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『
一番の活躍すべき場面に参加できず、遅参と言うにもあまりにも遅れてしまった登場に相当気が退けたらしい…非常に迅速な対応を打ち出す。
破壊された都市に莫大な数の調査用
一方、艦隊に搭乗していた人員の大半は、避難民が集結しているコンサートホールに降下。治療班を中心に迅速に展開し、心身のケアを施して行く。流石は"混沌の惑星"地球の守護者を名乗る軍集団だけあって、その手際の良さや技量は絶大である。欠損した手足を野外での魔法手術で完璧に再生してみせたり、PTSDを発症し狂乱した精神を速やかに安寧に導くなど、素晴らしい功績を次々に遂げて行く。
彼らの働き振りは、僅かな隙間すら差し挟むほどない程に密で行き届いたものだ。その動きから、今まで働き続けた学生英雄たちにこれ以上手柄を立てさせまいとする意地が露骨に感じられる。
もはや、アオイデュアでの主役は星撒部から『エグリゴリ』へと移行してしまった。
そこで星撒部の部員たちは、途中からしゃしゃり出て来て活躍の場を奪った『エグリゴリ』達に腹を立てている…かと思いきや。そんな素振りは全くない。
むしろ、これ以上の労働をせずに済むことを歓迎し、素直にまったりと憩い和んでいる様子である。『
だからこそ、災厄に臨んでも余計な気を張らず、持てる最大のパフォーマンスを尽くすことが出来るとも言える。
「痛ててっ…!! 痛ぇってばっ! 痛ぅっ…クソッ、もっと優しく…ぎゃああっ!!」
コンサートホールの外側、公園のような野外スペース一画。ヴァネッサの耐火水晶によって一切の被害から免れた小さな木立の生え際に集まった星撒部の一同の中から、涙声の悲鳴が上がる。この声の主は、先刻まで勇猛果敢に戦い続けていたロイである。
彼は今、ボロボロになった制服の上着を脱がされ、火傷だらけの上半身剥き出しの状態で、紫による薬草治療を受けている。薬草は『エグリゴリ』の治療班から分けてもらったものだ。大活躍した星撒部に恩を売れることを喜んだのか、はたまた純粋に星撒部を
この薬草に更に
「紫っ、お前…痛ってぇっ!! 傷治す相手を…うぎゃあおっ! 苦しめてどうする…ちょっ、あああああっ!!」
全身をビクビク震わせて叫び続けるロイの背中を、紫はバシーンッと強かに叩き、ニヤリと陰を帯びた笑みを浮かべる。
「はいはいはい、天下のドラゴン様がこれくらいの痛みで泣いたり吠えたりしてんじゃないわよ。天使とか士師と戦ってる時の方が、よっぽど大きなダメージ受けてるくせにさー。ちっちゃい子みたいで、情けないわよー」
「情けないも何もねぇって! ホラ、よくあるだろ、殴られなれてるボクサーだって歯医者のドリルは苦手、みたいなヤツ! そう、丁度そんな感じなんだよ! こういうチクチクした陰険な痛みってのは、殴り合いの時みたいなスカッとした痛みと違って…ってっ!!
うぎゃあああぁぁぁっ! 紫ぃっ、お前なんで、黙って湿布貼ってンだよぉっ! 心の準備が出来ねぇじゃねぇかよっ、心の準備がさぁ!」
「私はね、あんたの治療にばっか気遣ってられるほど暇じゃないの。さっさと終わらせたいのよねー。アリエッタ先輩のクリームココア、早く飲みたいからさー」
「なんだよそれっ! お前の個人的な願望じゃねーか! それにオレを巻き込むなんて、非人道にもほどが…」
「あ、首の後ろ、すっごい腫れてるわねー。ここは特に念入りに! たーっぷりと薬を染み込ませた湿布を貼ってあげないとねー」
「え!? おい、それ、ちょっと…!
ぐあああああぁぁぁぁぁっ!」
端から聞いていると、治療なのかコントなのか、分からなくなってくる。ちなみに『拷問』という印象が湧かないのは、ロイの痛がり方は酷いものの、無惨というより滑稽という表現が妙にマッチするからである。
そんな二人をジト目で見やり、嘆息を吐いているのは渚である。手近な樹木の幹に身体を預けながら、ヤレヤレと呆れ切った様子で首と手を振る。
「全く、相変わらず騒がしい奴らじゃのう。幼児ではないのじゃから、もう少し落ち着きと節度を持たんかい。
ホレ、このわしを見習うがよい! いかなる事態を前にしても焦らぬ、この平常心!」
言葉が続くに連れ、渚の態度は大きくなり、ついに樹木から身体を離すと、エヘンと胸を張って見せる。
その様子を横で見ていた蒼治が、こっそりと苦笑いを浮かべ、ボソリと呟く。
「…お前だって、似たようなもんだよ。
むしろ、平常の状態でも十分暴走してるじゃないか…」
渚はこれを、耳聡く聞いていた。そしてジロリと蒼治を睨みつけたかと思うと、疾風のような素早さで彼に詰め寄る。蒼治は渚よりも頭一つ分以上高いので、顔をつき合わせるような構図にはならないが、それでも渚は目一杯つま先立ちしてまでも蒼治に顔を寄せて、迫る。
「なんじゃ~、蒼治~? なにやら含む所があるようじゃが~?
言いたいことがあるのなら…っ!」
ここで渚、バッと蒼治に飛びかかると、その首に腕を絡めて締め上げる。
「陰口なんぞ女々しいことせずに、堂々と面と向かって言えと、常日頃言っておろうがっ! おぬしはなぜ、いつもいつも! そうコソコソしたことが好きなのじゃっ!!」
「ぐぇっ…な、渚…苦しいっ…! ちょっと、本気で…頸動脈、圧迫してるから…! ホントに、意識が…っ!」
「そうやって病弱な振りをすればお茶を濁せると思っとるのじゃろうが、そうはいかぬぞ! 今回こそ、きっちりと! 後輩達にも示しがつくように! その性根をトコトン叩き直してやるわいっ!」
「叩き直される…どころか…心が…折られる…っ!」
こうした賑やかなじゃれ合いは、辛苦を乗り越えた者たちが分かち合える微笑ましい安らぎだ。
この安らぎを享受できる権利を持ちながらも、彼らの輪の中に入らず、離れた所から独り静かに見守っている者がいる。ノーラである。
彼女が安らぎの輪の中に入らぬ理由は、明白である。ただ独りだけ部員でないという立場が、今頃になって疎外感を喚起したのだ。これまでは立場の垣根など気にする余裕もないほどに、目の前のやるべきことにだけ集中し続けてきたのだが…こうやって平穏を得た今では、余計なことにまで変に気が回ってしまう。
(星撒部の皆さんは、こうやってずっと、一丸となって艱難辛苦を乗り越えてきたんだろうな…。だから、絆が深くて、出来上がったパズルみたいにしっかりと結びついてるんだ…。
私なんてぽっと出の存在は、どこにも入り込む隙間なんてないよね…)
自身が勝手に作り出した疎外感が
周囲が盛り上がるほどに、心が冷え込んでしまう。そんな厄介な精神構造になってしまったのは、いつから、どんな理由からだろうか。…おそらくは、一族の夢と希望を押し付けられて育った幼い頃には既に、歪んだ根が培われてしまったのだろう。
今回もまた、暗澹とした習性の中に埋没してゆく…かに思われた、その矢先。彼女の鉄格子の破壊者が現れる。
その人物は不意に、ノーラの背後からガバッと抱きついてくる。
「ノーラちゃぁーんっ!」
「!?」
突然のことに戸惑ったノーラは、慌てて視界を巡らせて"人物"を眺める。そこにいたのは…頭に赤いベレー帽と、その両脇に狐耳を据えた少女、ナミトである。彼女の臀部から生えた尻尾は、とても嬉しげにフリフリと元気に宙を泳いでいる。
「なになに、一体どうしたのー? 今回の事件で大活躍した主役さんが、こんなところで独りにアンニュイに浸っちゃってさー!
もっと胸張ってさー、ロイや副部長みたいにパーッと騒ごうよー!」
子犬のように頬を肩にすり付けながら、ナミトが弾む口調で楽しげに語る。ノーラはくすぐったさに震える声で返す。
「あの…ロイ君は騒いでいるというより…痛がってるだけだよね…?
それに…私、主役でもなんでもないよ…。部員の皆さんに、助けてもらってばかりだったし…最後の方は、休んでばかりだったし…」
「なーにを
ノーラの自信なさげな言葉をかき消して、ナミトが元気に声を上げる。
「イェルグ先輩やヴァネッサ先輩たちに聞いたよー! 初めて天使型災厄に対処したはずなのに、ベテラン並の機転と行動力だったってさ! それに、初めての士師との交戦でも、大金星上げてるじゃん! これを大活躍と言わないなら、地球人類初の月面降下も庭の草むしり程度の活躍としか言えないよー!」
「で、でも…それなら…士師と戦ってなお、天使との戦いを続けたロイ君の方が、私より何倍も凄い活躍してるよ…。主役というなら、ロイ君の方が…」
「ロイのことは、いーの! あいつはバカが付くほどタフで頑丈なことだけが取り柄なんだからさー! 石に硬いことを褒めるようなモンだって!」
「でも…でも…それなら…」
躍起となって自分の成果を貶める、ノーラ。その態度にナミトは眉根にしわを寄せて、怪訝そうに眉を跳ね上げる。
「んもー! なんだってそんなに、遠慮っていうか、謙遜っていうか、しちゃうかなー!
素直に自分のことを褒めて、胸を張って! 楽しく騒ごうよー、みんなと一緒にさー!」
「でも…私は…部員の皆さんと違って…仮入部の身と言うか…場に流されて、ここに来ちゃっただけで…。そんな私が、皆さんと肩を並べるのは…」
「え…まさか、そんなコト気にしてたの!?」
ナミトは酷く驚いた様子でノーラから身を離し、パチパチと大きく瞬きして困惑を見せる。
「部員だとか、そうじゃないとか、そんなの関係ないじゃん!
一緒に困難に立ち向かって、戦って、勝利をもぎ取った仲間じゃん! そう! 私たち、もう仲間! もう友達なんだよ!」
「で、でも…」
まだまだ意固地になって、ナミトの言葉を否定しようとするノーラであるが…。
「うんうん、ナミトちゃんの言う通りよ。ノーラちゃん、あなたはもう、私たちの仲間だわ」
ノーラが言葉をかき集めて反論を組み立てるよりも早く…新たな声が、ノーラの意固地な孤独に柔らかく響く。その声の主は、ゆっくりした足取りで近寄ってきたアリエッタだ。
アリエッタは部室で見た時と同様、ニコニコとした柔和で優美な微笑みを浮かべたまま、可憐な桜色の唇でホッコリとした声を奏でる。
「確かに、ノーラちゃんは渚ちゃんに強引に連れてこられちゃったかも知れない。
それでも、今回の事件に心を痛めて、解決のために尽力しようと決めたのは、誰に強制されたワケでもなくて、ノーラちゃん自身だったじゃない? 苦しんでる誰かのために、何かをしてあげたいと思うだけでなく、出来ることを実践した…それだけでもう、私たちと肩を並べているのよ。
そして、誰かを助けたいという想いを力に変えて、強大な敵に打ち勝ったのは、紛れもなくノーラちゃん自身よ。ヴァネッサちゃんは、その手伝いをしたかも知れないけれど、その激励を受け取って力に変えたのも、紛れもなくノーラちゃん自身だわ。
その成果は、誰にも遠慮する必要のない、確固たるものよ。自信を持つことに、胸を張ることに、後ろめたいことなんて何もないのよ」
「…でも…私は…」
なおも頑なに卑下を貫こうとするノーラに、さすがのアリエッタも困った色をたたえた苦笑を浮かべる。だが、何らかの妙案が浮かんだのだろうか、突然表情から苦々しさを取り除き、満面に浮かべた純粋な笑顔のまま、パン、と元気よく手を打ち合わせる。
そしてアリエッタが向き直ったのは…ノーラではなく、ナミトである。
「そうだ、ナミトちゃん。折角、みんなで一丸となって困難を乗り越えたんですもの、ささやかながらお疲れさま会を開きましょうよ。
私、部室に戻ったら早速、ココアの準備をしようと思うの」
「え!? 先輩のココアですか!?
ぃやっほぉーっ! やった、やったぁーっ! アリエッタ先輩のココアだぁーっ!」
ナミトは小躍りして全身で嬉しさを表現すると、その勢いのまま飛び跳ねながらノーラの手を取る。
「ノーラちゃん! アリエッタ先輩のココアだよーっ! 勿論、初体験だろうけどさっ、ホントに凄いんだよー! もう、学園のカフェのココアなんて目じゃないくらいにさーっ!
そう言えば、ノーラちゃんはカフェのココアは体験済み?」
「い、いえ…」ナミトの勢いに気圧されつつも、生来の生真面目さに従い、ノーラはきちんと答える、「そもそも、学園のカフェに行ったことがないから…。学食には行くんだけど…カフェには行く目的がなくて…」
「そーなんだー。それじゃあ、大変だねぇ…」
「大変…なの? どうして…?」
「だって、学園のカフェ未経験にして、カフェのココアが飲めなくなっちゃうんだもん。
カフェのココアって、女子には人気のメニューなんだよー。でも、アリエッタ先輩のココアに比べたら、小石とゾウって感じだね!」
「そうなんだ…それは楽しみだね。部員の皆さんで、楽しんでください…」
「なーに言ってるの、ノーラちゃん! ノーラちゃんも参加するんだよ、お疲れさま会! 今回の事件に参加したんだもん、参加は義務だね!」
「え…そんな…私、部員じゃないですし…義務と言われても…!」
オロオロと抗議するノーラであるが、ナミトは全く聞き入れない。どころか、アリエッタに向き直ると留まらぬことを知らぬ勢いで話を進める。
「先輩がココアを作るなら、私はチーズケーキを作っちゃいますよー! ちょっと時間は掛かっちゃいますけど、ロイに頼めば冷やす時間が掛からないですしね!」
「あらあら、ナミトちゃんのチーズケーキに私のココアを合わせられるなんて、光栄だわ。
ナミトちゃんのケーキったら、ケーキ屋さんのものよりサッパリしていて、上品なんだもの。とっても優雅なお疲れさま会になりそうね」
「いやー、そんなに褒められると照れちゃいますよー! それほどでも、ありますけどねー、ナハハー!」
ナミトが舞い上がってはしゃぐ間、ノーラは静かにこの場を退散しようとしたが…クルリと振り向いたナミトにガシッと捕まってしまう。
「ねぇ、ノーラちゃん! チーズケーキは好きー!? チーズケーキ以外のケーキでも、何か好きなものってあるのかなー!?」
ノーラに答える義務などない。振り払って孤独を貫くことも出来た。それでも答えを返したのは、やはり彼女の生来の性質のせいだろうか。
「ケーキは…あまり食べたことないので、好き嫌いと言えるほどではないですけど…。少なくとも、チーズケーキを嫌う理由は、ないです…」
「ええー!? ケーキ、あんまり食べないの!? 女の子のソウルフーズ、ケーキを!?」
「うん…。故郷には、ケーキなんてお菓子はなかったし…。誕生日のお祝いに、特別なお菓子を食べる習慣もなかったから…。
ケーキを食べたのは、地球に来てからが初めてで…」
「なんてこったぁーいっ! ケーキを知らない女の子が居たなんてーっ!」
ナミトは頭を抱えて蒼天に向けて悔しげ叫ぶが…ブンッと全身を揺さぶりながら姿勢を戻し、ノーラの両肩に手を置く。その時のナミトのブラウンの瞳には、キラキラと輝く星が浮かんでいる。――己の中にある希望と喜びの輝きを、他人の闇に飛び火させんとする、轟々たる星の光が。
「大丈夫だよ、ノーラちゃん! このスイーツ先生ことナミトと、スイーツ師匠ことアリエッタ大先輩が、これ以上ないほど丁寧に! ケーキやココア、そしてチョコレートなんかについて、じーっくり教えちゃうから!」
「え…あの…私、お菓子には別にそれほど興味は…」
やはり抗議するノーラであるが、ナミトの勢いはそんな彼女の態度をも飲み込んで驀進する。
「まず、ケーキといえば、基本中の基本、イチゴのショートケーキ! これはさすがに、ノーラちゃんも食べたことあるよね!? 学食でもたまに出るしさ?」
「それは…見たことはあるんだけど…実際に食べたことは…なくて…」
「ちょぉぉっ! アリエッタ先輩っ! ここに、強敵がっ! 乙女でありながら、乙女を捨て去ろうとしている強敵がいますっ!
イチゴショートを食べたことのない女の子が居ようとは…!」
「まあまあ、人はそれぞれ違った環境で生まれ育ったのですもの。ましてや今は、『
アリエッタはナミトを諭すと、ノーラに向き直って語る。
「それじゃあノーラちゃんは、どんなケーキなら食べたことあるのかしら?」
「ええと…シフォンケーキというものと…確か、シャルロット、という名前をのケーキだったと思います。
食べ物とは思えないような、とっても綺麗で可憐さだったので…どんな味がするのか、どうしても好奇心に勝てなくて…。
食べてみて、びっくりしました…見た目に劣らない素晴らしい味だったので…」
「シャルロットかー!」
すかさず反応したのは、ナミトである。
「あれ、一回作ったことあるけどさー、すっごい手間掛かるんだよねー! スポンジ作って、ゼリーを挟んでさー、あれは大変だったなぁー…。
でも、手間暇かけて作った甲斐のある、美味しくてカワイイケーキになるんだよねー!
そっかー、食堂で出してたことあるんだー! それは初耳だなー!
ねぇ、ノーラちゃんって、食堂ではいつもどんなもの頼むの!? やっぱり、デザートは毎回の必須だよね!?」
「えーと…デザートは…あまり頼まないな…。変わった感じのものがあると、つい頼んじゃうことがあるくらいで…。
普段は…AかBの日替わりランチを頼んでるの…。私…メニューが多いと目移りしちゃうから…日替わりランチだとその日その日で別のメニューだし、栄養のバランスも良さそうだから…頼んじゃうんだよね…」
「へえー、なんか意外だなー! ノーラちゃんって優等生だって聞いたからさー、食事にもキッチリした理論的なポリシーっていうか、拘りがあるのかなーって思ってたんだけどさー!
それじゃさ、AとBって、どういう基準で決めてるワケ!?」
他愛もない話であろうとも、非常に楽しそうに食いつき、深く食いつくナミト。流石はなんでも楽しんでしまう性格の持ち主である。
そしてノーラも律儀な性格を発揮して、逐一答える。
「うーん…取り合えず、辛くなさそうな方を選ぶかな…。私、辛いの苦手だから…」
「そうなんだ!? それじゃ、カレーライスとかもダメ!? あんな美味しいもの、食べられないなんて、可哀想ーっ!」
「いえ…カレーライスは別です。ただ…あまり辛いカレーは、やっぱりダメですけど…」
「それじゃあ、ノーラちゃん」ここでアリエッタが口を挟む、「食堂のブリティッシュ・ビーフカレーって食べたことあるかしら? ココナッツミルクを上に掛ける、かなり甘いカレーなんだけど、コクと旨味が他のカレーの追随を許さないわ。
もし食べたことがないなら、一度食べてみることをお勧めするわ」
「そうなんですか…ちょっと興味ありますね…そのうち、食べてみたいと思います…」
「その時はさ、私も呼んでよ! 一生に食べようよーっ!」
ナミトが再びノーラにガバッと抱きついて言う。
「友達と食べると、美味しさ2倍! 楽しさも2倍! だよー!
私、別なカレー頼むからさ、一緒に食べっこしようよー!」
「え…あの…」
ノーラはほんの少し、逡巡する。それはもちろん、彼女の普段からの頑なさも由来している。しかし、それだけならば、ノーラはすぐに首を横に振ったであろうが…そうしなかったのには、彼女の心境に生じた変化に理由がある。
彼女は今、部室で折り紙をしていた時と同じ感情を…楽しさを、味わっている。
ナミトの子供のような愉快さ。アリエッタの母性を感じさせるような優しさと穏やかさ。それらに包まれての会話は、ノーラの心に温かく響き、心地よさを呼んでいるのだ。
(この感覚を…もっともっと、味わっていたいな…)
そう胸中で呟いた、その時。ノーラの頭は、自然と縦に振れる。直後、ノーラは自分の行動に一瞬、はっと目を丸くしたが…首を横に振って、行動を撤回することはしなかった。それどころか、はにかみながらも、徐々に照れの色を消した嬉しげな美しい微笑みを満面に浮かべる。
「…うん…迷惑じゃなければ…是非…」
この言葉を聞いて、ナミトはぱぁーっと、曇天の合間から輝かしい陽光が漏れるような有様で満面の笑みを浮かべると、ノーラに頬ずりを始める。
「もっちろんだよーっ! 迷惑なんてこと、あるワケないじゃーんっ! 一緒に楽しんじゃおーっ!」
すると、2人を見ていたアリエッタも、普段のニコニコした笑みに更に輝きの花を添えて、ナミトの言葉に乗る。
「その時は、ナミトちゃん、私にもナビットで連絡を頂戴ね。私もノーラちゃんと一緒に、ランチを楽しみたいんですもの。
ひょっとしたら、私のクラスメートの友達も何人か行くかも知れないけれど…大丈夫よね?」
「先輩のお友達なら、大歓迎ですよーっ! ねっ、ノーラちゃん! "お友達の友達は、私の友達"だって、言うもんねー!
ああーっ、こうやって広がってゆく友達の輪、なんて素晴らしき、楽しき世界ーっ!」
しまいにはナミトは、ノーラから身体を離すと、握った両拳を"うおーっ"と元気よく天に振り上げて、叫んだ。その勢いにノーラは押され気味で、笑みに少々苦いものを交えたが、すぐにクスクスと愉快に楽しむ笑い声を交える。
そんなノーラの様子を見たアリエッタは、自らもウフフフ、と上品に笑い声を上げながら、胸中で安堵の言葉を独りごちる。
(ナミトちゃんの勢いを利用させてもらって、正解だったわ。ノーラちゃんの堅さを、少しでも柔らかくできたもの)
アリエッタが会話にナミトを巻き込むようにしたのは、彼女の計算によるものだ。無用な遠慮と緊張が作った檻の中に閉じこもるノーラの姿が心苦しかったアリエッタは、なんとかしてその堅さを融解したかったのだ。それは単に、アリエッタ自身の価値観が生み出したお節介だったかも知れないが…こうして自然に笑うノーラの姿を見て、自分のしたことは正しかったのだと、アリエッタは確信する。
その後も3人は、学食の話を中心に他愛のない話で盛り上がり続ける。ノーラの堅さは時を追うごとに消えてゆき、徐々に本音をぶつけるようになる。
「…あのメニューは、正直、ガッカリしましたね…。すごく美味しそうに見えたのに…食べてみると、なんだか薬みたいな味がして…スパイスなのかも知れませんけど、スパイスって食欲を促進させるものですよね…? あれじゃあ、食欲を減退させるだけですよ…」
「あーっ、それ、私も食べたーっ!
なんか変わった卵料理だなーって思ってさー! 卵の黄色が綺麗だったし、フワトロっとしてそうだったからさー、私も騙されちゃって!
すっごい、ゲロマズだった! さすがの私も、笑いが凍り付くところだったね…」
「私は幸いながら、食べなかったわ、それ。一昨日のメニューだったんでしょ? その時って私、渚ちゃんと部活で炊き出しに行ってたから、そこで一緒にご飯も食べちゃったのよね」
「アリエッタ先輩の炊き出しですか…とっても美味しそうなんですけど…どんな料理だったんですか…?」
「シーフードカレーを作ったのよね。渚ちゃんがひたすら、具材を切ってくれてね…。渚ちゃんって、結構料理上手なのよ。一度ご馳走になってみるといいわ」
「へえー、それは私も初耳ですね! あとで部長に確認しておこうーっと!」
こうして3人もまた、賑やかな会話の花を咲かせていると…フラフラ~っとやってくる、1つの人影がある。
「ああ~…美少女3人の
「…うっわ、出たよ…この軽薄変態男」
ナミトが笑顔を一転、冷たい陰を含んだ苦笑を浮かべて、ジロリと大和を睨む。すると大和は、愕然とした衝撃にガーンッと打たれ、ワタワタと腕を振りながら言い返す。
「ちょっ…変態って何スか!? ナミトちゃん、紫から染ったみたいな毒舌、やめて欲しいッスね! オレはこう見えても、繊細なんスよ!」
「だって、事実じゃんかー」
ナミトはジト目を崩さずに、冷たく、非難の色すら交えて責める。
「女の子と見れば、学園の生徒だろうが、部活の依頼人だろうが、誰彼構わず声を掛けてるじゃん。脳と下半身が直結してるってはっきり分かるんだよね。すっごい、キモい」
「そ、そんな…キモいだなんて、あんまりッスよぉ…」
大和は涙声になりながら、潤んだ瞳をアリエッタに向ける。
「アリエッタ先輩、なんとか言ってくださいよー! 全く
するとアリエッタは、ニコニコとした顔を崩さずに唇に指を当て、んー、と唸っていたが。やがて唇から離した指をそのままピンと立てたまま、語る。
「確かに、ナミトちゃんの"キモい"って発言はちょっと酷いかな」
「えー! だって、真実ですよー! この軽薄野郎は、女の子の敵ですってばー! 先輩だって、今まで散々見てるじゃないですかーっ!」
抗議するナミトを
「大和君も反省すべき点があると思うの。確かに、女の子の気持ちを考えないで軽薄な行動をとることがあるものね。そういう点を直さないと、女の子たちから嫌われちゃうわよ」
「そ、そんなぁ…!」
大和は袖で涙を拭く動作をしたが…ノーラはしっかりと見た、彼の目は潤んではいるものの、涙は一滴も貯まっていなかったことを。こういう芝居がかった動作で同情を引こうとしたりするから、軽薄だなんて評価されてしまうんだろうな、と苦笑いしながら納得する。
「…先輩に言われたから、"キモい"ってのは撤回しとく」
ナミトはムスッとした顔で言い切る。大和の軽薄さを差し引いても、彼に対する態度が冷たく険しい気がするが…過去に何かあったのかも知れない。
「それで、不届き者の大和くん」
「ナミト…だから不届き者って…
…まぁ、もう、良いッスよ、それで。変態よりはマシッスからね…。
で、何スか?」
「何の用があって、私たちの花園を踏みにじりに来たワケ?
…そういえば、ノーラちゃんと一緒に作業してたらしいけどさ…それを口実に、ノーラちゃんに言い寄ろうってンじゃないでしょうね!?」
「踏みにじりにって…ホント、ナミトはオレには酷いなぁ…。
いや、ちょっとお手洗いに行ってたら、みんなグループ作ってワイワイしててさ…寂しかったから、人の多いノーラちゃんのところなら、受け入れてくれるかなーと思って、来てみただけッスよ…」
ここまで、ナミトの非難に満ちた口振りに遠慮して、大人しく、ちょっと切なげに語っていたが…。
「そしたら!」と、突如元気の炎を取り戻し、手をパンッと慣らし、ニカニカと歌うような上機嫌さで語り出す。
「ノーラちゃんと一緒にランチする話が聞こえたじゃないッスかぁ! それでオレも、是非是非! ご一緒させてもらいたいなーって思ったンスよー!
しかもしかも、アリエッタ先輩のご友人まで一緒になるかも、って話も聞こえるじゃないッスかぁっ!
いやー、視界一面、美女祭の始まりの予感しまくりッスよぉっ! この祭りに参加しないだなんて、男の名が廃るってもンスよっ! テンション上がりまくりッスよぉっ!」
「…やっぱ、下半身が反応してるだけじゃん。クッソ変態」
「あっ、また変態って言ったッスねっ!?
アリエッタせんぱぁいっ、また酷いこと言ってますよ、この狐娘ぇーっ!」
「んー、でも、私も今回は、大和君の動機は不純だと思うわ。年頃だから逸る気持ちは分からないでもないけど、ほどほどに抑えないと、女の子に嫌われちゃうわよ」
「そ、そんなぁ…先輩まで…っ!
…いや、そうだっ! ノーラちゃんっ!」
ここまでの経過を、楽しいコントのように客観視していたノーラであったが、突然大和にガバッと両肩を掴まれ、顔をズイッと寄せられると、ビクッと身体を身体を硬直させる。
「え…な…何…かな…?」
「ランチ会の主役は、ノーラちゃん! つまり、他の誰が何を言おうと、ノーラちゃんの許可さえ取れれば、誰にも文句を言われないっ!
と、言うことで! ノーラちゃん、オレもランチに同席させてもらえないかな!? かな!? かなぁっ!?」
余りに必死に訴える大和の態度に、ノーラは思わず腰が引ける。何故ここまで情熱を注げるのか、彼女は全く出来ない。
だが…何はともあれ、返答しておくとする。ノーラはニコリと笑むと、首を立てに振る。
「うん…私は、良いよ…」
「ノォォォラちゃぁぁぁんっ!」
大和が女神を拝むような盛大な歓声を上げた一方で、
「えええええぇぇぇぇぇっ!」
苦虫を噛み潰したようなゲンナリした表情で、ナミトが抗議の声を上げる。
これで大和の大勝利…かと思いきや。ここでノーラは、意地悪気な笑みを浮かべ、大和にグサリと言葉の釘を刺す。
「でも…私含めて、同席してる女の子にナンパしたら…お尻を蹴って、ランチ会から追い出すね」
「そ、そんなぁ…! ノーラちゃんまで、そんなこと言うなんてぇっ!」
大和の顔色がコロリと代わり、失意の蒼白になり、いよいよ泣き顔になる。と言っても、本気で泣き出しそうな雰囲気はなく、むしろどこか楽しんでいるような気配がする。なんだかんだ抗議してはいるが、イジられるのが好きらしい。そんな彼の性格を覚ったからこそ、ノーラは彼に意地悪を言ったのだ。
しかし、今までのノーラならば、例え相手がイジられるのを好もうとも、絶対にイジるような台詞は言わなかっただろう。相手のことが申し訳なく感じるというのも理由の一つだが、人とあまり深い関わりを持たないで来た彼女は、コミュニケーションから楽しみを得ようなどとしなかったからだ。
そんなノーラが今、積極的に会話を通じて楽しさを貪っている。というのも、彼女は今、部室で部員達と折り紙をしていた時に感じていた時と同じ楽しさ、嬉しさ、そして一種の興奮を再び得ているからだ。
こんな風に彼女を変えたのは、アリエッタの誘導も勿論一因であろう。それが引き金となって、これまでの苦楽を一緒に乗り越えてきた一体感が、ようやくノーラの中で実感となったようだ。
(私も、この楽しさの輪の中に、入っても良いんだ…! みんなは自然と受け止めてくれるんだ…! 壁を作っていたのは、私自身だったんだ…!)
今をもって、ノーラの精神が作り出した鉄格子は、完全に瓦解した。
それから4人は、大和をちょくちょくイジりながらも、賑やかで和やかな、笑いの絶えない会話を楽しむ。
そんな時、ふと、ノーラは気付く。
「そういえば…イェルグ先輩とヴァネッサ先輩の姿が、見えないようですけど…? どうしたんでしょうか…?」
すると、チッチッチッ、とナミトが下を打ちながら指を左右に振り動かす。
「それを訊くのはヤボってもんだよ、ノーラちゃん。お2人は誰もが認める恋人同士。その2人が一緒に苦境を乗り越えたんだよ? そしたらやることは…ねぇ…」
ナミトがポッと顔を赤く染め、俯いて見せると。ノーラもその仕草から、はっと想像…と言うか、妄想を
そこにアリエッタが慌てて手を振りながら口を挟む。
「いえいえ、あの2人に関してそういう…その…いかがわしいことはないからね。
ヴァネッサちゃんが、ホール内の避難民の方がどうしても気になるみたいでね。イェルグ君はその付き添いよ。
イェルグ君としては、落ち着いたこの都市の青空を散歩…というか、散飛び? したかったみたいだけどね」
「そ、そうだったんですか…」
ほっと安堵しつつ、ドキドキする胸に手を当てて鼓動を抑えようとするノーラ。それに対して…。
「あーっ、先輩ーっ! すぐ正解教えちゃってーっ! ノーラちゃんが恥ずかしがるところ、もうちょっと楽しみたかったのにーっ!」
顔色をコロッと変え、頬を膨らませて抗議するナミトであった。
そこへ大和が、精一杯キザな表情を浮かべると、カッコつけて前髪をかき上げながらほざく。
「なんだい、君たちもステキな男性と2人きりのランデブーをしたいなら…ここに1人、イケメンがいるじゃないスか。
さあ、ハニーたち、オレの胸に飛び込んで来なよ」
ラブオーラ全開でウインクするものの…女子3人は呆然とした、白けた視線を向けるだけだ。特にナミトは、これまで以上に露骨で険しい嫌悪を込めて睨みつける。
「…そーゆートコがキモ過ぎだって言ってんのよ、変態」
「なっ…! だから、変態って言い方は、止めろって言ってるじゃないスか! なんでナミトは、いつもオレに冷たいンスかぁっ!」
「自分の胸に手を当てて聞いてみろ! 変態変態、ド変態ーっ!」
「アリエッタせんぱぁいっ、またナミトが酷いこと言うんですよーっ! 諫めてくださいよーっ!」
「んー、私も今のは、キモいと思ったわ」
「大和君…私もすごく、気持ち悪かった…」
「うわぁぁぁん、もう泣いてやる! 泣いて副部長に………いや、副部長はダメか………えーと………そうそう!
部長! そう、部長に! 言いつけてやるッスぅぅぅっ!」
…と、賑やかな時間はまだまだ続いていきそうだ。
こうして星撒部の部員達が楽しんでいるところへ…1人の男がスッと姿を現した。
この男は、壮年に差し掛かった年齢の、スラリとした長身痩躯の持ち主である。ただし、ヒョロヒョロした脆弱さは感じられない。その細身からはギュッと引き締まった力強さと鋭さがにじみ出ている。そんな彼の体を覆うのは、濃緑色をした厚手のコートである。その胸元にはハトの羽根を持つ輪をまとった地球のマーク、すなわち、『エグリゴリ』の紋章がある。その他、大小様々な勲章が『エグリゴリ』マークの下に並べて飾られており、この人物が組織の中でも高い地位と確固たる名誉を持っていることが分かる。目深に被っている濃緑色の帽子の中央にもまた、『エグリゴリ』の紋章がデンと据えてある。
この人物を目に入れた渚は、蒼治をいじる手を直ちに止める。突然解放され、ケホケホと咳をしてうずくまる彼を
「これはこれは、『エグリゴリ』第23軍団にこの人あり、と謳われる名士、エルロン・アルバーグマン大佐殿ではありませぬか。
随分と"お早い"ご到着でしたのう」
『エグリゴリ』の行き足遅い行動に対して露骨な嫌味を込めた言葉に対し、男――エルロン・アルバーグマン大佐はひび割れた薄い唇に苦々しい自嘲の笑みを浮かべる。
「君たちからの不平不満は、甘んじて受けよう。実際、今回の災厄に際しては、私たちは全うすべき職務を何一つ果たせなかったのだからね。
今回もまた、世話になってしまったね。第23軍団を代表して、心から感謝を伝えたい。
本来ならば、大きな功績を上げた君たちの元にこそ、真っ先に挨拶するべきであったとは思うが…この都市の市長から、すぐに顔を出せとのお達しがあってね。被害者感情を鑑みた上で、そちらを優先させてもらった。この点について、ご理解いただきたい」
エルロンは帽子を取って胸元に置き、深々と頭を下げる。これを見た渚は、別にそんなことしなくても良い、という意向を尊大な手振りで示す。
「わしらは別段、おぬしたちに恩を売りたくて活動しているワケではないわ。人として、"希望の星を撒く"者として、当然のことをやっておるまでじゃ。
それに、被害者を優先して活動するのは、人助けの基本じゃ。そのことで気を悪くするような愚かな輩は、わしらの中には居りはせんよ」
「君ならばそういうだろうとは思っていたが…こちらとて、"地球を護る"という大義の元で活動する者。キッチリと筋だけは通しておきたいのだよ」
「相変わらずお堅いヤツじゃのう。まぁ、そういう部分がおぬしの良いところでもあるがのう」
年齢も立場もかなり異なる2人であるが、一連のやり取りを見るに、相当見知った仲であるようだ。しかし、それは不思議なことでないかも知れない。星撒部は噂通りならば、度々『現女神』を初めとした、地球規模の事件にも首をつっこんでいる。本来そういった類の事件を担当する『エグリゴリ』と関係を持っていても、おかしくはない。
エルロンの律儀な態度に気を良くしていた渚であったが、その顔が不意に曇る。
「しっかし…おぬしらが多忙であることは知っておるが、それにしても今回の失態はヤバ過ぎじゃろ。"獄炎"のヤツ、降臨までしようとしおったぞ」
「…それは、俺達が『現女神』の思惑を大きく超えて動いたからだと思うんだけど…」
足下で蒼治がボソリと呟いたのを渚は聞き逃さず、踵で彼の額をゴツンと蹴り叩き、黙らせる。
「ともかく、じゃ」
渚はゴホン、と咳払いをして続ける。
「これほどの大規模な求心活動に対して、偵察部隊すら寄越さずにスルーとは、完全にアウトじゃろ。市長はさぞや、立腹しておったじゃろうな」
「コップを投げつけられたよ。お陰で、今も物理的に胸が痛い」
エルロンは苦笑いしながら、トントンと右胸を拳で軽く叩いてみせる。
直後、彼はハァーと深く溜息を吐き、苦々しい笑いすら消して、暗く重い口振りで語る。
「言い訳にしかならないが…今回はあまりにも状況が悪過ぎた。
詳しいことは語れないが、我々は要対応事案を多数抱え込んでいてね。そこにつけ込むようにして、"獄炎の女神"が複数の都市国家で一斉に求心活動を展開したのだよ。
どの事案も、下手に戦力を裂くことが出来ない難しいものでね。"獄炎の女神"の求心活動については、
そしてこのアオイデュアは、観測時点において、被害を受けている都市国家の中で唯一、士師の活動が見受けられなかった都市だったのでね。優先度が最も低く設定されてしまったのだ。
君たちが居てくれて、本当に幸いだった。まさかこの都市国家に『現女神』が降臨して来ようとは、思っても見なかったよ。本当に君たちのお陰で、一つの都市国家が壊滅の危機から救われた。改めて感謝の意を伝えたい、ありがとう」
エルロンは再び帽子を取り、深く頭を下げる。しかし、その誠意ある態度を目にした渚は、あろうことか怪訝げなジト目で彼を睨んでいる。
「とか何とか言っておいて…本当は、わしらがこの都市に居ることを良いことに、職務を丸投げしたのではないか?」
「いやいや、滅相もない」
エルロンは帽子を被り直しながら、薄く笑って答える。
「我々の魔導観測衛星がいくら高精度であろうと、数千万人の人々の中から居るか居ないか確証のない人物を逐一走査するような真似は、莫大な手間がかかるのだよ。我々の観測班は、そんな手間を一々かけられるほど暇ではないよ」
「さーて、どうだかのう」
渚はジト目のまま疑った物言いをしたが…すぐにその態度を改め、真剣な、そして苦々しさが滲む表情を作り、引き続いて問う。
「それで、他の場での『エグリゴリ』の首尾はどうなのじゃ? このアオイデュアのように、失態をやらかしたりはしておらんじゃろうな?」
渚の問いに、エルロンもまた真剣な表情を作って答える。
「"獄炎の女神"の求心活動への対応については、大体は上々だな。すでに交戦を終え、復興のフェイズに入っている箇所が大半だ。
未だに交戦状態が続いている箇所もあるが、このアオイデュアで君たちが"獄炎の女神"を追い返した頃を境に、敵勢力の勢いが急激に落ち込んだらしい。状況の解決は時間の問題だろう。
ただ…他の問題への対応については、ボチボチだね。どの問題も、解決にはまだまだ時間がかかりそうだ」
「むうぅ…。この地球、まだまだ平穏にはほど遠いのう…」
「今やこの惑星は、銀河系宇宙のみならず、あらゆる異層世界宇宙から注目を受けている身だ。トラブルが起きない方が不思議だろう。
それにしても、君がそんな台詞を口にするとはな。いくら努力しても報われた気がしない…そんな先の見えない現状を痛感して、流石の君も弱気になったのかな?」
ここぞとばかりに余裕ある態度で語るエルロンに、渚は再びジト目を作って睨む。
「相手にしている問題の莫大さを理解できぬほど、わしも向こう見ずではないわい。単に、この瞬間も笑顔と希望を惨劇に潰されている者達がいると思うとな、ふと悲しい気持ちになるのじゃ。
それに…"報われない"、なんてことはないじゃろ。そりゃあ、山積している問題に比べれば、わしらの成果はあまりにい小さいかも知れぬ。じゃが、笑顔と希望を振りまいておるのは事実じゃよ。それを実感できるだけでも、わしらは十分報われておるよ」
「…ふむ、野暮なからかいをしてしまったようだな」
エルロンは穏やかに目を伏せ、自嘲の笑みを浮かべながら呟いた。
続いてエルロンは目をパッと開くと、少し怪訝そうな表情を作る。
「ところで…何故君たちは、こんなところでコソコソ集まっているのかね? ホールのどこにも見当たらないのでね、探すのに多少手間取ってしまったよ。
君たちはこの災厄の英雄であると同時に、被害者でもある。私の部下の治療を受けながら、のんびりと休んでいれば良いだろうに」
すると渚は、口角をヒクヒクさせる苦笑を浮かべ、多少の非難を交えた視線をエルロンに送る。その表情からは、"おぬしこそ、きちんと空気を読め"という言葉が聞こえてきそうだ。
「あんなピリピリした場所で、のんびりできるワケがないじゃろうが。
第一、おぬしの部下たちと来たら、わしらに対して対抗心燃やしまくりで、どこにおってもプレッシャーを感じずにはおられんぞ。
それならば、この澄み渡った青空の下でワイワイやっておる方が、断然気楽じゃわい」
これを聞いたエルロンは、口を「
「それはそれは…すまなかったね。
部下たちは別に、君たちのことを悪く思っているワケではないのだよ。ただ、果たすべき職務を果たせず、学生に全てを任せてしまったことに不甲斐なさを感じてしまっているのだろう。
事後の復興だけでも、"地球の守護者"の名に恥じぬ成果を出そうとしている必死さの現れであると、理解していただきたい」
「まぁ、別にわしとて悪気があると思ってはおらぬがのう…やはり、あの雰囲気はどーにもいかんわい。被災者も落ち着けぬのではないかのう、あんなにピリピリしておっては」
「その忠告も受け取っておくよ。部下たちには、被災者感情を優先して、もっと穏やかに対応するよう指示を出しておくよ」
ここまで語ったエルロンは、不意にハッと何かに気付いて顔を固める。しかしそれも一瞬のこと、すぐに顔をゆるめると、帽子を深く被り直しながら踵を返す。
「さて、そろそろお
それに…私だけが君を独占していては、後のお客に迷惑がかかる」
エルロンの妙な言葉に渚は疑問を浮かべたが…エルロンの肩越しをチラリと見やると、すぐにその意味を覚る。確かに、エルロンの他にも星撒部に用があるものが居る。
「それでは、いつかまた何処かで。
…なるべくなら、戦場でも災害でもない場所で、な」
エルロンは背を向けると、別れの挨拶として腕を上げて振る。渚は相手の視界に入っていないにも関わらず、大仰に頷いてそれに応える。
エルロンがコンサートホールへ向かって歩き、その姿がゆっくりと小さくなってゆく…それと入れ替わるように、早足でこちらに近寄ってくる5人が居る。彼らこそ、エルロンが言っていた"後のお客"だ。彼らの正体を知った渚は、振り向かずに背後へ声を飛ばす。
「蒼治! 虚弱なおぬしでも、そろそろ平気になったじゃろ!?
早ようわしの所へ来んかい! お客様じゃぞ!」
渚の言う通り、蒼治はとっくに首締めの影響から立ち直っており、ノーラたちの所で会話に混ざっていたところだった。だが呼ばれた途端、名残惜しそうな苦笑いを浮かべると、ノーラたちに別れを告げて小走りに渚の元へと駆け出す。その様子は、横暴な君主に仕えて頭を痛める大臣の姿にも似ていた。
蒼治は渚の隣に並んでもなお、眼鏡の後ろ側に苦笑を張り付けていた。が、チラリともこちらを見やらない渚につられて、彼自身も渚と同じ方向に視線を向けると…ハッとして、表情と佇まいを直す。
小太りで背丈の低い、スーツ姿の中年男性を中央に、その左右に2ずつ少女が並んだ、横一列の隊形で近寄ってくる"客"。彼らの顔一つ一つが、渚にも蒼治にも見覚えがある。
数日前、このアオイデュアでコンサートを開くため、星撒部に協力を要請してきたアイドルグループと、彼女らが所属する事務所の社長だ。
学園外部の依頼者から話を聞く場合、原則としては部長のバウアー・シュヴァールと副部長の渚が対応に当たる。しかし、バウアーは独自行動が多く、部室に居ることは非常に希だ。そのため、バウアーは自分が不在の場合、蒼治に代理を頼んでいる。故に蒼治は、星撒部に出入りする客の大半と顔を合わせている。このアイドルグループの時も、蒼治は渚と共に対応に当たっている。
客が間近まで近寄った時、蒼治はニコリと穏やかに笑う。
「ご無沙汰しております。
皆さん、今回はとんだ災難でしたね。しかし、ご無事のようで何よりです」
と、和やかに、そして少々営業的なサービス精神を交えて蒼治が語る一方で…。
「うむ、本当に皆、無事で何よりじゃ」
腕を組んで大仰に首を縦に振る渚の姿は、あまりに不遜で傲慢な風に蒼治の眼には写り、彼は苦笑せざるを得なかった。
だが、客たちは渚の態度にも気を悪くせず、一斉に深々と頭を下げる。そして顔を上げぬまま、社長の男が堅く、そして心底誠実な声を抑えめに出す。
「この度は、本当にお世話になりました。
大した報酬も払えない私たちに対し、皆様本当によく支援してくださいました。
それのみならず、今回の災厄に対しては命までお救い下さいました。
心から感謝いたします。本当にありがとうございました」
「うむ。まぁ、当然のことをしたまでじゃ。
わしら星撒部は、希望と笑顔を糧に活動しておる。おぬしらの希望と笑顔への想いこそ、わしらに対する最大の前払い報酬じゃよ。
それに、命を救う力を有する者が、命の危機に晒されている弱者を助けるのは、義務と言っても差し支えなかろう」
と、渚はひとしきり偉そうに語ったが。直後、バツが悪そうにニヘラと顔を綻ばせ、後頭部を掻く。
「…と、偉そうに言うたが、わしが今回の件に絡んだのは、ほんの最後の最後の部分に過ぎぬ。
頭を下げたくば、おぬしらを始終支え続けたヴァネッサにイェルグ………」ここで渚は少し間を置いた後、小さく呟くように「と、大和」と付け加えた、「…にするが良い。
ただ…ヴァネッサとイェルグの両名はここに居らぬ。ホールの中で被災者たちの様子を見ると言っておったが、会わなかったかや?」
「ええ、お会いしませんでした。
皆様のことを探したのですがね、どこを歩いても見つからず…。『エグリゴリ』の方から、外で見かけたと聞いたもので、急いで探し回り、こちらに来た次第でして」
「ふむ…さてはあの2人…被災者の様子見とか言っておきながら、まーた2人きりで空中散歩でもしておるな!」
渚はそう決めつけて、不機嫌そうに顔をしかめる。しかし蒼治は、それはどうだろうか、と胸中で
とは言え…外部での仕事の際、あの2人は仕事を終えると記念として空中散歩をするのは常のことなので、可能性を完全に否定することができないもの事実である。
それはそうと…渚の軽口を聞いても、なお頭を深々と下げたままの客たちに対し、渚はパタパタと手を振りながら語る。
「おぬしら、そろそろ顔を上げよ。さっきわしも言ったじゃろう、当然のことじゃって。そんなに気にする必要はないのじゃ」
「でも、」社長の右隣に居る少女が、凛としたよく通る声で語る、「人から受けた恩は忘れず、感謝を身に刻み、次の活動の力に変えてゆく。それが、私たちのポリシーなんです。何もお返しできない分、この筋だけはしっかりと通させてください!」
非常に律儀で真面目な態度であるが、渚にはそれが重荷となってのし掛かり、気まずく肩身の狭い思いをする。ひきつった笑顔で頬を掻きながら頼み込む。
「まぁ…その心がけは立派じゃが…ホントにそろそろ、顔を上げてくれぬか。
何か…わしらがおぬしらに悪いことをした気になってしもうてな、落ち着かぬわい」
とても困った響きをたっぷり持たせた言葉に、ようやく頭を上げる5人。そこでようやく渚と蒼治は、客たちの顔を間近でまじまじと見る。
彼らは皆、表情の端々に安堵を浮かべてはいたが…それよりも目立つのは、暗くぎこちない陰である。災厄の際にもホール内にいた彼らは、傷一つなかったし、煤がついた様子もどこにもない。混乱する人々の姿は見ただろうが、自身はほぼ生命の危機に晒されることなく、災厄を乗り切れたはずだ。なのに、安堵よりも不安…というより、後ろめたさ、申し訳なさをふんだんに醸し出している、そんな濃い陰が彼ら全員の顔に漂っている。
アイドルグループの少女たちに関して言えば、メイクを落として素顔を晒しているため、初めて顔を合わせた時とは違った印象を受けるのは確かだ。だが、その影響を差し引いても、この顔色の悪さは気になる。
「むうぅ? 何か気になることでもあるのかや?」
渚は遠慮なく、ストレートに尋ねると。「え…いや…その…」と社長がおずおずと言い繕い始めるが、なかなか言葉が形にならない。そんな彼の後を継いで、左隣に立つ赤毛のショートヘアの少女が語り出す。オドオドとした陰に覆われながらも、強い責任感を想起させるしっかりした態度を鑑みるに、アイドルグループのリーダーらしい。
「私たち…迷っているんです…。このまま、のうのうとアイドルとして活動して良いのかな…って」
その言葉を聞いた渚は、「むうぅ?」と問い返しながら腕を組む。
「何故、そんな事を考える?
今回の件、別におぬしらに落ち度があるワケじゃなし。気にする必要など寸毫もないではないか」
そう渚が何事もなさげに言い返すが、リーダーはゆっくりと首を横に振る。
「私たちは、浅はかで…身勝手で…無知で…そして、無力です…。
この地球でコンサートを開きたかったのは、"戴天惑星"として知られて多くの人が集まるこの場所なら、より多くの人目に触れることが出来ると思った…それだけです。社長は、ファンのためとも言ってくれましたけども…実際は、単に私たちの欲のためでしかありません。
そして、コンサートの最中、この大きな事件が起きた時…私たちができたことは、何もありませんでした。うろたえているファンの皆に避難を呼びかけることも、落ち着かせるように言い聞かせることもできず…ただただ、脅えることしかできなかったんです。
我欲ばかりで、いざと言う時には何もできない、何もしない…そんな私たちが、皆さんの支持を集めて、お金をいただいて活動して行くだなんて…おこがましくて、申し訳なくて、仕方がないんです…。
だから、これからものうのうとこんな稼ぎ方をするのは、おかしいんじゃないかと思って…」
そんなリーダーの言葉に、社長は"そんなことない!"となだめる表情を作り、手振りで落ち着くように訴えるが…。グループのメンバー達も、リーダーと同様の意見を抱いているようで、反論もせずに暗く俯いているだけであった。
これを聞いた蒼治は、同情するような悲哀の表情を浮かべていたのだが。一方の渚は、困ったようにポリポリと頬を掻くと、少女たちの深刻さを一蹴するような軽々しい口調で語る。
「いやいや、何もおかしくないし、気にすることではないじゃろ。
そもそも、おぬしらは無力ではない。きちんと功を残しておるではないか」
そんな渚の言い方に、リーダーは眼をぱちくりとさせたが、すぐにキッと表情を引き締める。まるで、渚の言葉をムキに否定しているかのようだ。
「私たちは、皆さんのように怪物と戦えるワケでもありませんし、命を救うために炎の中を走り回ることもできないんですよ!?
ただただ、安全が確保されたところで着飾って、歌って踊って、マイクパフォーマンスをするだけ! いなくても別に困らない、暇つぶしを提供する程度のちっぽけな存在に過ぎません!
そんな私たちにどうして、無力でない、なんて言えるんですか!?」
「おぬしらは『エグリゴリ』の隊員でも、都市お抱えのレスキュー隊でもない。人命救助や天使どもと交戦をこなせなくて、当たり前じゃろ」
リーダーの必死の訴えにも、渚は全くひるむくことなく、相変わらず軽々しく答える。
リーダーは更にムキになって反論をしようと口を動かすが、言葉を形にするより早く、ニヤリと笑った渚の言葉が滑り込む。
「それに、お主たちは、お主たち自身の力で、お主たちの想いを人々に届けておる。その結果として、笑顔になっておる人々がおる。希望や元気をもらっておる者達がおる。それは紛れもない事実じゃ。
その原動力が我欲であることに、何の恥じらいがあるか? 何をどう取り繕うと、どうせ人は自分の満足のためにしか動けぬのじゃ。
わしらとて、わしらがそうしたいと思うから、そうすることで楽しいからこそ、希望の手伝いをする活動をしておる。
『エグリゴリ』の隊員どもとて、真の意味で滅私奉公しておる者など居るまいよ。それが出来るとすれば、魂魄の壊れた狂人じゃろうよ」
「でも…でも…! 私たちは…!」
なおも食い下がって自己卑下するアイドル達を、渚はちょっとウザったそうに見つめたが。やがて拳を手のひらに振り下ろし、ポン、と音を立てる。何かを思いついたことの現れだ。そしてより一層、張り付けた笑みを大きく、そして挑戦的にし、語る。
「ならば、おぬしらが無力かどうか、確かめてみれば良かろう」
「え…?」
アイドル達にとって、渚の提案は全くの想定外だったようだ。それまでの陰の濃い表情を消してまでも、キョトンとした困惑の表情を作り出す。
そんな彼らを後目に、渚は笑みを浮かべたままながら、ハチミツ色の髪を振りながら大きく手振りをし、蒼治をはじめとして部員たちに指示を出す。
「蒼治! すぐにイェルグとヴァネッサを呼び戻すのじゃ!
皆の者、まったりお喋りタイムは一度、お預けじゃ! ミーティングを始めるゆえ、すぐに集合せい!」
「え…あの…何を…?」
渚の急な動きについていけないアイドル達は、ザワザワしながら渚の元にゾロゾロと集まってくる部員たちにキョロキョロと視線を走らせながら、オロオロと言葉を発する。そんな彼女らの様子に対して、渚は碧眼をウインクしながら語る。
「此度のコンサート、"獄炎"の阿呆のせいで中止になってしもうたのじゃろ?
ということは、わしらもまた、おぬしらの依頼を完遂しておらぬということじゃ。
そこで、じゃ。ここでおぬしらのコンサートを改めて開くのじゃよ。おぬしらは、当初の予定通り、コンサートをやりきることが出来るし、わしらとしては、おぬしらの依頼をきちんとした形で完遂できるワケじゃ」
この提案に、アイドルグループと社長は眼を丸くする。その瞳に映る感情は驚嘆ではなく、混乱と焦燥である。
「でも…!」グループの左端に位置する、青いロングヘアのメンバーが悲鳴のにも似た抗議を上げる、「今は、大変な状況がやっと終わったばかりなんですよ! 避難民の皆さんは、まだまだ落ち着いて居ません! そんな中で、コンサートをするなんて…! 非常識というか…不謹慎というか…!」
しかし渚は、笑顔を全く歪めることなく続ける。
「おぬしら、わしらに依頼をした時に言うたではないか。"夢のあるコンサートをやりたい"、とな。
アイドルが運ぶ夢は、希望と元気の詰まった夢だと相場が決まっておろう?
今、この都市はおぬしらが言う通り、災厄を経て疲弊し、その爪痕が人々の心に不安と絶望の闇を落としておる。
この暗澹とした状況こそ、おぬしらアイドルの出番ではないのか? こんな時こそ、おぬしらの希望と元気を届けるべいじゃろうが」
アイドル達は、俯き加減になりながら、顔を見合わせる。――渚の言うことは、尤もかも知れない。戦場や被災地で人々を励ますために、歌手その他のアイドル達が慰問することはよくある話だ。彼らはまさしく、疲弊した人々の心をに光を届ける役割を担っているのだ――そのように理解する一方で、多大な不安と緊張が彼女らの間に落ちる。
異層世界中に名を轟かす大物であろうとも、災厄の直後に慰問に訪れるような真似はしない。自らの身に危険が及ぶ可能性があるから、というのも大きな理由だろうが、それ以上に被災者の気持ちが慰問に向いてくれないからだ。人々は自らに訪れた恐怖を自己整理するのに手一杯なのだ。そこへ外部からどんな人物が来ようとも、彼らがどんな言葉をかけようと、自己整理の助けになどならない。それどころか、彼らを苛む雑音にしかならず、感謝されるどころか恨まれるのがオチだ――そのリスクを理解しているからこそ、彼はすぐには動かないのだ。
大物ですらそうだというのに、無名同然の弱小グループである自分たちが、一体何ができるというのか? それを考えればますます、"今からコンサートをする"などという行為が無謀で無為なものに思える。
そんな彼女らの思考を読みとり、そしてその不安を吹き飛ばすかのように、渚はニカッとヒマワリのような笑みを浮かべる。
「おぬしらさえ本気でやれるのならば、何の心配もないぞい。おぬしらが心に抱き続けてきた星、見事人々に届けてみせるが良いわい!」
アイドル達がついに、首を縦に振ってしまったのは、渚のこの言葉だけの影響によるものではない。渚の後方にズラリと並んだ星撒部の部員たちが皆、誰一人として欠けることなく、力強く穏やかな笑みを浮かべていたからだ。その柔らかな暖かみに触れて、アイドル達の心にこびりついた不安の霜は、ついに融解したのであった。
…この時、部員でないノーラもまた、部員たちと同様に笑みを浮かべていた。
彼女の笑みは、部員たちのものとは少し意味が異なる。
部員たちの笑みは、自信に裏付けられた、人を安心させる笑みだ。"何も心配することなんかない、任せておけ"と安堵を与えつつも、優しく背中を押す笑みだ。
対するノーラの笑みは、語りかけ、誘う笑みである。"この人たちとなら大丈夫、何だって出来る。私もまた、そうして事を成し遂げられたんだ"と、物語る笑みだ。
アイドルグループのリーダーは、部員たちの笑みをおしなべて見回していたが、特にノーラの笑みを注視していた。その笑みに込められた実体験から来る訴えに、彼女の心が同調したのかも知れない。
そしてその同調こそが、彼女らの頑なな不安の霜を溶かす起点になったのかも知れない。
それが真か偽かはノーラには分からない。だが、リーダーの娘は確かに、ニッコリと、ノーラに向けて笑みを返した。
その時、ノーラは胸が弾け飛ぶほどの興奮を嬉しさを覚え、笑みが更なる大輪の花を咲かせたのだった。