星ヲ撒ク者ドモ   作:眼珠天蚕

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Enigmatic Feeling - Part 5

 ◆ ◆ ◆

 

 (なんと、勇猛果敢であることか…!)

 エノクは胸中は、純然たる畏敬の念で溢れていた。

 その想いは勿論、ニファーナに向けたものだ。

 授けた策を打破され、打つ手を失ってしまったはずのニファーナ。しかし彼女は、屈して終わることはなかった。

 策が無くとも、満身創痍にして疲労困憊であろうとも。彼女は立ち上がり、"陰流の女神"に挑み続けていた。

 戦闘未経験者であるはずのニファーナだが、その実、非常に良く立ち回っていた。

 先の奇襲において自らの力を扱う感覚を覚えたのだろうか。存分に『神法(ロウ)』を発揮し、嵐のように"陰流の女神"を攻め続けた。

 召喚された数多の『天使』達は騎士のみならず、魔術師や弓兵や暗殺者、果てには戦闘ロボット等へと転化し、軍勢となって"陰流の女神"へ津波のように襲いかかった。その上空では幾つもの小さな戦闘機や翼龍が飛び回り、苛烈な空爆を加えていた。

 その合間をニファーナは対戦格闘ゲームのインチキじみた最終ボスのような身体能力で駆け回り、様々な武器を作り出しては"陰流の女神"に叩き込んでいた。

 その眼に映える攻撃の光景は都民に興奮と希望をもたらし、歓声は豪雨のように沸き起こっニファーナの背中を押した。

 ――だが。

 (それでも…届かないのか!)

 エノクはギリリと歯噛みした。

 非凡なる兵士でも手を焼くであろうこの乱戦を、"陰流の女神"ヌゥルは艶笑を以て(ことごと)く一蹴し続けた。

 踊るような優雅な回転の動きに合わせた薙刀と鎖分銅は、一撃一撃が確実に『天使』を打ちのめして消滅させた。または、大地に巨大な陰を這わせると、そこから数十を数える『天使』の鉤鎖を触手のように作り出し、『天使』の大群を縛り付けては(えぐ)り、ポイポイと吹き飛ばした。

 ニファーナ自身の攻撃はかわされるか、『天使』によって受け止められてしまうと。ヌゥルの蹴りや武器が彼女を叩きのめし、吹き飛ばした。

 時が経つほどに、神々しかったニファーナの姿は、過酷な現実に翻弄された貧者のようにボロボロに薄汚れた姿へと変わっていった。

 …やがて。『天使』の召喚すら覚束(おぼつか)ない程に憔悴(しょうすい)し切ったニファーナは、立つのがやっとと言った風体で、震える足で棒立ちになると。都民の口から歓声が消え、「あああ…」という悲惨な呻きやら、息を止める気配ばかりが感じられるようになった。

 「あら、まだ立てるの?

 凄いわね。こんなに痛めつけられても、音を上げないどころか、『現女神』の座も手放さない。

 流石は都市国家を率いるだけの風格はあると言うことかしら?」

 余裕綽々で言葉をかけるヌゥルは、ニファーナとは全くの対照的に、ほぼ無傷であった。息も全く上がっておらず、むしろ退屈そうに体を伸ばしてみせたほどだ。

 「でも、私…そろそろ、飽きたわ」

 ヌゥルが、残酷な笑みを浮かべた。手にした虫を痛めつけて享楽を覚える幼子が重なる、凄絶な表情であった。

 ニファーナは、フラフラしながらもヌゥルを睨みつけ、充分に上がらない手を必死で持ち上げて、『天使』で作った武器を握ろうとした。が、その試みが実を結ぶよりも早く、ヌゥルが疾風となって肉薄した。

 「終わりましょう。この戦いも、そして、"神"としてのあなたの人生も」

 その囁きがニファーナの耳をくすぐったと同時に。戦場を囲む者達の口から、悲観の絶叫が一斉に上がった。

 

 恐らく、音は上がったはずだ。

 肉を断ち、血飛沫が撒き散った無惨な音がしたはずだ。

 しかし、その音が人々の鼓膜を震わそうとも。眼に飛び込んだ凄惨な光景が、聴覚を奪い去ってしまった。

 鮮やかな紅が吹き出した。それは、ニファーナの右脇の背中から飛び出した。

 同時に、赤に塗れた純白の巨大な刃が肉を貫いて姿を現していた。

 ヌゥルの薙刀の刃が、ニファーナの右脇腹を深く、深く貫いたのだ。

 「あ…」

 ニファーナが小さく声を上げたのは、一瞬の間に起こったこの変事をうまく飲み込めなかったからかも知れない。

 しかし、思考で理解が及ばずとも、すぐに彼女の本能が危機を覚ってくれた。

 大火のような猛烈な激痛が、彼女の脊椎を電撃のように襲ったのだから。

 「ぅあああぁぁぁっ!」

 ニファーナは、叫んだ。顎が外れそうな程に口を開き、咽喉(のど)が裂けるような声量で、絶叫した。

 同時に、彼女の全身から力が失われた。両膝がガクリと折れ、重力に引かれるままに、瓦礫の大地へと五体を投げた。

 倒れゆく間に、腹を貫いた刃がズルリと抜けると。塞ぐものの無くなった傷口から、ドクリドクリと湧水のように鮮血が噴き上がった。

 "夢戯の女神"は、瓦解の大地に墜ちてしまった。

 

 「五月蠅(うるさ)いわぁ」

 ヌゥルが肩耳を人差し指で塞ぎながら、残酷な悦楽に震える声を漏らした。

 そして、ヒールの高い足の裏を持ち上げたかと思うと、倒れたニファーナの腹の傷口を思い切り踏みつけた。

 「あああああああうううぅぅぅっ!」

 ニファーナが壮絶な悲鳴を上げ、それを耳にした都民が眼を(つぶ)ったり背けたり、覆ったりしている間に――更なる残酷な変化が、彼女を襲った。

 ニファーナの全身から、純白の輝きの粒子がフワフワと発散し始めたのだ。そして鮮やかな髪色は元の栗色へとくすみ、翼は溶けるように崩れて昇華し、衣装は焼け溶けるようににして消えていった。

 そして残ったのは、ボロボロの布切れを纏い、痛々しい鮮血を口から吐き出す、平凡で無力な少女であった。

 

 ニファーナが『現女神』の座を失った瞬間であった。

 

 同時に、プロジェスの上空にも変化が起こった。

 "夢戯"の浮遊島と"陰流"の猥雑な街並みが半々で拮抗していた状況が一転。"夢戯"の浮遊島が激しい亀裂に覆われたかと思うと、細かな土塊(つちくれ)へと粉砕され、雨のように降り注いだ。とは言え、如何なる存在も触れることの出来ない『天国』に由来する土塊であるため、かなりの高度で蜃気楼のように消えてしまった。

 失われた浮遊島の代わりに、猥雑な街並みが堰を失った奔流のように流れ込み、プロジェスの上空を占拠した。

 これにより、ニファーナは見た目だけでなく、定義的に『現女神』の座を失ったことを衆目に晒すこととなった。

 

 「そんなっ!」

 「ニファーナ様が…!」

 「こんな事、認められるか…!」

 都民が絶望的な嘆息を交えて拒絶を口にするも、現実がひっくり返ることはなかった。

 "夢戯"と"陰流"の女神戦争は、"陰流"に軍配が上がったのだった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 腹を抉られたまま神格を失ったニファーナであったが、幸いにも一命は取り留め、傷痕が残ることもなかった。

 都民の手厚い治療もあって、一騎打ちの翌日には出歩けるようになったニファーナは、その足でヌゥルの元を訪れると。頭を下げて、敗北を認めた。

 「負けた身の上ですが、お願いがあります。

 この都市国家(くに)を…プロジェスを、どうか宜しくお願いします」

 その言葉にヌゥルは、豊満な胸の柔らかさを誇示するように腕組みをして乳房を潰して見せながら、ニッコリと笑った。

 「勿論よ。私の大事な大事な信徒になる者達が住む場所ですもの。

 悪いようになんてしないわよ」

 その言葉は甘く柔らかで、人々の耳には触りよく聞こえたかも知れない。ニファーナもまた、その言葉にホッと安堵を吐いてもいた。

 しかし、ニファーナの付き人としてその場に同席していたエノクは、全身の毛穴から火を噴き出さんばかりの勢いで憤り、顔を険しくしかめていた。

 ヌゥルの眼光には、表情から読みとれるような穏やかな優しさなど、微塵も読みとれなかったのだ。

 在るのは、アリの巣に水を流し込んで慌てる様を見て(よろこ)ぶような、見下した嘲笑だ。

 

 そして、エノクの憤りの念は的中した。

 ニファーナとの席巻を終えて、ほんの数時間足らずの間に、ヌゥルは『天使』達をプロジェス中に配置。それで瓦解した街並みの復興に当てれば、都民は新たな『現女神』を喜んで受け入れたであろうが…実際は、その真逆が起こった。

 『天使』は、目敏(めざと)く残酷な監視者であった。

 『天使』を通してヌゥルは都民に自分を崇めるよう通達すると共に、"治安を守る"と勝手に豪語して用心棒代を奪い取るヤクザのように、都民達から信奉の証として贈り物を誅求(ちゅうきゅう)した。

 都民が復興について問えば、ヌゥルは鼻で笑ってこんな事を返した。

 「貴方達の都市国家(まち)でしょう? 勝手に直しなさいな」

 

 独立気質の高いプロジェスの民が不満を爆発させるまでには、数日と掛からなかった。

 彼らは『現女神』を欠いた状況であろうと構わずに、反逆を始めたのだ。

 その戦いにおいては、エノクを始めとした元『士師』達も一人残らず参加し、『士師』であった経験を活かしてリーダー格として働くのであった。

 

 「戦争は終わったのに。わざわざもう一度起こさなくても良いんじゃないの?」

 そんな台詞を吐いたのは、ニファーナであった。

 『女神戦争』の敗北の後、神の座を失った彼女は、神殿のような自宅の部屋でソファに寝転がり、ゲームばかりをする毎日を過ごしていた。

 ちなみに戦況はすぐに激化したため、プロジェス中の学校は休校に陥っていた。ニファーナの通う高校もその例に漏れなかった。

 ニファーナが台詞を投げかける相手は、神殿に同居する『士師』達である。彼らの大半はその言葉を聞くなり、烈火の如く怒り狂って(わめ)いた。

 「戦争に負けたどころか、奴隷みてぇな扱いを受けてンだぞ! こんな生活、認められるかってんだ! 受け入れられるかってんだ!

 都民も皆、戦う気満々なんだ!

 『士師』だった俺たちが先頭に立たないで、どうすんだよッ!」

 (ある)いは、『女神戦争』集結以後、ゲームにばかり興じるようになったニファーナを責める者もいた。

 「都民の信心を集めておられた貴女様だと言うのに、その体たらくはなんなのですか!?

 民草の信心あってこその貴女様であった事情もありましょうに! 神の座を失おうとも…いや、失った今だからこそ、その恩に報いるべきなのでは!?」

 するとニファーナは、ゲーム画面から目を離さずに、ボーッとした口調でこう答えたのだ。

 「なりたくてなったワケじゃないし。

 欲しくて信心集めたワケじゃないし」

 すると元『士師』達はニファーナに殴りかかろうと拳を固めるのだが、その労力を反抗に使おうと思い直し、憤然と踵を返すのであった。

 その一方でニファーナは、エノク唯一人と会う時だけは、言葉数多く色々と語った。…但し、視線は大抵、ゲーム画面に釘付けのままであったが。

 「エノクさんも、戦いに行くんだ?」

 「はい。

 私はこの都市国家(くに)の生まれではありませんが、第二の祖国であると心から認めています。

 祖国が余りの不条理に蹂躙されるては、心苦しい限りです。

 そして私は、嵐が過ぎるのを待つばかりという性分ではありません」

 「…でも、『女神戦争』の頃は、ずっとわたしと一緒に居てくれたよね? 嵐の中でも、暴れたりしなかったよね?」

 「あの時は、ニファーナ様と同じく、何が最善の選択であるか判断出来ず、動けなかったのです。

 …今となっては、あの無為なる時間は人生最大の後悔です」

 「戦えば良かった…ってこと?」

 「はい。

 これは自惚れかも知れませんが…私が前線に立つことで、救われた命もあったかも知れません。戦況に少しでも優勢を運べたかも知れません」

 ニファーナがコントローラーをいじる手をピタリと止めて、チラリと視線をエノクに走らせる。

 「それで死んじゃっても、後悔しないの?

 自分が何も出来ないだけじゃなくて、都市国家(くに)都民(みんな)にも何もしてあげられなくなる。

 それで、エノクさんは良いの? 本当に満足なの? 本当は助けたかったヒト達を、そのまま置き去りにしても心残りじゃないの?」

 ニファーナの問いはエノクにとって厳しいものだ。彼女の言う通り、死んでしまえばもう、何も出来ない。後悔を挽回することも出来ない。責任を放棄する最高の言い訳でしかない。

 それでも…。

 「それでも、この現状に甘んじるよりは余程マシでしょう」

 エノクはチラリとこちらを覗くニファーナに、真っ向から眼光をぶつける。それは聖職者らしからぬ、ドス黒い殺意にも似た負の感情が込められた、険悪な眼光だ。

 「『士師』クルツやアルビド、そして多数の軍人達が命を張り、ニファーナ様も神格の座を失う覚悟を(もっ)て臨まれた結果が、これです。

 "陰流"は我々の力を脆弱無力と一蹴した。ニファーナ様の覚悟を衰えた羽虫のようにすりつぶした。

 我々は頭上に『天国』を(いただ)くものの、得たのは"地獄"の現実であった。

 ――私の無為がこの理不尽を一因を成したのだとすれば、私は自分が許せない。この状況を放ってはおけない。

 どのような手段を使おうが、この状況は転覆させる。

 さもなれば、命を散らした者達や、神の座を失ったニファーナ様に申し訳が立たない」

 ニファーナはエノクの険悪な眼光の前にビクリと体を震わせて強ばらせた。

 「わ、わたしは、別に、エノクさんを責めてないよ…」

 怖ず怖ずと答えるニファーナの様子に、ハッと気付いたエノクはすかさず笑みを浮かべた。しかしそれは、歪んだぎこちのない、出来損ないの微笑みであった。

 この笑みを隠すようにエノクは深々と一礼してみせた。

 「それでは、失礼いたします。

 ニファーナ様は、心安けくお過ごし下さいませ」

 そして踵を返したエノクは、やや早足で戦場へと向かった。

 ニファーナは遂にゲーム画面から完全に顔を逸らして、引き留めるように虚空に腕を伸ばしたが。その時にはもはや、エノクの姿は視界から消え去っていた。

 「…どうして、こんな事に…!」

 ポツリと呟くニファーナの言葉は、ゲームの(やかま)しい音に溶けて消えてしまった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 『女神戦争』は終結したが、プロジェスの戦況は更なる混迷の色を深めた。

 ニファーナの神格が健在だった時には、都市国家の防衛と侵略の構図が確率した正規戦の様相を呈していたが。今では、憤れる都民が無秩序に組織した大小多数のゲリラ部隊が都市国家中を駆け巡る、泥沼化した非正規戦が展開されていた。

 各々のゲリラ部隊は、『女神戦争』状況下で知り合った単位での繋がりこそあるものの、大抵は独立していて統制が無く、ただただ激情に突き動かされるままに"陰流"の勢力に反抗していた。

 元『士師』達もニファーナと云う要が無力化した事で、離散してしまった。

 「ニファーナ様は生温かったンだよッ! どんな手を使っても勝ちゃいいのさ、勝ちゃあよぉっ!」

 「ニファーナ様の大義は未だ健在だ! 恥ずかしい勝利となっては都市国家(くに)が乱れるだけだ! このような時こそ、正道を貫くべきだ!」

 そんな対立意見が衝突を繰り返した挙げ句、元『士師』達は協力体制を放棄し、各々のやり方で勝手なゲリラ戦を展開するばかりであった。

 ちなみにエノクはと言えば、元より他の『士師』達の緩衝材の役割を果たしていたことも有り、この状況下においても元『士師』達の大半とは接触を続けてはいたが。戦闘で部隊を率いるとなると、彼らを束ねる事は捨て、自身が率いる独自のゲリラを組織していた。ただ、共同作戦の算段を整えたり、同士討ちを避けるための情報共有を行ったり、と言う裏方作業には始終従事していた。

 ゲリラ戦は一定の効果を呈した。都民の誰もが兵士になりうると云う状況は"陰流"の勢力にそれなりのプレッシャーを与えられたし、元『士師』達が発案する『天使』攻略作戦も概ね功を奏した。そもそも『天使』は『神法(ロウ)』さえ突破出来れば、(複雑さは兼ね備えているものの)ルーチンに忠実なロボットと同様であった。死者を極少なく抑えた上で、『天使』の部隊を殲滅させるような戦果を上げることすら出来た。

 だが、『士師』が相手となると、話は全く別であった。

 『天使』が破れれば破れる程、彼らは警戒を強め、苛烈で巧みな迎撃を展開した。微塵の手心もなく、持ち得る最大の『神法(ロウ)』を陰険な知性で以て振るう――その結果、一戦にして部隊殲滅の憂き目に遭うゲリラ部隊の数は知れなかった。

 "陰流"の勢力は、ゲリラ部隊の数が減ってゆくのを確認すると、『士師』を中心に編成した部隊ばかりを配置し、反抗勢力の確実な壊滅に当たった。

 プロジェスの反抗勢力は、徐々ながらも確実に、その勢いを殺がれていった。

 

 プロジェスはこのまま、残酷無比なる陰の流れの中に飲み込まれ、その歴史を閉じる――かに、思われたが。

 そこに、都民の誰もが思いもよらぬ転機が訪れた。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 それは、パラパラと小雨が降りしきる深夜のことであった。

 "雨が降りしきる"とは言うものの、天空には時折雲間が垣間見え、真円に近い月がぼんやりとした輝きを地上に届けていた。その月光にホッとため息を吐くが早いか、月に被さる透けた猥雑なる"陰流"の天国の街並みも現れ、人々の表情をも曇らせていた。

 エノクは自身が率いるゲリラ部隊を率いて、奈落のような暗闇に覆われた、破壊された繁華街の中に息を潜めていた。

 エノク達は日が沈む頃からこの場に隠匿の方術陣を展開し、数時間もの間この場に待機し続けていた。そんな長時間を費やしていたのは、方術陣が放出する魔術励起光や魔力が充分に減衰し、"陰流"の勢力に気取られないようにするためである。

 エノク達の目論見は、身を潜めている点から充分想定できる通り、待ち伏せである。

 では、誰がここに敵を誘い込むのかと言えば。元の"武闘の士師"、ヴィラード・ネイザーが率いるゲリラ部隊である。

 この夜の作戦は、エノクとヴィラードの両者の部隊による共同作戦だ。狙うは、"陰流"の勢力でも屈指の直情型な性格を持つ"黒拳の士師"ボルクランテである。

 元『士師』が2人掛かりで相手をしても、正面切っての勝負ではボルクランテの撃破は相当困難である。『士師』の『神法(ロウ)』は生身でも打破し得るが、その労力は並々ならぬものだ。ましてや、複数の足手まといを抱えながらとなると、勝ち目は絶望的に薄くなる。

 そこで2人の元『士師』は、奇襲を用いてボルクランテを討つ算段を整えた。

 直情型の性格の持ち主であるボルクランテならば、ちょっとした挑発にも過敏に反応し、脇目も振らず猪突猛進してくるはずだ。そこを罠に()め、大火力で以て『神法(ロウ)』を量がすることで叩き伏せる――それが作戦だ。

 ヴィラードの部隊は囮役として、ボルクランテの元に向かった。そしてエノクの部隊は、ボルクランテを捕縛して叩く罠の役割を負った。

 時折月光と『天国』の電飾光が降りる宵闇の中は、小雨が大地を叩くパラパラとした音ばかりが響いていた。ヴィラードはまだボルクランテと遭遇していないか、交戦が開始されていても距離が酷く開いているようだ。

 エノクの部隊は雨に(さいな)まれながら長時間を費やした疲労感からか、ポツポツと呟きを交わしていた。

 「…なぁ、今回は成功すると思うか?」

 「成功は…どうだろうな。

 ただ、大失敗にゃならないんじゃないか。"若神父様"の部隊じゃ、まだ死人は出てないしな。

 クソ『士師』を討てなくとも、命在って退却出来るなら、それで良しじゃねーの?」

 「でもよぉ、そろそろ一人位ブッ(たお)してやりたいよな、クソ『士師』のヤツ。

 んで、"陰流"のオバサンに冷や汗かかせてやりたいもんさ」

 その言葉に対し、誰かがハッと鼻で笑いながら同意を口にしようとした、その時。彼の後ろから「静かに」と言う小さな小さな、しかし力強い呟きが聞こえた。

 振り返ればそこに居たのは、エノクであった。口元に人差し指を当てているが、表情は怒るでなく、淡々とした冷静なものだ。

 「あ…すみません、"若神父様"」

 部隊員が声を更に潜めて、バツが悪そうに頭を下げながら語ると。エノクは反省の態度に何か語ることはせず、ただ闇の帳の濃い街路の先に顔を向けて、口を開いた。

 「敵が、近づいています」

 「!!」

 部隊員達の間に電撃のような緊張が走った。同時に彼らは耳を澄まし、交戦の音を拾おうとしたが…鼓膜を震わすのは雨音ばかりであった。

 「ま、まだ、何も…!」

 誰かが思わず語気を強めて語ると、エノクは口元に人差し指を当てて(いさ)めながら語った。

 「聴覚ではまだ、捕らえられないでしょう。余程聴覚に優れた種族の方が居るならば、別でしょうが。

 形而上相で確認することで、明白になります」

 部隊員達は顔を見合わせた。エノクの率いる隊員の中には形而上相視認を巧み操れる者は居ないし、聴覚に特に優れた者も居ない。だから彼らは、エノクの言葉だけを現状の判断材料に用いることしかできなかった。

 エノクの言葉を信じる以外に何の手だてもない部隊員達は、ザワザワとエノクに質問を投げつけた。

 「か、数はどれくらいですか!?」

 「『天使』の数が予想より少し多いです。が、計画に支障をきたすほどではないでしょう」

 「ヴィラードさん達は、大丈夫なんですか!?」

 「少なくとも、ヴィラードさんは健在です。よく戦っています。ボルクランテは見事に、ヴィラードさんに吊られて直進しています」

 そんなやりとりをしている内に、街路の向こう側にパパッと発砲の輝きが見て取れた。少し遅れて、鈍く滲んだ発砲音がエノクの部隊の鼓膜を小さく震わせ始めた。

 ――獲物が、やってきた。

 「ホ、ホントに来やがった…!

 と、とりあえずは、どうすれば!?」

 「慌てず、手筈通りに事を進めましょう。各自、持ち場に身を隠して静かにすること。

 私が捕縛の方術陣を起動させ、ボルクランテの動きを止め次第、皆さんが手にした武器のありったけの火力を注ぎ込むこと。

 それだけです」

 「今更ですけど…ヴィラードさん達、巻き込まれないですかね!?」

 「それは彼らの働きに掛かっています。我々が考慮することではありません。

 繰り返しますが、我々は手筈通りに事を進めるだけです」

 「…うまく、行きますよね…?」

 誰かの震えた声音の質問が宵闇に溶け込むと。エノクは数瞬黙した後に、力強く答えた。

 「行かせるんです。

 我々には、それしか道はない」

 この言葉に部隊員が一斉にハッと息を飲んだ、直後。

 ズズンッ…! 地鳴りと震動、闇の街路を駆け抜けた。どうやらボルクランテの"黒拳"が容赦なく暴れ狂っているらしい。

 「では、以後私語は慎むように」

 エノクはそう言い残すと、自らも街並みの影へと姿を隠した。

 部隊員も彼に続き、息を止めるように潜めて身を隠した。

 

 「ハエがッ! ウゼェんだよっ!」

 くぐもった低い怒声は、ボルクランテのものであった。

 地鳴りと震動は、彼が嵐のように繰り出す拳撃の衝撃や余波に由来するものだ。"黒拳"の由来である、彼の漆黒に染まった拳は、ダイヤモンド並に凝縮された炭素の硬度で以て、対象を粉砕する。

 彼の凶拳に対して、まるで嵐の中を舞う木の葉のように、巧みに身を(ひるがえ)しながら戦っているのは、元"武闘の士師"ヴィラードだ。鍛え抜かれた筋骨隆々な長身の体躯は、彼が優れた格闘技能者である事を物語っている。実際、『士師』時代の彼の力は格闘術に特化したものであった。

 "黒拳"と"武闘"――激闘は、奇しくも格闘技能者同士による衝突で展開していた。

 「死ねってンだよッ!」

 ボルクランテが、漆黒の巨拳を烈風と成してヴィラードの頭上に叩き降ろした。身長2メートルを越えるヴィラードであるが、ボルクランテの筋肉で肥大化した体躯は4メートルを優に越える高さを持つ。跳び上がらなくとも、ヴィラードの頭上をいつでも狙えるワケだ。

 「死ぬかボケッ!」

 対するヴィラードは、やや距離を開けてサイドステップし、一撃をかわした。彼の見切りならば"黒拳"をギリギリの距離でかわすことも可能だが、"黒拳"には硬度の他にもう一つ、厄介な性質があった。

 それは、強烈な毒素を分泌していることだ。毒素は揮発性が高いため、拳の直撃を受けずとも気化したそれに触れてしまうだけで、肉体に酷い損傷を負うことになる。

 「死ぬのはテメェだよ、デカブツッ!」

 ヴィラードは金属光沢を放つ小さな角の生えた禿頭にビキビキと血管を浮かび上がらせて力みつつ、ボルクランテの懐へと飛び込んだ。ちなみにヴィラードは、"オーガ属"と呼ばれる人種に所属している。この人種は頭に生える金属質の角と、天性の強靱な身体能力が特徴である。

 ヴィラードは鉄甲を装備した右拳で、ボルクランテの岩盤のような腹筋に、回転を加えた打撃をブチ当てた。突き抜ける衝撃がボルクランテの堅固な皮膚と筋肉をブルリと揺らし、体を少しよじらせた。

 が、『士師』ボルクランテがこの程度で膝を折るワケがなかった。

 「フゥッ!」

 鋭い呼気と共に体軸を固定すると、ヴィラードめがけて右拳によるフックを放った。ボッ、と大気の破裂する騒音が響き渡り、凄絶な破壊力を主張した。

 「おっと!」

 ヴィラードはすかさず後方へとピョンと跳び退き、激情のフックを悠々と回避。同時に、距離を大きく稼いだ――エノク達が潜む、"罠"の方へと。

 「アンタは確かに固いがよぉ! ノロマなのは致命的だなぁ!

 いくらスゲェ拳でも、当たらなきゃ意味ないぜぇ?」

 「ほざけェッ!」

 ヴィラードの挑発にボルクランテは顔を真っ赤にして激怒すると、巨体に見合わぬ素早いステップで、ヴィラードとの距離を一瞬で詰めて来た。

 ――そんなやり取りを物陰から見ていたエノクの一団は、ヴィラードの大胆さと共に、その計略に目を見張った。

 (うまい…!)

 直情型のボルクランテを煽りに煽りながら、自然な形で目標地点に誘導している。しかも、目立った外傷は無いと来たものだ。彼を『士師』に選んだニファーナは、暢気なようで居ても、その目は確かであるということが証明された瞬間であった。

 ヴィラードが"危険な鬼ごっこ"を悠々とこなしている一方で。彼の部下達は、虫の息で『天使』を必死にいなしながら、全力で後退していた。

 対『天使』戦での立ち振る舞い方については、ヴィラードは勿論、弁に長けるエノクも充分に説明し、体得させていた。しかしながら、『天使』の数はヴィラードの部隊の数の倍を優に上回るほどだ。

 『天使』を撃破することもまま在るものの、1体を斃すまでに相当の時間を要していた。その間にも他の『天使』達が怯懦なく無機質に攻めてくるのだ。すぐにでも背を向けて逃げ出したくなるところだが、作戦の性質に加え、部隊長ヴィラードを一人放置することも出来ず、彼が後退するまではその場で踏みとどまらねばならなかった。不気味な崩れた顔が奔流のように襲いかかってくるのを、部隊員達は泣きそうな顔をしながら必死に捌き、ヴィラードが後退すれば、待ってましたとばかりに敵に背を向けて全力疾走して後退していた。

 大胆不敵なヴィラードが長だからと言って、部下の練度や胆力も彼に(なら)っているワケではないらしい。むしろ、根が惰弱だからこそ、揺るぎないほど強い長の元に集まったとも言えよう。

 

 ――さて、退き足のちぐはぐな後退劇がジリジリとエノク達の元へと迫り…遂に、作戦実行地点へと到達した。

 

 その頃には雨は更に弱くなって霧雨の体を成し、天を覆う雲は薄くなり、月光と『天国』の猥雑な輝きが雲を抜けて闇空をぼんやりと彩っていた。

 「チョロチョロとしぶてぇ野郎だなぁッ! 早く死ねよ、直ぐ死ねよッ!」

 そんな罵声と共にボルクランテがヴィラードを追って驀進し、その巨体をエノクの部隊員達の網膜にまざまざと焼きついた。

 エノクが張った方術陣は、正にボルクランテの直下に位置していた。

 ヴィラードは特に合図などしなかった。作戦の成功に万全を期すためにも、一瞬でも綻びが生じることを嫌ったのかも知れない。とにかくヴィラードは、物陰に潜むエノクの部隊達にチラリとも視線を向けることなく、相も変わらずボルクランテと烈風のような拳撃の応酬を展開していた。

 エノクの部隊員達は、このまま本当に仕掛けを発動させて良いものかと、固唾を飲み込んで逡巡していたが。

 部隊の長であるエノクは、微塵の迷いも無く、冷徹にして怜悧に、算段を実行に移した。

 (縛るッ!!)

 叫びはエノクの胸中に留まり、街路には響かなかった。エノクもまた、ヴィラードと同じく綻びを嫌ったのだ。

 無言のままに意識を集中し、術言(チャント)ではなく身振りの儀式で方術陣を発動させた。右の人差し指を方術陣から延びる"導火線"のような線分に突き立て、左手で右腕をガッシリと掴み込みながら、グルリと右腕を回した。

 その儀式によって、エノクが形而上相で練り上げた魔力は"導火線"を伝って、方術陣の中へと流れ込んだ。

 転瞬、大地に(まばゆ)い赤橙色の魔力励起光が爆発的に灯った。

 「あぁっ!?」

 ボルクランテが、間抜けな驚愕の声を上げた。罠が張り巡らせれていることなど、微塵も予想していなかったに違いない。

 大地に落とした視線をキョロキョロと巡らすボルクランテへと、赫々(かっかく)の鎖が無数に生えて延びた。それらはミイラでも作るかのように、一瞬にしてボルクランテの体を幾重にも取り巻いて動きを止めた。

 鎖は同様に、ボルクランテの背後に殺到する『天使』達をも捕縛。ルーチン化された思考しか持たない彼らは、図太い手足を無闇にバタバタさせながら、鎖の餌食となって赫々の球となり、滑稽にも大地にゴロゴロと転がった。

 この捕縛の方術陣の発動に際して、ヴィラード以下囮役の者達は、一人も餌食の憂き目を見ることはなかった。エノクは巧みな魔法技術で(もっ)て、"陰流"の神霊力のパターンにのみ拘束力を発揮する捕縛機構を作り出したのだ。

 「スッゲ、やっぱ"若神父"! 上手に敵だけ捕らえちまいやがったッ!」

 ヴィラードが思わず感嘆の声を上げ、指をパチンと鳴らした。直後、誰からの反応も待たずに、憤怒の唸り声を上げながらゴロゴロと無様に転がるボルクランテに中指を突き立て、舌をベロリと出して見せた。

 「そんじゃな、バカ丸出しのプッツン『士師』さんよぉっ! 永遠に、お別れだ!

 ――てめぇら、巻き添え食う前に退けッ!」

 ヴィラードは指示を叫びつつ、自らも街路の陰へと身を躍らせて潜めた。彼の部下も叫びに急かされるように、慌てて物陰に身を隠していった。

 彼らとは対照的に、ここぞとばかりにい姿を現したのはエノクの部隊の者達であった。彼らの手には(すべから)魔化(エンチャント)された弾丸をぶっ放すための重火器が握られていた。

 勿論、魔化(エンチャント)はエノクによって対『士師』および『天使』用に絶妙な調整が施されてあった。

 エノクもまた手に拳銃――形は小さくとも、肩に背負う重火器と同等の物理的破壊力を備えるよう調整された魔化(エンチャンテッド)武器(アーム)だ――を手にしながら物陰から姿を現すと。

 「撃てッ!」

 号令と共に、自らも引き金を引いた。

 ()()()()()…ッ! 瀑布の水音よりも尚恐ろしい轟音が大気を揺るがし、暗色系の魔力励起光の尾を引いた弾丸が宵闇を暗く彩った。

 『士師』と『天使』が、ヒトの手によって刈り取られる瞬間であった。

 

 …そのはず、であった。

 

 エノク達が異変に気付くまで、たっぷり数分の時間を要した。

 爆音も励起光の爆発もみな、『士師』や『天使』を叩いたことに起因するものであり、確実な打撃を与えているものだと確信していたからだ。

 だが――"止め"の合図もなし、爆音や励起光が明らかに減衰した事を覚った時には、エノクは全身の毛穴から冷たい汗が噴き出すほどの失意と怯懦に陥った。

 恐らくは、出番を終えて物陰で様子を見守っていたヴィラード達も、同じ気分を味わったことだろう。

 何せ、『士師』や『天使』ども目掛けて掃射したはずの弾丸が、いつの間にか『士師』達を覆う黒い靄に阻まれたかと思いきや、跳ね返っていたのだ。そして弾丸は、発砲者の体へと着弾し、彼らは彼ら自身を殺傷したのだ。

 「な…何が…ッ!?」

 停止の号令よりも先に、驚愕の言葉が口から漏れてしまった、エノク。そんな彼の言葉を嘲笑する回答が、ヘラヘラと靄の中から上がった。

 「オレらの『現女神(めがみさま)』が、経験豊富なご主人様が、直情バカをたった一人で野放しにするワケねーだろうが」

 言葉と共に、靄の中からヌルリと腕が上がった。"陰流"の勢力に相応しい、漆黒の色を呈した革製品に包まれた、小柄な腕だ。

 これを見た瞬間に、エノクはギクリと顔を(こわ)ばらせた。

 現れた腕は、記憶に強く触れるものがあった――しかも、酷く悪い形で琴線に触れてきた。そうだ、こいつは――いや、こいつ"も"『士師』だ!

 黒い靄の中から現れた手は、風呂の縁を掴むように靄の端を掴んで、内部に隠れている本体を引きずり出していった。やがて、短い黒髪に漆黒のゴーグルを付けた丸い顔が現れ、次いでやはり漆黒の色を呈した革製のピッチリしたジャケットに身を包んだ身体が現れた。体表は口の周り程度が露わになっているだけで、後は漆黒一色に染まっている。その姿は、シュノーケルは無い者の海のダイバーを想起させた。

 この新手の『士師』は、"冥泳の士師"ピラス。黒い靄状の亜空間を作り出し、その中に潜んで泳ぎ回ったり、アザラシに襲いかかるサメのように飛び出したりする戦法を取る。黒い靄状の亜空間は空間転移ゲートの役割も持ち、この能力を使って弾丸を反転させたのだ。

 靄からスッカリと身体を引きずり出したピラスは、巨大な鞠のように転がるボルクランテの上に玉乗り師のように乗っかり、フラフラとバランスを取って戯れてみせた。彼もまた方術陣の効果範囲に居るはずなのに、捕縛効果は彼を襲わない。

 この光景に、エノクはピクリと眉を動かした。――ピラスは、ノーモーションで方術陣の効果を回避するような能力をお持ってはいない。とすれば…。

 (ヤツを手引きした者が、他に居る!)

 同士討ちに困惑する部下を余所に、エノクが視界を巡らせていると。ピラスはボルクランテの上にしゃがみ込むと、ピシピシと顔を叩いた。

 「言ったろうが、性格変えないとお前は直ぐ死ぬってよぉ。毒の拳骨振り回すだけじゃ、『士師』としてどころか、兵士としても質が低すぎるんだよ」

 「うるせぇ…ッ!

 小言はいいから、早くなんとしろってンだッ!

 クソッ、ただのヒト風情にしてやられたなんてッ! なんて赤っ恥だッ!」

 「おっと、お前をなんとかするのはオレの役目じゃねぇ。

 なぁ、ヘルベルト!」

 ピラスの言葉の最後、その場で認知されない人名が声高に街並みに響き渡ると。返事の代わりに、陰の広がる大地から大小多数の漆黒の(きり)が剣山として現れた。

 (やはり、もう一人かッ!)

 エノクは突如として出現した黒錐を巧みに回避し続けながら、思わず舌打ちした。この錐は大地そのものが変化したものらしく、アスファルトや土壌の堅さを成していた。錐は反応出来ずにいた人員達を容赦なく脳天まで貫き、一瞬にして部隊を全滅の寸前まで追いつめてしまった。

 この惨状はエノクの部隊だけのものではなかった。役目を終えて事の行く末を見守っていたヴィラードの部隊にも、容赦なく襲いかかった。

 「チックショウッ! 痛ぇッ!」

 ヴィラードの罵声が物陰から轟いた。抜群の身体能力を持つ彼であるが、あまりにも不意の出来事にどこかに怪我を負ってしまったようだ。

 長である彼ですら損傷を負ったのだ、彼の部下となれば死傷者が多数出たのは必然である。くぐもった断末魔が幾つも街路に木霊(こだま)し、血肉の飛沫が宵闇に不気味な赤を加えた。

 エノクも外部の状況を気にかけている暇などなかった。ヴィラードの声に気を取られた瞬間、避けきれなかった錐に右足を貫かれ、身動きが取れなくなってしまったのだ。

 幸いにも、黒い剣山の生成は丁度終わり、エノクは九死に一生を得たことになるが。しかし、安堵などしていられるワケがなかった。

 ボルクランテが来た方から、コツコツと杖で大地を叩きながら、異様な出で立ちの人物が現れた。漆黒の外套をスッポリと被り、荒削りの獣の面で顔をも隠した、旧時代の魔術師然とした人物。

 "影地の士師"ヘルベルトであった。

 ヘルベルトの能力である、陰や闇の降りた大地を変質させる業は、黒い剣山を作ると共に方術陣を崩壊させた。途端に、ボルクランテや『天使』を捕縛していた赫々の鎖は赤橙色の魔術励起光へと溶けて無くなり、彼らは自由を得た。

 

 こちらは、敗走を選ぶ他のないほどの寡勢となってしまった。対して相手は、3人の『士師』に、多数の『天使』達。

 絶望的な戦力差が、絶壁となってエノク達の前に立ちはだかった。

 

 「よくもまぁ、ヒトの分際でハメやがってくれたもんだ!

 今度はこっちが、じっくりと可愛がりまくってやっからなぁ!」

 「まぁ、オレは補助向きの能力だからねぇ、戦いはボルクランテに任せとくよ。それに、いたぶるのはあんまり好きじゃないんだよ、仕事なら仕方ねぇけどさ。

 ヘルベルトは、どうすンだ?」

 「この状態なら、ボルクランテ一人でも良かろう。

 ただ、油断はせぬ。不審あれば、ボルクランテの楽しみがどうなろうと、皆串刺しにする」

 3人の『士師』が悠々と言葉を交わすものの、エノクもヴィラードも手負い故に隙を突くことも出来ず、彼らの苦々しい言葉に耳を晒すばかりだ。

 「そんじゃ、お楽しみタイムと行かせてもらうぜ」

 ボルクランテは黒い拳をポキポキと鳴らしながら、手近に転がっている、左脚を大きく欠いた人員の元へ近寄って行った。人員は激痛に命乞いの声も出せず、暴れ狂う呼吸と涙まみれの瞳で必死に生にしがみつこうとするが…悲惨な最期は、もう十数センチまで接近していた。

 

 策は断たれ、希望は費えた。

 惨たらしい終末に身を甘んじるほか、取り得る方法などあるワケがなかった。

 

 …だが、状況の転覆は一度のみならず、二度までも起こったのだ。

 そしてそれは、エノク達の窮地を好転させる"奇跡"であった。

 

 ボルクランテが黒拳を振り上げ、左脚を欠いた人員にトドメを刺さんとした、その時のことだ。

 空を覆う薄い雨雲が晴れ上がり、霧状の雨粒がピタリと止んだ。夜空からは月光と『天国』の街灯が降り注ぎ、瓦解の傷痕の深いプロジェスの街並みを照らした。

 エノクやヴィラードは初め、"陰流"の『天国』が反抗勢力の最期を見届けようと雲散らしたのか、と暗い心持ちで天を呪ったのだが。

 ボルクランテの拳が振り降りるより早く、天に稲光のような眩い青白色の閃光が走ると、"陰流"の『士師』達含めて、その場の者達は皆、反射的に視線を天に注いだ。

 雲がないというのに、(いなずま)が走ったと云うのは、如何なる事情が在ってのことか?

 誰の胸にも去来した疑問の答えは、天がすんなりと明らかにしてくれた。

 閃光の正体は、稲光ではなかった。

 "陰流"の猥雑な街並み状の『天国』の端にかじり付くように、閃光を放つ球状が現れていた。

 「…なんだ、ありゃあ?」

 ポカンと声を上げたのは、"冥泳の士師"ピラスであった。『士師』が疑問符を口にすると云うことは、球は"陰流"とは異なる神霊力に由来する現象らしい。

 「ヌゥル様の『天国』が、浸食され――」

 ピラスが言葉を繋いだ、その直後。

 「ドーンッ!」

 突然、底抜けに陽気で、天に閃いた雷光の如く力強い、子供じみた掛け声が響き渡った――かと思うと。

 (ドン)ッ! 大地を揺るがす、衝撃。同時に、天へと昇る巨大な円柱状の雷光。

 大気がイオン化した、気分の悪くなる異臭が漂うと共に、大気が爆砕したような衝撃が駆け巡った。

 (な、何が!?)

 その疑問を抱いたのは、エノクだけではあるまい。網膜を()いた閃光に視界が朧気になる中、雷光が昇った方へと視線を巡らすと――そこに見たのは、壮絶な光景であった。

 "冥泳の士師"ピラスが、盛大に抉れた大地の中央で倒れ伏していた。その身体からは純白の光の粒子が立ち上っているのが見えた――つまり彼は命を失い、肉体の昇華が起こっているのだ。

 雷光と共に、一撃で『士師』を撃破した"者"。それは、消えゆくピラスの直ぐ隣で、跳び蹴りから着地した格好のまま、その場に硬直していた。

 「悪、即、雷!」

 彼女――そう、その"者"は女性、しかもニファーナと同じくらいの少女だ――は、大輪の笑みをニカッと浮かべて立ち上がると、形の良い双丘をプルリと揺らして胸を張った。

 「神の名の元にいい気になって暴虐を働く不良『天使』、そして不良『士師』どもは! この世界が許しても、あたしが許さないっての!」

 月光を照り返す、醒めるような明るい青の長髪。市軍警察の警察官を思わせるような、清々しいデザインながら可愛らしくも精悍なアクセントが施された衣装。そして、手足を覆う、グローブや靴にしては巨大過ぎる、丸みを帯びた純白の装備品。

 健康的な外観を持つその美少女からは、エノク達を励ますような雰囲気が漂っていた――いや、"雰囲気"などと云う抽象的なものではない。これは、れっきとした実体を持つ力、『神霊力』だ!

 少女はポカンと見つめるボルクランテに巨大な人差し指を向けると、笑みを厳格な怒りの表情に変えて叫んだ。

 「このあたし、"鋼電の女神"レーテ様の! 目が青い内は! 不良女神どもの好き勝手になんか、させないよッ!」

 

 ここに、プロジェスの『女神戦争』を担うもう一役が登場した。

 "鋼電の女神"レーテ・シャンティルヴァインである。

 

- To Be Continued -


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