Steins;Gate アフターストーリー   作:第22SAS連隊隊員

2 / 6
今回の主役はシャイニングフィンガーこと桐生萌郁さんです。
本編では岡部との敵対、辛い過去、悲惨な最期と様々な面を見せてくれた彼女。そんな彼女にとって一大イベントが始まります。


桐生萌郁編

 

 

Steins;Gate アフターストーリー

 

桐生萌郁編

 

寒さが身に染みる二月。桜が咲く季節まであと少しだが、冬将軍は最後の悪足掻きを見せていた。

寒風がひっきりなしに吹き荒び、太陽は灰色の雲に覆い隠され顔が見えない。そんな灰色の空の下、東京のとある場所に一軒の二階建のテナントビルがあった。

捻じ込むように狭いスペースにその身を納め、両隣の建物との間は殆ど無い。そんなビルの一階『ブラウン管工房』の店先にメガネをかけた女性が居た。

寒さから身を守るため厚手の防寒具を着こみ、その手に箒を持ち、店先を掃除している。箒でアスファルトを掃く度に土埃が薄く舞い上がり、そして一箇所に集められてゆく。しばらくすると、土埃で出来た小山が一つ出来上がった。

女性は軒下に置いてあった塵取りを左手で持って、小山の傍に置き箒で掃こうとして――寒風が小山を吹き飛ばした。

まるで手品のように土埃の小山は一瞬で消え、あとには茫然と固まる女性が。そんな女性を嘲笑うかのように、寒風がもう一度通過する。脇下まで伸びウェーブのかかった女性の茶髪を揺らした。

女性はムッとした表情を浮かべると、先ほどよりもやや早い動作で箒を動かし、再び小山を作る。そして、今度こそ塵取りに納めようとして――またもや小山は風に消えた。

そんなことを数回繰り返し、ようやく店先の掃除を終えると、女性はブラウン管工房の店内に入って行く。太陽が雲に隠れているとはいえ、店内は昼間にも関わらず薄暗い。

天井の蛍光灯は弱々しい光を放ち。代わりに店の奥に置かれた、野球中継を映している42型のブラウン管テレビが明かりとなっていた。

 

「掃除、終わりました」

 

「おう、お疲れさん。ちょっと早いけど昼休みにすっか」

 

巨大なブラウン管テレビの前、この店の唯一のカウンターに屈強な体付きの禿頭の男がいた。緑色のエプロンを身に付けており、そこには「ブラウン管萌え」の文字がプリントされている。

彼の名は天王寺裕吾。ここ、ブラウン管工房の店主であり、このテナントビルのオーナーでもある。裕吾がそう言うと、女性は店内に置かれたパイプ椅子に座り、懐から携帯を取り出した。

そして、恐ろしい速さで次々とキーを打ち込む。

携帯を持つ右手の親指が次から次へとキーの上を舞い踊り、残像を残す。やがて最後のキーを押すと、数秒の間があってから店内にくぐもったメロディが流れた。

野球中継を見ていた裕吾は、懐からメロディが鳴り響く携帯を取り出し、二つ折りのそれを開いた。しばらく画面を眺めてから携帯を操作し、なにやらキーを打ち込むと最後のボタンを押す。

数秒の間のあと、再び店内にメロディが流れる。今度の音はくぐもっておらず、明瞭なメロディが女性の持つ携帯から流れていた。女性が素早く携帯を操作し、受信されたばかりのメールを開く。そこに書かれた内容を見て、女性は微笑んだ。

その返信のメールを僅か数秒で完成させると、女性は二度目の送信ボタンを押す。

再び流れるメロディ、携帯を取り出す裕吾、携帯を操作、女性の携帯からメロディが流れる、受信されたメールに返信、流れるメロディ――

そんな光景が暫く続き、ふと、店内に子どもが入ってきた。店内に入ってきたのは、ヘアゴムで止めた左右に飛び出る短い髪がぴょこぴょこと揺れる幼い少女。

少女はパイプ椅子に座る女性の前に立つと、開いている女性の左手を握る。ここで、初めて女性は少女の存在に気が付いた。女性の目の前にはピンク色の防寒具を着て、くりくりとした瞳が特徴の少女が。

 

「お父さん、ちょっと萌郁さんと一緒にお出かけしてくるね」

 

少女の言葉を聞いた途端に、これで何回目になるか、携帯の操作をしていた裕吾は携帯から目を離し、驚いたような顔を少女に向ける。

 

「な、綯? 今、なんて言った?」

 

「だから、萌郁さんと一緒にお出かけするの」

 

言葉の意味がわかると、途端に裕吾の顔は驚いたような顔から酷く心配げな顔になる。

 

「二人じゃ危ないだろ? だから父さんが一緒に……」

 

「ダメ! 萌郁さんと一緒に行くの! それに、お父さんはお店があるでしょ!」

 

裕吾の言葉をピシャリと断ち切った少女。彼女の名前は天王寺綯、裕吾の一人娘だ。そして、綯が手を引いている女性の名前は桐生萌郁。ここブラウン管工房のアルバイトである。

綯の言った通り、裕吾はこの店の店主だ。店、といっても客が入ることは殆ど無く、道楽で商売をしているようなものであるが。といっても、そこは曲がりなりにも店主。何か起きた際には対処をしなければならない立場である。

娘の至極まっとうな言葉に、禿げ上がった頭を掻く父親。なんとも困ったような表情を浮かべ、綯と萌郁を交互に見やる。と、ここで萌郁が口を開いた。

 

「大丈夫、近所のスーパーに行くだけです。直ぐに帰ってきますから」

 

余り大きくは無いが、ハッキリとした口調で萌郁は言い切った。そこまで言われると裕吾は遂に根負けし、諦めたような口調で二人を送り出す。

 

「わかった……二人とも気を付けてな。桐生、何かあったら直ぐに電話してくれ」

 

萌郁は無言で頷く。綯は勝ち誇ったような笑みを浮かべると、萌郁の手を引いて店の外へと連れ出して行く。去り際に「行ってきます」と言って、二人の姿は店から消えた。

残された裕吾は大きな溜め息を一つ吐くと、野球中継を映すテレビの電源を消して、カウンターから新聞を取り出した。勢いよく広げると、適当に目についた記事を読み始める。

それから数十分後。裕吾は相変わらず新聞を読んでいたが、内容は一片たりとも頭に入っていない。頭の中は一緒に出掛けて行った娘とアルバイトのことばかり。

近所にスーパーは一軒しかないため、二人はそこに向かったのであろう。そこは裕吾も綯を連れて良く利用するため、綯も道順や危険な場所は良く分かっている筈だ。

しかし、頭で理解しているとはいえ、やはり心配であった。妻に先立たれ自分の腕だけで育てた一人娘。その御蔭かしっかり者に育ち、近所でも評判の娘に育ってくれた。

娘の安否を気にかけていると、裕吾の携帯が鳴り響く。その音に一瞬、肝を冷やし慌てて携帯を開けて受信したメールを開く。

そこに書かれていたのは――

 

 

 

from:萌郁 題名:どうすればいい? 

 

バレンタインにチョコを送りたい人がいるんだけど、その人、甘いものが苦手みたいなの。

FB、どうしたらいいかな? >< 萌郁

 

 

 

メールに書かれていた文面を見て、裕吾は脱力した。しばらく呆けたあと、ゆっくりと返信のメールを打つ。

 

 

 

from:FB 題名:だったら

 

甘くないビターチョコレートはどうかしら?

それなら大丈夫かもしれないわよ。最近は寒いから身体に気を付けてね。FB

 

 

 

数秒後、裕吾のメールに再びメールが受信される。

 

 

 

from:萌郁 題名:わかった!

 

わかった! ビターチョコレートにしてみるね!

ありがとう、FB!(^-^) 萌郁

 

 

 

そのメールを読むと、裕吾は息を一つ吐いてから壁に掛けられたカレンダーを見た。今日は二月十二日、バレンタインの二日前である。

裕吾は口の周りに蓄えられた髭を撫でつつ、感慨深そうに唸り声を上げた。

 

「もう、そんな時期か……。M4のやつ、色気も付いてきたか?」

 

そう言って苦笑する。彼が口にしたM4のと言う言葉の意味、その言葉は彼のもう一つの顔を表す言葉でもあるのだ。

天王寺裕吾。表向きはこの大檜山ビルのオーナーであり、ブラウン管工房の店長。

そして、彼のもう一つの隠された顔――それは、SERNの非公式傭兵部隊「ラウンダー」の管理官「FB」としての顔だ。彼はここ秋葉原で、SERNが探し求めている幻のレトロPC「IBN5100」を探している。

M4とは先程、買い物に出かけた萌郁のラウンダーとしてのコードネーム。そう、桐生萌郁もラウンダーの構成員の一人である。しかし、萌郁は裕吾がFBであることを知らない。

萌郁はFBと直接会ったことは無く、メールでのみやり取りしているからだ。

 

「レトロPCねぇ、あんなものよりブラウン管の方が良いだろうに、全く……」

 

雇い主が居ないことを良いことに、裕吾は愚痴を垂れる。IBN5100を探し始めてかなり経つが、目的のPCは一向に見つからない。ぶつぶつと愚痴を言いつつ、改めて新聞を読み直す。

新聞を読みながら、ふと、裕吾はここ最近の萌郁の変化について思い出していた。

 

――そういえば、あいつ。かなり口数が増えたな。まだまだだが、大分話もできるようになってきたし。

 

裕吾が萌郁をアルバイトとして雇った当初は、コミュニケーションを取るのが一苦労であった。

何を喋るのもメールを使おうとする為、とにかく手間がかかる。オマケに、メールアドレスで自分がFBだと知られる訳にも行かない為、アドレスの交換は出来ず。萌郁との会話は困難の連続であった。

しかし、その努力の甲斐あってか、ここ最近の萌郁は大分喋ることが多くなった。耳を澄ませないと、聞き取れないほどの声量でぼそぼそと喋るが、以前の彼女と比べれば驚くほどの進歩である。

新聞を読み直してから数十分後、静かな店先の通りに足音が聞こえてくる。裕吾が新聞から目を離して店の入り口に向ければ、そこには綯と、パンパンに膨れ上がったスーパーの袋を持つ萌郁の姿が。

 

「ただいまかえりました」

 

「ただいまー」

 

「おう、おかえり」

 

裕吾は無事に帰ってきた二人にほっと胸を撫で下ろす。スーパーの袋を持つ萌郁は、それを隣に立つ綯に渡した。

「それじゃあ、置いてくるね!」と綯は元気よく言うと、店から出て行き、すぐ傍にあるビルの二階への階段を昇る。そこには、このビルの二階を借りている「未来ガジェット研究所」が。

裕吾が訝しがっていると、萌郁は小さい声で説明を始めた。

 

「買ってきた物、ラボの冷蔵庫に入れるんです」

 

「ああ、チョ……、食べ物を買ってきたのか」

 

危うく出かけた言葉を何とか飲み込み、誤魔化す。

気付かれたか? と内心冷や汗を流す裕吾だが、萌郁は特に疑問に思う様子もなく、買い物に出かける前に座っていたパイプ椅子に、黙って腰掛けた。

 

 

 

 

「お疲れ様でした」

 

「おう、お疲れさん。 明日はバイトが休みだからゆっくり休めよ」

 

世界が赤く染まる夕方。ブラウン管工房は閉店の時間を迎え、裕吾は店を閉める準備をしていた。

入口の鍵を閉め、シャッターを閉じて鍵をかけると、萌郁が仕事終わりの挨拶をしてくる。彼女に労いの言葉をかけると、萌郁はぺこりと頭を下げてブラウン管工房を後にした。

その後ろ姿が曲がり角に消えるまで見送ったあと、裕吾は伸びをしてから軽トラックに乗り。エンジンをかけて家路につく。

帰宅するまでの道のり、裕吾は運転しながら昼間のメールを思い出していた。

 

――バレンタインにチョコを送りたい人がいるんだけど

 

何時の間にかそんな人物がいたのか。ただでさえ、コミュニケーションを苦手とする彼女が、チョコを渡したい人が居るとは驚きである。

どんな人物なのだろうか、キチンと働いているのか? 誠実な人物か? 彼女を任せても大丈夫か? 等とまるで母親のように考え。ふと、我に返った時、裕吾はそんなことを考えていた自分に苦笑した。

明日はバレンタインデー前日である。

 

 

 

 

次の日、二月十三日。日が昇ってからしばらくして、ブラウン管工房の前に一台の軽トラックが止まった。

トラックから降りてきたのは裕吾、ポケットに入れていた鍵を取り出し、シャッターの鍵を開ける。次いで入口の鍵も開けて、ブラウン管工房の本日の営業が始まる。

勇吾は店に入り蛍光灯のスイッチを入れ、奥のカウンターと42型ブラウン管テレビの間に座り、家から持ってきた新聞を読み始める。

読み始めて暫くしたころ、店先から騒がしい声が聞こえてきた。勇吾は新聞を読みながら店先に意識を向けると、そこからは慣れ親しんだ者達の声が聞こえてくる。

 

「今日はみんなでお菓子作りだねー」

 

「何時も実験ばかりやってたけど、たまにはこういうのも悪くないわね」

 

「何かあったらボクに聞いて下さい、お菓子作りは得意ですから」

 

「ニャニャ! 皆でお菓子作り楽しみだニャ!」

 

「うおぉ! フェイリスたんの手作りお菓子、楽しみだお!」

 

「ダル、少しは落ち着け。それでも我が右腕か」

 

ガヤガヤと騒がしい声達は、ブラウン管工房の二階へと消えてゆく。そんな声を聞いて笑みを浮かべる裕吾、ふと、店先に顔を向ければ、そこにいたのは。

 

「ん? 桐生じゃねぇか。今日は休みの筈だろ?」

 

本日はバイトが休みの筈である萌郁が、店の前を通り過ぎようとしていた。裕吾に気が付くと、頭を下げてから上を指差す。

萌郁の動作につられて、上を見上げる裕吾。そこには天井があり、その上には未来ガジェット研究所がある。

 

「もしかして、今日はあいつらに用があるのか?」

 

小さく頷くと、再度、頭を下げてから萌郁はビルの二階へと上がって行く。その姿を見送り、裕吾は髭を撫でながら、萌郁が研究所を訪れた理由を考えていた。

先程、研究所に来た岡部達は口々に「お菓子作り」という単語を口にしていた。そして、昨日は萌郁が山ほどチョコレートを買いに行き、今日はバレンタイン前日である。

答えは直ぐに出た。

 

「なるほど、あいつらと一緒にチョコを作るのか。良い感じに馴染んでるじゃねぇか」

 

今日はバレンタインのチョコを作る為にここを訪れたのだろう。そして、チョコを一生懸命に作る萌郁の姿を想像して、頬笑みを浮かべる。

以前は碌に喋ることも出来なかった萌郁が、あんなに大勢と。しかも、一緒にお菓子を作る程までに仲を深めているとは。少しずつではあるが、萌郁の着実な進歩にうんうんと何度も感慨深げに裕吾は頷く。

そして、それ次の瞬間に不安へと変わった。

 

「ああ、ダメですよ! チョコは湯銭で溶かさないと!」

 

「う、うわ! 油と分離した!!」

 

「んーと、バナナはもう入れて良いのかな?」

 

「ニャニャ! マユシィ、まだ早いニャ! チョコを十分に溶かさニャいと!!」

 

次々と聞こえてくる悲鳴に絶叫、そして鼻孔をくすぐる何とも形容しがたい匂い。

ここまでならドタバタクッキングで済むのだが、ある事が裕吾を更に不安にさせていた。

 

「ああ、萌郁さん! チョコが零れてます! それに量が多すぎます!」

 

「ニャー! モエニャン落ち着くニャ! 慌てると更に大変なことに!!」

 

「あわわ! 萌郁さん、こっちが大変なことに! まゆりお願い!!」

 

「はわわ、あっちもこっちも大変なことになってます」

 

声が聞こえる度に、冷や汗が裕吾の頬を伝う。

オマケに二階が、時間が経過するごとにドンドン騒がしくなっている。始めはドタバタと足音が聞こえる程度だったが、終いには振動で埃が降ってくる程に騒がしくなった。

 

「どこの誰かは知らねぇが、どうか無事でいてくれ……」

 

裕吾は、バレンタイン当日に萌郁からチョコを受け取るであろう、見ず知らずの人物に祈りを捧げる。

騒ぎはその日の夕暮まで続いた。

 

 

 

 

そして、翌日。今日は二月十四日、バレンタイン当日である。

テレビではどこの番組もバレンタインの特集を組み、道行くカップルに片っ端からインタビューを行い。インタビューを受けたカップルは誰しもが照れ笑いを浮かべ、チョコを見せていた。

そんな番組を、裕吾はつまらなそうな顔で見ていた。本日もブラウン管工房は営業しているが、相変わらず客は全く来ない。

裕吾はリモコンで別の番組に切り替えると、テレビを見る振りをしながら、横目で休憩中の萌郁の様子を見た。

何時ものパイプ椅子に座り、休憩中の萌郁。しかし、今日は何時もと違って携帯は弄っておらず、どこかそわそわと落ち着きの無い様子であった。しきりに時計を見ては時間を確認し、辺りを見回す。

そんな様子の萌郁を、裕吾は微笑みながら見守り。彼女のバレンタインが成功することを胸の内で祈った。

そして時は流れ、夕方になる。閉店の時間になり、何時ものように裕吾は店仕舞いの準備を始めた。

 

「お疲れ様でした」

 

「おう、お疲れさん。気を付けてな」

 

本日のバイトを終えた萌郁は、裕吾に挨拶すると何時ものように曲がり角に――消えなかった。

そそくさと、何処か慌てるような様子でビル二階への階段を駆け上がる。二階には昨日に続いて、今日も岡部達が集まっている。

 

「萌郁さん、いよいよだね」

 

「大丈夫よ桐生さん。きっと上手くいくわ」

 

「あんなに頑張ったんですから、大丈夫ですよ桐生さん」

 

「大丈夫にゃモエニャン! 運命の女神さまはきっとモエニャンに微笑むにゃ!」

 

「桐生氏からチョコを送ってもらえるなんて、羨ましすぎだろ。リア充爆発しろ」

 

「閃光の指圧師よ、胸を張って行け!! 例えどんな結果になろうとも、それが運命石の扉の選択だ! フゥーハハハハハ!」

 

「縁起でもないこと言うな!! この厨二病が!!」

 

ギャーギャーと、二階の窓から何時もの騒がしい声が聞こえてくる。普段の裕吾なら怒鳴り込みに行くところだが、今日は事情が違う。

今日はバレンタイン、あの萌郁が今からチョコを渡すというのだ。その出発を邪魔するのは、余りに無粋だろう。

騒がしい声を聞きつつ、裕吾はトラックに乗ろうとした時だった。

 

「あ、お父さん待って!!」

 

その声に振り返れば、夕暮れの赤い道を走ってくる愛娘の姿が。

 

「綯、どうしてここに? 家に帰ったんじゃないのか?」

 

「お父さん、ちょっとだけ! ちょっとだけで良いから待って!!」

 

先に家に帰っている筈の娘、その娘が何故か店にまでやってきた。更に綯はどこか慌てた様子で裕吾を必死に引き止める。

何故、そんなことをするのか。目の前の綯に理由を聞こうとして、裕吾はポケットから鳴り響く携帯の音に身動きを止めた。携帯を取り出し確認すれば、そこには一通のメールが。差出人は萌郁だ。

 

 

 

from:萌郁 題名:不安だよ><

 

今からチョコを渡しに行くんだけど、私が作ったチョコ。受け取ってくれるかな?

不安で仕方ないよ>< 萌郁

 

 

 

そのメールを見た天王寺は、ゆっくりと、どこか優しい笑みを浮かべながら、ゆっくりと返信の文面を打つ。

 

 

 

from:FB 題名:大丈夫!

 

大丈夫、貴方が作ったチョコならきっと受け取ってくれるわ!

自信を持ちなさい、きっと大丈夫!

 

 

 

最後に送信ボタンを押し、ゆっくりと携帯を閉じる。背中は押してやった。あとの自分に出来ることと言えば、祈ること位だろう。

 

――行ってこい、萌郁。

 

胸の内で彼女の検討を祈り。そして、改めて娘にここに来た理由を聞こうとして――

 

「あ、あの。て、て、店長!!」

 

酷く上擦った声が裕吾の耳に届いた。何事かと顔を上げれば、そこには緊張した面持ちの萌郁がいた。右手に携帯を持ち、左手には赤いラッピングがされた長方形の箱を持っている。

 

「こ、これ、よ、よかったら、う、う、受け取って下さい!!」

 

夕陽で赤くなった顔を更に赤くしながら、萌郁は左手の箱を裕吾に差し出した。

裕吾は驚きつつも、両手で丁寧にその箱を受け取る。箱の隅には小さなピンク色のリボンが巻かれ、文字が書かれたシールが貼られている。シールには「Happy Valentine's Day!」の文字が。

 

「桐生、これ。俺にか?」

 

裕吾は自分を指差し、それを見た萌郁はぶんぶんと何度も首を縦に振る。そんな二人を見ている綯は、ニヤニヤと子どもらしからぬ笑みを浮かべていた。

萌郁と箱を交互に何度も見る裕吾。しばらくしてから、意を決したように何処か真剣な顔つきになり。

 

「桐生」

 

「は、はい!!」

 

「このチョコだが……」

 

「はい!!」

 

「すまない、受け取る訳にはいかねぇ」

 

「は……え?」

 

萌郁の顔が緊張したものから一瞬、呆けた顔になり、次の瞬間には目を見開いたまま固まった。裕吾の言葉を受け入れられず、彼女の時間が停止する。

裕吾は手に持った箱に視線を落とし、じっと見詰めていた。そんな彼に下から抗議の声が上がる。

 

「お父さん!! 萌郁さん一生懸命作ったんだよ!! それを受け取らないなんて、酷過ぎるよ!!」

 

両手を上げて、綯は猛抗議する。そんな娘を、父親はやんわりと手で制した。

そんな態度を取る父親に、綯は更に抗議しようとして、

 

「こういう美味い物はな、独り占めして食べるもんじゃねぇ」

 

「お父さん!! 萌郁さん……へ?」

 

「美味しい物は皆で仲良く分けあって食べるもんだ。俺の恩人が何時も言ってたぞ」

 

裕吾はそう言いながら、どこか遠い目をする。彼の目には、既にこの世を去った彼の恩人である女性の姿が映っていた。裕吾は箱を綯に渡すと、締めたシャッター開け、店の入り口も開ける。

次にトラックに乗り込み、エンジンをかけた。快調なエンジン音が響き渡る。

 

「綯、桐生と一緒に店で留守番しててくれ。父さん、飲み物を買ってくるからな」

 

そういうと、裕吾はトラックを走らせ、あっという間に曲がり角の向こうに消えた。

トラックが見えなくなってから、数十秒後。萌郁と綯はゆっくりと顔を見合わせた。萌郁は相変わらず呆けた顔のまま、綯は怒った顔から転じて明るい笑顔になる。

そして、勝利を高らかに宣言した。

 

「やったね萌郁さん!! 大成功だよ!!」

 

綯の言葉を聞いて、萌郁は自分のチョコが受け取ってもらえたことを、ようやく理解する。

両手を胸に当て、その顔には光る小さな雫が浮かんでいた。

そして、二人の後ろ。ちょうどビルの陰になっている位置で、未来ガジェット研究所のメンバーが、静かに勝鬨を上げていた。

 

 

 

 

それから少しして、入口に「休業」の看板が掛けられたブラウン管工房の店内。

お世辞にも清潔とは言い難い店の中で、三人の人間がカウンターの周りに座っていた。

傷つき、かなりの年月が経ったカウンターの上には、包装が開けられ均等に分けられたチョコと、ジュースが注がれたコップが三つ置いてある。

そして、その周りには笑顔を浮かべながら、仲良くチョコを食べる天王寺親子と萌郁の姿があった。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。