なんかハッピーエンドしか許されない主人公に転生したようです。   作:あぽくりふ

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17/前座

 

 

 

 何も耳に入ってこない。

 

 貸し切られた円形闘技場(コロッセオ)に犇めく群衆のざわめきも、チケットを売る売り子の声も、俺とヤツへ向けられる罵倒や野次も、全て聞こえない。ただ、無表情でヤツを見ていた。彫りの深い男の顔に──偽りのテクスチャに笑みが刻まれた。俺を見ているようで何も見ていない目。群がるプレイヤーを虫か何かとしか思っていない目。虫が作る社会に、営みに、世界にのみ興味を抱く超越者の視線。

 

 ──その目が、腸が煮えくり返るほどに気に入らなかった。

 

「キリトくん。今日はお互い楽しもうじゃないか」

 

 歪む口元。形式上だけの親愛を示す口調。そのどす黒い本性と対照的な白い鎧に白い制服、そして重厚な盾。《神聖剣》の象徴である十字盾は、それだけで敵を圧殺させるような重さを感じさせる。実際の攻撃性能は《神聖剣》による攻撃判定拡張を含めても大した事がないのは既に知っているが、しかしその本質は“吹き飛ばし”による硬直とそこからの嵌めに近い連撃(コンボ)であることもまた、既知の範囲だ。

 

「……そうだな」

「何時にも増して口数が少ない。ふむ、流石の君も緊張していると見える」

「……間違っちゃいない。今の俺は、震えを抑えるだけで精一杯だ」

 

 パフォーマンスも兼ねて剣を引き抜く。“ジ・アノマリー”──リズベットによって鍛え上げられた黒い魔剣を掲げる。歓声が上がり、同じように盾を掲げたヤツによって歓声が更に爆発する。いよいよだと観客も察したのだろう。その音圧にヤツは苦笑した。

 

「武者震い、というやつかな。わかるよ。流石の私もこんな群衆の面前で決闘(デュエル)をしたことはなくてね」

「……そうかい」

 

 どうでもいい会話だった。そんな苛立ちを認識したのかしてないのか、ヤツは片手を翳す。

 

「では、始めようか。あまり彼らを待たせるのも気が引けるというものだ。準備は……いいかな?」

 

 直後に決闘(デュエル)を申し込むウィンドウが宙空に出現する。黙したまま息を吐いた。浅く吐き、そして深く吸い、吐いた。受諾を選択し向き直る。開始までのカウントダウンが視界の端に刻まれ始めた。待ち望んでいた場ではあるが、緊張など欠片もなかった。常の通りの自然体。構えはない。無形の構えこそ、『桐ヶ谷和人』の辿り着いた果てだった。

 

 ──5。

 

「ああ、いつでもいい」

 

 ──4。

 

「胸を借りるつもりで行かせて貰おう」

 

 ──3。

 

「ぬかせ、【聖騎士】」

 

 ──2。

 

「本気だとも、【剣聖】」

 

 ──1。

 

 ──。

 ───。

 ────(ゼロ)

 

 ()()()()

 

魔剣装填(エンチャント)

 

 本気だった。開幕と同時に殺す一撃だった。《暗黒剣》の強化により並の防御も鎧も盾も剣も全て貫いて即死させる刺突。重心を移動させ、荷重により加速する“抜き足”──純粋物理による歩法、システム外スキル《縮地》による初速のアドバンテージ。虚を突いた。認識できたとしても防御は到底間に合わないはずだった。しかし、舌打ちする。

 

聖剣起動(エンハンス)

 

 それは、荘厳な輝きだった。清冽な浄化の光だった。それが真正面から俺の剣を受け止めている。交錯する視線。ヒースクリフが笑った。

 

「流石だ──強化を施した私の盾の上から削るとはね」

 

 見れば、ゲージは確かに減っている。刺突の余波で削れたか。ただ、それは全体量と比較すればあまりに小さなダメージだった。割合にすれば1%にも満たないかすり傷。そんなもの、自動回復ですぐに修復される。対して俺は《暗黒剣》の自傷により既に七割にまで至っている。

 この決闘(デュエル)のルールは至って単純だ。最初に体力の半分を切った方が、敗北するだけ。

 

「さあ、始めようか。《神聖剣》と《暗黒剣》、正反対のユニークスキルの戦いを。アインクラッドの頂点を決める決闘(デュエル)を」

「……べらべらと。黙って斬られていろ……!」

 

 黒と白が激突し、衝撃に大気が軋んだ。

 

 

 

 

「凄い……」

 

 ユウキが零した言葉に、シノンもまた内心で頷いていた。

 【剣聖】キリト。その二つ名は一人の少年に贈られるにはあまりに仰々しく、そして人によっては痛々しいと嘲笑するだろう。だが、攻略組の人間は至って真面目にその呼称を使う。彼の名前を呼ぶことを躊躇う。

 一度その戦い様を見れば。フロアボスを単騎で撃滅する様を見れば、畏怖と共にその二つ名が伊達でもなんでもないことを理解する。その異常な体術に、研ぎ澄まされた剣技に、死線を当然のように踏み越える精神性に恐怖する。それほど彼の剣は鮮烈であり、中には信奉者すら生まれる始末だ。

 加えて、彼が《暗黒剣》と呼ばれるユニークスキルを解禁してからは文字通りフロアボスと単身切り結ぶ様も珍しくなくなった。最強の単騎戦力。アインクラッド最高のDPS。故に【剣聖】。

 

 その【剣聖】を真正面から食い止めている【聖騎士】の姿に、シノンは驚愕していた。

 

「“エンハンス”……そんなソードスキルを隠していたなんて」

「知らなかったの?」

「知らないわよ。魔弾収束(クリティカル)魔剣装填(エンチャント)、そして聖剣起動(エンハンス)……」

 

「知らなくて当然よ。あれを団長が使う時は、相当追い込まれてる時だけだから」

「!」

 

 声にシノンは振り向いた。張り詰めたような無表情に人形の如き美貌。栗色の髪と白い制服、腰元に下げた細剣(レイピア)を見れば誰だか嫌でもわかる。

 

「アスナ……」

「隣、いいかしら」

 

 顔を突き合わせれば喧嘩ばかりの仲だが、こう頼まれれば突っぱねる気にもならない。シノンは戸惑いながらも了承し、ユウキはアスナを認めてぱっと顔を輝かせた。

 

「お久しぶりです、アスナさん!」

「ええ、久しぶりねユウキ。元気そうでなによりよ。……それで、エンハンスの話だったかしら」

「そう、だけど」

 

 目で追うことが難しい速度で、明らかに異常なテンポで繰り出されるキリトの剣を弾き、逸らし、いなす白い盾と剣。時折避けきれず削れてはいるが、この長時間あの猛攻を捌いているだけでも驚嘆する他ない。

 

「《暗黒剣》のエンチャントが攻撃力を上昇させ、《弓術》のクリティカルが貫通率を上げるなら、あれは盾による攻撃の軽減率(カット)を跳ね上げるものよ。彼の攻撃でもあれを貫通するのは至難の技。加えて《神聖剣》にはカットしたダメージを剣に乗せて放つカウンター型のソードスキルもある。相性は最悪ね」

「なによそれ。ズルじゃない」

「ユニークスキルは全部ズルい(チート)でしょう、今更よ」

 

 呆れたような口調にシノンはむぐ、と唸った。確かにそれはそうだ。ユウキも頬を掻いた。

 

「ただ、やっぱり彼は異常ね。自動反射(カウンター)障壁付与(バリア)、他にも様々なソードスキルを発動させているのに……それらを貫通して、団長にダメージを与えてる」

 

 黒い影が疾駆する。真正面からの袈裟斬り、当然聖騎士は盾で受け流す。ただそこに留まらず盾による面制圧の殴打が迫る。ただ、剣聖はそれを蹴り上げた。吹き飛ばしを利用しバク転。回転の最中に放たれた一撃が聖騎士の頬を掠める。しかし怯むことなく空中という逃げ場のない空間を見定めてカウンターの剣が振るわれた。その剣先をブーツが踏む。緩やかに着地し、彼我の間合いが初期と同一となる。仕切り直し、ということか。

 

 ……まるで曲芸だ。アスナには理解がし難い。初速から一瞬で最高速にまで至る独特の歩法も、あらゆる攻撃の工程が次の攻撃の過程でしかない先読みの剣も、戦闘の流れそのものを制御しようとする読み合いも。

 一番理解が出来ないのが剣技(ソードスキル)を一切使用する気がないことだ。昔からキリトはそうだった。あの男は、使わない方が強いとまで宣う。《暗黒剣》は例外だとしても、それ以外を全く使わない理由が不明だった。

 

「……読まれるのを、恐れてるの?」

 

 それは、直感にも似た回答だった。

 まさか、という思考が先行する。ただこれが正解なのだと直感的に理解した。剣聖キリトはソードスキルの軌道を読まれることを恐れた。まさか、と理性が失笑する。聖騎士ヒースクリフと言えど全てのソードスキルの軌道を読めるはずが無い。多少は知っているだろうが、使い手次第で軌跡はそれぞれ異なる。そんな事まで考慮できるのであれば、それは常軌を逸している。

 ……有り得る、と本能が囁いた。

 

 無敵の聖騎士。彼はフロアボスが振るうソードスキルの軌跡を理解していたからこそ、単身でそのヘイトを請け負うことすら可能にしていたのではないのか。だとすれば確かに【剣聖】と【聖騎士】は同様に怪物的だ。片や剣技(ソードスキル)を扱わずともアインクラッド最強のDPSであり、片や剣技(ソードスキル)を熟知するが故にアインクラッド最硬のタンクである。噛み合わない頂点の二人。

 

 だが──だとすると、しかし。

 キリトはなぜ、1層の頃からソードスキルを好まなかったのか。

 彼は何を想定して、ソードスキルを封じたというのか。

 

 彼は今、何と戦っている───?

 

 核心に触れている、という実感がある。本能は何かに気付いていた。理論が、理屈が、常識がそれを否定するだけで。考えてはいけない、と理性が囁いた。呼吸が自然と不規則となる。

 

「アスナ……?」

「っ、ええ。大丈夫よ」

 

 シノンの声に我に返る。集中しなければ、と軽く頬を叩いた。眼下の決闘に再び目を向ける。

 戦いの趨勢は、片方に傾きつつあった。

 

 

 

「──素晴らしい」

「黙れ」

 

 顔を顰める。互いに十手先を意識しながらの攻防。故に今振るう剣はお互いにとって既定路線に過ぎず、千日手に似た状況下において俺は静かに勝利を確信した。塵も積もれば山となる。僅かに、しかし確実に削れていくヒースクリフの体力はついに、一撃でもまともにこちらの剣が入れば勝敗が決するほどになった。そろそろ、いいだろう。

 

 本来ならば俺が勝る要因はほぼ見当たらない。ならばなぜ押しているのか。

 簡単な話だ。

 ヒースクリフのアドバンテージは攻撃判定拡張された盾──要は防御型の変則的な二刀、そして圧倒的な防御力。俺のアドバンテージは圧倒的な攻撃力、そして剣技(ソードスキル)に依存しない奇襲にも似た我流の剣。これだけならばどちらが有利とも言えない。

 

 だが、何度も想像してきた──その軌跡は知っている。

 ただ、何度も観察してきた──その剣技は知っている。

 

 お前の性格も、癖も、お前を殺す為だけに俺は全ての情報を収集してきた。《二刀流》でなければ《神聖剣》は倒せない──理論上はそうだろう。計算上はそうだろう。ただ、操る人間自体が不確定要素であることを除けば。

 

 茅場晶彦、お前はお前が考えているほど完璧でも全能でもない。

 剣技(システム)に依存しない異端者(イレギュラー)を前にした時、その絶対的優位性は揺らぐ。揺らいだ時、不確定性が発露する。可能性が変動する。天秤は傾く。

 敢えて言うのだとすれば──意識の差が勝敗を分けた。俺はお前を二年前からずっと不倶戴天の敵と認識していたのに対して、お前は精々が面白い虫けら程度にしか考えていなかった。

 

 受け、凌ぎ、衝撃の九割をカットしながらもヒースクリフの体力が削れる。堅実なカウンターが胴を薙ぐように放たれた。何度目かもわからない。あまりにも正確で、あまりにシステマチックなそれは、言ってしまえば()()()()。地面を蹴り上げる。刃に触れ、少しだけ押し下げた。目を見張る聖騎士を冷ややかに俯瞰する。縦回転の慣性を載せた一閃を寸前でヤツは受け切る。

 甘ぇよ。

 ()()()()()()。二連で放たれた蹴りが盾の自重も乗って体幹を崩す。苦し紛れに放たれる剣は正確無比に急所を穿たんとする。正解だ。お手本のように鋭いカウンターだ。故にこそ読みやすい。

 こんな風に。

 

「なっ……!?」

 

 斬り落とし。()()()()()()()()()()()()。ある流派では絶技とされるが──思いの外難しい話でもない。剣先を削るように叩き落とし、返しの剣を喉元へと放つ。ただそれだけだ。

 黒々とした剣が魔剣の闇を纏って突き進む。盾はここからでは間に合わない。《暗黒剣》の攻撃力では素で受ければ一撃で体力は半分以下にまで落ち込むだろう。

 ──使えよ、茅場晶彦(ヒースクリフ)

 

 どくどくと心臓が脈打つ。意識が自然と加速する。()()だ。原作で桐ヶ谷和人が敗北した一撃が来る。システムによるオーバーアシスト。案の定、仮想体(アバター)を構築するポリゴンが揺らいだ。物理演算を遥かに超えた加速に処理が追い付いていない。

 

 ……幾度も、想像してきた。

 オーバーアシストを前に対策など無意味だ。防御は不可能。認識は無意味。どう足掻いても間に合わない。完全な対策など出来やしない。

 要は、時間停止と同義だ。どうやっても賭けになる。

 ただ──それは敵が正確無比なシステムが相手の話だ。

 オーバーアシストも、それを操るのは人間だ。人間という名の不確定要素だ。なればこそ、付け入る隙はそこにある。

 

王手(チェック)だ、聖騎士」

 

 ──お前はお前が考えているほど完璧でも全能でもないんだよ、茅場晶彦。

 追い詰められ、焦った人間が取る行動などひとつしかない。がら空きの死角を前に手を出さないほど、お前は非人間的ではいられなかった。

 

 逆手に握り直した片手剣を背後に突き出すと同時に。

 

 硬質な音が、円形闘技場(コロッセオ)に響き渡った。

 

 

 

 

「──は」

 

「はは、はははははははは──!」

 

 哄笑が大笑が、歓喜の声が背後の男から放たれる。それはまさしく至福の時だった。己の想定を、完全に埒外の異分子が上回ったのだ。

 これを笑わずして、どうする。ざわめく群衆に目もくれず、男は目前のイレギュラーにのみ視線を向けていた。

 

「……何が面白い、ヒースクリフ」

 

 ゆっくりと、少年が振り向いた。《暗黒剣》を宿したプレイヤー。黒々と塗り潰された瞳からはなんの感情も感じられない。完全なる想定外が口を開く。

 ──Immortal Object(不死存在)。浮かんだシステムメッセージを認識して、いや、と告げる。

 

()()()()

 

 堪らない。

 これだからやめられない。既知が未知へと変わる瞬間。想定を遥かに超えた可能性の飛翔。まさしく想定外だ。こんな層で開示するべき情報ではなかった。計画は全て破棄。これより──アインクラッドプロジェクトは最終段階へと移行する。

 

「嗚呼──素晴らしい(Congratulations)

 

 史上最悪の電脳犯罪者は、その通りだ、と告げて。凄絶に微笑んだ。

 

 

「私こそが茅場晶彦にして、魔王ヒースクリフである」

 

 





 な、なんだってー!? (驚愕)
 アンダドゥーレハ、アカマジャナカッタンデェ…ウェ!

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