星ヲ撒ク者ドモ   作:眼珠天蚕

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Inside Identity - Part 8

 ◆ ◆ ◆

 

 「アアアヴァヴァヴァヴァアアアァァァ!」

 "オーシャン・フォウ・アリス"のヴォーカリストは顎が外れそうな程に大口を開き、背筋に悪寒を走らせる凶声を張り上げる。

 直前まで、乙女心をしとやかに歌い上げていた人物と同一とは、どうしても思えぬ。音楽ジャンルにおいて強いて語れば、ブルータル・デスメタルやグラインドコアと云った、下品で醜悪な曲を取り扱うバンドのヴォーカルと云われれば、納得できるかも知れない。

 「おい、どうしたッ!」

 ギタリストがヴォーカリストの肩を掴んだ、その瞬間。ギタリストは高熱を宿した鉄球でも掴んだように、反射的に手を離す。激痛と共に、汚泥に手を突っ込んだようなヌルリとした不快感、そして凍てつくような極寒を覚えて、脊髄反射が起こったのだ。

 路上ステージ上の様子に騒然となる、聴衆達。中には"これも何かの演出ではないか?"と苦笑いを浮かべつつ、震える足で棒立ちになっている者もいる。そんな彼に向けて、ヴォーカリストは熱に浮かされてフラフラする重病人のような振る舞いで、マイクスタンドを口元に引き寄せると。ダラリとトカゲのように舌を長く伸ばす。

 衆目に晒された舌は、静脈がビキビキに浮き出た青白い色を呈しており…その中央にはポッカリと、定規で測ってくり()いたような、十字の穴が開いている。

 (あの呪詛…!)

 ヴァネッサは十字の穴を確認すると、自らも紫と同様、片目を瞼で塞いで形而上視認を行い、素早く周囲を見渡す。

 既に(かか)った呪詛ならば、もう何度も浄化して来た。だが、目前で発生するのを目撃のは、これが初めてだ。

 そしてこの事象は、この近辺に術者が存在すると云う事を意味する。ヴァネッサの狙いは、形而上相から呪詛の発生源を特定し、術者を見つけ出す事にある。

 だが、ヴァネッサもまた、紫と同様に莫大な量にして高密度の魂魄定義式による激しいノイズに(さいな)まれ、眉間から頭蓋を貫くようなズキズキした頭痛に襲われる。

 (それでも…これは好機ですもの…!)

 ヴァネッサは痛みを誤魔化すように眉間に指をグリグリと押しつけながら、慎重に認識格子(グリッド)の精度を調整し、状況を確認を急ぐ。

 「大丈夫、ヴァネッサちゃん!?」

 アリエッタが未だに脳負荷から回復しない紫を抱えながら、ヴァネッサの意識を繋ぐように声を掛ける…が。

 「シッ!」

 ヴァネッサはピシャリと制し、脳の認識活動の大半を形而上視認に()てる。

 地面に沿って、黄昏時の陰のように延びる、ドス黒い定義式の塊――真っ直ぐ延びているようで、凹面鏡に映し出された虚像のように歪んだ形状――その先端は、何処にある!? 何処から発生している!?

 

 ヴァネッサが探る一方で――漆黒の涙を滝のように流すヴォーカリストが、凶事を告げる鳥のような金切り声を張り上げる。

 「不敬ッ! 不敬ッ! 不敬ィッ!

 不敬なるかな、駄民どもッ!」

 ヴォーカリストは我が身を引き裂かんばかりに"大"の字に四肢を広げて、叫び続ける。

 「我らが唄うべきは、空虚にして淫蕩惰弱なる快楽への賛美に非ず! 我らの舌は為に存在するに非ず!

 我らが唄うべきは! 我らの一にして全なる至高の、そして温情慈悲深き女神! その神聖なる賛歌のみであるッ!」

 そしてヴォーカリストは、先刻彼に触れて痛みを得てうずくまったギタリストの元へと駆け寄ると、激しく蹴り倒し、その胸をグリグリと踏みつける。そして、震える指先が剣の切っ先であると云わんばかりに勢いよく突きつけながら、口角泡飛ばして狂い叫び続ける。

 「神意を得た我に触れて痛みを覚えるとは、何事ぞッ! 何事ぞッ!?

 それこそ不敬の(けが)れを抱くが(ゆえ)! 浄化の炎に魂魄(たましい)を焼かれたが故!

 されどッ!」

 ヴォーカリストはギタリストを強かに蹴り飛ばすと、全身をプルプルと震わせながら、ギタリストの元へ大股に歩み寄る。

 「お前、何してンだよッ!」

 ベーシストとドラマー、そしてキーボーディストと云うバンドの全面子が楽器を放り出し、ヴォーカリストを止めるべく全力疾走する…が。あと2、3歩で彼に届くと云う距離になった途端、糸が切れた操り人形のようにその場に倒れ込む。

 倒れ込みながら3人は、眼を見開き口を大きく広げると――それらの(あな)の奥から、ヴォーカリスト同様、宵闇より尚暗い液体をバシャバシャドバドバと流し吐き出す。

 阿鼻叫喚の様相となった路上ステージにおいて、ただ独り、惨めに正気を保つギタリストは。血の混じった唾液が流れ出る口をワナワナと震わせながら、ノシノシと大股に近寄るヴォーカリストを怯懦極まりない視線で見つめるばかり。

 そこへ遂に接近したヴォーカリストは、ギタリストの長い黒髪を無造作にギリギリと掴み上げて立ち上がらせると。怯え切った彼の顔に、漆黒の液体でドロドロになった顔面を近づけ、歯肉を剥き出しにした粗暴な表情を作り、語る。

 「喇叭(ラッパ)を鳴らせ。

 神の讃える音色を奏でる楽器と成れ…!」

 瞬間、ヴォーカリストがゴキゴキと顎の間接を外して大口を開くと。その奥からバシャバシャと、大量の漆黒の液体を吐き出す。それはギタリストの顔に――その全身に容赦なく浴びせられ、その身体をグチャグチャに汚し尽くす。

 「わぷ…ッ! ぐえぇ…ッ!」

 漆黒の液体は強い粘性を持つだけでなく、悪臭などの不快な要素を合わせ持っているようだ。ギタリストは黒く染まった顔を嘔吐感一杯に歪めて、吐瀉するような悲鳴を上げる。

 

 …その悲鳴が、ボギン、と云う鈍い音と共にピタリと止む。

 

 その瞬間を目撃した聴衆達は狂騒を忘れてポカンとその場に立ち尽くす。一方でアリエッタ、そして頭痛からかなり回復した紫は、眉を怒らせてその光景を睨みつける。

 ギタリストの胴体から上が、スッパリと、失われていた。その断面は刃物で切断したような美しいものではなく、巨大な肉食獣が食い千切ったような、デコボコとした汚いものである。

 通常、体幹部がこのように大規模に損壊した場合、大動脈を初めとする重大な血管が切断された結果、噴水のように血液が吹き出すはずだ。しかしながら、ギタリストの断面からは露一滴程度の出血も吹き出さない。まるで血抜き処理された肉塊のように、砕けた骨の突出やらピンクに照る内臓がハッキリと露出しているだけだ。

 

 この残虐にして不可思議な所業を成し遂げた"存在"は、ヴォーカリストの外れた顎の奥底からニュルリと生え出していた。

 

 その"存在"の姿を現存する動物を用いて形容するならば、"支離滅裂な3対の翼を持つ、巨大なトカゲ"と言えよう。

 トカゲと言っても、似ているのは胴体と顔だけだ。手足は無い。その代わりとでも云うように、顔が3つ有る。その全てが巨大な牙をデタラメに生やしたバカデカい口しか持っておらず、眼も耳孔も鼻孔も見当たらない。

 エビのように丸まった背中から生える3対の翼は、正に毒々しく不気味である。カラスにコウモリ、翼竜、アゲハチョウ、魚のヒレ、そしてクジャク。それらが並んでユラユラと羽ばたく姿は、狂気に犯された芸術家の不気味な作品を思わせる。

 この"トカゲ"には、もう一つ、奇妙な特徴がある。それは、胴体の至る所から生えた、ラッパ状の器官である。――いや、それは実際にラッパなのかも知れない。膨張と収縮をヒクヒクと繰り返すその器官の孔の奥からは、プファーン、と間の抜けた管楽器の音色が微かに聞こえてくる。

 この"トカゲ"を吐き出したヴォーカリストは、脱力したかと思うと、ヘビの脱け殻のようにペシャリと平たくなって崩れてしまう。彼の中身が全てこの"トカゲ"と成ってしまったかのようだ。

 それにしても、この"トカゲ"の体積はヴォーカリストの体躯の容積には全く見合わない。体高は優に5メートルを超え、"トカゲ"と云うよりは"粗竜(サヴェッジ・ドラゴン)"に比肩するほどのサイズを有している。

 

 「不敬ッ! 不敬ッ! 不敬ッ!」

 「敬虔たれッ! 敬虔たれッ! 敬虔たれッ!」

 「聖なるかなッ! 聖なるかなッ! 聖なるかなッ!」

 "トカゲ"が3つの口で、(やかま)しく騒ぎ立てた、その瞬間。聴衆達、そして星撒部の面々の身体に異常が起きる。

 まるで、細胞一つ一つが激しく揺さぶられるような、重苦しい威圧感が()し掛かって来たのだ。そして、脳を塗りつぶすかのように思考に介入してくる、「不敬ッ!」「敬虔たれッ!」「聖なるかなッ!」の連呼。

 (『神霊圧』!?)

 形而上視認を維持出来なくなったヴァネッサは、全身を襲う悪寒に耐えながら、胸中で呟くが。すぐに(かぶり)を振って自分の意見を否定する。

 (違う! これは、呪詛の生み出す"偽"の『神霊圧』ですわ!)

 ヴァネッサは歯噛みをし、精神を集中して自身の魂魄定義を堅く維持させる。この"偽"『神霊圧』対策はすぐに功を奏し、全身の不快感がパッと消え去る。

 「アリエッタ! 紫!」

 ヴァネッサがすぐに仲間の名を呼びながら振り返る。そこには、もう既に"偽"『神霊圧』の影響から立ち直った2人の姿がある。

 「何っ、あのバカデカい呪詛!

 どんだけ、人の恨みを…」

 紫が叫んでいる最中。路上ステージに更なる異変が起こる。

 まず、半身を失ったまま棒立ちしていたギタリストの下半身の断面から、ドバドバと、漆黒の粘つく液体が噴出する。下半身の容積を遙かに超える量の液体に混じって、ズルズルズル、と勢いよく長大な呪詛が立ち上がる。巨大な脊椎をつなぎ合わせたような体節に、ムカデのような足がわんさかと生えた姿は、ヒトの生理的嫌悪感を煽るに相応しい巨蟲である。

 この巨蟲を生み出したギタリストの下半身もまた、ヴォーカリストの体と同様、ペシャンコになって大地に伏してしまう。

 残る3人のバンドメンバー達は、皆背中を丸めて四つん這いになったかと思うと。セミの幼虫が羽化するように、背中がバクリと割れ、やはり漆黒の液体が莫大な量で噴出する。その流れに混じって現れるのは、一つ目を有するウマのように細長い顔をした、コウモリとも翼竜とも付かない、筋肉質の体を持つ怪物である。そして例によって、彼らを生み出したミュージシャンの体は、抜け殻となってペシャンとその場に潰れ伏した。

 怪物達はすっかりと姿を現すと、大理石の模様のような曇天を仰ぎながら、牙がデタラメに生えた口で(やかま)しく喚き立てる。

 「不敬ぞッ! 不敬極まりなしぞッ、賤民(せんみん)ども!

 駄芸で目を肥やすは、汚穢なるぞッ!」

 「賛美せよッ! 唱和せよッ! 一にして真なる女神の名のみをば、ひたすらに賛美して唱和せよッ!」

 「汝ら皆、罪人なり! 涜神の罪なれば、(きよ)め得るは地獄の業火なり! 汝ら、身の内に業苦の焔を焚けよッ!」

 「罪人よッ! 罪抱くからこそ、その不敬の重責を覚えし者よッ! 浄火に因りて(けが)らわしきを皮を捨てよッ!」

 そして最後に、"トカゲ"が左右の口でギャアギャアと(しわが)れた声を上げつつ、中央の口で呪われた福音の最終節を唱える。

 「一切の欲を捨てよッ! 一切の思考を捨てよッ!

 唱えるべき語句は、"聖なるかな"のみなりッ!

 さすれば汝、罪より転生し、我らが同士とならんッ!」

 

 怪物どもの唱和は、体細胞のみならず思考、そして魂魄までも揺るがす衝撃となり、聴衆の(ことごと)くに襲いかかる。

 星撒部の面々のように、高い魔法能力を有せぬ彼らは、衝撃に抗えはしない。叫喚から逃れるように耳を塞ぐと、ある者は体を"く"の字に曲げて(よじ)り、ある者はうずくまって縮こまり、ある者は地に転がってのた打ち回る。

 「洒落になんないわッ!」

 紫は唾棄するが早いか、全身に魔力を集中。彼女の得意とする魔装(イクウィップメント)を発動し、白と赤を基調とした鎧と、身の丈を超えるサイズを有するギミックの豊富な大剣を装備すると。即座に『宙地』を繰り返し、飛ぶように路上ステージ上の怪物達へと向かってゆく。

 怪物達を打破して、状況を算段だ。

 「紫ッ! あなた1人で突っ込んで…ッ!」

 ヴァネッサが非難めいた言葉を紫の背に投げつけるが、紫は振り向かない。"そんな余裕なんてない!"、と言い放つ気配が、背中からヒシヒシと伝わってくる。

 「全く…ッ!」

 ヴァネッサは毒づくと、アリエッタへと顔を向け、2人で紫の後を追おうと提案しようとした…が。

 「ヴァアアアァァァッ!」

 「ヴォオオオォォォッ!」

 「グルルルルゥゥゥッ!」

 汚泥の泡が弾けるような、あるいは、か病熱に浮かされた獣が騒ぐかのような…不気味な声が周囲から一斉に響き渡る。一体何事かと、ヴァネッサは周囲に視線を巡らせると…その視界一杯に、異様にして致命的な事態が映る。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 怪物どもの喚きが生み出す"偽"『神霊圧』に当てられた聴衆達に、(おぞ)ましい症状が現れる。

 老若男女問わず、顎が外れるほどの大口を開き、先の不吉な絶叫を上げている。その口腔の中、痙攣する舌の中央に黒紫色の十字架のマークが浮かび上がったかと思うと、発泡スチロールが溶ける時のようにズブズブと組織が崩れてゆく。そしてものの数秒の内に、十字の穴がポッカリと開く。その断面からは出血はなく、まるで血抜きされた肉を切り分けたようだ。

 この事象は、星撒部が対応し続けていた呪詛の症状そのものである。

 変化は、それだけに留まらない。穴の開いた舌を狂ったナメクジのようにグリングリンと踊らせていると、咽喉(のど)の奥からドバドバと漆黒の粘水が沸き出す。

 粘水は口から(あふ)れ出て、螺旋を描きながら鉛直方向に伸び上がると。高速で飴細工を整えるように形状を変化させ、その挙げ句に()った形状は…。

 (黒い…『天使!?』)

 ヴァネッサの胸中の叫びは、その姿を端的に表している。

 全身を重装備の鎧に包み、背中からは3対の翼を生やし、手には中世の騎士のごとく馬上槍(ランス)を構えている。その色彩を純白に置き換えれば、正に神に使える敬虔なる聖騎士だ。

 しかしながら、その頭部は色彩を置き換えようとも、余りにも奇っ怪だ。何故ならば、福笑いのように醜い目・鼻・耳・口が滅茶苦茶に張り付いているのだから。

 黒い『天使』達は形状を得ると、空を仰ぎ、大小入り乱れた歯が並ぶ口を開いて一言、

 「信を得たりッ!」

 と叫ぶ。その発声は、一音一音が濁音で構成されているような、畜生の唸りのような醜い声であった。

 続いて彼らのすることは、睥睨(へいげい)である。そして、"偽"『神霊圧』の影響下において思考の狂乱を得ながらも、黒い『天使』を生む症状を発しなかった者を見つけた瞬間。

 「不敬ッ!」

 と濁音の発声で声を上げると、3対の翼を力強く打って飛翔。1人に対して何体もの『天使』が群がり、手にした馬上槍(ランス)で滅多刺しにする。

 (なんてことッ!)

 その光景をまともに目撃したヴァネッサが、唇を噛みしめつつ、眉を怒らせて駆け寄ろうとした、その矢先。滅多刺しにされた人物の体にもまた、異変が現れる。

 馬上槍(ランス)が貫いた傷口から、ドバドバと液体が溢れ出す。しかしそれは、鮮紅を呈する血液ではない。(よど)んだ漆黒の粘水である。

 刺された人物は、まるで水を一杯に貯めた風船が弾けたかのように、弾けるようにして漆黒の粘水をばら撒いたかと思うと。粘水は鉛直に延びる螺旋の形状を取り、そしてまた黒い『天使』が生まれる。この天使もまた、すぐに天を仰ぐと、「信を得たりッ!」と濁音の発声で喚くのだ。

 

 黒い『天使』の発生は、伝染する。しかも、疫病よりも遙かに速く、だ。

 

 「信を得たりッ!」

 「不敬ッ!」

 汚い叫喚が至るところで上がり、鼓膜を狂乱させるような騒動と化した頃。黒い『天使』達の矛先は、アリエッタとヴァネッサに向く。

 「不敬ッ!」「不敬ッ!」「不敬ッ!」

 口々に喚きながら飛びかかってくる『天使』の数は、優に二十を超える団体だ。

 これに対し、いち早く反応したのはアリエッタである。腰に下げた、見事な装飾の刃引きの刀剣を引き抜くと、殺陣(たて)と云うよりも舞踏じみた優雅で大仰な動作で、『天使』達を一気に斬り払う。

 厳密に云えば、アリエッタの斬撃は『天使』の体に届いてはいない。それでも、『天使』達の重装甲の胴部に一文字の(きず)が走る。そして、創を中心に『天使』の体は砂の楼閣のようにドシャリと歪み、黒い粒子となって宙空に消える。

 アリエッタの扱うアルテリア流剣舞術による、"感性に干渉する"(わざ)だ。ヒトに対しては心を斬り、呪詛に対してはその怨恨を損なわせる。

 「ヴァネッサちゃんっ! 私が引き受けるからっ! 術師の探索をお願いっ!」

 アリエッタは次々を襲い来る『天使』を、舞い踊る太刀筋で斬り捨てながら、声を上げる。

 声を受けたヴァネッサは、一瞬だけ加勢を優先すべきか逡巡したが。すぐにアリエッタの言に従う事を決断する。呪詛を相手にするのならば、自分よりもアリエッタの方が優れている…そう断じたのだ。

 とは云っても、『天使』達は2人の都合に合わせてくれるワケがない。

 「不敬ッ!」

 喚きながら容赦なくヴァネッサの元にも『天使』は接近してくる。対してヴァネッサは、得意とする結晶を操作する魔術を発動。『天使』を丸ごと水晶に閉じこめると、それを盾として利用しながら、片瞼を閉じる。

 (早く見つけないと…っ! 感染が取り返しの付かないレベルに達する前に…っ!)

 魂魄に加えて呪詛までもが入り乱れる形而上相の中を、必死で認識格子(グリッド)を微調整しながら、術者の足跡と思われる術の定義の特定を急ぐ。

 ――その最中だ。ヴァネッサの体に、急に猛烈な悪寒が伸し掛かる。ブワリと吹き出す冷や汗が、まるで鉛のように感じられる。

 思考が突如、ネガティブな色に染め上げられる。漠然とした不安感や焦燥感が持ち上がり、これまでの人生で経験してきた大小の失敗、そして恥ずかしいと感じた出来事が、恐ろしく早い走馬燈となって視覚野を駆けめぐる。

 クニャン――ヴァネッサの両膝が力を失い、その場にへたり込んでしまう。

 (…わたくし、わたくし、わたくし、わたくし、わたくし…だめ、不敬よ、不敬なのよ、不敬だわ、わたくし、不敬、不敬、不敬、不敬不敬不敬不敬――)

 理性と云う(せき)が崩壊し、目を覆いたくなるような罪悪感が津波のように脳内を、そして魂魄を塗り潰す。ヒュゥヒュゥと過呼吸を繰り返し、ボタボタと大粒の涙と汗を土砂降りのように(こぼ)す。

 ――激しい自責と、脱力するほどの抑鬱症状。それは正に、彼女が戦ってきた呪詛の初期症状である。

 ヴァネッサの朱色の唇が力なく開かれ、その内からポタリポタリと漆黒の粘液が流れ出す。彼女もまた、黒い『天使』を生み出す無惨な源と化してしまうのか――。

 

 しかし、幸いにも、ヴァネッサの症状は直ぐに停止した。

 黒い『天使』を相手に立ち回っていたアリエッタが、目聡(めざと)くヴァネッサの異変を認識すると。制服の裾を金魚のヒレのようになびかせながら、クルリと回転しつつ、ヴァネッサの後ろ首の辺りを一閃する。

 途端に、ヴァネッサの(ふさ)ぎ込んだ思考が、晴天の如くパッと澄み渡る。ハッと一度、瞬きして現状を確かめたヴァネッサは、路上に零した汗と涙と黒い粘水を眺め、自身が症状に侵された事を認識。悔しげに歯噛みする。

 その途端――。

 「っつ…ッ!」

 ヴァネッサは眉をしかめて、表情を歪ませる。深く突き刺されたような鋭く痛みが、舌の中央付近に走ったのだ。同時に、錆びた鉄を舐めた時にような、不快な味が口内にジンワリと広がる。その味は…血の味だ。

 恐らくは、舌の組織が十字の穴を開けるために壊死を始め、血管が千切れた事による出血だ。呪詛の影響下にあれば出血も痛みも無かったろうが、アリエッタに叩き起こされた今、傷ついた舌は正常に不快な疼痛を覚える。

 (…不覚…っ! このわたくしが、まんまと呪詛に侵されるなんて…!)

 ヴァネッサは血の味を咽喉(のど)の奥に飲み込むと、眼に怒りの炎を灯して力強く立ち上がる。

 

 ヴァネッサが事態の打開に対して気を新たにした頃。

 「あああぁぁぁっ!」

 「痛いっ、痛い痛いっ!」

 「ぐえええぇぇぇっ!」

 黒い『天使』の喚きに混じって、ヒトビトの絶叫が響き渡る。アリエッタによって黒い『天使』を破壊されたヒトビトが、次々と呪詛から解放されると同時に、舌の十字の(きず)が正常に出血と激痛を訴え始めたのだ。

 口の中を真っ赤に染めながら、あるいは転げ回り、あるいはうずくまるヒトビト。ヴァネッサはその治療に得意の霊薬(エリクサ)を用いるべきだと判断はしたのだが…その行動を実行に移すことはできなかった。

 何せ、呪詛から解放されたヒトビトには、即座に「不敬ッ!」を叫ぶ黒い『天使』が群がるからだ。そして手にした馬上槍で、彼らの体を無情に刺し貫いてしまうのだ。

 すると、せっかく解放した者の体は無惨に破壊され、血液の代わりに吹き出した漆黒の液体により、再び黒い『天使』が生み出されてしまうのだ。

 (キリが無いですわ!

 術者を探す方が賢明そうですわね!)

 ヴァネッサは意を決すると、片瞼を閉じて形而上視認を開始。同時に、得意の決勝操作魔術を用いて両手に水晶で出来た剣を一本ずつ握りしめると、襲いかかる呪詛を薙払いながら走り出す。

 剣に使った水晶は、結晶格子内部に光素を宿した物質である。真っ白な輝きを放つそれは、呪詛を構築する闇素を打ち消し、浄化するのである。

 「わたくしは、術者を探しに行きますわ!」

 ヴァネッサは振り返らずに、後ろに残したアリエッタに声を掛ける。アリエッタならば、慌てたり拒否したりせず、黒い『天使』の浄化に努め続けてくれると確信して。

 実際、アリエッタはヴァネッサの声に対して、微笑で以て答えると。直ぐに顔を刃のような鋭いものへと改め、桜を散らす春一番の烈風のように、優雅にして激烈に舞い斬り回る。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 「化けて出てるからって、いい気になってンじゃないわよッ!」

 路上ステージ上にて。完全武装した紫は、事態の発端となった"トカゲ"の呪詛へと『宙地』で突撃。加えて、大剣の峰に設置されたブースターを発動させると、流星のように飛翔。"トカゲ"の腹部に瞬時に激突する。

 (ドウ)ッ! 大気が炸裂する衝撃を振り撒いた激突であったが…"トカゲ"の腹部は、切断出来ない。それどころか、刃が表皮の中に潜り込めない!

 (まだまだッ!)

 紫は諦めない。大剣へと魔力を注ぎ込み、刃の形質を変化。単純な金属質から、霊体に近い(きら)めくエネルギー体へと転化させる。

 呪詛は物体よりも霊体に近い存在。物体による攻撃が功を奏さないのならば、霊体によって干渉を狙うまでだ。

 紫の目論見は、成功する。刃は"トカゲ"の腹部の内部へ、ズブズブとゆっくりと潜り込んでゆく。開いた傷口からは、漆黒の体液がはちきれた水風船のように噴き出す。

 しかし、"トカゲ"も黙って斬られはしない。体中から突出したラッパ状の器官を痙攣のように激しく振動させながら、孔内より低く太い音を発する。

 ヴォオオオンッ! 鼓膜の奥に粘りつくような太い音は、紫の全身を共振させる。全身に纏う赤白の鎧がビキビキと悲鳴を上げると、痛々しい亀裂が細かく走り、粉塵のような微細な破片を吹き上げる。鎧に覆われていない皮膚もブレるように激震すると、ビュシュッ、と破けて鮮血を噴出する。

 それでも、紫の方も戦意を喪失することはない。得意とする治癒魔術を自身の全身に発動、破けた皮膚を片っ端から回復しながら、大剣に付いたブースターの出力を更に上昇。"トカゲ"の腹部に更に食い込む。

 「アギャギャアアアァァァッ!」

 "トカゲ"が3つの首を振り回して、喚き散らす。それは激痛への悲鳴だったか、それとも――助力を乞う呼び声だったのか。

 真実は、後者だったのかも知れない。というのも、喚きに応じた一つ目の翼竜の内の一匹が、紫の脇に濁流のような漆黒の粘水の噴射をぶつけたからだ。

 「ガハッ!」

 鎧越しにも腹部を抉る衝撃を受けて、紫は錐揉(きりも)みに回転しながら宙空に弾き飛ばされる。そこへ別の翼竜が飛来、歯のデタラメに生えた口を大きく開くと、馬上槍(ランス)のような巨大な針を付けた太い触手を引きずり出し、紫の頭を目掛けて突き出す。

 (やられるかってのッ!)

 紫は大剣のブースターの噴射に加え、巧みに『宙地』を用いて、クルリと旋回するように空中で軌道修正。その勢いのままに大剣を振るい、突き出された触手を両断する。

 破裂したホースのようにダバダバと黒い粘水を噴出させる、触手の断面。一つ目の翼竜は悶えるように首を伸ばして仰け反り、ギィエエェェッ、と不吉な声を上げる。

 一方、紫の眼下からは、骨状のムカデが体を伸ばして接近。膨張するが如く大口を開き、紫を一口に噛み千切ろうとする。

 対して紫は、『宙地』でクルリと縦方向に回転。ムカデの口腔に対して真っ直ぐに相対すると――。

 「ッせいっ!」

 大剣の峰のバーニアをフル稼働。青白い魔力励起光を彗星の尾のように()きながら、鉛直方向に高速で降下する。

 大剣は一瞬にしてムカデの口腔に激突すると、ヴォンッ、と空気が――いや、空間自体が震えるような鈍い音が響く。同時に、紫を中心に放電する薄黒い球が広がる。

 転瞬、ムカデの体がメキメキと音を立てて横倒れになる。その体を更に押し潰すように、大剣を携えた紫の体が降下して――遂に着地したその時!

 (ドン)ッ! 大地を揺るがす強烈な打撃音! 同時に、路上ステージを構成するアスファルトが盛大に凹み、縦横に深い亀裂を走らせる。

 紫の大剣の一撃が、局地的な重力増強を行い、ムカデの体を圧壊しようとしているのだ。

 増強された重力の中、熱した鉄板の上に押しつけられたミミズのように、グネグネと蠢き回る、ムカデ。その骨質の体節のあらゆる箇所から、メリメリと張り裂けるような音が聞こえたかと思うと、そこに唾液の糸をたっぷりと引いた口が開裂。

 「不敬ッ! 不敬ッ! 不敬ッ!」

 濁音の発声による大合唱が始まると、先の"トカゲ"のラッパ演奏のように、紫の体を震動させて細胞を破壊し始める。

 (しつこいわねッ、このバケモノッ!)

 紫は大剣のブースター噴出を止めないままムカデを押し潰しつつ、左手でギュッと拳を固める。そして、鎧に内蔵された3本の放電電極を爪のように拳に装着すると、ムカデの体にめがけて何度も何度も振り下ろす。

 (ガン)ッ! (ガン)ッ! (ガン)ッ!

 (ガン)ッ! (ガン)ッ! ――激突音が響く度に、バチンッ! バチンッ! と破裂音が響き、目の(くら)む激しい放電が起きる。

 細胞を痛める叫喚と、大電流を纏う拳撃の応酬。互いに譲らぬ拮抗であったが――遂に天秤は、紫の方に傾く。

 ブヂンッ――液体を大量に(はら)んだ肉を切断した、不気味な音。それは、紫の大剣がムカデを両断した音だ。

 「不敬…の輩…呪われ…」

 ムカデがゴボゴボと液体の弾けるような声で断末魔の恨み言を語ると。

 「呪詛の分際で、"不敬"とか語るなッ!」

 (バン)ッ! もう一撃、電撃を纏った拳を叩き下ろすと。ムカデは、ギャアアアァァァッ、と不吉な絶叫と共に、全身を黒い粒子と化して中空に昇華し消え去る。

 呪詛を一体、滅ぼした紫だが。一息吐く間はない。

 「不敬ッ! 不敬ッ! 不敬ッ!」

 その叫びは、"トカゲ"のものだ。同時に、全身から突出したラッパを甲高く鳴らすと共に、(わず)かな空間の歪みとして目視できる弾丸を発射する。それは、空気を押し固めて形成したものだ。

 更に上空からは、3体の一つ目翼竜からの漆黒粘液の吐瀉奔流がビームとなって襲いかかる。

 (ったく、面倒な奴らねッ!)

 紫は舌打ちしながら、踊るように跳び周り、あるいは大剣を振り回して盾にしたり斬撃で空気の弾丸を切り裂いたりして、防御に専念する。

 

 その最中のこと――紫の背筋に、ギクリとした悪寒が走る。

 大きな"偽"『神霊圧』が2つ、新たに発生した事を知覚したのだ。

 (こんな時に、また!?)

 防御の立ち回りをこなしながら視線を走らせると――紫は、あやうく失意にグラリと傾きかけるような光景を網膜に映す。

 今や怪物と化した『オーシャン・フォウ・アリス』と隣接してパフォーマンスを繰り広げていた、小規模なロックバンドと大道芸人達。そのメンバーの1人ずつが、顔から漆黒の粘水をぶちまけたかと思うと、背中が割れて怪物が生まれ出たのだ。

 ロックバンドの方からは、『オーシャン・フォウ・アリス』のヴォーカリストが生み出したものとスッカリ同じ形態を持つ、3つ首の"トカゲ"。

 大道芸人の中から生まれたのは、百に迫る数の腕に、大きな口だけが縦に開いた顔を持つ、異様な巨人。

 その2体もまた、「ヒトよ、誠の信を捧げよ!」と云うような、強要性のある信託めいた言葉を叫ぶ。それに呼応して、パフォーマーのメンバーは勿論、観客達も次々に口から漆黒の粘水を吐き出し、黒い『天使』を生み出す。

 

 (こりゃあ、時間なんてかけてられないわ…! 全開で、短時間に、潰して回るッ!)

 紫は大剣のブースターを機動させると、魔力励起光の尾を引く彗星となって、怪物どもの打破すべく飛び回る。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 (邪魔ですわっ!)

 (ザン)(ザン)(ザン)(ザン)(ザン)(ザン)ッ! 一歩踏み出す毎に、結晶の[[rb:煌<きら]]めきを放つ斬撃が幾つも空に走り、黒い『天使』達を両断しては昇華・消滅させる。

 それはヴァネッサの所業だ。多数の斬撃は、彼女の両手が手にした結晶の剣に因るのは勿論のこと、彼女が魔術で作り上げた水晶の巨人騎士達による攻撃も加勢されている。

 水晶の巨人騎士は、ヴァネッサの周囲を守護する"衛兵"が6体。その他、通過した箇所に配置してきた"自立行動"の騎士達が、数十体存在する。自動行動の騎士達は、ヴァネッサが黒い『天使』を破壊して呪詛から解放された者が、他の黒い『騎士』によって刺し貫かれ、再び呪詛を生み出す事を防ぐ役目を担っている。

 何度もの交戦を経て理解した事だが、この呪詛の厄介な点は伝染性も勿論のこと、黒い『天使』からの加害による再発がある。[[rb:馬上槍<ランス]]で貫かれた者は傷口から漆黒の粘液を噴き出させて、自らの黒い『天使』を生む。この黒い『天使』を再び撃破すると、加害された者は再び呪詛から解放されて我を取り戻すと同時に、体中に開いた傷口からの激痛に苦しみ悶えることとなる。中には、余りの傷口の多さにショック死を起こしてしまう者もいる。

 呪詛から解放したと云って、放置しておくワケには行かない。それがこの戦いの難点だ。

 (早く術者に辿り着かないと…ッ!)

 "見つけないと"とは焦っていないのは、ヴァネッサの激しい交戦と形而上視認の努力の果てに、呪詛の発生源の特定に成功したからだ。あとは術者へ接近し、撃破しさえすれば問題ないのだが…。

 術者は動いていないとは言え、そこまでの道程には彼を守護するように、一層量の多い『天使』達が立ちはだかる。

 『天使』を(たお)せば、呪詛から解放されたヒトビトを守る為に、水晶の騎士を新たに生成しなければならない。生成した騎士の行動は自動制御出来るとて、存在を維持するのには魔力の消費が伴う。数多く作れば、ヴァネッサが疲労で参ってしまう。

 力尽きるのが先か。憎き術者の頬面を水晶の剣でひっぱたくの先か。

 不安と憤りの葛藤の果てに――ヴァネッサが辿り着いたのは、幸いにも、後者であった。

 

 黒い『天使』が壁のように群がっている一群を薙払い、6体の水晶騎士と共に津波の如く雪崩込んだ先に、"そいつ"は居た。

 視界を覆う黒一色が少し晴れたような光景の中。エサを求めて円弧を描いて大気するトビの群のような黒い『天使』達が飛び交う真下で。その男は地獄の光景を微笑を浮かべて見やっていた。

 そして、ヴァネッサが到着したのに気付くと、表情を崩さずに向き直り、浮かべた笑みを大きくした。

 その人物――黒い『天使』どもの(かしら)にして、地獄を生んだ呪詛の術者――こそ、鍔広帽を被った、地球における中世時代の流浪者のような姿をした男。

 『吟遊』の名を(いただ)いた『士師』であった者、パバル・ナジカである。

 

 - To Be Continued -

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