私がモテないのはお前達が悪かったのだろうか? 作:レイズ
原幕――正式名称は『原宿教育学園幕張秀英高等学校』。全国的に見ても平均以上を誇る進学校であり、それ故か生徒も穏やかな気質を持つ者が多い学び舎だ。一般に進学校といえば、陰湿な虐めや嫌がらせが横行しているような場所を想像するかもしれない。しかし案外と、統計を出せば優秀な者が多く集まる場所はそういったことが少ない傾向にあるのは見て取れる。それが頭脳の高さからくる隠蔽の上手さだと穿って考えるかは人それぞれであるが、少なくともこの学校においては
この原幕の最高学年、受験の年を迎える三年生にしても、いじめられっ子という人種はあまり見受けられない。故に三年五組のとある女子生徒――『黒木智子』がここ一週間連続で休みを取っているのも、クラスに馴染めないなどといった負の要因を抱えている訳ではなかった。
男子生徒達は彼女の休みに対し然したる関心を持ち合わせていなかったが、女子生徒の数割が多かれ少なかれ心配をしていたことがその証左だろう。それどころか違うクラスの女子生徒までが毎日それとなく確認をしにきていた事実を鑑みれば、一種の人気者とさえいえるかもしれない。
「うっちー今日も来てたね…」
「何しにきてんだ? ほんと」
「ふふ、実は黒木さんを心配して見に来てるのかも」
「えぇ? あの二人が仲良くしてるの見た事ないけど…」
廊下の窓から中の様子を窺う、絵文字の様にのっぺりした顔の少女は今日もため息をついてトボトボと教室を後にする。本人は気付かれていないと思っているが、誰が見てもバレバレであった。そんな彼女を見て姦しく雑談しているのは朗らかなツインテールの少女、オデコを晒したパイナップルのような髪型の少女、高校生とは思えない穏やかな雰囲気を持つ髪の長い少女の三人。
根元陽菜、岡田茜、加藤明日香の三人だ。彼女達も智子を心配している女生徒の内の三人であり、特に最初の一人に関してはいつも通りのように見えて、時折表情に影が差すのを隠しきれていない。二人目にしても、ここ最近で智子の奇行――いっそ変人ともいえる場面を目撃して少しばかり気になっていた事情がある。直近の遠足においても少なからず恩を受け、気の置けない友人とは言わずとも知り合い以上の気持ちを抱いているのは確かだ。
三人目も飄々とした表情を崩すことはないが、内心で心配をしていることは彼女の癖――嫌なことがあると爪を気に掛けるという様子が頻繁に見受けられることから、よく知った仲であれば心中を察することができるだろう。
そしてそこから少し離れた席にも、智子を話題にする女生徒が更に三人いた。
「黒木さんどうしたんだろうね……LINEも既読つかないし」
「…」
「さぁな。けど荻野が大丈夫って言ってんだから大丈夫じゃねえのか? タチの悪い風邪でも引いたんじゃねえの」
同様に心配をしている三人――田中真子、田村ゆり、吉田茉咲。真子以外はあまり心配を口に出していないが、実のところこの三人こそがクラス内でもっとも智子を気にかけているグループであった。二年時の修学両行から始まった奇妙な縁が今でも続き、それぞれが個性的なこともあって、今では水魚の交わりとすらいえるような組み合わせだ。
昼休み、いつものように昼食を終えて雑談に耽る彼女達。珍しく茉咲も一緒に食事をしているのは、案外友人に気を遣ってのことなのかもしれない。いわゆる不良といえる見た目であり、実際に粗暴な面も多分に持ち合わせている彼女だが、その心根は非常に優しい。また可愛いものを殊更に愛する乙女らしい一面も存在していた。仲の良い友人が休み続け、沈んだ表情――親しい者にしか判別できない無表情だが――を見せるゆりへの気遣いが、彼女の優しさを端的に表している。
そんないつもよりほんの少しだけ寂しい雰囲気を漂わせるクラス内。昼休みの終了も残り数分となり生徒の全員が集まった頃、担任の荻野が姿を見せる。彼女が受け持つ教科は体育であり、次の科目とは関係がなかったため生徒達が奇異の目を向ける。両手をパンパンと打ち鳴らし注目を集める仕草は堂にいったものだ。まだ鐘が鳴っていないにもかかわらず、生徒達は各々の席に戻り担任の話に耳を傾けた。
「はいはい、注目! みんな戻ってきてるわね……先生から少し話があります。少し次の授業に食い込むことになるけど、許可はいただいてるから心配しないでね!」
いつも通りはきはきとした語り口で生徒へ語り掛ける荻野。しかし内心ではいつもの歯切れの良さとは裏腹に頭を悩ませていた。彼女の煩悶の正体は、二年から指導を受け持つ生徒『黒木智子』に関する非常にデリケートな問題に関してだ。一部の生徒に『デリカシーゼロ』と揶揄されるこの教師であっても軽々しく扱える問題ではなく、それこそ平穏な教室に『イジメ』が発生する可能性を孕んだ案件であった。慎重に言葉を選び、鐘が鳴ったと同時に職員室から教室へ向かっているであろう教え子のことを思いながら語り始める。
「みんな知っての通り、黒木がここ一週間休んでいます。家庭の事情と伝えてはいましたが、実際は少し違います」
ざわりと教室がさざめき立つ。特に陽菜とゆりが強い反応を見せ、椅子の動く音も混ざり合い教室が俄かに騒がしくなった。荻野は手を上げて喧騒を抑え教室を見渡す。心配そうな色が強い反応や、八重歯の目立つ少女が見せた気だるげな反応も見つつ、これなら大丈夫だろうかと目を瞑って頷いた。
ちょうど入り口のガラスに人の影が差したこともあり、問題の人物に入室を促す。ガラリと引き戸が開かれ、一人の生徒が引きつったような笑みを――あるいは自虐的ともいえる笑みを浮かべておどおどと入室した。いつも寝癖でぼさぼさの髪型は心なしか撫でつけられたように整えられている。しかしなで肩な上、両手を胸の部分におく様子は怯える小動物のようで、一人ぼっちだった頃の彼女を思い起こさせた。
無言で自分に視線を向ける智子に対し軽く頷くと、彼女は大事な生徒に起きた驚きの出来事を――解りやすく、そして一言で表した。
「見れば解るでしょうけど――黒木はトランスセクシャルシンドローム……通称TS病にかかって男の子になりました」
『男子の制服』を着て入ってきた“彼”を凝視する生徒達に、荻野は一息で全てを伝えた。智子が現代の奇病と言われるトランスセクシャルシンドローム……『性転換病』にかかった事実を。
「転校等で解決を図る人が多い中、このまま五組に通うことを決心した黒木の決断を先生は素晴らしいことだと思っています!」
いまいちフォローになっているのかなっていないのか、なんともいえない教師の言葉が響き――教室の驚愕が消えやらぬまま次の授業が始まった。何故か女子で固まっている席順の、その最後列に智子は座る。
隣の席の友人をあんぐり口を開いて見詰める陽菜。後ろに座った友人を面白そうに迎える明日香。目を丸くして斜め後ろの友人を見やるゆり。他にも多く突き刺さる視線に対し居心地悪そうに身じろぎする彼は、やはり転校した方がよかったのだろうかと瞠目し――次の休み時間に襲い来るであろう友人達の質問と、LINEを無視し続けた言い訳をどうするかと考えて嘆息したのであった。
■
キンコンカンコン、と聞きなれた鐘の音が学校中に鳴り響き五時限目の授業が終わりを告げた。大多数の生徒は授業に集中できていない様子であったが、それも仕方ないだろう。けしてクラスにおいて目立つ存在でなかったとはいえ、同じクラスの女子生徒が男子生徒になってしまったのだから興味を惹かれない筈もない。
とはいえ、やはり最初に話しかけるクラスメイトは隣の席の“彼女”であった。距離的にも、そして心情的にも問いかけずにはいられないのは当然だ。一時限分をたっぷりと混乱の渦に掻きまわされていた彼女は、授業終わりの一礼とほぼ同時に隣の席の智子へ突撃した。
「ク、クク、クロぉーー! 何がどうしてそうなっちゃったの! 本当なの『それ』!?」
「ち、ちちっ、近いって…」
「あ、ご、ごめん…」
「TS病って都市伝説じゃなかったんだ。ふふ、黒木さん――黒木君、ちょっとカッコよくなったかな?」
「ホワオゥッ!?」
詰め寄る陽菜を宥め、掴まれた右腕で押しとどめたのも束の間。左手をそっと握られ、ほんの少し大きくなった掌を確認するように触れてくる明日香に奇声を上げる智子。女子であった時ですらドギマギした彼女の妖艶さは、男子になった今では暴力的なまでの魅力となって彼を襲った。
真っ赤になった彼を見て、すっと光が消えた瞳と共に表情を消した陽菜。自分が右腕を掴んで友人が左腕を掴んでいるというのに、智子が集中しているのは左側のみだ。いつものように解りにくい嫌味で気を引こうとしかけるものの、その前に邪魔が入る。
「黒木……さん?」
「あ、え、えっと……へへ、こんなんなっちゃったん……だけど」
「…」
「…」
「…別に」
「へ?」
「別に、気にしないから。黒木さんは黒木さんだし」
「あ、え……うん、ありがと」
智子に『表情筋十グラム』と評されたゆりが割って入り、伝えたいことをさらりと伝える。笑顔の欠片もないコミュニケーションであったが、その気遣いと優しさは十分に伝わったようで智子は笑顔で感謝を示した。五日間悩みに悩みぬき、後の二日間は『どうにでもなーれ』と爆睡した彼の顔には常の様な隈もなく、弟と同様に
元々男女の違いが無ければ同系統の顔であり、目つきの悪さを考慮するとイケメンとは言いづらいものの、十分に“見れる”顔だ。男のロングはイケメンだけに許された神秘の領域であるが、それは九分九厘が『似合うかどうか』によるものだろう。高校生活をひたすら長髪で過ごしていた智子は既にそれが馴染んでおり、見事に調和がとれていた。
人見知り極まるゆりは男に対しても無関心を貫いていたが、智子は大切な女性の友達だ。女性の友達『だった』。遠足では友達以上の感情が見え隠れしていたが、とりあえずは同性の大切な友人であったのだ。しかし“彼女”が“彼”になった今、その好意は混沌としていた。
要は――男と女の間に友情は成立するのか、という『夫婦や恋人の交友関係における命題』にメスを入れる事態となっていた。少なくとも彼の笑顔に顔を背けたゆりの顔が、ほんのり赤く染まっていたのは確かな事実である。
「…クロ?」
「うぇっ!? な、なに?」
「なにか私に言うことないのかな? …ないなら別にいいけど」
「え、えー……あ! その……LINE無視して悪かったよ。ちょっとこっちも混乱してて」
「心配したんだよ? こんな事情じゃ仕方ないかもしれないけどさ」
「ご、ごめんって」
なに恋人みたいな反応してんだこいつ、と脳内で毒づく智子。意外と問題なさそうな周囲の反応にほっと胸を撫でおろし、かわるがわる会いに来る友人やクラスメイト達の対応に追われる。
「お前……ほんとに男になったのか…?」
「う、うん。はは……こ、こんど乳首つまんだら犯罪になぐえぇ!?」
「おらぁーー!!」
少しだけヤンキーの力が弱く感じることに、男になった意味も多少はあったんじゃないかと、智子は当社比一割増になった全身の筋力に頼もしさを覚える。とはいっても二十五ほどだった握力が二十七強になったところであまり意味はなく、首元を掴まれて持ち上げられるという暴力にも結局は無力であった。しかし全体的に筋力が増したという事実は、体重の増加へと繋がっていることに疑いの余地はなく、故にヤンキーこと茉咲がいつもと違う重さにバランスを崩したのは自然の成り行きといえるだろう。たたらを踏んで智子を床に落としてしまい、足元にうずくまる彼にやりすぎたことを謝罪した。
「…っと、あ……ワリ」
「う、ううん。あ、クマさんパン――」
「おらぁーー!!」
「やっぱりクロは馬鹿だね…」
女性に持ち上げられる男性というのも情けないが、体格差を考えれば当然だ。性別が変化したとはいえ馬鹿で変人な部分は同じである、と周囲の友人が一様に納得したのは不幸中の幸いといったところだろうか。休み時間も残りわずかとなった頃には、教室の雰囲気も落ち着きを取り戻していた。
眼鏡をかけたリア充男子こと『清田良典』が、智子の変化に対し無邪気にはしゃいでいたこともその要因の一つだ。もちろん彼なりの気遣いであることは間違いなく、たとえ正月前に彼女に振られた似非リア充といえどやる時はやる男であった。
清田を除くと女子ばかりが自分を気に掛ける状況で『なんかハーレムみたいじゃね?』と若干の戸惑いを覚えていた智子だが、そんな彼にこのクラスでもっとも古い仲である女性が近寄ってきた。
「…」
「…」
「…」
「…いや、なんか言いたいことがあるなら言えよ」
「っ!?」
智子曰く『弟の性器が大好きな変態メガネ』である腐れ縁、小宮山琴美だ。おそるおそる確認するように智子へ近づいてきた彼女であったが、彼我の距離が一メートルを切ったところで様子が変化した。石のように固まってフリーズする様は、智子でなくとも不審に思うだろう。
智子は微動だにしない彼女の肩を掴んで揺さぶる。その瞬間、ゴキブリのように素早い反応で琴美は覚醒した。元々彼女は常軌を逸した変態であり、智子の弟――黒木智貴のものであれば排泄物すらオカズにできる精神の持ち主だ。智貴のベッドへ侵入すれば脳内エンドルフィンが溢れ出し、智貴に挨拶をされると急激に生理が始まる、世界単位でもトップに立ちかねないド級のヤバい奴が彼女だ。
そんな琴美が智貴と同質の顔、性別が変化したことによって同質の匂いを持った智子に対峙すればどうなるだろう。恋慕している本人ではないのだから惚れるようなことはないだろうが、プチ智貴ともいえる彼に対し脳が混乱するのは火を見るよりも明らかである。いわんや微妙に確執があった相手だ。まるで光(智貴)と闇(智子)が融合して自分を襲ってきたと錯覚するのは仕方ないともいえるだろう。いや、仕方なくはない。変態である。
「あ、お、お、おおはよっ!?」
「なに発情してんの? キモいんだけど」
「あうっ!?」
「うげ、ちょ、おまっ…!?」
横でドン引きしている友人をよそに、琴美は智子の『キモい』発言と嫌悪の視線に軽く絶頂を感じた。強姦魔も裸足で逃げ出す気味の悪さである。腹部の子宮付近を抑えて震える彼女は、顔を青くして引いている智子へなんとか声を絞り出す。
「な、なんでもないよ……お義兄ちゃん」
「死ね」
衝撃の一幕。琴美を厳しい目で見ていたゆりや陽菜ですらが引き気味だ。そうこうしている内にチャイムが鳴り、本日最後の授業が始まる。一週間も休んでいた智子は微妙に離された授業内容に四苦八苦していたが、前の席に座る明日香が何くれとなく世話をしてくれたためにある程度は追いつくことができたようだ。
その大きな目をぐるぐると回し顔を真っ赤にして感謝と謝罪を繰り返す智子へ、明日香は耳元でそっと囁く。キーホルダーのお礼だよ、と。授業中であったため声が漏れないようにひそめただけのことなのだろうが、桃色の吐息と軽く香る香水に智子はノックアウト寸前だ。隣と右斜め前からの鋭い視線も気付かず、目の前の女神にうつつを抜かしていた。
――下校時にはもう一波乱ありそうだ。
そんなに長くはならないかと思います。