◆ ◆ ◆
ヴァネッサが激闘を繰り広げている頃。プロジェスの別の一画でも、ヒトと『士師』"
アルテリア流剣舞術を収めし"剣の舞い手"アリエッタと、漆黒の気流を伴う暴力の権化『武闘の士師』ヴィラード。
対極的な性質の両者は、水と油の混合とも、同極同士の磁石の反発とも取れる様相の奇妙な激闘を繰り広げている。
(オラオラッ! 何時までかわし切るつもりだッ!?)
ヴィラードは一挙一動において拳足を
嵐のような間断なき攻めに対して、アリエッタの回避行動は正に"舞踊"だ。彼女の動きは、一見すると微風の中でフワフワと動く羽根のように見える。屈んでみたと思えば跳んでみたり、クルクルと独楽のように水平に回ったかと思えば、風の中で踊る葉のように中空で縦に方向に回ってみたり。大きく手足を伸ばしてバレエダンサーのようなポーズを取ってみたかと思えば、亀のように手足を縮めてみせる。
その一つ一つの行動が円のように滑らかに繋がり、何かをヒトの心に訴える芸術性が宿っているように見えるほどだ。事実、動作一つ一つには意味がある。どの動作もヴィラードの攻撃を巧みに回避し、傷一つ負わない。
それでいて、合間には刃引きの刀身を鋭く振り回し、ヴィラードを攻める。
(!! おおっとッ!)
アリエッタの剣勢は素早くて優雅、そして冴え渡っている。刃引きのはずの刀身が空を切ると、大気に繊細で鋭い間隙がパックリと開いたように感じられる。その斬撃で血肉が削り取られてのではないか、とヴィラードが慌ててしまうこともある程だ。
だが、ヴィラードの体は絶対に傷付かない。なぜならアリエッタの斬撃は、全て彼に届かない――いや、当てていないのだから。
アリエッタの操るアルテリア剣舞術には、敵を斬り
(クソッ! まただ、またビビっちまったじゃねぇかッ!)
やや袈裟斬りに振り下ろされた斬撃に対して、全身を黒き疾風と化して一気に距離を開けて回避したヴィラードは、思わず舌打ちする。
アリエッタの剣技は、舞いだ。
(このクソアマが…ッ!
当てる気もねぇで、オレを屈服させようなんざ、甘っちょろ過ぎンだよッ!)
ヴィラードは全身を疾風化。そして一早く右腕を胴から解き放ち、アリエッタの左の二の腕あたりに叩きつけに行く。
"胴から解き放つ"という異様な格闘術を用いずとも、並の格闘家では反応が難しいであろう、拳が霞むほどの一撃。それでもアリエッタは、張り付けた微笑みを絶やさずに、大げさに体を仰け反らせてかわす。柔らかなアリエッタの体は、まるで体が逆に折り畳まれたのではないか、と云う程の有様である。
その動きに、風と化したヴィラードはギラリと眼光を輝かす。
(その踊りが、命取りだってんだよッ!)
ヴィラードは空を切った右腕の場所へ胴体を一瞬で移動。そして、振り抜いた勢いのまま右腕を肘内の形へと代えると、アリエッタの腹部めがけて垂直に打ち下ろす。
対するアリエッタは、初めて"回避"でなく"受け"の動作に回る。
体を仰け反らせた動きのまま、バク転へと移行すると。振り上げた踵でヴィラードの肘の横面をトン、と叩く。するとヴィラードの肘は思った以上の衝撃を受けてグンと動きを
だが、ヴィラードは悔しがるどころか、ギラリとした笑みを大きくする。
(流石にこれは、受けるしかねぇよな!
そんじゃあ、こいつはどうだッ!?)
ヴィラードはすかさず左腕を伸ばしてアリエッタの足首を掴むと。長身が一気に地面すれすれまで縮んでしまったかと思う程に屈みつつ、アリエッタの足を背負う。そして、彼女を一気に背負い、頭から大地へと叩きつけようとする。――投げ技だ!
十分な速度を得て、アリエッタの頭蓋を叩き割れると確信したヴィラードの
――背負ったアリエッタの体の感覚が、軽すぎる。そして、弧を描いて振られる彼女の体の動きが、思った以上に速すぎる。
(何だ!?)
と思った時には、もうアリエッタの体は大地に真っ逆さまに落ちた――かと思うと。フワリと、フクロウが音もなく枝に降り立つような有様で両腕を伸ばして大地に接すると、そこを支点にし、また投げられた勢いを味方に付けて下半身をグンッ! と振り回す。
「おおわっ!?」
ヴィラードが思わず声を上げた時には、背負っていたはずの少女の足に持ち上げられ、宙に放り出されてしまう。
慌てて中空で体勢を立て直すヴィラードに対して、アリエッタは直ぐに腰に収めた刀に手を置くと。ヴィラードの顔面、両目をめがけて一閃する。
(斬られたッ!?)
反射的な両腕の防御も間に合わず、銀閃はヴィラードの両眼を通り抜けてゆく。ヴィラードは視覚の剥奪と激痛への覚悟を決めて、身をこわばらせたが…。
当然、痛みもなければ、視界が暗転することもない。
今回もアリエッタはやはり、ヴィラードの両眼スレスレを斬って見せたのであって、眼を斬り裂いたワケではない。
ヴィラードはホッと安堵した直後、爆発的な憤怒に駆られて、オーガ属の証たる額の金属角の周囲に青筋を走らせる。
(バカにしやがってンのか、このアマがよッ!)
ヴィラードは中空で全身を漆黒の疾風へと化すと。一気にアリエッタの顔面近傍まで肉薄し、回し蹴りを放つ。蹴りの先端には真空刃が発生し、アリエッタの頭部を水平に両断するつもりで肉薄する。
アリエッタは即座に刀を振り上げ、ヴィラードの蹴りと相対する。直後、ギィンッ! と金属の悲鳴が鳴り響き、ヴィラードの真空刃は刃引きの刀身によって破裂。アリエッタの顔面には、その小さな飛沫が飛び散り、頬や額にピシピシと細かな傷を付けて、ジンワリと血を滲ませる。
「シャァッ!」
ヴィラードは、僅かな規模ながらも、アリエッタに外傷を与えた事を素直に興奮し、声を上げる。そしてこの勢いのまま、刀身にぶつけた脚を支点にし、宙で逆回転。墨汁のような奇跡を描きながら、今度は左足でアリエッタの顔面をねらう。勿論、蹴りには真空刃がまとわりついている。直撃すれば、顔面の中央に凄惨な傷口が開くことだろう。
対するアリエッタは、一瞬微笑みを無くすと、刀を握る手に力を込める。すると、リィン、と鈴が鳴るような済んだ音と共に刀身が激しくブレて振動を始める。その衝撃はヴィラードの全身を一瞬の内に巡り、消化器や脳を激震させて不快感を喚起させると。そのままヴィラードの体は、ゴム板に弾き返されたように、宙を錐揉み回転しながら吹き飛ぶ。
(なんだぁ、今の!?)
全身を漆黒の烈風とし、大地に吹き下りたヴィラード。その右脚にジンジンとした痺れを感じてチラリと視線を走らせると、足を覆っていた呪詛の装甲が花でも裂いたように破裂し、足の裏からジワッと血液が流れ出ている。
アリエッタの刀身震動が、ヴィラードの装甲と共に皮膚まで破壊したようだ。
この傷を認識したヴィラードは、怯えるでなく恐れるでなく、大蛇のように舌を伸ばして舌唇をベロリと舐め回して
(やれば出来るんじゃねぇか、このアマよぉッ!)
次いでアリエッタに視線を向けると。彼女は笑むでなく凄むでなく、申し訳なさげに表情を曇らせている。そこにはヴィラードを傷つけた事への謝罪も含まれているのかも知れないが、それ以上に自身の行為に対する後悔が含まれているようだ。
"舞い"でなく、"攻め"の為の技で相手を傷つけた事に対する自戒のようである。
その表情を見たヴィラードは、嗤いもそこそこに、角の周囲に再び青筋を走らせる。
(こんな力を持ちながら、戦場下でまだ甘っちょろい事をやる事を
マジに切れたッ! もう打ち合いなんて楽しまねぇ!)
ヴィラードは全身を漆黒の疾風と化すと、胴体から四肢を離すことなく、そのまま高速でアリエッタに肉薄する。
(殺しの
無駄な理念への拘りを後悔して、死ねッ!)
――そしてヴィラードは、"武闘"の
◆ ◆ ◆
アリエッタの行動をじれったい想いで見つめる人物が、ヴィラードの他にもいる。
それは、アリエッタの周囲で『士師』"擬き"と闘う市軍警察衛戦部の人員や、"チェルベロ"の機動隊隊員の連中である。
特に、アリエッタに最も近い位置で闘うウォルフ・ガルデンの想いは並々ならぬものがある。
「何なんですか、姐さんッ!
どうしてその刀で、ブッ叩いてやらないッ!?」
彼は見ている――漆黒の竜が地上に襲いかかって来た際に、アリエッタが剣風だけで彼らを破壊した場面を。そんな力をおいそれと発揮出来る実力者は――しかも、野に咲く可憐な花のような微笑みを浮かべたまま行える者など、そうそう居ない。
「姐さんってばッ!」
ヴィラードが全身漆黒の烈風と化し、肉薄した際に、ウォルフはアリエッタの心を揺り動かんばかりの声を張り上げる。だが、その隙を付いて『士師』"
(クソッ! このテロリストどもがッ!)
こちらでも漆黒の烈風と化して一気に距離を詰め、トゲだらけの手甲で砲撃のような裏拳を飛ばしてくる『士師』"擬き"に対して、
ガギィンッ! と痛々しい激突音が響き、『士師』"擬き"が衝撃で僅かに後退した隙に、チラリとアリエッタに視線を走らせると。ウォルフの眼は、飛び出さんばかりにまん丸に見開かれる。
視線の先で、アリエッタは漆黒の旋風を眼下に、上空高くへと吹き飛ばされている。
全身を烈風と化したヴィラードは、アリエッタに肉薄した後、体を固体化させずに激しい渦を巻いたのだ。
アリエッタは拳か蹴りでも飛んでくるかと身構えていたが、予測していなかった攻撃にまんまと巻き込まれしまう。
鞘に戻した刀を中途半端に振り抜いた姿勢のまま、大地を抉る
颶風と化したヴィラードに対して、アリエッタが力で抵抗を試みたならば…嵐の轟風の前にメキメキと音を立てて折れ倒れる巨木のように、その肉体は絞り千切れてしまったかも知れない。
そこでアリエッタは逆に脱力すると、颶風の勢いに体を委ねる。そして、まるで木の葉のように翻弄されるがまま回転し――強烈な遠心力と上昇気流の為すがまま、上空高くに吹き飛ばされてしまったのだ。
しかし、それこそがアリエッタの回避経路である。
遙か眼下に見える漆黒の颶風に対して、ズタボロになった体をネコのようにクルリと回転させて体勢を立て直すと。腰にから引き抜きかけた刀を一度鞘の収めてから、再び疾風の勢いで居合い抜刀する。
刀剣を主戦力とする者ならば、この抜刀の勢いで斬撃の烈風を生み、眼下の颶風を両断した事だろう。だが、アリエッタの抜刀が生み出したのは、遙か眼下にまで真っ直ぐに鉛直方向に延びる、閃光だ。
「な…んだ…?」
その閃光に気付いて視線を向けた『士師』"擬き"達は、雨上がりの空にクッキリと
ウォルフと交戦していた『士師』"擬き"も例外なく戦意を失い、その場に
(やっぱりスゲェ…! "斬らない斬撃"だってのに、確実に心を屈服させちまうなんて…!)
――だが、この美麗への感激を微塵も受け付けない者が居る。…ヴィラードだ。
アリエッタが閃光を放って数瞬後、眼下の颶風は急激に勢いを失う。それはヴィラードの戦意が喪失した事を意味するかと思えば…そうではない。
ヴィラードは単に、大地から上空へと移動したのだ。アリエッタのすぐ間近へと!
「!?」
アリエッタの表情が怪訝に歪む。彼女は自身の体を、まるでグリセリンのような粘度の高い液体の中に放り込まれたような、酷く重くて鈍い感覚を得たのだ。
いや――実際に、動きが鈍くて重い。抜刀した刀を鞘に戻そうとするも、大気がグニュリと彼女の腕を、指を、刀を捉えて枷となる。
(これは…!?)
アリエッタが笑みをすっかりと消して、己の身を襲う事象に疑問符を浮かべた頃。鈍く重い腕にグイッと力を入れて強く動かそうとした瞬間に――シュボッ! 強烈な摩擦熱を感じた矢先、眩い
(!?)
アリエッタは直ぐに左目を閉じて、形而上相視認を実行。炎を上げる腕と刀に何がまとわりついているのかと調べれば…彼女の視覚野に描かれたのは、液化するのではないかと云う程の高密度を持つ、酸素の塊。
(この『士師』のヒト、"武闘"の
思考を巡らせている矢先のこと、グニュッ! アリエッタの全身を、高密度の気体が掌のように押し包み、"握る"。
「あう…っ!」
ギチギチ、と骨肉の悲鳴が鳴り響いた直後。大気の"掌"はアリエッタの体を思い切り大地へと投げ飛ばす。
急速に落下するアリエッタは、全身を襲う強烈な大気摩擦を感じる。それは宇宙空間から飛来する隕石を灼熱させるが如く、アリエッタの体中に発火点を超える熱量を加え、シュボッシュボッ! と次々に赫々の炎を上げる。
ジリジリと皮膚を焦がす感覚がノイズのように神経を騒がせる最中。アリエッタは眼球を守って薄く開いた視界の中で、冷静に体をクルリと回して体勢を立て直す。そして足の裏に『宙地』に似た方術陣を展開し、落下に対するブレーキとする。
これにより、どうにか大地への激突の衝撃で全身に大打撃を受ける事を回避したアリエッタだったが…彼女の過酷な状況は、まだ終わらない。
(一息なんざ着かせるかよッ!)
ヴィラードは上空から空気塊のまま急降下し、アリエッタの頭上から激突。全身を"大気の拳"と化し、アリエッタを大地に叩きつける。
「かは…っ!」
アリエッタは四肢を大の字に投げて、圧力に抉れる大地の中央に仰向けに倒れる。メキメキと押し潰される肺と消化器から空気と内容物が逆流し、血反吐の滴が宙に舞う。
ヴィラードの攻撃は、ここで終わらない。彼は大気の塊の姿のまま、アリエッタの全身を覆い尽くす。特に彼女の口の周囲に、高密度の"ある種のガス"を集中させる。
(これ…は…!)
途端に、アリエッタは激しい頭痛と耳鳴り、そうして嘔吐感に苛まれる。同時に、水を張った洗面器に顔を突っ込まされた時のような息苦しさが、
(酸素欠乏…!)
暗転し始める視界の中、アリエッタは自身の症状の正体を知る。彼女の呼吸器の周囲を濃密に覆う"ある種のガス"は大気中の酸素を排斥してしまったのだ。脈拍の上昇は酸素を求めて焦燥する心臓の暴走であり、思考の混濁は酸素不足により脳細胞が大打撃を被る結果である。
だが、アリエッタが
"それ"は、不安定な物体だ。化学の法則に従い、安定化を求める"それ"は、体組織を構築する有機物から酸素を強奪する。その結果、二酸化炭素という安定した物質へと変じると同時に、体細胞の分子構造を損なわす。
その"ある種のガス"の正体とは、一酸化炭素だ。
ヴィラードの『士師』としての
格闘能力を補い強化するための能力、『風化』がある。これまで見てきた通り、体の一部を気体化し、"軽やか"と云うよりは"烈しい"烈風となって一気に距離を詰めたり、体から腕や足を切り離して在らぬ方向から打撃を加えたりもする。
この
それが、『風化』をより進化させた
彼は単に気体化するだけではない。気体の密度や組成を自在に変化させることが出来る。
アリエッタの体を捕らえた高密度化や、彼女の呼吸を苛む一酸化炭素の生成は、この
(………!)
アリエッタの一酸化炭素中毒症状は急速に進み、意識がいよいよ混濁して暗転する。強烈な睡魔が彼女の思考を塗り潰そうと出張ってくるが、これに屈してしまえば、二度と目覚めぬ昏睡に飲み込まれてしまうだろう。
アリエッタは口を閉じ、極力呼吸を止めて一酸化炭素が体内に入る事に抵抗するが。ヴィラードは彼女の忍耐が切れるまで、大人しく待つような人物ではない。
(オラよッ、こいつはおまけだぜッ!)
ヴィラードは両拳を固体化させる。手の甲の指の付け根から金属質の
ヴィラードは拳を固めると、アリエッタの顔面にブチ込む。金属質の棘が肉に刺さるように叩き込んだ結果、皮膚は赤黒い穴をズブリと開いたかと思えば、ドクドクと赤黒い血液を流す。
こうして拳の連発も加えて、アリエッタの意識をいよいよ寸断しようと苛烈に攻め続ける。
(………!!)
アリエッタは初め、気丈に表情を引き締めて口を一文字に結び、酸欠と中毒症状、そして凶悪な拳撃の三重奏に抗い続けていたが。…遂にその体から、フッと力が抜けてしまう。
一酸化炭素中毒が進んだ事による、四肢の麻痺が現れたようだ。その証とでも云うように、アリエッタの可憐な桜色の唇は、黒っぽい紫色を呈してチアノーゼを表現している。
(さぁて、そろそろ引導を渡してやるぜッ!)
ヴィラードは固めた拳を一層大きく振りかぶり、アリエッタの顔面中央に叩き込もうと、稲妻のように振り下ろす。
その無慈悲な一撃が、アリエッタの頭蓋を砕いてしまう――かに思えたが。
転瞬、ヴィラードは信じ難い光景を目の当たりにし、驚愕する。顔面を大気と化してなければ、目を見開いて白黒させた事だろう。
重度の一酸化炭素中毒によって四肢が麻痺しているはずの彼女だが。どこに力が残っていたのか、液体のような高密度を発する大気の中でも優に1メートルを越す高さまで跳ね上がったのだ。
(馬鹿な、どうして…!)
ヴィラードの驚愕が抜けぬまま、アリエッタは腰から一気に抜刀した刀の衝撃で、体の周囲にまとわりつくヴィラードを吹き散らす。
ヴィラードは自在に気体化出来るとは云え、その体を無限の体積にまで広げることは出来ない。余りに離散してしまうと、末端のアイデンティティが希薄になり、単なるガスへと変じてしまうからだ。ヴィラードは慌てて自身の体を集合させると、勢い余って体を固体化。大地に拳を着いて
そして、跳び上がった後は優雅な姿勢制御で羽根のように着地したアリエッタを見据え、額の角周囲に青筋を浮き上がらせる。
(単なる身体能力じゃねぇ。ありゃあ、
ヴィラードの予想は、半分当たりと云うところだろう。
アリエッタが使ったのは練気ではなく、アルテリア流剣舞術において『鍛身』と呼ばれる、身体操作技術である。
アルテリア流剣舞術は"魅せる"
魔術的なプロセスを経て鍛え上げれた肉体は、人形のような美麗な体格と、外観から想像も付かない爆発的な瞬発力、驚異的な持久力、そしてしなやかな鋼のような筋力を得るに至る。
アリエッタが跳び上がらせたのは、腹筋および背筋を爆発的に稼働させた反動によるもの。そして重度の酸欠症状の中でそれほど激しい運動を実現せしめたのは、腹筋と背筋に集中させた体内の酸素だ。
一歩間違えば、無駄に酸素を浪費して酸欠症状を更に進めてしまい兼ねない"賭け"だ。しかしアリエッタは、これまでの人生で
スゥー…大地に立ったアリエッタは、深く、静かに息を吸い込む。酸素に餓えた肺に充満してゆく涼やかな大気の感覚は、アリエッタの表情ににこやかな笑みを添える。
「んふっ。空気がとっても美味しい」
そんな独り言を耳にしたヴィラードは、ハッと驚愕から我に返ると。隙を逃さんとばかりに一気に疾駆。
(さっきまで顔真っ青にしてたクセによぉッ! すぐに余裕ブッこいてんじゃねぇよ、クソアマッ!)
激情を拳足に宿し、ヴィラードはすぐさまアリエッタの眼前まで肉薄すると、烈風の拳を口火に再び苛烈な攻撃を与える。
◆ ◆ ◆
ヴィラードの次なる手は、一見すると今までと真逆の行動に見える。
彼は全身を気化しない。コンパクトな構えから弾丸のように放った拳を、アリエッタの体にぶつける手前で気化。ガスの塊としてアリエッタに叩きつける。
アリエッタは形而上視認を行い、気化したヴィラードの拳をしっかりと確認しつつ、優美な曲線を描く素早い体
だが、ヴィラードの気化した拳はアリエッタの予測よりも素早く膨張している。ガスはアリエッタの四肢の先端に触れると――シュボッ! と音を立てて真紅の炎を上げる。
今度、ヴィラードが操る気体は、高濃度の酸素だ。アリエッタの体に接触すれば、細胞を構築する炭水化物と化合し、燃焼を引き起こす。もしもこれがアリエッタの顔面に直撃すれば、瞬時に重度の酸素中毒症状を引き起こして意識を混濁させるだろう。
対するアリエッタは、円運動を利用して刃引きの刀を振るい、ヴィラードの喉元を一閃する。だが、例によって直撃しない刃は、ヴィラードの動きを鈍らせることはない。
それでもアリエッタは、花咲くような微笑みを張り付けたまま、回避と共に刀を振り続ける。
それが、ヴィラードの神経を始終逆撫でする。
(何なんだよ、テメェは!
何がしてぇんだよ、テメェは!
戦って、勝ちをもぎ取るつもりがねぇのかよ、テメェは!)
ヴィラードは脚も気化させ、濃密な酸素の塊を暴風と化し、アリエッタを激しく襲う。吹き抜ける気流は刃のような鋭さを伴い、アリエッタの衣服や四肢の先端を燃やすと同時に、ザクッと鋭い切り傷を刻む。アリエッタが舞うように回避行動を取れば、傷口から
それでもアリエッタは、微笑みを絶やさずに回避行動を取り続ける。その姿に激情を爆発させたヴィラードは、気化した拳足を流れるように連動させ、コンビネーション攻撃を放つ。
(いい加減にしやが――)
ヴィラードがアリエッタの懐に入って、コンビネーションを叩き込もうとした、その直前。アリエッタの微笑む瞳に、キラリと策略の輝きが灯る。
何だ――ヴィラードがゾクリと背筋に冷たい恐怖を感じた、その瞬間。
「ヌオッ!?」
四肢が離散しきらぬように慌てて集めるヴィラードであるが、その体は錐揉み回転しながら宙空に吹き上がる。打撃は受けなかったものの、痛ましい動揺がヴィラードの頭を突き抜ける。
そこへ、アリエッタが地を蹴って跳び上がり、ヴィラードに追いすがる。そして、動揺醒めぬヴィラードの顔面めがけて、微笑んだまま刀を一直線に下から上へと振り上げる。
(斬られた――ッ!?)
冷や汗がドッと滝のように噴き出す、ヴィラード。彼は一瞬、全てを忘れ去り、必死に集めていた四肢を中途半端に固体化した状態のまま、数瞬を呆然と過ごす。
しかし後に、パックリと両断されたはずの頭部に激痛どころか、冷たい金属の感触すら覚えなかったことを痛感すると。輝く冷や汗の滴をベッタリと頭部に張り付けたまま、ぎこちない
(脅かしやがって! やっぱり、当てて来ねぇじゃねぇか! 何をビビッてやがるんだよ、オレは!)
ケヘヘ、と乾いた嗤い声を漏らしながら、ヴィラードは拳を握ると。微笑んで刀を振り抜いたまま、なおも眼前に在るアリエッタの腹部に竜巻のような気流の渦をまとわせた拳を深々と抉り込む。
(…おい…)
ヴィラードの顔が、再び驚愕にこわばる。ドリルのように烈しい螺旋を巻く気流は、確かにアリエッタの腹部の制服をズタボロに引き裂き、その下にある皮膚を破いて血飛沫を上げさせている。
だが、筋肉を破壊させるには至らない!
ここでもアリエッタは『鍛身』によって、外見上は割れてすらいない腹筋を鋼のように固め、ヴィラードの一撃を受け止めたのだ。
(
ヴィラードが眼を見開き、慌ててアリエッタの腹部から拳を引こうとする。対してアリエッタ、半歩踏み込んで
(んなっ!?)
刀での演舞にこだわり続けた来た少女が、まさか体術で攻撃して来ようとは! しかも、"武闘"の
ヴィラードの角の生えた禿頭がコンクリートの大地に真っ逆さまに落下する。そのまま地面に激突すれば、頭蓋が叩き割れてしまうだろう――と云うその際に、アリエッタは疾風のように脚を払い、ヴィラードの額をコツンと蹴る。
脳を揺さぶるような衝撃も、骨に響き渡るような激痛も、全く生じなかった。代わりにヴィラードの体は、サッカボールのようにポーンと軽々と吹き飛んでしまう。直ぐに受け身を取ったものの、ヴィラードは一度地面の上を回転してから、立ち上がることとなる。
(流石はユーテリアの"英雄の卵"! 一芸の一辺倒ってワケにゃ行かんかよ!)
立ち上がったヴィラードは直ぐに身構え、次なる攻撃に備えて間合いを詰めているはずのアリエッタに備えたが――彼の危惧は杞憂に終わる。何故ならアリエッタは、ヴィラードを投げ飛ばした位置から一歩も動かず、満開の桜の樹のように立ち尽くし、花咲く微笑みを浮かべてヴィラードを見送っているのだから。
(なんなんだよ、このアマはよ、なんだってんだよッ!)
ヴィラードは青筋と共に鳥肌を立てながら、不気味な化け物と相対した時のような狼狽を瞳に宿し、視線を揺らす。
その様を見たアリエッタは、ニッコリと弧を描いた眼をスーッと細く見開くと。胸中でポツリと呟く。
(そろそろ、かしらね)
そして刀を腰に収めると――彼女の気質が、それまでとは一変する。
穏やかな小春の快晴が、真夏の夕立の暗雲へと変わるように――アリエッタは腰を低く落とし、鬼気迫る姿勢で刀の柄を握り、抜刀の体勢を整える。
何よりも変わったのは、表情だ。柔らかで美しい面持ちには今、花の微笑みは宿らない。代わりにあるのは――鞘に収まった刀身の輝きがそのまま顔に宿ったような、剣呑な閑寂だ。
(こいつ…! ようやく本気になったって事なのかよ!?)
ヴィラードがギクリと顔をひきつらせ、禿頭に汗の滴を幾筋も走らせる。
その表情を直視するアリエッタは、剣呑な表情を崩さぬまま、胸中でポツリと呟く。
("貴女"の言った通りですね。万人を平定させるには、常春の花だけでは足りない。時には鬼の厳冬も必要…と。
茨の道を歩むのならば、なおさら
その言葉、痛感する共に、これよりの実践の心構えといたします――御師匠様)
――これよりアリエッタが舞うのは、"鬼"の舞い。
- To Be Continued -