星ヲ撒ク者ドモ   作:眼珠天蚕

77 / 100
Inside Identity - Part 11

 ◆ ◆ ◆

 

 視点は、ヴァネッサとパバルが対峙する場所へと移る。

 

 不快にして奇っ怪な産声と、無惨なる悲鳴が四方八方から響く、黒い『天使』の群れの中。ヴァネッサは相変わらず四つん這いでうずくまり、鼓膜を(ろう)する絶叫の数々に身を晒しているばかりだ。

 (立て…ッ! 立つのよ、わたくし…ッ!)

 思考で鞭を打つ四肢は、相変わらず力が入らない。強烈な初恋でも覚えた時のようなトキメキに支配された心臓が狂ったように暴れるのに反して、筋肉は痺れるように弛緩している。四つん這いの体勢すら覚束(おぼつか])ず、今にも間接がクニャリと曲がってしまうようにプルプルと筋肉が戦慄(わなな)く。

 そんな彼女に視線を落とすパバルは、相変わらず微笑みを浮かべたまま、クスクスと笑い声をこぼすように言葉を漏らす。

 「どうだい、この都市国家(くに)を覆う"賛美歌"は?

 いや…でも、今の君には――単に声を、空気の振動を鼓膜で捉えているばかりの君には、賛美歌ではなく阿鼻叫喚に聞こえてしまっているかな?

 阿鼻叫喚と捉えても、正解だよ。これは不敬の汚穢に汚れた賤民(せんみん)による、煉獄(れんごく)の苦役の悲鳴でもあるからね」

 パバルの蕩々(とうとう)とした張りのある、そして艶やかな声は、感動的な歌声のようにヴァネッサの聴覚に滑り込んでは、脳を痺れさせてしまうようだ。彼の言葉を聞けば聞くほどに、体から力が抜けてゆく。

 そして反比例するように、高鳴る鼓動と同調した甘美な誘惑の声が、頭の中に響く。

 (懺悔せよ、盲信せよ、その身を全く捧げよ。それこそが唯一無二の浄化の道程、至福への歩みなり)

 ヴァネッサは必死で身体(フィジカル)魔化(エンチャント)を練り、己の脳への干渉を試みるも…誘惑の霧はベッタリと意識に張り付き、剥ぎ取れる気配はない。

 ついに腕がペタンと折り、ペシャンと地に伏せってしまう、ヴァネッサ。そんな彼女を見届けたパバルは、「さぁて」と欠伸(あくび)するように声を上げる。

 「マキシスや狼坐も動いているだろうし。僕も"チェルベロ"どもが動く前に、決着を付けないとな」

 独りごちるように言葉を滑らせたパバルは、右手で顔を覆う。直後、彼の掌から髪の毛のような漆黒の流れが出現、彼の顔を覆うと――右手をどかした時には、色白の整った顔は、不気味な仮面に覆われている。

 眼が三日月のように(いや)らしくつり上がって笑う、口髭を(たた)えた男の仮面だ。

 この仮面と、前進の身を覆う外套、そして被った(つば)広帽を総じて見れば、黒一色に染まった怪盗のようにも見える。

 パバルは更に、虚空に左手を伸ばす。すると、掌からは再び髪の毛のような流れがワサワサと上下に出現。それらは幾重にも重なり、捻れて伸びると――やがて大まかな半円弧と、その中を一直線に走る5本の弦が出現し、形を成す。――それは、パバルの長身と同等の高さを持つ、大きな竪琴だ。ただし、その装飾には髑髏(ドクロ)を初めとした人骨様の装具が散りばめられ、禍々しい。

 『現女神』に使える聖なる『士師』と云うより、地獄の底から這いだした罪人を(とが)める鬼…という表現が相応しい。

 パバルは竪琴を引き寄せると、右手で(なめ)らかに弦を弾く。その優雅な手付きとは裏腹に、響く音色は拷問に呻吟(しんぎん)する痩せ細った虜囚のそれだ。

 その音が響いた瞬間、ヴァネッサの脱力した体から、一気に血が飛沫(しぶ)く。

 「!!」

 舌さえも脱力し、苦鳴すら上げられぬヴァネッサが、眠たげに半閉じになっていた眼を見開く。

 ヴァネッサの血を噴いた体部には、身につけた衣服ごと抉った、綺麗な十字の(きず)がポッカリと開き、ダクダクと鮮血を噴き出している。

 この様子を見て、パバルは仮面の下で片眉を跳ね上げる。

 「うん?

 君の感性になら、必ず届くと思ったんだけどな。

 血が出るだなんて、まだ(けが)れた自我にしがみついているのか。

 でもね…」

 パバルは再び…いや、一度ならず、何らかの一曲を奏でるように何度も何度も、5本の弦をかき鳴らす。

 その度に禍々しい楽器は「ギィィヤアアァァッ!」「オオオアアアッ!」「ヒイイイィィィッ!」と不気味な絶叫を上げ、大気を震わす。同時に、ヴァネッサの体にさらなる十字の(きず)が刻まれ、ブシュッブシュッ、と鮮血が宙に赤を刻む。

 「抵抗してるだけじゃ、無理だよ。初戦は、大金槌の前に首を引っ込めた亀と同じ状況さ。

 殴られ続ければ、甲羅はその内壊れてしまうだけさ。

 さぁ、大人しく、僕らの賛歌の前に身を委ねるんだ。君の感性なら、きっと素晴らしい『天使』か、『士師』になれるはずだよ?」

 パバルの春の微風のような声とは裏腹に、竪琴の叫喚の音は鳴り響き続け、更にヴァネッサの体を苛み続ける。

 意識への介入に対して、自我にしがみつくように、強く歯噛みをしていたヴァネッサであるが。その口の中に、やがて、ジンワリと生暖かな鉄錆の味が広がってゆく。

 同時に、舌のど真ん中から発生する、力づくで引き千切られるような激痛が現れる。それは、この現象が発生した際にも彼女を苛んだ症状――舌に十字の創が出来る前触れだ。但し、先刻と違い、その変化は急激で、そして暴力的だ。まるで、舌を根こそぎ引っこ抜かれてしまうような勢いで、舌の組織が暴れながら壊死を始める。

 

 この激痛を受ければ、並の者ならば涙をボロボロと(こぼ)して悶え、己の不幸を呪うことだろう。

 ヴァネッサとて、激痛を受けた事に対しては勿論、不幸を覚えている。

 ――だが、その激しい不幸の念、そしいて舌の激痛は、毒が転じて薬と化すかのように、彼女にとって幸いの方向に転ぶ。

 ヴァネッサは覚えた不幸に対し、胸中に抱いたのは呪いの念よりも――激しい怒りの念である。

 (こんな呪詛に程度に、何を屈しているのかしら!

 呪詛を打ち(はら)う、それこそがわたくしの使命でしょうにっ!)

 そう言った負けん気に加えて、もう一つ――余りにも本能的で、シンプルで、自己本位な激情が爆発する。

 (それに、それにそれにそれにっ! なによりも――ッ!)

 

 「いッたぁいんですわよッ!」

 舌から零れた血を唾と共に吐き出しながら、ヴァネッサが思い切り叫ぶ。この都市国家(まち)を覆う叫喚の音色を払拭するかのように。

 屈服から一転、激烈な反抗へと態度を変えたヴァネッサの様子に、パバルが驚きを交えてピクリと体を揺すった――その瞬間!

 バリバリバリバリバリッ! アスファルトの大地が割ける悲鳴が耳を(つんざ)いたかと思うと、パバルとその周囲の地面がメキメキと盛り上がる。アスファルトの瓦礫を弾き飛ばし、土煙をボフンッ! と噴かしながら、土中より現れたのは――曇天の鈍い陽光の中でも尚、(まばゆ)く煌めく水晶の剣山だ。

 「おわっ!」

 パバルは声を上げ、高速で飛び出す水晶の切っ先を避けるべく、宙へと躍りながら身に纏った漆黒の外套様装備で(とばり)を張る。この外套様装備は高密度の物質化呪詛で編み上げられた代物で、柔軟に自在に動かせる一方、金属繊維にも勝る強度を誇る。水晶の切っ先はこれに阻まれてパバルを貫くことは出来なかったが、帳ごと彼の体を押し上げ、宙空高く舞い上げる。

 (うわ…計算違いだなぁ! 僕の歌で骨抜きにするつもりが、激情を煽っちゃうなんて…!)

 パバルが仮面の下で苦笑いをしていると。彼の上にサッと、影が掛かる。

 すぐに見上げれば、そこにはパバルを正面に捉えて、更に高い宙空を舞う、ヴァネッサの姿がある! その手には、水晶の剣山を出現させた時に持ち上げて回収したであろう、水晶で作り出した剣が握られている。

 そして、ヴァネッサの姿勢は剣を振るうのに万全の体勢だ。

 (あ、ヤバい…!)

 パバルが外套を操作するよりも早く。ヴァネッサは水晶が光線にでも変わるような速度で剣を一閃。烈風の斬撃は、落下する巨大な三日月のようにパバルの頭上へと高速で降下する。

 パバルは息を飲み、素早く竪琴を体の前に突き出し、斬撃を受け止める。ギイィィッ、と耳障りな激突音が、怨嗟(えんさ)躍る地獄の街並みに甲高く響く。

 直後、激突の音の質が次第に変化を始める。甲高い金属音から、ピキピキパキパキ、と結晶を削るような――もしくは、生ずるような、細かいざわめきだ。

 その時、パバルは眼前の光景に目を丸くする。斬撃の衝突部分から、音が現すように、氷よりも尚青味の濃い、粗い無骨な表面を持つ結晶が霜のように広がったと思うと。そこから巨大な氷柱(つらら)へと成長し、まるで多頭の蛇のようにパバルの元へ迫る。

 (おわっ! 流石は、この状況に抗うようなじゃじゃ馬ちゃんだっ!)

 パバルは苦笑しつつ、魔力を集中。すると、巨大な唇ように見える漆黒のラッパが4つ、滲み出すように空中に出現。その開口をブルブルと振るわせながら"音"を出すと、それは大地を振るわすような重低音と共に大気が激しく震動。それに共鳴した水晶は、キィィン、と耳鳴りのような音を立てながら激しくブレて震動すると、激しい亀裂がバキバキと走った後に、木っ端微塵に粉砕される。

 

 『吟遊の士師』パバルの能力(ちから)は、"演奏"と云う事象に根ざしたもの。

 "演奏"の要素の一つに、大気の震動がある。(すなわ)ち、奏でた音とは大気の震動無しには存在しえない。

 そんな大気震動を自在に発現させるに加えて、物体の放つ――もしくは"奏でる"と言い換えても良い――音から瞬時に固有周波数を知覚する性質を利用し、水晶に絶妙に干渉する周波数の音を"演奏"。結果、ヴァネッサの反撃の水晶を無力化したのだ。

 

 パバルが放った震動は、水晶を粉砕するに留まらない。微妙に音色を変えたかと思うと、今度はヴァネッサの肉体自体を粉砕しにかかる。

 「!!」

 体組織が細胞単位で揺さぶられ、バラバラにされるような衝撃がヴァネッサの全身に広がる。ただでさえ十字の(きず)が幾つも開いた痛々しい身体が、今度は震動に耐えかねて衣装ごと皮膚が弾け、更なる鮮血を宙に降り撒く。

 ヴァネッサは歯噛みして耐えながらも、左の掌を突き出して魔力を集中。すると宙空に小さな六角形の結晶片が生まれたかと思えば、それは急速に成長。翡翠色を呈する結晶の大楯となって、ヴァネッサの全身を(かくま)う。

 (素早い対応だ、頑張るねぇ!

 流石は噂に聞こえた百戦錬磨の星撒部さんってところか。

 でも…そんな楯、幾重張ろうが意味ないよ!)

 パバルは胸中で叫びつつ、ラッパの音色を更に調整。今度は翡翠の大楯の固有振動数を探り、破壊を試みる。大楯は形成してから数秒にして、早くも激しい亀裂に覆われ、(きら)めく粉塵様破片を雪のように降らせる。

 対するヴァネッサも、黙って楯にしがみつく真似はしない。翡翠の楯の後ろにもう一つ、結晶を成長させて楯を作り出す。今度は燃えるような赤色を呈しており、先の翡翠の結晶は物性の全く異なる代物だ。

 これだけでなく、ヴァネッサは琥珀色、雲母のような(きら)めきを放つ鉛色、透き通った紫色など、性質の違う結晶を次から次へと生成。強固な楯の重層を成す。

 しかし、パバルは時間さえ掛ければ、個々の固有振動数を割り当て、粉砕することが出来る。それはヴァネッサとて、百も承知だろう。

 となれば、これはヴァネッサが次の攻めの一手を準備するまでの時間稼ぎに過ぎないはずだ。

 (大人しくやらせるワケ、ないだろう!?)

 パバルは大気の慟哭の如きラッパの音を調整しながら、結晶の楯の粉砕に付き合う体裁をとるものの――狙いを、別に定める。

 彼は『士師』(正確には、その"(もど)き"である)の性質を使い、下位にして従属的存在である黒い『天使』達に指令。ヴァネッサの後方より攻めよ、と意志を通達する。

 黒い『天使』達は、速やかにパバルの意志に応じる。2人の眼下を飛び回っていた7体の『天使』が急上昇、ヴァネッサの後方に回り込むと。今度は「不敬!」などの無駄口を叩かず、無言のままに手にした馬上槍(ランス)を突き出して突進する。

 ヴァネッサはその気配を知覚しているものの――一顧だにしない。彼女には、振り返らずとも彼らの奇襲に対応出来る、確固たる自信がある。

 その自信の体現は、すぐに、7体の『天使』の前に飛び上がって立ち塞がる。

 「(えい)ッ!」「[[rb:応]]ッ!」「(とう)ッ!」

 そんな掛け声と共に現れたのは、曇天の陽光の中でも燦然(さんぜん)と輝く3つの巨躯。ゴキゴキと身体を鳴らしながらも、優に3メートルを越える幅広の体格には似つかわしくない、烈風のような動きで手にした斧槍(ハルバード)や大剣を振るい、『天使』達を一撃の下に両断する。

 彼らは、ヴァネッサが創り出した水晶製の守護騎士達だ。

 7体を掃討した彼らは、ゴキリゴキリと背中から音を発したかと思うと、これまた水晶で出来た大きな翼を展開。眼下から更に飛び上がってくる『天使』達へと真っ向から飛び込むと、(こごと)く斬り伏せてゆく。

 (ちょっと、ちょっと! この()、どんだけ魔力があるのさ!

 楯創って、自立駆動する使役物を創って、更に何か仕掛けようとしてる!

 元気過ぎにも程があるだろ!)

 パバルが仮面の下で歪んだ苦笑を浮かべている頃、ヴァネッサの楯は早くも6枚、粉砕されたが。ヴァネッサは更に片っ端から楯を創り出し、鉄壁の防御を崩さない。

 (見上げた根性だけど、守ってばかりじゃ――)

 そんな事を胸中で独りごちた、その瞬間。パバルは足下から立ち上る、微かにして鋭い魔力にハッと気付く。

 慌てて視界を眼下に向けると――そこには、己の身体まであと数十センチにまで迫った、土砂降りを反転させたような煌めきの群れが見える!

 群の(きら)めきに目を凝らせば――それは、翡翠や真紅、黒曜や鉛色など、これまで破壊した結晶の楯の色が混じり合って出来た、髪の毛のように細い針だ。

 

 ヴァネッサは楯を単なる防御に用いていたのではない。

 粉砕された微細な破片を再度操作し、異なる結晶同士を混合させた上で針と成し、パバルへの密かな反撃に再利用していたのだ。

 異なる結晶の混合体となった今、固有振動数は各々で多様に異なるようになってしまった。今や、ラッパの一吹きで一気に粉砕出来る代物ではない。

 

 (マズいなッ!)

 パバルは仮面の下で舌打ちすると、楯を破壊するためのラッパ演奏をひとまず停止。そして間髪入れずにラッパの向きを眼下方向へと転じると――。

 (ドウ)ッ! ラッパが吹き出したのは、叫喚の音色ではなく、激しい大気の奔流だ。

 "演奏"による大気干渉の力を振動ではなく流動に転化したのだ。

 大気の奔流は強烈な圧力を伴い、向かいくる水晶の針を吹き飛ばし、あるいは破砕する。その勢いは針を打破するだけに留まらず、眼下の大地に達すると颶風(ぐふう)を巻き起こしてアスファルトを削り取り、無惨な(えぐ)れを残す。

 パバルの激しい反撃が自身から逸れた事を好機とするヴァネッサは、眼前に生成した大楯に魔力を集中。楯の表面から、巨大な氷柱(つらら)を作り出し、パバルを貫くべく一気に伸ばす。

 (こっちもかッ!)

 パバルは横目で状況を確認すると、針を吹き飛ばしたラッパを、大気の奔流を吹き出すがままに方向転換。迫り来る氷柱(つらら)の横腹に大気を激突させ、叩き折ることを試みる。

 ガリガリガリッ! ビキビキビキッ! 結晶が悲鳴を上げ、バラバラボロボロと大小の破片を(こぼ)し、メキメキと激しい亀裂が走る。だが、破壊は簡単には行かず、氷柱(つらら)は方向をズラされつつも、着実にパバルの元へと肉薄する。

 (これで、どうだッ!)

 パバルは身にまとった漆黒の外套を操ると、氷柱(つらら)にまとわりつかせ、直接的にその動きを止めに掛かる。巨大な両手に掴まれたような形になった氷柱(つらら)は、メキメキと音を立てながら尚も前進を続けようとするが――大気の奔流の直撃も相まって、遂には亀裂がボギンッ! と音を立て、ガラガラと破片を大地に叩きつけながら真っ二つに折れる。

 それと同時だ。パバルの顔に再び影が掛かったかと思うと、そこには水晶の剣を大きく振りかぶって飛び込んでくる、ヴァネッサの姿がある!

 彼女は氷柱(つらら)の上を駆けてパバルに接近してきたのだ!

 「クソッ!」

 パバルの唾棄する声と。

 「ハァッ!」

 ヴァネッサの気合いの声が響き渡る。

 ヴァネッサが、剣をまっすぐに振り下ろす。その最中、水晶で出来た剣は、まるで大樹の成長を早回しにしたような有様で、ピキピキと音を立てながら体積を増加。パバルの頭上に迫る頃には、ヴァネッサの身長の優に3倍を超える、巨大な剣と化した。

 ラッパも外套も対応に間に合わないとみたパバルは、苦渋の歯噛みをしながら、手にしたハープを振り上げる。

 (ゴン)ッ! 両物体の直撃は鈍い轟音を響かせ、激しい衝撃を振りまく。部が悪いのは、パバルだ。ヴァネッサは手にした大質量と重力を味方に付けている一方、パバルの獲物は武具ではないし、そもそもとして彼自身が近接戦闘に向いていない。

 ヴァネッサの攻撃は即座に、パバルの抵抗を上回り、2人は流星のように大地へと落下する。

 その途上、パバルは部が悪いと云えども、何の手筈も打たないワケがない。彼は攻撃を受けとる竪琴を片手でかき鳴らしつつ、仮面越しに自らの口で歌い上げる。

 

 パバルの歌声は、"吟遊"の名を冠する『士師』に相応しく、美しく表現深い。聞く者の心に()みて、"芸術"の言葉を想起さえるようなもの――の、はずであった。

 しかし、彼の美声は仮面を通すと、恐るべき悪鬼の上げる金切り声へと変ずる。数匹の鬼が、惰弱な亡者を打ち据えて嗤い、あるいは勝ち(どき)を口々にしているような声だ。

 その不快な声は、ヴァネッサの鼓膜を震わすと――彼女の鼓動を大きく、狂ったように、ドクンッ! と跳ね上げる。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 パバルの"吟遊"の能力(ちから)の醍醐味は、演奏による大気干渉ではない。

 演奏、引いては音楽が成す最大の効能――精神への干渉である。

 楽しげなワルツを奏でれば、聴衆はウキウキと踊り出す。悲しげなバラードを奏でれば、バカ笑いしていた酔っ払いも涙を流して嗚咽する。そんな精神への干渉を、確実と言えるレベルで強烈に引き起こすのが、彼の最大の武器である。

 先に黒い『天使』達を生み出した奇っ怪な"演奏"も、その効能の一環だ。聞いた者の精神に恐怖や悔恨といった強い負の感情を植え付け、それを音に呪詛を生み出す。

 

 そして今、パバルがヴァネッサに対して行った演奏は、"怒りを呼び起こす"ものだ。

 

 ヴァネッサは今、身に受けた数々の傷への治療や沈痛を一切行わず、鮮血が流れるままに行動を起こしている。その狙いは、痛みを引き金に精神の状態を"怒り"による興奮状態を起こすことにある。

 先刻、パバルの演奏によってヴァネッサが脱力したのは、彼女の筋肉を弛緩させるような精神への干渉――感激や喜びと云った感情の喚起――が行われたためである。これを払拭するための、"怒り"だ。

 パバルはそれを理解したと同時に、利用することにした。

 演奏によって干渉されたヴァネッサの精神は、脳髄に対してアドレナリンの更なる増産を指令。その神経電気信号は速やかに副腎へと伝わり、ヴァネッサの体内のアドレナリン濃度が急上昇する。

 結果――ヴァネッサの心拍数と血圧が激増。血流が異常な加速を見せ、血管を破かんばかりの速度で体内を駆けめぐり――。

 

 くらり――ヴァネッサは、視界の歪みと思考の混濁を感じる。こめかみの辺りが、狂ったように脈動する心臓と同期した鈍痛に襲われる。

 胸が、内側から張り裂けそうな膨満感を覚える。頭が、ドクドクと震えるほどに脈打ち、吐き気を催す熱っぽさが発生する。

 (何を、されたのかしら…っ!?)

 グニャグニャに歪む視界で、パバルを()め付ける、ヴァネッサ。その両眼の白目では、血管が破けて出血し、鮮血が染みのように広がっている。

 体中の(きず)からはドクンッ、と吹き出すように血液が溢れ出すものの、アドレナリンの持つ鎮痛作用によって、痛みの増加は感じない。ただ、燃えるような熱さばかりを感じる。

 意識の混濁は筋肉の弛緩を呼び起こし、ヴァネッサの指は痙攣しながら、巨大な水晶の剣の柄をポロリと取り落とす。

 

 この隙こそ、パバルの狙いだ。

 

 パバルは重力のみが手を引くばかりとなった水晶の大剣の下からスルリと這い出すと、ヴァネッサへ一気に肉薄。そして、外套や竪琴を構える間を惜しみ、足を振り上げると、ヴァネッサの顔面に叩き込む。

 「あうっ!」

 悲鳴を上げて吹き飛ぶ、ヴァネッサ。一方で、水晶の剣は魔力集中を失い、ボロボロと粉末状の結晶へと瓦解して、大気中へと昇華されてゆく。

 黒い『天使』を作り出した人々が転ぶ大地の上を、派手に転がって吹き飛んでゆくヴァネッサを見つめながら、パバルは仮面の下で苦々しく笑う。

 ("吟遊"の名に似つかわしくない、実に醜い行動だけど…)

 ――戦いには、美しいも醜いも無い。

 その思考を胸中に留めたパバルは、留めを指すべくヴァネッサの元へと、黒い疾風となって駆け出す。

 

 - To Be Continued -

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。