体が焼けていると錯覚した。その地面は非常に熱い──自分と、ジャスパー、たった二人しかいない世界を走る。ジャスパーが暑そうに汗を親指で払った。
「あのクソデカトカゲはどうする!?」
「決まってる、放置だ! 逃げる以外にねぇだろ! 追いつかれたら──その時は世界を救うさ!」
「いいねぇ! それに賛同するさ!」
体はその竜──龍の方へと前進させつつ、しかし自分はそいつと戦う気はない。既に察している、
戦えば死ぬ。それが確実だと。
「アッシュ・トゥ・アッシュ! ダスト・トゥ・ダスト! 安らかに眠れよ人類最強!」
「死んだら地獄でまた会おう!」
ジャスパーとそんなことを叫びつつ、足は止めない──市街地を、竜車の全力を超過する速度で走っていく。呼吸が苦しいのを根気で抑え付け──いや、恐怖で抑え付け、なるべく遠くへ、遠くへ、その龍がいない場所に逃げる。
そんな類の化物だ──あれは。
「ぁ、ぁ、ぁわあああああああああああ! ぁあああああぁっ! ぁぁぁ!!」
「うっせぇ! 黙って走れ!」
「じゃあお前捨ててくぞぉ!? ぶっ殺すぞ!?」
「俺が悪かったああああああ!!」
互いに叫ぶことで正気を保つ。近付く度に増す威圧感。相対などすれば、それだけで心臓が止まるだろうと思えるほどの存在感。
「──俺も、お前も! 縋る命がある! それっていいなぁ!」
「いきなりどうした! イカれたか!?」
「なんでもねぇ! 単純に、生きてるって素晴らしいと思っただけだ!!」
だから人類悪と言うものは──なんと悲しい生命だろう。
生まれたことが罪だ。世界の共通の敵だ。肺に空気を詰め入れつつ、いつかに出会った彼に思いを馳せる。
そんな命、悲しすぎる。だから、それを糧とした俺は、
「──生きるしかねぇだろ!」
そういうことだ。
今更無くすことを恐れるなど、少し前を考えればあり得ない。無くすことは恐怖じゃなかったのだから。死んでも、俺はよかったと思っていたのだから。
ジャスパーを見る。
「──」
俺は、どうしてこいつと一緒に逃げたいと思ったのだろう。わからない。わからない。わからないことがかわらない。
ただ、単純にそいつを通して感じているのかもしれない──いつかに失くした、友人を。
「──全く、
逃走は無駄だった。羽ばたき一つで先を越された。心臓の鼓動が怪しい。自分が今生きているかもあやふやだ──それだけの化物が、そこにいた。
「──じゃあ、人類を救う戦いをしよう」
◇
黒い龍だ。
便宜上、黒龍としよう──言葉が通じるかもわからないそいつに、俺はまず声を掛けた。逃げ切れるとか、そんな考えはこの時点で捨てた。既に死んでいるも同然だったからだ。
こいつが目の前にいる以上、俺は生きてはいられない。
だから、声を掛けた。
「この国の端の方に新都って街があるんだ」
ジャスパーを下ろす。逃げろ、と言いたかった。けれど言えない。彼は、逃げる気がない。
「そこには手を出さないでほしいな──お願いだから」
この言葉が通じているとは思っていない。けれど、届けばいいな、と思った。
そして息を吐く。
「それじゃ──最後だから、全力で」
鎧を展開しつつ、間近で見据えるジャスパーの声を聞いた。
「おい」
「──なんだよ」
「まぁ、勝てとは言わねぇよ。勝てるとも思わねぇ。だけど──死んだら、俺も死ぬからな」
「……はっは、どっちも地獄行きだろうな」
「そうだよ。俺達は思うに、生まれると言う間違いを犯した──だから、ここで死ぬ」
それを聞いて、彼が生きる気はないのだ、と知った。ひょっとしたらずっとずっと、とうに昔から。
「サイテーな人だね」
「サイテーな人だな」
龍は、まるで話を終えるのを待つように不自然に動かない。
「お前が死んだら俺も死ぬよ」
「はっ──随分愛されたもんだな」
「たぶん、俺もわかんないけどそうなんじゃねぇの?」
「やったぜ。お前の見た目は好みドンピシャだ。地獄で堪能してやるさ」
「地獄で会えたらそれがいいね」
言葉を切り、
「さて──」
まず腕を構えた。
「さよなら、親友」
「おはよう、戦友」
──決着は一瞬だった。
◇
「あーもう……あいつ、ほんとにムカつくなぁ」
私は座学教師についての不満を、宿題を適当に終わらせながら呟いた。
あの座学教師はサイテーだ。私ばかりを当ててくる。間違えたらクラス中にああはならないように、と言う感じで、勉強をさせる出汁にあいつは私を使うのだ。私はとてもそれが気に食わなかった。
「あー、やめやめ。こんなことより、」
宿題の用紙を雑に放り投げ、カバンの中に潜ませた本を取り出す。大昔の言葉で書かれたそれは、必死に勉強したからか、かろうじて解読することができる。
「──ルフティ、ジャスパー、……多分、人名だよね。この二人の名前と、あとのキーワードは大戦。これが何を表しているのか、だよね……図書館に本はないって言われたしなぁ」
この本は私が子供の時にもらったもので、代々受け継がれているのだそう。
親から聞いた話によると。
私の家系は、実は黒龍伝説が謳われた当時から存在するものらしい。
とある男と女の、その隠し子が、シュレイド崩壊の際に手出しされなかった場所にいたらしく、それが私たちの先祖。その一つ前の開祖と言うべき存在は、シュレイド崩壊で亡くなったと聞いた。
「本当なのかな……多分、嘘だけど」
私は本をまたカバンに仕舞う。少し考えて、図書館に向かうことにした。ポケットに入れた綺麗な鱗に思いを馳せ、ぐちゃぐちゃにした宿題を反対のポケットに突っ込んで。
◇
「あれ、ティースじゃない。今日も勉強?」
「そうじゃないけど……いや、そうなんだけど」
「それより聞いてよ。新しく人を雇ったんだ。今は本棚の整頓をしてもらってるんだけど」
とんだ物好きがいたもんだ。
その言葉を聞いて私はそう思っていた──この図書館は、人手がないし人気もないくせに蔵書数はピカイチなのだ。現代受けするノベルが存在しないのが理由だろうが、しかしこの図書館に来るのは私と、あと時々調べ物をしに来る人くらい。
だから、私は雇われた人と言うのが信じられなかった。
図書館の奥へ、奥へ行き、古代語の辞典(ただあんまり単語は載っていない。大きく文字改正が行われたからだ)を引き出して、そして開き、定位置の椅子に向かう。
「む」
珍しいことに、先客があった。私は初対面の人が怖い。と言うか、人間が怖い。幼い頃に大人に酷い言葉を投げかけられたのが今でもトラウマだからだ。
「──おや、こんにちわ、かな」
私は彼から少し離れた場所に座ると、私の存在に気づいた彼がこちらに言葉を投げかけてくる。ひええ、やめてくれよぉ。私はそう思った。思ってるだけじゃ始まらないので、内心びくびくしながら「こんにちわ、……です」と応えた。
「そんなに怯えなくてもいいだろ。……いや、俺の顔が怖いから怯えるのは仕方ないが」
そんなことを言う彼の顔は、半分ほどが包帯に覆われていた。
しかし見える顔は非常に優しげ。包帯のせいで怖い印象を与えるだけで、よく見れば緊張が溶けてきた。彼が優しいのだ、と直感的に察したからだろう。
「え、と……名前、なんて言うんですか?」
「名前?」彼は瞬間、何を言おうか迷うようにして、「俺の名前は三つほどある。ハッピーエンド、ジャスパー、人類悪。どれでも好きな名を呼んでくれ」
「……それじゃ、ジャスパーさんで」
何故それを選んだかと言うと、馴染みがあったから。本に書かれたジャスパーと言う名前と同じだったから。
「ジャスパーさんは、どうしてここに?」
「さぁ、どうしてだろうなぁ。とっくの昔に死んだはずなんだけどな。たまたま長く生き延びてしまって、たまたままた死んで、たまたまここで人を待ってるってだけだ」
「人……?」
「恋人さ」彼は嬉しそうに言う。「違う、妻だ。結婚したからな」
その言葉に、ふーん、と思った。彼なら妻くらい当然いるだろう。なんせ、雰囲気がイケメンである。
「ここで働き始めたみたいでね。……おっと、あれが私の妻だよ」
彼が指を指したほうを見る。毛先が蒼い茶髪の美人が、この机に向かってあるいてきていた。
「よー。おっと、そっちの少女は──お? なるほど、わかった。そう言うことだな?」
「
近くで見ればその綺麗さがよくわかる。と、女性と合流した彼は立ち上がった。
「帰るん……ですか?」
「そうだね。俺はそんなに長くここにはいられないから」
続けて彼は言った。
「
「……?」
「それじゃあ、俺達は帰るよ。──
意味がわからなかった。それでも何か、じんわりと、からだに浸透した気がした。
私は体を見下ろす。
私は体を見下ろす。
◇
目を覚ます。そして一番先に、鏡を見た。
茶髪──黄土色に近い髪の、その先端は青色だ。
私が虐められる理由はこれだと思った。それでも私はいいと思った。多分、変わらなくても。何故なら私は私だから。何故なら彼女は私のような姿で、しかしそれでも堂々としていたから。
特に理由もない。勉強もしてないが、あれが読めると思った。だから本を取り出す。
そして読んで、この本に題が無いことを知った。だから私はこう名付けた。
『終末に消える』。私の知らない遠い昔の、誰かが語った世界の終わり。
「これでよし」
私は最後にペンを使って文字を書き足した。
彼らはけれど、遠い未来でまた出逢い、そして幸せな日々を過ごしました、と。
はい、完結です。後書きは後日投稿しようと思ってます。