なんかハッピーエンドしか許されない主人公に転生したようです。 作:あぽくりふ
追憶は続く。ただ、手は自然と骨の髄にまで染み付いた剣技を綴っていた。穂先を弾く。回転する短槍。ぐるりと弧を描きながら再び正中線へと伸びる軌跡。放っておけば死ぬ。誤たずそれは俺の心臓を穿つだろう。それでいいと思っていた。だというのに、本能が生き汚くも足掻く。弾き上げる感触。闇色の槍と鋼がかち合って火花を僅かに散らす。ただ、その光に照らされてものっぺりとした闇に包まれた彼女の顔は見えなかった。
……死ぬべきじゃないのか。
そんな想いが占めている。だが、精神と肉体は乖離していた。いや違う。俺の身体を無意識に縛っている
まだ、終われない。あの時の約束はまだ続いている。
──他ならぬサチが、俺より先に死んだとしても。
鈍痛が胸を抉る。歯を噛み締めた。
重なり合う槍と剣。互いに最適解を選び続ける果てにあるのは、舞踏めいた剣戟の応酬だ。あまりに重く、あまりに鋭い槍捌きに舌を巻く。
……俺が知っている彼女は、こうも強くはなかった。ただ悲しいまでに伝わってくる。どれだけ強くなろうと、どれだけ変質しようと、その槍術からはどうやっても彼女独特の癖が感じ取られる。
「俺が、憎いか──サチ」
『─────────』
影は答えない。ただ、槍を振るうのみ。一手喰らえばそのまま即死させられる連撃の渦。技量はほぼ互角と言えよう。
「……殺したいほどに、憎いのか」
『────────────』
わからない。ただ、叩きつけられる槍撃の重さが増したように思えた。受けきれずたたらを踏む。衝撃を受け流し損ねた。ひたと構えられる槍。神速の刺突。狙う場所が心臓であるという直感的な予測に基づく防御がなければ致命だった。びりびりと掌に伝わる衝撃に息を吐いた。
「でもごめん、サチ。俺はまだ……そっちには行けないらしい」
あるAIは言った。死人に理由を押し付けるなと。
確かにそうだ。ここで死ねば、俺はこのクソみたいなゲームをクリアするという責務を誰かに押し付けることとなる。ああ、それは許されない。確かにそれは逃避だ。俺には責任がある。義務がある。使命がある。
ごめん。まだ、死ねないらしい。
「やる事があるから。だから──」
瞬間。あまりにも暴力的な殺意の嵐に、目を見開いた。
本能が悲鳴をあげる──逃げろと。
精神が絶望する──逃げることなど到底出来ないと。
経験が予測する──
『───ぁ』
『──────きり、と』
ぞぷり、と。
実際にはそんな音はしていないが、しかし影はその身体を軋ませながら、何かを胸から引き抜いた。それはもう一本の槍だった。短槍を二つ、左右の手に一本ずつ。自然と警戒する身体が剣を構えさせる。二槍を扱うというのか、これは──。
「
後方から、悲鳴にも似た声が耳に届く。
「それは、
目を見開いた。影が──彼女が、無機質な声で告げ。
『──
二つの影の奔流が、縦横無尽にフィールドを切り裂いた。
「ッ…………!?」
槍。否、それは槍の間合いではない。弓の間合いでもない。ましてや、銃の間合いでもない。外套の裾を翻して、斬撃の隙間に存在する空間を縫うように飛び退る。
それに距離という概念は意味を成さない。理解する。都合回転しながら放たれた三十六の斬撃と二十八の刺突を全て受け流し回避したものの、頬を流れる冷や汗を止めることが出来ない。咄嗟に小脇に抱えて跳んだAI──ユイに尋ねた。
「なんだ、あれは」
「貴方の暗黒剣と同じです。あれは
……色々と聞きたいことはあるが、重要な事だけを問う。
「喰らえば、どうなる」
「
「そうか」
殺意と憎悪、そして憤怒。それを迸るほどに向けてくる彼女を見つめながら、俺は侵食され使い物にならなくなった剣を捨てる。一撃でも喰らえばこうなるということか。
「暗黒剣なら、どうだ」
「……対抗は可能です。あのエンチャントは、最上級の優先度に設定されています。元よりユニークスキルとは、90層以降のフロアボスに対抗するため創られたものですから」
「そう、か」
ユイに下がるように告げ、二つの槍を構える影を見据えた。親指の腹を刃に当てて、引く。走る赤い粒子。解号を告げる。
「
体力が削れ、赤と黒に鋼が侵食されていく。特大級の反則。ユニークスキル《暗黒剣》──しかしこれでも抗えるかどうか。何処まで凌げるかもわからない。
ここから先は絶死の領域。ただ、足取りは不思議と軽かった。穏やかとすら形容できる心持ちだった。
「踊ろうか、サチ」
囁く。同時に、魔剣と葬槍が交錯した。
無限槍の
一瞬で伸びるものでもない。ただ、その伸びる穂先から振るわれる斬撃は距離を取るという行為を無為にしている。それを左右に一本ずつ。単純に手数も間合いも違う。更にフロアボスがベースであるが故の膨大なHPリソース。
勝利の可能性など絶無。基礎スペックが象と蟻ほどにも異なる。目眩がするほど絶望的な戦いであるはずだったが──あの少年は。あの男は。
「何故、打ち合えるのですか」
呆然と、メンタルヘルスケアプログラムは呟いた。
キリトが回避する。黒い外套は既に引き裂かれ脱ぎ捨てられていた。無限の間合いをものともせず、魔剣を片手に影の嵐を耐え忍ぶ。否、耐えているだけではない。槍撃を逸らし、いなし、そして斬り返してすらいた。
理解が出来なかった。演算が追い付かなかった。そもそもアレの筋力も敏捷力もフロアボスのそれを参照としている以上、常軌を逸している。そもそもプレイヤーキャラクター如きが真っ向から鍔迫り合い出来るような代物では無いのだ。それはシステム上のものであり、絶対不可侵。だというのに──それを可能にしている。
技術だけでどうにかなるものではない。理屈が必ずある筈だ。暗黒剣だけでは圧倒的に足りない。ならば、その差を埋めているのは──。
「……心、ですか」
それは。機械には──AIにはついぞわからなかったもの。茅場晶彦は面白半分に人間の情動をラーニングするプログラムを、プレイヤーの精神監査という名目上で実装していた。それこそがユイを筆頭とする
「感情を参照し、
暗黒剣が吼える。無限槍が哭く。
試作段階だったはずの
「……桐ヶ谷和人。それが……愛、なんですか?」
ユイが無機質な瞳の向こうに僅かな火花を見る。プログラムが、感情を観測した瞬間だった。
──彼女の槍を受ける。伝わってくるのは、灼熱のような怒りだった。
──彼女の突きを逸らす。伝わってくるのは、海よりも深い悲しみだった。
──彼女の払いを凌ぐ。伝わってくるのは、狂おしいほどの愛おしさだった。
歯を食い縛る。無我夢中で剣を振るった。いや、もはや無我だった。ただただ想いを乗せて剣を振るう。剣術や論理など頭から消し飛んでいた。そんなものは既に身体に染み付いていた。俺に出来るのは、感情を剣に込めることだけで。
……後悔している。
君と出会った事を。心折れかけた果てで、あまりにも普通だった君に救われた事を。それこそがこの呪いの始まりだった。
……感謝している。
君と出会った事を。鮮烈に俺の思い出を駆け抜け、二度と忘れられないような思い出をくれた事を。ああ、呪いだろうと構わない。この感情を知れなかった事実の方が怖い。
……憎んでいる。
俺より先に死んだ君の事が。こんなにも恨めしい。生きる意味がないのに生きる義務を得て、君がいない世界で足掻く理由を与えられた事実が、ただ残酷だと思える。
ああ、違う。違う。違う。そんな事が言いたいのではない。複雑な螺旋を描く感情の坩堝。叩き付けられる純粋な彼女の
ああ、結局のところ、俺は。
ずっと──貴女の事が好きでした。
「生きて、欲しかった」
口が動いているのかも分からない。叫んでいるのかもわからない。この感情が憤怒なのかも、悲嘆なのかも、願望なのかも、呪詛なのかも、絶望なのかもわからない。
こんな感情を。ひとくちに愛と形容していいのかすら、わからない。
──剣を叩き付けた先。槍で受けながら、影がたじろいだ気がした。
「君さえいればよかった。他の全てなんてどうでもよかった。俺だって例外じゃない。君が生きていれば、それで」
──槍が盛り返す。それは激しい憤怒を纏っていた。負けじと叩き付ける。
「怒っているのか。ふざけるなよ。なんで逝ったんだ。どうせなら俺も連れて行ってくれよ。なんで、なんで、なんで──俺だけを残して、あんたが!!」
──槍が払われる。それは沈むような悲嘆を秘めていた。唇を噛み締めて受け流す。
「これがただの我儘だって? 知っているさ。しょうがなかった。どうしようもなかった。誰にも救えなかった。俺もあんたも、救われなかった。でも──でもなぁ! 生きる理由なんて欲しくはなかったんだ!」
打ち払う。駆ける。影の槍を踏み、前へ。頬を流れ、伝い、溢れるそれを置き去りにして。
どうしようもなく伝わってくる感情に。どうしようもなく伝えたい感情を乗せて、走る。
「俺が欲しかったのはあんただけだった! ああそうだ! なのに、あんたは! 俺だけを置いて!」
言えなかった。
彼女が生きている時は、一言だって。彼女も俺にそんな言葉はかけなかった。でも、違うのだ。違ったんだ。そうじゃないんだ。
ごめん、サチ。何もかも過去になって。全部取り返しが付かなくなって。こんなになってまで、来てくれて。
──誘うように槍が伸びる。無限槍。ただ、回避する気はなかった。無我のまま身体は剣を伸ばす。彼女の元へと。
『………………あ』
「遅くなって、ごめん」
互いの胸を貫く槍と剣。ヒトガタの影の頬に触れながら、俺は。
「愛してる。これまでも、そしてこれからも」
『……うん。私も、愛してる』
影が頬を撫ぜ、笑った。そんな気がした直後、世界が砕ける──。
ずっと前から、好きでした。
その一言がいえなくて。踏み込めなくて。胸にしまい込んだまま、忘れた気になっていた。
馬鹿馬鹿しい話だろう? 泣けるくらいに。