星ヲ撒ク者ドモ   作:眼珠天蚕

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Inside Identity - Part 12

 ◆ ◆ ◆

 

 ――まだ、クラクラする。

 ヴァネッサは人々の身体に接触しながら派手に転がりつつも、熱っぽい思考をフルに稼働させて、状況の把握と打開を思案する。

 ――強烈な興奮状態の誘発と、沈痛の発生。明らかに、ホルモンによる肉体作用だ。…状態から(かんが)みるに、ほぼ間違いなく、アドレナリンの作用。

 この状況を作り出したのが、竪琴の不快な演奏であると認識すると――ヴァネッサは、パバルの能力(ちから)を理解する。

 (演奏による、感情への干渉…! それがあの『士師』(もど)きの能力…!)

 それならば…とヴァネッサは呼吸を整え、感情を沈静化。アドレナリン分泌を少しでも阻害しつつ、策を練る。

 パバル・ナジカを(たお)すための、攻略法…!

 

 ◆ ◆ ◆

 

 「不敬ッ!」「涜神ッ!」「汚穢ッ!」

 方々から濁音の発声が、転がるヴァネッサを囲む。パバルに先んじて、黒い『天使』達が追撃に来たのだ。

 ヴァネッサは誰かの身体の上でワンバウンドをしたのを気に、宙空の足下に結晶による足場を形成。それをトンと軽く蹴りながら体勢を立て直すと、手の中に水晶で作り出した刺剣(レイピア)を生成。刀身の長いそれを器用に扱い、突き込まれる馬上槍(ランス)を絡めて弾きつつ、『天使』の甲冑の隙間にズブリと鋭い切っ先を刺し入れる。

 それは、"蝶のように舞い、蜂のように刺す"の形容があまりにも似合い過ぎる、美麗な行動だ。

 しかし、黒い『天使』の追撃は八方から襲い来る。彼女の刺剣(レイピア)捌きが如何に巧みでも、多勢に無勢に見える。しかも、呼吸を整えて感情の沈静化を計ったとは言え、アドレナリン過剰の影響から完全には脱していない。視界の歪曲、出血量の増加は未だに解決されていない。

 だが――ヴァネッサは、この状況を窮地と見なしてはいない。何故なら――黒い『天使』への対処は、もう"手配済み"だ。

 「()ねいッ!」

 ハモった太く(たくま)しい声と共に、上空から降下する複数の巨大な影。それは、ヴァネッサが作り出した水晶の騎士だ! ヴァネッサは思考が歪曲しようとも、自らが作り出した使役対象への魔力共有を(おろそ)かにすることはなかったのだ。

 巨大重量に加え、鋭利な剣や斧槍(ハルバード)の切っ先によって、黒い『天使』は害虫のように潰れ、体内深くにまで刃を抱く羽目に陥る。黒い『天使』は死に際の蟲のようにピクピクと鈍く四肢を動かした後、黒い煙へと昇華して蒸発する。

 (よくもまぁ、あの状況で集中を放棄しなかったものだね!)

 パバルは感心しながらも、手にした竪琴の弦に指を添える。同時に、身体の近傍を舞うラッパ達を一斉にヴァネッサへ向けて、攻撃態勢を整える。

 (でも、怒りの影響に抗えたと言うことは…逆の感情に頼ったということッ!)

 パバルは仮面の下でギラリと目を輝かせ、仮面と同じような(わら)いを浮かべる。

 パバルはヴァネッサとの交戦の初期を思い出す。彼は(いき)り立つヴァネッサを(なだ)めるべく、安息感や幸福感といった感情を喚起させる発声を放った。そしてヴァネッサは、まんまとその影響を受け、高揚や火照り、弛緩と云った身体症状を大きく引き起こされた。

 つまりヴァネッサは元来、怒りのような激情よりも、ポジティブで穏やかな感情を抱きやすい性質であると言える。

 今、ヴァネッサが怒りの感情を抑えたのも、これらの感情の力を利用していることが充分に考えられる。そうでなくとも、激情を遠ざけた分、これらの感情を呼び起こしやすい状況にあるであろう。

 ――なら、それを(くすぐ)ってやらない手はない。

 ポロロロン…パバルが、竪琴をゆっくりと弾く。すると竪琴は、骨で形成されたような禍々しい外観に見合わぬ、草原の中で小鳥達が好んで集うような美しい音色を発する。

 その平穏にして柔和な音がヴァネッサの鼓膜を震わせると…彼女の足がガクンと力を失い、動きが一瞬止まる。

 ――効果覿面(てきめん)だ。パバルは口角を大きく吊り上げ、(わら)う。

 (女の子を直接手に掛けるのは、良い気がしないけど…これは聖戦だからね。

 終わらせる…!)

 パバルはラッパを、ブオオォッ、と鳴らす。転瞬、ラッパの口から強烈に圧縮された空気の奔流が噴出、行き足の止まったヴァネッサへと容赦なく注いでゆく。

 「お嬢ッ!」

 水晶の騎士達がゴキゴキと音を立てながら声を上げ、ヴァネッサの前に躍り立つ。直後、大気の奔流は激しい渦を巻きながら騎士達の身体に激突。ガリガリガリッ、と酷く耳障りな掘削音が響き、騎士達の体表から水晶の破片がバラバラと砕け舞う。

 この轟音の中でも、竪琴の美しい音は掻き消されない。まるで割れた大海の中を進む聖者のように、音色は明確に空間に響き渡り、水晶の騎士の向こう側で辛うじて立っているであろうヴァネッサの耳に届く。

 その影響は、絶大だったのであろう――水晶の騎士達の声が、まるで舌が泥にでもなったようにモゴモゴと濁ると。石をぶつけられた薄い硝子のように派手な亀裂がビキビキと幾つも走ると――騎士たちは一斉に、輝く(れき)と化して粉々に砕け散った。ヴァネッサによる魔力供給が遂に不全となり、激しい大気の奔流に抗えなくなってしまったようだ。

 そして、煙る霧のような結晶の粉塵の向こうには――両膝を大地に着いて(くずお)れ、力なくうなだれるヴァネッサの姿。

 その余りに(はかな)く、(もろ)い姿へと、容赦のない大気の暴力が一瞬にして肉薄し――飲み込む。

 

 堅固な水晶すら砕いた奔流が、柔らかな肉体を貪ったのならば、どうなるか。嵐に散らされる花弁のように、血肉が無惨に舞い散る様は余りに明白である。

 …そのはずだったのだが。

 (手応えが…ない!?)

 パバルは予想だにしなかった感覚に、仮面の舌で眼を見開く。

 ヴァネッサの肉体は、まるで雲か霧かのようにフワリと渦巻く、そのまま吹き散れて消えてしまう。凄惨な血肉の舞いなど、全くない。

 ただ、虚しく、消えただけ。

 (どういう――)

 胸中の問いをスッカリと言葉にするより早く。パバルの周囲に、激しい異変が起こる。

 

 バキンッバキンッバキンッバキンッバキンッ! 連続する耳障りな音は、砕け散った水晶騎士の破片が生み出した粉塵を吹き散らせながら、巨大に鋭く林立する結晶の剣山が(そび)え出す音だ。

 (まばゆ)い純白の魔力励起光を放つ剣山は、黒い『天使』達を容赦なく貫くと、黒い煙へと昇華させる。そして剣山は、『天使』のみならずパバルに対しても例外なく厳しく襲いかかる。

 (おいおい、どういうことだッ!?)

 どう考えても、ヴァネッサの仕業だ。

 だが、演奏の影響を受け、精神が過剰に沈静化し、脱力したはずの彼女が…どうやって、こんな攻撃的な行動に出れたのだ!?

 パバルは跳び回りながら剣山の林立を回避し、あるいはラッパが放つ大気流で破壊しながら立ち回る。が、剣山の生成の勢いは全く緩まない。それどころか、速度増して、パバルの余裕を奪ってゆく。

 更には、空中に漂う結晶の粉塵もまた、厄介な存在と化す。ミリ単位にも満たないはずの結晶はみるみる内に成長すると、氷柱(つらら)状になって降り注いでくる。結晶は個々で見れば単色を呈しており、混合物ではなさそうだが、如何せん多種多様すぎる。固有振動による破壊では、捌ききれない。

 (クソッ、なんてこった、なんてこったッ!)

 パバルは胸中で毒づきながら、ラッパあらゆる方法へと滅茶苦茶に振り回しながら、飛来する氷柱(つらら)を粉砕し続ける。これを成せば成すほど、大気中には結晶の粉塵が充満し、それらは更なる大量の氷柱(つらら)を生み出してしまう。

 (クソッ、クソッ、クソッ!!)

 身につけた黒い外套も総動員し、滅茶苦茶に動き続ける、パバル。その時だ――。

 眼前の粉塵の(もや)がフラリと動いたかと思うと――突如、その向こう側から氷を思わせる美しいグラデーションの掛かった青色の髪が現れる。

 ――ヴァネッサだ。

 迫り来る彼女の表情を見やったパバルは、仮面の向こう側で表情をひきつらせる。

 (馬鹿な…ッ!)

 彼はそこに、紅潮して弛緩した――一見すると"だらしない"とも称せるような――笑顔か、それにしたにた表情を予測していた。だが、実際に在るのは――髪の色がそのまま顔面に伝わったような、閑寂が凄みを帯びたような、陰鬱なる堅い表情。

 ポジティブや穏やかといった言葉に全く見合わぬ、想像だにしなかった表情。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 ヴァネッサはパバルを討つべく、一計を案じた。

 パバルが、怒りの抑え込みを利用して、感情に干渉してくることは読めた。だからそれを逆手に取って、致命的な隙と焦燥を与える策を講じた。

 パバルの演奏を耳にした際、脱力を起こしたのはフリではない。実際に彼女は感情へ干渉され、数々な過度の沈静反応に襲われた。

 だが、それは全て、パバルを策に陥れる為の布石であった。

 

 パバルが大気の奔流で(もっ)て水晶の騎士を粉砕した時には、ヴァネッサはもはや騎士の背に甘んじてはいなかった。

 それにも関わらずパバルが騎士の向こう側にヴァネッサの姿を見たのは、結晶の粉塵が映した映像である。ヴァネッサは水晶の騎士を形成する物質の構造を変化させ、ある種の魔力に応じて液晶のように映像を投影する結晶を仕込んでいたのだ。

 パバルがヴァネッサの幻影を大気の奔流で粉砕した頃。ヴァネッサ当人は結晶の粉塵に紛れて、パバルの隙を(うかが)い、懐に飛び込むタイミングを計っていた。

 

 感情の干渉に影響されているはずのヴァネッサが、身体への影響を振り切って自在に行動を取れた理由――それも、ヴァネッサの特有の能力である、結晶を操る力に起因する。

 感情への干渉により、ヴァネッサの脳内には鎮静効果のある種々のホルモンが分泌された。これが体内を巡るがままにしておけば、ヴァネッサの身体は未だに鎮静の檻の中に捕らわれていたことだろう。

 ――さて、ホルモンも所詮は化学物質。凝結させ、固体化する――つまり、結晶を作り出すことが出来る。

 これを利用し、ヴァネッサは自らの脳内で生産される鎮静系ホルモンを片っ端から結晶化し、体内へ循環するのを防いだのだ。

 これは勿論、リスクを伴う方策だ。

 脳内でホルモンを結晶化し、その循環をせき止めるという事は、脳内の血流を初めとする内分泌器官を栓塞させるということだ。脳は神経の塊である一方、痛覚などの感覚が存在しないため、頭痛などの劇的な刺激を受けることはない。だが、一歩間違えば脳血管の破裂を招き、意識の混濁も引き起こす致命的危険を孕んでいる。

 更に、セロトニンを初めとするホルモンが欠乏する形となるため、高揚感や幸福感とは真逆の感情――抑鬱症状が鎌首をもたげてくる。ヴァネッサの表情が陰鬱なのは、この症状が少なからず起因している。これも度が過ぎれば、彼女の思考の足枷となり、これまた致命的な事態を呼び込みかねない。

 

 正に、身を削る一計だ。

 だが、その甲斐は充分に在った。ヴァネッサは今、パバルの至近距離に迫っている。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 「クソォッ!」

 パバルは思わず声を上げるものの、外套による防御も間に合わず、巨大な竪琴を振るう程の間もない。

 がら空きの懐に肉薄したヴァネッサは、宙舞う結晶の粉塵から、一振りの鋭い剣を作り出す。ギラリと剣呑な輝きを放つ鋭い輝きは、その切れ味の凄絶さを物語る。

 ヴァネッサは、この剣を容赦なく、パバルの脇腹に叩き込む。

 ゴキリッ、と云う音は肋骨が砕けた音。バシャンッ、と云う音は筋肉下の血管が破裂し、派手な血の噴出が起こった音。

 水晶の剣は、パバルの身体にズブリと潜り込み、背骨を目指して進む。

 (ああああああッ!)

 激痛に思考を支配されながら、パバルは歯を食いしばり、自らの体組織の隅々に行き渡る呪詛を総動員。細胞を硬化すると、水晶の剣がこれ以上体内へと潜り込むのを防ぐ。

 しかし、ヴァネッサは斬撃に(こだわ)りはしない。剣がこれ以上進まないと見るや、未練など一片も抱かず、パッと手を離す。

 とは言え、ただで剣を諦めたワケではない。ヴァネッサは手を離す際に剣の結晶を操作。巨大な毬栗(いがぐり)のように四方八方へ鋭い針状の結晶を成長させ、パバルの堅くなった体内に少しでも損傷を与える。

 (クソッ、クソッ、クソォォォッ!)

 パバルが脇腹の激痛に意識を向けている間に――ヴァネッサは右拳を握ると、再び中空の結晶粉塵から武器を生成。今度は刺剣(レイピア)を作り、逆手に構えると、パバルの眼球めがけて突き込む。

 仮面の向こう側で、パバルがブワリと冷たい汗を噴き出す。

 だが彼も、ただただ失意に陥って、悲惨な末路を待つだけではない。

 彼はこれが最期とばかりに、激痛を押し殺して鋭く短く吸気すると。最後に残った彼の武器――歌を、仮面越しに口ずさむ。

 

 それは、これまで彼が口にした歌の中で、最も麗しく、美しい旋律を持つ歌だ。まるで、早春を過ぎ、長閑(のどか)で眠気を誘うような陽気を運ぶ、桜の花びらをチラチラと舞わせる暖かな微風のような歌声。

 その渾身の歌は、ヴァネッサの鼓膜を震わせると――彼女の脳に、結晶化したホルモンを弾き飛ばす程の激烈な内分泌を促す。

 その結果、ヴァネッサの視界は純白に染まり――一瞬の後、とある光景を視覚野に描き出す。

 

 澄み渡った蒼穹の快晴の下、柔らかな新緑で満ちた草原が地平線の彼方まで広がっている。吹き抜けてゆく爽やかな涼しさの微風が、新緑をサラサラと静かに揺らして音を立てる。風に運ばれる新緑の放つ清々しい香りが、鼻孔を優しく(くすぐ)る。

 色彩は醒めるような鮮やかさを持ちながらも、決して目に五月蠅(うるさ)くはない。むしろ、鼓動すらも止めてしまいそうな穏やかさが、網膜を通して大脳や心臓にじんわりと()み込んでゆく。

 地上の楽園と形容してもおかしくない、平穏な光景の中。立っているのは、ただ2人のみである。

 1人は勿論、ヴァネッサだ。突如の視界の転変に戸惑いつつ、グラデーションの掛かった青髪を風に撫でられるまま、呆然とその場に立ち尽くす。

 彼女から数歩離れた距離に、もう1人の人物が立っている。穏やかな笑みを浮かべて、草原に(そび)える大樹のような安堵を喚起させる存在感を放つ"彼"を、ヴァネッサはよく知っている。

 彼女が恋い慕う星撒部の同僚、イェルグ・ディープアーだ。

 「やあ、ヴァネッサ」

 声をかけるイェルグが(こぼ)す笑みは、白いマーガレットの花のよう。爽やかで美しく、それで居て凛とした存在感を放っている。

 その笑みを見たヴァネッサは、まるで夢の世界を見ている時のように、全ての不連続や不整合を無視して、この光景にのめり込んでしまう。ついぞ先ほどまでパバルと死闘を繰り広げていたことなど、水泡と化して消えてしまったようだ。

 「イェ…ルグ…」

 ポツリと呟いたヴァネッサの元に、イェルグが静かに歩み寄る。そして、クリーニングしたてらしい、パリッとした制服姿の彼は、ヴァネッサの身体に覆い被さるようにして、優しく抱き締める。

 「イェルグ…! ちょっと…!」

 ヴァネッサは恥ずかしげに声を上げる。これが幻想の光景であることもすっかりと忘れて。

 何せ、イェルグの身体から伝わる体温や筋骨の質感は、全く以て現実の彼と変わらないのだから。

 イェルグはヴァネッサを抱き締めたまま、耳元に口を近づけると、悪戯っぽく息を吹きかけながら告げる。

 「愛してるよ」

 その言葉を聞いたヴァネッサの反応は――顔を真っ赤に染めるでも、心拍を激しく加速させるでも、息を飲むでも――無かった。

 ――彼女の顔が能面のように堅く、静まり返ったのだ。

 甘い恋人の(ささや)きに対しては、あまりにも不釣り合いな反応。

 そして、ヴァネッサの唇は冷徹に一言、言い捨てる。

 「誰ですの、あなた」

 

 転瞬、ヴァネッサを包む光景が一気に転変。

 モザイク工芸の表面が剥がれる様子が高速で再現されるような有様で風景が瓦解し、ヴァネッサの意識は現実に引き戻される。

 今、彼女の眼前に居るのは、距離を取るために跳び退くことを試みるパバルの姿だ。

 ヴァネッサはギリリと不愉快そうに歯噛みすると、逆手に持った刺剣(レイピア)を突き出し、パバルに突撃する。

 ズン…ッ! 鈍い感触は、パバルの肩口に結晶の刺剣(レイピア)が深く突き刺さったことを物語る。

 「ッ!!」

 パバルは仮面の下で息を呑んだと思いきや。

 「あああああああああッ!」

 声帯を破壊する程の絶叫を上げて、その場で悶え始める。

 同時に、肩口に刺さった刺剣(レイピア)の結晶はピキパキと(ささや)くような音を立てながら成長。やがては巨大な毬栗(いがぐり)のような姿となり、肩付近の肉体にもザクザクと(トゲ)を突き刺す。

 パバルが悶えるのは、脇腹に加えて肩口にまで深い傷を負った事も勿論、大きな理由である。しかしもう一つ、別の主たる要因がある。

 ヴァネッサの刺剣(レイピア)を形成していた物質は、塩だ。これがパバルの身体に融合し、影響を与え続けていた呪詛に対して激しい拒絶反応を起こしたのだ。

 ――塩は、魔法科学の一派、意味学において"清め"の定義を強く持つ。旧時代地球における東洋宗教で、塩が厄除けに用いられた事はその一例である。

 ヴァネッサの魔力によって"清め"の定義を更に強化された塩がパバルの身体に潜り込むことによって、彼の細胞内に蔓延していた呪詛はゴッソリと浄化された――つまりは、消滅したのだ。これにより、呪詛により物理的・化学的性質を引き上げられていた細胞達は、単に性質の強化を失うだけでなく、反動による損傷を引き起こされてしまった。

 故に、パバルの身体中の至る所で身体組織が激痛と云う悲鳴を上げているのだ。

 更に細胞は、呪詛という支援機構を失った事によって衰弱する。その為、パバルの種族に由来する痩躯は更に痩せ細り、ミイラを思わせる悲惨な体格へと変貌してしまう。唯一腹部だけがポッコリと膨らんでいるのは、内側に収まっている内臓の体積ゆえだ。

 軽くなった体重を支える力すら失ったパバルは、糸の切れた操り人形のようにクニャンと膝を折って、その場に倒れる。骨の組織も弱体化してしまっているため、倒れた衝撃で腕や足が骨折してしまい、パバルを苛む激痛が増加。パバルは落ち(くぼ)んだ眼下から、熱い涙を絞り出す。

 パバルが倒れたまま、四肢を動かすことも出来ず、歯を食いしばって苦悶すること数秒後。ようやく歯噛みを解き、浅く早い呼吸を繰り返すようになった彼は、冷たくこちらを見下すヴァネッサに汗にまみれた苦笑を浮かべる。

 もはやパバルには、ラッパも黒い外套もない。呪詛はスッカリと抜けてしまい、単なる衰弱し果てた病体が、折れた木の枝のように転がっているだけだ。

 「鬼…だなぁ、君は…」

 パバルは掠れ果てた声で(ささや)くように語る。

 「君が…求めて止まない…最愛を…喚起したはず…なのに…アッサリ…振り切るなんてさ…」

 するとヴァネッサは嘆息すると、眉を怒らせる。彼女はすでに脳内のホルモン結晶化を解いている。彼女の感性は普段通りの、高飛車ながら乙女心を大事にするものに戻っている。

 「あんなの、わたくしが慕うイェルグじゃありませんわよ。

 あのアマノジャクが、あんなに恋愛ドラマのような事をするワケがありませんもの」

 「…君の…理想を…投影したはず…だったのにねぇ…自分の理想…にも冷静に…突っ込みを入れるなんてね…恐れ入ったなぁ…」

 ヴァネッサはそんなパバルの言葉には答えずに、周囲を見回す。そして、黒い『天使』や、それに混じって少数姿を見せている、紫が交戦していた存在(もの)と同様の化け物どもが消滅していない事を確認すると、片眉を跳ね上げる。

 ただし、パバルを助けるべく『天使』がヴァネッサに向かってくるようなことはない。獲物を狙ってか、鳶のようにクルクルと上空を飛び回るばかりだ。もしくは、ヴァネッサが作り出しておいてきた水晶の騎士で交戦しているか、だ。

 ヴァネッサは視線を髑髏のような面持ちと化したパバルに戻す。

 「あの呪詛どもが消えないのは、どういうことですの!? 術者であるあなたを無力化したと言うのに!」

 するとパバルは、力無くクックッと笑い、そして席混じりの血飛沫(しぶき)を2、3度吐いてから答える。

 「僕は術者ではあるけど…厳密に言えば…この呪詛全体の…術者じゃない…。

 僕は…この状況の…引き金を引いた…だけさ…。

 だから…先に言ったじゃないか…"もう襲い、感染は止まらない"ってね…」

 ヴァネッサはなるほど、と納得すると同時に、ギリリと歯を噛み締める。

 パバルは、"真の術者"によって呪詛を与えられて作り出された"偽"の『士師』であり、呪詛使いというだけ。この都市国家に席巻しつつある呪詛を作り出したのは、何処かに隠れて居る"真の術者"であり、彼または彼女を(たお)さねば事態は終結しない。

 「一体どこに居ますの!? 貴方に呪詛を与えた、"真の術者"は!?」

 噛みつくように問うものの、パバルはケホケホと血混じりの咳をしながら笑みを浮かべて、答えと全く関係のない言葉を紡ぐ。

 「痛くて…死にそうだ…。僕は…我慢が苦手…なんだよ…。楽に…してくれないかな…?」

 「わたくしに人殺しになれって、言いますの?」

 ヴァネッサは聞き返すと、目をスッと細めて冷たく反論する。

 「いいえ。貴方には生きていただきますわ。

 これだけの事態、莫大な命を(もてあそ)び傷つけておいて、無責任な死で呵責から逃れようなんて、そうは行きませんわよ。

 貴方にはこの罪を悔いながら、生き続けていただきますわ。それが貴方への一生涯に渡る罰となるでしょうね。

 それに…貴方には、わたくしの質問に答えてもらわなくてはいけませんからね」

 「…喋るワケ…ないだろう…」

 パバルがニヤニヤしながら答えるが、ヴァネッサは苛立つことなく冷徹に答える。

 「いいえ、語ってもらいますわ。

 いえ――正確には、語らせますわよ。あなたがどんなに拒んでも、わたくし達側には、あなたの意思をこじ開ける能力(ちから)があるのですから!」

 「それが…君達を率いる…"邪神"の力かい…」

 "邪神"。その言葉にヴァネッサはピクリと眉を動かす。言い方は悪くても、"神"の名を冠する言葉を出したと云うことは――星撒部の中に、『現女神』が居る事を知っている、という事か。

 「まぁ…良いさ…。"邪神"が居ようとも…最後に笑うのは、僕らだからね…。

 僕らの真なる主が…万の超える信徒を擁する、真なる神が…独り歩きの邪神なんて…必ずや、踏み潰す…!」

 パバルは言葉尻で語気強く言い放ったが。その反動が痛んだ体組織に響いたらしく、顔を思いっきりしかめて歯を食いしばり、暫く無言でブルブルと小刻みに震える。

 そんな往生際の悪さにヴァネッサが呆れた嘆息を吐いていると…ふと、彼女の背筋にゾワリと悪寒が走る。

 脊椎を撫でるというより、鷲掴みされるような、強烈な不快感。それは、高密度にして堅固な、莫大な呪詛の気配。

 ヴァネッサが振り向くと、そこには――大理石の様相を呈する天空を漆黒に染めて迫り来る、"ざわつく"黒雲が在る。

 「さあ…真なる主を迎える…開闢(かいびゃく)の怒濤が…やってくるよ…」

 ヴァネッサの背後でパバルが掠れ声を出す頃。ヴァネッサは手っ取り早く魔術で高倍率の水晶のレンズを中空に作り出し、"ざわつく"黒雲の細部を確認する。

 ――そして、息を呑み、歯噛みする。

 黒雲の正体は、勿論、水蒸気の塊などではない。それは、飛蝗(ひこう)の如く天文学的とさえ思える密度で終結した、翼羽ばたかす異形の群れ。

 その異形は、闇夜のような漆黒を呈する色彩をしている。サイズは大小様々で、サイズ差にはかなりの落差があるものの、どれもが同様の種別に分類可能な生物であると瞬時に認識出来る。

 大型爬虫類を思わせる顔に、長い首。コウモリを更に屈強にしたような翼に、獅子より数段力強い鱗の生えた獅子。極太の鞭のようにしなる、長大な尾。

 (粗竜(サヴェッジ・ドラゴン)!?)

 知性が低く、野生動物性の高い気性を持った、粗暴にして食物連鎖の頂点の一員を成す生物の大軍勢が、正に怒濤となって迫り来る。

 (一体…何を始めるつもりですの…!?)

 パバルの掠れた嗤い声を背中で受けつつ、ドラゴンの群れに剣呑な視線を注ぐ、ヴァネッサ。その頬には、凍りつくのではないかと疑うほどの冷たい汗が伝う。

 汗の滴が顎先に達した時のこと。ヴァネッサの制服の内ポケットで、通信端末ナビットが着信を示すバイブレーションとメロディーを発する。

 嗤い続けるパバルを後目(しりめ)に、ヴァネッサはドラゴンの群に視線を注いだまま、ナビットを取り出して通信を開始する。

 展開された3Dディスプレイの中、映し出された相手は――。

 

 - To Be Continued -

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