星ヲ撒ク者ドモ   作:眼珠天蚕

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Enigmatic Feeling - Part 2

 ニファーナ・金虹。

 彼女に『現女神』の可能性を見出して人物が、果たしてプロジェスに存在しただろうか? ――家族も友人も、誰もが想像していなかったに違いない。

 例え場所がプロジェスで無かろうとも、"ニファーナ"という少女を知った者ならば、誰でも笑って「いや、あり得ないでしょ」と断言したことだろう。

 

 それ程にニファーナとは、平々凡々な――いやむしろ、"落第生である"とさえ認識され得る少女だ。

 

 「それで良いよ。皆が楽しいなら、それで問題ないじゃん」

 それがニファーナの口癖であり、彼女の為人(ひととなり)を端的に表現した言葉でもある。

 性格は悪くない。いつでも穏和だ――悪く言えば、"ぼーっとしている"。怒ることは滅多にない。何か嫌な事があった時には、近寄らなくなるか、とことん無視を決め込むか、のどちらかだ。"反抗する"という選択肢は、生来から脳内に存在しないかのようにも感じる。

 学校内での立場も悪くない。どの科目においても成績は中の上。なんでもそつなくこなすことが出来る。宿題は余程のことがない限りは忘れない。教師とも友人とも関係は良好だ。しかし、"天才"ともてはやされることはないし、人気者という程でもない。

 そんな彼女の最大の特徴は、極めて受動的にして向上心が皆無である、ということだ。

 どんな環境であろうとも、水を受ける砂のように順応してしまう。加えて、意見やら反論やらは陰でも絶対に口にしない。そして何より、"今よりも上に、より良く"と云う気概が全くない。

 プロジェスで一番"努力"という言葉が似合わないのは、恐らく、彼女である――そう断言しても(はばか)れない程に、ニファーナとは暢気(のんき)極まりない少女である。

 

 向上心もなくひたすら受動的なニファーナは、好奇心というアクティブな感情は勿論、持ち合わせてなどいない。

 そんな彼女でも、趣味を持ち合わせている。…とは言え、それはあまり誇れるような代物ではない。

 なにせそれは、"ゲームをすること"なのだから。

 それでももしも、彼女がゲームの制作に興味を持っていたり、ゲームのハイスコアの更新を目標にしてたならば、少なくとも同好の者から敬意を払われたかも知れない。しかし、そんな生産的だったり積極的だったりする目標など一切ない。

 ただただ、楽しむだけ。ひたすらマイペースに、プレイをするだけ。しかも、ゲームの要素を全て遊び尽くすような"やり込み"にも特別興味はない。満足したら、新しいゲームに手を伸ばすだけ。

 「良いじゃん。楽しいんだし。それで私は満足してるし。誰かに迷惑を掛けてるワケでもない。

 別に学校の課題まで放り投げて打ち込んでるワケじゃないし。誰にもとやかく言われる筋合いはないと思うよ」

 その台詞は、彼女の家に遊びに来た友人に向けて放った言葉だ。友人をもてなすどころか、放置気味にひたすらゲームをしているニファーナに、「そんなに面白い?」と尋ねた時の返答である。

 「そういう図太いって言うか…ニブい神経は、神レベルだよねー」

 友人がからかいながら語ると、ニファーナはゲーム画面を見つめたまま、フッ、と鼻で笑う。

 「図太いでもニブいでもないよ。

 ただ私は、のーんびりと、楽しく生きたいだけ。

 それだけだから、神サマなんて引き合いに出すようなモンじゃないよ。神サマに失礼じゃん」

 

 そんな問答をした翌日のことだ。

 ニファーナが、『現女神』と成ったのは。

 

 授業中。頬杖を突きながら、液晶ディスプレイの黒板の内容を眺めていた時のこと。

 ニファーナは全くの不意に、妙な感覚に苛まれた。

 その時の感覚を、彼女はこう述懐する。

 「頭の中で、卵が電子レンジの中で爆発したような…火鉢の中で栗がバチンッ! って爆ぜてバラバラになったような…。

 そんな、爆発的なんだけど、どこか気持ち良いって言うか…爽快な感じだね」

 ニファーナが感覚を得たと同時に、教室…いや、学校全域を襲う振動。それは地震ではなく、空間格子が蠕動(ぜんどう)することによって生み出される、激しい圧力推移による震動。

 『神霊圧』である。

 或る者は頭を抱えてうずくまり、或る者は天を仰いで涙を流し、何事かを賛歌のような口調で呟く。そんな激変の中、ニファーナだけは状況が飲み込めず、キョロキョロと周囲を見回す。

 「え…みんな、どうしたの…?」

 誰に対してと云うワケでなく、怖ず怖ずと疑問を口に出した、その時。ニファーナの目の前、机の上に雪よりもなお輝かしい純白をした"存在"が一つ、蜘蛛が降りるようにスーッと下りてくる。

 それは、6枚の翼にフルフェイスの兜と重装甲のフルプレートアーマーを着込んだ存在。頭上には真夏の太陽にも負けぬ眩しい輝きを放つ輪を冠している。

 この存在を見た時、ニファーナは本能的に(さと)る。

 (あ…『天使』だ)

 すると『天使』は、ニファーナの胸中を見透かしたようにゆっくりと首を縦に振ると、(うた)い唱える。

 「幸いなるかな、汝、生み育む権利を持つ者よ。

 汝は今、育まれて生まれ、そして"座"を得たのだ」

 その言葉は謎掛けのようにも聞こえるものであったが、ニファーナは再び本能で覚る。言葉の意味と、その意味に合致する自身が得た――いや、与えられたと云うべきか――現状を。

 「…私、『現女神』になっちゃったんだ…」

 

 『現女神』として降臨すると云う事象について、世間一般における解釈。それは多神教的に云うところの、主神が何らかの理由によって――主神は男性格とされることが多いので、専ら恋愛的感情で――気に入られ、神として召し上げられたのだろう…と云うものだ。

 苛烈な行為で名高い"獄炎の女神"や"月影の女神"も、その美貌や教養、身体能力や信念といった面は卓越している。故に、主神の目に留まったことが事実だとしても、世間の大部分は納得して然るべきと言える。

 対して、ニファーナの場合はどうだろうか。主神は――それが存在するなら、の話だが――彼女の何を一体気に入ったと言うのだろうか。

 プロジェスの住民は皆――ニファーナの友人や家族であろうとも――その疑問には首を傾げるばかりである。

 中には、こんな事を言う輩まで存在した。

 「あんな「[rb:娘>こ]]が『現女神』になれるんなら、地球上の女の子の大半は女神になっちまうだろうよ!」

 そんな嫉妬や批判は存在するものの…ニファーナの神化に対するプロジェスの反応は、概ね好評であった。

 待望の『現女神』の降臨が現実となった! その事実だけでも十分に、彼らの満足を呼び覚ますことが出来た。どんな少女であろうが、『現女神』である事に間違いないのだ。住民が必要としているのは、『現女神』という象徴であり、具現化された力なのだ。

 

 ここより、プロジェスの――そして"若神父様"エノクの黄金時代が始まる。

 

 大半の住民に歓迎されたニファーナは、あっと言う間に信心を集め、数個大隊規模の『天使』を誕生させた。これによりプロジェスは、『現女神』取得から1週間足らずにして、巨大都市国家と肩を並べるほどの戦力を有するに至ったのである。

 同時にニファーナの存在は、それまで幾度となく強要的な交渉でちょっかいを掛けてきた地球圏治安監視集団(エグリゴリ)や他の『現女神』達に対して強気に、そして優位に望む原動力となった。交渉の場にニファーナを置くだけで、彼女が発する強烈な神霊圧が交渉人達の膝を(ことごと)く折らせたのである。

 ニファーナは正に都市国家の守護神として、一気に(まつ)り上げられていった。

 彼女の為に、城と見紛うような家――現在の彼女の自宅である――が建てられ、連日様々な貢ぎ物が担ぎ込まれるようになった。

 民草の頂点に君臨するに至ったニファーナであったが。『現女神』になろうと、彼女の性質(さが)は変わることはなかった。

 相変わらず暢気(のんき)で、偉ぶるどころか、何かを望むでなく、のほほんと日々を送るばかり。普段通りに学校へ行き、帰宅してはお菓子を頬張りながらゲームを楽しむだけ。

 交渉の場に同席すると言っても、彼女は何をするワケでもなく、神霊圧やら『天使』をチラ付かせるだけ。会議の内容は半分も頭に入っておらず、時には盛大な欠伸を見せたり、コクリコクリと舟を漕いだりもしている。

 一方で、家の改築や貢ぎ物に関しては、非常に頭を悩ませていた。

 「いや…『現女神』になったって言っても、何してるワケでもないし。

 普段通りにしてくれれば、それで良いワケでさ。人並みに楽しめれば、それで良いだけなんだけど…」

 そう言って、頼んでもいない善意の数々を固持し続けていたのだが…それが却って、住民達の心を捉えたらしい。

 「等身大で接してくれる女神様!」

 そんな好印象が人々の中に芽生え、ニファーナへの奉仕はますます加熱していった。

 人々の熱意に負けたと云うか、断り続けるのは流石に悪いと思ったらしく…ニファーナは遂に折れて、人々の善意を受け入れることにした。

 しかし、一人ではどうにも出来ない量の貢ぎ物にニファーナは常に途方に暮れており、直ぐに下層労働階級の人々へ寄付する事を繰り返していた。

 別に求心活動のつもりは無かったのだが…その活動がますますニファーナの好印象を強め、彼女への信心は集まるのであった。

 

 ニファーナの神化は、プロジェスの経済にも潤いを与えた。

 プロジェスの独立を支持しさえすれば、求心活動をしない事を始め、全く口五月蠅(うるさ)くない『現女神』の存在を、外部の企業連中は好意的に受け止めた。

 地球圏のみに留まらぬ多数の企業がプロジェスに拠点を設け、就業率は高まり、外貨を爆発的に稼ぐことが出来るようになった。

 一方で、加熱しすぎた鍋が盛大に吹き(こぼ)れて調理場を汚すように、様々な軋轢が生じて社会問題を作り出すこともしばしばとなった。

 そこで行政機関の者達は、ニファーナに人間(ヒト)にして最も神に近しい信徒である『士師』を有することを懇願した。

 ――この時、ニファーナはまだ、ただの1人も『士師』を得てはいなかった。

 「いや…私、人の上に立つような器じゃないし…」

 とは、『士師』の所持を薦められる旅にニファーナが決まって放つ固辞の言葉であったが。度重なる軋轢の末、遂に血を見る激突が起きてしまった事を機に、ニファーナは溜息と共に渋々『士師』を持つ事を決意した。

 彼女が初めて得た『士師』は、名をクルツ・ウェーニガーと言う。ニファーナとは幼馴染みで5つ年上。小さい頃からよく面倒を見てくれた、実の兄のような存在である。当時のクルツは行政機関の一員となるべく大学で勉学に励んでいたところであった。しかし、ニファーナの助けになりたいと云う願いに加え、故郷に貢献出来る立場を望み、大学を中退して志願したのだ。

 ニファーナが彼をすんなり受け入れたのは、気心知れた人物が近しい所に居てくれる安心だけでなく、クルツの身をも捨てる覚悟を無碍(むげ)に出来なかった事も一因であろう。

 第一の『士師』たるクルツは、"近衛"の号を得て、強靭俊敏な身体能力と、"鉄壁"と云う言葉すら霞むような防御能力を有する『神法(ロウ)』の鎧を手に入れた。

 2人目の士師は行政機関の一員で、ニファーナとも面識が深い壮年の男、アルビド・レイシス。仕事の際には沈着冷静にして苛烈な狡知(こうち)を振るう老獪の知恵者。しかし仕事の外側では、ニファーナを実の孫のように溺愛する気の良い"おじいちゃん"である。

 ニファーナが彼を『士師』に迎えたのは、今にして思えば、単に親しいからというワケでなく、明確にバランスを考えての事だったに違いない…エノクはそう確信している。行政機関に面目を立たせると共に、コネ兼監視役に据えようと云う計算だった…と云う事だ。

 そして3人目の士師として選ばれたのが、エノクである。

 彼を慕う都民達からの熱い推挙に応えた…と云う事情も本当であろう。しかし今考えれば、これもアルビドと同様、バランスを考えての事であろうとエノクは確信する。都民を満足させると共に、彼らとの太いパイプを得る算段であったのだろう…と。

 

 「喜んでお引き受け致します」

 エノクは、ニファーナ直々の訪問勧誘に際して、そう即答して(こうべ)を垂れた。そして彼は、"僧侶"の号を持つ『士師』と成った。

 恩師はエノクの即断を高く評価すると共に、祝福した。

 「君は、我らの主神の朋友を助ける、真の聖職者となったのだ。同時に、惑える人々へ正道を説く指針となったのだ。

 素晴らしい責務に身を捧げる同胞が私の教え子から出るとは、誠に喜ばしいことだ」

 「有り難うございます」

 エノクは微笑みながら恩師の賛辞を一礼と共に受けたが。当時の彼は内心、ニファーナに対して敬意よりも強い疑念を抱いていた。

 "神殿"と呼ばれるようになったニファーナの邸宅に護衛も兼ねて同居するようになったエノクは、近しい位置で彼女を見つめる程に、失望を募らせていった。

 (これが"女神"を冠する存在の在り方なのか…?)

 来る日も来る日も、そこら辺の少女と同じく学校に通い、部活にせずに真っ直ぐ帰宅したかと思えば、ちょっと宿題をしてゲーム三昧。行政機関からの呼び出しの際には中々応じようとせず、頭を下げられて渋々足を運ぶ始末。

 単なる怠惰で享楽的な少女にしか見えない。女神であるにしても、地下深い冥界で惰眠を貪る低俗な邪神としか思えない。

 (こんな女神の為に、人々は汗水を捧げていると云うのか…!?)

 苛立ちを越えて呆れにすら至った感情を持て余しながら、エノクはニファーナの姿を見つめ続けた。

 そんなエノクの暗澹としてゆく胸中とは反比例するように、ニファーナの評価はますます熱を帯び、祀り上げられてゆく。

 その評価を得る至った成果を作り上げたのは『士師』達であり、ニファーナは殆ど何もしていない。交渉の際に『神霊圧』やら『天使』をチラつかせる程度の勤めを果たすに留まっている。今後の都市国家の在り方だとか、都民の秩序を守る規範だとかを提案することもない。

 ゴロゴロとソファに寝ころび、ボリボリとお菓子を頬張りながら、カチャカチャとコントローラーを弄っている姿ばかりが目に浮かぶ。

 (私の力は、こんな神――いや、神紛いにために尽くすものではないはずだ…!)

 エノクは募る不満を微笑みで押し込めながら、日々の責務を果たして行った。

 

 エノクの悶々たる日々が約1年程続いた、ある日のこと。彼の心中に転機が訪れる。

 その頃には『士師』の数は12名にまで増えていた。『天使』は更なる信心を得て強大になり、彼らが隊列を組んで空を賭ける姿は、勇壮な軍隊の行進を思わせた。プロジェスの経済はますます潤い、移住民が増え、国土の拡張が真剣に検討されるまでに至っていた。

 「資源も肥沃な土壌もない土地だったってのに! こんなにも煌びやかに発展しちまうとはね!

 『現女神』様々、正に黄金時代の到来だな!」

 都民が口々にそう唱える中でも、エノクは怠惰にも見えるニファーナに対してどうしても敬意を払うことが出来ないでいた。

 (『士師』と云う身の上でも、主たる『現女神』に不満を抱くことが出来るのだな。

 地球の古典文学『失楽園』は正しい指摘であると云うことか)

 全知全能である唯一神に天使が反逆する文学の事を思い返しながら、エノクはコッソリ苦笑し、そして溜息を吐いていた。

 ――その日は、プロジェスと或る大企業との間に素晴らしい契約が締結し、盛大な祝いの席が開かれていた。

 行政機関の人間や交渉に携わった有識人は勿論、『現女神』ニファーナや彼女が持てる全ての『士師』が一同に会し、絶品の料理と談笑に花を咲かせていた。

 エノクは祝いの席というのが苦手である。下戸なので酒を楽しめないというのも一因ではあるが、何よりもポリシーとして"自分が楽しむよりも、他人(ひと)を喜ばせる方が幸福である"と云う考え方があるためである。とは言え、誘ってくれた者達の好意を無碍(むげ)にすることは出来ず、参加したのだ。

 しかしながら、宴の席におけるエノクは孤立しがちであった。他の者達――『士師』も含めて――のようにバカ騒ぎに混じる気にはなれない。話掛けられることは多分にあったが、酔っ払いとの会話を楽しむことなど、とてもではないが出来ない。当たり障りのない2、3語を口にして、その場を凌ぐばかりだ。

 (…何度経験しても、この雰囲気だけにはなれないものだ…)

 誰にも(さと)られぬように小さく溜息を吐いていると。ふと、視界にニファーナの姿が入る。

 この場における最年少の参加者であるニファーナもまた、エノク同様、ポツンと孤立していた。『現女神』として主賓席に座らされている姿が却って、彼女の孤独感を浮き上がらせていた。

 (クルツ君は…? いつもならば、彼が気を利かせてくれるはずだが…?)

 エノクが視線を泳がせると、そこには酔っ払いに混じって子供のように騒ぐクルツの姿がある。『士師』とは言え元が人間という性質(さが)故か、主よりも自分の価値を優先してしまうことはままあるようだ。

 ――エノクも他人(ひと)の事は言えないが。

 (…全く、仕方のないことだ)

 そう胸中で呟きながら、エノクが席を立ちニファーナの元へと歩を進めたのは、一体どんな意図が有ってのことだろうか。相手は日々の苛立ちの元凶であると云うのに。

 "他人を喜ばせる"というポリシーが個人的な感情に打ち勝ったのかも知れないし、単に場に馴染めない者同士で共感したからかも知れない。

 ――しかし、今のエノクならばこう考えた事であろう。"これぞ天啓であった"と。

 「ニファーナ様、楽しんでおいでですか?」

 ニファーナの間近に立ったエノクが薄く微笑みながら問うと。ニファーナは困ったように苦笑し、頬を掻きながら応える。

 「まぁまぁ、楽しんでるよ。

 料理美味しいし。賑やかなのも嫌いじゃないし。

 …話相手がいないのは、ちょっと退屈だけどね」

 それからニファーナは、頬杖をついてエノクを見上げながら問い返す。

 「エノクさんはどうなの?

 個人的に言わせてもらうと…すんごい、ツマンなさそうなンだけど?」

 エノクは、ハハ、と声を出しながら自らの額をピシャリと叩く。

 「流石は私の主。あなた様は私の胸の内を手に取るように把握していらっしゃる」

 「…いや、『現女神』だとかそう言うンじゃなくても、誰でも分かるよ。

 酔っ払い連中が、アルコールで頭が回らないだけだよ」

 ニファーナがジト目でエノクを見つめて語ると。エノクは笑いを徐々に引っ込めて、肩を(すく)める。

 「こういう場は、生来苦手なんです。酒も(たしな)めない身ですし。賑やかな場所は、居心地が悪くて適いません」

 「お祭りは? エノクさんの故郷でも、お祭りはあったでしょ? どうしてたの?

 まさか、あまり盛り上がらないお祭りだとか? 教会で集団で瞑想して終わり、みたいな」

 「いえ。賑やかな祭りは季節毎にありましたよ。

 ただ、私は祭りを取り仕切る教団に身を置く立場でしたからね。裏方に回ってばかり居ましたら、賑やかな事とは無縁で居られました」

 「…エノクさんは、お祝いって嫌いなの?」

 ニファーナがふと笑みを消して語る。まるで血の通っていない生き物と相対し、警戒しているかのような有様だ。

 エノクはこれまた微笑みを浮かべて首を左右に振り、「いいえ」と否定する。

 「人々が心から笑い、楽しんでいる姿を見られるのは、とても嬉しいものです。

 彼らの喜びに私の働きが少しでも寄与しているのならば、それに勝る幸せはありません。

 信徒であるとか『士師』であるとか云う前に、私という人間(ヒト)としての純粋な意見です。

 賑やかさが嫌いなのは…そうですね、例えるなら…子供がニンジンを嫌うようなもので、他意はありません」

 「…なるほどねー。そっかそっかー」

 エノクの言葉に、ニファーナはホッと警戒心を解くと。心地よい枕に頭を(うず)めた時のような、微睡(まどろ)みにも似た微笑みを浮かべる。

 そして、こう言葉を続ける。

 「私もね、お祝いは大好きだよ」

 「ニファーナは『現女神』でいらっしゃいます。民草の喜びを我がものとするのは、当然でございましょう」

 エノクが嫌みにならないよう気を使いながら世辞を込めて語ると、ニファーナは、

 「『現女神』…『現女神』かぁ…」

 と舌の上で言葉を転がす。

 何度か独りで呟き続け、エノクが怪訝になって片眉を吊り上げると。ニファーナはゆっくりと語り出す。

 「そうだね…。『現女神』って立場になってから、お祝いが物凄く楽しく感じるようになったんだよね…。

 エノクさんみたいに頭を捻って貢献してるワケでもない身の上なのに、こんな事言う筋合いなんてないんだけどね…」

 「そんな事はありません。

 ニファーナ様はその存在だけで、この都市国家(くに)の希望です」

 エノクが即答でフォローしたのは、不満は有れども己の主であるからには、ちっぽけな存在ではないのだと彼女にも自分自身にも言い聞かせるつもりだったのかも知れない。

 そんなエノクに、ニファーナは微睡みの微笑みのまま、桜色の唇から言葉を漏らす。

 「気を遣ってくれてありがとう」

 その言葉を聞いた途端、エノクは思わず赤面しそうになる。本当にニファーナに、不満に満ちた胸中を読まれたように感じたからだ。

 「いや、その…」

 エノクが口ごもりながら言い訳を始めようとするものの、ニファーナは意に介せず。視線をエノクよりも、パーティー会場の壁よりも向こうに投げかけながら、語り出す。

 「私さ、『現女神』になる気なんてなかったし、なりたいとも思わなかった。

 むしろ、成りたくなかったかな。ヒトの上に立つなんて柄じゃないし、そんな責任を背負える自信なんてなかったし。

 だから、『現女神』になった時は…勿論、驚いてもいたけど…悪い意味で、ショックだったよ。

 何処の誰が――それとも、何が、かも知れないけど――どうして私なんかに、ってね」

 ニファーナの独白を、エノクは黙って聞き届ける。神父である彼は、懺悔を聞く事には慣れている。

 ニファーナは続ける。

 「皆から急に色々してもらえるようになって、すごく苦しかったよ。

 "神"なんて大層な名前を貰ったけど、私が急に聖人君主になったワケじゃない。のんべんだらりなままの変わらない私でしかない。

 そんな私に、どんどん信心が集まってきてさ…。とっても怖かったよ。

 大量の希望が鉛の山みたいに、私の背中にドーンとのし掛かったみたいでさ。これをどうやって(さば)けば良いんだろうって、目が回ったよ」

 その言葉は、エノクの胸中に満ちていた不満を氷解するだけでなく。(トゲ)と成して彼をズキンと(さいな)んだ。

 "神"と云う言葉に目が眩み、理想の影を追い求めていた自分の身勝手をハッキリと覚った。同時に、ニファーナは"神"である前に少女であり、彼女には彼女なりの苦悩がある事を痛感した。

 (…"メジャナの瞳"(我が信教)の神々とて、過ちを犯しもすれば、悔やみ泣くこともあるではないか…!

 その神々を慰めるのも、信徒の努めではないか…!

 私は理想という糸で瞼を縫い合わされた、(めくら)ではないか!)

 エノクは自責の念に拳をギリギリと握り固め、閉ざした唇の内側では歯肉から出血せんばかりにギリリと強く歯噛みする。

 そんな彼を余所に、ニファーナは言葉を続ける。この時の彼女は、これまでの発言の時は打って変わった、吹っ切れたような爽やかさに満ちている。

 「もう耐えられなくなったてさ、だから背伸びを止めたんだ。

 クルツ兄さんに見透かされて、説得されたから…って云う理由も大きいんだけどね。とにかく、出来ない事をやろうとするのは止めにしたんだ。

 無理にやっても、皆にもっともっと迷惑かけるだけだろうしね。

 だから…クルツ兄さんにもエノクさんにも、その他の沢山の人達を巻き込むにことになったけど…悪くなるよりマシってことで、みんなの力を借りることにしたんだ」

 「…貴女は今も、心苦しくいらっしゃるのですか?」

 「まぁ、やっぱり、ね」

 ニファーナは苦笑する。

 「私がさ、"獄炎"とか"月影"とか…ユーテリアの"慈母"とか、そんな有能な『現女神』になれたら良かったのに…って事は、散々思うよ。

 なんでこんな私が選ばれたんだろうって、何処かの誰かさんを恨みもしたよ。

 …でもね…」

 ニファーナは浮かべた笑みから苦みを消すと、はにかみながら笑顔の花を満開にする。

 「こんな私が居ることで、みんなが幸せになってくれるなら、それはそれで嬉しいんだ。

 これから先も、私は何の力にもなれないかも知れないけど…この平和で楽しい日々が、私をきっかけにして続くなら、それで良いなって思ってるんだ」

 ――この時、エノクの脳裏には、古代の地球で知られていた、とある女神の事を思い起こした。

 名をヘスティアーと云うその女神は、家の(かなめ)たる(かまど)を司る重要な存在である。しかしながら、彼女にまつわる神話の数は極少ない。そして、数少ない神話も彼女の勇ましさや烈しさといったものを殆ど伝えていない。

 ただ知られていたことは、彼女はどんな時でも暢気(のんき)にニコニコ笑っていたという事だ。

 彼女が属する多神教においては、神々はしばしば激しく争う事もあれば、情愛の炎に魂を焦がした事もある。人間や国家の運命に携わり、大きな転機を与えたこともある。

 そんな事績には一切手を出さず、暢気に構えてばかりいた彼女だというのに、人々は家中の要として信仰を注いだ。

 エノクは、そんなヘスティアーの姿をニファーナに重ねた。

 同時に、彼女らの無為な暢気こそが、信仰を集める仁徳なのだと(さと)った。

 躍起となる神の行動には、必ず人の賛否が付きまとう。偶発の事故にも関わらず男を射殺した古代の月の女神アルテミスのように、讃える者と首を傾げる者とが生じる。

 だが、暢気であるならば。それでいて、幸福が享受されるのならば。勝手に幸福を呼び込む置物を手に入れたかのように、歓迎して大事にすることはあれ、不満を抱くことなどない。

 加えてニファーナに関して云えば、単に無為でいたワケではない。表に見せぬ努力に頭を捻っていたのだ。

 無力である自分が、如何にして己を立ててくれる都市国家(くに)に貢献するか。その結果が、慎重な『士師』の選定である。

 プロジェスにおいて絶大な人気を誇るニファーナに対し、『士師』に志願する者は多かった。だが、ニファーナはようやく12名までその数を増やしただけであった。

 ニファーナは、都市国家(くに)に貢献出来て、且つ、アルビドやエノクのように民草のバランスを保てる者を選んでいたのだろう。実際、その場で『士師』を即断する場面を、エノクは見たことがなかった。

 そして、神化後も人で在った頃と同じ生活様式を送っていることもまた、人心を掴む術であろうと(さと)る。人の上に立つ威圧的な何かでなく、等身大の親しみやすい存在。どちらが人の心を掴むかと言えば、明白だ。

 これらの思考に思い当たったエノクは、心底得心すると、自然とニファーナに(こうべ)を垂れた。

 懺悔且つ感服の礼だ。

 「ちょっと…! エノクさん…!?」

 事情が飲み込めずに困惑する、ニファーナ。そんな彼女の前で、頭を下げたままのエノクは、厳かに宣言する。

 「我が主よ、誓います。

 この身滅び、魂と成り果てようとも、私は為せる全てを(もっ)て貴女様に尽くしましょう」

 「い、いや、そんな事…! もう十分頑張ってもらってますから…! これ以上無理しなくていいですよ…!」

 慌ててパタパタと手を振るニファーナにも構わず、エノクは暫く頭を下げ続けた。

 

 こうしてエノクは、真の意味で"夢戯の女神"ニファーナの『士師』と成った。

 同時に、彼の黄金時代の始まりでもあった。

 

 他の『士師』達や都民と共に、何の疑念もなく、日々の職務に打ち込んだ。

 都市国家(くに)を更に豊かにすべく交渉に望み、都民の不満を解消するために現場へと足を運び、魔法現象による災害が迫るとなれば『神法(ロウ)』の力を振るって立ち向かう。

 前にも増して忙しく立ち回って居たが、それでもエノクは不満など微塵も感じなかった。

 むしろ、胸の内は常に晴れやかであった。

 どんな仕事をこなすにしても、楽しさとやりがいを感じずにはいられなかった。厄介な事件にも時折立ち向かう必要はあったものの、『士師』を始めとするプロジェスの志高い仲間達と苦難を乗り越える事は、その過程であろうが結果であろうがエノクに充実感を与えてくれた。

 『士師』の職務を全うしてゆく中で、彼は次第に人々からこのように評されることが多くなった。

 「若神父様――いや、今は"僧侶の士師"様と呼んだ方がいいですかね?

 とにかく、すごく丸くなりましたよねー!

 前から良い人だとは思ってましたよ、でも堅いなぁって印象が否めなかったんですがね。近頃の貴方様は、すごく爽やかで、一緒に居るとこちらも楽しい気分になってくるんですよ」

 「そうでしょうか?」

 エノクは問い返し、そして暫し自身を(かえり)みると、にこやかに笑う。その笑顔は、凜としながらも決してトゲトゲしくない、丸みを帯びた菊の花のようである。

 「…確かに、変わりましたね。

 それはきっと、我らが主、"夢戯の女神"のお(かげ)でしょう。

 私の胸の内は、あの方によって清められましたから」

 同時に、エノクのニファーナに対する態度も一変した。

 よく声をかけるようになり、興味が無さそうでも仕事の内容を教えたり、成果の報告をこまめに行うようになった。

 そして何より、お祝いの席ではニファーナの背中を押しながら、積極的に仲間に溶け込んで談笑するようになった。

 「エノクさんって、賑やかなの苦手だったよね?」

 ジト目で語るエノクは、屈託のない笑みを浮かべて応じる。

 「心変わりと言うものです。

 そこに受け入れてくれる和が在ると言うのに、見送るだけでは勿体ないと、思うようになっただけですよ」

 それからのエノクは、ニファーナや仲間達と共によく写真に映るようになった。

 それらの写真は正しく、現在の彼の部屋に飾ってあるものだ。

 エノクにとって、仲間達と賑やかに過ごした時間は、掛け替えのない宝物なのだ。

 

 エノクの心が晴れた事に連動するように、プロジェスもますます繁栄を極めていった。

 事件は相変わらず起こるものの、その(ことごと)くは解決に至り、都市国家(としこっか)は楽園のような平和を謳歌していた。

 正に黄金時代の到来であった。

 

 ――だが。如何なる神話や歴史においても黄金時代が永久に続くことはない。

 プロジェスもまた、その例に漏れなかった。

 黄金の輝かしい日常を曇らせた暗雲は、前振りもなく突如として、飛蝗(ひこう)を思わせる大勢力で押し寄せた。

 それこそが、プロジェスを蹂躙した『女神戦争』の始まり。

 "陰流の女神"による侵攻である。

 

- To be Continued -

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