星ヲ撒ク者ドモ   作:眼珠天蚕

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Under The Serpent Hiss - Part7

 ◆ ◆ ◆

 

 「なぁ、アリエッタ。ヒトを楽しませるはずの舞いに何故、ヒトを恐れさせる鬼の面が使われると思う?」

 ユーテリアに入学するより約1年前。アリエッタは"御師匠様"と仰ぐ女性剣舞士から、そんな質問を受けた。

 

 アリエッタの出身は、地球が存在する宇宙とは別世界に存在する、"水と森の惑星"として名高いキュアネラ。現在で観光事業が星全体の一大事業と化しているが、昔は非常に快適な居住環境と豊富な資源を巡る一大戦場であった。

 血で血を洗う戦争によって、美しい惑星の環境が無惨に破壊され、その価値が急速な勢いで失われていった時の事。対立勢力間の敷居を超えて、平和を愛する者達が"戦わず、血を流さずにして、心の勝利を得る闘技"として作り上げたのが、アルテリア流剣舞術だと言う。

 その開祖にして伝説的剣舞士であるルーミア・ネアイオンは、不利に不利を重ねた戦場に身を起き続けて、演舞の披露にて戦争の終結に尽力を続けた結果――"鞘から刀を抜く"と云う行為のみで、血(なまぐさ)い戦意に揚々とした兵士達の心を(ことごと)く魅了し、戦争を終結させてしまったと云う。

 その後、ルーミアの功績を称えると共に、[[混沌の曙>カオティック・ドーン]]によって交錯し混沌とした世界で次々と生まれてゆく争乱へのアンチテーゼとして、アルテリア流剣舞術はキュアネラの国技ならぬ"星技"として定着した。

 剣舞術に身を置く者は剣舞士と呼ばれる。彼らの大半は、星の観光事業に尽力するためのパフォーマーとして活躍する。だが一方で、剣舞術の原義を重んじる者は、超異層世界集合(オムニバース)の各地へと散り、争乱を終結させるべく戦いに身を晒している。

 

 アリエッタの師、ファンネ・テフリスは一昔前までは後者であった。

 "ルーミアの再来"とまで云われた天才女性剣舞士であったが――今の彼女は現役を退き、剣舞術の指導に徹している。

 濡羽(ぬれば)色の美しく長い髪を称え、凛々しくも女性らしい快活さが見て取れる美しい面持ち。そして、決して着飾ることのない、むしろ質素に過ぎる格好をしていながら、燦然(さんぜん)とした雰囲気を眩いばかりに放つ雰囲気。絵画の中に描かれる理想の婦人像を具現化したような女性であるが――一点、不幸なる欠損がある。

 右腕が、スッパリと失われているのだ。

 この欠損ゆえに、彼女は現役を退き指導者に徹している。しかしながら、隻腕であっても彼女の剣舞の技術は、森の如き大樹が咲き誇る絨毯(じゅうたん)のような花の如く力強く、広く、深く、そして麗しい。現役を退いている事実を惜しまれているほどだ。

 そんな彼女が未練の気配を微塵も滲ませないのは、彼女を凌駕する才の持ち主――アリエッタ・エル・マーベリーに出会ったが故かも知れない。

 

 「メリハリのため…だと思いますけれど」

 少し考え後のアリエッタの答えに、ファンネは(うなづ)いてみせる。しかし、満足した気配はなく、生徒に難解な問題を叩きつける厳しい教師のような鋭い表情を作り、薄い唇を開く。

 「もう少し詳しく言ってみな」

 「ええと…」

 アリエッタは如何にも手探りといった感でオロオロと声を上げて、思考しつつポツリポツリと言葉をつなぐ。

 「その…喜劇であっても…途中に山…というか、困難があって…それを乗り越えて掴んだハッピーエンド…と云う方が、平坦なストーリーよりも…あのぅ…良い感じ、じゃなくて、面白味が増すというか、物語に幅が出る…出ます…。

 つまり…あの…鬼という怖い存在は…鬼を比較の対象とさせて…他の楽しい要素を…相対的に、もっと楽しく思わせるための、エッセンス…という事じゃ、ないでしょうか…?」

 自信の無さが手に取るように伝わってくる言葉だ。それを耳にしたファンネはクックッと笑って聞き受ける。

 「こっちが訊いてンのに、疑問符をつけて答えるのは良くないぞ、アリエッタ。

 まぁ、それはともかく、だ。

 お前の答えは、正解の一つだ。喜劇における鬼、その役割の一つはお前の言う通り、対照性(コントラスト)だ。ハッピーエンドを引き立てるためのスパイスだな。

 他には、ギャップの利用による滑稽さの増強、というものもある。怖い存在のはずの鬼に、その真顔のまま、面白可笑しい仕草(しぐさ)をさせるワケだ。面の種類によって、自ずから役割が固定されるタイプの古典芸能じゃ邪道極まりないと見なされる扱い方だが、私は良いアプローチだと思ってる」

 「なるほど…勉強になります」

 アリエッタが真顔でそう応じると。ファンネは美しく凛々しい微笑みを浮かべて、言葉を継ぐ。

 「なんで私が、突然こんな話をしたのか、分かるかい?」

 「なんとなく…は」

 「へぇ?」

 ファンネは面白げに片眉を跳ね上げ、"理由を言ってみろ"、とアリエッタに仕草で指示する。

 アリエッタは今度は、さほどオロオロすることなく、しっかりした口調で語る。

 「私の剣舞のスタイルに対する、忠告なんですよね?

 私は確かに、"花"に傾倒していますから」

 "花"――アルテリア流剣舞術においては、ヒトの心を陽の方向に突き動かし、和ませたり、感激させたりする業一般を指す。

 これに対して、ヒトの心を陰の方向へと導く――怯えさせたり、悲しませたりする業一般は、その名も"鬼"と云う。

 「その通りさ。

 ヒトってのは、性善説だの性悪説だの色々言われちゃいるが、結局は陽と陰の感情を併せ持つ存在さ。とは言え、その混合の比率は綺麗に半々ってワケにゃ行かない。これは個々人の質に因るワケだ。

 だから世の中には、善人と認められる者も居れば、悪人と認められる者も居る。

 同じ事象を目にしても、個々人によって感じ方は千差万別になっちまうワケだ。

 そんなバラバラな個性に対して、心を動かすアプローチの幅を自ら狭めちまってるのは、酷く勿体ない話さ」

 「おっしゃる事は分かります。けれども…」

 アリエッタは少し(うつむ)きながら、反論する。

 「アルテリア流派の訴える道義、"血肉でなく争いを斬り、平穏をもたらすべし"の考えの上に立つと…どうしても、"鬼"より"花"を極めるべきではないかと考えてしまうんです」

 「言ってることは分かる。何せ、私も昔はそう思ってたからね」

 ファンネは笑って二度、三度と頷いて見せたが。その後、表情をキリリとして鋭い真顔にし、言葉を続ける。

 「だけどね…その結果が、この有様さ」

 ファンネは視線と首の動きで、自らの失った右腕を示す。

 アリエッタは、その右腕を見ては常々考えていた事があった。それを口にするのはファンネの尊厳を害するのではないかと懸念していたが…この場の雰囲気に乗じて、思い切って尋ねてみる。

 「あの…御師匠様、何故右腕を再生させなかったんですか…?」

 魔法科学が席巻しているこの時代。肉体の定義に定着さえしなければ、怪我等で欠損した四肢は再生する事が可能なはずだ。それをしないで居るのは、何故なのか。

 「その…まさかとは思うのですが…私たち後輩への教訓を示す為に、敢えて…とかですか?」

 「いやいや、そんなんじゃない。そんなに献身的な人間じゃないよ、私は。

 誰が好き(この)んで、こんな不便な身体になるモンか」

 ファンネはケラケラ笑って答えてから、その笑みを後悔めいた歪んだものに変える。

 「再生できなかったんだよ。怪我して間もない時点でさえね。

 定義ごとスッパリと、斬り捨てられちまったのさ」

 この時のアリエッタは、ゾクリ、と背筋に痛いほどの冷気を感じずにはいられなかった。

 

 定義の破壊は、非常に難しい――これについて、家具の「椅子」を例にして説明しよう。椅子が何らかの事情によって破壊され、いくつもの部位へと瓦解したとする。それでも、背もたれや座面、脚などの部品を鑑みることで、それが元は"椅子"であった事を読み解くことができる。つまり、"椅子"であった定義は消滅していない。

 もしも"椅子"が粉微塵になろうとも、素粒子レベルに分解されようとも…椅子の使用者がその粉塵や素粒子が元は椅子である事を記憶している限り、"椅子"であった定義はやはり、消滅していない。

 定義の消滅までには、長い時間を掛けて、世界から定義の記憶が失われる必要があるのだ――元来ならば。

 だが、刹那の斬撃によって定義を世界から消滅せしめてしまうとは…一体、どのような力や理屈が働いたというのか。世界から全く定義を塗りつぶしてしまう程の形而上学的エネルギーとは、一体どれほどの量なのか。

 そんなものを、ヒトが人為的に作り出すことが可能なのか!?

 この頃、すでに剣舞術の皆伝間近であったアリエッタは、持てうる知識でザッと換算しては、その恐ろしい技術に感服する以上に、畏怖を覚えたのであった。

 

 「私の右腕の件ってのは、かなり(まれ)なケースだろうさ」

 ファンネは粟立つアリエッタに対して、その畏怖を(なだ)めるように軽い調子の声を掛ける。

 「でもな、私が言いたいのは…[rb:他人>ヒト]]の存在を否定する事を常とする戦場に身を起き続けるってことは、時に私の右腕を奪ったヤツみたいな怪物を呼び寄せるってことさ。

 そいつらの前で舞うには、"花"だけじゃどうしても追いつかなくなる時が必ず来る。

 怪物どもは、花の美しさなんて理解しちゃくれない。その辺に転がる石ころみたいに踏み潰して、蹴散らしちまうだろうさ」

 「…でも、伝説のルーミアは、"花"で(もっ)(ことごと)くの戦場を制してみせたと聞きます…!」

 「確かに、私もそう聞いてる。

 だが、ルーミアの時からは随分と時間が経っちまったのさ。

 怪物どもは更に大きく、恐ろしく進化を遂げて、花なんざ目もくれないように、余分なモノは見ないような()を手に入れちまったのさ。

 その最たるモノが、『戦争屋』って厄介なヤツらの集まりさ。

 まぁ、お前が『戦争屋』と戦うかどうかは別としても、だ」

 ファンネはアリエッタと真っ正面から向き合うと、両肩にポンと手を置く。そして、怖い目に遭った幼子に言って聞かせるような鋭い表情を作って語る。

 「お前も私と同じく、(いばら)の道を歩く事を志すのなら、選択肢は広く持つんだ。

 だからといって、私は何も"花"を捨てろと言ってるワケじゃない。"花"で世の全ての険を抑え込めるのなら、それに越した事はないさ。だが、それは科学で云うところの理想状態に近いものさ。

 さっきも言った通り、"花"を踏みにじる狂気は、確実に存在する。

 だからこそ…より美しい"花"を咲かせるためにも、"鬼"を身につけておけ。

 常春や常夏ばかりじゃ、"花"の美しさは作られない。鬼の厳冬を経てこそ、桜のように心に()みる花を咲かせるのさ」

 師にして百戦錬磨の剣舞士たるファンネに、そう真っ向から語られても、当時のアリエッタは納得し切らなかった。(うなず)いてみせたものの、眉の端には怪訝の為せる(ひず)みが(にじ)んでいた。

 それを汲み取ったファンネは、"仕方ない"と言った感じで爽やかに笑い飛ばしながら、アリエッタの桜色の髪をクシャクシャと撫でる。

 「お前は来年から、ユーテリアに行くんだよな?

 あそこは自由な気風が持ち味だからな、思いっ切り世界中を駆けずり回って、色々な経験をして来い。

 そうやって、数多くの戦い――戦場でなくとも、ライバルとの切磋琢磨でも良い――を経れば、お前も私の言った事を納得出来る日がきっと来るだろうさ」

 

 ――そしてアリエッタはユーテリアに入学し、星撒部に見置いて数々の戦いを経てきた。

 それでも、彼女の根底が"花"である事は変わらない。それでも今は、師が言った事を昔の何倍も理解出来る。

 (いばら)の道を進むならば、常春だけでは足りない。花を踏みにじる狂気を凍てつかせる鬼の厳冬もまた、"花"を活かす一手であると。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 (ヤル気充分か…!)

 『武闘の士師』ヴィラードは、これまでとは打って変わったアリエッタの気配に生唾をゴクリと飲み込むと。ドッシリと身構えて、よくよくアリエッタを観察する。

 笑みを消し、腰を低くして抜刀の構えを作るアリエッタの姿には、閑寂たる静と共に、今にも烈風を撒き起こさんばかりの動の気配が痛いほど伝わってくる。こちらを射抜く鋭い眼光は、その視線だけでヴィラードの脳天を穿(うが)つようだ。

 (所詮、あの刀は刃引きだがよ…)

 ヴィラードはアリエッタの刀をチラリと見やり、こめかみに一筋の冷たい汗を流す。

 アリエッタの刀が斬撃に適さないのは、これまでの交戦から明白だ。とは云え、斬れないからと云って油断はならない。刃引きの刀とは云え、充分な速度と技量があれば、充分にヒトの命を奪うことが出来る。肉を断ち、骨を砕く事が出来る。

 当てずに舞うだけでも、ヴィラードを手こずらせた相手だ。本気で当ててくるとなれば、苦戦は必至だろう。

 ――そんな苦境の思考を、ヴィラードは小さく首を振って振り払う。

 (何を弱気になってやがる! オレ様は『士師』だッ! 我らが『現女神(あらめがみ)』に仕えし、超常の聖人だッ!」

 口元にまで流れ着いた汗の滴をベロリと舐めとると。ヴィラードは額の金属質の角の周囲に青筋をビキビキと浮かび上がらせて――(ダン)ッ、と地を蹴る。

 そして、墨汁のような烈風をたなびかせつつ、アリエッタへと肉薄する。

 (当たる前に、ブチ殺すッ!)

 アリエッタまでの距離が3、4歩といった中距離で――ヴィラードは腰の高さに構えた右拳を、アッパーの要領で一気に解き放つ。繰り出された拳は直ちに気化して爆発的に膨張しつつ液体レベルまで密度を高め、さながら"大気の拳"となってアリエッタを()しに掛かる。

 対するアリエッタは、桜色の髪をバタバタと乱す烈風に対して、瞬時に抜刀。転瞬、(ゴウ)と云う音と共に衝撃波が発生し、ヴィラードの"大気の拳"に激突する。

 「ぬおっ!」

 ヴィラードが(たま)らずに声を上げたのは、衝突によって生じた強烈なモーメントによって、"大気の拳"が大きく弾かれてバランスを崩し、倒れるどころか吹き飛ばされそうになったからだ。

 この大きな隙を見逃さず、アリエッタは抜刀の勢いのまま素早くクルリと回転しつつヴィラードの懐に入り込む。その(まなこ)には相変わらず笑みはなく、網膜を射抜く鋭さばかりが目立つ。

 (きら)めく眼光が訴えるのは、剣呑なる修羅の意志。

 (マズいッ!)

 ヴィラードはがら空きになった胴の前に慌てて左手をかざすと、即座に気化。高密度のガスによるクッションを作り出す。刃引きの刀ならば、通常の刀に比べて刃先の面積は広いので、充分に受け止められるはず――それがヴィラードの目論見である。

 アリエッタは構わずに、転身の勢いを利用して横薙ぎの一閃を放つ。その一撃は確かに、大気のクッションに巻き込まれるとグニョリと減速したのだが…。

 「()ッ!」

 アリエッタが気合いと共に素早く刀を引いた瞬間。ヴィラードの胴部を守るガスのクッションが、まるで強烈な吸引機に当てられたようにズルリと剥ぎ取られてゆく。アリエッタは高速で刀を引いて大気を切り裂き、真空を作り出して、ヴィラードのクッションを引きずり出したのだ。

 (なんだとッ!?)

 ヴィラードが目を丸くする。両手を気化してしまい、防御を失った今、彼が取れる行動は回避しかない。バランスが崩れているところを、脚をバタつかせて踏ん張り、横っ飛びに避けようとしたが――遅い。

 アリエッタが引いた刀を(ひるがえ)すと、曇天の陽光を眩しく反射させつつ、突きを叩き込んできたのだ。

 刃引きの刀であっても、もっとも表面積の小さい切っ先は、充分な速度さえ伴えば用意に肉を裂く。これはアリエッタが今回の交戦で初めて見せた、殺法に通じる剣技だ。

 アリエッタの突きは刀身が霞んで見える程に高速であり、更に網膜を()くような閃光を放つ事から、ヴィラードはその身を光によって数度焼き貫かれたかと感じた。実際、ヴィラードは胴および内臓にズッシリと沈む衝撃を感じたのだ――もしも光線が彼を貫いたとしたら、質量を持たぬ故に衝撃など感じないはずだが。

 (やられた!?)

 ヴィラードは眼球が飛び出さんばかりに目を見開いて、背筋に走る衝撃に心を震わせた――が。視線を送った腹部には、凄惨な真紅が吹き出ているどころか、赤みを帯びた腫れすら見当たらない。

 (…ンだよッ、また"魅せ"かよッ! 舐めやがってッ!)

 ヴィラードは見開いた眼を一瞬にして険悪に細めると、体勢を充分に建て直して、再びアリエッタの方へと踏み込む。そして気化したままの右拳を、もう一度アッパーの要領で叩きつけるのだ。

 アリエッタは先と同じく、抜刀の衝撃波で吹き飛ばす算段で構えを取ったが。いざ抜刀しようとした、その瞬間。ブワッ、と全身を吹き抜ける烈風に襲われる。

 次の瞬間、キィィン、と耳鳴りがし、耳の中が詰まったような感覚を得る。直後、風が凪いだかと思えば、息苦しさと不快感を覚える。その不快感は、三半規管が混濁したものと違い、内臓そのものが揺さぶられるような――消化物が食道から直ちに逆流するような不快感だ。

 そしていきなり、アリエッタの鼻孔からブシュッ、と鮮血が噴出する。そして、鋭い眼が焦点を失い、クラリと勢いを失う。

 ヴィラードは、"大気の拳"によるアッパーによって、アリエッタの周囲の大気を吹き散らしたのだ。よってアリエッタの周囲の気圧は、地球上ではあり得ないような低圧に達したのである。

 (この期に及んでも、舐め腐りやがったツケを払わせてやるッ!

 深海魚みてぇに、内臓ブチ撒けろッ!)

 異様な低気圧の下、アリエッタの内臓は風船の膨張し、構造が不安定となる。そこへヴィラードは左拳を敢えて固体化させると、腕だけ漆黒の風と化してリーチの延ばし、アリエッタの腹部を狙う。膨張した内臓を圧迫する目論見だ。

 対するアリエッタの行動は、少々異様に映ることだろう。

 彼女は低圧の領域から脱するでなく、腹部を防御するでなく――刀身を鞘に納め始めたのだ。ただし、その速度は腕が霞む程の高速である。

 ヴィラードが怪訝に眉を(ひそ)める間もなく、アリエッタの刀はすっかりと鞘の中に収まり、(つば)が鞘の縁に激突すると――ガキィンッ! と空間が破裂するような鋭い金属音が響く。

 この音程度でビクリと(すく)むヴィラードではないが…代わりに、ある異変を感じ取ってギリリと歯噛みする。

 激しい音によって、低圧を作り出していたヴィラードの気化した拳が激しく震動。自由を失うだけでなく、低圧を作り出すべく大気を押し退()けていた構造が一瞬にして破裂するように崩壊したのだ。

 これによりアリエッタは、低圧の環境を打破し、身体の不調を払拭する。

 そしてすかさず、腹部に肉薄する拳に対して肘を突き出して迎撃。ヴィラードの拳は手甲で守られている為、()したる打撃を受けることはなかったが、拳撃は確実に受け止められてしまう。

 (くそッ!)

 ヴィラードは離散した右拳を集めつつ、放った左拳を引いて体勢を立て直そうとするが。アリエッタの動きは止まらない。突き出した肘を支点にし、高速で抜刀。ヴィラードの左腕を一閃する。

 (斬られたッ!?)

 ヴィラードの額からブワリと冷や汗が吹き出る。彼の左腕は気化しているというのに、その事実さえ忘れて、腕が切り離されたと痛感する。何せ、気化しているはずの腕に、重く鋭い衝撃が走ったのだから。

 だが、無事に左腕が胴体に戻った事を確認すると、ヴィラードは四肢欠損を免れた事に安堵の息を漏らさずにはいられない。

 その隙にアリエッタが更に動く。(ダン)ッ! と音を響かせた足踏みし、ヴィラードの懐深くまで潜り込むと。踵で(もっ)てヴィラードのつま先を踏みつける。

 「ガァッ!」

 ヴィラードが苦悶の声を上げるのも無理はない。神経の集中する指先を思い切り刺激されたのだから。もしかすると、爪の何枚かが剥がれてしまったかも知れない。

 次いで、アリエッタは刀の柄先でヴィラードの顎先を強打。つま先を固定されているが故に衝撃の逃げ場がないヴィラードは、脳天にまで響く固い衝撃に、首が引っこ抜ける程に天を仰ぐ。

 しかし、ここで心折れるヴィラードではない。

 (クソがッ、クソがッ、クソがッ!)

 脳を震わす衝撃を振り切り、ギロリと視線をアリエッタに向けると。今度は両手を気化して上から叩きつける。今度も密度は液体並を誇るが、ガスの組成は通常の大気のものではない。

 鼻孔にツンと痛みすら感じる強烈な臭気を放つ、反応性の高い猛毒の物質――二酸化硫黄である。

 このガスは生物体にぶつかると、酸素を奪う燃焼反応を起こして体組織を損壊させると共に、硫酸を生成して傷ついた体組織を更に悪化させる。

 この不可視の攻撃に対しても、アリエッタは怯懦なく、迅速に対応する。その場でグルリと高速回転し、刀身で大気をかき回して旋風を作ってガスを霧散させてしまう。二酸化硫黄はアリエッタの可憐な桜色の髪の先端をチリチリに焦がした程度で役目を阻害され、離散してしまう。

 (何だよ、おいッ!)

 絶妙の反撃だと確信していたヴィラードは事の次第に笑い出しそうな程衝撃を受け、吹き出すようにも引きつったように見える妙な表情を作り出す。

 そこへアリエッタは回転の勢いのままに蹴りを叩き込む。踵は見事にヴィラードの鳩尾(みずおち)(えぐ)り込まれ、彼は大量の唾液を吐き出しながら派手に吹っ飛ぶ。

 その最中にも、アリエッタの手は休まない。防御の余裕すらないヴィラードのがら空きの首筋めがけて、ギラリと輝く刃を振り下ろす。今度もヴィラードは、首から胴にかけて袈裟斬りに両断されて血肉が吹き出す想いを抱く。

 勿論、それもヴィラードの幻想に過ぎない。アリエッタの刃引きの刀身は彼の首を切り裂くどころか、当たってすらいないのだ。

 それでもヴィラードは、確かに、重くて鋭い刃の感覚を得たのだ。

 (チクショウッ、チクショウッ、チクショウッ!

 何だってんだ、何だってんだよぉッ!

 踊りじゃねぇのかよッ、蹴り技なんて在るのかよッ!)

 着地したヴィラードは踏ん張って体勢を立て直すと。今度は両脚を漆黒の疾風に変えてアリエッタへ肉薄。次なる攻め手を繰り出しに行く。

 対するアリエッタは、果敢にヴィラードへと距離を詰めては、刀のみならず蹴りも交えて苛烈な抗戦を行う。

 

 その始終、アリエッタの顔はニコリとも笑みを魅せない。可憐な彼女の顔に張り付いているのは、刃がそのまま転化したような鋭利で剣呑な無表情。

 それはまるで、木彫りの鬼の面が放つ静かな獰猛さを想起させる。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 (何なんだ、この戦い…!)

 (はた)で2人の戦いを見守るプロジェス市軍警察のウォルフは、唖然とした戦慄の中でポツリと胸中で呟く。

 ――いや、彼だけではない。周辺で交戦する他の市軍警察官や"チェルベロ"の加勢人員達、それどころかテロリスト側の『士師』"(もど)き"までもが、アリエッタとヴィラードの戦いを一瞥しては同様の感想を抱く。

 それほどまでに2人の交戦の様子は、ある種の"奇妙さ"を醸し出している。

 

 ヴィラードは相変わらず攻め続けている。四肢を気化し、ある時は有害なガスとなり、アリエッタの命を執拗(しつよう)に狙う。

 彼の攻撃は、悲しいかな、なかなか功を奏さない。気化に伴う大気操作に加え、抜群の体術を(もっ)てしても、剣舞術の皆伝を収めたアリエッタを捉える事は困難だ。抜刀の剣風や鍔鳴りによる破裂によって、大気やガスが散らされてしまうことはままある。

 それでも、手数は圧倒的にヴィラードが上だ。それに彼とて、『士師』として働いた実力者。アリエッタに全てを(さば)かれてしまう程落ちぶれてはいない。

 ヴィラードの操る有毒なガスは、時にアリエッタの皮膚を焼き、時にアリエッタの感覚を狂わせ、時に臓器への直接的なダメージを与える。アリエッタの体は徐々にボロボロに傷つき、痛ましい姿へと変わって行く。

 それでも、表情が苦しく険しいのは、ヴィラードの方だ。

 攻め続け、着実に傷を与えているはずなのに。逆に追い詰められているような感じさえ受けるほど、全身にビッショリと冷や汗をかき、顔面を蒼白にさせている。

 一方のアリエッタの攻めは、"鬼"に転じてからと云うもの、その気迫と鋭さは剣舞ではなく"剣武"そのものだ。今にも弾け跳びそうな勢いを込めた構えで、目から放つ鋭利な刃物のような眼光は、その視線だけで血肉を両断する威勢を醸し出している。

 しかし、アリエッタの振るう刀は、相変わらず空ばかりを斬る。刃引きであっても、刀身がヴィラードの体表に触れることはない。尤も、凄絶な剣風や柄による殴打が繰り出されることは多々ある。しかし、基本的には"威嚇による選手防衛"という言葉が相応しい振る舞いだ。

 当たらない攻撃を幾ら繰り出されても、百戦錬磨のヴィラードには何の痛痒も感じない――その"はず"である。

 それでもヴィラードは、アリエッタが繰り出す虚空の一撃一撃に対して、着実に精神を磨耗されてゆく。その異様な事態を可能にしているのは、"通じないはずの痛痒"を喚起させる、アリエッタの真に迫った舞いにある。

 "花"の所作と違い、"鬼"の所作は一々が酷く素早く、重く、そして"凶悪"と称しても過言でない成果を生み出す。刀身はヴィラードの一撃をくぐり抜けると、幾度も幾度も空を切り裂く。一閃一閃は着実に急所を捉えたもので、激突すれば重傷を負うことを免れないだろう。それがほんの数ミリの間隙を空けてヴィラードに肉体スレスレを走ると、吹き出す剣風が体表を鋭く撫で回し、まるで音も無くパックリと血肉が裂けてしまったような感覚を覚える。

 アリエッタは常にヴィラードとの距離を詰め続ける。ヴィラードの手数をアクロバティックながらも実践的に昇華された動きで(さば)き続ける。そして隙と見れば、すかさず斬撃を繰り出す。その一々にヴィラードの顔は歪み、脊椎反射的に冷や汗を撒き散らしながら体を仰け反らせるのだ。

 こうした至近距離での撃ち合いを(はた)から見ていると――険悪極まりない交戦のはずが、なんだか違うものに見えてくる。

 表情を歪めながら、荒い動きで攻め続けるヴィラードの姿は…不慣れな中でもベストを尽くそうと奮戦する、初心者の姿。

 凶悪な手数の中で、険しくも美しい動きでヴィラードを追いつめるアリエッタの姿は…不慣れな初心者のぎこちない動きをカバーして、有り余る技量のパフォーマンスで観衆に感動を届ける熟練者の姿。

 そう、この2人の今の姿は、舞踏会場で踊りを披露するペアと重なる。

 

 そんな険悪ながら優美な様相が、誰の網膜にも奇妙な感覚を植え付けてしまうのだ。

 

 (『士師』相手に、こんな戦い方をしてのけるなんて…!

 やっぱり姐さんは、尋常じゃねぇ…!)

 ウォルフは、眼前の交戦対象であるはずの量産型『士師』"擬き"と鍔迫り合いをしながら、2人してアリエッタ達の交戦の様子を見つめて、呆然とする。

 2人の一挙一動が、見るものの意識を虜にして止まないのだ。この奇妙で美麗なる芸術を前に、ひたすら視線を投じていたくなってしまう。

 

 ――だが、この"舞踏"も、永遠に続くことはない。

 遂に、観衆が惜しんで止まぬ"終演"を迎えようとしている。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 (なんだよ、チクショウッ、なんなんだよッ! なんでオレが、追い込まれてんだよッ!)

 度重なる、間近での斬撃の空振り。その積み重ねが着実に生み出した怯懦にヴィラードの心が押し潰されようとした、その時。

 「あああああああッ!」

 彼は胸中に溜まりに溜まった"負"を一気に吐き出さんとするように、大口を開き、こめかみに青筋を立てて絶叫する。

 そして、肉体の気化を初めとした魔法的能力を用いる算段などかなぐり捨てて、ただひたすらに怯懦の源をねじ伏せんと、右腕にありったけの力を込める。

 まるで、いきなり飛び出して来た怪物を拒絶するかのように、岩の如く固めた右拳を、骨身が軋むのも構わずに弾丸の如く撃ち出したのだ。

 墨汁のような疾風を伴った拳撃よりも余程速いその一撃は、ヴィラードの怯えた本能が肉体の限度を越える動きを生み出した結果なのかも知れない。

 その拳撃は瞬時にアリエッタの頬面へと迫り、そのまま彼女の柔肉と頬骨を粉砕する――かに思えた、が。

 ヴィラードの一撃は、悲しくも空しく、虚空を泳ぎ過ぎてしまう。

 そしてヴィラードは、眼球を転げ出さんばかりに目を見開く。たった一瞬前までそこに居たはずのアリエッタの姿が、視界から消え去っている。

 (なんだよ、この速さ!?)

 予想だにして居なかったヴィラードは、拳を引くこともせず、ギョロギョロと眼球を動かしてアリエッタの姿を必死で探す。これまでの戦いの中では、アリエッタは決して遅い動きではなかったものの、視認出来ない程の速度で動けるような片鱗は全く見受けられなかった。

 

 ――だがこの時、ヴィラードは勘違いをしている。

 アリエッタが非常な高速で動いたワケではないのだ。

 怯え切った彼の精神が、脳から意識への感覚のフィードバックを、酷く鈍いものにしていたのだ。

 

 そして当のアリエッタは、と云えば。繰り出された拳撃に対して、即座に屈んで拳を頭上にやり過ごしつつ、低い体勢のまま前進。ヴィラードの脇を通り過ぎ、その背後に回り込んだのだ。

 ヴィラードが幾ら眼球を動かそうが、首を回さずには背後を視認することは出来ない。だから彼は、アリエッタが消えてしまったように感じたのだ。

 そんな彼に対し、アリエッタはつま先でコツン、と(ふく)(はぎ)を小突く。蹴りではなく、本当に気付かせるための所作だ。

 ヴィラードは正に血の気が引く程に顔面の色を失いつつ、冷や汗の滴をボタボタと飛ばしながら、慌てて背後を振り向いた――その時。

 (ザン)ッ! 大気を切り裂く銀閃が横一文字に宙を疾駆。ヴィラードの並んだ双眸(そうぼう)のスレスレを過ぎる。輝きとともに吹き抜ける烈風が、瞳の表面を激しく撫でて、柔らかな水晶体を波立てる。

 結果、視界が酷く歪んだヴィラードは、眼を失ったと信じて疑わず――。

 「ああああああッ!?」

 絶叫しながら、双眸の傷を庇い立てるように、諸手(もろて)を眼に伸ばす。傷の状態を確認するためか、それとも直ぐに襲ってくると信じる激痛を宥めるためか、それとも単なる脊椎反射か。何にせよ、ヴィラードは攻めをすっかりと忘れて、隙だらけの行為に没頭してしまう。

 だが、指先が眼に居たるより早く、視界が回復すると。ヴィラードは自分の身の上に何が起きているのか、もはや図りかねず、思考を困惑一色に染め上げる。

 その間抜けな程の隙を、"鬼"と化したアリエッタは決して見逃さない。刀を高く振り上げて、ギラリと陽光を反射させる。それでヴィラードは我に返ると共に、自身が致命的な苦境に立っている事を本能で理解する。

 (避けられねぇ…ッ!)

 アリエッタが銀閃を一直線に振り下ろす。ヴィラードは目尻からブワリと恐怖の涙を沸き出させ、辛うじて禿頭の上で腕を交錯させて防御態勢を作る。

 アリエッタの剣術の腕ならば、例え刃引きであっても、ヴィラードの腕の防御を切り捨てて、彼を脊椎に沿って真っ二つに両断した事だろう。

 しかし――アリエッタは、剣闘士ではない。

 

 アリエッタは、剣舞士なのだ。

 そして、厳冬の"鬼"が続きに続いた、この瞬間。アリエッタは満を持して、春の"花"を咲かせる。

 

 (ブン)ッ! ヴィラードの腕の間近にまで迫った高速の銀閃は、突如直角に方向転換。水平に宙を走り抜けたかと思うと――そのまま優雅に、大きな円を描く。

 斬撃の速度は徐々に遅化し、やがては踊りに相応しいゆるりとした優美な柔和さを取り戻した頃。刀はアリエッタの真正面に戻る。

 この時、アリエッタはもう片方の手で腰から鞘を引き抜き、これもまた己の真正面にまっすぐ水平に持っている。

 そして刀は、刀身を鞘の中へと収めて――最後に、真夏に照る太陽のような輝きを放ちつつ、チィンッ! と高く澄んだ鍔鳴りの音を響かせる。

 この動作を終えたアリエッタの顔には――険しさなど一片もない、穏やかなる満面の微笑みが浮かんでいる。

 

 "鬼"の冬が終わり、"花"の春が訪れたのだ。

 

 (…美しい…)

 ヴィラードは、呆然とアリエッタの動きを見送る。

 燦然たる陽光の反射が網膜に()き付いた時に、胸中の怯懦(きょうだ)は輝きの中に塗り潰され、真っ白な思考の中に感激がジンワリと広がったのだ。

 (この美しさの前に、オレは…)

 ヴィラードが呆然と回顧を始めると。彼の体は、激しい身震いに襲われる。

 彼はこの時、痛感したのだ。感激に激情が塗り潰された今、純然たる武人の感覚で認めたのだ。

 (オレはずっと、負けていた…)

 ヴィラードが相対し続けてきたのは、"当たらない刃"ではない。"当てない刃"なのだ。

 ヴィラードは交戦の最中、"当てない刃"を"当たらない"と卑下し、嘲笑し、攻め続けていいた。だが、彼の武人の本能はとっくに認めていたのだ――もう何度も、負けていることに。

 "当てない刃"は、その気になりさえすれば、"当たった刃"なのだ。何度も何度も振り回される刃は、ヴィラードの骨身を裂いて鮮血を舞い上げていたはずなのだ。

 しかっしヴィラードは痛みも流血もない敗北を認めず、本能が訴える感服を喚き散らし、拳蹴を振り回すことで払拭し続けたのだ。

 それが『武闘』の(あざな)を冠する『士師』として見苦しい行為であったなど、とっくに理解できていたのだ。それでも手足を止めなかったのは、器の小さなプライドにしがみついていからだ。

 今となっては、アリエッタがなぞった剣閃の跡が、パックリと赤い血肉を覗かせる(きず)が開いているかのように感じてならない。――とすればヴィラードは、使い古された雑巾のようにズタボロに引き裂かれているはずだ。

 ブルリ――ヴィラードは身震いする。同時に、全身がビッショリと大量の冷や汗が噴き出す。アリエッタへの畏怖と共に、己の浅ましさに対する羞恥が、寒気を生み出す。

 

 そして、流れ出す汗と同時に、彼の全身から噴き出すものがある。

 それは、黒紫色に鈍く輝く術式の蒸気――呪詛だ。心の折れた彼の体組織から、力の抜けた呪詛が逃げ出してゆくのだ。

 

 蒸気の存在に気づいたヴィラードは、ハッとして体を強ばらせる。

 如実に身体が脱力して行く様子に焦りを覚えた彼は、(待てよ、待て待てッ!)と内心で慌てて叫び、呪詛の蒸発を防ごうとする。

 一時は、認めたはずの敗北すら否定し、アリエッタへの怒りを呼び起こしてまで、呪詛をつなぎ止めようとしたが――流出が止まらない事を(さと)ると、フッと力無く笑いを浮かべる。

 そして、一気に()し掛かってきた疲労のなすがままに、膝を折ると、そのまま背中から大地へと身を投げ、"大"の字に倒れる。

 ヴィラードが、完全に敗北を認め、受け入れた瞬間であった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 ヴィラードが負けを認めた直後。プロジェスのあちこちで黒紫の蒸気が噴き出すのが認められる。それは、多数ひしめいていた『士師』"(もど)き"達の身体から、不意に吹き上がったものだ。

 マキシスの場合は漆黒の竜が彼の呪詛に依存して存在を保っていたように、大多数の『士師』"擬き"の能力(ちから)はヴィラードの呪詛に依存していたらしい。考えてみれば、ヴィラードの気化能力の一部を有していたのだから、当然考え得る事情ではある。

 鎧を失い、呪詛によって底上げされていた体力が一気に低下し、脱力した『士師』"擬き"達は、次々に普通の人間と化し、その場に(くず)れてゆく。アリエッタの奮戦を知らぬ市軍警察達は、急な形勢逆転に警戒感すら抱いたが。"チェルベロ"達が躊躇せずに逮捕に踏み切る姿を見て、状況は何の疑念も抱く必要のない好転であると断じ、"チェルベロ"の行動に従う。

 ――こうしてプロジェスの趨勢は、マキシスとヴィラードの両者を屈服させた事から、再び秩序側へと大きく天秤が傾く。未だに漆黒の『天使』が天空を舞ってはいるが、今の市軍警察や"チェルベロ"の戦力を持ってすれば、即座とは云えずとも制圧は時間の問題であろう。

 

 ヴィラードが大の字に転がっても、市軍警察も"チェルベロ"も中々彼に近寄ろうとはしなかった。アリエッタのとの交戦中の凄絶な動きが網膜に()き付き、未だに畏怖を覚えてならないのだ。

 近寄ったところで、いきなり飛び上がって襲いかかってくるのではないか? そんな不安すら漂っている。

 それを払拭しようと試みたかどうか分からないが、アリエッタがヴィラードに近寄る。彼女の顔は、すっかりといつもの微笑みに戻っている。

 そんな彼女の表情を見つめてヴィラードは、

 「このタヌキ女め」

 と皮肉を語る。

 するとアリエッタは、笑みを少し苦々しく歪めて語る。

 「そんな言い方をされるのは心外ですよ。

 私、"鬼"を見せるのは、やっぱり不本意なんです。何より、刀身を当てなくとも、柄で殴ったりしちゃいますから。それって、本当の意味で心を屈することにはなりませんから」

 するとヴィラードは、寝転んだまま、呆れたように苦笑する。

 「おいおい、ってことは、『士師』のオレ相手に、ニコニコ笑ったまま当てずの刀捌きだけで勝つつもりだったのかよ? 本気で?」

 「可能ならば。

 それが、私の理想であり、目指す道ですから」

 そんな答えを聞いたヴィラードは、クックッと笑って己の眼を覆いながら、ベロリと長い舌を出す。

 「遠い、遠すぎるだろ。そんな理想、夢物語の英雄譚を実現しようとする位に、滑稽な話だ。

 (いばら)の道どころの話じゃねぇ、針の山を素足で歩くようなもんだ」

 「今回の戦いを通じて、本当にそうだと痛感しました。

 でも、だからこそ、やり遂げる意義がある…そう私は、感じます。

 それが絶対なる"不戦の抑止力"に繋がるのなら、私は喜んで素足で針の上を歩きます」

 ヴィラードは眼を覆った手を大きく振って、四肢で再び"大"の字を作ると、ゲラゲラと大笑いする。

 「流石は超異層世界集合(オムニバース)に名を轟かす"英雄の卵"の志だけはある。

 笑っちまうほどに、清々しくデカい夢だなぁ!」

 ――こうしてヴィラードが無防備に語っているのを見ていた"チェルベロ"の隊員は、ようやく顔を見合わせてコクリと首を振ると、ヴィラードに近寄る。そして、2人で一本ずつヴィラードの腕を取って持ち上げて立たせて、確保の工場を述べる。

 「ヴィラード・ネイザー。テロリズムによる破壊および殺傷行為により、逮捕する」

 「はいよ」

 ヴィラードは大人しくそう語ると、"チェルベロ"隊員の為すがままに引き立てられてゆく。他の『士師』"擬き"と共に、"チェルベロ"の本星にある留置所に拘留されるのだろう。

 去り際に、ヴィラードは首だけでアリエッタを見つめると、こう語る。

 「オレはこうして、心が折れちまったがな。だが、まだ残ってる2人は、オレとは比べものにならないくらい心が固いぜ。

 エノクのヤツは勿論。あのザイサードっていう"ハートマーク"の野郎、部外者のクセにして、スゲェ執念を見せやがる。『戦争屋』ってヤツは、誰よりも気の狂った思考の持ち主に違いねぇぜ」

 そう残して再び歩き出すヴィラードの背中に、アリエッタは笑みをスッと消して、ポツリと応じる。

 「ご忠告、ありがとうございます。

 でもそんな事、もう承知済ですから」

 

 その後、ヴィラードの姿が消えた後は、アリエッタに向かって市軍警察の人員がワッと集まってきた。

 その先頭に立つのは、勿論、ウォルフである。

 「姐さん、スゲェよ! あんなヤツ相手に、本当に斬らずに勝っちまうなんて!

 尋常じゃねぇよ!」

 そんな感嘆の声に恥ずかしげな笑みを浮かべながら――アリエッタは胸中で、エノクとザイサードを追った渚と紫へと思いを()せる。

 (気をつけてね。

 …一筋縄じゃ行かないわよ、彼らは)

 その言葉が2人にどう働くなど知る由もなく、アリエッタは市軍警察の人員達にもみくちゃにあれ、胴上げされてしまうのであった。

 

 ― To Be Continued -

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