◆ ◆ ◆
「やあ」
パバル・ナジカは着古した質素な服を揺らしながら、手を挙げてヴァネッサに挨拶する。
「初めまして、星撒――」
語っている最中。ヴァネッサは言葉など耳に入れず、間髪入れずに素早く踏み込む。
従えた6体の水晶騎士と併せて、大小8本の刀剣で
しかし――全ての斬撃の前に黒い疾風が吹き込むと、ガキィン、ゴキィン、と耳障りな金属音の発生と共に刀剣の受け止められる。
黒い『天使』達がパバルを守るべく、立ちはだかってのだ。
パバルが肩を
「やれやれ、そんなに逸ったところでね――」
パバルの薄い唇が、揶揄と呆れを交えた言葉を紡ぐ、その最中。ヴァネッサはギラリと瞳を輝かせると、6体の水晶騎士と共に『天使』どもの
「おっとッ!」
パバルがヒラリと跳び退けば、上空から降下して来た黒い『天使』がヴァネッサ達を阻む。だが、ヴァネッサ達の動きは止まらない。『天使』の
「うわわっ! ちょっとっ! おっとっ!」
パバルはおっかなびっくりな声を上げながら、フラリフラリと身を動かす。その有様は間抜けにも見えるが、『天使』達の身を呈する防御を差し引いても、着実な回避行動としてヴァネッサ達の8振りの斬撃を
そんなパバルの行動に、ヴァネッサは歯噛みして胸中で毒づく。
(この術者、早く斃さないと…被害の拡大が収まりせんわッ!)
ヴァネッサ達の斬撃は嵐のように、回避を続けるパバルを追い詰めてゆく。次第に速く、巧みになってゆくヴァネッサの攻撃に、パバルは対応し切れなくなったらしい、表情に苦しさを浮かべる。
そこでお手上げするかと思いきや――パバルは、"妙な業"を用い、初めて後退するでなくマトモにヴァネッサ達の攻撃を受け止める。
パバルの身の周囲に、バケツの中に墨で注ぎ込んだように、粘り着くような漆黒で織り上げられた"外套"が発現すると。その端が幾つもの牙状の触手となり、ヴァネッサ達の刀剣に激突。グルグルと絡みついて、動きを止める。
「くっ!」
ヴァネッサは即座に水晶で作った双剣を手放し、一歩退いて距離を取りながら、新たな剣を右手に生成する。
その
「ちょっと聴きなよ、凛然としたお嬢さん」
エコーの掛かった、鼓膜を激しく振るわす言葉を発する。その声がヴァネッサの脳に到達した、その瞬間。
(な、なんですの…!?)
ドクン…ッ! ときめきを覚えたように胸が高鳴り、バクバクと心拍数が上昇する。顔を始め全身が火照り、筋肉が弛緩して水晶の剣を取り落としてしまう。
ようやく隙を生んだヴァネッサに対し、パバルは満足げにニッコリと笑うと。今度は自らの口で言葉を紡ぐ。
「良かったよ、君がマトモな感性の持ち主で。
まぁ、僕らの呪詛に掛かりそうになってくれた時点で、確信してたことだけどね」
「な、何をしたんですのっ!」
ヴァネッサのドギマギした非難の言葉に、パバルは苦笑しながら頬を掻きながら答える。
「僕が君にしたことより、君がもっと知りたいのは、この事態の現状と今後のことじゃないのかな?
地球最強のお節介集団、星撒部の女子部員さん?」
「………」
ヴァネッサは精一杯の藪睨みを作り、無言で返答する。彼女の体は、まだ火照りと動悸で脱力が続いている。水晶の騎士は自立行動が健在であるものの、黒い『天使』の群れ相手に手一杯で、パバルへと剣を向けることが出来ない。
そんな状況の中で、パバルは悠々と、教師が生徒をちょっと見下しながら語る時のようにして、言葉を続ける。
「君や、君のお仲間達は、この状況を打破するために、とても頑張っている。そして、術者である僕さえ
…でも、それは違うんだなぁ。
現時点でもう、遅いんだよ。例え僕を斃したところで――少しは事態の進行に影響が出るかも知れないけど――感染は止まらない。
この"布教"は、もう
…ちょっと、耳を澄ませてごらん?」
ヴァネッサは自分の身を縛る脱力感に必死で抗いながらも、パバルの語る言葉を受けて、耳を澄ます。
相変わらず「不敬ッ!」だの「信を得たりッ!」と云う『天使』どもの喚きが周囲を取り巻く中で――微かに聞こえる、別の声。
それは濁音の発声をする路上ステージ上に現れた怪物の声そのものだ。あのデタラメな翼を持つ"トカゲ"が出現した時と同じように、難解な言葉遣いで説教する声が聞こえる――。
その声は、肉声ではなく――テレビかラジオか、はたまたスピーカーか、判別は付かないが――もしくは、その全てかも知れない――多少のエフェクトを伴って、都市国家中を駆け回る。
◆ ◆ ◆
ヴァネッサ達が激戦を繰り広げているのとは、全く異なる地区にて――。
パフォーマー達が路傍に集い、それを横目に住人が往来すると云う光景の中。最初の異変が起きたのは、通りに面したショーウインドウに設けられた宣伝用モニターである。
多種多様の業種や商品の映像を流していたそれらが、一斉に灰色の砂嵐状のノイズに変わったかと思うと。次の瞬間、ドアップにデカデカと表示されたのは、3つ首の"トカゲ"の顔である。
「…ん? 怪獣映画?」
誰かがポツリと疑問を口にした、その直後。
「ギイイイィィィアアアアァァァッ!」
鼓膜を汚すような酷い濁音の絶叫が響き渡り、けたたましい路上ライブの演奏音すら掻き消してしまう。
その叫びが発せられたのは、映像モニターだけではない。ラジオを初めとして、電子楽器のアンプや拡声器など、電子通信網とは関係ないはずのあらゆるスピーカーから一斉に発せられた。
ヒトビトは聴覚を
「駄人どもよ、汝等
不敬なり、不敬なり、不敬千万なりッ!
汝等、
されば、さればッ! 汝を救い
さぁ、不敬の輩ッ! その身を浄火にて焼き、天使となりて唱和せよ! 主の再臨を求めよ! されば、さればこそ、汝等罪人救われんッ!」
思考を塗り潰して介入する叫喚は、ヒトビトの魂魄に干渉すると、精神疾患を誘発する。
その内に、呂律が回らなくなったかと思えば、口の中からドロリと大量の漆黒の粘液を吐き出す。粘液は飴細工のように捻れながら直立し、明確な形状を取ると――黒い『天使』と成り、3対の翼を打ち振るわせてカラスの群れの如く空を飛び回る。
パフォーマー達の変化は、少し異なる。亀のように身を縮めてブルブル震えながら、「許してください」を繰り返した後――その丸めた背中がセミの幼虫のようにパックリ割れて、漆黒の粘水を噴水のように吹き上げる。その中から飛び出すのは、あのデタラメな翼を持つ3つ首の"トカゲ"であったり、一つ目の翼竜であったり…と怪物どもだ。そして怪物どもを生み出したパフォーマー達の体は、内容物をすっかり吐き出した袋のように、ペシャンコに潰れてしまうのだ。
――こうした地獄のような光景は、プロジェス各地で発生する。
そして、幸いにも――いや、"不幸にも"と言うべきかも知れない――この異変から免れた者達は、黒い『天使』の持つ
◆ ◆ ◆
この地獄の状況は、勿論、プロジェスの市軍警察の把握するところとなる。
何せ、組織が使用している通信機器も異変に干渉され、喚く"トカゲ"の姿を放映したり、濁音の発声による不気味な信託を垂れ流すのだ。
この声に当てられて、呪詛に感染してしまう職員も現れる程だ。
市軍警察の上層部は、治安部だけでは手が余ると即断。通常は対外勢力に対する抑止力として使用するはずの衛戦部に出撃の指示を出し、事態の収集を図る。
プロジェスでも1、2を荒そう大規模な衛戦部基地である、ファンデリア第2地区基地。市壁に近い位置にあり、先の『女神戦争』は勿論、それ以前にも対外勢力との数々の先頭をこなして来た実力派の部隊が駐留している、プロジェス防衛の要の一つ。
その最高司令官であるオルダール大佐は、中枢区の本部からの指令を2つ返事で受け入れると。自ら席を立ち、基地内の戦力をかき集める。
人員輸送用のヘリコプターが次々に出庫し、続々と整列してゆく発着場に立ったオルダール大佐は、整然と集結してゆく基地人員を正面に見据え、堅い表情で集合の完了を待つ。
集結する人員の大半は、戦争を始めるかのような装備で身を固めている。
強靱な戦意が見て取れる
「聞けいッ、戦士達ッ!」
オルダール大佐の一声に、元より私語など交わしても居なかった屈強なる戦士達が、表情を更に引き締めて"気を付け"の姿勢を取り、不動となる。その姿は、躍動感
「諸君らも知っての通りだ! 我が都市国家は現在、甚大な危機に瀕している!
あの忌まわしき『女神戦争』にも匹敵する、正に呪わしい状況だ!」
ここに集う隊員達は既に、都市国家中に呪詛が溢れ返りつつ在る事を認識している。故に、彼らの装備は対呪詛用に、神聖化された装甲や弾丸、刀剣などで固められている。
「我々は一度、散々たる敗北を喫した!
今、再び敗北を味わい、地べたに倒れ伏すか!?
再び善意ある強き『現女神』の登場を待ち、ひたすらに祈るべきか!?
否ッ! 断じて、否だッ!
此度こそ、我らは我らの故郷を、我ら自身の手で守り通すのだッ!」
熱を帯びたオルダール大佐の叫びに、感極まった隊員達が口々に「応ッ!」と叫んだ――その時。
折角の熱意に横から水を差すように、遅れて集団に合流してくる一群がある。
オルダール大佐は、灰色に染まった眉の片方を跳ね上げて、不愉快そうにその一群を見つめる。
遅れて来たというのに、走りもせず、悠々と合流してくる一群は、なんともふざけた姿をしていた。何せ彼らは、軍服こそ身につけているものの、
「貴様ら…ッ!」
何のつもりか、と一喝しようとした瞬間。オルダール大佐の口は、続く言葉を飲み込んでしまう。
この一群の戦闘に立つ人物の存在が、彼の憤怒を
厚手の軍服の上からでも筋骨隆々とした体格が見て取れる、巨躯の男。飾り気などなく、無精に短く刈り込んだ髪に、荒々しい氷の彫像のような冷たい表情。
元『士師』であり、プロジェス衛戦部でもトップクラスの実力の持ち主。マキシス・ミールガン少佐である。
日常でも冗談すら好まぬ、生真面目を凝縮して岩石のように固めたような人物である彼が、何故遅刻し、それを恥じずに悠々としているのか? その驚きを交えた疑問がオルダール大佐の思考を塗り潰してしまったのだ。
「…マキシス少佐。一体…」
口ごもりながら質問を口にする間に、マキシスは引き連れた部下と共に、整然と並んだ人員を無造作に掻き分けながらオルダールの元へと進む。そして、オルダールの続く言葉を待たずに、色の薄い厚い唇を開く。
「大佐。先ほど貴方は、"善意ある強き『現女神』"などと
その意図は、如何なるものであるか? そこに込めたる感情は、如何なるもであるか?」
少佐の身の上であるマキシスであるが、直属の上官であるオルダール大佐に、酷く尊大な口を叩く。その口振りに、大佐の思考から疑問は吹き飛び、こめかみに青筋が浮き上がる。
「貴様、何だその口の聞き方はッ! 軍紀に――」
「答えよ」
オルダールの言葉を遮り、マキシスは剣のように言葉で斬り込む。
オルダールは続く言葉を舌の上で転がし、パクパクと無言で口を開閉すると。マキシスの鋭利な威圧に当てられたのか、覇気を少し失った口振りで答える。
「二、ニファーナ様が『現女神』の座を失ってしまわれ、我らの国家は屈辱極まりない征服の危機に陥ったことは、貴官も知っての通りであろう?
その窮地を救ってくださったのが、『鋼電の女神』レーテ様ではないか。そのレーテ様に恩義を感じるのは、至極当然の事ではないか。
それに留まらず…ニファーナ様が『現女神』の座を失った今、レーテ様に信義すら感ずる者も在ろう。しかしそれは、成り行きから見ても、無理からぬことで――」
「このプロジェスを真なる独立に導き、支えてきたのは、紛れもなくニファーナ様だ。
レーテなる輩は、一時の気紛れに我が国を訪れたに過ぎぬ。扱う暴力がニファーナ様よりも多少上回ろうと、この国への貢献はその点のみに過ぎぬ。
しかし貴様は、その一時の貢献のみに目を見張り、偉大なるニファーナ様を差し置いて、レーテなる輩を危機に際する鼓舞の引き合いに出すか」
「一時の貢献と言われれば、そうかも知れん。
だがその貢献は、永く未来に続く独立の確固たる
オルダールの反論を全て耳に入れることなく、マキシスは鬼面の如き憤怒の形相を作り出すと。
「涜神者めがッ!」
鋭く叫ぶが早いか、いきなり拳を固めて、オルダールの顔面に殴りかかる。
オルダールは壮年とは言え、歴戦の強者だ。優れた反射神経で
しかし――インパクトの瞬間。オルダールの掌を貫くように、漆黒の流れがマキシスの拳からブワリと流れ出す。同時に、オルダールの掌の中央が、バシャンッ! と音を立てて破裂すると――十字の穴がポッカリと開く。
「はぁ…!?」
痛みもなく、出血もなく、ただただポッカリと開いた傷口を目を丸くして見つめる、オルダール。そんな彼に、マキシスは鬼面の形相のまま口角泡飛ばしながら非難する。
「我らが真なる主を忘れ去った、不敬者ッ!
そして、真なる主を差し置いて偽りの輩を賛美する、涜神者ッ!
そんな
オルダールは、マキシスの発狂めいた言動に困惑しつつも、身の危険を回避すべく号令をあげる。
「マキシスを無力化せよッ! 殺傷の度合いは問わんッ!」
この号令に、一連の流れをオロオロと見つめていた人員達は、キッと顔を引き締めると、マキシスおよび彼に従う部下達へと剣や銃を向ける――が。
転瞬、彼らの体に
(神霊圧!?)
オルダールが驚愕と共に疑問符を頭上に浮かべた時には、全軍を包み込むように、煙とも水流とも付かぬ漆黒がゾワゾワと上空に立ち上り始める。
すると――兵達が手にしている剣や銃から、ニュッと漆黒を呈した翼が生える。続いて、剣先や銃口がグニャリと変形しながら、持ち主の方へと曲がったかと思うと――これまた漆黒を呈する、小さな竜の顔が形成される。
「え」
兵の何人かが、眼前で起きた奇妙な現象に間の抜けた声を上げた――直後、竜の首は、続く刀身や銃身を竜の首や胴へ変形させながらサイズを増し、首を伸ばして顎を大きく開き――彼らの頭を
「おわっ!?」
武器を手放したり、
「有り得ない…!」
視界を埋め尽くしてゆく竜の群を見やるオルダールは、ポツリと、しかし愕然とした様子で
その言葉に対してマキシスは、真顔のまま鼻で、ハッ、とあざ笑う。
「真なる主を信じられぬ涜神者は、己の
「私の眼が狂った…!?
そんなワケがないッ! 仮に狂ったとして、これが現実なワケがないッ!
何故なら、何故ならば…ッ!」
オルダールは独りごちるように竜で満ちる光景を眺めたまま、冷や汗を噴き出し、眼球が転げ出すほど目を見開いて、マキシスの言葉を否定する。
「最早、貴官にこの超常を与える"主"は、力を失ったのだから…!」
「左様」
マキシスは即答するものの、直ぐに「しかし」と続ける。
「我らが真なる主は、
その聖なる
「馬鹿な! 馬鹿な…ッ!」
オルダールはようやくマキシスを見つめると、胸倉に掴み掛かるように接近する――但し、マキシスが悠々と身を捌き、オルダールをかわしたが。
「そんな
力を失った『現女神』が、再び神威を取り戻すなどッ! そんな話は、聞いた事がないッ!」
「不敬にして凡愚の見聞など、何の根拠となろうか。
ヒトを超え、ヒトの上に君臨せし主の深淵なる真理を、高々のヒトが理解せしめようとするのが間違いなのだ。
――第一」
マキシスは不快げにギリリと歯噛みし、オルダールを睨みつけると。転瞬、オルダールは背に山の如き鉛でも背負わされたかのように、くずおれて四つん這いになる。
全身の神経が電気信号を発狂させる程の『神霊圧』が、オルダールに襲いかかったのだ。オルダールは『女神戦争』を戦い抜いた歴戦の勇士であるにも関わらず、マキシスの放つ『神霊圧』には為す術もなく屈したのだ。
――実際には、この『神霊圧』は真なる意味の『神霊圧』とは異なる。"神"とは真逆の呪わしい力によって、魂魄がネガティブな方向に干渉された結果の所業である。オルダールは通常の『神霊圧』を想定して精神を練り抵抗を構築したのだが、それが裏目に出てしまったのだ。
四つん這いになったオルダールを冷たく見下ろすマキシスは、ゴミに唾棄するように言い放つ。
「真なる"主"に仕えし我、『士師』を畏れて
「『士師』…『士師』…そんなワケがない…! 『夢戯の女神』はもう…ただのヒトへと…!」
オルダールは尚も否定の言葉を口にする。それだけが、マキシスの神聖と云う暴力へ対抗し得る杖だとでも言わんばかりに。
そこでマキシスは、火を吹くような深く、長い溜息を吐くと。憤怒の表情を潜め、凍り付くような無感情を張り付けると、死にかけの
「理解する感性すら欠如した貴様に、明確に見せてやろう。
我らが真なる"主"の再臨が迫る証、神威の顕現を…!」
言い放った直後、マキシスの体に異変が生じる。その足下から粘性の高い墨汁のような漆黒の奔流が、竜巻状に発生する。奔流はマキシスの周囲を取り巻きながら、一部は自由意志を持つ帯のように幾重にも巻き付き、厚みを増しながら形を成してゆく。
漆黒の竜巻の発生が終了するまで、ほんの数瞬の時間しか掛からない。そして、竜巻が螺旋が展開するようにバラリと解けながら宙空に溶け込んで消えると――。
後に残ったのは、巨躯を竜を思わせる厳つい漆黒の重鎧で覆った、マキシスの姿。
その鎧の造形は、オルダールの記憶に刻まれている。色彩こそ以前見た時とは違うが、牙か爪のように小さく飛び出た突起や、炎のように渦巻く模様など、一分も見紛おうはずがない。
この姿こそ、ニファーナが『現女神』として健在だった頃の、マキシスの『士師』の形態。
「刮目し、畏怖せよ、涜神者。
我は"竜騎の士師"、マキシスなり」
己が口でもハッキリと『士師』を名乗ったマキシスに、オルダールはますます顔色を青ざめさせる。
(あり得ないッ! 『現女神』が失われた今、『士師』が顕現するなどあり得ないッ!)
胸中で必死に現実を拒絶するものの、現実は塗り潰れることはない。
マキシスは四つん這いのオルダールの胸倉を掴み、軽々と立ち上がらせて――いや、持ち上げて、視線を高さを合わせると。竜を思わせる面頬の目の穴から冷たい炎を吹くような視線を投じつつ、言い放つ。
「凡愚よ、光栄に思え。
貴様の不敬は今、
この『士師』が自らの拳で以て、貴様の魂魄を『天使』へと転生させ、涜神の罪を
「!!」
オルダールはマキシスの言葉に不吉の悪寒を感じ取り、目を見開くと、逃れようと四肢で足掻こうとする。しかし、"偽"の『心霊圧』によって束縛された彼の体は、プルプルと痙攣する程度だ。
マキシスは一体、何をしようと言うのか? 子細は把握出来ないが、"拳"や"魂魄"、"転生"という言葉を鑑みる限り――
そしてその予測は、不幸にも、妥当である。
「祈れ」
冷たい言葉と共に、厳つい籠手を装着したマキシスの拳が固められ、容赦なくオルダールのこめかみを打ち据える。
ゴンッ! 頭蓋を砕く鈍い音が響いた、その直後。
ブシュウウウゥゥゥッ! 打撃を加えたのとは逆側のこめかみに指先大の穴が開いたかと思うと、そこから噴水のように漆黒の粘水が噴出する。
「ヴァアア…オオオ…ロロロ…」
オルダールはグルリと白目を向いて、ベロリと舌を出し、言葉にならない濁音の発声で悲鳴を上げる。その舌から血の気が失われて赤紫へと変色すると共に、その中央がジュワジュワと泡立ちながら損壊。直線で区切られた十字の
この創と共に、目鼻耳の穴からも漆黒の粘水を大量に吹き出しながら、オルダールの体は内容物をスッカリと吐き出したようにペシャンコになってゆく。一方で粘水は飴細工のように螺旋を描きながら柱状に立ち上り、続いて体積を増して形状を作ると――離れた地で紫が交戦する、あの3つ首の"トカゲ"の姿を取る。
「ギィィィヤアアアァァァッ!」
"トカゲ"が3つの頭全てで天を仰ぎ、鼓膜を汚すような産声を上げた頃。オルダールの号令の元に集った人員達もまた、舌に十字の創を作りながら次々と倒れて悶え、漆黒の粘水を吐き出すと――黒い『天使』を続々と産出する。
この地獄の光景の中、健在なのはマキシスの部下達だけだ。とは言え、彼らもただただ健在と云うワケではない。マキシスに比べれば小規模ながらも、黒い竜巻を発して身に纏い、漆黒の厳つい鎧騎士の姿へと変貌している。
"トカゲ"と『天使』が基地上空をグルグルと飛び回る中。マキシスは変貌した部下へと向き直る。部下達は、ザッ、と規律正しい足音を立てて"気を付け"の姿勢を取り、マキシスの指示を待つ。
マキシスは、直ぐに大地を揺るがすような、低くて力強く、そして重い口調の号令を発する。
「行くぞ、真なる"主"の信仰を抱く、聖職者達よ。
不敬涜神の情勢を敬虔盲信へと転じるため。
そして――」
マキシスは一呼吸置いてから、改めて、声を上げる。
「我らが『夢戯の女神』の再臨をお迎えにあがるために!」
――その後。
マキシスは、基地の発着場に集められたヘリコプターや小型輸送飛行機の
部下達と共に竜の背に乗ると、"トカゲ"と黒い『天使』と共に、基地を後にして飛び去る。
向かう先は、プロジェスの中枢区。
彼らの群れて飛ぶ様は、さながら夕闇の空に
◆ ◆ ◆
プロジェスから所は変わり――地球が存在しない別宇宙、"アーレリオン宇宙"と呼ばれる異相世界の片隅にある地球型居住可能惑星リバル・
惑星内でも屈指の巨大都市(地球と異なり、国家ではない)オラゴーンに、『異相世界際刑事警察機構』すなわち"チェルベロ"の本部が存在する。
部署ごとに高層ビルディングがあてがわれているような本部オフィス街の一画、とあるフロアにて。プロジェスから一時離れた
立体映像に映っているのは、現在のプロジェスの様子だ。空を黒い『天使』やら怪物どもが飛び回り、或いはうずくまり或いは逃げ回る市民達を追い回し、地獄の様相が表示されている。
「こいつを見ても、機動隊の1人すら出せないってンですかッ!」
噛みつく剣幕で騒ぐ蓮矢であるが、上司は心苦しそうに
「理解は出来る、出来るんだ。
私だって平和と人道を守るためにこの道を選んだのだ、お前が見せるこの光景に心が痛まないワケではない。
だがな、だがだぞ…」
上司は[r[b:忙>せわ]]しく眼鏡の位置を直し、冷や汗がうっすらと浮かぶ灰色の禿頭を撫で上げてから、言葉を続ける。
「我々の領分は、犯罪なのだ。戦争でも、病災でもないのだ」
この言葉に、蓮矢はこめかみに青筋を立て、バンッ! とデスクを両手で叩く。ビルの一階層を丸ごと使ったオフィスフロア中に響くような、強烈な勢いだ。
「だからッ! これは立派な犯罪だと言ってるでしょうッ!
これは人為的に巧妙に仕組まれた呪詛による、テロリズムですッ!」
「『天使』が飛んでいるぞ」
上司が汗を浮かべながらも、精一杯冷徹を装って反論する。
「『女神戦争』…いや、『現女神』は失われたというからな、求心活動と言う方が妥当か。
何にせよ、『現女神』への対応は領分違いだ、
「『天使』だぁ!?
何言ってやがるッ! 『天使』は純白色って決まってンだろうがッ! あんな黒いのが『天使』のワケねぇだろッ!
あれは、呪詛で似せた『天使』モドキだッ!」
「『天使』の色は純白である、とはどの学会においても証明されてはいないはずだぞ。
黒い『天使』を産出する『現女神』も存在するかも知れん。
そもそも、『現女神』に関しては、まだまだ未知の部分が多いのだぞ?」
「なるほどなッ! だがよ、アンタの言葉を借りれば、こうも言える!
あれが『天使』だって事を、確証することは出来ないッ!
ってことは、犯罪である可能性だってあるワケだッ! しかも、国家レベルの大量の犠牲を出しつつある、最悪レベルの大犯罪だッ!
それを見過ごして、事後に"犯罪でしたースミマセンー"って言い訳しても、理解なんざされないだろうがッ!
可能性があるのならッ! 平和と人道を尊ぶ心があるんならッ! 行動するべきだろがよッ!」
上司は再び、蓮矢に対して反論すべく口を動かし始めた――その時。
「上司に対してのその態度は問題あるわよ、暮禰捜査官」
凛とした女性の声が、蓮矢の背中に投げつけられる。
蓮矢が舌打ちしながら振り向くと――そこには、"チェルベロ"の制服を生真面目そうにキッチリと着込んだ、黒髪三つ編みの女性捜査官の姿がある。蓮矢よりも若い、20代半ばと言ったところの、大人の魅力をそのまま凛然とした態度に転化したような人物。
彼女の名は、四条ミディ。蓮矢と同僚の捜査官だ。
「なんだよッ、お前もオレを止めに来たのかよッ!?」
ミディを藪睨みしながら吐き捨てる蓮矢であるが、ミディは小さく嘆息すると、首を横に振る。
「私が止めるとしたら、あなたのその失礼な態度だけよ。
「…はぁ?」
蓮矢が表情を一転、キョトンとして聞き返す。ミディはそれを無視し、上司に向き直ると。両手に携えていたタブレット端末を操作し、宙空に3D映像を表示しながら語り出す。
「スコーナー部長。暮禰捜査官が現地から得た呪詛のデータを解析してみましたところ、その定義式や魔力波長から、警戒リストに挙がっているある人物が術者である可能性が出てきました」
「その人物とは?」
上司は感情ばかり先走る蓮矢に対するものとは全く異なる、鋭い慧眼を光らせる真剣な態度を取って、先を促す。
ミディは端末上に、ある映像を映し出す。そこに映っているのは、何処かの街頭カメラが捉えた映像の1コマらしい。情緒
ミディはその一部分を拡大する。するとそこには、集会の人々とは全く別の方向に視線を投じ、嘲るような薄ら笑いを浮かべている、一人の男の横顔がある。
燃え盛るような真紅の長髪がよく目立つ。髪の合間からチラリと覗く耳には、ジャラジャラとピアスがくっついている。肩から下は人混みに隠されて見えないが、見える範囲で判断するに、ヘヴィメタルバンドのライブ用衣装のような、毒々しいスタッズの付いたゴシックパンクファッションに身を包んでいる。
その男こそ、プロジェスの元『士師』エノク達と接触を持っていた人物である。
「彼の名は、ザイサード・ザ・レッド。戦争屋です、しかも」
そこでミディは一息吐いてから、続ける。
「"ハートマーク"の一員です」
その言葉を聞いた瞬間、上司が険しく眉を
「な…っ! マジかよ…ッ!」
蓮矢は目を丸くし、まるで怪物に遭遇してギクリと強ばった時のような態度で声を絞り出す。
"ハートマーク"――狭義の意味での戦争を初めとして、あらゆる
「…どうしてそいつに、行き着いた?」
ふぅ、と一息吐いてからそう尋ねる上司に、ミディは端末を操作をし、次々と別の映像を表示しながら語る。
「暮禰捜査官の捜査報告内容を踏まえた上で、プロジェスという地球の都市国家における第一の注目点は、音楽バンド『フリージア』によるライブです。
今回の呪詛騒ぎは、フリージアによるライブの後、いわゆる"フリージア効果"の波及と共に始まっています。
そこで、フリージアのライブについて調査し…気になる点がありましたので、洗いました」
"気になる点"と聞いた直後、蓮矢が即答する。
「フリージアのライブ会場の設営について、だろ?」
ミディは首を縦に振り、「そうです」とアッサリと答える。
だが、蓮矢は眉を曇らせて聞き返す。
「その点についちゃ、オレだってとっくに調査済みだ。
非常な短期間で大規模なライブ会場を設営できるだけの人材と技術力を擁するとなれば、相当デカい企業のはず。
…だが、該当する業者の記録は全くなし。勿論、プロジェスの全建設業者を含めての話だ。
材料の鉄骨一つの入手経路すら出てこないなんて、どうなってんだって話だ」
「あなたには、捜し当てられっこないでしょうね。指操作だろうが思考操作だろうが、高々検索システムという枠の中でしか情報収集が出来ないあなたでは、ね」
「…おい、何を言いたいんだよ!?」
蓮矢がこめかみに青筋を浮かべながらミディを睨みつけると、上司が溜息混じりに割って入る。
「喧嘩をしに来たワケじゃないだろう、四条。挑発は良いから、結果を語れ」
「…すみません、部長。挑発するつもりではなく、単に私は…」
語りながらミディは、右手を胸の高さに上げる。そして次の瞬間、右手が青白い光に包まれたかと思うと、立体パズルを崩すかのようにバラリと宙空に分解。フワフワと文字列が漂う姿を見せる。
「種族が
「伝え方が悪い、挑発してるようにしか思えんぞ。注意しておけ。
…それはそうと、先を続けろ」
上司が注意しつつ促すと、四条は「すみませんでした」と謝罪を前置いてから、右手を元のヒトのものに戻しつつ、調査結果を告げる。
「結論としまして、フリージアは"ハートマーク"の別のメンバーにライブ会場の設営を依頼していました。
そのメンバーは、"調達屋"ツィリン・ベリエン」
ミディは映像にフリージアのメンバー、プロジェスでのライブ会場などの表示した最後に、一人の少女の肖像写真を表示する。何かの免許証にでも使っているようなブルーバックで、うっすらと笑みを浮かべている、幼い印象を受ける少女の姿がある。獣人属らしく、濃いブラウンの髪に覆われた頭からはネコの耳がピョコンと出ている。
このツィリンと言う少女の顔を見た蓮矢は、ピシャリと額を叩く。
「反則だろ…そっちにも"ハートマーク"使ってたのかよ…!
"チェルベロ"は"ハートマーク"をチェックしている。彼らは戦争屋として、数々の国家規模の犯罪を引き起こしているからだ。そしてこのツィリンという少女も勿論、注目の対象だ。
特にツィリンは"調達屋"の二つ名が表す通り、契約者にあらゆる物品を調達してみせる事から、各国軍部やゲリラ、テロ組織の御用達として名高い。戦車や戦闘機は勿論、核兵器や次元兵器、そして莫大な量の人員そのものまで、どこからともなく調達してくる。
「それで…」上司が口を挟む「ツィリンから辿り、"ハートマーク"を調査したところ、このザイサードが引っかかったワケか…」
語り終えた上司は、もう何度目かになる溜息を吐いてから、自ら禿頭をピシャリと叩いて撫で回す。
「…正直、
この男の事は聞いている。相当な
暮禰、それに四条…お前達2人の実力は認めてはいる…が、それでも確実に手に余る相手だろう。
動くのならば、慎重を期したいところだが…」
「そんな事してる間はないでしょうッ!
このハデ野郎が怪物だって事は理解しましたが! だからと言って、このまま指を咥えてるのが、俺ら正義と平和の守り手"チェルベロ"ですか!?
逆に、今回は現行犯でハデ野郎をブタ箱にブチ込む好機ですッ! それが出来れば、あの
弱腰になってちゃ、"チェルベロ"の名折れ! 犯罪組織どもから舐められるだけじゃないですかッ! 部長は何を、」
「話は最後まで聞くものだ、暮禰」
上司はピシャリと声高に蓮矢の言葉を封じる。蓮矢は口を中途半端に開いたまま、凍り付いたようにピタリと止まる。
「私とて、"
増してそれが、現在進行形である国家規模の大犯罪となれば、見逃すワケにはいかない。
――そこでだ、暮禰。そして、四条、お前もここまで首を突っ込んだ以上、ここまでだとは言わんな?」
「はい。市軍警察でも
望むところです」
上司は、うむ、と
「お前達2人に、2個ずつの機動隊を預ける。
現地の市軍警察は既に動いていることとは思うが、彼らと協力し、事態の収拾に当たれ。それを第一の優先事項としろ。
"ハートマーク"の男、ザイサードの逮捕は第二目標としろ。くれぐれも無理だけはするな。無駄な殉職者は出したくない」
「任せとけって、部長!」
蓮矢は胸を張って、ドン、と握り拳で叩く。
「現地には、ユーテリアの星撒部達もいる。彼らとの協力関係は既に構築済みです。
彼らと連携すれば、必ずや! ザイサードのクソ野郎を逮捕出来ますよ!」
この言葉に、上司は組んだ手を緩め、眉根を
「学生に協力を仰ぐのは感心せんな」
「いやいや、下手な
蓮矢はニッコリと笑って答える。
「ありがとうな、四条」
上司の元から去りながら、蓮矢は隣を歩くミディに語る。
「あの石頭部長を動かせたのは、お前の機転のお陰だ」
「別に、あなたの為にやったワケじゃないわ」
前を向いたまま、チラリとも蓮矢に視線を向けずに、冷淡とも言える口調で淡々と話す。
「部長の前で言った通りよ。私は、"ハートマーク"を検挙できる絶好の機会を逃したくないだけ」
「…でも、自分の仕事の傍ら、わざわざオレの捜査資料も読んでくれたんだろ?」
そう語られると、ミディの冷淡な顔は一転、サッと赤みが差して、恥ずかしいような苛立っているような表情へと崩れる。
「あなたは、いつもいつも直感で動いてばっかりで、見てられないのよッ! もっと理論的に動いて欲しいわッ!
あなたが部署を振り回した結果、どうにもならなくなるようなタイミングで私に尻拭いが来るのがイヤなだけよッ!」
その言葉を聞いた蓮矢は、ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべて、ポツリと語る。
「四条さ、お前って所謂、ツンデレって奴?」
「知らないわよ、そんなのッ!
そんな事よりッ! 早く現地に入りましょう! 事態は今も進んでるんだからッ!」
四条の顔を真っ赤にした叫びに、蓮矢はクックッと笑い声を漏らさずには居られなかった。
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