が接近しているらしい。
なので雨や風が強くなる前に帰ろうとしたのだが……台風の速度が予報以上に早かったことに加え、公演後のメグを待っていたら遅くなってしまった。どうやら控え室で話し込んでしまっていたようだ。
その結果、気が付いたときには劇場の外は荒れ模様、雷まで鳴り響く始末である。
流石にこの状況で自転車に乗って帰るのは難しいので、さてどうしたものかと悩んでいたところに声をかけてくれたのがプロデューサーさん。
「よければ、俺が車で送ろうか? 自転車はまた後日取りにくればいいし」
「え? いいんですか?」
「あぁ。もともと他にも帰れなくなった恵美たちを送るついでだよ。ただ俺の仕事がまだ残ってるから、それまで待ってもらうことになるが……」
「構いません、送っていただけるだけでありがたいです。もしよければ、お仕事お手伝いしましょうか?」
「……なんか君なら普通にこなせそうな気もするけど、気持ちだけ受け取っておくよ」
とまぁそんなわけで、プロデューサーさんの仕事が終わるまで待つことになった。
ステージを終えた後の恒例となったメグへの労いのハグも済ませ、彼女に連れられて俺は劇場の事務所部分へと足を踏み入れる。メグがアイドルになり、俺がこの劇場に通うようになってから早三ヶ月。一番最初に楽屋への入室を許可されて以来、何度も楽屋へ差し入れを持っていっていたが、流石に事務所へ入るのは初めてだった。
「ここが控室。みんなの休憩室でもあるよー」
前を歩くメグが扉を開けると、そこはある意味所属アイドルたちの居住区域といっても過言ではない様子の部屋で……。
「あ、恵美さん、お疲れ様です」
「わぁ! 恵美さん、そのカッコいい人誰ダレ!?」
「あっ! もしかしていつも恵美さんが話してる恋人!?」
椅子に座りながらお菓子を摘まんでいた、三人の女の子がいた。ここにいるということはアイドルと言うことであり、俺も何度かステージの上で観たことがある顔だった。
「そうだよー! アタシの彼氏、カッコイイでしょー!」
ニヘラと破顔させながら俺の腕をギュッと抱きしめるメグ。どうやら既に色々と話していそうな雰囲気だったので、多分俺の自己紹介はいらないだろう。
「アカリ、紹介するね。この子たちは……」
「
「「「えっ」」」
驚いた表情を見せる三人に対し、メグは「やっぱり」とやや苦笑気味。
「わたしたちのこと知ってるの!?」
「勿論だよ。一番のお目当ては当然メグだけど、シアターのステージに立つ全員を応援してるからね」
故に出演するアイドルは勿論のこと、楽屋まで行く道すがらによく顔を合わせるスタッフの皆さんの名前も全員とは言わないが覚えている。みんなメグがお世話になっている人たちなのだから、それなりの敬意を持って接しているつもりだ。
「……恵美さんのお話に聞いた通り、真面目な方なんですね……」
「そこが可愛いでしょ?」
「……はぁ」
早速惚気るメグに困惑気味の最上さん。ある意味自分のことなので、少し申し訳ない。
「それで、その彼氏さんが控室にまで来てどうしたんですか?」
コテンと首を傾げる伊吹さん。
「アタシたちと一緒だよー。外が酷くて帰れなくなっちゃったから、プロデューサーの車で送ってもらうの」
どうやら彼女たちも俺と同じ理由でここに残っているようだった。
「俺もプロデューサーさんの仕事が終わるまで待たせてもらうことになったんだけど……良かったら、ご一緒してもいいかな?」
いくら知り合いの恋人だからとはいえ、部外者は部外者だ。自分たちのプライベートな空間に居座られるのが嫌だったら、勿論出ていくつもりだったが……。
「勿論オッケーですよ!」
「普段の恵美さんの話とか聞きたいです!」
伊吹さんと春日さんが元気よくオッケーを出してくれた。最上さんは何も言わなかったが、特に嫌がっている素振りも見せていないので反対はしていないのだろう。
「ありがとう、伊吹さん、春日さん、最上さん」
「翼でいいですよ、アカリさん!」
「私も未来で大丈夫です!」
「私は、その……どちらでも」
年上の異性ということで忌避される可能性も考えたが、彼女たちはステージの上で見せるいつもの姿に違わぬ良い子たちだった。
「はい、それじゃーアカリはここ座ってて! 今コーヒーでも淹れるね!」
「ありがとう、メグ」
メグに促されて椅子の一つに腰を下ろすと、彼女は控室の片隅の流し台で鼻歌混じりにコーヒーを淹れ始めた。
「……おぉ、なんか恵美さんが甲斐甲斐しい……!」
「すっごい彼女って感じがする……!」
そんなメグの様子を、翼ちゃんと未来ちゃんがキラキラした目で見ていた。
「普段、未来ちゃんたちと接しているときのメグはどんな感じなの?」
「恵美さんですか? ……そうですねー……」
ムムムッと腕組みをして言葉を探している未来ちゃん。
「……とても気さくで頼りになるお姉ちゃんって感じです!」
「周りへのフォローがとても上手な方で、私たちも何度もお世話になりました」
「いつも衣装が崩れてたらすぐに気付いて直してくれるんですよー!」
「未来、貴女はもうちょっと恵美さんの手を煩わせないようにしなさい。何回同じこと言われてると思ってるのよ」
「でへへ……」
どうやら既に年下の子たちからも慕われているようだった。
「はいアカリ。ここ控室で来客用のマグカップとか無かったから、アタシが使ってるやつだけど」
「俺は気にしないよ。でもそれなら、一緒に飲む?」
「飲む飲むー!」
メグからマグカップを受け取りコーヒーを一口飲むと、そのまま俺と密着するぐらい近くに椅子を寄せて座ったメグへとマグカップを返す。今更間接キスで恥ずかしがるような間柄ではないが、それでも少しだけはにかむメグがとても可愛かった。
「おぉ……すっごいイチャついてる……!」
「こ、恋人同士って凄い……!」
「ふ、二人とも! あんまりジロジロ見ないの!」
俺とメグの様子に興味津々な翼ちゃんと未来ちゃん。そんな二人を咎めながら、静香ちゃんも顔を赤くしながらチラチラとこちらを見ていた。女子中学生だから、というのは今時通用しないかもしれないが、それでも少なくとも彼女たちには少しだけ刺激が強いようだということは自覚していた。
そんなときである。
「……おっ」
薄暗かった窓の外からピカリと明るい光が飛び込んできた。これはもしやと思っているうちに、鳴り響く雷の音。
「今のは近かったね。……メグ?」
「……っ!」
いきなりメグが俺の首根っこに抱き付いてきた。彼女の表情は見えないが、プルプルと体が小さく震えている。
「もしかして、雷が怖かった?」
「……ちょ、ちょっと苦手、かな?」
再び光ってゴロゴロと音が鳴り、ギュッと抱き着く力が強くなるメグ。
「……なんだろう、嬉しいな。こうして君を抱きしめられるだけじゃなくて、また一つメグのことを知れることができた」
「……えへへ、ちょっと恥ずかしいところ知られちゃったな」
「俺はもっと見せて欲しいな。メグの苦手なものも弱いところも全部知りたい」
「……うん、アカリにだったら、全部見られちゃってもいいかな……」
「うわぁ! なんか大人な感じ……!」
「静香ちゃん静香ちゃん! 高校生って凄いね!」
「二人とも他に私に何か言うべき言葉ないの!?」
先ほどよりもテンションが上がっている翼ちゃんと未来ちゃん。そしてそんな二人に挟まれている静香ちゃんは、椅子から転げ落ちていた。どうやら彼女も雷が怖かったようだ。
というわけで、そんな二人の気が紛れないかと思って中学生向きの豆知識を教えてあげたのだが、どうやら元々雷に対して免疫のある二人の興味しか引けなかったようだ。
「それじゃあ、みんなでトランプでもしようよ! 遊んでれば気も紛れるよ!」
そう言って未来ちゃんが自分の鞄の中からトランプを取り出した。
「………………」
「……アカリ?」
「あ、いや……うん、俺はいいよ。メグは?」
「アタシもいいけど……」
「やった! それじゃあ準備しますねー! まずは基本のババぬきから!」
いそいそとトランプの準備を始める未来ちゃん。勿論翼ちゃんと静香ちゃんも参加するので、五人でトランプをすることになった。
「………………」
「アカリ、さっきからどうしたの?」
先ほどから口数が少なくなった俺に、メグが心配そうに顔を覗き込んでくる。
……先ほどメグの弱点を見せてもらったばかりではあるが……どうやら俺の弱点も彼女に見せることになりそうだ。
『………………』
控室に沈黙が包まれる。時折聞こえてくるゴロゴロという雷の音に誰も反応しなくなってしまうほど、みんなが唖然としていた。
「……うん、こうなることは分かってたよ」
そう、俺には分かっていた。何せこれは俺が背負った宿命のようなもの。姉さんのような完璧な人に憧れ、彼女のように勉強も運動もひたすらに頑張ってきた俺が唯一
「……凄い失礼なことだとは承知の上で、言わせてもらってもいいですか……?」
静香ちゃんの問いかけに無言のまま頷き返す。
そして静香ちゃんの代わりに――。
「……アカリさん、トランプ弱っ」
――ズバリと翼ちゃんが言い切った。
「ババぬきで五連敗する人も初めて見ました……」
「別に表情が露骨に変わったりもしないのに、ほとんど揃わない上にずっとババを持ち続けるなんて……」
「恵美さん、知ってたんですか?」
「流石に二人でババぬきすることはなかったから、知らなかったよ……」
何とも言えない空気が部屋の中に漂っていた。
一つだけ言い訳をさせてもらうとしたら、これは
別にどうしても知られたくなかったわけではないが……やっぱりメグの前ではもう少しだけカッコつけたかった。
「……もー、何そんなにしょげてんのさー」
「め、メグ?」
不意にメグが俺を抱き締めてきた。いつもするようなハグではなく、俺を胸に抱き寄せるような形のそれに、流石に心臓がドキリと高鳴ってしまう。
「アタシがそんなことで幻滅すると思ったのー? むしろ珍しくちょっと落ち込んでていつもより可愛いよー!」
可愛いと称されるのも少々複雑ではあるが……メグから言われるのであれば、嬉しいと感じてしまう自分がいた。
「それに、さっき自分で言ったじゃん。『もっと弱いところを見せて』ってさ。……アタシも、アカリの弱いところ、もっと見せて欲しい」
「メグ……」
「えへへ、不思議だよね。カッコいいところ見て好きになって、優しいところを知って好きになって……弱いところを見せてもらってもっと好きになってる」
「……うん、不思議だ」
メグの背中と腰に腕を回して俺からもと抱き寄せる。
自分であぁ言ったものの、自分の弱いところを積極的に見せようとは思っていなかった。けれど今は、もっと自分を知って貰いたかった。
こんなにもメグのことが好きなのに、もっとメグのことが大好きになれることが嬉しかった。
「静香ちゃん静香ちゃん! なんかすっごい口の中がモニュモニュするんだけど、これなんだろうね!?」
「そうね……私もおんなじ気分よ……」
「恵美さんいいなー……こんなにカッコいい恋人がいて……わたしもモテたいー!」
9月8日
夏休みも終わって初めての週末。今日はアタシもステージに立つ日だった。
今日のアタシはソロで立たせてもらい、そこで自分のアフタースクールを歌わせてもらった。先輩の曲を歌うのも楽しいけど、自分の曲だともっとテンションが上がるよね!
そしていつも通りステージを終え、いつも通りお疲れ様のハグをアカリにしてもらったんだけど……少し早く来てしまった台風のせいで、自転車で来ていたアカリが帰れなくなってしまった。というかアタシもだ。
そこでプロデューサーがアタシや他の子たちと一緒にアカリも車で送ってくれることになった。
そしてプロデューサーの仕事が終わるまで控室で未来たちとトランプをして時間を潰していたのだけど……そこで意外なことを知ってしまった。
なんとアカリはトランプとかそーいうゲームがすごい弱かった。アカリはお姉さん同様になんでも出来るイメージだったからとても驚いてしまった。
でもそれを知られて少しだけ恥ずかしそうにするアカリがとてもかわいくて……。
アタシと雷が苦手ってことが知られちゃったし……オアイコ、だよね?
「………………」
「プ、プロデューサーさん? どうして控室の前で踞ってるんですか……?」
「
「……はい?」
・テーブルゲームに異様に弱い姉
ほとんど答えだコレ。
しかしここまで来たら本名は最終話まで明かさない覚悟でいこう。
とりあえず、パソコン不調でタイピングに時間がかかりこれ以上は書けなかった……。
次回はもうちょっとだけストーリー性のあるお話になるかと。
というわけで次回、文化祭編。