星ヲ撒ク者ドモ   作:眼珠天蚕

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Dead Eyes See No Future - Part 5

 ◆ ◆ ◆

 

 天空から逆さまにぶら下がる、凶悪とも見えるような鋭い水晶塊へと急激に成長した"それ"を、人々は果たして『天国』と呼ぶであろうか? …いや、そもそも、『天国』と認識出来るのであろうか。

 元は小さな寂れた公園程度の面積。今やアルカインテールを飲み込むほどに広大な存在と化した『天国』。

 そのあまりの豹変ぶりに驚きよりも(ほう)けの念が目立つナミトは、死後生命(アンデッド)達の定義崩壊をくい止める作業の手を思わず止めて見入り、「ほへぇ…」と間抜けな声を上げる。

 その数瞬後、眼下から昇る「うう…ううう…」というくぐもった呻きに、ナミトはハッと我を取り戻して視線を地に戻す。そこには、半透明な身体を持つ浮遊霊(ゴースト)が、ドロドロに溶けた墨絵の落書きのような顔を向けて、消えかかった両手をナミトに伸ばしている。

 「あっ、ゴメンゴメンッ! 苦しんでるところ、放置しちゃって!

 今治すからねー!」

 言葉の形になっていない浮遊霊(ゴースト)の呻きであっても、ナミトは的確に意志を読みとってバツの悪い笑みを浮かべて頭を下げると。練り上げた(けい)が青白い煙のように立ち上る両手で浮遊霊(ゴースト)の両手を包み込み、己の気力を更に強靱に練り上げる。すると、包んだ両手の中から春の太陽のように眩しくも優しい閃光が溢れ出る。

 同時に、浮遊霊(ゴースト)の崩れたような表情が、スマイルを象ったマスコットのような面持ちへと一変するのであった。

 

 浮遊霊(ゴースト)を始めとする多くの死後生命(アンデッド)は、表情や発声といった意志疎通能力に乏しい。

 彼らの肉体である霊体は、彼らが生前であった時に魂魄に刻んだ強い記憶を元に具現化が成されている。特に、生への執着を生む死の瞬間の記憶は非常に強い影響を与える。

 故に、死後生命(アンデッド)の多くの個体の霊体は、一見して肉体的に死亡していることが明白な形状をとることが多い。腐乱状態しかり、白骨化しかり、致命傷持ちしかり、である。

 故に、彼らの霊体は自身の元の肉体が死亡していることを前提に形成されるため、生体器官がうまく動かない、そもそも失われていることもある。筋肉は硬直したり腐敗したりして動かず、声帯も役目を果たさない状態に陥っている。

 己の霊体をある程度自由に操作出来るような、所謂"高等"な存在になれば上記のような不利を覆すことも可能だ。しかしながら、その領域に達することが出来る個体は決してありふれてはいないのだ。

 そんな彼らの意志をナミトが的確に読み取れるのは、魂魄に影響を与える練気技術の応用による。目にした魂魄、ひいては霊体の状態から、細やかな状況を読み解くことが出来るのだ。

 

 さて、ナミトの練気による治療により、両手が消滅の憂き目から快癒した浮遊霊(ゴースト)は。マスコットの墨絵のような顔を更ににこやかに緩ませると、ペコリと頭を下げる。その有様は旧時代に人を怖がらせた死者というより、面持ちの通りの愛らしいマスコットキャラクターを想起させ、ナミトの顔を(ほころ)ばせた。

 「よーっし! 次の方、じゃんじゃんどぞーッ!」

 快癒した患者の姿から元気を得たナミトは、パァン! と小気味よく手を叩いた音を響かせ、声を上げる。大規模な定義崩壊という惨状の中、希望の輝きを運ぶような活気ある言葉を運ぶ彼女の姿は、まさに星撒部の理念を擬人化したようであった。

 そんな彼女の、9本のしっぽがモフモフと生えた背中に、バツの悪そうな低い声が投げ掛けられる。

 「…申し訳ないな。敵対していた我らに対してまで、救いの手を差し伸べてくれるとは…」

 語った相手は、ナミトの直ぐ背後、と云っても良い距離で屈み、済んだ夜空の満月のような白銀の(けい)を用いて死後生命(アンデッド)の治療に当たる人物。錆びた西洋鎧に全身を包んだ地縛霊、『破塞』である。

 『バベル』の起動に伴う災厄によって甚大な被害を被った『冥骸』。ナミトと交戦していた3体の内、旧式機動装甲服に身を包んだ霊体『藻陰』が定義崩壊してしまった直後、『破塞』は戦闘行動をかなぐり捨てて仲間達の身を案じた。そこへナミトは、隙有りと攻撃を仕掛けるどころか、彼女もまた交戦の手を止めて彼に助力を申し出る言葉を掛けたのである。

 以後、2人は背中を預け合って死後生命(アンデッド)の救助に当たっていたのだった。

 「申し訳ない…?

 そんなの、気にしない、気にしない!

 確かにさ、一度は拳を交えた間柄だけど、ボクは別にキミ達を根絶やしにする仇敵ってワケじゃなかったんだし」

 ナミトが手の代わりにキツネの尻尾をユッサユッサと振って、『破塞』に返答する。

 「第一、ボク達、星撒部は困る人を殴るより、困ってる人を助けるのが目標………の、はずだから!」

 言葉にちょっと間が空いたのは、部の中でも好戦的とも言える態度を取るロイや副部長の渚の態度や所業が脳裏を過ぎったからである。…彼らの場合、困る人を嬉々として殴り倒すことに夢中になりそうだ。

 ナミトの言葉を聞いた『要塞』は、錆びたフルフェイスの向こう側で、愉快そうな、そして懐かしむような笑い声を上げる。

 「旧時代なら、あんたみたいな人は"天使"と呼ばれただろうけどな。

 今の世の中じゃ、"天使"と言えば『現女神』の使い走りの怪物だ。褒め言葉にならんよな。

 この時代、あんたのことを褒め称えるなら、なんて言うべきなんだろうな?」

 「褒め称えるとか、そんなの必要ないって!

 ボクにとって、これは当たり前の行動。みんなも、そしてボク自身も人生が楽しめるようにするために必要なことをやってるだけに過ぎないからね。

 人から褒められるようなことじゃないって」

 ナミトは『破塞』の方を振り返ることこそしなかったものの、顔には隠しきれぬ照れ笑いが浮かびあがっている。

 存在理論が全く異なる種族の間に芽生えた、穏やかな友情意識。その雰囲気によって、『冥骸』と言う禍々しい名を背負う死後生命(アンデッド)達は、一端癒しを得ると成仏を得たかのような極楽の表情を浮かべたり、ナミトが神仏の化身であるかのように手を合わせて拝んだりと、和やかな態度を取って行く。

 天空を覆う刺々しい存在よりも、地に在るこの場こそが天国であるとでも言わんばかりの暖かさが、ここに広がっていた。

 

 ――しかし。

 その暖かみに暗雲を差すように、1つの影がナミトの頭上を覆う。

 同時に、ナミトの頭についたキツネの耳がピクリと動いたかと思うと、治療の途中であった蠢骸骨(スケルトン)を抱き締めながら小さく跳び、落下してくる影をやり過ごす。

 直後、「チィッ!」と舌打ちする、壮健ながら掠れの混じった老体の声。そして、一瞬前までナミトが座していた大地を一文字に裂いて焦がす、殺意の一閃。

 周囲で死後生命(アンデッド)達が慌てふためいて距離を取る最中、体制を立て直したナミトが抱えた蠢骸骨(スケルトン)に優しく視線と声をかけて具合を確かめる。蠢骸骨(スケルトン)は"問題ない"と言いたげに力強く首を立てに振ったが、眼窩が不安そうに垂れ目の形状を取っている。

 「ごめん、ちょっと離れててね」

 ナミトが声をかけて腕から解放すると、蠢骸骨(スケルトン)はカシャカシャと間接を鳴らしながら、遠巻きに距離をとった死後生命(アンデッド)達の群に加わる。

 そんな彼の挙動の一部始終を見送ったナミトが、突然襲いかかって来た者へと鋭い非難の視線を投げる。そして何か言葉を放とうと、唇を動かした、その瞬間。彼女より早く怒号を上げたのは、『破塞』であった。

 「『涼月(れいげつ)』! 貴様、気でも狂ったか! 現状を把握出来ているのか!?

 お前の入れた横槍は、我らを破滅に導くものだぞ!」

 怒号をぶつけられた相手――東洋の武士の姿を取り、髑髏(どくろ)の顔面を持つ地縛霊、『涼月』は眼窩に爛々とした青白い炎を灯し、尖った犬歯だらけの口から唾の飛沫を吐き出さんばかりの勢いで喚き散らす。

 「気が狂うた、だと!? その言葉、そっくりそのまま貴様に返すわい、『破塞』よ!

 この都市国家(いくさば)が乱れに乱れ、邪魔立てする者どもがこぞって足並みを乱しておる今こそ、我らが悲願をこの手にする好機ではないかッ!

 しからばッ! のうのうと敵と手を取り合い、馴れ合う貴様の方こそ、気が狂っておるというもの!

 いや、単に気狂いどころか、わしらが一党の悲願を足蹴にする、とんだ裏切り者じゃわいッ!」

 炎に覆われた長槍の切っ先をピタリと『破塞』の心臓に向けたまま、『涼月』が一(しき)り語り終えると。今度は『破塞』が、着込んだ錆び鎧の下の総毛がワサワサと立つような気迫を孕み、両腕を大きく振って反撃する。

 「『涼月』よッ! 死してなお兵士たらんとする者ならば、機を計る慧眼を(もっ)てよくよく鑑みてみよッ!

 我らが欲した『バベル』は、もはや完全に起動した! 挙げ句、その気質は、とてもでないが我らが掠め取れるような代物ではないこと、貴様もその身で痛感したであろう!

 あれは悲願の達成の旗印などではないッ! 我ら一党を更なる地獄に叩き込む、災禍そのものだッ!

 この期に及んであんな代物に固執するのは、愚の骨頂ッ! それよりも、今この場で求められるのは、次なる機会のためにも今この場を如何に乗り切るかッ! それこそが大事ではないかッ!」

 すると『涼月』は、『破塞』の土星をハッ! と強い調子で鼻で笑い飛ばす。

 「腰抜けとは貴様のことッ! そして、そこで日和(ひよ)った雑魚(ざこ)どものことッ! 正にそのことを指すのだなッ!

 我らが長たる[[rb:亞吏簾零壱>ひめ]様は、今なお身を切って戦い続けておるというにッ!

 剣も拳も交えず、かと言って白旗も振らずに、敵と馴れ合うその姿を姫様が見たならば、どのように嘆くことかッ!

 いや、この星系の果てに待つ同朋も、貴様等のことを如何ほど腑抜けと思うことであろうかッ!」

 「腑抜けだとッ!? (いたずら)魂魄(たましい)を賭し、無益なる足掻きを賛美することが、どうして誉れと――」

 『破塞』が更なる舌戦に応じようとした、その時。彼の前に立ち、スッと一直線に伸ばした腕で彼を制した者がいる。ナミトだ。

 「これ以上は良いよ、鎧のじーちゃん。

 今のままじゃ、この槍のじーちゃんに何を言っても無駄だもん」

 …では、何をすれば良いと言うのか? そんな無言の問いかけをする『破塞』に答えるように、ナミトは右手で作った拳を左掌にパァンッ! と打ち合わせると。爛々としたアグレッシブな輝きを放つ、不適な笑みを浮かべる。

 「ねぇ、槍のじーちゃん。

 つまり、さっきの闘いの勝敗も有耶無耶(うやむや)だって言うのに、サクッと手を取り合えるほど吹っ切れた人間(ヤツ)じゃない…そう言いたいんだよね?」

 「…む…」

 『涼月』の口から漏れた小さな唸りには、膨らんだ怒気のやり場に困ったような震えが含まれている。ナミトの言ったことは、彼に図星だったようだ。

 この場に先日からアルカインテールに入都していた部員の誰かが居れば、その事情を直ぐに理解してくれたかも知れない。昨日から激しく敵意を剥き出しにして交戦して来た間柄だと言うのに、その過去をポンと忘れて手を取り合うなどと、過去の固執にこそ存在定義の重きを置く死後生命(アンデッド)には納得いかぬ話であろう。

 さて、ナミトは『涼月』の態度から肯定の意志を読み取ると、ややゆっくりとした動作で身構えて見せる。顔には相変わらず、不適な笑みが張り付いたままだ。

 構えた姿のまま、ナミトは拳を握っていた右手を開くと、そのまま掌を天に向けて、親指を除く4指をクイクイと泳がせ、『涼月』を挑発する。

 「じゃ、じーちゃんの望み通り、決着つけようよ。

 それなら勝っても負けても、満足行くでしょう?」

 「…ナミト殿、そんな事をしている場合では…」

 『破塞』がオロオロと両手を伸ばして抑えようとするが。そんな彼の挙動を吹き飛ばすように、『涼月』が剥き出しの歯をカタカタ鳴らしながら「カッカッカッ!」と笑う。

 「死してなお、戦を求める身のこのわしじゃ。それこそが本望よッ!」

 『涼月』は、ナミトの挑戦を受けた。

 「鎧のじーちゃん。ボクが()り合ってる間、みんなのことお願いするね」

 ナミトはチラリと背後の『破塞』に視線を向け、パチンとウインクして見せる。"今からちょっと一汗かいてくる"とでも云うような軽い調子に、『破塞』は2度目の制する言葉を口に出そうとしたが…結局、咽喉(のど)から声が出ることはなかった。

 『涼月』に向き直ったナミトが、9本のキツネの尻尾をビンッ! と逆立てた箒のように立たせると。同時に全身から立ち上る、岩のような険しく堅い気迫に、言葉を塞がれたのだ。

 『破塞』はそれでも、悪足掻きするように首を2、3度振ってみせると、踵を返して背後に集った死後生命(アンデッド)達と向かい合うことにした。『涼月』は勿論、ナミトにも最早何を言っても無駄であると悟ったのである。

 

 対峙するナミトと『涼月』は、不動のまま暫しの時間を過ごす。

 その静寂を破る口火になったのは何か、誰の目から見ても分からない。恐らくは、きっかけなど全く無かったのかも知れない。

 ともかく、初めに突き刺すような息吹(いぶき)を上げて動いたのは、『涼月』であった。切っ先を前に向けて構えたいた槍を大きく頭上に持ち上げると、そのまま旋風のようにグルグルと回転させる。

 やがて槍は、大袈裟にも大気の摩擦にやって発火した、とでも言わんばかりの勢いで、ボワッと膨れ上がるような業火をまとう。赤々とした熱光と共に回転するその有様は、炎風による竜巻を想起させる。

 十分に威圧的な代物を、『涼月』は頭上においたまま更に回転を続ける。威嚇によってナミトの意志を(くじ)く事が目的かと思いきや、そうではない。回る槍の炎が、ゴオッ! と激しい音を立てながら、爆発的に体積を増す。本当に竜巻と化した…という表現は、的を外れていない。回転する炎が勢いの余りに弾き跳ばされたかのように軌道を外れた、かと思うと、そのまま空中で巨大なとぐろを撒き、(しま)いには高々と鎌首を上げる。首の上に乗っているのは、太陽の中の黒点のように浮かび上がる黒い影で、それは耳まで口の避けた暴龍の表情を持つ。

 『涼月』が挙動と己の霊力から作り上げた、彼自身の霊体の延長であり、仇敵を激しく憎悪する凶暴なる炎の悪龍である。

 その高さ、優に5メートルは越える場所から、暗く鋭い[[rb:睥睨>へいげい]する、炎の龍。対してナミトは、臆した様子は全く見せない。風のない水面のように静閑に、構えを崩さずに対峙している。

 いや、全く動じていないというのは、2つの点を(もっ)て偽りだ。1つは、彼女の両拳が湯気立つような陽光を放つ練り上げた気に包まれていること。そしてもう1つは…彼女の表情だ。

 先刻、『涼月』を挑発していた時に表情に張り付けていた笑みが、更に大きくなっていたのだ。空腹の中、大好物を目の前にした時のような、舌舐め()りを伴いそうな明瞭にして凄絶な笑み。

 そんな彼女の表情を見て、怒りを覚えたのかも知れない。『涼月』が都市中に響き渡れ、と言わんばかりの気合を上げる。

 「とおぉりゃあああぁぁぁっ!」

 転瞬、『涼月』は槍の回転と共にクルリと体を半転させる。すると頭上でとぐろを撒いていた炎龍がバラリと身体を解いた。そして、『涼月』の振り回す槍の動きに連動して大きな円を描きつつ、ナミトへと横薙ぎに迫る。

 勢いと炎熱によって栗色の前髪がバサバサとはためくとも、ナミトは回避行動を取るどころか、ピクリとも動かない。その最中、炎龍は大口を開いて、ナミトの脇腹目掛けて肉薄する。

 制服の生地が激しい炎熱によってチリチリと小さな音を立てた始めた、その時だ。ナミトがようやく、動きを見せる。

 半歩横に身体をずらしたかと思うと、輝く右拳の甲で(もっ)て炎龍の顎を、コツン、と突いたのだ。それは疾風の速度ながらも、さほど激しさを伴わぬ、小さな行動である。

 しかし炎龍は、手の甲の一撃見回れた途端、巨大な槌で叩き返されたように大きく体を振って元来た方へと吹っ飛んでゆく。

 ナミトの放った(けい)は派手さは無いものの、その分釘の先端のように鋭く、無駄のない一撃となった炎龍の頭を捉えたのだ。

 「ぬうぅっ!?」

 予期せぬ挙動からの対処に、『涼月』が思わず声を漏らす。炎龍ごと大きく逸れた槍を構え直すさえ、一瞬忘れ呆けてしまったほどだ。

 その隙を付くように、ナミトが地を蹴ると、それまでの静閑とは打って変わった疾走を見せる。茶色のキツネの尻尾をはためかす一陣の風となった彼女は、身を低くして『涼月』の懐へと潜り込もうとする。

 「っ! させるかぁっ!」

 ナミトの疾走を見て戦意を取り戻した『涼月』は、骨だけで構成された手首をクルリと回して槍の動きを制すると、今度は迫るナミトの頭上やや斜め方向に槍先を振り下ろす。同時に炎龍も、ますます敵意を剥き出しにした表情を伴いながら、ナミトの頭を一呑みにしようと降下してくる。

 今回もまた、ナミトは炎龍の(あぎと)がキツネの耳が立つ頭の直ぐ(そば)に迫るまで放っておいたが。やがて、疾走の勢いを乗せたまま左腕を振り上げ、再び炎龍の顎下を捉える。

 今度、炎龍にぶつかったのは、中指を尖らせた拳骨だ。インパクトの瞬間、炎龍の輪郭の定まらぬ顔が明確にブワリと逆立った。尖らせた中指の関節を起点とした鋭い(けい)は、炎龍の頭部全てを震撼させる爆発的な衝撃を生み出したのだ。

 衝撃のまま炎龍はグンッ、と頭部を伸ばして天空へと吹き飛ぶ。『涼月』の持つ槍も連動してグイッと引っ張られると、彼の赤い鎧に包まれた腹部が無防備に晒される。

 その中へとまんまと滑り込もうとするナミトに、『涼月』は今度は呆けることなく、怒号をぶつける。

 「舐めるな、小娘ッ!」

 声と同時に振り上げる、左足。しかしそれはナミトの顎先を掠めるに過ぎなかった。彼女は疾走の勢いを殺さぬまま巧みに歩をずらし、蹴りを避けたのだ。

 そして遂に、ナミトは『涼月』を額を突き合わせんばかりに肉薄する。

 『涼月』の髑髏の顔が、憎々しさよりも驚嘆の色に染まって歪む。彼が生者であったならば、全身から冷たい汗が吹き出たことだろう。

 続いて、勢いに比べて、そっ…と静かに腹部に触れる、ナミトの右の掌。その優しげな感触を覚えた、その直後。

 (ドンッ)ッ! 響く爆音、そして渦巻く衝撃波。『涼月』がそれらの感覚に翻弄された時には、彼の視界は目まぐるしく回転する。身体は重力から解放された浮遊感を得ながらも、身体の芯を貫く激震によって、身体をバラバラに四散されるような不快感を覚える。これが生身であったならば、間違いなく三半規管をかき乱され、消化器の内容物を盛大に吐瀉したことだろう。

 「ぅぬお…っ!」

 牙の剥き出しになった口から漏れる苦悶の声は、あまりにくぐもっていて、微風の中に直ぐに溶け込んでしまう。まともに発声することが困難なほど、『涼月』はナミトの一撃によって激しい打撃に苛まれている。

 彼の身体は、太陽の輝きを放つナミトの(けい)にくるまれたまま、錐揉みに回転しながら宙を一直線に飛んでゆく。声すら出せない打撃を受けているがために、体勢を立て直すことも出来ず、そのまま十数メートルを飛び続けると。背中から細かな瓦礫が広がる大地に着地し、ズリズリッと音を立てながら更に数メートル地を擦って吹き飛んでゆく。

 『涼月』の身体がようやく停止したのは、赤い(かぶと)をかぶった頭が、輪郭のデロリと溶けた大きな瓦礫にぶつかったからだ。それでもピタリと止まることはなく、背中まで瓦礫に乗り上げて"L"字になり、臀部が瓦礫にぶつかったところで、完全に動きが止まった。

 それでも(けい)の衝撃は身体から抜けきらず、『涼月』は満足に身を動かすことが出来ない。座したまま、そして重力に引かれた後頭部がカクリと垂れたまま、輝きの小さくなった炎の灯る眼窩で天空をぼんやりと見上げる。

 視界に映るのは、白い小さな雲が(まば)らに散る蒼穹の中をデンと占める、トゲトゲしい水晶塊を四方八方に広げた『天国』の姿。

 ――ああ、わしは、負けたのだ。

 『涼月』は、胸中でポツリと言葉を漏らす。

 成長した『天国』をまともに目にしたことで、奪取すべき標的である『バベル』が暴れ回り、手中に収められるような状態でない事を痛感した…ということも事情の1つであろう。それに加えて、先の一連の戦いの流れを思い返したことも、彼の意固地な心を折った大きな要因になっている。

 (わしは、持てる全ての力を出し切った。魂魄干渉に苛まれていた、というのは言い訳にはならぬ。あの小娘もまた、その影響を受けておるであろうし、加えてわしと一戦交える直前まで、練気の力を振るい続けておったのだから。疲弊という点も含めれば、小娘の方が圧倒的に不利であったはずじゃ。

 だと言うのに、あの小娘はわしの全力を(ことごと)く小さな動きで(さば)いてのけ、まんまと懐へ潜り込み、息のかかる距離まで近づいたところでこの一撃を浴びせたのじゃ。

 これを完敗と言わず、どう言えば良いのじゃろうか)

 "完敗"と云う事実を受け入れた瞬間。妄念の塊である地縛霊の『涼月』の胸中に去来した感情は、憤怒や怨恨ではなく――目に映る晴れやかな蒼穹の如きスッキリとした清涼感。そして、頸椎のみで構成された咽喉(のど)からは、屈託のない笑いが高らかに上がった。

 「カッカッカッカッカッ!

 負けた、負けた! 見事なまでに、叩き伏せられたわい! わしの人生の三分の一も生きておらぬ小娘に、完膚なまでに叩き潰されたわい!」

 笑いを吐き出すと、身体に残っていた衝撃も不思議と一緒に吐き出されたようである。ふと身が軽くなり、軽快に両腕で身体を持ち上げると、そのまま胡座をかいてナミトと向き合う。

 「『破塞』」の言った通りじゃ。わしは駒としての兵士としては失格じゃ! 趨勢やら大局やらよりも、名誉やら面子やらの方を重んじる性質(さが)じゃからな!

 それ故に、死してなお幾星霜、戦士の身で在り続けられておるワケじゃがな!

 この人生、わしは決して嫌ってはおらぬ、むしろ気に入っておるくらいじゃがな! 生者には面倒な限りじゃろうて!」

 「我ら死者相手であろうとも、お前の面倒は変わらんぞ」

 ナミトの背越しに『破塞』がボソリと釘を刺すと、『涼月』はもう一度大笑い。

 次いで、骨のみで構成された指でナミトを差しながら、笑いの調子を継いだままに語る。

 「小娘、いや、嬢よ。わしはおぬしに負けた。死してなお戦士である身に誓って、その事実を覆しはせぬ。

 そして敗者は、勝者に屈するが勝負の定めじゃ。さぁ、如何様にでもするが良い!」

 「それじゃ、遠慮なく!」

 ナミトは連戦でボロボロになった制服の右腕を肘の上まで捲り上げると。腕をブンブンと回しながら、座したままの『涼月』の元へと歩を進める。

 如何にも右腕に力を込めているような素振りに、『破塞』の後ろに控える死後生命(アンデッド)達の乏しい表情が、こぞって悲痛そうな絵面へと変わる。『破塞』の言う通り、『涼月』は彼らにとっても融通の利きにくい厄介者かも知れない。それでも『冥骸』の一員として、同じ目的に向かって長き時を過ごしてきた間柄。同朋意識は深く根付いていることだろう。

 さて、『涼月』の間近にまで迫ったナミトは、握り拳を作って大きく振り上げる。そして、意地悪そうにニヤリと笑ってから、ブンッ! と風を切って振り下ろすと…。その拳は『涼月』の兜を被った頭頂を捉える――ことなく、彼の顔の手前を過ぎる。そして、『涼月』の胸元の辺りで、柔らかく五指を解いた形で突き出される。

 それは、握手を求める手付きである。

 トドメを刺されてると覚悟していたらしい『涼月』は、キョトンとナミトの顔に視線を上げる。するとナミトは、大輪のヒマワリを思わせる笑みを顔に(とも)す。

 「それじゃ、ボク達に手を貸してよ!

 あ、でも、槍のじーちゃんは治療の技に疎そうだから…周辺状況の確認と警護をしてもらうだけでも、助かるからさ!」

 「いや、まぁ、わしも霊体相手の治療術なら多少心得ておるわい。長けておる、とは言い難いのじゃが…」

 まだ困惑が混じっているものの、素で答える『涼月』。が、すぐに首を左右に振ると、眼窩をちょっと怒らせて騒ぐ。

 「いやいやッ! お嬢よ、わしはお前を全力を(もっ)て殺すつもりであったのだぞ! そこに(たむろ)する一党をも腑抜けと(さげす)み、切り捨てようとしたのだぞ!

 わしの意固地は、獅子身中の虫じゃ! 処断できぬならば、せめて拘束せねば…!」

 「そんな事して、何になるのさ?

 それより、今は猫の手も借りたいくらい人手が欲しいからね。槍じーちゃんが"如何様にもせよ!"というなら、手伝ってもらう方が、ボクだけでなく、ここに居るみんなにとっての得になると思うんだよね!」

 "如何様にもせよ"という台詞は低い声で『涼月』を真似ながら、それ以外は始終笑顔で以て語る。

 加えて、「それとさ」とナミトはウインクを投げて言葉を継ぐ。

 「槍じーちゃんは頑固なところ、止められないけど欠点だと思ってるみたいだけどさ。そのお陰で、ボクとじーちゃんは、遠慮なしの全力でぶつかれたんだ。

 ボクは…副部長とかロイほどは好戦的じゃないつもりだけど…戦うのも楽しんじゃう(たち)だからさ。手心のないじーちゃんと戦えて、とっても楽しかったよ!

 んで、手心のない本気だったからこそ、こうやってじーちゃんと知り合えたんだ。それもとっても嬉しいことだよ!」

 そんなナミトの言葉を、あんぐりと口を開いたまま聞き終えた『涼月』は、初めはクックックッと小さく、そして遂には「カーッハッハッハッハッ!」と大笑いする。

 そして、差し出されたナミトの手を取ると、骨だらけの指でギュッと力強く握り返す。

 「敵わぬ! 全く敵わぬな、お嬢には!」

 そして、ナミトがグイと力を入れたのに乗じて、『涼月』は腰を上げる。

 立ち上がって改めて向き合った2人。『涼月』は赤い鎧で覆われた胸板をドンッと叩く。

 「この『涼月』! お嬢の気心に応え! 我が同朋を全力で救い出そうぞ!」

 

 こうして『涼月』の手も得て、死後生命(アンデッド)達の救助は進んでゆく。

 その最中、『涼月』はこんな事をポツポツとナミトに語って聞かせる。

 「頑固を自負しておるわしは、こうも折れたワケじゃが…。しかし、お嬢の友と未だ戦い交わしておる我らが"姫"は、絶対に折れぬ。

 我らの万兵がこぞって諸手を上げようとも、"姫"だけはその霊の身が掻き消えるまで、絶対に止まらぬ」

 それを横で聞いていたナミトは、視線は患者の死後生命(アンデッド)に投じて手を動かしながら、口だけ動かして問い返す。

 「"姫"…って、ロイ達が言ってたゴスパンクの女の子の怨霊(レイス)か。

 その()って、じーちゃんより年季入ってるワケ? そんなに執着心が強いってことは、よっぽど凄い霊だと思うんだけど。旧時代でも有名な霊だったりして?」

 「いや、わしや『破塞』に比べれば、年浅いものじゃ。『藻陰』より若かったかも知れぬ。

 しかし、旧時代においても名を馳せておったのは確かじゃ。

 何せ"姫"は当時、とある大国に兵器として用いられておったからのう」

 「ああー、怨霊兵器ってヤツね。なんだっけ、アメダマとか云う国がニポンとか云う国から死後生命(アンデッド)を仕入れて、兵器にしたんだよね?」

 ナミトが語ったのは、ユーテリアの授業で聞きかじった昔話である。

 対して『涼月』は、首を縦に振る。

 「"姫"はその運用献体第壱号として、世界の軍隊を震撼させておったのじゃよ。名に『零壱(ゼロワン)」と付くのは、その名残じゃ。

 『混沌の曙(カオティック・ドーン)』以前、魔法科学なんぞ指先ほども認知されておらんかった時代じゃからな。対策どころか理論すら不明の兵器を登用され、被害国の軍隊はさぞかし泡を食ったことであろう。

 その間、"姫"は己が死を迎えた浴槽と共に、絶え間なく戦闘に投入された。"姫"としては、死後くらい穏やかに過ごしたかったと、漏らしておったよ。しかし"姫"は休む間もなく、騒々しい戦場に投入されては、兵士どもの心の臓の動きを止めていった。

 そうやって、幾年も幾年も、望まぬ所業を強いられ続け、その挙げ句に――」

 『涼月』は深く嘆息する。

 「この地球(ほし)を追い出され、深遠の闇が閉ざす辺境へと捨てられたのじゃよ」

 「うわ…それはキツいね…」

 ナミトが思わず『涼月』へと視線を向けて、顔を歪める。

 「地球じゃ昔から、"死者より生者の方がよほど怖い"なんて言われてたって聞くけど…それを痛感させられる話だなぁ…。

 生者の方が欲に際限ない分、何をしでかすか分からないから厄介だもんねぇ」

 「ゆえに、"姫"のこの地球(ほし)への執着は、ただ(いたずら)にぼんやりと時を過ごしていた我らよりも、よほど強いのじゃ。望まぬ酷使の挙げ句に、故郷を追い出された無念は相当に根深いのじゃ。

 わしらがお嬢と手を取り合っていようとも、"姫"の心の氷は溶けぬ。全身差し貫く(トゲ)となりて、執拗に友の命を狙うであろうよ」

 『涼月』の言葉には、申し訳なさげな響きが含まれている。敗北した上で、己を厚遇するだけでなく同朋をも助けているナミトは、恩人そのものである。そんな恩人の友の命を、己の同朋が奪うことになれば…。現時点からすでに、バツが悪いだけでは済まされない罪悪感に苛まれている。

 しかし、ナミトは患者に向き直りながら、フッと笑みを浮かべて『涼月』の不安を吹き飛ばす。

 「ダイジョブ、ダイジョブ!

 ロイのヤツ、バカだから、どんなに執着されようがお構いなしだから。

 むしろこっちこそ、バカが事情も考えずに、好き勝手にポカポカ"姫"さんのことを殴りまくっちゃうと思うから、謝らなきゃいけないよ!」

 「ふむ…」

 『涼月』は同意するでも否定するでもなく、単にそう返事すると、黙り込む。

 それから2人は、まだまだ長蛇の列を作る死後生命(アンデッド)達の治療に専念する。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 「…『涼月』までも、日和(ひよ)ったか…!」

 青い唇が苦々しく歪み、火を吐くような苦言を漏らす。

 亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は、未だに続く5つ巴の乱戦の中、死後生命(アンデッド)特有の感情性魂魄振動の知覚から、『涼月』の降参と和解を知り、苛立ったのである。

 その気の乱れが、彼女に窮地を招いてしまう。

 「ボサッとすンなよ、お姫様ッ!」

 急に眼前に飛び出したのは、"パープルコート"の猛者、ゼオギルド・グラーフ・ラングファーである。彼が身に(まと)う軍服は止まぬ激戦によってボロボロになり、上半身はほぼ裸で、緑色に輝く行玉が埋め込まれた筋肉質の胸板が露出している。

 「くっ!!」

 気が逸れていた亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は、右腕を振り上げて慌てて迎撃行動を取るが…遅い。ゼオギルドの巨大な金属塊を生成した左足が、横殴りに彼女の身体に抉り込まれる。

 単なる金属塊の一撃だけならば、亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は霊体の物質化を解いて対処することも出来ただろう。しかし、金属塊は、ゼオギルドの胸の行玉から延びる蔓状植物に覆われている。植物が属するは木行、そして木行が発するは雷…この理論に則って発された電撃が金属塊を包み込んでいる。電撃が生み出す電磁場は、霊体と干渉しやすい。故に、亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)が物質化を解いても、電流と電磁場によってまんまと捉えられたことだろう。

 霊体への直撃によって、ゼオギルドの足は湿った綿を踏んだようなグンニョリとした力ない感触を得る。それに反して亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は、体を横方向に"く"の字に曲げて回転しながら、流星のように宙を飛んで行く。

 (舐めるな…!)

 亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は青い唇をギュッと閉ざして霊体をコントロール。ヒラリと紙のように一回転して体勢を立て直し、ゼオギルドに向き直る。そして、青い爪が伸びた右手をゼオギルドに向け、局所性怨場の生成を試みる。そのまま騒霊(ポルタースペクター)によってゼオギルドを捉え、反撃に転じるつもりだ。

 しかしゼオギルドは、右足の行玉をブラウンに輝かせ、中空に岩盤を作り出すと、それを足場に思い切り蹴って跳び退く。怨場は虚しく岩盤に捉えたが、亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は悔やむことなく、岩盤を操作してゼオギルドへぶつけようとする。

 …が、彼女の試みは叶う前に、文字通りに粉砕される。ガゴンッ、と鈍い音を立てて岩盤が砕け散ったかと思うと、その向こうから姿を見せてこちらに迫るのは、癌様獣(キャンサー)の勇、『十一時』だ。2本の長大な尻尾を関節単位で切り離した彼は、(トゲ)が延びる側面の各々に魔化(エンチャント)した電磁場で生成した刃を装備。その刃を高速で飛び回る羽虫の如く巧みに操り、亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)の両手足を次々と切り裂く。

 「う…くっ!」

 苦悶の声を上げる亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)。霊体は電磁場による斬撃を食らっても、体部を切断されるという(ためし)はあまりない。彼女もその例に漏れなかったものの、鋭く響く激痛に両手足の霊体がノイズにまみれ、グチャグチャになるほど形状を失う。

 こうなってしまっては、空中のみならず地上もロクに動けない。肉体を持たぬ怨霊(レイス)とは言え、移動器官という定義を持つ手足が揃っていなければ行動に大きな支障をきたすのだ。

 (それでも…私は…!)

 亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は激痛の中でも爛々と両眼を輝かせ、死後生命(アンデッド)でも特上級の速度と精度で手足の再構築を始める。出来うる限り素早く反撃に転じるつもりなのだが…。

 (ヴン)ッ! 強烈な風切り音と共に彼女を貫いた一撃が、彼女の努力を水泡に帰す。

 「がぁ…はぁっ!」

 亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)が声を上げた頃には、彼女の霊体は身を貫く長大な武器と共に、大地に縫い止められている。

 武器を辿って視線を向ければ、そこには巨大な機体を誇るサヴェッジ・エレクトロン・インダストリーの操縦適応者、プロテウス・クロールスの人型機動兵器の姿がある。亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)の体を貫いているのは、この機体が扱う次元歪曲用の槍状近接戦闘兵器だろう。貫かれた腹部が空間に沈み込み、抜け出せない状態になっている。

 「こんな…もの…っ!」

 亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は身を貫く槍の柄に手をのばし、引き抜こうと奮闘を始める。しかし、彼女の行動を黙って見守ってくれる程、敵は甘くはない。

 槍の柄に沿って、ゼオギルドと『十一時』が急接近してきている。

 ゼオギルドも、『十一時』も、プロテウスも、特に共謀して亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)を狙ったワケではない。5つ巴という面倒な拮抗状態を崩す機会を伺っていた彼らは、たまたま隙という"穴"を開けた亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)につけ込んだに過ぎない。その証拠に、迫り来る2人は互いの視線をチラリとも合わせず、我先に首級を上げんと競って飛び込んで来ている。それに彼らの後方では、迫る2人ごと撃滅しようと広範囲射撃攻撃の準備に入るプロテウスの機体の姿も見える。

 (おのれ…ッ! 腑抜けの日和が、私の足にまで枷を付けるとは…ッ!)

 槍を抜こうと必死に足掻く、亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)。彼女も『冥骸』を代表する実力者、槍は強力な騒霊(ポルタースペクター)に引っ張られてズズズッとゆっくり抜けて行くが、迫り来る2人やプロテウスの攻撃への回避には間に合いそうにない。

 絶望的な万事休す場面に、亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は青い唇の中でギリリッと歯噛みして、怨恨の中で敗北を覚悟する。

 だが――彼女の悲劇的な結末は、颯爽と横から飛び出した黒い翼を持つ影が、文字通り弾き跳ばす。

 「オオォラァァァッ!」

 怒号にも似た気合いと共に飛び込んで来たのは、背中から生えた黒い竜翼をはためかせ、流星のように降ってきたロイだ。彼の大剣ばりに太く、鋭い脚の鉤爪が、まず『十一時』の背中にめり込む。

 「ああん…!?」

 ロイの行動を予想だにしなかったらしい、ゼオギルドが困惑と驚嘆の入り交じった声を上げて目を見開いていると。ロイは脚に『十一時』を捉えたまま黒い烈風となって転身。強靱な竜尾をゼオギルドの腹部目掛けて叩き込む。

 「んげっ!」

 ゼオギルドは慌てて交差させた両腕で腹部を守ったものの、竜尾の激突によってその体は一気に後方へと吹っ飛ばされる。

 少し遅れてロイは、『十一時』も脚から振り離すと。『十一時』、ゼオギルド、そして未だ攻撃準備中のプロテウスがほぼ一直線に並ぶ。

 この機を逃すロイではない。肺を破かんばかりの肺活量で大気を吸い込むと、牙だらけの口元に正六角形の方術陣を展開し、その中に息吹を叩き込む。方術陣を通過した息吹は火花のような小さな煌めきが幾つも灯る、電撃の奔流となって3人を一直線に貫きに行く。

 (電撃ならば、いなせる…いや!)

 分離した尾部で電磁場の防御フィールドを形成しようとした、ロイに最も近い位置を吹き飛ぶ『十一時』。しかし彼はあることを悟り、慌てて背部のバーニア推進機関をふかして回避行動に出る。しかし、判断が一瞬遅れたために、右脚が奔流の中に巻き込まれてしまう。

 「があぁっ!」

 『十一時』が、真紅の左眼を更にブヨブヨに充血させながら絶叫する。直後、右脚を奔流から引き抜いたが…その惨状と来たら、目を覆わんばかりだ。金属筋肉繊維はゴッソリと抉られ、重金属の骨格が剥き出しになっている。しかも、癌様獣(キャンサー)十八番(おはこ)である超再生が始まらない!

 「クソッ、やべぇッ!」

 予め回避行動に入っていたゼオギルドであったが、『十一時』の惨状を目の当たりにし、更に危機感を募らせる。両脚の行玉で作り出した岩盤と金属の足場を全力で跳び回り、なんとか奔流の直撃を免れるものの――。

 「いってぇッ!

 なんだァッ、おい!?」

 ゼオギルドは、奔流に比較的近い右腕に、深々と刺さるような痛みを覚えて、さすりながら目を通す。するとそこには、真っ白い霜が体毛と皮膚を蝕んでいた。

 奔流はそのままプロテウスに迫るが、彼の機体の周囲には空間歪曲による防御フィールドが展開されている。単純な力押しでは、その進行方向がグニャリと歪曲されてしまうのだが。

 奔流は一瞬、捻れたように歪んだものの、ボッ! と大気の爆ぜる音と共にプロテウスの防御フィールドを突破。槍を持つ右腕部に直撃する。

 「なにをした!?」

 コクピットの中で叫ぶ、プロテウス。しかし彼は直ぐに、爆発せぬままもぎり取られた右腕部の状況をメンテナンスシステムで確認し、ロイの攻撃の正体を知る。

 「電流に、絶対零度の魔化(エンチャント)を上乗せしたのか!」

 絶対零度は極寒であると共に、分子を初めとしたあらゆる粒子の運動量が極小となった状態だ。すなわち、空間に粒子性を持たせることでエネルギーの暴走を引き起こしている空間歪曲の運動量も極小化し、それを収めてしまう作用を引き起こす。

 しかしながら、絶対零度はその性質上、魔法科学を以てしても――いや、哲学的定義が物理的事象となる魔法科学だからこそ――高速度との同居を嫌う。それを克服するには、自然則をねじ曲げるほどの強大な魔力を用いる必要が生じる。

 それは通常、多人数の術者や、強力にして巨大な魔力発生装置でようやく実現出来る技術だ。それを、体内での術式構築だけで実現して見せるとは――魔術の扱い非常に長ける希少人種、賢竜(ワイズ・ドラゴン)と言えども驚嘆の極みと言うべき芸当だ。

 「おンもしれぇ事、やってくれるじゃねぇか、ガキィッ!」

 荒々しく吐き捨てながらいち早く反撃に転じたのは、ゼオギルドだ。未だ脚のダメージが回復せず四苦八苦する『十一時』の背後に迫ると、凍てついたままの右腕を振るい、張り手をバシンッ! と叩きつける。同時に、右手の甲に埋め込まれた行玉が業火の如く真紅に輝くと、(ゴウ)ッ! と爆裂。『十一時』は衝撃に突き動かされるまま、肉体の砲弾となってロイの元へと吹き飛んで行く。

 (あの男…! 我を飛び道具として使い捨てるかッ!)

 『十一時』は反応の遅れを悔やみながらゼオギルドに怒りを燃やしたが、光速の思考でもってすぐに激情を押さえ込むと。爆裂で得た加速を利用してバーニア推進機関の噴射を交えてロイへと一気に肉薄すると、連結した二本の尻尾を思い切り振るう。

 「…痛ぅっ!」

 ロイは竜鱗で覆われて両腕で『十一時』の尻尾を防御するが、収束して単位面積当たりの加圧が激化したローレンツ力が深々と肉に食い込み、鱗と共に鮮血が舞う。

 だが、ロイの体は吹き飛ばず、その場に留まっている。ロイは牙だらけの口でヒュゥッ! と鋭く吸気を行い、竜息吹(ドラゴンブレス)の準備を行う――そこへ。

 「させるかよッ!」

 声と共に、ロイの頭上から落雷の如く襲いかかる、ゼオギルド。今度は左腕に巨大な槌の如き氷塊を付け、振り下ろして来たのだ。

 「こっちの台詞だってンだッ!」

 ロイも負けじと叫び返しながら、体を器用に捻り、鉤爪の光る竜脚でゼオギルドの氷塊を受け止める。いや、それに留まらず、強烈な衝撃で氷塊を撃ち返してみせた。

 「うおっ!」

 たまらず声を上げながら、グンッ! と宙に吹き飛ぶ、ゼオギルド。そこへロイが転身しつつ竜翼をはためかせ、さながら漆黒の竜巻のようになりながら『十一時』を振り切って上昇すると、ゼオギルドへと接近する。体勢の崩れた彼を叩くつもりだ。

 しかし、ロイの目論見は直ぐに、横殴りの衝撃と共に霧散する。

 (なンだッ!)

 メキメキと脇腹の骨肉を軋ませる衝撃に血反吐を吐きながらも、生気で爛々と輝く黄金の瞳で衝撃の方向を睨み付ける。するとそこには、片腕を失ったプロテウスの機体が数百メートル距離を取った上で、対人用の実弾兵器を連射している姿がある。

 「このデカブツッ!」

 ロイは転身すると、腹部に食い込んでなお押し進む弾丸をいなす。そして黒い竜翼をバサリと強く打つと、弾丸にも劣らぬ速度でプロテウスへ向かって突撃する。

 …が、十数メートルも進まぬうちにガクンッ! と速度が急減。何事かと振り返れば、ロイの両足首を掴む『十一時』の2本の尾がある。

 「テメェッ!」

 抗うロイは両脚を激しく動かしながら竜翼を羽ばたき続け、逃れようと足掻くが。『十一時』はロイごと2本の尻尾を大きく振り回すと、なぎ倒された木々が散乱する大地へと叩きつける。

 「グハァッ!」

 再び盛大に吐血するロイは、そのまま大きくバウンドする――いや、自ら跳び、『十一時』の拘束を何とか振り切ったのだ。

 宙空に躍るロイは、即座に竜翼を動かして体勢を立て直すと、鋭く短い吸気を経て、熱線の竜息吹(ドラゴンブレス)で『十一時』を牽制する。体内で短時間しか魔化(エンチャント)を行えなかったため、放った竜息吹(ドラゴンブレス)は見た目通りの高熱の奔流であり、それ以上の効果は持ち合わせていない。それでも『十一時』は先の例を警戒してか、電磁場のフィールドで受け止めることなく、大きく飛んで熱線を回避する。

 その隙にロイはプロテウスへ向けて飛行を続ける。対するプロテウスは飛び退(すさ)りながら、今度はプラズマの弾頭を撃ち続けてくる。ロイはその悉くを竜鱗で覆われた両腕を振るって弾き飛ばしながら、なおも接近を続ける。腕は先に『十一時』にやられた斬り傷のこともあり、一撃をもらう度に鱗と共に鮮血が舞うが、ロイは痛みでピクリとも眉を動かすことなく、一心不乱にプロテウスへと突進してゆく。

 ――しかし、またも入ってしまう、横やり。今度は、巨大な四角錐状の金属塊と共に降下してきた、ゼオギルドだ。

 「オラァッ、ブッ潰れやがれッ!」

 「チッ、クソッ、うぜぇなぁっ!」

 ――こうして集中攻撃の標的は、隙を作った亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)からロイへと完全に移行した。

 一瞬たりとも止まることない空中の激闘の一方で、亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は己に突き刺さったプロテウスの槍をようやく引き抜くと、その場に座り込んで呆然と視線を向ける。

 集中攻撃の標的が変わるに至ったきっかけ。それは、窮地に陥った彼女を(かば)う形でロイが介入してくれたことだ。それが本当に彼の善意または同情によるものなのか、たまたま偶然なのか、それは分からない。

 もしも前者だとするならば、その理由は何だろうか。亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は少し思案して、首を傾げる。

 …この激闘の中で、自分が唯一の女性個体だからだろうか?

 その思考した途端、亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は青い唇の隙間から笑いを吹き出す。魔法科学によって性差によるハンディキャップはほぼ平らになったと言える時代に、旧時代の誇りを被ったフェミニズムを振りかざしているとするなら、滑稽極まりない。

 そして、笑い所はもう一つ。自分に向けられた善意や同情は、絶対に返りはしない。

 返るとするならば、(あだ)という悪意だけ。

 (お前が何を考えようが…私は私の悲願に突き進む…それだけだ!)

 亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は右腕を伸ばすと、宙空で3方向からの攻撃を受けて行き足を止めたロイを握り潰さんとするように、青い爪の五指をゆっくりと閉ざす。

 同刻、ロイは「ぐうっ!」とくぐもった声を上げ、攻撃を(さば)き続ける身動きが極端に鈍くなる。

 亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)騒霊(ポルタースペクター)による、運動神経障害だ。

 ロイはロクに動かない首を巡らせず、黄金の瞳で亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)へと視線を投じてくる。その視線を受けた亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は、青い唇をニィッと吊り上げて、艶然と微笑む。

 (さぁ、あなたはここで退場よ。

 死ね)

 そんな亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)の胸中の声を、ロイは聞いたのかも知れない。突如、彼の顔に凄絶な笑みが浮かんだのだ。

 (何を笑う!?)

 亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)が困惑し、目を丸くしていると。ロイの竜翼と竜尾がブルン、グルリと大きく回ったのを口火に、彼は身体の自由を取り戻す。そして、左右から迫るゼオギルドと『十一時』に対し、グルリと身体を回すと、それぞれに拳と尾の先をブチ当て、吹き飛ばす。

 (まさか…! 完全に不意をついたのに…! こんなに簡単に破られるなんて…!)

 亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は思わずポカンと口を開いて、呆然としてしまう。そこへ、彼女の方へと完全に向き直ったロイが大きく吸気。そして、(ガァ)、と吠えると共に渦巻く烈風の竜息吹(ドラゴンブレス)で彼女を襲う。

 (!!)

 亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は攻撃を見て取るや否や、すぐに我を取り戻すと、大きく飛び退いて回避。一瞬後、彼女が立っていた地点に激突した颶風は、大地を大きく抉って木片やら礫を盛大に巻き上げる。

 (あの男、一体何を考えている…!?)

 亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)がロイを見上げると同時、他の3人の実力者もロイを睨みつける。

 左右にはゼオギルドと『十一時』。眼下には亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)。そして、頭上にはプロテウス。

 「前門の虎、後門の狼」どころか、四方を完全に災厄で囲まれている、字面の通りの四面楚歌。

 この場に居る5人は、誰も彼もが身体中ズタボロと言っても過言でない損傷を受けている。プロテウスの魔化重金属装甲の表面も、大気のない衛星表面のように大小の凹凸(おうとつ)に覆われている。肉体を持たぬ亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)も、その姿に時折激しい砂嵐状のノイズが走ったり、輪郭がぼやけたりと、不安定さを如実に物語る事象が見受けられる。

 しかし、中でも一番の損傷を受けているのは、つい先刻まで集中攻撃を受けていたロイに他ならない。身に纏うユーテリアの制服はボロ雑巾と見まがうほどで、真紅の鮮血を吸った染みが(まだら)模様を作っている。露出した漆黒の竜鱗混じりの皮膚は、裂傷もしくは赤黒くなった打撲にまみれ、見る者に背筋を凍らせるように激痛を想起させるほどだ。

 それでもロイは、窮地を嘆くでなく、疲弊や苦痛に顔色を青くするでなく。凝り固まった血液で汚れた口角をニヤリと吊り上げてみせる。

 「…狙い通りの、理想形だぜ…」

 ロイが漏らしたその言葉は、微風の中に(かす)れて消えそうなほど小さいものである。それを亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)が聞き取れたのは、肉体とは異なるメカニズムの感覚を持つ霊体であるが(ゆえ)かも知れない。実際、他の3人は――プロテウスはコクピットの中に居るため、顔を伺うことは出来ないが――特に眉を跳ね上げたりと、怪訝を露わにしたりしない。

 故に、亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)だけが、ロイの言葉に眉をひそめる。

 ――狙い通り? 理想形? この窮地が? そんな馬鹿な!

 そんな叫びが胸中を満たした、その瞬間。ロイが天を仰いだかと思えば、牙がゾロリと並ぶ口をワニかと見紛うほどに大きく開き――!

 「()()()()()()ッ!

 吐き出した咆哮は、大気どころか空間までもビリビリと振動させ、肉体を持つ3者の体表および走行にビシビシッ! と切り傷を幾つも走らせる。亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)も霊体の体がバラバラに引き裂かれそうな衝撃を覚え、身を縮めて歯を食いしばりながら耐え抜く。

 長い長い、地球よ揺らげとばかりの咆哮が、耳鳴りを残しながらようやく収まると。ロイは漆黒の竜拳に親指を立てて大地に向け、挑発の叫びを上げる。

 「大人数相手に個体で暴れるのは、ユーレイの役目じゃねぇ。

 そいつは、(ドラゴン)の特権だろ!」

 それからロイは挑発の手付きを翻し、両腕を広げ、先の咆哮にも劣らぬ音量で叫び上げる。

 「チマチマチマチマ、隙につけ込んでの足の引っ張り合いなんて、みみっちぃことしてンじゃねぇよッ!

 折角5人も集まったンだ、()るんならもっと堂々と! 全力全開でヤれってンだよ!

 その全部――」

 ロイは、露出した隆々たる胸板を拳でドンッ! と叩き――。

 「オレが、相手してやっからよッ!」

 威風堂々たる大口は、不敵にして凄絶なる笑みと共に放たれる。

 その様子を見た亞吏簾零壱(アリス・ゼロワン)は、目をパチクリと瞬かせつつ、思わず息を呑む。

 (バカなのか、あいつは…!

 これほど実力者を複数相手に、単身で挑むだなんて…!

 それとも、何か秘策でもあるのか…!?)

 彼女が独り、驚嘆している間に。3人が無言の内に各々が烈風と化し、一斉にロイへと襲いかかってゆく。

 「…それで良いンだよ」

 ロイはポツリと呟くと、四肢に尾、翼を広げて、意気揚々とした戦意を見せつける。

 「竜殺し、やれるモンならやってみせろッ!」

 ――こうして5つ巴の戦いも、終局へ向かう。

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