世界は変わった。漸く人類の時代の始まりだ。
「ソロモン! お前、何をした!」
赤い竜人、兵藤一誠が吠える。それに対して最早死に体であるだろうに、その二本の足で真っ直ぐに立つソロモンは不敵に笑った。
「未来を『無限』に戻した、それだけだよ」
臓腑より出で、口から湧き出る血を服の袖で拭う。怒りを加速させるであろう、腹立たしい微笑みを崩さないままに男は語る。
「未来とは『無限の道筋』だ。そんなもの、人間が見れるものじゃない。まともに見れば脳は負荷に耐えられず精神は朽ちるだろう。
じゃあ、何故僕は未来を見れたのか、その答えが『黙示録』だ」
「…『黙示録』?未来?お前、何を言ってるんだ…?」
赤龍帝は反射的に首を傾げる。彼に限らず、事情を知らなければソロモンが何を言っているのか、理解することすら不可能だろう。だが一々説明する余裕と時間、そして優しさはない。
「『黙示録』は最大の予定調和にして最悪の補助術式。これがこの星に刻まれている以上、未来は必ず『聖書にとって利のある未来』ないし『聖書に深い関わりのある未来』になる。無限の道筋が少数の道筋に限定される訳だ。当然、そうともなれば人間でも未来が見れるようになる」
多量の赤い粘液が口から吹き出した。彼の限界は徐々に近づいている。だがそれでも彼は幸せそうに、最高にご機嫌なまま笑ってる。これが三千年の時を得てようやく大願成就の王手をかけた一人の平凡な『人間』のする顔だ。
「…『黙示録』破壊後の未来は無限だ、見たら脳が破裂どころの騒ぎじゃない。多分だけど、僕の脳が無意識に防衛措置をとったんだろう。だから見えなかった」
遂に膝を降り、地に身を降ろす。顔色は徐々に死人のように、それでも未だその目は死んでいない。絶望すらしていない。
己がおらずとも、もう人間は大丈夫なのだから。
「あーあ! 結局深読みしすぎの大後悔だった! こんな事なら復活した時にすぐ破壊しておけばよかった! 僕が臆病じゃなく勇気ある若者ならよかった、僕が臆病じゃなく猪突猛進の愚者ならばよかった!
ああ、でも分かってる。それではダメだ。それは僕じゃ、臆病で失敗ばかりで最高に嫌な奴じゃ、『ソロモン』じゃない」
どこまで行こうと、自分は自分で、だからこそ後悔していても仕方ない。過去に手を伸ばすことは、誰にだって不可能だ。否、不可能でなくてはいけないのだ。
過去への跳躍が成功した時、それは紛れもなく人類が未来に敗北し、それを認められず反則をした証に他ならない。
そんなもの、認めない。この男はそんな物を認めない。彼の『人は人によって滅びる』という持論は過去から現在まで変わらない。
「…さ、て、過去からの贈り物はこれで全部だ。聖書の神の復活は阻止できなかったけど、君達にも対抗策がいるだろう?サタナエル」
「ああ、あの『人間』には、最後にして最新の神殺しになってもらわなきゃいけない。俺は見たいんだ、人間の可能性が」
倒れた王の隣には、長年連れ添った共犯者が。
「…君は、全部終わったらどうする?
何処に行くんだい?」
十二枚の赤い竜の翼、一対の角。
悪辣な笑み、父性を宿す眼差し。
「…俺は一日でも早く御役御免になりたい。
だが俺は、この物語を最後まで見たいんだ。
その果ては、あいつ等を優しく包み込むだろう
全てが終われば深い眠りにつこう」
格好をつけたように、ポケットへ手を入れて、望郷の思いを吐き出すかのように、静かに語った。
目を閉じる。戦火が隣にあろうが、それでも今はこうしていたい。生憎と、その理由はわからないが。
「───ああ、俺はそう思い。
それを遂行しよう」
薄く笑うソロモンは仰向けになる。何処までも広がる青空は、彼の成果を表すかのように雲一つなく、何処までも澄んでいた。まるで、『貴方が作った青空』だとでも言っているみたいだった。
「…クロウ・クルワッハに僕の指輪を渡してある。神殺しを決行するなら、彼から指輪を貰って行くといい。僕の伝承を元にした術式を、あれには仕込んでおいた」
「指輪返還の伝説か、確かにそれなら一度だけだが第七天まで一気に行けるな…」
起き上がる。視界に入ったのは赤龍帝と人間の闘争。そしてソロモンが兵藤一誠から追撃を受けなかった理由だ。とどのつまり、最後の最後に彼は守られていた。
業を煮やしたか、憎悪や憤怒といった感情の沼に沈んだ赤龍帝の手の平に、赤色の極光が充填される。エインヘリャルは笑うが、人間は冷や汗混じりの引きつり笑いだ。
「…不味いかな?」
「…あればっかりは俺が出るしかないよねー」
「そっか…なら、よろしく。
…トライヘキサにもね」
「ああ、分かってる」
震える足で、何度もその男は立って来た。
だけど、もう彼が立つ必要はなくなった。
「…ソロモン。良かったぜ、お前とは」
「こちらこそ。良かったよ、君とは」
そうして彼は静かに、それこそ眠るように目を閉じる。緩やかにそよぐ風が、ソロモンの頬を撫で、太陽からの暖かな陽射しは彼の体をゆっくりと照らして行く。
だが彼は手を伸ばす。果てのない空。何処迄も自由に羽ばたく二羽の鴉が、ソロモンは少し羨ましいと思った。
「…ああ、でも、なぁ……」
微かな祈り。彼の伸ばした手の先には、今の彼の目にはいったい誰が見えているのか、何を幻視しているのか、想像には難くない。
だって、彼は微笑んでいるから。恐らくは、生きている限りの中で最も優しく、満足そうな微笑みがそこにはあったのだ、
「もう少し、この世界を見たいと思ってしまうよ、■■■」
最後に唱えたのは、恐らく彼のみが知る、『シバの女王』の真名。その言葉を最後に、彼は此処で、安らかに眠る。
『古代イスラエルの王』ソロモン、臨終。
彼の魂は三千年の時を超えて漸く、癒された。
願わくば、彼の眠りに終わらぬ安息を。
■
今日この日、聖書の神の世界が崩壊した。
空に走る亀裂の全てが砕け散り、全ての運命が白紙に還った。それを誰よりも深く実感したのは、『黙示録』を敷いた神自身。
「あ、ああ、あぁぁぁあああああああ!!!」
展開の最高位相である熾天の座、第七天にて築かれたケルビムの玉座に在るその神霊は慟哭を上げる。この空において、一人の嘆きは虚しく響くばかりであり、慰めとなる存在は何処にも存在しない。
「何故だ、何故だ何故だ何故だソロモンよ! 分かっているはずだ! この世界に未来はない、人類史に未来はない、この先に幸福など一つもない! だからこそお前が救わねばならんのだ、他ならぬ私に導かれたお前が、私と共にだ!」
神は叫ぶ。その全てが偽りなき本心であり、本当に心の底から思っている事だ。
だからこそ、自分に非があるとは一切思わない。寧ろ自らに対して弾劾を告げる者を『救いを破壊する悪魔』だと断ずる。そのサイクルを延々と繰り返していながら、この神は唯一神と名乗っている。
「だからお前を救ってやろうとしたのに、お前を私と共にいるにふさわしい者にしてやろうとしたのに、何故お前は拒むのだ! 何故私の愛を理解してくれない、受け止めてくれないのだ!」
救ってやろうとしたのに、救われようとしない。それが神には理解できず、ただ嘆く。
「ならば───、ならばならばならば!お前も不要だソロモンよ、お前は間違えた。お前は失敗した。お前は誤りだ。だから私だけでいい。ああそうだ、そもそも私一人で全てをこなすべきだった。私一人で全て救うべきだったのだ!」
七人のラッパ吹きのうち、三人目と四人目がラッパを構える。邪龍が未だ最下部に、獣が中部に残っているが、無数の天使を足止めに使っている為に問題は無いと神は思考する。
「行程を再開。第三段階『水苦』開始…!」
三度目のラッパが高らかに鳴り響く。空より降り注ぐのは無数の流星であり、その全てがニガヨモギである。
黙示録に曰く、三度目のラッパが鳴ったときニガヨモギの流星が降り注ぎ、地上の川の1/3を毒で汚してしまうと。
だがそれらは須らく灰と化した。
第七天の床を貫き出づる天を焼く業火が空を一瞬にして埋め尽くし、草により形となる星が燃え尽きる。灰の雨が静かに降り注ぎ、川が毒に浸されることはなくなった。
「あ?」
理解が及ばなかった。否、理解を彼自身が拒んだのだ。そんな事があっていい筈がない、あってはならないと。されど起こった事象は紛れも無い事実には変わりなく、覆すことの出来ない現実だ。
このような芸当が可能な存在は限られている。だがその存在は雲霞のごとくの天使達に侵攻を阻まれている筈だ。なのに何故?
───答えは単純、全て殺して彼はここに来たのだ。無垢を象徴する白く輝く肉体を、返り血に染め上げてまで彼は来た。
火柱によって第七天に開いた穴よりその身は這い上がる。焼け焦げた天使の羽が血に染まる天使の羽が、彼の肉体にまとわりついている。
「……何年振りかな、神霊『YHVH』
……お前を、僕を、此処で終わらせに来た」
端正な顔を歪めて、幼い少年が浮かべてはいけない程に歪みきり、見る人には恐怖のみを抱かせるような微笑みを浮かべた。
「…獣如きがぁぁぁあ!!!」
神が、全知にして全能と傲慢にも己をはばからない神が、怒りに震える。怒りに顔を赤くする。無数の雷光を空より落とす。不可視の弾丸を横殴りに叩きつける。数多の炎剣を突き刺す。
だがそれと同時に、獣から神に対する応酬が降り注ぐ。炎の槍や単純な殴打が身を抉り、炎で作られた牙が噛み千切る。
それでも互いに無傷。獣の傷は瞬時に再生し、神の傷は即座に癒されていく。
互いに取っ組み合い、頭蓋と頭蓋が衝突し合う。
「…私は未来のない人類を救う…!人間を、我が子らを永続させるために!守るために楽園をこの星に築くのだ、異神を殺し、その崇拝者を殺し、糧とし完全なる世界を人間に与えてみせる!」
「大層な御託の割りに、結局は殺しと破壊だろうが。そんなのは救いとは言え無い。勘違いするなよ、中古品のオガクズ頭。人間を救えるのはお前みたいな『救ってやろう』と思い上がった奴じゃないんだよ…!」
極光と業火がぶつかり合う。互いに増幅と相殺を繰り返し、渦が形成され、辺り周辺の物質は吸い込まれている。獣と神、相反する極地において、既存の法則は適用されない。
「誰かを救うのはいつだって、他人の為にその知恵を振り絞って!必死に泥の中を這い回って!血反吐を吐きながら、希望に縋りながらも投げ出さずに最後まで諦めなかった人間だ!」
拳と拳がぶつかり合う。互いの腕が裂けて砕ける。関係ない、傷は即座に最初から無かったかのように完治する。破壊と再生を繰り返しながら殴り合う。
「それをぽっと出のデウス・エクス・マキナで救えると思ってんじゃねぇよ!
「否、否否否否否否否否否否!救うからこそ私は唯一の神なのだ!私こそが最高の救い!人の子らは救われる!全ての救いを私は作る!」
どこまで行こうと平行線。咲かせる花が同じだとしても、彼らはその過程や根本、種子が違う。故に分かり合えない。動機も行動も、何から何まで違う上で、許容できないからこそ、彼等は殺しあう。
「お前が救いを語るなと言う…! そうだと言うのなら、お前が何を作ろうと───
「やってみせろ、お前如きに私の救いは阻めぬ。お前如きに私を踏破することなど不可能だ!災厄の獣よ!」
数千の時を得て、再び彼等は激突する。
その激突の果てに、幸福はない。
空に牙を剥く白き少年は、 抗いの象徴か。
それとも人類を殺した
空を這いずる唯一神は、秩序の象徴か。
それとも御座を象る傲慢の表れか。
少年は輝く白い光を余す事なく怒りに染め。
理想の為にその足を止めずに彷徨い続けた。
神霊は唯一無二の威光を憤怒に滾らせて。
理想の為に数多の可能性を啄ばんで来た。
言葉など意味を成さない。
僕は忘れる事など決して無い。
言葉は既に不要か。
私は己の使命に準ずるのみ。
今、この瞬間。
『一匹の獣』は咆哮を上げる。
『神聖四文字』は力を振るう。
最後に『彼女』は迎えに来てくれたのか。
それともただの幻視だったのか、それは皆様に任せましょう。
次回は人類のやべーやつこと曹操のターン。
黄昏の聖槍、神の意志が抜けただけでまだ全然使えるのよね。