───ああ、何匹目だ。
白い髪を揺らした男は犬歯をむき出しにして笑う。その手に握られた一振りの剣を逆手に取り、そのまま竜の腹から引き抜いた。
その竜はとうに絶命の後だった。首が地に落ちている事からして、それは明白な事実だろう。大抵の生物は首が離れれば死ぬ。
「…サマエルが此処に俺を置いた理由はこれか、納得した」
新たに飛び掛かってくる二匹の竜を前に白髪の男ジークフリートは慌てる事も無く怯えも無いままに剣を持ち直し、構えを取った。
此処はタンニーン領。その名の通り、最上級悪魔であるタンニーンの収める土地だ。
『魔龍聖』タンニーン。彼は地上で絶滅してしまい、冥界にしか現存していない『ドラゴンアップル』という果実を主食とするドラゴンたちを救うために悪魔に転生する。
そして最上級悪魔となった現在では、ドラゴンアップルの群生地を丸ごと領土にした。
だがその群生地は今となっては血の海に沈んでいる。
「これが終わったら…一息つけるな」
その血は勿論殺された竜から流れ出たもの。竜の殆どは巨大な矢で貫かれての絶命か、首から上を切り飛ばされているかのどちらかだ。
そして最後の二匹も、つい先ほどに落とされた。共々に頭を切り飛ばされての絶命だった。
「…体力に余裕もあるし、『禁手』もまだ温存できる…奥の手もまた同じ…よし、問題なし」
だが疲れるものは疲れるのだと言わんばかりの溜息を吐くと共に、魔剣を鞘に収めては周囲を見回す。
……立ち込める濃密な鉄の匂いに辟易しながらもジークフリートは誰かを探すかのように散策を始めた。
そこへ声が響く。それは女の声だ。だがしかしその声はどこか機械じみていて無機質さを感じさせる。
『ご苦労様です。制圧は終えましたか?』
その声はこの戦線において補佐を務めるサマエル。何処とも知れぬ場所から冥界、天界、人界の合計三界を観測している。会話は待たされた術式が刻まれた腕輪からだ。
「ああ、レオナルドの魔獣の援護もあって何とかな。体力にもまだ余裕がある。…タンニーンを相手取るに問題はないさ、きっと」
『ご苦労様です。ですがタンニーンは現在「不死隊」に気を取られていますので連戦の心配は無用かと』
「…バレていたか」
魔剣の柄を握り締めながら男は木の一本に寄りかかり、ほんの僅かな休憩に入った。これから先戦うのは『本気』の竜だ。微かな疲労がそのまま命取りになり得る。
目を瞑りながら深呼吸を繰り返し、僅かだが乱れていた息を即興に整える。かすみ程度のリラックス方だが、やらないよりかはマシだろう。
およそ五分後。
『…距離500…距離495…距離490…来ますね、準備はよろしいですか?』
「…早いな、充分な休憩もさせてくれないとは手厳しい。少しの手加減ぐらい欲しいものだ」
『その調子では、問題なさそうですね』
魔剣を鞘から勢いをつけて抜くと同時、神器『龍の手』を同時に起動させ、そのまま迷いも躊躇いも無く、空に向け剣を掲げる。
───彼が北欧の神々から正式にグラムが譲渡された時、彼は己の根源を知った。彼は己の雛形と合間見えた。そしてそこで思い知らされたのだ。『自分は
だがその代償をバネにする事により、彼は高みの領域へと至った。
「───此処に詠うはニーベルゲンの歌」
故に英雄譚を詠い、かの者を賛美する。
其れはとある男の抱いた決意。
其れは男と仲間の紡ぐ国落とし。
其れは男が成し遂げた竜殺し。
其れはやらねばならなかった人殺し。
「遥かな高みに在る戦士の
いつしか男は竜の智慧を手に入れ、莫大な富を積んで旅に出るだろう。やがて彼は戦乙女と恋に落ちるだろう。
それでも男と女は結ばれる事は無く、男は悲恋の中にその命を落とすのだろう。
これが英雄。理不尽と不条理の荒波に揉まれながらも、それでも彼等は成すべきを成した。
「語り紡がれしその一生に並ぶ者無し」
故にその物語は残った。
彼等の勇姿がこの世界から忘れ去られる事は多くの人々が、英雄に守られて生き抜く事が出来た数多の無辜の民が許さなかった。
「故にこの一振りは至らぬ泡沫の夢」
怒りに飲まれた竜は遥か遠くの空より来たる。男を睨め付けては聴くものを震撼させる程の雄叫びをあげる。竜の怒り、人が触れてはならぬ物が一つ。だがそれは太古の話に過ぎない。では現代ではどうだろうか?
『仲間を!妻と子を殺めた事を焼かれながら悔いるがいい!』
天より竜殺しの応酬が降り注ぐ。燃え盛る炎が隕石の様に落ちてくる。その狙いは言うまでも無く竜を殺した人間だ。
周りへの配慮を一切無くしたその一撃。本気だ。あの竜は本気で竜殺しを灰燼に変えようとしている。
「英雄の剣よ、使い手が俺では不足だろう。
それでも、今は振るわせて貰うぞ───!」
だが相対する人間は逃げない。その両手に魔剣の柄を握りしめては腕を振り上げ、オーラの出力を可能な限り、否。限界のその先までも高めていく。『龍の手』が悲鳴を上げる。だが関係ない。それでも尚グラムの出力を上げる。
「
それは彼が体得した絶技の名。グラムを軸に構築された巨大な光の刃が音を超えた速度で横一線に振るわれる。
それは竜の吐く火を斬り裂き、そのまま霧散へと還すと流れる様にその光刃の腹は地へと叩きつけられた。
跳躍。男の身は竜と等しい高度に並ぶ。
タンニーンは凄まじい形相で目の前の男を睨め付けたかと思えばその顎門を広げ新たに火炎を吐き出す。直撃した。生き残れる可能性など無いだろうと、竜はそう思っていた。
「グラム…!」
だが違う。男は竜の僅か高くにいた。朧げな光刃を盾にする様に構えていた。恐らくはそれで火炎放射を防いだのだろう。当然万全では無い。左手は火傷に包まれ、左足もまた然りだ。
「くっ、ぁあ!!」
よりにもよって左足からタンニーンの背に落ちた。痛みに顔を歪ませながらも右手のみで握られたグラムを逆手に持つ。
剣を背に突き立てるつもりだったのだろう。だがそれを許す聖魔龍では無い。彼はジークフリートの狙いに気付けば急降下を開始する。
「うぉおああああ!?」
振り落とされそうだ。だが彼は離れたりしない。グラムで
竜の絶叫が聞こえる。そこにあるのは苦悶しかない。それもその筈だ、グラムは強力無比の竜殺しの呪いが有されているのだから。
『小癪な真似をッ…!』
だがタンニーンは竜でもあり、悪魔だ。それ故に通常のドラゴンよりかは効き目が薄い。勢いは削がれる事は無くその巨躯は地に落ちた。衝撃で人間は吹っ飛び、切り株の上に落ちる。
「っ…かふっ…!」
だが立つ。口に入った砂埃を吐き出しながらも前を向く。剣を構えてはろくに動かない足を無理やり動かし、駆けてゆく。
尋常ならざる痛みがつきまとう。絡みつく。それでも男は止まらない。その執念はもはや人の域を超えている。
『斬り裂いてくれる!』
爪が降りた。生半可な刃よりも研ぎ澄まされ、無類の切れ味を誇る竜の爪が。
ジークフリートは咄嗟にグラムを前に出し防御の構えをとったが膂力が足りずそのまま大地へと押し付けられてしまう。このままでは潰されて死ぬか、爪に刻まれるかがオチだ。
『何故殺したなどとは聞かん!このまま死ぬがいい!』
「…そうだな、聞く、必要は…っ、ないだろう」
だって、その理由は余りに単純だろうから。
だって、その理由は余りにもありきたりだから。
だって、その理由は余りに理不尽だろうから。
『ぉおおおおおおおおおおおおお!!!」
「誰だって、奪って…生きてっ、いる、かっ!」
爪に大地へと押されながらジークフリートはその言葉を口にする。
確かにその通りだ。普段口にする数多の食物は勿論、金や他人の時間。おそらくはそれにとどまらないだろう。それでも生きてる。
だから生きたいと願うのは当然で、その為に『害』や『搾取者』、『奪う者』を取り除くのは当たり前の作用だ。
「───悪いな、曹操」
『死にたくない』などとは当然の意思。だからこそ眼前の竜を殺せ。その過程がどんなにも情け無くとも構うな。今、この瞬間においては───数秒先の未来を見たものが勝ちだ。
「うぉぉおおあああああああああああああ!!!」
絶叫でも慟哭でもない。雄叫び。人の身でありながら竜と変わらぬ雄叫びをこの人間は上げて見せると同時、軋み壊れ狂いそうな己の肉体と神器に鞭を打ち、再びグラムの出力を上げる。
人間の身体の限界も、神器の限界も壊して尚、振り切った。閉塞などない。暴走にも等しい出力が延々と続く。
そうして、やがて、一振りの剣を軸にオーラで構築された巨大な刃が再び英雄を真似て作られた男の手の中で数秒だけ現出した。
『ぐっ、ぁあがぎぃ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?!?』
魔剣は竜の手を貫き空を刺す。絶叫が耳を裂かんばかりに響き渡り、タンニーンは堪らずその手を引いた。そこに来てようやくジークフリートは竜の拘束から解放される。
それと同時にジークフリートは通常状態のグラムを逆手に持ち直し、槍投げの様な構えを取った。そうして左足で一歩強く踏み込むと同時、その絶技の名を叫ぶ。
「
叫びと共にグラムが投擲される。その速度は夜空に降る流星とほぼ同等であり、遜色変わりがない。
絶技の名に呼応するかの様にグラムがオーラを再び纏う。だが構築されるのは刃にあらず、槍である。
そうして、極めて強力な竜殺しの力を纏う一条の光は竜の頭蓋を抉り穿つ。頭を、中枢を失った体躯は地に倒れ臥すのみだ。
「…っ!はっぁ!…ん、ぐ。っぁ…は、ぁ…」
だが同時にジークフリートも倒れ臥す。体力と気力は共に0を振り切ってマイナスだ。今彼に必要なのは休息である。
熱の篭る身体を地面に投げ出しながら男は微かに笑う。朦朧とする意識の中でも、か細い声で男は言った。
「…俺はやったぞ、ヘラクレス、ジャンヌ……」
微かな勝利宣言を言葉にしては瞼を閉じた。その顔はあまりにも安らかだ。泥の様に眠ってるとしか形容できない。
竜の死体の山の中、一人の竜殺しは穏やかな眠りについた。それが永遠に続くものか、それとも一刻でも過ぎれば終わるものかは分からない。
そして単なる偶然か、それともその剣の宿命か。
眠る彼のやや遠い先、戦果の巻き添えを免れた一本の木の幹に投擲されたグラムは突き刺ささっていた。
さて、ここで『ベルヴェルグ』の意味を教えよう。その単語が意味するのは『禍を呼ぶもの』そしてそれは、グラムを授けた北欧の大神が、かつて自ら名乗ったもう一つの名でもある。
メフィストフェレス眷属『女王』にして最上級悪魔『
『レオナルド、聞こえていますか?治療特化の魔獣を指定位置へ向かわせてください。迅速にお願いします』
〜解説〜
『ヴォルスンガ・サガ』
ニーベルゲン伝説の大元。ヴォルスング一族の起源から衰退までを描いており、シグルドとブリュンヒルドの物語も描かれている。
『ベルヴェルグ』
オーディンが自ら名乗った名前。詳しい事はスットゥングの蜜酒を参照。
Q. ジークフリートは
A.シグルドです。グラム正式譲渡は彼の手で行われました。その時の心情は形容し難かったそうな。
Q.絶技は何処で習得したの?
A.グラム譲渡の後ジークフリートはヴァルハラの館に入る許しを貰って暫くの間篭ってました。時系列はリリス陥落後。
Q.つまり叩き上げじゃねーか!
A.今作の英雄派は皆叩き上げだ
Q.サマエルちょっとデレた?
A.はい
次回はレオナルドにしようか…それともサタナエル大暴れにしようか悩むところ…うーむ。