ヒュンッ! 風切り音は、渚の鋭い蹴りが灰児のこめかみ目掛けて、スニーカーを履いたつま先を叩き込んで来る音だ。
灰児はすかさず踏み込んでヒッティングポイントをずらし、両腕で渚の蹴りを防ぐ。
(なんてぇ一撃だッ! 砲丸かよッ!)
吹き飛びそうになる所を、歯を食いしばって踏み留まる。これを凌いだら、すぐに肉薄して渚に反撃を食らわせる算段だ――が。
渚の動きは止まらない。灰児に叩き込んだ蹴りを支点にしてフワリと宙を舞い、グルリと回転すると。無防備な灰児の頭頂めがけて踵を落とす。
後退して回避しようにも、渚の動きが早すぎる。最善でも、踵が鼻面に直撃し、削ぎ取られてしまう可能性がある。
(間に合えッ!)
灰児は先に防御につかった腕を頭の上へと向け、交差させる。直後、渚の踵が灰児の腕へと振り落とされる。
(クッソ痛ぇ…ッ!
だがよぉッ!)
灰児はビリビリと痺れる腕を酷使し、激突した渚の脚を掴む。
(その姿勢じゃあ、逃げ場は無ぇよなぁッ!)
灰児はそのまま渚の脚を背負い、グランドに投げて叩きつけようと試みる。
果たして、渚を担ぎ、回転させることには成功したが。渚はただ、投げられるがままでいるような素直な根性の持ち主ではない。
地面へと落とされる、その最中。捕まれていないもう一方の脚を振るい、灰児の顔面に真正面から蹴りを放つ。
「わぶっ!」
メキリと鼻面が歪み、ドバッと鮮血が両の穴から
結果、灰児は渚を掴む腕を離してしまったが。それでも渚は背中から地面へと高速で叩きつけられる。
「ぐ…ッ」
渚が小さく呻き声を上げる。その声に灰児の白くなった意識は引き戻される。
(よっしゃッ、効いてやがるッ!)
これぞ好機と、灰児は無様な顔面の痺れを振り切り、足下に転がる渚へと足の裏を叩き込みに行く。
渚はそれをクルリと身を回して回避。同時に低く起きあがると、空しくグラウンドの土を踏み抜いた灰児の足を疾風のように払う。
「ぬぉ…ッ!」
ステン、とその場で宙に浮いて転がる所へ、渚は素早く立ち上がると。灰児の体めがけてハイキックを放つ。その速度たるや、脚が霞んで見えるほどだ。
(やらせるかッ!)
灰児も負けてはいられない。まだ三半規管が悲鳴を上げている最中、野性的な勘を頼りに闇雲に『宙地』を使用。空を蹴ると、渚の胸元へと肉薄する。
ドンッ! 渚の腿が、灰児の脇腹に叩き込まれる。蹴りの常識で考えてみれば、モーメントの小さな腿の攻撃はさほど強くはない。それでも、灰児の巨躯がビクンッ! と震える程の一撃である。
だが、灰児も一矢報いている。体ごとぶつかった灰児の右手は、中指の間接をつきだした拳の形を取り、渚の鎖骨の辺りに突き刺さっている。
当然、この拳はただの拳骨ではない。つきだした中指の間接に一点集中した強烈な
渚の体が、ピクッ、と震える。さすがにダメージがあったようだが…彼女よりも、攻撃を放った本人である灰児の方が酷い驚愕に表情を青ざめさせている。
(なんだ…こいつの体!)
渚の体が小柄だと云うのに、
驚愕しているところへ、渚のハチミツ色の髪がフワリと揺れる。一瞬、倒れ込むのかと思えるほど仰け反った――直後、極限まで引き絞られたバネが返ってくるような高速で戻り、灰児の後頭部に額を叩き込む。
インパクトの瞬間、灰児は大口を開いて、絶叫する。
「ッガアアアァァァッ!」
叩き込まれた額から、恐ろしく長く鋭い釘を突き込まれたような激痛が走ったのだ! それは頭蓋から背骨へと抜け、全身に電流のような衝撃を伝播させる。
その衝撃は、先に灰児が渚に叩き込んだはずの『黒点針』と同類の――いや、同一のものだ。ただし、灰児が放ったものよりも、何倍も威力は上だ。
(『衝鏡功』かッ!)
意識が飛ぶような痛みに
『衝鏡功』は練気の技術の一つ。自らの体を伝導体とし、加えられた外力を任意の方向へと誘導、そして弾き出す業だ。多くの場合、相手の攻撃を鏡の如くそのまま相手に返す反撃の業として使われるため、"鏡"の文字が名に冠されている。
一見して無敵のような業であるが、弱点がある。自らの体を伝導体とするために、外力が体内を通る際、筋肉や骨格、内臓といった組織に負荷が生じてしまうことだ。
だが、この技術の熟練者は体内を伝導する事を逆に利用し、取り込んだ外力に自らの気を上乗せし、倍返しを行う事をやってのける。
そして渚は正に、その倍返し――いや、正確には2倍で効かぬ、4か5倍の返し――をやってのけたのだ。
(全く、飛んでもねぇアマだ…ッ!
だがよ…ッ!)
灰児はギリリと歯噛みすると、体の中心軸を貫いて大地に押しつける『黒点針』の力を利用し、地に亀裂を入れるほどの激しい踏み込みを行う。大地から気を取り込む動作、『震脚』である。
そして、渚の腹部に一度めり込ませた拳を少し引くと、再び気力を拳に蓄積する。ただし、今度は立てた中指の間接は引っ込めている。正真正銘の正拳だ。
(これは、返せねぇだろッ!)
灰児は体を起こしながら、渚の腹部に拳撃を叩き込む。腹をブチ抜く気概で激突した拳が、渚の小柄な体を緩い"く"の字に曲げた――その直後。
灰児が繰り出した、渾身の『鋼爆勁』だ!
この勁は『黒点針』とは違い、気力が相手の体内に広く分散する。その為、『衝鏡功』による外力の任意誘導は極めて困難だ。
そして実際に、渚の実力を以てしても実現できず、彼女の体はブワリと宙に浮く。まるで風に舞い上げられた木の葉のように、軽々と。
(――木の葉!?)
灰児は眉を
渚の体は、優に地上5メートルは吹き飛んでいる。灰児は確かに渾身の力で勁を放ったが――それにしては、余りにも飛びすぎる。
それに、インパクトした際の手応えが妙だった。相変わらず岩のように強靱な筋肉の手応えだったが、その割に重みが余りに足りなかった。まるで、紙でも殴っているような。
(まさか――ッ)
灰児はハッと思い当たるものの――少し、遅い。
渚はキュンと高速で身を回して体勢を整え、眼下に灰児を捉えると。『宙地』を使って、流星のような高速で一気に落下してくる。
その時の渚の顔と来たら、全くダメージを受けた気配がない。ただ凄みの効いた
(『葉身功』!)
灰児は渚の防御術を
今、降下する渚は『葉身功』を解除し、質量を取り戻した状態だ。『宙地』による加速も加わっているので、激突すれば相当の衝撃が来る。だが、灰児の反射速度で避けきれるような動きではない。
灰児はすかさず右の二の腕を思い切り力み、功と共に筋肉を硬化させる。そして、渚が繰り出した跳び蹴りをそれに当てて、防御する。
あわよくば――渚ほど巧くは行かないが――『衝鏡功』で衝撃を跳ね返してやろうと言う算段であったが。そんな理性など吹き飛ぶような絶大な打撃――いや、"刺"撃が灰児の体を貫く。
「………ッ!」
声が出ない。痛みに耐えるだけで、精一杯だ。まるで巨大な釘が身を貫き通したような衝撃に、灰児はのたうち回りたくなる。『衝鏡功』を使うような余裕など、微塵もない!
実際、灰児を貫いた衝撃は彼の背中を突き抜け、グラウンドに突き刺さって砂煙を上げ、拳3つは入るような窪みを作り出す。
渚が繰り出したのは、足による『黒点針』だ。その威力たるや、先に描写した通りの凄絶なものだ。灰児が繰り出した、中指の間接を立てた拳によるものなど比べ物にならない程の、"針"と言うより"槍"のような一撃。
もしも灰児の服を脱がせば、そこには腕を貫き、銅をも貫く黒々とした大きな丸い痣がクッキリと出来ているに違いない。
渚は『黒点針』の反動を利用してヒラリと後方に飛び、数メートルの間を開けてスタッと降り立つ。そして、立ったまま泡となった唾液を吐き出しつつ歯噛みして悶える灰児を、
「どうじゃ、この辺でギブアップかのう?」
凄みをフッと消し、ウインクしながら語った渚だが。すぐに再び、その表情に凄んだ嗤いが浮かぶ。
「…ふむ、詰まらぬ不良少年のままにしておくには惜しい根性じゃな」
灰児が泡と唾液を吐き飛ばすと。再び身構えたのだ――『黒点針』によって深々と打撃を受けた右腕をも持ち上げ、大きく肩で息をしながら。
彼の顔は、いや、全身は冷たい汗でビッショリと濡れている。筋肉や骨格は疲弊の為か怯懦の為か、小刻みに震えている。
それでも彼は顔を上げて、渚を真っ直ぐに見つめ…そして、"嗤っている"。
◆ ◆ ◆
何がどうなってるのか、分からない――そんな感想を抱くクラスメイトが大半であろう。それほどまでに、2人の戦いは高速であった。
だが、彼らは皆、大気の振動やら、魔力や気力の膨張と収縮を感じ取り、授業どころではない凄絶な事態が起きていることを理解している。
ようやく動きが一度止まった今、彼らはフゥーと息を抜きながら、コショコショと感嘆の声を上げる。
中でも多いのは、渚に対する賞賛だ。
「流石、ユーテリア…! 動きがもう、人間離れしてる…!」
「早送りでも見てるみたいに早ぇ…! 目が全然、追いつかねえ…」
「あの灰児君が…あんなにズタボロじゃん…!」
「それでも、腕を使ってないってのかよ…! 本物の怪物じゃねぇか…!」
一方で、教諭や秀を初めとするクラスの実力者、そして灰児の取り巻き3人組は、灰児に対して敬意と驚愕を向けている。
「あんな圧倒的な動きを見せられて…」
「あんなに傷ついているって言うのに…」
「ここで、嗤うのかよ!?」
加えて、教諭は固唾を飲みながら思案する。
(…止めるべきじゃないのか!?)
模範演技としては、十分過ぎた…いや、あまりにも行き過ぎだ。
実戦を想定した組み手をすれば怪我が出るのはよくあることだ。それでも、治療用の魔術を受けて、しっかりと栄養を取れば直ぐに治る事が大半だ。
しかし、今回は違う。このまま進めば最悪、命に関わる可能性がある。特に、圧されている灰児はそうだ。
だが同時に、教諭は灰児の
(何にでも反発して、主体性なくダラダラしてるばかりのあいつが、ここまで魂に火を付けてるだ。それを、オレが消してしまっていいのか…!?)
教諭が気を揉んで葛藤している一方で。二ファーナはただ一人だけ、周囲の雰囲気に全く染まらず、ぼんやりと事の成り行きを見守っている。
そんな彼女の袖をクイクイと引っ張るのは、隣に座る美樹である。
「ねぇ…ヤバくない、これ…?
先生、なんで止めないの…?
なんで誰も、止めないの…?」
美樹が
だが、ニファーナはぼんやりとした態度を崩さず、眠たげとも面倒臭げとも取れる、欠伸のような声を出す。
「当人達が良くてやってるんだもの。
やらせておけば良いよ」
「ええー…それで良いの…?」
「でも、他にやりようなんて無いじゃん?
先生だって、今のあの2人の間に割って入るのは、難しいでしょ?」
「そりゃあ…そうかも知れないけど…」
美樹がゴニョゴニョと反論が崩れたような言葉を舌の上で転がす中、ニファーナは縮めた膝の上に顎を乗せて、完全な観戦ムードでぼんやりと視線を2人に向ける。
◆ ◆ ◆
(楽しいなぁ…ッ!)
対峙する2人の内、先に動いたのは灰児だ。
これまでと違い、
渚はそこへ
今までの灰児ならば、そこで歯噛みの一つもして、体を強ばらせて耐えたであろうが。灰児は腕を弾かれるままに任せつつ、鋭い蹴りを渚の腹部に叩き込む。
(オレ、イカれちまったのかも知れねぇな。
この痛みすら、楽しくなってきやがる…!)
蹴りは風の刃を生み出す『風刃勁』を纏う。その一撃は渚の腹部に一筋の荒々しい斬撃を刻み、身につけた体育着の生地をバッサリと切り取る。
露わになる渚の腹は、血を噴くどころか裂傷も生じていない。しかし、風の刃による激しい擦過により、赤黒い痕が残っている。
(痛みを潜り抜けて、一撃をブチ込むのは、もっと楽しい…!)
灰児の蹴りの一撃を受けた渚は、その衝撃を利用してグルリと一回転すると、後ろ回し蹴りを灰児の頭に炸裂させる。その一撃にも何らかの勁が掛かっていたはずだ、事実、灰児は手のひらで受け止めても、手の甲から衝撃が突き抜けて灰児の頭を揺らしたほどだ。
(そして、叩けば鐘のように響いてくれるこの女の存在が、スゲェ楽しい…!)
灰児の腕はビリビリと震えているが、渚の足を掴んで離さない。そのまま灰児は半歩前に出ながら渚のもう一方の足を払うと、自らの体重を掛けて倒れ込む。
「ぐふ…ッ!」
ドン、と背中から大地に倒れ込んだ渚が、くぐもった声を上げる。灰児は彼女の
渚を下に敷いた灰児は賺さず拳を握ると、渚の顔面めがけて砲撃のような勢いで拳撃を放つ。
対する渚は、迎え打つかのように頭を振り上げ、額を当てて来る。小柄な体に見合わぬ強い力で、灰児の体を持ち上げながらの反撃だ。
拳と額の撃ち合いは、五分に終わる。灰児の拳は弾き返されるし、起きあがった渚の上体もガクンと倒れ込む。――いや、盛大に鼻血を噴いた分、渚の方が分が悪いと言えるかも知れない。
だが、渚は額を当てたとは言え、意識が飛ぶことはなかった。この撃ち合いで生じた僅かな隙を付いて掴まれていない足を動かし、灰児の下腹部に当てると。『鋼爆勁』と共に一気に押し出す。
(やっぱりコイツ、面白ぇ…ッ!
あの状況も、平気で抜け出しやがる…ッ!)
灰児は渚の脚を掴む手を離し、吹き飛ばされるがままに任せる――と思いきや、すぐに『宙地』を発動。衝撃が抜け切れない体に鞭打ち、回転しながら跳ね返り、渚に回し蹴りを放つ――。
それからの2人は、近距離での激しい打ち合いを始める。
灰児は両腕両足を駆使し、嵐のような乱打で渚に攻め続ける。当然、一撃一撃には勁やら
対する渚は、腕を封じているために、蹴りでしか対応が出来ない――しかし、その動きと来たら尋常ではない。灰児が嵐ならば、渚は乱気流か竜巻とでも形容しようか。灰児の四肢を駆使する連撃に、身が霞むような速度で蹴りを合わせ、防ぐだけでなく、弾き飛ばすどころか、苛烈な一撃すら叩き込んで来る。
(こいつ、"英雄"どころか…"怪物"だよな…!)
攻め続けているはずが、体中に激痛を刻まれてゆく、灰児。反面、ますます大きくなる、顔に張り付いた
その嗤いが大きくなるに従い、彼の体の周りにチカチカと、冬の晴れの日に舞い上がる雪の粉が見せる輝きのようなものが、現れてくる。
それを目にした観戦者達は、初めは目にゴミが入ったのかと目を
同時に、教諭を初めとする実力者達は、この輝きから強大で破壊的な魔力を感じ、表情を青ざめさせる。
(あんなものを、授業で使うのか…!?
そもそも、あんな代物を、あの室国が使えたのか…!?)
トカゲの顔をした教諭がゴクリと固唾を呑んだ一方で。灰児は、ヘヘッ、と小さく嗤い声を漏らす。
(テメェなら…オレの全部、受け止めてくれるよなぁ…!!)
――そして灰児は、身を震わす恐怖と歓喜の絶頂に至る。
◆ ◆ ◆
灰児は如何にして"不良"のレッテルが貼られるような存在となってしまったのか。
彼自身に訊けば、「よく覚えていない、成り行きだ」と答えるに違いない。実際、彼は本当に忘れてしまっているのかも知れない。
いや、そもそも、それがきっかけだと意識していないのかも知れない。
――原点を探れば、彼が初等学校の低学年の生徒だった頃に遡る。
当時のプロジェスは、都市国家としての矜持だけを柱に建っているだけで、周囲の列強都市国家や組織の言葉に
エノクもその恩師すらも姿を見せていなければ、勿論、『現女神』も持っていない。
山や森から魔法性質を持った生物がヒョッコリと顔を出すだけで、国家的な甚大な被害が出かねないような時代だった。
[[混沌の曙>カオティック・ドーン]]以前の時代を知る年経た者達は、地球を席巻した魔法を呪うばかりで、環境変化の中に取り残されて滅び行く種族のように、ゆるゆると力が
若者達は、他の都市国家の成功を眺めては、魔法との共存の方向を模索し始め、他の都市国家より遅れること十数年を経た頃、ようやく教育の中に"魔法科学"がポツポツと取り入れられ始めた。
灰児は初めて魔法科学の教科書を眺めた時、その胸中に抱いた感情は――。
(カッコイイ!)
…であった。
灰児は別に、神童と呼ばれるような天才児では無かったし、勉強よりも断然遊びを採る、やんちゃな少年であった。一見しただけで教科書の内容を理解するなど、到底できなかった。
それでも彼は、教科書の内容を埋め尽くす不思議な図形や式の数々、色彩豊かに描画された図表の数々に、心を奪われた。
「この内容をキチンと分かるようになれば、手品なんて言葉は忘れてしまうでしょう」
初めての授業の日、教師の口から出たその言葉を聞いて、灰児の心には興奮の炎が赤々と灯ったものだ。
そして灰児は、他の教科を放っておいても、魔法科学の勉強だけは沼の中に頭までどっぷりと浸かったように、のめり込んだ。
当時の担任の教師が若手で、且つ、魔法科学の普及に対する熱意のある人物である事も幸いした。灰児の質問に教師はなるべく丁寧に答え、教師自身も答えられない疑問については、2人で一緒に調べ物をしたりと、非常に有意義な時間を過ごした。
こうして灰児は、今の"不良"の姿が想像出来ない程に、純真無垢な瞳を真摯な好奇心で輝かせながら、遊びのように魔法科学に没頭する"優等生"となった。
実際、彼の持つ子供特有の自由な発想は魔法科学の理解と応用を助け、当時のプロジェスの並の成人魔法技術者よりも、余程幅広い事象を実現出来た。
「こりゃあ、将来はユーテリアに行きだな! こんな田舎に留めておくにゃ、勿体ねぇ!」
灰児の父は誇らしそうに大笑いし、灰児の頭をクシャクシャに撫で回してくれたものだ。
そんな灰児の人生に暗雲が掛かったのは、初等学校の高学年に至り、恩師たる若手教師が転勤してしまった事に
若手教師にとっては、この転勤の話は万々歳であったことだろう。彼の功績が認められ、上の立場として中枢区に近い学校に迎えられたのだから。
だが――この教師を去った後、灰児の周囲には魔法科学に対する情熱を持つ者は居なくなってしまった。
授業は非常につまらなくなった。魔法科学の授業自体は存在しているものの、教師は教科書以上の内容を決して教えようとはしなかった。――否、"教えることが出来なかった"のだろう。
灰児が質問しに行くと、その壮年の担任は決まって不愉快そうに眉を
「そんなの、今のお前が覚えてどうするんだ? 必要ないことだろう?
今はまず、目の前のことだけに集中しろ。魔法科学以外の教科の成績を上げることとか、な!」
この担任の意見は正論かも知れない。だが、折角の生徒の興味を
この担任は単に、不得手な魔法科学に関する面倒事を避けたいために、こんな風に言い繕っただけだったのだろう。
真相はどうあれ、灰児は子供心ながら教育に対して深い失望を得た。
だからと言って、彼は抱いた興味を軽々しく捨てることはなかった。
彼は必死に、独学での勉強を始めたのだ。
魔法科学の授業を人一倍熱心に取り組む一方で、他の興味のない授業をサボっては図書室に籠もり、魔法科学に関する本を読み漁り始めた。
すると学校は、大半の授業を
それでも灰児は、諦めなかった。むしろ、その制約が彼に次なるステップへ進む為の決意に踏み切らせた。
灰児は学校をサボるようになり、図書館に通い出した。どうせ学校では、自分の知りたい事を教えてくれるヒトは居ない。だから、理想とする師を外部に求める方向としても、合理的な判断であった。
幸いにして灰児は、図書館によく通う大学生や研究生らと交流を持つことが出来、彼らから教えを
彼らは初等学校では到底教えてくれないような実技についても、大学の敷地の一画を演習場にして教えてくれた。灰児は砂が水を吸い込むように次々と技術を体得して行った。その様子が痛快だったのか、大学生たちは夢中になって次へ次へと技術を教えてくれた。
そのまま進むことが出来れば、灰児は初等学校の不登校児として扱われようとも、その性根は真っ当なままで居られたかも知れない。
だが、彼の特殊な境遇に、火の粉が降りかからないワケがない。
彼の不登校に目を付けた高学年の不良少年達が、何かと因縁を付けて来るようになったのだ。
灰児は極力関わらないよう、遭遇しないように努めて図書館への経路をいつも変えたり、万が一遭遇しても無視を決め込んで人の多い場所に紛れ込むようにしていた。
…だが、彼の不断の努力も、遂に崩れてしまう時が来た。
中等学校の生徒を引き連れた不良少年のグループに、出会い頭に暴行を受け、人気のない場所に連行された。
「お前、魔法なんてムズカシイ事出来るからって、いい気になって学校に行かねーって話じゃねーか? で、大人に混じってお勉強してるんだって?
こういう、"オレサマはテンサイなんですー"って奴、気に食わねぇんだよなぁッ!」
謂われのない理由で灰児は、本格的な集団暴行を受けることになってしまった。
しかし、灰児は気質はただでやられる事を良しとしなかった。世間体まで捨てて自らの意志を貫く彼が、不良の暴力程度に屈するワケがなかった。
彼は集団暴行を打開するため、身につけた魔法技術をふんだんに駆使し、思い切り抗った――。
その喧嘩…いや、戦いが終わった時、灰児は恩師たる担任の言葉を思い出した。
「手品なんて言葉は忘れてしまうでしょう」
――そう、それは手品と評されても違和感のない光景であった。
10歳にも満たぬ少年が、中等学校生徒を含む十数人の少年達を、素手で――それと、魔法技術で――難なく叩きのめしてしまったのだから。
これぞ、マンガやゲームの世界で目にするような、魔法の光景であった。
白目を剥き、唾液の泡を吐いて悶絶する少年達が
(本当に、すごい力じゃん…!)
返り血に染まった拳を誇らしげに見つめ、鼻息荒く興奮する灰児は、少年達の目覚めも待たず、堂々と自宅に引き返したのだった。
これが灰児の人生において、初めて世に名高く広がった武勇伝である。
――以後、灰児の周辺の環境が一変してしまう。
灰児の暴行の話は地域に広く知られることとなった。しかしながら、当時の市軍警察生活環境部はその話を誇大と扱ったため、灰児は幸いにも被害者として少し情報を提供するだけで済んだ。
「あいつらが、勝手に仲間割れを始めたんです」
灰児はいけしゃあしゃあと虚偽を口にしたが、市軍警察の人員は疑うことはなかった。ただ、「学校には行きなさい」と微笑みながら注意を受けるのみで済んだ。
だが…図書館を通じて灰児を知る者達は、灰児の所業を疑わず、灰児と距離を取るようになった。
「魔法は人を幸せにするもので、傷つけるためのものではない。
魔法は確かに、戦争の道具にも使われることもある。だけどそれは、人道に
君は、それと同等のことをやってしまったんだ」
特に親しかった大学生からそう諭されると、灰児は首を左右に振った。
「だけど、あの時のオレは大人数を相手にしなきゃならなかったんだよ! 黙ってやられてたら、オレが殺されたかも知れないじゃん!
オレはオレ自身の幸せのためにも、魔法を使ったんだよ!」
「それは、独り善がりじゃないか」
「でも、殺されたら、幸せもクソもないじゃんか!」
灰児は必死に訴えたものの、この学生は首を左右に振るばかりだった。以後、彼が灰児の前に姿を現すことはなかった。
他の学生や研究者も、灰児が声をかけても苦笑いをしては「今、忙しいんだ」と語るに留め、更なる知識や技術の提供を拒んだ。
一方で灰児は、複数の不良少年のグループに目を付けられるようになり、喧嘩を挑まれる機会も増えて行った。
導いてくれる師の喪失に、煩わしい
(誰も何もしてくれねぇなら、自分の力で進むまでだッ!)
灰児は本当の意味で独学で魔法科学を体得し、その実技演習として喧嘩をこなす日々を送るようになった。実戦経験と共に彼の戦闘魔法技術はメキメキと向上し、相手がバイクや車、時には刃物や銃なんて代物を持ちだそうとも、その
灰児の知識と実力は、実戦の中で着実に成長を続けて行った。殊に戦闘技術においては、初等学校を卒業する頃には、並の高等学校生徒でも手出し出来ない程の強さを発揮した。
しかしながら、灰児の心は満ちるどころか、もうもうたる不満の煙によって暗く、暗く
(ツマんねえ…!
全然、修練にならねぇ…!)
灰児にとって不良達は、吠えるしか脳のない駄犬でしかなかった。ちょっと
灰児なりの必死さで掴み取った実力の全てを思い切りぶつける機会など、全く到来することはなかった。
欲求不満に駆られ続けた灰児は、やがて不良少年よりも強い猛者を求めて、路上で派手に拳足を売り出していった。成人向けのゲームセンターで暴れ回ったり、暴走族を病院送りにするような乱闘騒ぎを起こして、ヤクザ連中を引っ張り出して戦うこともしばしばだった。補導に来た市軍警察の生活環境部の人員と正面切って交戦したこともあった。
そうこうしている内に、灰児はすっかりと"不良少年"――しかも、"極悪"の枕詞が付く――のレッテルを貼られた。一方で、意図してはいないものの、結果的に不良グループに目を付けられていた少年少女を助けることもあり、人望をも勝ち取っていった。
今、セラルド学院で交友関係のある3人の少年少女も、そんな出会いの一例である。
話を戻す――ヤクザ連中や市軍警察を相手にし始めたにも関わらず、灰児の心が決して満ちることはなかった。
灰児が少年ながら高い実力を誇ると云う情報を得ているはずなのに、大人達は彼と対峙すると、決まって
だから灰児は、ここでも実力を存分に発揮することなく、不本意な勝利を収め続けるばかりだった。勿論、戦闘には勝っても、後には補導と云う形で制裁が加えられてはいたが。
修練は今なお、独学で続けている。
だが、幾ら岩を砕こうとも、金属を叩き潰そうとも、それは単なる破壊力の誇示に過ぎない事を認識している。
自分がどれほど強いのか? どれだけの相手に通用するのか?
それを推し量る為に、ニファーナが"夢戯の女神"立った頃、『士師』に志願した事があったが。"若神父"と呼ばれて名高い『士師』にあっさりと却下されてしまった事は、今も人生最大の屈辱として記憶に刻まれている。
何をしても、全力を発揮出来ずに
だが今――目の前に、彼の全力をぶつけて余りある程の実力の持ち主が、ここに居る。
一見して小柄で可憐な姿をしていながら、
◆ ◆ ◆
「な、なんだよ、あれ…!」
灰児の取り巻きの一人、耳と瞼にジャラジャラとピアスを付けた痩せぎすが、視界の中央に捉えた灰児の姿に呆然と声を上げる。
否、彼のみならず、このグラウンドに居る誰もが…そればかりか、校舎からヒョイとグラウンドに視線を投げた者までもが、目を丸くした事だろう。
粉雪のように宙を舞う
その翼は、美しい色彩を呈するにも関わらず、蝶や極楽鳥と云った動物達を全く想起させない。鍛え抜かれた腕のように分厚く、強靱な印象を与えるその存在を想起させる動物を強いて上げるならば…獅子すらも
事実、この虹色の翼は、空を飛ぶものではない。"鍛え抜かれた腕のよう"と形容したが、それは例えではなく、的を得た表現なのだ。
翼は一つ、力強い羽ばたきを見せると。灰児の肩の上で、握り拳を作るように硬く丸まる。
…いや、それは実際に、握り拳なのだ。
この翼拳こそ、灰児が長年
「ほぉ。それがおぬしのとっておき、というワケじゃな?」
渚が楽しげに、しかしながら凄絶に嗤いながら問うて来る。
だが灰児は無言だ。代わりに、右腕と共に右の翼拳を大きく振るって見せる。
(今のオレ達に、お喋りなんざ不純物だろう?)
そう言わんばかりの、素っ気ない素振りである。
同時に、灰児の周囲を舞う光片が一層輝きを増しながら、暴風と化して渚へと接近する。渚がその光片をチラリと見やり、様子を伺おうとした――直後。
何事かと、校舎の教室の窓が次々と開き、生徒達の視線がグラウンドに注がれる。そして、もうもうたる爆煙が広がる光景に、息を飲んで呆然とする。
一方で体育の教諭は、この光景に唖然と大口を開いたまま、胸中でざわつく声を上げる。
(これは…さすがにマズい!
こんなの模擬戦じゃないッ! 本物の戦闘だッ!
早く、止めないと――)
教諭が震える、石のように硬くなった足で、なんとか一歩を踏み出そうとした、その時。
爆煙がブワリと真っ二つに割れる。その割れ目の中から現れたのは、土煙で激しく汚れたものの、壮健そうな渚の姿だ。
彼女は身を低くし、地を這う衝撃波のように灰児の元へと一瞬で肉薄し、コンパクトな動作ながら鋭く重い蹴りの一撃を灰児の顔面に放つ。
ゴギンッ、と激しい打撃音が響いたものの…灰児の顔面はひしゃげない。彼の目の前に、虹色の翼拳が立ちはだかり、渚の蹴りを防いだのだ。
渚の蹴りは
(さぁて、"英雄の卵"よぉ…。
オレを全力で、楽しませてくれよぉっ!)
灰児は左拳と共に左側の翼拳を握ると。渚へと烈風のような拳撃を繰り出す。
対する渚はすぐに体勢を立て直すと。後退することなく、その場にしっかりと足を据えると、灰児の拳撃を蹴りで弾き飛ばしに掛かる。
2人の戦闘は、驚愕の視線に晒されながら、尚も激しさを増して続いてゆく。
- To Be Continued -