星ヲ撒ク者ドモ   作:眼珠天蚕

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Inside Identity - Part 14

 ◆ ◆ ◆

 

 ――ここで少し、セラルド学院2年3組の秀才男子、本樹(もとき)(しゅう)について語る。

 彼は幼い頃より、名に負けぬ文武に秀でた少年であった。とは言え、彼が"秀才"であって"天才"でないのは、彼の実績は(ひとえ)に地道にして素直な努力の賜物(たまもの)であり、天賦の才ではなかったからだ。

 生真面目に学び取り、復習し、苦手と向き合い、克服し、前進する。同年代の子供達に比べると、遊びよりも学問に打ち込む――いや、秀にとっては学問に打ち込むことこそが楽しみだったのかも知れない――ばかりであった。

 いつしか彼は、地元の者達から"神童"として一目置かれるようになる。その評価はこそばゆかったものの、悪い気は全くしなかった。むしろ、胸が高鳴り、誇らしい気分で胸が一杯になった。

 ――この事実を自覚した時、秀は自分が、他人から褒められて認められる事を渇望する性分であると理解した。

 この渇望に突き動かされるまま、秀は他の同年代の少年少女達の動向など気にせず、ひたすら我が道を進み続ける。そして何時しか彼は、地元だけでなく世界中から褒められることを望み、地球で最高峰の教育機関であるユーテリアへの入学を望むようになった。

 

 ユーテリアは、門口がだだっ広い学園である。入学を望む生徒は、余程の問題がない限り、入学を認められる。

 秀ならば入学は問題ないし、その後の高度な教育にも苦戦することなく、付いていけた事だろう。

 だが実際の彼は――中学校卒業後、ユーテリアの扉を叩くことをせず、生まれ故郷の高等学校に進学した。

 

 彼の渇望の足を留めたもの。それは、同世代の少年少女と組みせずに、独走を続けていた彼にとって、皮肉な要素――恋慕、だ。

 彼が渇望を捨ててまで心情の大半を向けるようになった相手――それが、現在の2年3組の"歩くスピーカー"美樹・ジェルフェロードである。

 

 美樹と秀とを比べると、そこには天と地ほどの大きな差がある。

 神童とまで称される秀才である秀に対して、美樹は赤点スレスレの常連だ。学問に打ち込む秀に対し、美樹が打ち込むのは交友関係ばかり。学校には友達に会い、そして遊ぶために来ているようなものだ。

 口を開けば、学校の内外問わず、ゴシップの事ばかり。薄っぺらい話題を情感たっぷりに込めてまくし立てる姿は、始めは失笑が漏れるほどに滑稽に見えたものだ。学業本分の学生らしく、そのよく回る舌と頭を学問に使えば、どれほど有益な人生を送れるものかと、小馬鹿にして鼻で笑っていたのに。

 薄っぺらい話題を振りまきながらも、その快活さ、愛嬌、ポジティブな思考でクラスメートのムードメーカーとして働く美樹に、秀は段々と好意を見い出していった。

 学問一本、生真面目一筋の狭くて深い井戸の中に居る自分にとって、美樹は地表を広く暖める太陽のような存在となっていった。

 そして――中学生活も終わりを迎えようかと云う時期に、秀が何気なく――そして初めて――美樹と言葉を交わした時。零れんばかりの笑顔を浮かべて、ケラケラ笑いながら応じてくれた美樹の姿は、今でも脳裏に焼き付いている。

 「お、優等生君! ようやくあたしのアリガタイ情報に耳を傾ける気になったかね!

 これでこのクラスメートの耳は全部、あたしのものになったワケだ!」

 それまでは、一度も言葉を交わしたことがなかったと云うのに。分け隔てなく、いつも通りの快活さで接してくれた美樹に、秀は井戸底にも眩しく注ぎ込む陽光を見た。

 

 秀にとって美樹は憧憬であり、恋慕の対象でもある。

 そんな彼女が今、呪詛なる(けが)らわしい物を植え付けられ、快活とも愛嬌とも無縁な淫靡な姿を(さら)し、罪に荷担しようとしている。

 そんな彼女に対し、暴力で(もっ)て対抗したところで、果たして彼女は救われるのだろうか? 深く傷つけるだけではないだろうか? そんな不安は、不快な風となって胸中を吹き荒れる。

 だが――手をこまねいているよりは、全然マシのはずだ。

 待っているだけで、眺めているだけでは、太陽は手に入らない。あの時、何気なく言葉を交わした時のように…例え相手が遠い星であろうとも、踏み込めば少なくとも、近寄ることくらい出来る…!

 

 ◆ ◆ ◆

 

 "合わせろよ、秀!"――そんな怒声が、灰児の鬼気迫る表情から聞こえて来そうだ。

 そして秀は、その意図を汲み取った。小さく頷いて同意を伝えると、激痛で軋む身体に鞭打ち、自身の能力(ちから)を精一杯振り絞って、灰児と共に怒濤の如く美樹を攻め続ける。

 2人は言葉を交わすこともなければ、視線を交わすことすら稀だ。それでも2人は、以心伝心しているかのように、キッチリと役割分担している。

 攻めの多くを担うのは、秀だ。術式で構築した剣を手に、美樹とは至近距離を保ちながら、剣をぶつけ続ける。

 単純な攻撃力ならば、灰児の方が断然上だ。それでも灰児がサポートに徹しているのは、戦闘経験の豊富さ故に、戦闘に関してはほぼ素人の秀では思いが及ばぬ盲点を潰すためだ。

 実際、灰児は秀の行動を阻まぬように攻撃を繰り出す一方で、美樹が密かに設置する罠を虹色の隻腕で(ことごと)く破壊し、懸念の払拭に努めていた。

 

 美樹の強みは、自由自在にして威力の高い矢による遠距離攻撃と、相手の行動を規制する巧みな罠だ。

 矢の遠距離攻撃は、秀のように至近距離を保ち、攻め続けることで防ぐことができる。いくら美樹が呪詛によって『士師』化していると言っても、矢を放つには常人と同じく、弓つがえる動作を経なければならない。この動作を阻害してしまえば、美樹は矢を放てない。

 遠距離攻撃を封じられても、美樹には刃のように鋭い切っ先を持つ弓を武器にした接近攻撃がある。その一撃一撃は、普段の美樹の実力では信じられないほど、重くて強烈だ。とは言え、防御の上から骨をブチ折られるほどの威力はない。歯を食い縛りさえすれば、どうにか耐えられる威力だ。

 一方、罠は2人が経験した通り、矢をも超える厄介な攻撃だ。強力な術式で形成された罠は、一度()まってしまうと中々抜け出せず、破壊しようにも酷く労力を要する。

 では、罠が完全に形成される前…術式構造が不完全な内に叩いてしまえば良いのではないか? そう思案した灰児は、美樹の行動を注視し、罠の形成過程を観察した。

 結果、美樹には完成された罠を自在に配置する程の能力(ちから)がないことを確認した。罠を作る際、美樹は形而上相において、影を伸ばすように足下から術式を伸ばして任意の箇所へ配置。それから術式を流し込みつつ組み上げることで、罠を完成させるのである。

 罠の完成までに要する時間は、非常に短い。しかし、ゼロではないのだ――しかも幸いにして、灰児が気合いを入れれば対応出来る程度である。

 これらの行動を可能にした理由に、もう一つ大きな要因がある。それは、美樹は『士師』ながらも、厳密には"(まが)いモノ"であるが故に、『神霊圧』を発する能力を持たぬことだ。この能力を有していたのならば、灰児も秀も魂魄を干渉され、ロクに歩くことすら出来なかっただろう。

 ――こうして灰児と秀は、巧みに連携することで、美樹の強みを見事に封殺してみせている。

 

 「ちぃっ! 何なのよ、一般人(パンピー)のくせにッ!」

 美樹が紫に彩られた唇を歪めて毒づきながら、眼前から離れぬ秀に蹴りをたたき込み、弓を振るう。

 蹴りは秀の脇腹に突き刺さり、弓は秀の術式の剣の刀身に突き刺さって刃零れを誘発する。秀は露骨に顔を苦痛に歪めたが、その両脚が(くずお)れることはない。すぐに術式の剣に魔力を注いで修復し、嵐のように振るう、振るう、振るう――!

 一方で、灰児は美樹の周囲を疾風のように動きながら虹色の隻腕で床やら壁やらを滅多叩きにし、罠の術式を打破。黒紫色の術式が分解されて宙空に昇華されてゆくのを後目(しりめ)に、美樹の背後に回り込んで拳や蹴りを叩き込む。

 「くそっ、くそっ、くそぉっ!」

 美樹は罵声を上げながら、秀と灰児の苛烈な攻めに手を焼く。体組織を強化している呪詛のお陰で外傷は殆どないものの、思うように身動き取れないことには相当苛立っている。

 対する灰児や秀は、蓄積されたダメージに疲労も加わり、全身の筋肉が悲鳴を上げている状態だ。少しでも動きを止めたら、筋肉は鉛のように重くなり、滝のような汗を流して倒れ込んでしまうことだろう。

 それに、今は身体に鞭打つことも出来るが、この動きも長くは保たないだろう。美樹より先にスタミナが底を尽き、2人は脱力することになるだろう。

 その前に2人が美樹を呪詛から解放できるかと言えば…それは期待できない。彼らは呪詛に関して知識は多くない。そもそも、都市国家(くに)全土に影響を及ぼすような強烈な魔術を相手にしては、あまりにも分が悪すぎる。

 ――そう、灰児と秀の2人が呪詛の解放を担うのであれば、分が悪い。

 だが、彼女なら――ユーテリアにおける最強を自称して恥じぬ立花渚なら、どうであろうか?

 灰児も秀も、他力本願な思考で情けないという事は、重々自認している。それでも、他人(たにん)を頼ることで実現の可能性が格段に高まるなら、是非にも任せたい。

 特に、生命(いのち)の掛かった現状下においては、だ。

 (頼んだぜ、ユーテリアの怪物!)

 (立花さん、僕らの不甲斐なさを罵ってくれて良い! でも…!)

 (何の落ち度もねぇヤツを利用して、罪に荷担させるような外道は、許せねぇ!)

 (倒すことで、美樹さん達の呪詛が解放されるのか、その保証はないのかも知れないけど…!)

 ――そのいけ好かない『士師』を、ブッ潰してくれ!

 

 2人の強い意志は重なり合い、渚へ託される。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 一方…立花渚との交戦を続ける『義賊の士師』狼坐(ろうざ)は、焦燥に駆られている。

 (何だってンだ、この邪神はよッ!

 力の媒介たる『天使』を封じてるってのによッ!)

 亜空間中に身を潜めたまま、黒い『天使』(もど)きを拘束する渚の『天使』をチラリと見やると。見比べるようにして、渚の方へと視線を戻す。

 渚は相変わらず、『士師』と化したナセラや凜明との交戦を続けている。呪詛によって超常的に身体能力を高められた2人を相手にしていると云うのに、渚の動きは一向に鈍らない。巧みに攻撃を回避し、(ある)いは同士討ちさえ誘いながら、爆発的な威力の拳足を叩き込んでくる。

 この時点に至るまで、狼坐は黙って少女2人の健闘を見守るだけではなかった。渚の隙をついては亜空間から接近し、渚の体部を盗み取っていた。その結果、今の渚は左足首のみならず、右腕の骨を抜かれ、左眼球を失っている。

 それでも、渚の動きは全く鈍らない。

 体部を失った事実にショックを受けることもなく、即座に術式で代替品を生成。右腕で思い切り鉄拳を放ってくるし、左眼側に移動しても死角にはならず、視覚に全く支障がないかのように反応してくる。

 

 その全能感は正に神を想起させるものだが…狼坐にしてみれば、途轍(とてつ)もない怪物を相手にしているようにしか思えない。

 

 (『神法(ロウ)』無しでここまでやるってのは、どういう化け物だよ…!)

 ナセラの幽鬼を用いた斬撃を潜り抜け、凜明の嵐のような拳撃を受け止めて、渚は凜明を素早く背負ってブン投げて、ナセラに叩きつける。もつれあって吹き飛ぶ2人を後目に、渚は迷うことなく狼坐の元へと疾駆する。

 (おいおいッ! なんだよその、決断力!)

 狼坐は亜空間に潜んでいるものの、構わずに渚が足を大きく振り上げて、烈風を伴う踵を落としてくる。狼坐は優位なはずの状況に甘んじることなく、跳び退(すさ)って距離を取ったが、それは正解であった。何せ、渚の身体(フィジカル)魔化(エンチャント)の一撃は、亜空間内へと易々と干渉してきたのだから。動かずにいたのなら、脳天を割られるどころか、身体を両断されていたかも知れない。

 (このアマ…ッ! ブッ殺されるまで、止まらねぇのかよッ!)

 尚も追い(すが)るべく疾走する渚の元に、ダメージから立ち直った凜明が背後から組み付こうとする。だが、渚は野生動物もかくやと云う反射速度を発揮し、振り向きざまに衝撃波を伴う回し蹴りを放つ。凜明はまともに腹部に直撃をくらい、数歩吹き飛ばされる。

 そんな凜明の陰からナセラが飛び出すものの、渚は驚愕することなく、怜悧(れいり)に状況へと対応。刀が振り降りるより早くナセラの懐に飛び込むと、肘で鎧越しに鳩尾を強打。この一撃には黒点針のような練気が伴い、ナセラの内臓を鋭い一撃が貫く。

 凜明もナセラもダメージは受けているものの、呪詛によって強化された身ゆえ、非常に早く立ち直って渚に立ち向かい、嵐のように攻め続ける。その全てに(ことごと)く対応する渚の顔には、灰児達のような疲労感は全く見受けられない。渚もまた、呪詛によって身体能力を底上げされているかのように感じる。

 …もしくは、ただ単に彼女の身体能力が化け物なのか。そんな化け物じみた能力を身につけるのに、『神法(ロウ)』無しで一体どれほどの修練を積んでいるのか。

 (こりゃあ、千日手になろうとも、投了しねぇんじゃねぇか!?)

 狼坐はギリリと歯噛みしながら、渚を仕留めるべく策を思案する。

 

 そして、ふと、ある考えに思い至る。

 それは至極自然な思考で、交戦時にはいつでも真っ先に思いつく考えだ。それでも渚に試さなかったのは、成功の見込みがあまりにも小さく感じたからだ。

 その考えとは、すなわち、心臓を直接奪い取ってしまう…というものだ。

 生命活動の要を担う心臓を奪うことが出来れば、相手が渚だろうと勿論、死を免れることは出来ない。即死に至らなくとも、至極短時間で生命活動は停止する。

 この単純明快な攻撃を行わない――いや、行えないと判断するには、魔法科学的な事情がある。

 生物の体内は、形而下の物質に対して免疫機能が備わっているように、形而上の術式においても干渉に対する堅固な耐性がある。その理由として、生物の魂魄に由来する高密度の定義式塊が持つ恒常性に起因すると説明される――すなわち、魂魄はその形を強固なまでに保とうする性質があり、外界からの変化を弾き返してしまうのだ。

 この事情が存在しないならば、狼坐でなくとも、魔術を使って直接内臓を攻撃する手段を真っ先に検討することであろう。

 一方、魂魄の恒常性がいくら強固であろうとも、充分な魔力(エネルギー)を与えることで突破することは可能である。その"充分"を満たすエネルギー量は往々にして甚大であり、相当の努力を費やしたところで成果を出せる見込みは極めて少ないのが現実だ。

 だから、魔術を用いようとも、超異層世界集合(オムニバース)中の術者の大半は内臓への直接干渉を現実的な攻撃手段として検討しない。

 一方、自然法則を超越する『神法(ロウ)』の加護のある『士師』ならば、魂魄の恒常性を打ち破れる――或いは、無視することが出来る。以前の狼坐がそうであったように。

 現在の狼坐は高々『士師』(もど)きだ。彼を加護するのは神聖なる『神法(ロウ)』ではなく、呪わしい呪詛である。

 それでも狼坐は、これまでの交戦において、渚の体内への干渉に成果を残している。

 彼女の右腕の骨、そして左の眼球。これらを奪取することが出来たことが、その証だ。

 その成果が、狼坐の呪詛が強まった事に因るものなのか。それとも、渚が疲労等の理由によって魂魄強度が低下した為なのか。その要因ははっきりとしないが…それは重要ではない。

 (もうそろそろ、オレの腕は…アイツの心臓に届くンじゃねぇのか!?)

 狼坐は亜空間の中で固唾を飲み下し、そしてニンマリと(よこしま)な嗤いを浮かべる。

 

 そして狼坐は、この非道なる策を実行に移さんと、蠢き始める。

 

 呪詛の依存関係上、ナセラと凜明は狼坐に従属している。そこで狼坐は彼女らの意識に直接接触し、指示する。

 (邪神(あいつ)を正面に引きつけろ!)

 ナセラも凜明も、素直に指示を受けては速やかに行動に移す。

 これまで挟み撃ちを定石としていた2人の攻めは一変し、渚の正面一方向となる。この変化に対して、渚は何かを感じ取った様子はない。――いや、通常の感覚で考えれば、感じ取れる余裕などないのだ。

 これまでも充分苛烈立った攻撃が、1方向に集中することで手数が激増。(さば)くのに手一杯で、余計な思案など出来ようもないのだ。

 その証に、拳と刀の嵐を前に、渚の顔はこれまで見せたことのない苦しげな歯噛みを見せている。2つずつの手足だけで、変幻自在、そして致命的な威力を持つ4つずつの手足に対応しなければならない。

 相手がいくら『現女神(あらめがみ)』であろうとも、『神法(ロウ)』を媒介する『天使』を動かせぬ状態では、ただの人間だ。ただし、技量が化け物並の人間ではあるが、それでも化け物並の攻め手に対しては、拮抗状態を保つしか出来ない。

 ――この拮抗状態の合間を、突く。

 

 狼坐は亜空間の中を疾風のように駆け、渚の懐に肉薄する。

 そして、ナセラと凜明の攻め手の嵐に(まぎ)れて、スルリと邪悪な腕を伸ばす。

 果実を掴み取るように、少し指を曲げた掌は、易々と渚の胸の中央へと至り――痛んだ制服の乾いた布を感触をカサリと掻き分けて、その中に入り込む。

 暖かく、(すべ)らかな少女の皮膚が指に染み込んでくる。(よこしま)な興奮に鼓動が跳ね上がるような想いを抱きながら、狼坐は更に腕を伸ばす。

 ズブリ――狼坐の指は遂に、皮膚、筋肉、そして肋骨を突き抜け、胸腔に入り込む。血肉の生暖かく、柔らかな感触に、狼坐の(ゆが)んだ口元から(よだれ)がダラリと滴る。

 血流がジクジクと皮膚を刺激する体内を更に進み――遂に狼坐は、熱く、そして力強く鼓動する、強壮なる生命の源にたどり着く。

 この臓器こそ――心臓だ!

 狼坐は暴力的に、この臓器をギュッと握り締める。

 転瞬、渚の身体がビクンと痙攣。一瞬で両眼が見開かれ、瞳孔がギュッと縮む。顔色が真っ青になり、冷たい汗がブワリと滝のように噴き出す。

 狼坐の目論見は、完全に、成功した!

 (さあ、頂くぜ…テメェの生命(いのち)、そのものをな!)

 狼坐は掴んだ心臓を、力任せに、思い切り掴みんで引っ張る――その時。

 

 (あ…れ?)

 興奮するほどに意気揚々としていた狼坐の顔が、嗤いの形のままグニャリと歪み、固まる。

 ――腕が、まるでコンクリートの中にでも手を突っ込んでしまったように、1ミリも動かない!!

 

 ◆ ◆ ◆

 

 グイッ――狼坐の伸ばした右腕を痛いくらいの力で掴む手がある。

 それは、渚の左手だ。

 (何…で?)

 現状をうまく把握できない狼坐が、亜空間越しにキョトンと渚の顔を見つめると。そこには、青ざめた顔色も、噴き出した冷や汗も、今や微塵も見えぬ凄絶な笑みを浮かべた、渚の顔がある。

 その表情が狼坐に、小馬鹿にしたような言葉を突きつけている。

 "大馬鹿者じゃのう"、と。

 (おいおい…あの2人は…!?)

 狼坐は渚を引き留めていたナセラと凜明の姿を視線で追う。今も苛烈に攻め続けていれば、渚のこんな行動など許さないはず!

 しかし狼坐は、現状を把握して、愕然とする。ナセラも凜明も、練気か身体(フィジカル)魔化(エンチャント)か…はたまたは、その両方か…を受けて、小石のように吹き飛び、床に倒れ伏している。

 呪詛の加護を受けている為、彼女らは常人よりは何倍も素早く復活することだろう。だが…そんな事実は、今の狼坐に対して何の救いにもならない。

 相手は――立花渚は、その短時間で確実に致命傷を与えてくる、化け物なのだから。

 (クソ、逃げ…)

 狼坐は腕を振りきって、亜空間の奥へと逃げ込もうとするが…渚の手はギリギリと万力のように狼坐の右腕を握り、決して逃さない。

 そればかりか、グイッと引っ張られたかと思うと、狼坐の身体は亜空間からズルリと引きずり出される。

 渚の小柄な体格からは想像も出来ない、山が動いたような、強大な筋力!

 (おいおいおい、待てよ、待てよ、待てよ…ッ!)

 今度は狼坐が顔を青ざめさせ、冷や汗でビッショリと濡れる番だ。上半身のほぼ全てを亜空間から引きずり出された狼坐は、無防備だ。体勢も崩れ、下半身の動きで抵抗することもままならない。

 (こいつ、こいつ、まさかよ…!)

 狼坐はオロオロと揺れる眼差しで、意地悪く、凄絶に嗤う渚の顔を直視し、動揺する。

 (誘ってたのかよ!? オレが直接内臓を掴みに来るのを!?

 ンな馬鹿な、そんなのリスキーにも程がある、割に合わねえだろッ!)

 

 狼坐の狼狽した憶測は、的中である――渚は、待ち受けていた。亜空間に潜む狼坐が、おいそれと逃げ出せないほどに接近してくる瞬間を。

 正直、ナセラや凜明、そして美樹を[[rb:斃>たお]す算段はある。だが、利用されているだけで何の非も無い彼女らを再起不能にする愚行を、渚は良しとしなかった。

 故に、形而上視認で従属関係を把握した渚は、3人の少女を狂わせた狼坐のみを標的にした。

 右腕の骨や左眼をくれてやったのは、全て仮初(かりそ)めの安堵を与える為の布石だ。その能力の性質上、必ず致命傷となり得る臓器を直接奪取に来ると予測した上での、策略だ。

 そして狼坐はまんまと渚の思惑通り、胸腔に手を伸ばし――渚は体内の恒常性を強化して、彼の腕を絡め取った。

 

 後は、憎きこの姦賊に鉄拳制裁を行うだけだ。

 

 左腕をバタバタ動かし、せめてもの抵抗と防御とする狼坐。対して渚は、右の拳をギリギリと固める。力が入った拳が青白く灯るのは、拳に体組織が身体(フィジカル)魔化(エンチャント)を受けて魔力励起光を放っている証だ。

 狼坐が泣き崩れそうな顔を作って、その瞬間。渚は拳を烈風と化し、狼坐の胸部に叩き込んだ。

 (ドン)(ドン)(ドン)(ドン)(ドン)――ッ! 連続で叩き込まれる拳は、インパクトの瞬間、狼坐の胸を構成する体組織――いや、そのタンパク質を構築する分子達に強烈なエネルギーを与え、強制的に過剰な励起状態を作り出す。結果、分子からは束縛エネルギーを振り切った電子が強烈なガンマ線と飛び出し、狼坐の胸腔とその内臓を灼き貫く。

 衝撃と共に突き抜ける荷電粒子が狼坐の背中から5つの光の柱となって噴出し、教室の天井に激突。天井には穴には至らぬものの、ベッコリと凹んだ窪みが5つ、作り出される。

 胸部を荷電粒子と放射線に灼かれた狼坐は、大口を開くものの、吐血することさえ出来ず、グラリと脱力。亜空間に潜行する能力を維持できなくなり、ズルリと全身を形而下へと引きずり出す。

 これと同時に、3つの事象が教室内で起こる。

 1つ目は、教室中を満たしていた黒い『天使』達の消滅だ。その(ことごと)くが黒紫色の煙へと昇華し、宙空へと溶けて無くなってしまう。

 2つ目は、狼坐が能力(ちから)を用いて奪取した体部などの解放だ。渚は左足首に右腕の骨、左眼を取り戻したし、灰児の虹色の翼は一対に戻った。

 そして最後に、ナセラ、凜明、そして美樹が『士師』"擬き"から解放された。彼女らは一斉に脱力してその場に倒れ伏すと、身を包んでいた鎧が消え去る。ただし、この鎧は元は衣服だったらしく、3人の少女は丸裸の状態でその場に倒れることになった。この光景を見た秀は、特に想いを寄せる美樹の全裸に、顔から火が出るほど赤面する。

 灰児は背中の両翼が戻った事よりも、目にした渚の壮絶な(わざ)に驚愕し、目を点にして呆然と呟く。

 「う…わ…、エゲつねぇし…スゴ過ぎだろ…!」

 

 こうして、『義賊の士師』"擬き"との戦いは、終わりを告げる。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 「さぁて、のう」

 渚は骨が戻ってきた右腕の調子を確かめるようにクルクルと動かしながら呟くと、スッとしゃがみ込む。そして、その場に倒れて白目を剥いている狼坐の胸倉を掴むと、グイッと引き起こして、容赦ない往復ビンタをパンパンッ! と浴びせる。

 「それ、起きんかいッ!

 まだ呪詛の影響があるじゃろ、この程度はくたばらぬ筈じゃ!」

 頬が赤く腫れる始めた頃、ようやく狼坐は眼球をグルリと回して黒目を戻すと。正面で眉をしかめて睨んでくる渚の顔を見つけ、ヒィッ、と声を上げて身体をビクリと震わす。

 しかし、逃げようにも狼坐の四肢は先の渚の攻撃を受けて、ボロ雑巾のようにダラリと脱力したまま動かない。

 もうどうにもならぬと(さと)り切った狼坐は、頬をひきつらせながら精一杯の嫌味を込めてニヤリと嗤って見せる。…そう、もう笑うしかない。

 「…ひ、ひでぇ神も居たもんだ…。

 や、やっぱりテメェは…邪神だ…。

 こんなに…ボロボロにしてくれやがって…さ、更に、無理矢理口を割らせようとしやがる…。血も涙あった…行動じゃねぇ」

 「無差別に呪詛をブチ撒けて、散々生命の尊厳を(もてあそ)んだ貴様に言われる筋合いなぞないわい」

 渚が怖いほどに強ばらせた表情で、押し殺すような無感情な声を投げつける。狼坐は尚もニヤニヤしながら、プルプルと震える唇で減らず口を叩く。

 「な、何も…喋らねぇぞ…。

 こんなオレでも…真なる主に捧げてる忠誠は…本物なのさ。絶対に…邪神の思い通りになんて…なってやらねぇ…!」

 「別に、おぬしの意志がどうであろうと、わしは構わぬ」

 言いながら渚は、左の人差し指で狼坐の胸をトントンと(つつ)く。すると、いつの間にか渚の背後に浮かんでいた渚の天使が、細い鎖を渚の左腕に絡ませながらスルスルと狼坐の胸へと伸ばす。そして、小さな鍵の形をした先端が狼坐の胸に触れた途端――狼坐の胸に音もなく直線的な亀裂が放射状に幾つも走り、その中央には鈍い鋼色の(たた)える錠前が現れる。

 「おぬしの心を直接開いて、調べるだけじゃからな。

 今回の大騒動、その首謀者と呪詛の術者の正体と居場所。そして、二ファーナを隠した場所も、洗いざらい全てな…!」

 狼坐は気怠げに自身の胸に視線を送り、そこに現れた錠前や亀裂を見つめると、もはや笑いすら消えて、顔を濡らす汗の冷たさに凍えたように青ざめる。

 渚の所業には痛みはないが、この事象が何を招くのか。そして、この事象を起こした力がどれほど強大か。身に染みて理解し、畏怖を抱いたのである。

 

 さて、渚が狼坐の胸の錠前をいじり始めた頃。

 美樹との戦いを終え、背中の虹色の拳翼を仕舞い込んだ灰児が、渚の方に呆然と視線を向けながら、ぼんやりと呟く。

 「お前…『現女神(あらめがみ)』だったのかよ…」

 『天使』を伴った今、渚の身体からは神霊圧が噴出している。それはヒトの動きを止めるような威圧ではなく、森林浴で得るような清々しさである。…何にせよ、超常の気配は常人であろうともひしひしと感じ取ることが出来るであろう。

 …とは言え、秀は美樹を介抱するので夢中になっており、渚のことなど全く見ていないが。

 「うむ…まぁ、そういう事じゃ」

 渚は錠前をいじくる手を止めると、頬を掻きながら苦笑いして答える。

 「『現女神』ってのも、学校生活するもんなんだな…」

 「"神"なんぞ言われておっても、ちょいと『神法(ロウ)』なんて代物が使えるくらいで、ヒトと変わりないもんじゃよ。

 学業に励もうが、仕事勤めしようが、わしらからすれば何も可笑(おか)しくはないんじゃ。

 …まぁ、そういう事をやっておる奴らの数が少ないのは、確かじゃがな」

 「…この都市国家(まち)に来たのは…やっぱり、『女神戦争』に関係してるから…なのか?」

 「違う違う」

 渚はヒラヒラと手のひらを振って否定する。

 「純粋に部活じゃよ。

 この都市国家(プロジェス)を悩ませている奇病を解決するのが目的じゃったんじゃがな。

 こんな大層な事になるとは、夢にも思わなんだよ」

 「部活で、そんな大層な事に首突っ込むってのは…やっぱり、ユーテリア通いの『現女神』ってのは、格が違うもんなんだな…」

 「いやいや、『現女神』かどうかなんて関係ないわい。

 わしの純然たる個人的な信条じゃよ」

 「…信条って…一言で片づけるにゃ、器がデカ過ぎだろ…」

 そんな灰児の言葉に、渚は応じて何か口にしようとした…が。

 その言葉は、突如の異変によって、咽喉の奥へと押し込まれてしまう。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 ドォンッ! ドォンドォンッ!

 大気を震わし、窓のガラスをガタガタ鳴らす轟音が、空間に鳴り響く。

 同時に、教室に降り注いでいた曇天の陽光が一気に(かげ)り、積乱雲の真下に居る時よりも暗い――もはや陽が沈んだ時のような闇が訪れる。

 「な、なんだ!?」

 騒ぐ灰児と共に渚が窓の外へと視線を向ける。

 その一方で、狼坐が乾いた嗤い声をケラケラと上げている。

 「始まったなぁ…我らが主の再臨の儀式、いよいよ大詰めさ…!」

 渚達が注ぐ視線の先には、漆黒に塗り潰されゆく天空が広がっている。未だ漆黒に染まらず、大理石色を呈する曇天が覗く箇所も点在しているが…その箇所に、これまた漆黒の色を呈する小型の(ドラゴン)がツバメを思わせる姿勢で高速で飛来。直後、ドォンッ、と音を立てて弾け、"花火"を発する。その"花火"は祭りの夜空を彩る色彩豊かなものとは真逆の、墨のような真闇の炸裂である。そして広がった"花火"は、陽光を吸い込みながら、まるで翼を少しだけ広げ、ローブを着込んだ天使のような形状に広がりながら、空を漆黒に変えてゆくのだ。

 この漆黒を見つめる渚も灰児も、頭の中にズキン、とした衝撃を感じる。

 (あの"花火"も、呪詛じゃな!)

 渚は直感してギリリと歯噛み。そして即座に魔力を集中させ、呪詛からの干渉を魂魄から弾き出す。

 灰児も、そして美樹を介抱していた秀も、渚に習って呪詛の干渉を弾き出す。この"花火"の干渉は、先の濁声による干渉に比べると、影響力は数段劣るようだ。だが、充分な対抗手段を持ち合わせていない住民達には、影響はそれなりに深刻だ。

 「クソ! また何か始まるのかよッ!」

 灰児がウンザリした面もちで毒づいた――その時。

 

 渚の制服の内ポケットの中から、ナビットの着信を告げるメロディと振動が発生する。

 (何とも厄介な嵐に見舞われたものじゃわい)

 渚は苦笑しながら、制服の内側に手を突っ込み、ナビットを掴んだのだった。

 

 -To Be Continued -

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