◆ ◆ ◆
天空から逆さまにぶら下がる、凶悪とも見えるような鋭い水晶塊へと急激に成長した"それ"を、人々は果たして『天国』と呼ぶであろうか? …いや、そもそも、『天国』と認識出来るのであろうか。
元は小さな寂れた公園程度の面積。今やアルカインテールを飲み込むほどに広大な存在と化した『天国』。
そのあまりの豹変ぶりに驚きよりも
その数瞬後、眼下から昇る「うう…ううう…」というくぐもった呻きに、ナミトはハッと我を取り戻して視線を地に戻す。そこには、半透明な身体を持つ
「あっ、ゴメンゴメンッ! 苦しんでるところ、放置しちゃって!
今治すからねー!」
言葉の形になっていない
同時に、
彼らの肉体である霊体は、彼らが生前であった時に魂魄に刻んだ強い記憶を元に具現化が成されている。特に、生への執着を生む死の瞬間の記憶は非常に強い影響を与える。
故に、
故に、彼らの霊体は自身の元の肉体が死亡していることを前提に形成されるため、生体器官がうまく動かない、そもそも失われていることもある。筋肉は硬直したり腐敗したりして動かず、声帯も役目を果たさない状態に陥っている。
己の霊体をある程度自由に操作出来るような、所謂"高等"な存在になれば上記のような不利を覆すことも可能だ。しかしながら、その領域に達することが出来る個体は決してありふれてはいないのだ。
そんな彼らの意志をナミトが的確に読み取れるのは、魂魄に影響を与える練気技術の応用による。目にした魂魄、ひいては霊体の状態から、細やかな状況を読み解くことが出来るのだ。
さて、ナミトの練気による治療により、両手が消滅の憂き目から快癒した
「よーっし! 次の方、じゃんじゃんどぞーッ!」
快癒した患者の姿から元気を得たナミトは、パァン! と小気味よく手を叩いた音を響かせ、声を上げる。大規模な定義崩壊という惨状の中、希望の輝きを運ぶような活気ある言葉を運ぶ彼女の姿は、まさに星撒部の理念を擬人化したようであった。
そんな彼女の、9本のしっぽがモフモフと生えた背中に、バツの悪そうな低い声が投げ掛けられる。
「…申し訳ないな。敵対していた我らに対してまで、救いの手を差し伸べてくれるとは…」
語った相手は、ナミトの直ぐ背後、と云っても良い距離で屈み、済んだ夜空の満月のような白銀の
『バベル』の起動に伴う災厄によって甚大な被害を被った『冥骸』。ナミトと交戦していた3体の内、旧式機動装甲服に身を包んだ霊体『藻陰』が定義崩壊してしまった直後、『破塞』は戦闘行動をかなぐり捨てて仲間達の身を案じた。そこへナミトは、隙有りと攻撃を仕掛けるどころか、彼女もまた交戦の手を止めて彼に助力を申し出る言葉を掛けたのである。
以後、2人は背中を預け合って
「申し訳ない…?
そんなの、気にしない、気にしない!
確かにさ、一度は拳を交えた間柄だけど、ボクは別にキミ達を根絶やしにする仇敵ってワケじゃなかったんだし」
ナミトが手の代わりにキツネの尻尾をユッサユッサと振って、『破塞』に返答する。
「第一、ボク達、星撒部は困る人を殴るより、困ってる人を助けるのが目標………の、はずだから!」
言葉にちょっと間が空いたのは、部の中でも好戦的とも言える態度を取るロイや副部長の渚の態度や所業が脳裏を過ぎったからである。…彼らの場合、困る人を嬉々として殴り倒すことに夢中になりそうだ。
ナミトの言葉を聞いた『要塞』は、錆びたフルフェイスの向こう側で、愉快そうな、そして懐かしむような笑い声を上げる。
「旧時代なら、あんたみたいな人は"天使"と呼ばれただろうけどな。
今の世の中じゃ、"天使"と言えば『現女神』の使い走りの怪物だ。褒め言葉にならんよな。
この時代、あんたのことを褒め称えるなら、なんて言うべきなんだろうな?」
「褒め称えるとか、そんなの必要ないって!
ボクにとって、これは当たり前の行動。みんなも、そしてボク自身も人生が楽しめるようにするために必要なことをやってるだけに過ぎないからね。
人から褒められるようなことじゃないって」
ナミトは『破塞』の方を振り返ることこそしなかったものの、顔には隠しきれぬ照れ笑いが浮かびあがっている。
存在理論が全く異なる種族の間に芽生えた、穏やかな友情意識。その雰囲気によって、『冥骸』と言う禍々しい名を背負う
天空を覆う刺々しい存在よりも、地に在るこの場こそが天国であるとでも言わんばかりの暖かさが、ここに広がっていた。
――しかし。
その暖かみに暗雲を差すように、1つの影がナミトの頭上を覆う。
同時に、ナミトの頭についたキツネの耳がピクリと動いたかと思うと、治療の途中であった
直後、「チィッ!」と舌打ちする、壮健ながら掠れの混じった老体の声。そして、一瞬前までナミトが座していた大地を一文字に裂いて焦がす、殺意の一閃。
周囲で
「ごめん、ちょっと離れててね」
ナミトが声をかけて腕から解放すると、
そんな彼の挙動の一部始終を見送ったナミトが、突然襲いかかって来た者へと鋭い非難の視線を投げる。そして何か言葉を放とうと、唇を動かした、その瞬間。彼女より早く怒号を上げたのは、『破塞』であった。
「『
お前の入れた横槍は、我らを破滅に導くものだぞ!」
怒号をぶつけられた相手――東洋の武士の姿を取り、
「気が狂うた、だと!? その言葉、そっくりそのまま貴様に返すわい、『破塞』よ!
この
しからばッ! のうのうと敵と手を取り合い、馴れ合う貴様の方こそ、気が狂っておるというもの!
いや、単に気狂いどころか、わしらが一党の悲願を足蹴にする、とんだ裏切り者じゃわいッ!」
炎に覆われた長槍の切っ先をピタリと『破塞』の心臓に向けたまま、『涼月』が一
「『涼月』よッ! 死してなお兵士たらんとする者ならば、機を計る慧眼を
我らが欲した『バベル』は、もはや完全に起動した! 挙げ句、その気質は、とてもでないが我らが掠め取れるような代物ではないこと、貴様もその身で痛感したであろう!
あれは悲願の達成の旗印などではないッ! 我ら一党を更なる地獄に叩き込む、災禍そのものだッ!
この期に及んであんな代物に固執するのは、愚の骨頂ッ! それよりも、今この場で求められるのは、次なる機会のためにも今この場を如何に乗り切るかッ! それこそが大事ではないかッ!」
すると『涼月』は、『破塞』の土星をハッ! と強い調子で鼻で笑い飛ばす。
「腰抜けとは貴様のことッ! そして、そこで
我らが長たる[[rb:亞吏簾零壱>ひめ]様は、今なお身を切って戦い続けておるというにッ!
剣も拳も交えず、かと言って白旗も振らずに、敵と馴れ合うその姿を姫様が見たならば、どのように嘆くことかッ!
いや、この星系の果てに待つ同朋も、貴様等のことを如何ほど腑抜けと思うことであろうかッ!」
「腑抜けだとッ!?
『破塞』が更なる舌戦に応じようとした、その時。彼の前に立ち、スッと一直線に伸ばした腕で彼を制した者がいる。ナミトだ。
「これ以上は良いよ、鎧のじーちゃん。
今のままじゃ、この槍のじーちゃんに何を言っても無駄だもん」
…では、何をすれば良いと言うのか? そんな無言の問いかけをする『破塞』に答えるように、ナミトは右手で作った拳を左掌にパァンッ! と打ち合わせると。爛々としたアグレッシブな輝きを放つ、不適な笑みを浮かべる。
「ねぇ、槍のじーちゃん。
つまり、さっきの闘いの勝敗も
「…む…」
『涼月』の口から漏れた小さな唸りには、膨らんだ怒気のやり場に困ったような震えが含まれている。ナミトの言ったことは、彼に図星だったようだ。
この場に先日からアルカインテールに入都していた部員の誰かが居れば、その事情を直ぐに理解してくれたかも知れない。昨日から激しく敵意を剥き出しにして交戦して来た間柄だと言うのに、その過去をポンと忘れて手を取り合うなどと、過去の固執にこそ存在定義の重きを置く
さて、ナミトは『涼月』の態度から肯定の意志を読み取ると、ややゆっくりとした動作で身構えて見せる。顔には相変わらず、不適な笑みが張り付いたままだ。
構えた姿のまま、ナミトは拳を握っていた右手を開くと、そのまま掌を天に向けて、親指を除く4指をクイクイと泳がせ、『涼月』を挑発する。
「じゃ、じーちゃんの望み通り、決着つけようよ。
それなら勝っても負けても、満足行くでしょう?」
「…ナミト殿、そんな事をしている場合では…」
『破塞』がオロオロと両手を伸ばして抑えようとするが。そんな彼の挙動を吹き飛ばすように、『涼月』が剥き出しの歯をカタカタ鳴らしながら「カッカッカッ!」と笑う。
「死してなお、戦を求める身のこのわしじゃ。それこそが本望よッ!」
『涼月』は、ナミトの挑戦を受けた。
「鎧のじーちゃん。ボクが
ナミトはチラリと背後の『破塞』に視線を向け、パチンとウインクして見せる。"今からちょっと一汗かいてくる"とでも云うような軽い調子に、『破塞』は2度目の制する言葉を口に出そうとしたが…結局、
『涼月』に向き直ったナミトが、9本のキツネの尻尾をビンッ! と逆立てた箒のように立たせると。同時に全身から立ち上る、岩のような険しく堅い気迫に、言葉を塞がれたのだ。
『破塞』はそれでも、悪足掻きするように首を2、3度振ってみせると、踵を返して背後に集った
対峙するナミトと『涼月』は、不動のまま暫しの時間を過ごす。
その静寂を破る口火になったのは何か、誰の目から見ても分からない。恐らくは、きっかけなど全く無かったのかも知れない。
ともかく、初めに突き刺すような
やがて槍は、大袈裟にも大気の摩擦にやって発火した、とでも言わんばかりの勢いで、ボワッと膨れ上がるような業火をまとう。赤々とした熱光と共に回転するその有様は、炎風による竜巻を想起させる。
十分に威圧的な代物を、『涼月』は頭上においたまま更に回転を続ける。威嚇によってナミトの意志を
『涼月』が挙動と己の霊力から作り上げた、彼自身の霊体の延長であり、仇敵を激しく憎悪する凶暴なる炎の悪龍である。
その高さ、優に5メートルは越える場所から、暗く鋭い[[rb:睥睨>へいげい]する、炎の龍。対してナミトは、臆した様子は全く見せない。風のない水面のように静閑に、構えを崩さずに対峙している。
いや、全く動じていないというのは、2つの点を
先刻、『涼月』を挑発していた時に表情に張り付けていた笑みが、更に大きくなっていたのだ。空腹の中、大好物を目の前にした時のような、舌舐め
そんな彼女の表情を見て、怒りを覚えたのかも知れない。『涼月』が都市中に響き渡れ、と言わんばかりの気合を上げる。
「とおぉりゃあああぁぁぁっ!」
転瞬、『涼月』は槍の回転と共にクルリと体を半転させる。すると頭上でとぐろを撒いていた炎龍がバラリと身体を解いた。そして、『涼月』の振り回す槍の動きに連動して大きな円を描きつつ、ナミトへと横薙ぎに迫る。
勢いと炎熱によって栗色の前髪がバサバサとはためくとも、ナミトは回避行動を取るどころか、ピクリとも動かない。その最中、炎龍は大口を開いて、ナミトの脇腹目掛けて肉薄する。
制服の生地が激しい炎熱によってチリチリと小さな音を立てた始めた、その時だ。ナミトがようやく、動きを見せる。
半歩横に身体をずらしたかと思うと、輝く右拳の甲で
しかし炎龍は、手の甲の一撃見回れた途端、巨大な槌で叩き返されたように大きく体を振って元来た方へと吹っ飛んでゆく。
ナミトの放った
「ぬうぅっ!?」
予期せぬ挙動からの対処に、『涼月』が思わず声を漏らす。炎龍ごと大きく逸れた槍を構え直すさえ、一瞬忘れ呆けてしまったほどだ。
その隙を付くように、ナミトが地を蹴ると、それまでの静閑とは打って変わった疾走を見せる。茶色のキツネの尻尾をはためかす一陣の風となった彼女は、身を低くして『涼月』の懐へと潜り込もうとする。
「っ! させるかぁっ!」
ナミトの疾走を見て戦意を取り戻した『涼月』は、骨だけで構成された手首をクルリと回して槍の動きを制すると、今度は迫るナミトの頭上やや斜め方向に槍先を振り下ろす。同時に炎龍も、ますます敵意を剥き出しにした表情を伴いながら、ナミトの頭を一呑みにしようと降下してくる。
今回もまた、ナミトは炎龍の
今度、炎龍にぶつかったのは、中指を尖らせた拳骨だ。インパクトの瞬間、炎龍の輪郭の定まらぬ顔が明確にブワリと逆立った。尖らせた中指の関節を起点とした鋭い
衝撃のまま炎龍はグンッ、と頭部を伸ばして天空へと吹き飛ぶ。『涼月』の持つ槍も連動してグイッと引っ張られると、彼の赤い鎧に包まれた腹部が無防備に晒される。
その中へとまんまと滑り込もうとするナミトに、『涼月』は今度は呆けることなく、怒号をぶつける。
「舐めるな、小娘ッ!」
声と同時に振り上げる、左足。しかしそれはナミトの顎先を掠めるに過ぎなかった。彼女は疾走の勢いを殺さぬまま巧みに歩をずらし、蹴りを避けたのだ。
そして遂に、ナミトは『涼月』を額を突き合わせんばかりに肉薄する。
『涼月』の髑髏の顔が、憎々しさよりも驚嘆の色に染まって歪む。彼が生者であったならば、全身から冷たい汗が吹き出たことだろう。
続いて、勢いに比べて、そっ…と静かに腹部に触れる、ナミトの右の掌。その優しげな感触を覚えた、その直後。
「ぅぬお…っ!」
牙の剥き出しになった口から漏れる苦悶の声は、あまりにくぐもっていて、微風の中に直ぐに溶け込んでしまう。まともに発声することが困難なほど、『涼月』はナミトの一撃によって激しい打撃に苛まれている。
彼の身体は、太陽の輝きを放つナミトの
『涼月』の身体がようやく停止したのは、赤い
それでも
視界に映るのは、白い小さな雲が
――ああ、わしは、負けたのだ。
『涼月』は、胸中でポツリと言葉を漏らす。
成長した『天国』をまともに目にしたことで、奪取すべき標的である『バベル』が暴れ回り、手中に収められるような状態でない事を痛感した…ということも事情の1つであろう。それに加えて、先の一連の戦いの流れを思い返したことも、彼の意固地な心を折った大きな要因になっている。
(わしは、持てる全ての力を出し切った。魂魄干渉に苛まれていた、というのは言い訳にはならぬ。あの小娘もまた、その影響を受けておるであろうし、加えてわしと一戦交える直前まで、練気の力を振るい続けておったのだから。疲弊という点も含めれば、小娘の方が圧倒的に不利であったはずじゃ。
だと言うのに、あの小娘はわしの全力を
これを完敗と言わず、どう言えば良いのじゃろうか)
"完敗"と云う事実を受け入れた瞬間。妄念の塊である地縛霊の『涼月』の胸中に去来した感情は、憤怒や怨恨ではなく――目に映る晴れやかな蒼穹の如きスッキリとした清涼感。そして、頸椎のみで構成された
「カッカッカッカッカッ!
負けた、負けた! 見事なまでに、叩き伏せられたわい! わしの人生の三分の一も生きておらぬ小娘に、完膚なまでに叩き潰されたわい!」
笑いを吐き出すと、身体に残っていた衝撃も不思議と一緒に吐き出されたようである。ふと身が軽くなり、軽快に両腕で身体を持ち上げると、そのまま胡座をかいてナミトと向き合う。
「『破塞』」の言った通りじゃ。わしは駒としての兵士としては失格じゃ! 趨勢やら大局やらよりも、名誉やら面子やらの方を重んじる
それ故に、死してなお幾星霜、戦士の身で在り続けられておるワケじゃがな!
この人生、わしは決して嫌ってはおらぬ、むしろ気に入っておるくらいじゃがな! 生者には面倒な限りじゃろうて!」
「我ら死者相手であろうとも、お前の面倒は変わらんぞ」
ナミトの背越しに『破塞』がボソリと釘を刺すと、『涼月』はもう一度大笑い。
次いで、骨のみで構成された指でナミトを差しながら、笑いの調子を継いだままに語る。
「小娘、いや、嬢よ。わしはおぬしに負けた。死してなお戦士である身に誓って、その事実を覆しはせぬ。
そして敗者は、勝者に屈するが勝負の定めじゃ。さぁ、如何様にでもするが良い!」
「それじゃ、遠慮なく!」
ナミトは連戦でボロボロになった制服の右腕を肘の上まで捲り上げると。腕をブンブンと回しながら、座したままの『涼月』の元へと歩を進める。
如何にも右腕に力を込めているような素振りに、『破塞』の後ろに控える
さて、『涼月』の間近にまで迫ったナミトは、握り拳を作って大きく振り上げる。そして、意地悪そうにニヤリと笑ってから、ブンッ! と風を切って振り下ろすと…。その拳は『涼月』の兜を被った頭頂を捉える――ことなく、彼の顔の手前を過ぎる。そして、『涼月』の胸元の辺りで、柔らかく五指を解いた形で突き出される。
それは、握手を求める手付きである。
トドメを刺されてると覚悟していたらしい『涼月』は、キョトンとナミトの顔に視線を上げる。するとナミトは、大輪のヒマワリを思わせる笑みを顔に
「それじゃ、ボク達に手を貸してよ!
あ、でも、槍のじーちゃんは治療の技に疎そうだから…周辺状況の確認と警護をしてもらうだけでも、助かるからさ!」
「いや、まぁ、わしも霊体相手の治療術なら多少心得ておるわい。長けておる、とは言い難いのじゃが…」
まだ困惑が混じっているものの、素で答える『涼月』。が、すぐに首を左右に振ると、眼窩をちょっと怒らせて騒ぐ。
「いやいやッ! お嬢よ、わしはお前を全力を
わしの意固地は、獅子身中の虫じゃ! 処断できぬならば、せめて拘束せねば…!」
「そんな事して、何になるのさ?
それより、今は猫の手も借りたいくらい人手が欲しいからね。槍じーちゃんが"如何様にもせよ!"というなら、手伝ってもらう方が、ボクだけでなく、ここに居るみんなにとっての得になると思うんだよね!」
"如何様にもせよ"という台詞は低い声で『涼月』を真似ながら、それ以外は始終笑顔で以て語る。
加えて、「それとさ」とナミトはウインクを投げて言葉を継ぐ。
「槍じーちゃんは頑固なところ、止められないけど欠点だと思ってるみたいだけどさ。そのお陰で、ボクとじーちゃんは、遠慮なしの全力でぶつかれたんだ。
ボクは…副部長とかロイほどは好戦的じゃないつもりだけど…戦うのも楽しんじゃう
んで、手心のない本気だったからこそ、こうやってじーちゃんと知り合えたんだ。それもとっても嬉しいことだよ!」
そんなナミトの言葉を、あんぐりと口を開いたまま聞き終えた『涼月』は、初めはクックックッと小さく、そして遂には「カーッハッハッハッハッ!」と大笑いする。
そして、差し出されたナミトの手を取ると、骨だらけの指でギュッと力強く握り返す。
「敵わぬ! 全く敵わぬな、お嬢には!」
そして、ナミトがグイと力を入れたのに乗じて、『涼月』は腰を上げる。
立ち上がって改めて向き合った2人。『涼月』は赤い鎧で覆われた胸板をドンッと叩く。
「この『涼月』! お嬢の気心に応え! 我が同朋を全力で救い出そうぞ!」
こうして『涼月』の手も得て、
その最中、『涼月』はこんな事をポツポツとナミトに語って聞かせる。
「頑固を自負しておるわしは、こうも折れたワケじゃが…。しかし、お嬢の友と未だ戦い交わしておる我らが"姫"は、絶対に折れぬ。
我らの万兵がこぞって諸手を上げようとも、"姫"だけはその霊の身が掻き消えるまで、絶対に止まらぬ」
それを横で聞いていたナミトは、視線は患者の
「"姫"…って、ロイ達が言ってたゴスパンクの女の子の
その
「いや、わしや『破塞』に比べれば、年浅いものじゃ。『藻陰』より若かったかも知れぬ。
しかし、旧時代においても名を馳せておったのは確かじゃ。
何せ"姫"は当時、とある大国に兵器として用いられておったからのう」
「ああー、怨霊兵器ってヤツね。なんだっけ、アメダマとか云う国がニポンとか云う国から
ナミトが語ったのは、ユーテリアの授業で聞きかじった昔話である。
対して『涼月』は、首を縦に振る。
「"姫"はその運用献体第壱号として、世界の軍隊を震撼させておったのじゃよ。名に『
『
その間、"姫"は己が死を迎えた浴槽と共に、絶え間なく戦闘に投入された。"姫"としては、死後くらい穏やかに過ごしたかったと、漏らしておったよ。しかし"姫"は休む間もなく、騒々しい戦場に投入されては、兵士どもの心の臓の動きを止めていった。
そうやって、幾年も幾年も、望まぬ所業を強いられ続け、その挙げ句に――」
『涼月』は深く嘆息する。
「この
「うわ…それはキツいね…」
ナミトが思わず『涼月』へと視線を向けて、顔を歪める。
「地球じゃ昔から、"死者より生者の方がよほど怖い"なんて言われてたって聞くけど…それを痛感させられる話だなぁ…。
生者の方が欲に際限ない分、何をしでかすか分からないから厄介だもんねぇ」
「ゆえに、"姫"のこの
わしらがお嬢と手を取り合っていようとも、"姫"の心の氷は溶けぬ。全身差し貫く
『涼月』の言葉には、申し訳なさげな響きが含まれている。敗北した上で、己を厚遇するだけでなく同朋をも助けているナミトは、恩人そのものである。そんな恩人の友の命を、己の同朋が奪うことになれば…。現時点からすでに、バツが悪いだけでは済まされない罪悪感に苛まれている。
しかし、ナミトは患者に向き直りながら、フッと笑みを浮かべて『涼月』の不安を吹き飛ばす。
「ダイジョブ、ダイジョブ!
ロイのヤツ、バカだから、どんなに執着されようがお構いなしだから。
むしろこっちこそ、バカが事情も考えずに、好き勝手にポカポカ"姫"さんのことを殴りまくっちゃうと思うから、謝らなきゃいけないよ!」
「ふむ…」
『涼月』は同意するでも否定するでもなく、単にそう返事すると、黙り込む。
それから2人は、まだまだ長蛇の列を作る
◆ ◆ ◆
「…『涼月』までも、
青い唇が苦々しく歪み、火を吐くような苦言を漏らす。
その気の乱れが、彼女に窮地を招いてしまう。
「ボサッとすンなよ、お姫様ッ!」
急に眼前に飛び出したのは、"パープルコート"の猛者、ゼオギルド・グラーフ・ラングファーである。彼が身に
「くっ!!」
気が逸れていた
単なる金属塊の一撃だけならば、
霊体への直撃によって、ゼオギルドの足は湿った綿を踏んだようなグンニョリとした力ない感触を得る。それに反して
(舐めるな…!)
しかしゼオギルドは、右足の行玉をブラウンに輝かせ、中空に岩盤を作り出すと、それを足場に思い切り蹴って跳び退く。怨場は虚しく岩盤に捉えたが、
…が、彼女の試みは叶う前に、文字通りに粉砕される。ガゴンッ、と鈍い音を立てて岩盤が砕け散ったかと思うと、その向こうから姿を見せてこちらに迫るのは、
「う…くっ!」
苦悶の声を上げる
こうなってしまっては、空中のみならず地上もロクに動けない。肉体を持たぬ
(それでも…私は…!)
「がぁ…はぁっ!」
武器を辿って視線を向ければ、そこには巨大な機体を誇るサヴェッジ・エレクトロン・インダストリーの操縦適応者、プロテウス・クロールスの人型機動兵器の姿がある。
「こんな…もの…っ!」
槍の柄に沿って、ゼオギルドと『十一時』が急接近してきている。
ゼオギルドも、『十一時』も、プロテウスも、特に共謀して
(おのれ…ッ! 腑抜けの日和が、私の足にまで枷を付けるとは…ッ!)
槍を抜こうと必死に足掻く、
絶望的な万事休す場面に、
だが――彼女の悲劇的な結末は、颯爽と横から飛び出した黒い翼を持つ影が、文字通り弾き跳ばす。
「オオォラァァァッ!」
怒号にも似た気合いと共に飛び込んで来たのは、背中から生えた黒い竜翼をはためかせ、流星のように降ってきたロイだ。彼の大剣ばりに太く、鋭い脚の鉤爪が、まず『十一時』の背中にめり込む。
「ああん…!?」
ロイの行動を予想だにしなかったらしい、ゼオギルドが困惑と驚嘆の入り交じった声を上げて目を見開いていると。ロイは脚に『十一時』を捉えたまま黒い烈風となって転身。強靱な竜尾をゼオギルドの腹部目掛けて叩き込む。
「んげっ!」
ゼオギルドは慌てて交差させた両腕で腹部を守ったものの、竜尾の激突によってその体は一気に後方へと吹っ飛ばされる。
少し遅れてロイは、『十一時』も脚から振り離すと。『十一時』、ゼオギルド、そして未だ攻撃準備中のプロテウスがほぼ一直線に並ぶ。
この機を逃すロイではない。肺を破かんばかりの肺活量で大気を吸い込むと、牙だらけの口元に正六角形の方術陣を展開し、その中に息吹を叩き込む。方術陣を通過した息吹は火花のような小さな煌めきが幾つも灯る、電撃の奔流となって3人を一直線に貫きに行く。
(電撃ならば、いなせる…いや!)
分離した尾部で電磁場の防御フィールドを形成しようとした、ロイに最も近い位置を吹き飛ぶ『十一時』。しかし彼はあることを悟り、慌てて背部のバーニア推進機関をふかして回避行動に出る。しかし、判断が一瞬遅れたために、右脚が奔流の中に巻き込まれてしまう。
「があぁっ!」
『十一時』が、真紅の左眼を更にブヨブヨに充血させながら絶叫する。直後、右脚を奔流から引き抜いたが…その惨状と来たら、目を覆わんばかりだ。金属筋肉繊維はゴッソリと抉られ、重金属の骨格が剥き出しになっている。しかも、
「クソッ、やべぇッ!」
予め回避行動に入っていたゼオギルドであったが、『十一時』の惨状を目の当たりにし、更に危機感を募らせる。両脚の行玉で作り出した岩盤と金属の足場を全力で跳び回り、なんとか奔流の直撃を免れるものの――。
「いってぇッ!
なんだァッ、おい!?」
ゼオギルドは、奔流に比較的近い右腕に、深々と刺さるような痛みを覚えて、さすりながら目を通す。するとそこには、真っ白い霜が体毛と皮膚を蝕んでいた。
奔流はそのままプロテウスに迫るが、彼の機体の周囲には空間歪曲による防御フィールドが展開されている。単純な力押しでは、その進行方向がグニャリと歪曲されてしまうのだが。
奔流は一瞬、捻れたように歪んだものの、ボッ! と大気の爆ぜる音と共にプロテウスの防御フィールドを突破。槍を持つ右腕部に直撃する。
「なにをした!?」
コクピットの中で叫ぶ、プロテウス。しかし彼は直ぐに、爆発せぬままもぎり取られた右腕部の状況をメンテナンスシステムで確認し、ロイの攻撃の正体を知る。
「電流に、絶対零度の
絶対零度は極寒であると共に、分子を初めとしたあらゆる粒子の運動量が極小となった状態だ。すなわち、空間に粒子性を持たせることでエネルギーの暴走を引き起こしている空間歪曲の運動量も極小化し、それを収めてしまう作用を引き起こす。
しかしながら、絶対零度はその性質上、魔法科学を以てしても――いや、哲学的定義が物理的事象となる魔法科学だからこそ――高速度との同居を嫌う。それを克服するには、自然則をねじ曲げるほどの強大な魔力を用いる必要が生じる。
それは通常、多人数の術者や、強力にして巨大な魔力発生装置でようやく実現出来る技術だ。それを、体内での術式構築だけで実現して見せるとは――魔術の扱い非常に長ける希少人種、
「おンもしれぇ事、やってくれるじゃねぇか、ガキィッ!」
荒々しく吐き捨てながらいち早く反撃に転じたのは、ゼオギルドだ。未だ脚のダメージが回復せず四苦八苦する『十一時』の背後に迫ると、凍てついたままの右腕を振るい、張り手をバシンッ! と叩きつける。同時に、右手の甲に埋め込まれた行玉が業火の如く真紅に輝くと、
(あの男…! 我を飛び道具として使い捨てるかッ!)
『十一時』は反応の遅れを悔やみながらゼオギルドに怒りを燃やしたが、光速の思考でもってすぐに激情を押さえ込むと。爆裂で得た加速を利用してバーニア推進機関の噴射を交えてロイへと一気に肉薄すると、連結した二本の尻尾を思い切り振るう。
「…痛ぅっ!」
ロイは竜鱗で覆われて両腕で『十一時』の尻尾を防御するが、収束して単位面積当たりの加圧が激化したローレンツ力が深々と肉に食い込み、鱗と共に鮮血が舞う。
だが、ロイの体は吹き飛ばず、その場に留まっている。ロイは牙だらけの口でヒュゥッ! と鋭く吸気を行い、
「させるかよッ!」
声と共に、ロイの頭上から落雷の如く襲いかかる、ゼオギルド。今度は左腕に巨大な槌の如き氷塊を付け、振り下ろして来たのだ。
「こっちの台詞だってンだッ!」
ロイも負けじと叫び返しながら、体を器用に捻り、鉤爪の光る竜脚でゼオギルドの氷塊を受け止める。いや、それに留まらず、強烈な衝撃で氷塊を撃ち返してみせた。
「うおっ!」
たまらず声を上げながら、グンッ! と宙に吹き飛ぶ、ゼオギルド。そこへロイが転身しつつ竜翼をはためかせ、さながら漆黒の竜巻のようになりながら『十一時』を振り切って上昇すると、ゼオギルドへと接近する。体勢の崩れた彼を叩くつもりだ。
しかし、ロイの目論見は直ぐに、横殴りの衝撃と共に霧散する。
(なンだッ!)
メキメキと脇腹の骨肉を軋ませる衝撃に血反吐を吐きながらも、生気で爛々と輝く黄金の瞳で衝撃の方向を睨み付ける。するとそこには、片腕を失ったプロテウスの機体が数百メートル距離を取った上で、対人用の実弾兵器を連射している姿がある。
「このデカブツッ!」
ロイは転身すると、腹部に食い込んでなお押し進む弾丸をいなす。そして黒い竜翼をバサリと強く打つと、弾丸にも劣らぬ速度でプロテウスへ向かって突撃する。
…が、十数メートルも進まぬうちにガクンッ! と速度が急減。何事かと振り返れば、ロイの両足首を掴む『十一時』の2本の尾がある。
「テメェッ!」
抗うロイは両脚を激しく動かしながら竜翼を羽ばたき続け、逃れようと足掻くが。『十一時』はロイごと2本の尻尾を大きく振り回すと、なぎ倒された木々が散乱する大地へと叩きつける。
「グハァッ!」
再び盛大に吐血するロイは、そのまま大きくバウンドする――いや、自ら跳び、『十一時』の拘束を何とか振り切ったのだ。
宙空に躍るロイは、即座に竜翼を動かして体勢を立て直すと、鋭く短い吸気を経て、熱線の
その隙にロイはプロテウスへ向けて飛行を続ける。対するプロテウスは飛び
――しかし、またも入ってしまう、横やり。今度は、巨大な四角錐状の金属塊と共に降下してきた、ゼオギルドだ。
「オラァッ、ブッ潰れやがれッ!」
「チッ、クソッ、うぜぇなぁっ!」
――こうして集中攻撃の標的は、隙を作った
一瞬たりとも止まることない空中の激闘の一方で、
集中攻撃の標的が変わるに至ったきっかけ。それは、窮地に陥った彼女を
もしも前者だとするならば、その理由は何だろうか。
…この激闘の中で、自分が唯一の女性個体だからだろうか?
その思考した途端、
そして、笑い所はもう一つ。自分に向けられた善意や同情は、絶対に返りはしない。
返るとするならば、
(お前が何を考えようが…私は私の悲願に突き進む…それだけだ!)
同刻、ロイは「ぐうっ!」とくぐもった声を上げ、攻撃を
ロイはロクに動かない首を巡らせず、黄金の瞳で
(さぁ、あなたはここで退場よ。
死ね)
そんな
(何を笑う!?)
(まさか…! 完全に不意をついたのに…! こんなに簡単に破られるなんて…!)
(!!)
(あの男、一体何を考えている…!?)
左右にはゼオギルドと『十一時』。眼下には
「前門の虎、後門の狼」どころか、四方を完全に災厄で囲まれている、字面の通りの四面楚歌。
この場に居る5人は、誰も彼もが身体中ズタボロと言っても過言でない損傷を受けている。プロテウスの魔化重金属装甲の表面も、大気のない衛星表面のように大小の
しかし、中でも一番の損傷を受けているのは、つい先刻まで集中攻撃を受けていたロイに他ならない。身に纏うユーテリアの制服はボロ雑巾と見まがうほどで、真紅の鮮血を吸った染みが
それでもロイは、窮地を嘆くでなく、疲弊や苦痛に顔色を青くするでなく。凝り固まった血液で汚れた口角をニヤリと吊り上げてみせる。
「…狙い通りの、理想形だぜ…」
ロイが漏らしたその言葉は、微風の中に
故に、
――狙い通り? 理想形? この窮地が? そんな馬鹿な!
そんな叫びが胸中を満たした、その瞬間。ロイが天を仰いだかと思えば、牙がゾロリと並ぶ口をワニかと見紛うほどに大きく開き――!
「
吐き出した咆哮は、大気どころか空間までもビリビリと振動させ、肉体を持つ3者の体表および走行にビシビシッ! と切り傷を幾つも走らせる。
長い長い、地球よ揺らげとばかりの咆哮が、耳鳴りを残しながらようやく収まると。ロイは漆黒の竜拳に親指を立てて大地に向け、挑発の叫びを上げる。
「大人数相手に個体で暴れるのは、ユーレイの役目じゃねぇ。
そいつは、
それからロイは挑発の手付きを翻し、両腕を広げ、先の咆哮にも劣らぬ音量で叫び上げる。
「チマチマチマチマ、隙につけ込んでの足の引っ張り合いなんて、みみっちぃことしてンじゃねぇよッ!
折角5人も集まったンだ、
その全部――」
ロイは、露出した隆々たる胸板を拳でドンッ! と叩き――。
「オレが、相手してやっからよッ!」
威風堂々たる大口は、不敵にして凄絶なる笑みと共に放たれる。
その様子を見た
(バカなのか、あいつは…!
これほど実力者を複数相手に、単身で挑むだなんて…!
それとも、何か秘策でもあるのか…!?)
彼女が独り、驚嘆している間に。3人が無言の内に各々が烈風と化し、一斉にロイへと襲いかかってゆく。
「…それで良いンだよ」
ロイはポツリと呟くと、四肢に尾、翼を広げて、意気揚々とした戦意を見せつける。
「竜殺し、やれるモンならやってみせろッ!」
――こうして5つ巴の戦いも、終局へ向かう。