黙示録の時は今来たれり   作:「書庫」

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JUSTITIA

 

 剣戟の音だ。叫ぶ声だ。憎悪と憤怒の雄叫びだ。

 でもその音は遠く、どこか他人事のよう。

 底なしの沼に体が沈んで行く。

 言葉に例えればそんな感覚だった。

 

 微かに頭をよぎる二度目の生の記録。全て思い出す前に思考を投げ出す。意味も無いし、きっとさほど意味を持たないだろう。

 それ程までに、今は少し疲れている。

 

 ……僕はきっとどこかで間違えて、失敗した。悔しいのは当然だ。諦めたくないのも当然だ。それでもこの体は冷たくなって行く。とても寒くて歯が震えそうなのに、何故だか僕の歯は一度も震えない。

 

 脱力しきっている状態とはこのことを指すのだろう。視界も徐々にゼロへと還りつつある。輪郭はぼやけ、光は灯らない。

 

 闇だ。陽の光も月の光もない。

 何処までも冷酷に僕の前に広がる黒一色。横たわる僕の目に入るものは何も無い。断頭台も絞首台も、十字架も串刺し槍も、電気椅子も無い。

 歩く音も実感も、滞りなく消えていく。

 

 何が正解で、何処が間違っていたのか。

 それすら分からずに、僕は二度目の死にゆっくりと溶けて行く。意識も定まらなくなり、呼吸もゆっくりと終わりを告げて───

 

「ここで終了するつもりなのですか?」

 

 …不本意だけどね。だけど、もう僕が出張っても意味がなさそうなんだ。ここから先に、僕の出来ることは無いだろう。

 

 屍のまま揺蕩い、指輪により死に戻り、用意した役割をなぞった。出来るところまでやった。納得のいかない終わり方ではあるけれど、相応しいといえば相応しいんじゃないかな?

 

 (きみ)すら救えなかったちっぽけな人間が、ここまで来れたんだ。これ以上ない大金星だろう?

 

「だから、ここで死ぬのが正解?」

 

 ああ、そうだ。ここで終わりにしようと思う。ソロモン王の物語はこれが最終回だ

 

 暗い闇の中でも、君の姿だけは本当によく見える。折角の再会に格好がつけられなかったのは、少し残念だけど、仕方ない、

 

 骨は何本折れただろう、内臓も数え切れないほど潰れた。妙というよりかは、必要ではない経験ばかりが増えた第二の人生だった。

 

 …元から無力な奴が、よくやった方だろ?

 

 手の平で踊るのが癪だったから、その手に針を突き刺してやっただけだ。その結果はこの通りの有様だが、無駄ではなかったはずだ。

 だから悔いは無い。これでいい、これでいい。この終わり方が最適で蛇足も無い無駄もない終わり方だ。だから、これでいい。

 

 …僕は結局、君を助ける事も出来なかった奴なんだ。僕はとっくの昔に敗北していた。だから…これで、良いんだ。

 

 …変わらない。その艶やかな黒い髪も、感情豊かに潤う赤い瞳も、少し強く抱き締めれば壊れてしまいそうな小柄な身体も、何もかも変わらない。シバの女王よ、■■■よ、どうか僕を眠らせてくれ。

 喉を枯らすのも、血を吐くのも、疲れたんだ。もう何もかもがどうでもよくなってしまった。もういいんだ、何もかも。

 

「駄目ですね、早いです」

 

 ……厳しいなぁ、■■■は。なんで連れて行ってくれないんだ。やっと君と喋れそうなのに、思い出を振り返れそうなのに。

 

 この場にサタナエルがいれば諦めるなと説教が入るのだろうが…どうしようもないじゃないか。未来は変わらなかったんだから。赤龍帝の敗北を得てもそれは変わらない。何故なのかはわからないけれど、その事実があった。

 未来は見えなかった。未来は揺るがなかった。変わらなかったんだ。

 

「正当な回答ではありません。 例えそうだとしても、貴方は今まで沢山の人の未来を、その手で作ってきた」

 

 …………。

 

「飢えていた幼子の腹を満たし、幸福な最期に」

「愛知らぬ孤独な男に愛を教え、日向の道筋へ」

「裏切られた女に居場所を与え、再び温もりを」

「一人の老人の死に水を看取り、希望の死出を」

 

 …………。

 

「壊れた少年に帰る場所を与え、英勇の道筋を」

「名も無き獣にその知恵を教え、人間の心を」

「この世界に新たな流れを作り、新しい時代を」

 

 …………。

 

「それは、貴方がいたからこそ作れた未来です。この全部が、貴方がいなければ成り立たなかった。

 例え道筋をずらしただけだとしても、仕組まれたものだとしても───貴方がその心で、変えた未来に変わりはありません。

 二度変わらなかったくらいで折れないでください。二回駄目なら三回、それでも駄目なら四回、死んでも五回。そんな無茶と理不尽を、貴方はやってきた筈ですよ?」

 

 …否定の言葉が出なかった。否定を許してくれそうにないし、否定の材料が今の僕には備わっていない、残念なことに。

 

 だけど、この様でどうしろというのだろう? 腹部大部分損失、恐らくは腸の一部も消し飛んでいる。魔力残量はゼロ。寿命はもう無い様なもの。打開策は導けず。…しかし酷いな、ここまで悪化するか。

 どうしようもないこの状況、僕だけに出来ることは無い。

 

 『───貴方の帰りを待つ人がいるんじゃないんですか⁉︎ 貴方を待ち望んでいる誰かがいるんじゃないんですか⁉︎』

 

「…それでも、貴方を望む声がある

 ギャスパー・ヴラディ、貴方が結果的に救った存在」

 

 『───貴方に決意を抱かせた人がいたんじゃないんですか⁉︎ 貴方と約束した人がいるんじゃないんですか⁉︎』

 

「貴方が立つことを、あの少年は望んでいます」

 

 感無量、とも違う感情。内に何かが燻るかの様な感覚に近い。脱力した身が少し強張るのを実感している。

 …声に弱いのは、職業柄なのか、それとも生まれ持った性分か、どちらにせよ休む事は、目の前の女も目が覚めたとき間近にいるだろう子どもも許してくれ無さそうだ。…怒られるのは嫌いなんだけどな。

 

 『───その人はこんな終わり方で笑うんですか⁉︎希望を胸に明日を生きていけるんですか、納得して安らかに眠りにつけるんですか!笑顔のまま見守ってくれるんですか、そんな訳ない!』

 

「…おやおや、見透かされてしまいましたか」

 

 ああ、笑ってる。その端正な顔立ちが喜色に染まり、ふわりと柔らかにその口を緩めている。…何故か、頭を静かに撫でられた。

 ああ、クソ。どうにもできないやつを起こして何になるというのだろう。君は君の目的も果たしただろうに。

 

 『───立ってよ…ヒーロー…!』

 

 恐らくはその言霊が望みを叶えたか、黒い世界に亀裂が走る。内に燻る何かが、恐らくは勢いを増していく。叫びに呼応するかの様に、さらに亀裂は大きくなる。

 亀裂から差し込む光は一本道で、後ろに進むことが許されない。此処までくれば、後はもう自分で走り抜けるだけとなる。

 

 『───立てぇぇぇえええええええ!!!!』

 

 …背中を押して起き上がらせようとか、横たわる僕の背に添えられた手に今更ながらに気づいた。否、気づけようになった間違いか。どちらにせよ、いつの間にかされていた膝枕は終わり、少し残念だ。

 少し残念がる僕を差し置いて、ガラスが砕ける音と同時に黒い世界に完全に穴が開く。視界はとっくに周りの景色が見えていた。

 

 酷い話な事に、かつて己がいた城だったのだ。

 

 苦く笑う。気分としては苦虫をすり潰した物を飲んだ感じ。でも何処か、肩の荷がようやく降りた様な、そんな感じだ。

 立ち上がる。無理に動かした足が痛む。欠伸をする。生憎と眠気では無くやる気がこみ上げる。振り出しからのやり直し程、悔しさで滾るものはない。

 

「さて、私からもささやかな我儘を」

 

 背後から抱かれた。背から伝わる柔らかさ、だけどそこには温もりはない。当たり前といえば当たり前。だけどそれが酷く寂しい。手に触れたけど、やはり其処に温もりはない。

 それでも、背から暖かな流れが、己の中に浸透する。止まりかけていた鼓動の音が再開するのが、自分でもわかった。これが命だという実感がする。あまりにも反則的な様な気もするが、構わない。思いが力になった。それだけでいい。

 

「───貴方に生きて欲しい。ただ一人の人間として、ただ一人の誰かとして、貴方に生きて欲しい。どんな形でも…貴方に、『普通』に生きて欲しいと望むのは、酷ですか?」

「それ、僕が決めていいのかい? 人の願いに評価は下せないよ。それが出来るほど僕は高尚な人間じゃない。でも、一つだけ言えるのは───願うのも、欲するものも自由って事だけ」

 

 どの時代でもそれは変わらない。その身に不相応な欲望であろうとも望むのは結局個人の自由だ。人の欲望に口出しをするならば先ずは鏡か悟りを開いた者に向かって言うがいい。何であろうと人の欲、即ち『願い』を全否定する資格を持つ者はいない。

 だって、願う事くらい自由であっていいじゃないか。それすら奪われたらこの世界は本当の意味で終わってしまう。

 

「…ああ、なんて酷い。そんな事を言われたら私の望みなんて、それこそ星の数。それを容認するとおっしゃいますか」

「変なとこで自分の欲望に排他的だよね君。在り方にも口を出さないよ、言っておくけど。…抱き止めるのは得意なんだ」

 

 最後の語らい。続きは二度目の生を終えてから。

 ゆっくりと背中を押してくれた手を惜しむけれど、そろそろ本当に走り出さなくては。目が覚めたらやらなきゃいけない事がある。

 

「いってらっしゃいませ、我が伴侶」

「ああ、…行ってきます」

 

 

 走り出す。これより、終幕。

 鍵の要らなかった希望を解き放とう。

 崩御の時は来た、我が王冠は未来が為に。

 では、数多の星の配置図を書き換えよう。

 天の光を全て希望へと変えよう。

 

 未来が見えなかった答え。仮説は幾つか立ている。その中で、一つだけ確信に変わりつつあるものがあった。それが正解だとしたら、まぁ、深読みの大後悔ということになるけれども。

 

【…何故だ?】

「そこを退け」

 

 だからこそ、お前が邪魔だ。今更、死に掛けの人の意識の中に来てまで何をしに来たんだ、神聖四文字の断片よ。

 お前の薄っぺらな苦悩をする面など見たくもない。汚物にも等しいその姿をこの目にうつすな。

 

【これまで何度もお前を救おうとした!なのに何故お前は『救われない』⁉︎その力!その存在は!救われるべきだと言うのに!】

 

 拳で叩き割った。会話にならない確信があった。断片といっても本当に僅かばかりだったのか、僕みたいな奴でも砕ける。

 外の光に向かって走り続ける。後悔がないのかと問われれば嘘となる。本当はもっと話していたかったし触れ合いたかった。

 

 でも今は、それでも、

 少しでも眩しい方向に進んで行きたい。

 

 嗚呼、()は怖いんだ。

 嗚呼、私は怖いんだ。

 

 『繰り返すこと』が怖いんだ。

 全てを同じ結末にすることを。

 今『繰り返しそう』で怖いんだ。

 

 だったらそんなの幻想にしてやる。

 恐ろしいと感じた、全部、全部を!

 『私が』幻想にしてやる!

 

 

 …『恐怖』だ。僕こそ聖書への『恐怖』。

 ああ、そうだ僕こそ『恐怖』だ!

 

 

 

 ■

 

 

 

 少年の願いを乗せた叫びの後でも、赤龍帝や紅の女悪魔は止まらない。淀みなく産み出されていく戦場特有の喧騒の中において、微かな笑い声がどういう理屈かは不明だが、誰の耳にも聞こえた。

 

「ァハ」

 

 その笑い声は、戦場を一瞬にして静寂に還す。誰もがその手を止め、その音源に目を向ける。

 金髪の少年が胸ぐらを掴み、起こそうとするその男。僅かに暗くなる白い髪に腹の傷を塞ぐ血の氷に、限界まで釣り上がる口の端。

 

 ありえない、誰もがそう思う。

 

 だが立つ。その男は己の身に魔力を無理やり練り直し、血を噴き出させながらも、喉の奥から押しつぶされたような呻き声を上げながらも、それでもその男は立ち上がって見せた。

 

「ァハ ハァハは ハァあハははァ!!」

 

 ある者は絶望に呆然とし、ある者は憤怒に震え、ある者は希望に笑い、ある者は驚愕に目を剥いた。死に掛けていた筈の男が再び動き出したのだ。それも聖書に対してとびきり最悪な猛毒を持つ男が。

 

「予想外………とでも、言うと思ったかい?

 この程度…、想定の範囲内だよぉ!」

 

 ソロモンは強がりと共に震える足で立った。

 それを認められない赤い竜人は矛先をフリードとゼノヴィアから彼に変え、目に捉えるのも馬鹿馬鹿しい速さで迫る。

 

 だが阻む。エインヘリャルと人間が死に物狂いで足を掴み、十二枚の赤い翼を持つ男が氷の壁を幾重にも貼り、吸血鬼の少年が闇を以って兵藤一誠を拘束する。

 

 生まれた時間。それを見逃す程この王は無能ではない。閉塞など何処にもない何処までも広がるその大空に手をかざし、神を嗤う。

 この時のための三千年だった。この一瞬の為の研鑽だった。この日の為に作り出した流れだった。それが形となる時が満ちた。

 

Per aspera ad astra (苦難の果てに栄冠へと至れ)

 

 かの女王の祈りは届く。紡がれた音節。そこから導き出されるのは錆び割れた運命に『想い』を捻じ込み砕く叛逆の楔。

 これより先、進化の縁を持つ者のみ生き残るがいい。再燃の時は来た、人類は再び『可能性』を燃え上がらせるだろう。

 

 青空へ一瞬にして無数の文字が走る。瞬く間に空そのものを覆う恐らくは史上に置いて最大規模の魔法陣の構築が完了した。

 そして太古の王であり、人類を破滅へと導き、神に向けて不遜にも弓を引き、聖書の三大勢力の全てを欺いた王、ソロモンは宣言する。

 

「天に在りし妄執よ、此れこそは我が怒り、我が決意、我が大願の形と知れ!幻想の時は潰え、真に人類の時代が幕を開ける!

 全ての人類は未来ある星となる!旧き星の配列は燃え尽き、新たなる星空が到来する!」

 

 空を覆う魔法陣より走る亀裂が空を覆う。

 その様を見届けるのは今日を生きる全ての人類であり、この先数多の流星となり白紙の未来に自らの生き様を刻む命達に他ならない。

 

 この日、多くの(すばる)が世界に起こっていた真実を知らぬままに、王の偉業を目の当たりにしたのだ。

 

「『我が知恵の下に最後の裁きを下す(ギュスターヴ・ドレ)』!!」

 

 旧き空が砕け散り、逆転の狼煙が上がる。

 古き秩序は崩れ去り、全ての前提が零と帰る時。

 真の夜明けが、数千年の時を超え再来する。

 

 

 

 




次回「ヒトを愛した獣」

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