それは、知られざる物語にして、
最後にして最新の人間神話。
今もなお神々の語り草であり、
とある獣と人間の生き様だ。
杯を水で満たし、肉と魚を卓上に並べよう。
五穀を椀に盛り、今日も命を食らって生きよう。
悪辣で善良であれ、聡明で衆愚であれ。
その在り方は変わらない。変わる必要は無い。
獣と人の手により神殺しは完遂された。
冥界は燃え尽きた。天界は失墜した。
悪魔は血に沈み、焼き尽くされた。
堕天使は前触れも無く灰と化した。
天使は軒並み喰らい尽くされ絶滅した。
本日を以って聖書の三大勢力は断絶した。
最早この星に『旧き秩序』は無い。
反逆の楔は二つの世界を砕いた。
神からの信号は途絶えた。
最早この星に『旧き世界』は無い。
『新』を齎したのは返り血に濡れた獣。
黒い翼に赤い身体。彼を神殺しの英雄は、
───『赤い鳥』と後に語り継いだ。
それでも尚、生存者は喘ぐ。
排他された同胞の無念を思って叫ぶ。
〝お前達に何の権利があるのか〟と。
では排斥者の地位に立つ人間が答えよう。
知れた事、お前達が『害』だからだ。
お前達の存在は『益』では無かった。
お前達の生存は『利』では無かった。
害でしか無かった。不愉快極まった。
だから殺した、率よく生き残る為に。
何だそれは、巫山戯るなと竜が吠える。
その様を英雄が嗤う。当たり前だろうと。
お前達は人間に毒のみを振りまいた。
だがその様をお前達は笑っていた。
あろう事か見ないふりをした。
果てには都合のいい現実のみを見た。
そんな事、許される訳が無い。
なんて事は無い世の摂理だ。
自業自得、善因善果、悪因悪果。
己の行いが己に帰ってくるだけだ。
生存した蝙蝠の羽は二枚のみとなった。
『女王』は青い聖剣にその命を絶たれた。
『騎士』は竜殺しに啄まれ殺された。
『戦車』は恐怖に飲まれその姿を隠した。
『僧侶』は守るべき者の為に改宗した。
残ったのは『王』と『兵士』だけだった。
最後に竜を殺し、終止符を打った者がいる。
その名こそフリード・セルゼン。
後に『黒い鳥』と語り継がれた男だ。
■
その闘争には、誰も加わることが許されない。
赤龍帝の主人も、竜殺しの仲間であっても。
これは紛れもなく、彼等だけの戦いだった。
碧空と日輪が二人を照らす。
赤い翼と二本の角が鳥の如く影を作る。
黒い布と荒れた髪が鳥の如く影を作る。
赤い竜が吠え、黒い鳥が嗤う。
竜と人の拳が互いの腹を打つ。
血を吐きながらも彼等は殺し合う。
爪と刃が切り結び、互いの肉を切り裂く。
「ひ、ひゃはは、」
「ぁ、ぁああ、」
満身創痍。何故動けるのかも分からない。
竜はその身から極光すら放て無くなった。
人はその手に十分な力すら込められ無かった。
それでも、彼等はその拳を握る。
「ふ、りぃいどォオオア!!」
「ヒョードォーォあああ!!」
彼等は殺し合う。互いに互いが気に入らない。
お前が生きていることが不愉快だ。だから殺す。
ただそれだけ、綺麗な思いなぞ何処にも無い。
ゼノヴィアはただ見届けた。
今の自分ではあの領域にはいけない。
己の無力で、彼を死なすのはもう御免だ。
リアスはただ立ち尽くした。
彼女を阻むのはギャスパーだ。
紅髪の悪魔は何も出来ず二本の足で立つ。
フリードの膝が兵藤一誠の鳩尾を狙う。
その身を包む鱗鎧が砕け、膝が突き刺さる。
えづく悪魔に容赦なく延髄めがけ踵が落ちる。
竜人が足掻き、落ちる足を掴み投げ飛ばす。
白い髪の男が地に転がる。砂埃が舞う。
間髪を入れずに赤龍帝がその爪を振り下ろす。
堪らずゼノヴィアが駆け出すが間に合わない。
人間の腹に赤い爪が食い込む。抉り込む。
「は、ひぃやははは、ァハハはぁははヒャは!」
だが笑う。口端を裂かんばかりに凄絶に嗤う。
竜が恐怖する。本能から警鐘が鳴り響く。
人間は隻腕に魔剣では無く、光銃を握っていた。
腹を貫く手を足で挟み拘束し、人間が叫ぶ。
「足りねぇなぁ! ぜんっぜん足りねぇなぁ!」
光の弾丸が悪魔の目を潰す。耳に耐えない絶叫もなんのその。人間はすぐさま立ち上がり、銃を握り締めたままの手で悪魔を殴る。
頬骨を砕かんばかりの力で殴り抜けば、間髪入れずに肘で頬を抉り殴る。
「こんなもんじゃなぁ! こんな下らねぇモノじゃぁ俺は満たされねぇんだよなぁ! 俺を満たしてくれんのは…! 俺を満たしてくれたのは…!」
殴り続ける、高ぶる感情に従い叫ぶ。今のフリードに闘争を愉しむ心などは無い。
彼は闘争の先に待つ己の渇望を満たしてくれた者達の安息の為に戦っているだけに過ぎないのだ。
「あの孤児院の奴らだけが、ゼノヴィアだけが……あの声だけが!! あの場所だけが!! 俺を満たしてくれたんだよォ! ギャハハハぁははハ!!」
フリード・セルゼン、彼には血縁者がいても家族はいなかった。おかえりなんて言われた事すら無い。己の誕生日を祝ってくれる人も、当然、存在する訳もない。
あったのは狂気の双眸に眺められる血みどろの日。白い髪を赤色に染め上げる日。最後には路地裏で死を待つだけにまで行き着いた。
そこから引き上げてくれた青い花がいた。
子供の面倒なんて見たことも無い。最初こそ殺してしまおうかとすら思った。されど次第に、その殺意も薄れて消えて行った。
いつからだろうか、本気で子供と遊んだのは。いつからだろうか、ただいまと言う声に気怠くもおかえりと、返し始めたのは。
いつからだろうか、『おかえり』という変哲も特別性もないただ当たり前の言葉が聞ける事を嬉しく思ったのは。
「さぁ、笑えよ
心の火が燃え盛る。彼の魂が燃え滾る。彼の想いが燃え上がる。この火を消すに与う存在はこの戦地にて存在しない。
彼と相対する兵藤一誠は勿論。トライヘキサですら、その火を消すに能わない。この火を消せるのはフリードのみなのだから。
「ふざけんな…!」
赤龍帝が殴り返す。その拳は非力ではない。そこに込められている感情は憎悪と憤怒、そして前者二つに負けない程の悔しさが。
二撃目の拳が走る。だが受け止められる。だから蹴りを喰らわせようとしたが、それすらも弾く。
「何で、何で何だよ…!」
それでも彼は拳と足技を繰り出し続ける。駄々をこねる子供にすら見えるが、人の身から逸脱したものしか繰り出せない威力だ。
しかし、それでもフリードというヒーローは全てを受け流す。力の流れをそらし自らが受けるダメージを大幅に削って、何度も兵藤一誠に向けて拳を叩きつける。
鼻柱を殴られ、赤い竜人が地に転ぶ。脳は何度も揺さぶられ、その影響か直ぐに起き上がる事が出来ない。だが叫ぶ。
「何でだよ…! 何で俺達は見捨てられるんだ! なんでお前みたいなやつが許されて、俺が笑うのは駄目なんだ!」
納得がいかないと。おかしいだろうと。臆面も外聞もなく喚く。おかえりと言ってくれる存在が生まれながらにいた元人間は、生まれてから本当の孤独を味わった事のない悪魔は、自分本位の化け物は、叫び続ける。
「俺だって幸福に生きていいはずだ、俺だって平穏に生きていいはずだ。お前みたいな人殺しが笑ってるんだからその権利くらい俺にだってあるはずだろ!なんで俺は駄目なんだよぉおおおおおお!!」
泣き叫ぶ。慟哭に違わぬ叫びを上げる。ああ、確かに間違ってはいないだろう。幸福に生きる権利は誰にも等しく存在する。
間違ってはいない。だがそれだけだ。あくまで間違ってはいないだけであり、これから訪れる彼の結末は変わらない。
『生きる』という行為に善悪はない。
だが『幸せになる為に』と来た場合。
この一点においては『違う』のだ。
そこには間違いなく手段と『何を以って幸せなのか』を問われるし、悪と決められればそれ迄なのだ。
権利があるからと言って、全てが許される道理はこの世のどこにも存在しないのだから。
「…んなもん俺様ちゃんが知るかよ、ばぁーか」
一蹴する。お前の叫びなど知った事ではない。彼は彼で守りたいだけだった。それだけで戦えた。だからこそ兵藤一誠が幾ら叫ぼうが喚こうが彼にとっては知った事ではないのだ。
方や居場所の為に伝説すら殺し、死後エインヘリャルとなっても尚守る為に武器を取り走り続けた存在。死を告げる黒い鳥。
方や全てを知らないままに、あらゆる事に於いて欠如していた者。己の欲望に生き続け、その果てに打ちのめされた赤い怪物。
彼らは何もかもが正反対だっただけなのだ。
延長戦は無い。ドラマチックな展開も無い。人間の手の平が魔剣であるバルムンクを拾い上げクルクルと回しだす。沈黙がある。
螺旋状に力が収束していく。紅髪の悪魔が吠えても金髪の少年が阻み、ゼノヴィアが背後に立ちデュランダルを振り下ろさんとする。
「……まぁ、なんだ。俺が言えた事じゃあねぇんだが…来世じゃちったあマシな生き方をするんだな。そうすりゃお前みたいなやつでも徳は貯められるだろうよ」
最後に向けた感情は憐れみの他はない。纏う黒い衣服が風にたなびき羽根のように広がる。
蒼天の下で、最後の刃が振るわれる時が来た。
いやだ、最後の声。死にたくない、当たり前だ。
だがフリードは、生まれながらにして殺しに携わって来た男は、そんな命乞いを何度も見て来ている。そしてその全てを平等に偏りなく絶対に殺して来た。
そして彼が抱く個人的な感情からしても、兵藤一誠を見逃すという選択肢はないだろう。ここで全てが終わるのだ。
「じゃあな、兵藤一誠。俺はお前が、心底嫌いだったよ」
肉を穿つ音と、首の落ちる音。
終わった。本当に終わった。
これで、残る悪魔はゼロとなった。
もう生き残りは何処にもいない。
聖書殲滅戦線は、此処に終了した。
■
一日限りの戦争が終わり、今回の騒動の一連は『聖書勢力の自滅』という形で収まった。ソロモンの遺体を弔った後に収束を祝し、神々の宴が開かれる。
残る神話勢力はこの件の中心の内一人であるサタナエルと、全てを見届けたサマエルに全貌の開示を要求。彼等はこれに応じ、『大いなる都の徒』の者達とは宴の後に一時的に別れる事となる。
フリード・セルゼンはロキ護衛の任を放棄した事により終戦と同時にオーディンより一年間のヴァルハラ入館禁止処分が下ったらしく、結局彼はゼノヴィアと共に孤児達やアーシアの元へ帰還を果たす。
ギャスパー・ヴラディはクロウ・クルワッハと共に後見人であるダーナ神族達の元へと帰って行った。今後、彼はヴァレリー・ツェペシュと何の変哲のない日常を紡ぐのだろう。…余計な世話を抱く色々と旺盛な神や妖精たちと共に。
『大いなる都の徒』は無事全員が合流を果たし、各々が自分の夢のために生きることを決めた。
曹操とレオナルドはアーシア達と共に孤児院の経営を、ゲオルグとジークフリートは苦労すると理解しつつも学を納めに、ヘラクレスとジャンヌは密かな夢を叶えに、皆それぞれの道を辿る。
そして、かつてトライヘキサと呼ばれていた名無しの少年は、『ただいま』を言うために一先ず裏京都へ帰る事を決めた。
九重は元気だろうか、八坂さんにお土産は何がいいだろうか、そんな事を考えながら彼は小さく笑う。
これから先、人間の黄金時代がやってくる。彼はその時代の中で人間の全てと向き合うと決めた。無論長い旅になるだろう。
それでも、今の彼を満たすのは不安などではなく希望だった。
■
小さな手の平には一個のおにぎり。
十の角を持つ『人間』は月明かりに照らされながらそれを一口頬張った。
「…おいし」
彼は、人並みの幸せを味わって、やっと心の底から笑えたのだ。
次回、最終話
エピローグ「これからは、」