星ヲ撒ク者ドモ   作:眼珠天蚕

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Under The Serpent Hiss - Part5

 ◆ ◆ ◆

 

 「(エイ)ッ!」

 「(オウ)ッ!」

 ヴァネッサの両脇を走る水晶の騎士達は、気合一閃、手にした大剣を振るって地竜に叩きつける。

 地竜の群は強烈な衝撃に薙ぎ倒され、両手で草根を分けるように2分される。それでも地竜は頭を(ひね)って口を開くと、一瞬の吸気の後に火炎の息吹(ブレス)を吐き出す。

 十分な吸気のない息吹(ブレス)では含まれる魔力の質が低く、水晶の騎士を熔解(ようかい)させるにはあまりにも不十分だ。…それでも、ヴァネッサの肉体を焼き焦がすには寿分過ぎる熱量である。

 しかし――息吹(ブレス)の斜線軸上には、斃すべきヴァネッサの姿は全く見当たらない。

 彼女は宝刀の風を操る[r[b:能力>のうりょく]]を使い、フワリと宙空高く跳び上がっている。そして、半月を描くように素早く剣を振り下ろすと、刀身にまとわり付いた渦が吹雪の塊となってマキシスに迫る。

 (その程度で、怯むかァッ!)

 マキシスはすかさず竜翼を羽ばたかせ、飛び上がる流星と化して自らヴァネッサの放つ吹雪の塊へと突っ込む。竜鱗の鎧の強度を(たの)んでの、無謀とも言える突撃だ。

 吹雪の中は飛び交う高密度の結晶は勿論のこと、風自体が生み出す大気の刃が絶えずマキシスの全身を四方八方から襲いかかる。

 竜鱗の鎧は初め、マキシスの期待通り、果敢に結晶や大気の刃を弾き飛ばしてはくれた。しかし、壮絶な暴力的吹雪の連続は、遂に鎧の竜鱗をペキペキと引き剥がし始める。宙に舞い飛ぶ漆黒の竜鱗が、渦潮に揉まれる哀れな魚のように翻弄されつつ吹き散らされてしまうと、苛烈な刃が鎧の防御を易々と突き破って、バックリと裂傷を生み出す。

 「ヌゥアッ!」

 吹雪の中に舞い上がり、吸い込まれてゆく鮮血。その激痛を噛み殺しながらも、思わず漏れてしまう苦鳴。そこへ更に、鋭利な結晶の群がザクザクと剥き出しの血肉の中に突き刺さる。

 「ガァッ!」

 思わず大口を開いて叫ぶ、マキシス。その裂傷の中では、結晶がパキパキと音を立てて急速に成長し、大きなマキビシのような形状を取って肉を貫く。激痛は更に衝撃を増すと共に、傷ついた筋肉がダラリと脱力してゆく。

 それでもマキシスは、翼を止めない。血風を後方にたなびかせながら、吹雪の中を真っ向から弾丸のように進み――遂には、斬撃の嵐の中から脱出。凪の空の中央に、ヴァネッサの姿を捕らえる。

 (負けるか! 負けるか!

 ポッと出の外部の者、しかも学生風情にッ! オレ達の悲願を折られて(たま)るかッ!)

 マキシスは出血と筋繊維の破砕で重い腕に鞭を入れ、天空高くに手を伸ばすと。その挙動に応じるように、頭上より代償の漆黒の竜の群が急降下してくる。元が戦闘機、またはミサイルの竜達だ。前者は腹部から機銃を放ちながら火を吹き、後者は雷を吐き出しながら、ヴァネッサに突撃してゆく。

 そしてマキシス自らも、身体に刺さった無数の結晶に対して"(まが)い"の『神霊力』を付与。その一つ一つを竜頭と化し、ガチガチと牙を鳴らさせて威嚇しながら、ヴァネッサに突撃する。その姿は、さながら蛇の頭を無数に持った怪物ヒュドラのようだ。

 この上下からの攻撃に対しても、ヴァネッサは動じない。自らは"風鳴"の力で飛翔してマキシスに向かい、両脇に控える水晶の騎士達には頭上の竜群へ遣わすと。牙と息吹(ブレス)、そして大剣の刺剣(レイピア)の斬撃による応酬の嵐が起きる。

 

 水晶の騎士は炎で身体の一部を融解され、雷で砕かれたりしながらも、勇猛に大剣を振るって竜の頸を切り離す。

 竜は絶命と同時に信管の破壊されたミサイルへと姿を戻すと、大爆発を起こす。その衝撃に水晶の騎士の身体には亀裂が生じるが、苦にする様子はない。輝く積乱雲のような爆炎の中に自ら飛び込むと、他の竜を(たお)すべく、ますます勢い付いて剣を振るい続ける。

 一方のマキシスとヴァネッサの戦いは、正に電光石火の応酬だ。

 蛇のように小さくとも、炎や毒を吐き出す竜の頭が幾つも伸びてくる。それをヴァネッサは五月雨(さみだれ)のような突きの連続で弾き、または串刺しにしながら、鎧の剥がれたマキシスの肉体に切っ先を突き立てる。

 マキシスも負けてはおらず、ヴァネッサの剣をその身に受けながらも間を詰め、固めた竜の拳を振るう。それはヴァネッサの剣を弾き返しながら、脇腹や頬面を抉り、ヴァネッサに苦鳴を上げさせる。

 戦いの様相は、嵐と嵐のぶつかり合った竜巻のような展開と化す。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 マキシスのヴァネッサへの執着は、"チェルベロ"の機動部隊に対して幸いを運んでくる。

 (すなわ)ち、マキシスの集中が(おろそ)かになった為に、竜達の動きが鈍り始めたのだ。中には、竜の姿を維持出来ぬ個体も現れ、元のミサイルや弾丸、戦闘機へと戻ってしまうものもある。

 こうなると"チェルベロ"の仕事は楽に(はかど)り始める。漆黒の鎧を着込み、身体を風と化す『士師』"(もど)き"の存在は未だに驚異だが、竜との連携がちぐはぐになりつつある中、その驚異度はずっと減った。『士師』"擬き"の意図に合わせてバランスを調整してくれていたはずの竜の動きが乱れ、『士師』"擬き"達の動きはぎこちないものとなった。

 (このチャンス、みすみす逃すワケないだろッ!)

 機動隊達は隙を逃さずに、重火器や近接武器で彼らと応戦。弾丸や刃には対象の神経系統や筋組織の運動を抑制する術式が込められている。『士師』"擬き"達は混乱の中で満足な回避行動を行えず、次々と直撃を受けては、蛍光色の魔力冷気光を放つ輪状の術式拘束具に束縛され、宙空に張り付けとなる。

 機動隊達は推進機関を吹かして彼らの元に進むと、小さな筒上の注入器で首筋に霊薬(エリクサ)をプシュリと注入。途端に、各種細胞内の呪詛が浄化され、『士師』"擬き"の体内から黒紫色の蒸気が立ち昇る。同時に、『士師』"擬き"の鎧が霧散して消滅し、後に残るのは服越しにも鍛え抜かれた肉体の分かる軍人の体躯だ。

 「よし、確保しろッ!」

 無力化の通信を受けた隊長は、都度そう返答すると。隊員達は拘束された軍人達の腕をひっつかみ、宙空に展開した転移方術陣の中に放り込む。転移先は遠く距離を隔てた惑星リバル・μの"チェルベロ"本部敷地内、その留置場だ。厳重な封印術式が施されたそこで、完全武装した監視員の元、少なくともテロリズムの収拾が就くまでは監禁される。

 次々と制空権を取り戻すプロジェスの秩序勢力。その状況を更に盤石なものにせんと、手の空いた隊員は手にした狙撃銃を構え、マキシスに狙いを定める。彼を無力化すれば、プロジェスの空から漆黒の竜は駆逐され、争乱の半分が収まるはずだ。

 (あの怪物女子学生にばかり気を取られてやがるな…!

 戦場じゃ一対一なんてこたぁあり得ないんだよ、1人相手に執着しすぎるテメェがバカなんだッ!)

 隊員が手にした狙撃銃の引き金に指を置いた、その時。彼らの体は、まるで絶対零度に近い冷気を真っ正面から浴びたかのように、ビクリと凍結する。

 彼を制したのは、なんとマキシスと真っ向勝負を挑むヴァネッサだ。

 彼女のグラデーションの掛かった(あお)い瞳は、激情の烈火を灯して抗議している。

 "邪魔をしないで! これは、わたくし達の戦いですわ!"

 その気迫に隊員の全身からブワリと冷や汗が吹き出す。丸腰で猛獣の(おり)に入ったのならば、このような剣呑(けんのん)な感覚を得られることだろう。

 (バカな! これは戦争だぞ!? 正々堂々も何もないんだぞ!?

 倒せる時に倒さなけりゃ、即座に禍根になっちまうんだぞ!)

 そんな抗議の叫びは、胸中に留まるばかりで声にならない。それほどにヴァネッサの剣幕は激しく、他人(ヒト)の手を寄せ付けない。

 

 ヴァネッサが隊員の助力を拒む理由。

 それは、彼女が騎士道を重んじる名家に生まれたから――という背景も、勿論組みしているだろう。

 だが、それ以上に彼女が考えているのは、眼前の『士師』の心を折ることだ。

 交戦した時から、ヴァネッサは読みとっていた。マキシスの(まなこ)に宿る、鋼のように強靱で猛火の如く激しい意志を。

 彼をただ倒した所で、彼の意志は決して折れない。如何なる裁定を下され、如何なる罰を与えられようと、彼は反省もしなければ、非を認めすらしない。その命が尽きるまで、胸中に烈火を宿し続け、その火の粉を将来必ずや再度の戦禍へと燃え上がらせることだろう。

 それでは、プロジェスを救い出すことにならない。

 マキシスの心をキッチリと折り、(こうべ)を垂れされねば、禍根は消えない。

 

 (だから――真っ正面から――全力で――ッ!

 倒しますわッ!)

 

 ◆ ◆ ◆

 

 バキンッ! バキバキバキッ! ヴァネッサとマキシスの頭上で、激しい破砕音が響く。次いで降り注ぐ、大粒の雹を思わせる結晶の切片。

 ヴァネッサの水晶の騎士が2体とも、とうとう完全に瓦解してしまった音だ。

 だが、(たお)れたのは騎士だけではない。漆黒の竜達もだ。

 ミサイルから生まれた竜達は、既に爆炎となって粉微塵に消滅した。最後に残り、次々とミサイルと弾丸を発射しては竜を生み出していた戦闘機の竜も、その身を十字に切り裂かれて(たお)れた。精霊式ジェットエンジンの爆発と共に、大小の金属の破片が雨霰と降り注ぎ、地響きを上げて大地に激突した。

 そんな苛烈な豪雨の中でも、ヴァネッサもマキシスも怯懦に眼を細めることすらせず、ひたすらに牙と拳、剣と風の応酬を続ける。

 手数は、圧倒的にマキシスに軍配が上がる。前述のように、体中に突き刺さった結晶を片っ端から竜と化し、ヒュドラのように火や毒を吐きまくる。竜がヴァネッサの斬撃の元に破壊されても、今度はパックリと開いた傷口から噴出する血液を竜化して、絶え間なく襲い続ける。

 一方でヴァネッサは、いくら巧みに剣撃を放つと言っても、所詮は一本の刀身に過ぎない。烈風の加護が有ると言えども、竜は千切れて血風が舞う片っ端から、正に神話のヒュドラのように噴出した血液を使って体を再生。懲りずに果敢に襲いかかるのだ。

 そこでヴァネッサは、体の周囲に水晶の氷柱(つらら)を生成し、これらを矢弾のように放ってマキシスの無数の(あぎと)と拳撃に対抗する。

 拮抗(きっこう)する2人の体には、見る見る内に傷が増えてゆく。マキシスの体には無数の裂傷が開き、赤黒い筋組織の断裂が露わになる。一方のヴァネッサは、炎毒によって皮膚を()(けが)され、赤黒く腫れ上がり、中には破裂して出血する箇所もある。

 それでも両者共に、四肢が萎えることはない。傷を得れば、それがまるで燃料であるかのように互いの激情を煽り、更に体をぶつけ合う。

 その様相は、火砕流と津波が真っ向からぶつかり合い、激しい水蒸気と灰燼を撒き散らす光景を想起させる。

 

 (気圧(けお)されて、なるものかッ!)

 マキシスは時にギリリと歯噛みし、時には声無き咆哮を上げて、竜と拳を放ち続ける。

 彼の体組織は正直、今にも破裂しそうな悲鳴を上げている。呪詛による『士師』の力は、自然を超越せし真なる『神霊力』に比べれば、魔術の物真似である手品のようなものだ。エネルギーは無尽蔵ではなく、己の体を竜に変える程に疲労がズンと蓄積する。

 加えて、ヴァネッサの間断ない斬撃によって骨肉を抉られ、その激痛に苛まれる精神的負担も相当のものだ。大分(だいぶ)剥がれてしまった竜鱗の鎧の下には、もうもうたる蒸気を放つ滝の如き汗でビッショリと濡れている。

 それでも――今のマキシスは、例えこれより幾万、幾億の傷を得たとて、止まりはしないであろう。

 そんな彼を支えるのは、『夢戯の女神』ニファーナの傍に控え続けるエノクにも負けない、堅く揺るがぬ信念だ。

 (オレは必ず再臨させるのだッ! 己自身に二足でしっかりと建つ、強固なる都市国家プロジェスをッ!)

 市軍衛戦部における最強の勇士として名高いマキシスだが、その生まれは軍人や警察の家系であるような、立派なものではなかった。

 むしろ、彼の生まれ育った環境は、余りに悲惨な環境であった。

 父は物心付いたころには、飲んで暴れるだけの存在であった。母はそんな父に何度も()たれ、何度も号泣しながらも、決して家を出る事を考えぬ女性であった。

 「あんな親父なんて放っておけばいい。オレ達だけで暮らそう!」

 マキシスがそう語る度に、母は自虐的な笑みをヘラヘラ浮かべながら、決まってこう語った。

 「でも、あのヒトには私が付いてあげなきゃいけないのよ」

 ――一度、マキシスは母を(だま)くらかして、長時間父から放したことがあった。すると父は、母の不在によってガクガクと膝が崩れる程の情緒不安定を呈し、体を縮めて母の名をブツブツ呟き始めた。

 父は、母に強烈に依存していた。

 そして母が帰ってくれば、父は激しく母を責めて殴り、母は息も絶え絶えな状態と化した。マキシスが彼女を介抱すると、母は腫れた眼を精一杯鋭くしてマキシスを睨みつけて語った、

 「お父さんには私が! 私こそが必要なのよ! 誰でもなく、あなたでもなく! 私こそが!」

 母、父に強烈に依存していた。

 ――この(いびつ)な関係から、マキシスは"依存"に絶対の悪を見た。絶対の脆弱を見た。

 故に、理想的であり確固たる強靱な存在になる為には、独立的であれねばならぬという思想が根付いた。

 ――ニファーナの登場による独立機運の高まりは、マキシスにとってプロジェスが理想郷へと向かう道程であった。

 それが瓦解し、他国家からの低俗な娯楽が蔓延し、それに耽溺(たんでき)依存する市民の姿が、マキシスの逆鱗にチリチリと触れ続けた。

 だからこそマキシスは、エノクの誘いに応じ、今回のテロリズムに至る諸事に荷担してきたのだ。

 

 (この戦いを勝ち取り、必ずや再び手に入れるッ!

 我らのッ! オレのッ! 確固たる独立をッ!)

 疲労も疼痛も激情で押し込め、マキシスは嵐のように殴り、蹴り、牙を立て、火を吐き、毒を吐く。

 それでも、眼前の仇敵ヴァネッサは、全く怯む様子はない。彼女もまた確実に傷ついてきているというのに、顔を歪めることもなく、鋭いほどの真摯な表情で、こちらの連撃に付いてくる。

 (第三者たる貴様に、どんな信念が在ると云うのだッ!)

 腕や脇にザクザクと結晶の刃が突き刺さるのも意に介さず、マキシスは踏み込むとヴァネッサの顎に竜拳を叩き込む。ヴァネッサは頭蓋が脊椎から引っこ抜かれるのではないか、という勢いで頸が反るものの、吹き飛ばない。自らの体を結晶で固定し、即座にマキシスへと視線を向き直すと、刺剣(レイピア)を袈裟斬りに振るう。マキシスは半歩退(しりぞ)いて回避するものの、吹き抜ける結晶片を伴った烈風で、肩にさらなる裂傷が開く。

 (どうしてそこまで、戦えるのだッ!)

 ヴァネッサの袈裟斬りの隙を付いて、再びマキシスは接近。全身から生えた毒竜の首を伸ばし、ヴァネッサの体に噛みつかんとする。ヴァネッサは体をクルリと回して脚を突き出し、低い体勢の回し蹴りを浴びせて竜の首を払いのける。直後に吹き抜ける水晶片の烈風が、残酷な硝子(ガラス)片のように竜の首を切り刻み、痛々しい血風へと変じる。

 (どんな理想が、あると云うのだッ!)

 マキシスは、[r[b:呀>ガア]]ッ! と咆哮する。途端に、彼の全身が変化を起こす。

 竜鱗の鎧が、バキンッ、と音を立ててマキシスの体から飛び出す。ヴァネッサの風の力にやられたワケではない。鎧の下にあるマキシスの肉体が膨張したが故に、鎧が弾き飛ばされたのだ。

 露わになるマキシスの筋骨隆々とした肉体が、見る見る内に漆黒の鱗に覆われつつ、更に膨張してゆく。傷口は膨張した筋組織によって閉ざされ、背中の翼は空を覆わんばかりの広さを得る。臀部からは長大な鞭のような竜尾が延びる。そして彼の顔は――歯がゾロリと形状を変えて険しい牙へと代わり、口がワニのように延びてゆく。顔面も鱗に覆われ、爬虫類的な様相を呈するようになる。

 ――そして今、マキシスは自らの能力によって、自らの全身を大きな竜へと化したのだ。

 ガアアアアァァァッ! マキシスは咆哮しつつ、巨拳を振り回してヴァネッサを襲う。ヴァネッサは「[rb:刺剣>レイピア]]の腹や結晶の盾を駆使してこれを受け止めるが、回避行動に移ることが出来ない。マキシスの暴力は、ヴァネッサの宝剣の風すら吹き飛ばす嵐となり、苛烈に執拗にヴァネッサを襲い続けるのだ。

 そして一方で、マキシスは咆哮の反動とでも言うかのように、強烈な吸気を始める。牙の生え揃った大口の奥には、星のように強い青白色に輝く魔力励起光が灯る。露骨な息吹(ブレス)の準備だ。

 (消し飛ばすッ! オレの悲願を阻む者はッ! 灰燼すら残さずに消し飛ばすッ!)

 マキシスは竜尾や脚をも使ってヴァネッサをその場に押し留めつつ、万全な息吹(ブレス)を準備する。口腔から漏れる光は、皮膚をチリチリと焦がす程の高熱をも発している。

 ヴァネッサは、その姿を見ても、決して焦燥に走ることはない。苛烈執拗な打撃の嵐の中で、ジッと息吹(ブレス)の見つめている。

 

 マキシスは、ヴァネッサのその視線が酷く気に食わない。

 彼女の瞳が放つ輝きには、恐怖も怯懦も憤怒もない。"負"として分類される類のあらゆる感情が、含まれていない。

 そこに見て取れるのは、余りにも真っ直ぐで、力強い挑戦者の意志だ。

 "掛かってきなさい!"――眼光が強く訴えてくる。大口を開いて叫ぶよりも明確に、魂を揺さぶるように訴えてくる。

 "逃げも隠れもしない! 貴方の全力は、真っ向から受け止めてみせますわ!"

 一体、如何なる益、如何なる利が在っての訴えなのか。マキシスには全く思いも寄らない。それが更に、マキシスの苛立ちを(つの)らせる。

 ――ならば、受け止めてみせろ!

 マキシスは憤怒で煮えくり返る臓腑の奥底で、(たぎ)る魔力の塊を更に圧縮・加熱する。竜の臓器が発する強烈な電磁場の中、金属を一瞬にして煮沸する程の電離気体が渦巻き、暴力を蓄える――そして。

 (消えろッ!)

 マキシスは遂に、体内で練り上げた暴力の奔流を吐き出す。

 

 (ゴウ)ッ! 網膜を焼き尽くすような青白い閃光が広がると同時に、恒星の表面にも迫る熱量を持つ灼熱の暴力の奔流――プラズマの息吹(ブレス)が噴射される。

 プラズマは直ちに大気を電離しながら、一気にヴァネッサの眼前へと接近。彼女を飲み尽くして、素粒子の雲へと分解せんと突撃する。

 対するヴァネッサは――跳び退(すさ)るような逃避行動も取らなければ、体を仰け反らせたり、屈み込んで掻い潜ったりするような回避行動も取らない。宙空のその場で足を止めたまま、迫り来る灼熱閃光の塊を直視したまま、微動だにしない。

 ――いや、"動かない"と云うのは語弊だ。確かに彼女の足は止まっているが、腕だけは霞むが如くの高速で動いている。手にした刺剣(レイピア)を両手持ちして頭上にまで振り上げると、刀身に一層激しい烈風と結晶片をまとわせる。そして、皮膚をチリチリと[(あぶ)り焦がす灼熱閃光の塊へと、一気に振り下ろす。

 (バン)ッ! その破裂音は、プラズマの息吹(ブレス)とヴァネッサの斬撃が衝突したタイミングで、周囲の大気を揺るがしつつ轟き渡る。膨大な運動エネルギーを受け止めた事による衝撃波に由来する轟音か。灼熱に当てられて次々と爆発的に蒸発する結晶に由来する爆音か。はたまた、その両方なのか――とにかく、戦場を苛烈な破裂音が駆け巡る。

 一見すると、形勢はマキシスに軍配が上がっているように見える。網膜に()き付くド派手な奔流は、今すぐにでもヴァネッサの全身を飲み込んで消し飛ばしてしまいそうだ。

 しかし、実際の所、両者の力関係は拮抗している。ヴァネッサは片っ端から結晶を蒸発されているものの、その直後から絶えず結晶を生成し、プラズマの奔流を刀身に近寄せない。猛烈な吹雪を切り裂く大樹のように、ヴァネッサの突き出した剣はプラズマの奔流を幾つもの支流に分断する。

 (小癪なッ!)

 マキシスは腹に更なる力を込めると、吐き出すプラズマの奔流を更に加速し、体積を増量する。まるで自身の臓腑を、激情を、魂魄を――全てをこの一撃に転化して叩きつけんとするかのように。

 「…ッ!!」

 ヴァネッサは更に増した衝撃に、歯を食いしばる。剣を握る腕が、絶え間ない重くて熱いエネルギー衝撃に、今にも弾き飛ばされてしまいそうだ。結晶と気流とで断熱しているはずが、刀身から柄へと強烈な熱が伝播し、ジクジクと皮膚を(あぶ)り出す。衝撃によって生じる激しい烈風によって全く判断が付かないが、掌からは凄惨な黒煙が立ち昇っているかも知れない。

 それでも、ヴァネッサは諦めない。正面から受け止めることを投げ出したりしない。

 それどころか――彼女は足の裏に『宙地』の方術陣を展開すると、ジリジリと、極小さな歩幅ながら確実に、マキシスの元へと近寄って行く。

 (馬鹿なッ!

 何故、この程度の婦女子をッ! 脆弱なる姿をした柔肉(やわにく)を!

 喰い尽くせぬッ!?)

 息吹(ブレス)の中でも果敢に進み来るヴァネッサの姿に、マキシスの竜の瞳はオドオドと揺れ動く。それは驚愕というより、怯懦の現れであったかも知れない。自身の経験尺度で全く計れぬ行動理念を見せつけられ、胸中がざわついているのかも知れない。

 (もっとだッ! もっと、もっと、もっとッ! もっとだァッ!)

 マキシスは更に腹に力を込め、エネルギーを吐き出す、吐き出す、吐き出す――!

 その行為は、マキシスが包括する魔力の限界を超えてしまう。(まが)いの『神霊力』、つまりは呪詛の魔力によって竜化した彼の肉体は、息吹(ブレス)へのエネルギー集束によって維持できなくなり、崩壊が始まる。竜鱗はパラパラと零れ、露わになった血肉は黒紫色を呈する煙と化して昇華してゆく。

 それでも構わず、マキシスは更に勢いを増した息吹(ブレス)をヴァネッサに叩きつけ、打破を渇望し続ける。

 だが――一方のヴァネッサも、決して折れはしない。

 衝撃にたなびく美しい蒼髪がチリチリと焦げ溶けだそうとも。制服からむき出した皮膚が腫れ上がり、赤を通り越して惨たらしい炭色の漆黒へと変じようとも。彼女は抵抗を、歩みを止めない。

 尚も、尚も、尚も――着実に歩みを続け、迫り続ける――!

 (畜生ッ! 畜生ッ! 畜生ッ!)

 マキシスは息吹(ブレス)に更に力を込めようと、魔力を絞り出す。だが、息吹(ブレス)の出力はとうに頭打ちを迎えていた。マキシスの無尽蔵とも思える憤怒の激化に反して、その勢いは増すどころか――徐々に、衰え始めさえしている。

 

 神ならぬマキシスは、逃れられぬ有限の器量(キャパシティ)の奥底に辿り着いてしまったのだ。

 もうどう足掻いても、その深淵の底より先を掘り進めることは出来ないのだ。爪を立てて引っ掻いた所で、決して破壊出来ぬ岩盤の前に爪がひび割れ、剥がれるばかりなのだ。

 そんな極限に至っても――マキシスは、眼前の少女を焼き尽くすことが出来ない。

 彼女は『現女神』の(そば)で働いている一方で、『士師』ではないとのことだ。ならば、超常たる『神霊力』の加護を持たぬ、高々有限のヒトであるはず。しかも、マキシスのように呪詛と云う第三者の力の援助によって、地力を底上げされても居ない。

 それでも――マキシスは己を滅ぼす程の極限に至る力を(もっ)てしても――ヴァネッサを、滅ぼせないのだ。

 (何故にッ!? 何故にッ!? 何故にッ!?)

 その問い掛けをも奔流に乗せて、マキシスは息吹(ブレス)を吐き続ける。

 対してヴァネッサの応答は、ゆっくりと、しかし着実にマキシスの一方的な疑問符の奔流を(さかのぼ)り…そして遂には。

 (ザン)ッ! (きら)めく虹色の結晶片の光をキラキラと撒き散らしながら、ヴァネッサの風刃がプラズマの奔流を真っ二つに切り裂く。

 予想だにしなかった凪の訪れに、マキシスは息吹(ブレス)を吐くことも忘れて単純に一息吸い込みつつ、己の全力を真っ向から打ち破った少女を見やる。

 宝剣を振り抜いたヴァネッサは、ギロリと上目を向いて、マキシスの見開かれた竜眼を睨みつけると。その壮絶な視線で以て、マキシスの疑問符に答える。

 "信念の質が、違うのですわッ!"

 転瞬、ヴァネッサの振り抜いた[[rbg:刺剣>レイピア]]が、風に(なび)くハンカチのようにヒラリと(ひるがえ)ると。突きの姿勢を取り、曇天の陽光下でなお輝く切っ先を一閃。マキシスの竜鱗がボロボロと剥がれ切った腹部のやや脇に、深々とした一撃を見舞う。

 金色の刀身は易々と血肉を引き裂いてマキシスの体内に分け入り、その背中からズブリと突き抜けた時には、金色は真紅に濡れて輝きを鈍いものとした。

 

 焼け付くような激痛が筋肉と臓腑、そして神経から脊椎、脳髄へと達すると。ボロボロのマキシスを支えていた激情が、執念が、ガラガラと音を立てて崩れる。

 竜化した全身は、組み上げた積み木が崩れるように、小片へと分離して瓦解。その小片も黒紫色の術式の蒸気と化して、宙空へと消滅してゆく。マキシスの体組織内に充満していた呪詛が離れ、消えてゆく瞬間だ。

 盛大な黒紫の蒸気の中から残ったマキシスの体は、筋骨隆々の巨躯を誇ったままであったが、竜のサイズと比べてしまうからか、酷く萎んで見える。ドッと魂魄に押し寄せる疲労と激痛によって、全身が重く気怠くなり、血の気が引いて青白くなってしまった事も原因かも知れない。

 何にせよ、竜の体から変わり果てたマキシスは、もはや直立する力も失い、その場に(うつぶ)せに倒れ込む。ドウ、と小さな響きを立てて投げ出された肢体からは、脇腹に開いた傷跡より流れ出る真紅の体液がジンワリと広がって行く。

 

 マキシスは、敗北した。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 ――おのれ、おのれ、おのれッ!

 もう、指一本すら満足に動かせない。口を開くことも億劫に過ぎる。首を動かして頭を持ち上げるなど、不可能だ。

 マキシスはそこまで完膚なまでに叩きのめされたと云うのに、未だに激情を収めない。(わず)かにピクピク動く指先で大地を引っ掻き、自分を倒した相手への不満の炎を燃やす。

 ――おのれ、おのれ、おのれッ!

 正面切って敗北を喫すれば、遺恨などサッパリと無く受け入れられるものだと言った者が居たが。マキシスはその言葉を実感出来ない。今もなお、首だけでも体から飛び出して、ヴァネッサの喉笛に食らいつかんとする程に、激情を燃やしている。

 そんなマキシスの元に、ヴァネッサが歩み寄る。

 彼女の身体もボロボロだ。如何に魔法現象を盾にしようとも、恒星表面にも匹敵する高熱を間近に浴びたのだ。皮膚の所々は火傷を超えて、炭化してさえいる。魔力を絞り出しまくった所為で体力のみならず精神力もすり減り、足下はプルプルと震えている。

 それでもヴァネッサは、マキシスに刃を突き通した時の(はげ)しい表情を張り付けたまま、マキシスを眼下にして言葉をかける。

 「こうして結果を身に受けても、まだまだ納得出来ていないみたいですわね。

 強大無比な『士師』であるはずのその身が、何故にわたくしのような小娘にやられたのか? (だま)されてでもいるのか? とね。

 でも、わたくしから言わせれば、必然でしてよ」

 ――何が必然か!? その問い(ただ)しは唇を震わせるだけに留まり、声帯からは発されない。それでもヴァネッサはマキシスの意図を気配から察し、言葉を次ぐ。

 「貴方の信念は、器が狭過ぎましてよ。

 詰め込んでも詰め込んでも、(あふ)れるばかり。無理矢理(ふた)をして閉じこめてみれば、今度は器自体が壊れてしまう。――貴方の信念は、丁度そんな感じなのですわ」

 ――狭い、だと!? カッと反発が沸き上がるが、続いてのヴァネッサの言葉はマキシスの魂魄の猛りにハッと冷や水を浴びせる。

 「貴方が振りかざしていたのは、ヒトビトの、都市国家(プロジェス)の悲願でも何でもありませんわ。単なるエゴへの執着に過ぎませんことよ」

 ――そうだ、その通りだ。マキシスの思考は、"エゴ"と云う非難の文句をすんなりと受け入れ、肯定する。

 マキシスの悲願は、独立を確立した強固なプロジェスの実現だ。だがそれは、この都市国家に住まう市民達の事を(おもんぱか)ってのことではない。

 市民の幸福などを思慮するならば、わざわざテロリズムに訴えた革命など起こす必要などない。外部勢力に介入されようと、日常は市民の平穏な笑顔で溢れていたのだ。

 現状が気に食わなかったのは、マキシス自身なのだ。誰でも無く、彼自身が独りで憤激していただけなのだ。

 偶々(たまたま)志を同じくする者達が相当の規模で集った故に、マキシスは己の意志が都市国家の意志であると拡大解釈していただけなのだ。

 彼はただ、自身の我欲を通すべく暴れ回る、我が儘な子供と同類だったのだ。

 その事実をマキシスの理性が恐る恐ると云った感でポツリポツリと漏らした頃。土を掻くマキシスの指先から、力がフッと抜ける。瞳の奥に灯る憤怒の炎も、小さく萎んで消えてしまう。

 そして、ヴァネッサを気怠く見上げながら、重い口角をピクピク動かして弱々しい苦笑を浮かべる。

 (敵わないはずだ。

 この小娘は、第三者の立場ながらも、自身を捨ててまで真にこの都市国家(プロジェス)の平穏を取り戻すべく、戦い続けたのだから。

 器量の時点で、オレはすっかり負けていたのだ)

 

 マキシスはようやく、己自身の納得の上で、敗北を認める。

 

 直後、戦闘を終えた2人の頭上に、幾つもの影が掛かる。それは面積をましてゆきつつ、強めの微風を発生させる。

 影の正体は、上空から降下してきた"チェルベロ"機動隊の一群だ。

 もはや曇天下には漆黒の翼をはためかす竜の群はない。マキシスの敗北と同時に、全て黒紫色の術式の蒸気と化して消滅してしまった。元となった戦闘機やミサイルの類は制御を失ってあらぬ彼方へと飛び去ったり、地上に落下したりと無力化した。

 竜に乗っていた『士師』"(もど)き"達は、竜が消えてゆく混乱の中で次々と気力を失い、"チェルベロ"によって呪詛を奪われて逮捕されて行った。未だ健在で抵抗を続けている者も存在するが、彼らも近い内に取り囲まれて逮捕されてしまう事だろう。

 降下してきた機動隊隊員の内、隊長の男がマキシスを見下ろしてから、ヴァネッサに向き直って尋ねる。

 「終わった…って事で、良いんだよな?」

 「ええ、終わりましたわ」

 ヴァネッサは、腫れが幾つも乗る顔にニッコリと笑顔の花を咲かせ…途端に眉をしかめて顔をひきつらせる。

 「いたた…ッ!

 今頃になって、ヒリヒリして来ましたわ…!

 おでことかほっぺたとか、ボワーって熱いし、カッサカサですわよ…!」

 「そりゃあ、あんな熱量を真っ向から受けるんだもんなぁ! 日焼けどころじゃ済まねーだろ、肌荒れ!」

 隊長は苦笑して答えた後。背後に控える部下に視線を投じ、首振りで合図しながら、「確保しとけ。念入りに拘束しとけよ」と指示を出す。

 部下達は、はいっ! とキビキビ返事をすると。(うつぶ)せのまま動かぬマキシスを拘束術式で更に動きを封じた上で、両腕を背中に回して手錠を掛ける。そして転移方術陣を展開し、地球より遠く離れた"チェルベロ"本部のある本星へと彼を送り込む。

 その挙動中、マキシスは何の抵抗も示さなかった。顔をしかめることも、歯噛みすることもなかった。観念しきった自嘲の笑みを浮かべるばかりで、非常に素直で大人しかった。

 ――こうしてマキシスは、プロジェスを苛むテロリズムの嵐から、その姿を消す。

 

 「それにしても、大丈夫なのかよ?」

 マキシスが移送されるのを見送った隊長がヴァネッサに語りかけるが。フルフェイスの向こう側の顔が、すぐに表情を崩す。

 ヴァネッサは早々にボロボロになった制服の内ポケットを漁って自作の霊薬(エリクサ)を取り出すと。青白く輝くドロリとした液体をゴクゴクと飲み下している。腰に手を当てて瓶を[(あお)る姿は、お風呂上がりのオジサンの姿を思い起こさせる。

 瓶の中身を飲み干したヴァネッサは、ぷはーっ、と息を吐いてから、パチクリと瞬きを一つついてから隊長に問い返す。

 「何が、大丈夫だと云うのですの?」

 そんなヴァネッサの皮膚には、霊薬(エリクサ)が速やかに作用し、炭化してしまった傷さえも瘡蓋(かさぶた)のようにポロリと剥がれ落ちると、瑞々しい絹のような肌が再生する。

 この回復の過程は非常に急速で、サラリと眺めている内にヴァネッサの体は五体満足になる。

 その有様を眺めていた隊長は、ハッ、と苦笑を漏らす。

 「なんか…過重労働しっ放しの仕事中毒者(ワーカホリック)が、徹夜明けに栄養ドリンク飲んで、さぁてまた一仕事するかー…って姿が見えてきたよ。

 それに、そのクスリ、なんだよそのスゲェ効能。便利っちゃ便利だろうが、細胞を酷使するようなヤバいモンじゃないのか?」

 「あら、失礼ね」

 ヴァネッサは口を尖らせて抗議する。

 「私の調剤技術は、学園の先生方も舌を巻いて下さるものなのよ?

 体に過負荷を掛けるような劇物なワケありませんわよ。

 ただ…」

 タイミング良くヴァネッサの腹が、クゥ~、と可愛らしく鳴る。ヴァネッサは両手で腹を覆うと、恥ずかしげに頬を赤く染めながら苦笑いする。

 「とてもお腹が空きますけれどもね」

 霊薬(エリクサ)は細胞分裂を促進させて体組織の再生を早める分、急激な代謝を実現するために多量のエネルギーを消費する。このエネルギーを補充するための栄養効果も含めてはいるものの、今回の戦闘で負った派手な負傷は、それでカバーし切れる程度のものではなかったのだ。

 機動隊隊長はフルフェイスの下でクックッと笑いながら、お手上げするように諸手(もろて)を上げる。

 「オレ達は残念ながら警察官だからな。職業軍人のように糧食を持ち歩いちゃいないんだ。

 避難拠点に戻って、そっちでタップリご馳走してもらえや」

 するとヴァネッサは、口を尖らせて拗ねてみせる。

 「あら、二連戦で『士師』を相手にした功労者に対して、そんな不調法は酷いのではなくて?

 カレーライスの一つも持ってきて下さる気遣いがあっても良いのではないかしら?」

 勿論、ヴァネッサの冗談である。…但し、半分くらいは本気も混じっているかも知れない。

 「まぁ、拠点まで肩を化してやるくらいの事は出来るぜ。

 捕まるかい?」

 そう言って手を伸ばす隊長だが、ヴァネッサは首を横に振って、やんわりと断る。

 「ご好意だけ受け取っておきますわ。

 でも、他の男の肩を借りたとなると、わたくしの良人(おっと)()ねてしまいますわ。

 素直に両足で歩いていきますわよ」

 そう言って、トコトコと歩き出すヴァネッサの背に、隊長が揶揄を込めて言葉をかける。

 「あれ、将来の夢が嫁になることであって、まだ未婚じゃなかったのか?」

 するとヴァネッサは、悪びれもせずに、何処か得意げな様子で答える。

 「極近い将来の、確約された事実ですもの。問題ありませんわ」

 

 ――その頃。プロジェスから遠く離れたユーテリアの学園の一画では。

 「ハックシッ!」

 イェルグが盛大なくしゃみをした。

 その近くに居たロイが、怪訝な視線で彼を見つめながら問う。

 「風邪でも引いたのか? "空の男"なんて言ってる癖して、間抜けなこったな」

 「いやいや、風邪じゃない。いきなりムズムズって鼻の奥が痒くなっただけだ。

 これは確実に…」

 イェルグは苦笑いして、長い黒髪の中に手を突っ込んでポリポリと掻く。

 「ヴァネッサの奴が、何か勝手な事を言ったな」

 その台詞に、ロイは苦笑いして同意の(うなづ)きに代えたのだった。

 

 - To Be Continued -

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