◆ ◆ ◆
その後の星撒部の活動は、これまでの戦いの余韻など感じさせぬほどキビキビとしていて素早く、そして派手であった。
「とりあえず、ステージが必要じゃな」
と、顎に手を当てながら語った渚は、しばし思案する。今のコンサートホール内はどこもかしこも被災者と『エグリゴリ』の隊員だらけ。歌ったり踊ったりする十分なスペースはない。それをいかに確保するか。
この問題を解決すべく彼女が遣わしたのが、ヴァネッサと共に呼び戻したイェルグである。渚になにやら言い含められたイェルグは、雲をまとって街中へと一っ飛びし、しばし姿を眩ます。そして再び姿を表した時には…並の体育館ほどの面積を持つコンクリートの円盤を雲に乗せて運んできた。
これを見たアイドルグループ達は、あんぐりと口を開いて絶句してしまう。
コンクリートの上からイェルグは大きく手を振りながら、叫び声を上げて報告する。
「渚ぁーっ、言われた通り、作ってもらったぜーっ。ホント、今回の『エグリゴリ』の連中は優しいねぇ! 軽く頼んだだけで、二つ返事で了承してもらえてさ! すぐに
「当たり前じゃろう! 今回、あやつらはわしらに完全に貸しを作ったのじゃからなーっ!
もしも拒みおったら、エルロンの奴に小言を言って、無理矢理にでも作らせるつもりじゃったんだがのう! 平和的に事が済んで、何よりじゃわい!」
「あのう…」そこへアイドルグループの一人、豊かな金髪をポニーテールにまとめた少女が尋ねる、「あれは…何なんでしょうか…?」
「無論、おぬしらが存分に歌って踊るための、空中ステージじゃよ!」
「え…く、空中ですか!?」
アイドルの少女は眼を白黒させる。大物のアーティストのライブでは、空中ステージなどの魔術を使った演出は珍しくないが、彼女らのようなまだ駆け出しのアイドルグループには未知の体験である。
しかし、アイドル達には空中ステージに呆気に取られている暇はない。アリエッタとナミトの2人が、アイドル達の背を押してテーブルに連れて行くのである。着いた先のテーブルの上には、大きめの鏡とメイク道具が一式揃っている。
「プロのメイクアップアーティストほどじゃありませんけど、なかなかの腕前だと自負してますから、安心してくださいね」
「うんうん!
私も、自分のは苦手だけど、他人のをやるのはうまいって、よく褒められるんだ! まぁ、騙されたと思って、任せてみなよーっ!」
そして2人は、未だキョロキョロしているアイドル達に有無を言わさずにメイクを施すのであった。
一方…部員の中でも一際多忙を極めている人物がいる。大和である。
彼は今、自身の能力である機械への
「カワイ子ちゃん達の…為とは言え…疲れることは…うひーっ…どんなに精神論でカバーしようにも…はぁーっ…疲れるもんッスねぇ…!」
そんな彼に、ピシャリと言葉の鞭を打つのは、先刻と同様ヴァネッサである。
「全く、情けないったらありませんわね。あなたも紛いなりにも世界を希望の星で満たす星撒部の一員ならば、せめて振りだけでも頼りがいのあるところを見せなさいな。あなたが絶望的な姿を見せてどうしますの?」
「そうは仰いますがねぇ、ヴァ姐さん…」
大和は疲労と共に憤りの混じった震え声を腹の奥底から吐き出す。彼の暗く燃える瞳は、ヴァネッサの方をギラリと見つめている。その視界に映るヴァネッサの姿は…のほほんと椅子に座り、どこからともなく取り出したティーカップで紅茶をすすっている。
「こちとら、ひいこら言いながら作業に勤しんでるというのに…姐さんは一体、何をやってるンスか…!
悠々と優雅なティータイムに浸ってるだけじゃないッスかぁっ! そんな気楽な身の上の人に、文句言われたくはないッスよぉっ!!」
血の涙を流さんばかりの勢いで訴える大和であるが、文句を言われた当のヴァネッサは気を悪くするどころか、小馬鹿にしたように鼻でフッと笑う。
「私の出番は、コンサート開催後ですからね。ホール中に水晶ディスプレイを配置して、依頼主の方々の勇士を観客に届けるという、大事な仕事がありますの。
ですから、今は英気を養っているのですわ」
そんな言い訳で、大和が納得するワケがない。怒らせた肩をプルプル震わせながら反論する。
「…俺なんか、コンサート開催後にだって、作業が待ってるンスよ…! この機械一式を操作するという、大事な作業が…!
でも俺には、英気を養うような暇なんかちっとも無いンスよ! そんな身の上の俺を気遣ってくれるならまだしも、文句を言うだなんて、酷いじゃないッスかぁっ!」
大和は本気で泣き出しかねない勢いで叫び上げる。それでも、作業を放棄したりせず、至って真剣に手を動かし続けているのは感心できる。
しかし、ヴァネッサは大和の訴えを
「文句を言いたいなら、あなたをその作業に割り当てた渚に言いなさいな。わたくしに当たられても迷惑ですわよ」
「それじゃあせめて、そのおくつろぎの姿を、俺の目の届かないところに移動してください…! すごく惨めな気分になって、仕方ないンスよぉっ!」
「どこでティータイムを楽しもうが、わたくしの勝手ではありません?」
「そりゃ、勝手でしょうけどぉっ! なんで俺の近くなンスかぁっ!
イェルグの兄貴の隣に行けばいいじゃないッスかぁっ! 兄貴、ステージを持ってきてから暇そうに空に浮いたままッスよぉっ! 一緒にティータイムを楽しめばいいじゃないッスかぁっ!」
「いえいえ、わかっておりませんわねー。平穏を謳歌するには、暑苦しく働く者を見やるのが一番なのですわよ。ああー、あの方ったらあんなに忙しくて可哀想にー、それに比べてわたくしは何て平和なんでしょうー…と楽しむのが醍醐味なのですわ」
「鬼ッス! 姐さんは本物の鬼ッス!」
「あら、そんなに叫べるほど、まだまだ元気ではありませんの。それなら背筋をピンと伸ばして、清々しく作業なさいな」
「ああああぁぁぁぁーっ! もおおおぉぉぉっ! ちくしょおおおぉぉぉっ!
この仕事が終わったら、絶対に女の子とニャンニャンしてやるッスよおおおぉぉぉっ!」
そんな大和の様子を、少し離れたところから同情の眼差しと苦笑で眺めているのは、ノーラである。
そして彼女はふと、自らを鑑みる。彼女は今、作業を抱えておらず、ぼうっと立ち尽くしているような状態である。他の部員たちの中にも、今は作業を持たずに手持ち無沙汰にしている者もいる…た例えば、ロイと紫だ。2人は絶えず会話をしているが、打ち合わせというよりはふざけあっているような様子である。こんな彼らがいることを考えれば、部員でないノーラが作業無しでも何の気兼ねもする必要はないのだが。生来の生真面目さが、どうにもそれを許さない。
そこでノーラは、腕を組んで作業を見つめては時折指示を繰り出す渚の元へとトコトコ近寄る。
「あの…渚先輩、私にも何か、手伝えることはありませんか…?」
これまで暇を持て余していたことへの申し訳なさを込めながら、オズオズと尋ねる。渚は上機嫌にニカッと大輪の笑顔を咲かせる。
「うむ。元より、おぬしの
だが、出番はもうちっと先じゃ。詳細はおって連絡するゆえ、それまではゆるりと待ってておくれ。
…っと、蒼治! それが終わったら、今度はそこに…!」
そうして渚は、ステージ上で方術陣を施して回る蒼治に細かい注文を喚き伝え始めると、もはやノーラの方には一瞥もくれなくなった。
こうして、またもや暇を持て余す身になってしまったノーラ。とは言え、ロイ達のようにつくろぐのは、どうしても気が引ける。そういうことでノーラは、渚から何か頼まれ事があればすぐに対応できるよう、渚の側で待機することにしたのであった。
…しかし、ノーラの名が呼ばれた頃には、コンサートは開始を待つばかりの状態に到っていた。
そして、星撒部が主催する臨時コンサートの幕が開ける。
雲に乗って空中浮遊するステージが、大破したエントランスを通ってホールの内部に姿を現した時、避難民や『エグリゴリ』の隊員たちは何事かと一斉に顔を上げた。
大半の視線が集中する中、ヴァネッサの力により、ホール内部を囲むように巨大な水晶モニターが形成される。同時に、大和が用意した照明機器がパッとステージ上を鮮やかに彩り、中央にフォーメーションを組むアイドル達の姿を浮き立たせる。
直後、蒼治が用意した方術陣が効果を発動。満天の夜空をも凌ぐ煌めきを呈する大輪の花火を、大音響と共に打ち鳴らす。
「被災者の皆様、そして、『エグリゴリ』の皆様。これよりアイドルグループ、"プレアデス・ドールズ"によるヒーリング・ライブを開始いたします。しばしの間、活力と幻想にあふれた歌とダンスでお楽しみ下さい」
心をほんわりさせる、穏やかなアナウンスで開演を告げるのは、アリエッタである。
人々が何事か、と状況が飲み込めていないままに、アイドルグループによるコンサートは開始した。
アイドルグループ"プレアデス・ドールズ"のパフォーマンスは、非常に素晴らしいものであった。大物アイドルが頼りがちな口パクなど一切無し、全身全霊を振り絞って織りなす歌と踊りの絵巻は、知名度の低い駆け出しグループとはとても思えない実力が備わっている。高音でも安易な裏声に頼らない、しっかりとした歌唱力。しなやかにして麗しく、それでいて元気を与える力強さを備えたダンス。ウェブを通した活動で人気が出てきたというのも十分納得できる。
しかし、コンサート開催当初は、彼女らの実力と頑張りとは裏腹に、観客たちの反応は
だが…十数分も経つ頃になってようやく、彼らの態度が変わってくる。
冷たい視線が吹雪となって痛々しく吹き荒れる逆境の中でも、めげずに、腐った表情の陰すら見せず、キラキラと汗を輝かせてパフォーマンスを続ける少女たちの姿が、避難民の陰った胸中に光をもたらしし始めたのだ。
加えて、アリエッタがさり気なく口にしたこのアナウンスもまた、彼らの心を動かしたのかも知れない。
「"プレアデス・ドールズ"の皆さんもまた、今回の災難の被災者です。しかし、だからこそ、皆さんに笑顔と元気を届けたいと、立ち上がってくれたのです」
同じ苦難を経験しながらも、自分たちのためでなく、
押し黙った重苦しい陰鬱は、いつしか弾け飛び上がらんばかりの大声援の嵐へと変わっていったのである。
コンサートに際してノーラは、渚が事前に話していた通り、自身が誇る定義変換の能力で貢献していた。
彼女に与えられた役割は、定義変換で舞台演出のための器具を作りだし、コンサートを彩ることだ。丁度大和の作業と似ているが、前もって大量に器具を作り出せる彼と異なり、ノーラは己の愛剣にしか作用を及ぼせない。そのため、必要な都度定義変換を行い、場面に応じた器具を作り出さなければならかった。手早さは勿論、精確さも併せて要求される作業なので、ノーラは士師との戦闘時以上に己の能力に対する緊張感を覚えた。
とは言え、作業が苦行だとは全く思わない。
むしろ、部員達やアイドル達と一体になって一事に打ち込んでいると、とてもワクワクしてくる。
これと似た気持ちを、ノーラは一度味わっている――部室でみんなと一緒に折り紙をした時だ。
そのことに思いを馳せた途端、ノーラは今まで気付かなかった自身の性質をハッと覚る。
(私…こうやって、みんなと一緒になって何かに取り組むのが、大好きなんだ…!)
そのことを自覚した瞬間。彼女の心が途端にふんわりと軽く、柔らかく、温かい感触が生まれる。そして、走り出したくなるようなムズムズした興奮が全身を駆け巡ってくる。
勿論、作業を放棄して走り出すなんて真似はできない。そこで彼女は、満面の笑顔に対して、抱いた興奮のありったけを注ぎ込むのであった。
観客もノリにノってきて、コンサートが盛況になってきた頃。それまであまり作業に携わらなかったロイが、渚からの耳打ちを受けると、ニヤリと大きく笑う。そして、元気に踊り歌うアイドルグループの後方で、盛大な火炎の
この過激な演出に観客たちは歓声のどよめきを上げたが…ノーラの隣で舞台装置をいじっていた紫が、苦笑いを浮かべて誰ともなしに呟く。
「アイドルグループのコンサートにパイロって、どうなんだろ…。ヘビメタじゃないんだからさ…」
「アハハ、そうだね。でも、お客さんたちウケてるし、良いんじゃないかな…」
ノーラがニコニコと返すと、紫はきょとんとした様子でノーラを覗き込む。先刻部室で見せた笑顔よりもずっと自然で、ずっとずっと気楽なスマイルにクラスメートの新境地を見出し、驚きを隠せない様子だ。
だが、紫はニッコリと笑って、ノーラの変化を受け入れる。この変化は誰がどう見ても歓迎すべきものなのだから。
「優等生ちゃん…いや、ノーラちゃん。いい顔するようになったじゃん」
この賞賛の言葉に、ノーラはこれまでのように遠慮たっぷりに謙遜することをせず、更なる大輪の笑顔を咲かせて答える。
「だって…みんなと一緒にいるのが、とっても楽しいから」
「そっか、そっか」
紫がうんうんと首を何度か縦に振っていた…その一方で、少し離れたところから
「…楽しくて何よりッスねぇ…その元気、俺にも分けてほしいッス…」
コンサート前から働きっぱなしの大和からの、多大な疲弊に満ちた泣き言であった。
これを聞いた紫は、いつもの毒気を含んだ嗤いをニヤリと浮かべ、トゲトゲしく返す。
「こちとら、ノーラちゃんが部活を楽しんでくれて喜びモードだってのに、ジメジメした様子で雰囲気ブチ壊すんじゃないわよ、変態穀潰し」
「だからぁ…俺は変態じゃなくて…
ああ、もういいや、反論する気力は、この機械操作に込めることにするッス…ぐはぁー」
こうした大和の様子にも、ノーラは覚えた滑稽さを素直に表現し、ケラケラと笑ったのであった。
コンサートは約40分で全行程を終えた。ホールでやるようなコンサートにしては短めではあるが、アイドル達自身や観客の体力も鑑みての時間配分としては、妥当と言えよう。
「本日は本当に、どうもありがとうございましたっ!」
声を揃えて一斉に礼するアイドル達に対しては、観客の被災者や『エグリゴリ』隊員達はおしみのない拍手を送る。この心地よい音に包まれながら、空中ステージはスーッと宙を滑り、名残惜しむようにゆっくりとホール内から退場したのであった。
◆ ◆ ◆
さて…ホール内から脱したステージは、ホールを囲む公園地帯の上空をフヨフヨと暫く漂い、着地点を探し出すと。エレベーターよりも緩やかな速度で、穏やかに着地する。ゴウン、と鈍い着地音が鳴り響き、微風の中へと消え去ると、一同は一斉に安堵のため息を吐いた。
次いで、一同は満面の笑顔を浮かべてわっと歓声を上げると、互いの顔をのぞき込みあって、元気よく手を叩き合う。星撒部もアイドルグループも区別ない、平等な喜びの分かち合いである。興奮はそれだけに留まらず、一同は入り交じって会話を弾ませる。
「空の上で歌うのって、ホント気持ちよかったー! 移動してる時は、グラグラ揺れて怖いんじゃないかって、思ってたんだけど、全然心配ないくらい安定したし!」
「ダンスも、あんなに楽しく踊れるなんて、思わなかったー! まさに、風と一体になる、って感じでさー!」
「そうだろ? 空ってのは、この世でも最高の存在さ。あんたらも一度、この味にハマったら、やみつきになること間違いないぜ」
「…イェルグ、またそうやって女の子を口説いてる…。これは、あとでお仕置きの必要がありますわね…」
「お客さんの拍手も気持ち良かったなー! 最初、反応が悪くてヒヤヒヤしちゃったけど、終わり良ければ全て良し、だよね!」
「ええ、勿論よ。わたしも突然司会をさせられて緊張しちゃって、途中何度か噛んじゃったけど…振り返ってみれば、とても面白かったから、良しとするわ」
「えー!? 先輩、あれで噛んでたの!? 全っ然知らなかったーっ! スラッスラだったじゃーん!?」
「…それにしても、ロイさぁ。あんた、やっぱりアイドルのライブでパイロはないでしょ。ギャラリー見てたけどさ、何人か退いてたわよ。特に、ガキんちょがさ」
「仕方ねぇだろ、副部長から一芸やれ、って言われたんだからさ! 前にどっかで見たことあったからさ、やってみただけだっつーの!」
「機械操作、お疲れさまでした。あの…大丈夫ですか? 凄くお疲れのようですけど…」
「あ…うん…? あっ、いやいや! みなさんの華を更に彩れるなら、この神崎大和、例えこの身が灰と崩れようとも本望ッスよ!」
「…ホント、お前は女の子の前となると、元気だなぁ…。普段の活動も、それくらいビシッとやってれば、文句言われなくて済むだろうに…」
わいわいと賑わう一団を、少し離れたところから渚が微笑ましく眺めている。そのウズウズしている口の端をみる限り、このお祭り騒ぎに参加して堪らないようであるが…彼女にまだ一つ、仕事が残っている。今回のコンサートの裏方の責任者としての、最後の仕事が。
その仕事も、すぐに終わりを迎えることになる。彼女の元に、アイドルグループの事務所社長がスタスタと歩いてきたからだ。…渚の残務とは、活動報告を社長に伝えることである。
「お疲れさまでした。そして、本当にありがとうございます。客席の方で、見せていただきました。
これまでやってきた中で、最高のライブでしたよ」
社長は渚の横に並ぶと、世辞の欠片も含まない笑みを浮かべながら声をかけてきた。すると渚は、誇らしげで大仰に首を縦に振る。
「そりゃあ、わしら星撒部がほぼ前線力を投入したのじゃもの。世界一のライブになったはずじゃよ」
おどけ半分、自信半分の言葉に、社長はくつくつと声を漏らして笑う。
「それで…いかがかのう? おぬらの依頼は完遂、ということを承認くださるかな?」
「ええ、もちろんですとも!」
社長が勢いよく首を縦に振った、その転瞬。渚の顔が、ニヤァっと大きく綻ぶ。その笑顔には、悪戯っぽさと開放感に満ちあふれている。
次いで渚は、素早く社長の二の腕を掴むと。突然のことでギョッと驚く彼を
「それならば、もう仕事は終わりじゃな!
そりゃあっ、おぬしらっ! わしらも混ぜんかいっ!」
騒ぎは"暴走厨二先輩"と称されるトラブルメーカー、渚が加わることで、更にわぁっと盛り上がる。あまりの騒ぎように、近くで復興作業に勤しんでいた暫定精霊がビクッと反応し、身構えたほどである。
しばしの騒がしい会話、そして事務所社長やグループメンバー一人一人の胴上げなどを経て、たっぷりと歓楽を味わった後…青空に赤みが帯び始めてきたころ、ようやく場に落ち着きが戻る。
「さぁてと…そろそろ、お暇するかのう」
ひとしきり騒いだ体をほぐすように伸びをしながら語る、渚。その言葉には惜別の哀愁など欠片もなく、仲の良い友達同士が「また明日ね」と声を掛け合うような気楽さである。
しかし、それに応えるアイドル達は渚とは真逆に、名残惜しさを露わにして寂しげな笑みを浮かべる。
「なんだか…切ないですね。こうして知り合えて、一緒に最高の仕事が出来たのに、もうお別れだなんて…。
あの…私たち、事務所に帰ったら打ち上げをするつもりなんですけど、良かったら、そちらに顔を出して頂ければ…」
「いやいやいや、それは勘弁!」
渚は手を左右にパタパタ振りながら、即座に誘いを断る。
「天使やら士師やらと渡り合おうとも、地獄のような災厄を鎮めようとも、わしらの根底は学生じゃからな。明日も授業が待っておるし、部活の予定もみっちり入っておる。
ここで大分時間を費やしてしもうたからな、そろそろ休まんと身が保たぬわい」
そう渚は言うものの、元気のあり余っているロイは少し不満げな顔をしていた。打ち上げに参加したかったらしい。そんな彼を、隣に立つイェルグが軽く肩を叩いて押し留める。それでロイの表情が好転することはなかったが、しぶしぶと引き下がった。
実際、星撒部が所属するユーテリアは完全とも言える自由をモットーにする学園。明日を丸ごと休暇に当てても、何も文句は言われまい。それでも渚がアイドルの誘いを断ったのは、疲れて切っているはずの彼女たちにこれ以上気を遣わせたくないという気遣いのためであろう。部員の大半もこの事を理解していたため、ロイ以外に文句を言う者はいなかった。
だが、アイドル達も決して社交辞令で誘いを口にしたワケではなかった。本気で惜しみ、更に表情に陰を落とす。
その様子を眼にした渚は、鼻の頭を掻きながら苦笑する。
「大成功したというのに、そんな顔をするものではないわい。
それに、これが今生の別れというワケではあるまいて。これからも互いに希望の星を抱いて人生を歩む限り、どこかで巡り会うこともあるじゃろうよ」
「…そうですね!」
渚のフォローに感じ入ったグループのリーダーは、陰を弾き飛ばすようにニコッと笑顔を咲かせる。
「今度、コンサートの招待券をお送りしますよ! その時はお客さんとして、私たちのパフォーマンスを存分に楽しんでくださいね!」
「うむ! それは楽しみじゃわい!」
渚もニカッと笑って、リーダーの健気に応える。
それから渚とリーダーは、しっかと握手を交わすと、いよいよ別れの時を迎えた。
渚はキンコン、という澄んだ鐘の音とともに、全身を拘束具で包んだ無謀の天使を召喚。そいつを媒介に空間に転移路を作り出す。空中にぽっかりと開いた真円の向こうには、眩い純白が広がっている。
「それでは、別れの言葉は言わぬぞ!
また会おうぞ、未来に輝く新星たちよ!」
そう高らかに、堂々と言葉を張り上げると。後ろ髪を引かれる素振りも全く見せず、転移路の入り口に飛び込んだ。
そんな渚に倣って、部員達も次々にアオイデュアを去ってゆく。
「それでは、コンサート、楽しみしてますね」
「そん時は、打ち上げ、一緒にやろうな!」
そんな風に去り際の言葉をかける者もいた。
最後に残ったのは、ノーラである。彼女は実際には、部員ではない。だが、この苦楽を共に乗り越えてきた彼女の胸中には、燃え盛る決意が灯っている。
その決意に突き動かされるままに、彼女の桜色の唇は穏やかに、そしてしっかりとした言葉を告げる。
「今度もまた、一緒に楽しみましょう…!」
それは明らかに、今後の再会を考慮したものであった。
◆ ◆ ◆
こうして、険しく長い一日を終えて学園に帰って来た、星撒部の部員達。部室として使用している第436号講義室に着いたとき、カーテンが引かれていない窓の外はすっかり宵の闇に塗り潰されていた。
真っ先に部室に到った渚は、転移路の出口から身を出すと、つい先刻とは別人のようなフラフラとした疲弊しきった様子で数歩、歩むと。机の上にのし掛かるように倒れ込む。
「むうぅー…いやはや、しんどかったわいー…」
彼女の後ろから続々と部室に姿を現す部員達も、顔には程度の差はあれど疲労の色を浮かべてはいたが、渚の大仰なリアクションに思わず苦笑する。
それに対し、そんな扱いは不当だと言わんばかりに半眼になった渚は、のっそりと申し開きする。
「折り紙1000枚折り込みに加えて、都市災害やら天使との戦闘、それにアイドルのコンサートの運営まで1日でこなしたんじゃぞ? 疲れたー、と弱音くらい吐いても当然じゃろ」
この言葉を口にしている最中、最後尾のノーラが部室に顔を出すと、ぎょっと眼を丸くする。
「え…まさか、本当に折り紙を1000枚、折ったんですか…!?」
びっくりして問い返す、ノーラ。渚達がアオイデュアに顔を出すまでかなりの時間はあったとは言え、1000枚もの緻密な折り紙を作るだけの時間にしては短すぎると思うのだ。例え、
それに対して、渚は気だるさを交えたままながら、ニヤリと得意げな笑みを浮かべ、声を上げる。
「もちろん…!」
「やってないよ」
即座に蒼治が、渚の言葉を溜息混じりに塗りつぶす。すると渚は酷く不機嫌に眼を細めて彼を睨んだが、だるく机に突っ伏したままでは迫力不足である。
蒼治は思いとどまることなどなく、苦笑を浮かべた顔をノーラに向ける。
「渚のヤツ、言い出しっぺの割には、あの後しばらくしてから一番に音をあげてね。折った数は、多めに考えても、せいぜい50枚くらいじゃないかなぁ」
「失礼な! 62枚じゃわい!」
ムスッと抗議の声をあげる渚だが、大きな違いはないので、驚嘆の声などは上がらなかった。
「そもそもさーっ」ナミトが頭の後ろで腕を組み、どこともなしの中空をぼんやり眺めながら語る、「全員で1000枚ずつも折り紙折れたとしたらさー、明日の訪問先の部屋が折り紙の洪水になって、足の踏み場もなくなっちゃうよねー」
ナミトとしては、渚を責めるつもりはなく、事実を淡々と告げただけなのだが…渚の胸には、却ってそれがグサッと来たようだ。ひどくバツが悪そうに顔を歪め、机に顔を突っ伏し、プルプルと震える。
その数瞬後、両腕を上げつつガバッと起きあがった渚は、無闇やたらに声を張り上げる。
「ええーいっ、もう良いわっ! もう終わったことじゃわいっ!
折り紙は十分な数を作った! アオイデュアは救った! コンサートもやり遂げた! この結果のどこに、文句があるのじゃっ! 問題など微塵もないじゃろうがっ!」
そして誰かの突っ込みが
「アリエッタ、ホイップクリームココアじゃっ! あれがなくては、わしの荒み切った心は癒されぬ! 早よう作らんかい!」
するとアリエッタは、苦笑いを浮かべながらも、抗議せずに承諾する。
「他に飲みたい人、いるかしら? 一緒に作るわよ」
すると、ノーラを除く全員がビシッと挙手する。ノーラが手を挙げなかったのは、部員でないという遠慮というより、アリエッタのココアの価値を理解していなかったからに過ぎない。
すると、すかさず彼女の隣に移動し、彼女の腕を取って高々と掲げる者がいる。その人物は、ロイだ。
きょとんとして彼の顔を除くノーラに、ロイはニカッと笑って教える。
「アリエッタのココアは、スゲーうまいんだぜ! 学食だとかカフェなんて目じゃねーよ! 飲まきゃ損だぜ!」
その笑顔に魅せられ、ノーラはこくんと首を縦に振ると、アリエッタに向き直って語る。
「私にも…お願いします」
「ウフフ、それじゃあ、みんななのね。分かったわ、用意するからちょっと待っててね」
そう言うとアリエッタは、教室の隅っこの机の上に置いた、白を貴重とした可愛らしいデザインのハンドバッグを開いて漁る。その中から次々と取り出すのは…白磁に可憐な花柄をつけたティーセットに、パックに入ったココアの粉、水が並々と入った大型のボトル、そして術式燃料式の小型コンロである。ハンドバッグの容積に対して、取り出した物品の体積は全く釣り合わないほど大きいが、おそらくバッグの内部は、空間拡張の魔化が施されているか、収納用擬似空間とつながっているか、のいずれかだろう。重量を考えると、後者の可能性が高い。
アリエッタは満面にニコニコと微笑みを浮かべつつ、テキパキとココアの準備を行う。その作業を眺めながら、今度は紫がノーラに解説する。
「アリエッタ先輩のココアは、水も粉も先輩の故郷から取り寄せた一級品を使ってるのよ。今はまだ出してないけど、使うホイップクリームだって、勿論最高級品だよー。
仮入部の身の上で味わうのって、ノーラちゃんが初めてだよー。有り難ーく大事に、いただくんだよー」
"仮入部"。この言葉を耳にしたノーラは、顔をはっとさせる。立場を忘れて馴れ馴れしく振る舞っていたことを恥じた…というワケではない。その様子は、大事な何かを思い出したという風である。
ノーラは少々早足になって、突っ伏す渚の元へ歩み寄る。微動だにせずに疲労に身を任せている彼女に言葉をかけるのは気が引けたが…このタイミングを逃してしまうと、時と共にこの衝動が煙となり揺らいで消えてしまうような気がする。
自分の上に影がかかったことを覚った渚が、気だるそうに顔を上げる。それまでの精悍さを欠いた、惨めさすら覚えるような疲弊の表情に、ノーラは思わずたじろいでしまう。が、瞼を閉じて、コホン、と咳払いして気を落ち着かせてから、口を開く。
彼女は今、大きく輝く決意を胸中に浮かべている。それをしっかりと手にするためには、一つ、明らかにして乗り越えねばならぬ障害がある。
「あの…渚先輩。先輩は、『現女神』…なんですよね?」
真剣な表情の質問に対し、
「うむ! わしは"解縛"の号を与えられし、紛うことなき『現女神』じよ!」
その直後、渚は桜色の唇に人差し指を当てて、ちょっとバツが悪そうにウインクしつつ言い添える。
「ただ、これは一部の者にしか明かしておらぬ秘密じゃて。おぬしも、他の者においそれと言い触らさぬようにしてもらえると助かる。
…まっ、言い触らしたところで、真に受ける者はそうそうおらぬじゃろうがな」
確かに、渚は話題性の多い生徒ではあるが、彼女のことを『現女神』ではないかとする噂は全くない。というのは、彼女の"暴走的"な行動力と独特の言い回しは、学園長アルティミアから連想される女神のイメージからはあまりにもかけ離れている。
それに、そもそも、『現女神』が他の『現女神』と『女神戦争』で争うことはあれども、その下について勉学に励むなど考えにくい事態である。
そんなことを考えていると、渚は何故、この学園に籍を置いているのか、という点に興味が沸いてくるが…それは今は重要ではない。確かめるべき要点は、他にある。
「それじゃあ…この部活のみなさんがとてもお強いのは…渚先輩の士師になっているから、ですか?」
この質問に、渚はキョトンとして数回瞬きをする。彼女にとっては、全くの想定がの質問だったようだ。
しかし、常識的な感覚で考えれば、ノーラの思考は至って当然であろう。『現女神』は『天国』を独占すべく、他の『現女神』と戦い合う存在。その戦いを制する力を身につけるために、信仰心を集めたり、自らの手駒である士師を作り出す。士師の強さは、交戦を経験したノーラがよく分かっている。そんな士師を目の前で斃したロイの力といい、天使たちを軽く一蹴する部員達の力といい、その起源が彼ら自身が士師であるとすれば容易に説明が付く。
しかし渚は、表情を引き締めて不敵に笑いながら、首を横に振る。
「わしは士師も信者も保たぬ主義じゃ。あやつらの力は、あやつら自身の修練の
そもそもわしは、学園長の"慈母"と同様、『天国』なぞにとんと興味はないのでのう。
そのお陰で、わしが作り出せる天使はたった一体のみじゃがな」
そう言うと渚は、キンコン、と澄んだ鐘の音と共に天使を召喚してみせる。そして、それがその一体だけだ、と言わんばかりに肩をすくめると、すぐに天使を消し去る。
この話を聞いたノーラは…ほっと、安堵の息を吐き、「良かった…」と呟く。
そこで渚は再びキョトンとする。
「何か気にかかることでもあったのかや?」
「あの…この部に入部するとしたら、先輩の士師にならないといけないのかと思って…先輩のことは、嫌いじゃないですけど…なんでも言うことを聞いて働くというのは、ちょっと気が引けますから…」
すると渚は、アッハッハ、と大きく笑う。
「確かに、『現女神』が運営の一端を握っておる部活じゃからな。そう
じゃが、安心せい。わしは先にも行ったとおり、士師などにはとんと興味は持っておらぬ。
わしが興味を抱いておることは、ただ1つ! 人々の希望の星、それだけじゃよ」
ウインクしながら、渚はそう答える。人としても『現女神』としても、相当変わった存在だ。
――そんなやりとりをしている最中、いつから2人の会話を耳にしていたのか、突如ロイが話に割り込んでくる。
「なぁ、ノーラ! 今、入部って言ってたよな!? ってことは…!?」
目を輝かせて訪ねてくるロイに対して、ノーラははにかながらも、大輪の笑顔を咲かせる。
「うん…この星撒部に、これからお世話になろうと思って…」
その笑顔は、厳冬を耐えて見事な花を満開にした、桜のそれを想起させるものであった。
ノーラの決意、それは星撒部の一員になることだ。
学園に入学して約1年。希望を持たないことを苦にし、希望に満ちた生徒たちとの関わりを極力持たないようにして過ごすしてきた。光のない自分は、まさに影のように息を殺して過ごすのが相応しいと考え続けてきた。
しかし、この眩しいほどに光を放ち、そして自らにも光を与えてくれたこの部に出会い、交わったノーラは、光の持つ暖かみや楽しさを深く、深くその身に刻んだ。その味をしめてしまった今、彼女はもう、影には戻れないと感じた――。
いや、影に戻りたくないと、考えた。
ただし未だに、自分が目指すべきは故郷の者達に託された『現女神』になることであるとは、考えていない。どこへ向かえば良いのか、分かってはいない。だが、今となってはその不安はない。
(この人達と…この星々と一緒にいれば、きっと私の星の方向も、いつかは…!)
今、ノーラは希望に対する欲で胸が一杯だ。その弾むような輝きが、表情に、瞳の中に、キラキラとにじみ出ている。
「だから…皆さん、これからよろしくお願いします…!」
ノーラが深々と頭を下げると。「おっしゃーっ!」と叫びながら、ロイがガシッとノーラの首に腕を回す。その勢いにビクッと体を震わせつつ、キョトンとロイを見返すノーラ。
ロイはバチって大きくウインクすると、ニカァッと太陽の笑いを浮かべる。
「こっちこそよろしくなっ、ノーラ!
こんな頼れる仲間が出来て、俺はスゲー嬉しいぜ!」
「頼れるって…そんな…みんなに比べれば、まだまだだよ…」
「いやいやいやいや! 初戦で士師は倒すわ、災害救助で大活躍するわじゃねぇか! これで凄くなくて、何がスゲーんだよ!」
そうしてロイが一番に歓迎の声を上げていると、部室の所々から他の部員たちからも声があがる。
「やったーっ! ノーラちゃんと、これからも一緒に楽しめるねー! 学食にも、いっぱいいっぱい行こうねー!」とは、ナミトの言葉。
「うわー、優等生ちゃんが入部しちゃうのかー。これは私も、ウカウカしてられないなー」とは、紫の言葉。
「うおおおっ! これでまた、我が部の美少女率が上がったぁっ! テンション上がりまくりッスよぉっ!」とは、大和の言葉。
「大変な災難だったいうのに、懲りるどころか、入部を決めてしまうなんて、大した方ですわね。流石は、わたくしの見込んだ方ですわね」とは、ヴァネッサの言葉。
「苦境にもめげないその心は、器が広いってことさ。器が広いってことは、空の心を持ってるってことさ。そういうヤツは大歓迎さ」とは、イェルグの言葉。
「いやぁ…ホント、こういう状況で入部を決めたのかい? もし明日、目が覚めて気が変わったら、入部を断ってもいいんだよ!? 入部届けは明日でいいから!」とは、蒼治の言葉だ。
その蒼治の言葉に、こめかみに青筋を立てた渚は、拳を固めると思い切り彼の頭に叩きつける。ガツン、と痛々しい堅い音が響き、蒼治は頭を押さえてうずくまる。
「せっかくの決心を折るような言葉を言うとは、なんたる阿呆かっ!」
渚は刃のように細めた視線を突き刺し、蒼治を叱りつける。
その直後、コロリと表情を変えると、大人びたようなすました笑顔を浮かべて、トリとして声をかける。
「ようこそ、ノーラ・ストラヴァリ。副部長として、大歓迎するぞい。これからも一緒に、この世界に希望と笑顔の星を振り撒こうぞ!」
そして渚が、スッと手を伸ばす。すると空気を読んだロイがノーラを解放すると、ノーラは躊躇いなく渚の手を握る。
「はい、よろしくお願いします!」
極上の花が、可憐なノーラの顔に咲き誇った。
この直後、ココアを作っていたアリエッタから丁度、作業終了の声が上がる。
「みんな、ココア出来たわよ。
ノーラちゃんの入部と、今日の活動の成功をお祝いして、乾杯しましょう」
そして1人1人の前に運ばれてくる、ティーカップ。そこには純白のホイップクリームが山と盛り上げられている。その表面をトロリと溶かしながら沸き立つ湯気からは、嗅覚からでも分かる濃厚で甘いココアの香る。これほどまでに美味しそうなココアを、ノーラは知らなかった。純粋に楽しみで、笑顔が更にほころび、期待に輝く。
「それでは…」コホン、と咳払いの前を置きをし、渚が音頭を取る。
「本日の諸々を祝して! ココアで乾杯じゃっ!」
そして星が瞬く深い夜空に、星撒部の楽しげな乾杯の斉唱が響いた。
◆ ◆ ◆
翌日。学園での1時限目が始まって間もない朝。
学園の本校舎最上階にある学園長の執務屋に、「失礼します」と声をかけながら、1人の男が入室する。
派手な白黒模様のシルクハットに、これまた派手な極彩色の燕尾服を着た中年の長身男性である。更に特徴を付け加えるならば、見事な渦を巻いたカイゼル髭だ。
彼は、1年Q組の担任教師…つまり、ノーラ・ストラヴァリの担任教師である、ツェペリン・アンルジュである。
彼の入室に対し、執務室のデスクに座していた至高の美女、"慈母の女神"アルティミアは真紅の唇を愉快そうに釣り上げる。
「変化が、あったのね?」
そう問われたツェペリンは小さく
「ノーラ・ストラヴァリが朝一番に入部届を私に提出しました。入部先は…」ここでツェペリンは困惑したように眉根にしわを寄せて一息入れ、「星撒部です」と語る。
するとアルティミアも、まずは目を大きく丸くして驚きを表現したが…すぐに、面白がるように眼を弧にして笑う。
「なるほどね…似たもの同士、惹かれ合った…ということなのかしらね」
そう語ると、アルティミアは席を立って踵を返し、それまで背にしていた蒼空を一面に写す大きなガラス窓と向き合う。そこに映る逆さまの街並みの幻影…『天国』に視線を投じては、再び面白がる笑みを浮かべる。
――『現女神』は、ノーラに注目している。しかし、その理由は何なのか。彼女が言う"似た者同士"とは、ノーラに対して誰の事を告げているのか。その疑問の答えは、ツェペリンも知らない。
とは言え、ツェペリンは好奇心が生まれたとしても、すぐに押し殺す。この学園長に対して興味を抱いても、彼女がその気にならない限り、どのような手段を用いてもどうせ明かしてはくれないのだから。
「この1年間、動きがなくて少し焦っていたのだけれども…これでようやく、面白くなってきたわね」
そう語るアルティミアの眼中には、ツェペリンの姿はもはや映っていない。自身に対して確認するかのように呟いただけだ。
もう用済みであることを覚ったツェペリンは優雅な一礼を残すと、足音も立てずに執務室から退散した。
『現女神』ただ1人が残った部屋に、ウフフフ、と艶やかに
この"慈母の女神"が、ノーラ・ストラヴァリという少女を元に、どんな思惑を働かせているのか。それを現時点で悟れる者は、この異層世界広しと言えども、誰一人として存在しないであろう。
――それはともかくとして――
こうして、ノーラの星撒部での生活が始まった。
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